平家郎党たちが住んでいる区画一角にある、広めに造られた屋敷にて。元々源家一族の避難場所として存在しているここは、普段は民衆の集会所としても解放されている。故に、日常生活を送るには何の支障もない。
戦場から戻った光正は、従弟の定恒(さだつね)とともに主だった者たちがいる居間へとやってきた。
「げっ。本当に戻ってきやがった」
「随分な挨拶だな」
「いやいやいや。あんたの脚力どうなってんの。人間じゃないっしょ」
「明心(あこ)っ。光正殿、ご無礼をお許し下さい」
うめに殴られた頭部をさすりながら、少年はたけの背中を見る。
光正は、変わらずの様子に、思わず少し口元がゆるんだ。
「たけ。無事で何よりだ」
「は、はい。これも勝重(かつしげ)殿のお陰です」
「そうか」
男性の指が、姫の頬に触れると、そのまま顔を包みこむ。
「おいおい。客を放って良い雰囲気を作るとは何事だ」
「ああ、すまんな」
顔が赤くなる娘に対し、次期当主はしれっと返事をする。顔をむけた方向には、村山勝重がいた。
彼は、にやにやしながら腕を組む。
「あの朴念仁が、なあ。手紙ぐらい寄越せよ」
「すぐに出したぞ。どうせ筆不精のお前の事だ、読んでないだけだろう」
「流石の俺も友からのは読むぞ。本当に先程まで知らなんだ。まあ良い」
ぱし、と膝を叩く勝重は、源家当主の定光(さだみつ)に視線を送る。
「ふむ。光正よ、よくぞ戻った。これで戦いやすくなる」
定光は現状を説明し始める。
光正らが領地を出発してから一刻ほど経過したとき、北東から小山田軍がやってきた。手薄になった領地を守るべく、影らが警戒していたところ、飛びこんできた光景だったという。
領民の避難を実行し、守りを固めようとしていた矢先、小山田軍と源氏領地の間に村山勝重が率いた軍が割ってはいり、侵攻を阻止した。村山側も小山田信近(おやまだののぶちか)には警戒をしており、妙な動きをしているとの情報を手にいれたため、軍事演習という名目で近くに野営をしていたという。
「勝重殿の読みでは、明日にでも攻め入るだろうと踏んでおられるそうだが」
「あ奴の進軍目的がおかしい故、勢いのあるうちに落とそうという魂胆かと思われまする。我らも義の元、加勢致しましょうぞ」
「かたじけない。光正、定恒に命ずる。勝重殿と協力し、小山田を討ち取れ」
「御意」
「お館様。父上らは如何致します」
「その事は別室で話そう。女子供に聞かせる話ではあるまい」
と、話しながら立ちあがる勝重。同意した光正と定恒も同じ動きをし、前者はちらりと妻を見た。
隠してはいるが不安そうだ。早めに戻って来るか。
そう思った次期当主は、二人の後を追って退出。
「うめ。たけ殿を別室へ。今宵はそこで休んで貰おう」
「畏まりました」
「お待ちください。私とて武士の端くれ、今は少しでも戦力を集めるべきでは」
「ならぬ。今のそなたでは足手纏いじゃ。理由は言わずとも分かろう。そもそも女を、しかも義理の娘を戦場に出すなど言語道断」
「し、しかし、まつ様は」
「あれは幼き頃よりそういう教育を受けておる。そなたとは違うのだ」
「あー、それであんなに気が強ぇのか」
再び受けたげんこつだが、明心は何がいけなかったのかが理解できていない。
「良いな。大人しくしておるのだぞ」
「は、はい」
「さあ、たけ様。移動しますぞ」
「おれも行くー」
「お前は郎党どもの所に戻らんか。夜分に女性の部屋へ来るでない」
「何でだよ。非常時なのに」
ぐい、と、明心は襟首を幽(ゆう)につかまれる。にらんだ少年に対し、青年は首を左右にふって答えた。
「決まりがあるのじゃよ。非常時に必要なら幽を通して呼ぶ」
「わぁーったよ。面倒くさいなぁ~」
ぶつくさいいながらも言う通りにし、部屋をでる少年。その後を、一礼をした幽が追っていった。
たけは部屋へ案内された後着替えると、床の間に野太刀を飾る。そして目の前に座り、静かに目を閉じた。
だが、すぐに気持ちが切れてしまう。
「集中できぬとは。情けない」
はあ、とため息をつく、たけ。明心に慰められてしまうほど、自身は落ちこんでいたと思うと、どうしても沈んでしまうようだ。
薄くはいってくる月の光に当てられた刀は、形がうっすらと見えている。
「たけ。入るぞ」
「え。あ、はいっ」
開けられたふすまを慌てて見る女性。寝間着姿の男性は静かに動かして隙間をふさぐと、彼女の隣に座った。
「部屋数が限られているのでな」
「そ、それは、聞き及んで、おりまする」
「驚かせた様だな。何を思案していた」
「な、何も」
床の間に目をやりながら、
「何も、考えられぬのです。最近は、特に、何も感じませぬ」
「何も感じない、だと」
「どう、表現してよいのか分かりませぬが。何でしょう、胸にぽっかりと穴が開いた感覚なのです」
軽く握った右手を患部へとあてる、たけ。悩もうにも種すらない状態らしい。
「俺への復讐心が消えたからではないのか」
「必要ございますま、い」
光正は、目を閉じる。
「気づいた様だな。今の状態は、お前が心の支えを一気に失ってしまったからだと思う。一つは誇り、一つは復讐心。少なくとも、俺の目にはそう映っていた」
「心の、支え」
「さすがにそれを見つけるのは、己自身にしか出来ぬ。何を持って生きるのかなど、誰も答えられまい」
「そう、ですね。ふふ」
「何がおかしい」
「滅相も。ありがとうございます。少し、方が軽くなった気が致します」
「そうか」
少し微笑んだ妻を見て、夫も少々安堵した模様。前者が寝床にむかうと、後者もついてきた。
「真ん中でおくつろぎくださいませ」
「構うな。揃って寝れば良い。明日は早いしな」
枕を並べると、二人はそのまま眠りについた。
翌早朝。太陽が顔をだすとほぼ同時に、光正は目を覚ます。ゆっくり体を起こすと、隣で小さな寝息をたてている妻の頭に触れた。
そのまま髪にふれ、流れにそって指を滑らせると、頬で指をとめる。そして、そのまま、親指を唇をなぞった。
数秒の間、時がとまる。
親指の腹を自身の唇に重ねた後、音をたてないように移動し、素早く着替える。
「うめ。たけを頼むぞ」
「畏まりました。ところで」
「何もしておらん。この状況で出来る訳無かろう」
「そうではない。それも気になるがな」
「何か分かったのか」
「詳しい話は勝重殿がしてくれよう。犯人はやはり信近だったらしい」
「そう、か。もはや許す余地無し」
「信義(のぶよし)殿は良い御仁だった。私の様な者にすら、親切だったからの」
「信義の無念は俺と勝重で晴らす。そなたの分もな」
「うむ。あの兄弟らも残念がっておったからな」
ふすまを開けると、青年たちが数人がかりで槍をもって出迎える。次期当主が手にとりやすい位置まであげると、彼はがっしりと柄を握る。
「我ら三人、これから来る武士の時代を共に盛り上げようと誓った仲。絆を引き裂いた元凶は、この手で殺す」
目に殺意をこめると、誇りを胸に秘めて歩きだした。陽の光が背中を照らすと、通路も同様に降り注いでいるはず明るさが、何故か霞んで見える。
男の背に背負うものは、決して小さくはない。そして、守りたいと想う者も多い。
強くおなりなさい。どんな恐怖にも負けぬ程、強くなるのです。愛する者を守れる様に。武士としての誇りを守れる様に。
幼い頃に刻まれた、亡き母の言葉に従い、光正は今日も武器をふるう。