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第十六巻

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 平家郎党たちが住んでいる区画一角にある、広めに造られた屋敷にて。元々源家一族の避難場所として存在しているここは、普段は民衆の集会所としても解放されている。故に、日常生活を送るには何の支障もない。
 戦場から戻った光正は、従弟の定恒(さだつね)とともに主だった者たちがいる居間へとやってきた。
 「げっ。本当に戻ってきやがった」
 「随分な挨拶だな」
 「いやいやいや。あんたの脚力どうなってんの。人間じゃないっしょ」
 「明心(あこ)っ。光正殿、ご無礼をお許し下さい」
 うめに殴られた頭部をさすりながら、少年はたけの背中を見る。
 光正は、変わらずの様子に、思わず少し口元がゆるんだ。
 「たけ。無事で何よりだ」
 「は、はい。これも勝重(かつしげ)殿のお陰です」
 「そうか」
 男性の指が、姫の頬に触れると、そのまま顔を包みこむ。
 「おいおい。客を放って良い雰囲気を作るとは何事だ」
 「ああ、すまんな」
 顔が赤くなる娘に対し、次期当主はしれっと返事をする。顔をむけた方向には、村山勝重がいた。
 彼は、にやにやしながら腕を組む。
 「あの朴念仁が、なあ。手紙ぐらい寄越せよ」
 「すぐに出したぞ。どうせ筆不精のお前の事だ、読んでないだけだろう」
 「流石の俺も友からのは読むぞ。本当に先程まで知らなんだ。まあ良い」
 ぱし、と膝を叩く勝重は、源家当主の定光(さだみつ)に視線を送る。
 「ふむ。光正よ、よくぞ戻った。これで戦いやすくなる」
 定光は現状を説明し始める。
 光正らが領地を出発してから一刻ほど経過したとき、北東から小山田軍がやってきた。手薄になった領地を守るべく、影らが警戒していたところ、飛びこんできた光景だったという。
 領民の避難を実行し、守りを固めようとしていた矢先、小山田軍と源氏領地の間に村山勝重が率いた軍が割ってはいり、侵攻を阻止した。村山側も小山田信近(おやまだののぶちか)には警戒をしており、妙な動きをしているとの情報を手にいれたため、軍事演習という名目で近くに野営をしていたという。
 「勝重殿の読みでは、明日にでも攻め入るだろうと踏んでおられるそうだが」
 「あ奴の進軍目的がおかしい故、勢いのあるうちに落とそうという魂胆かと思われまする。我らも義の元、加勢致しましょうぞ」
 「かたじけない。光正、定恒に命ずる。勝重殿と協力し、小山田を討ち取れ」
 「御意」
 「お館様。父上らは如何致します」
 「その事は別室で話そう。女子供に聞かせる話ではあるまい」
 と、話しながら立ちあがる勝重。同意した光正と定恒も同じ動きをし、前者はちらりと妻を見た。
 隠してはいるが不安そうだ。早めに戻って来るか。
 そう思った次期当主は、二人の後を追って退出。
 「うめ。たけ殿を別室へ。今宵はそこで休んで貰おう」
 「畏まりました」
 「お待ちください。私とて武士の端くれ、今は少しでも戦力を集めるべきでは」
 「ならぬ。今のそなたでは足手纏いじゃ。理由は言わずとも分かろう。そもそも女を、しかも義理の娘を戦場に出すなど言語道断」
 「し、しかし、まつ様は」
 「あれは幼き頃よりそういう教育を受けておる。そなたとは違うのだ」
 「あー、それであんなに気が強ぇのか」
 再び受けたげんこつだが、明心は何がいけなかったのかが理解できていない。
 「良いな。大人しくしておるのだぞ」
 「は、はい」
 「さあ、たけ様。移動しますぞ」
 「おれも行くー」
 「お前は郎党どもの所に戻らんか。夜分に女性の部屋へ来るでない」
 「何でだよ。非常時なのに」
 ぐい、と、明心は襟首を幽(ゆう)につかまれる。にらんだ少年に対し、青年は首を左右にふって答えた。
 「決まりがあるのじゃよ。非常時に必要なら幽を通して呼ぶ」
 「わぁーったよ。面倒くさいなぁ~」
 ぶつくさいいながらも言う通りにし、部屋をでる少年。その後を、一礼をした幽が追っていった。
 たけは部屋へ案内された後着替えると、床の間に野太刀を飾る。そして目の前に座り、静かに目を閉じた。
 だが、すぐに気持ちが切れてしまう。
 「集中できぬとは。情けない」
 はあ、とため息をつく、たけ。明心に慰められてしまうほど、自身は落ちこんでいたと思うと、どうしても沈んでしまうようだ。
 薄くはいってくる月の光に当てられた刀は、形がうっすらと見えている。
 「たけ。入るぞ」
 「え。あ、はいっ」
 開けられたふすまを慌てて見る女性。寝間着姿の男性は静かに動かして隙間をふさぐと、彼女の隣に座った。
 「部屋数が限られているのでな」
 「そ、それは、聞き及んで、おりまする」
 「驚かせた様だな。何を思案していた」
 「な、何も」
 床の間に目をやりながら、
 「何も、考えられぬのです。最近は、特に、何も感じませぬ」
 「何も感じない、だと」
 「どう、表現してよいのか分かりませぬが。何でしょう、胸にぽっかりと穴が開いた感覚なのです」
 軽く握った右手を患部へとあてる、たけ。悩もうにも種すらない状態らしい。
 「俺への復讐心が消えたからではないのか」
 「必要ございますま、い」
 光正は、目を閉じる。
 「気づいた様だな。今の状態は、お前が心の支えを一気に失ってしまったからだと思う。一つは誇り、一つは復讐心。少なくとも、俺の目にはそう映っていた」
 「心の、支え」
 「さすがにそれを見つけるのは、己自身にしか出来ぬ。何を持って生きるのかなど、誰も答えられまい」
 「そう、ですね。ふふ」
 「何がおかしい」
 「滅相も。ありがとうございます。少し、方が軽くなった気が致します」
 「そうか」
 少し微笑んだ妻を見て、夫も少々安堵した模様。前者が寝床にむかうと、後者もついてきた。
 「真ん中でおくつろぎくださいませ」
 「構うな。揃って寝れば良い。明日は早いしな」
 枕を並べると、二人はそのまま眠りについた。
 翌早朝。太陽が顔をだすとほぼ同時に、光正は目を覚ます。ゆっくり体を起こすと、隣で小さな寝息をたてている妻の頭に触れた。
 そのまま髪にふれ、流れにそって指を滑らせると、頬で指をとめる。そして、そのまま、親指を唇をなぞった。
 数秒の間、時がとまる。
 親指の腹を自身の唇に重ねた後、音をたてないように移動し、素早く着替える。
 「うめ。たけを頼むぞ」
 「畏まりました。ところで」
 「何もしておらん。この状況で出来る訳無かろう」
 「そうではない。それも気になるがな」
 「何か分かったのか」
 「詳しい話は勝重殿がしてくれよう。犯人はやはり信近だったらしい」
 「そう、か。もはや許す余地無し」
 「信義(のぶよし)殿は良い御仁だった。私の様な者にすら、親切だったからの」
 「信義の無念は俺と勝重で晴らす。そなたの分もな」
 「うむ。あの兄弟らも残念がっておったからな」
 ふすまを開けると、青年たちが数人がかりで槍をもって出迎える。次期当主が手にとりやすい位置まであげると、彼はがっしりと柄を握る。
 「我ら三人、これから来る武士の時代を共に盛り上げようと誓った仲。絆を引き裂いた元凶は、この手で殺す」
 目に殺意をこめると、誇りを胸に秘めて歩きだした。陽の光が背中を照らすと、通路も同様に降り注いでいるはず明るさが、何故か霞んで見える。
 男の背に背負うものは、決して小さくはない。そして、守りたいと想う者も多い。
 強くおなりなさい。どんな恐怖にも負けぬ程、強くなるのです。愛する者を守れる様に。武士としての誇りを守れる様に。
 幼い頃に刻まれた、亡き母の言葉に従い、光正は今日も武器をふるう。


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 戦場から戻った光正は、従弟の定恒(さだつね)とともに主だった者たちがいる居間へとやってきた。
 「げっ。本当に戻ってきやがった」
 「随分な挨拶だな」
 「いやいやいや。あんたの脚力どうなってんの。人間じゃないっしょ」
 「明心(あこ)っ。光正殿、ご無礼をお許し下さい」
 うめに殴られた頭部をさすりながら、少年はたけの背中を見る。
 光正は、変わらずの様子に、思わず少し口元がゆるんだ。
 「たけ。無事で何よりだ」
 「は、はい。これも勝重(かつしげ)殿のお陰です」
 「そうか」
 男性の指が、姫の頬に触れると、そのまま顔を包みこむ。
 「おいおい。客を放って良い雰囲気を作るとは何事だ」
 「ああ、すまんな」
 顔が赤くなる娘に対し、次期当主はしれっと返事をする。顔をむけた方向には、村山勝重がいた。
 彼は、にやにやしながら腕を組む。
 「あの朴念仁が、なあ。手紙ぐらい寄越せよ」
 「すぐに出したぞ。どうせ筆不精のお前の事だ、読んでないだけだろう」
 「流石の俺も友からのは読むぞ。本当に先程まで知らなんだ。まあ良い」
 ぱし、と膝を叩く勝重は、源家当主の定光(さだみつ)に視線を送る。
 「ふむ。光正よ、よくぞ戻った。これで戦いやすくなる」
 定光は現状を説明し始める。
 光正らが領地を出発してから一刻ほど経過したとき、北東から小山田軍がやってきた。手薄になった領地を守るべく、影らが警戒していたところ、飛びこんできた光景だったという。
 領民の避難を実行し、守りを固めようとしていた矢先、小山田軍と源氏領地の間に村山勝重が率いた軍が割ってはいり、侵攻を阻止した。村山側も小山田信近(おやまだののぶちか)には警戒をしており、妙な動きをしているとの情報を手にいれたため、軍事演習という名目で近くに野営をしていたという。
 「勝重殿の読みでは、明日にでも攻め入るだろうと踏んでおられるそうだが」
 「あ奴の進軍目的がおかしい故、勢いのあるうちに落とそうという魂胆かと思われまする。我らも義の元、加勢致しましょうぞ」
 「かたじけない。光正、定恒に命ずる。勝重殿と協力し、小山田を討ち取れ」
 「御意」
 「お館様。父上らは如何致します」
 「その事は別室で話そう。女子供に聞かせる話ではあるまい」
 と、話しながら立ちあがる勝重。同意した光正と定恒も同じ動きをし、前者はちらりと妻を見た。
 隠してはいるが不安そうだ。早めに戻って来るか。
 そう思った次期当主は、二人の後を追って退出。
 「うめ。たけ殿を別室へ。今宵はそこで休んで貰おう」
 「畏まりました」
 「お待ちください。私とて武士の端くれ、今は少しでも戦力を集めるべきでは」
 「ならぬ。今のそなたでは足手纏いじゃ。理由は言わずとも分かろう。そもそも女を、しかも義理の娘を戦場に出すなど言語道断」
 「し、しかし、まつ様は」
 「あれは幼き頃よりそういう教育を受けておる。そなたとは違うのだ」
 「あー、それであんなに気が強ぇのか」
 再び受けたげんこつだが、明心は何がいけなかったのかが理解できていない。
 「良いな。大人しくしておるのだぞ」
 「は、はい」
 「さあ、たけ様。移動しますぞ」
 「おれも行くー」
 「お前は郎党どもの所に戻らんか。夜分に女性の部屋へ来るでない」
 「何でだよ。非常時なのに」
 ぐい、と、明心は襟首を幽(ゆう)につかまれる。にらんだ少年に対し、青年は首を左右にふって答えた。
 「決まりがあるのじゃよ。非常時に必要なら幽を通して呼ぶ」
 「わぁーったよ。面倒くさいなぁ~」
 ぶつくさいいながらも言う通りにし、部屋をでる少年。その後を、一礼をした幽が追っていった。
 たけは部屋へ案内された後着替えると、床の間に野太刀を飾る。そして目の前に座り、静かに目を閉じた。
 だが、すぐに気持ちが切れてしまう。
 「集中できぬとは。情けない」
 はあ、とため息をつく、たけ。明心に慰められてしまうほど、自身は落ちこんでいたと思うと、どうしても沈んでしまうようだ。
 薄くはいってくる月の光に当てられた刀は、形がうっすらと見えている。
 「たけ。入るぞ」
 「え。あ、はいっ」
 開けられたふすまを慌てて見る女性。寝間着姿の男性は静かに動かして隙間をふさぐと、彼女の隣に座った。
 「部屋数が限られているのでな」
 「そ、それは、聞き及んで、おりまする」
 「驚かせた様だな。何を思案していた」
 「な、何も」
 床の間に目をやりながら、
 「何も、考えられぬのです。最近は、特に、何も感じませぬ」
 「何も感じない、だと」
 「どう、表現してよいのか分かりませぬが。何でしょう、胸にぽっかりと穴が開いた感覚なのです」
 軽く握った右手を患部へとあてる、たけ。悩もうにも種すらない状態らしい。
 「俺への復讐心が消えたからではないのか」
 「必要ございますま、い」
 光正は、目を閉じる。
 「気づいた様だな。今の状態は、お前が心の支えを一気に失ってしまったからだと思う。一つは誇り、一つは復讐心。少なくとも、俺の目にはそう映っていた」
 「心の、支え」
 「さすがにそれを見つけるのは、己自身にしか出来ぬ。何を持って生きるのかなど、誰も答えられまい」
 「そう、ですね。ふふ」
 「何がおかしい」
 「滅相も。ありがとうございます。少し、方が軽くなった気が致します」
 「そうか」
 少し微笑んだ妻を見て、夫も少々安堵した模様。前者が寝床にむかうと、後者もついてきた。
 「真ん中でおくつろぎくださいませ」
 「構うな。揃って寝れば良い。明日は早いしな」
 枕を並べると、二人はそのまま眠りについた。
 翌早朝。太陽が顔をだすとほぼ同時に、光正は目を覚ます。ゆっくり体を起こすと、隣で小さな寝息をたてている妻の頭に触れた。
 そのまま髪にふれ、流れにそって指を滑らせると、頬で指をとめる。そして、そのまま、親指を唇をなぞった。
 数秒の間、時がとまる。
 親指の腹を自身の唇に重ねた後、音をたてないように移動し、素早く着替える。
 「うめ。たけを頼むぞ」
 「畏まりました。ところで」
 「何もしておらん。この状況で出来る訳無かろう」
 「そうではない。それも気になるがな」
 「何か分かったのか」
 「詳しい話は勝重殿がしてくれよう。犯人はやはり信近だったらしい」
 「そう、か。もはや許す余地無し」
 「信義(のぶよし)殿は良い御仁だった。私の様な者にすら、親切だったからの」
 「信義の無念は俺と勝重で晴らす。そなたの分もな」
 「うむ。あの兄弟らも残念がっておったからな」
 ふすまを開けると、青年たちが数人がかりで槍をもって出迎える。次期当主が手にとりやすい位置まであげると、彼はがっしりと柄を握る。
 「我ら三人、これから来る武士の時代を共に盛り上げようと誓った仲。絆を引き裂いた元凶は、この手で殺す」
 目に殺意をこめると、誇りを胸に秘めて歩きだした。陽の光が背中を照らすと、通路も同様に降り注いでいるはず明るさが、何故か霞んで見える。
 男の背に背負うものは、決して小さくはない。そして、守りたいと想う者も多い。
 強くおなりなさい。どんな恐怖にも負けぬ程、強くなるのです。愛する者を守れる様に。武士としての誇りを守れる様に。
 幼い頃に刻まれた、亡き母の言葉に従い、光正は今日も武器をふるう。