小山田軍は自領を出発し半日が経過した、との報がはいる。その方角に面している領民たちの避難が終わると、光正(みつまさ)と定正(さだまさ)、定清(さだきよ)が率いて出立した。
「良かったの、若。奥方様に見送られて」
「ええ。少しは元気になった様で」
「もしかしたら、隣に並ぶかと思うたがな」
年配が乗っている馬の蹄が、定期的に砂をける。
一方、若年者は、その隣を足軽の格好で歩いていた。
「よしんば望んだとしても、今回は帰します。あの状態では戦えますまい」
「同意する。此度は先日より本腰を入れなければなるまいしな」
はあ、と、面倒くさそうに息をはく、定正。定清は、ずっと黙ったままである。
「小山田は前々から我が領地を欲しがっていたが。背後には村山とはな」
「村山家の現当主はご病気だぞ。わしの所に、使いを何度もよこしているが」
「御歳六十でしたかね」
「過ぎているな。今回の指揮は三男が取っているそうだ」
「おや。いつの間に長男と変わったのです」
「うめ曰く最近らしい。初動がこれよ。何を考えておるのか分からぬ」
「ふむ。あの利かん坊か。これまた厄介な」
「あ奴は将器ある者です。何かを見定めようとしているのでは」
「あり得えますな。あの優し気な男では、この様な事は考えまい。分担でもしたか」
「その辺りを踏まえ、お館様も動いておる」
「まあ、此度は村山家本人は出て来ますまい。小山田を滅ぼせば問題無い」
すぅ、と目を細める定正。こうも頻繁に、しかも不意打ちの如くやってこられたのでは、たまったものではない。その為、源家当主は、火種を消してこいと命を下している。
「愚者が権力を握ると碌な事が無い。せめて小山田の長男が無事であったなら良かったものの」
「毒殺されたとの噂がございますが」
「それも考慮して愚かとしか言いようがあるまい。さぞかし無念であっただろう」
「彼とは良い関係を築いていただけに、残念でなりません。噂はしょせん噂ですが。友の敵なれば容赦はしない」
と、光正は槍に力をこめた。
日が傾いてきたので、野営の準備にはいった。
翌日。
源家と小山田家の中間地点にある平原にて。いつぞやとはまた異なる場所で、両軍はにらみあいが続いていた。本来なら大将であろう小山田信近(おやまだののぶちか)が名乗りでるはずなのだが、一向に姿を現さないのである。
しかも、あちらから鏑矢が飛んでくる気配が、まったくない。こちらは既に飛ばしてあるのだが。
「妙な配置だ。何故横長に陣を敷く」
「叔父上。左右に、置かれた隊はございませぬぞ」
「包囲網でもない、か。不意打ちか挟み撃ちかと思うたが。それにしても、どこも薄い。昨日から感じている違和感も拭えんな」
若干小高い場所にいる将軍らは、敵軍の配備に疑問が高まっていく。
「む。くるぞっ」
敵側の合図の矢が放たれ、叫びながら突撃してくる小山田軍。だが、前衛はその場から離れることなく、防御に徹する構えをした。
光正の眉に力がはいると、
「奴らの声がおかしい。まるで悲鳴に近い」
「悲鳴、とな? 若、具体的には」
「無理矢理大声を上げているのやもしれませぬ。少なくとも鬨(とき)の声の様な覇気を感じぬのです」
「兄上」
「任せよ」
軍配の扇をもった定清は、馬を前衛に走らせる。
「若。相手方の構えはどう見られる」
「戦いに、慣れてはいなさそうですね。前衛に突撃するのを躊躇しておりまする」
「民衆の寄せ集めか? 確かに数は多い、が。何が狙いなのだ」
頭を悩ませている源家二人のところに、男が大声で近づいてくる。
「で、伝令っ。小山田軍が館に迫って来ているとの報せを受けました。持ってこられたのは、村山勝重(むらやまのかつしげ)殿です」
一気に伝えると、ようやく呼吸を落ち着かせる薬右衛門(やくえもん)。すぐに落ち着いた彼は、背筋を伸ばし返答を待った。
しかし、その膝は恐怖に震えてしまう。
「あの男、武士の風上にも置けぬっ」
鬼の形相をした光正は、突然、鎧を外しはじめた。さすがの定正も目を丸くしたが、あっという間に動きやすい恰好になると、一式をそろえ、槍を手にする。
「叔父上。俺は館に戻りまする。後をお頼み申す」
そういうと、住まいに向かって走りだしてしまった。
あっという間に小さくなる背中を見送ると、定正は大きなため息をつきながら、
「全く。薬右衛門よ、良く来てくれた。詳しい話を」
「は、はあ」
すでに見えなくなった次期当主の走行方角を、平家の郎党は思考停止状態で眺めていた。
鎧をつけている状態ですら馬より早い光正が、身軽になれば半分以下の時間で館につくのは想像に難くない。彼の視線の先には、煙が数本、上がっていた。
道中に障害がなかったのも幸いして、半日と二刻ほどで到着した。途中で休憩を入れながらとはいえ、驚異的な速さではある。
しかし、空は既に更けており、門は固く閉じられたまま。外からは人が動いている様子は感じられない。
とはいえ、周囲に住む民衆は、静かなままであった。闇が支配する時刻だからとはいえ、統治者の家に不届き者どもが現れたというのに、随分と落ちついた雰囲気なのも気になる。
外に見張りの者がいないとは。どういう事なのだ。それにこの、静けさは。たけは無事なのか。
一周回ってみたが、誰も立っていない。しかも、月明かり頼りとはいえ、板塀に矢がささった傷すらないように思える。
一瞬、薬右衛門の方便がよぎったが、光正はすぐさま否定した。主の身を危険にさらすなど考えられないからだ。
次期当主は裏側にある門を目指した。再度周囲を確認すると、いったん距離をとる。
呼吸を整えると勢いよく走りだし門前で跳躍。矢倉に着地するとそのまま反対側を乗り越え、中へとはいった。
外から感じた通り、人の気配がしない。足音を殺し寝殿に近づくも、何の反応もなかった。
影は何をしておるのだ。まさか、本当に誰もいないのか。
後で床拭きしようと決め、土足のままあがり、手前にあるふすまを開ける。がらんとした妻の部屋は、歓迎されていないようだった。
だが、床の間に目をやると、野太刀が消えている。また、板張りされた床は綺麗で、足跡一つない。
ある考えが浮かぶと、確かめるために台所へと向かう。案の上、人はおろか、湯気すたっていなかった。
光正は再び矢倉を超えると、警戒しながら平家郎党らが住まう区画へと歩いていく。
近づけば近づくほど松明の灯りが増え、人の気配も濃くなっていった。
人間の声がか細く聞こえるぐらいの距離になると、夜目に慣れた青年の瞳に、足軽の姿をした男が映る。
「そこの者。何があったのだ」
「何奴っ、って。これは失礼致した」
「構わぬ。薬右衛門が伝令に来たのだが。真か」
「さ、左様でございます。失礼ですが、本当に光正殿で」
「こんな大男、滅多におるまい。源家の者を呼べ。この槍が証明だ」
「お待ちを」
驚きを隠せない、平家の足軽。もう一人も同様で、念のためにこの場に残った。
しばらく待っていると、先ほどの兵と一人の源家武士の青年がやってくる。
「光正、もう戻ったのか」
「鎧を脱いでな。ほれ、念の為だ」
「ふむ。確かに本物だな。ご苦労であった。引き続き見張りを頼む」
「はっ」
肩を並べて中へはいると、
「定恒(さだつね)、皆やたけは無事か」
「ああ、心配無用だ。実は勝重殿が兵を率いて救援に来てくれてな」
「勝重自らか?」
「驚いたろう。お前が来るはずだから詳しい話はその時に、と話されてな。本当に今日中に来るのだから呆れる」
「貶しているのか、それは」
「逆だ、褒めている。お前の足ならば不可能ではない、とな」
どことなく定正に似ている青年は、軽く笑いながらも息をはいた。