それから一時間もしないうちに、ヘルパーさんがお母さんを迎えに来た。案の定、ちょっと目を離した隙に家から出ていたとのことだ。
同じように心配していたお父さんにも連絡して、そのままヘルパーさんがお母さんを連れ帰ることで、話はまとまった。
お母さんはその間、ずっと不安そうだった。どうして、ここにいるのかわからないのだから仕方ない。誘拐されたような怯えた様子だった。
理不尽に睨まれていたナオヤくんたちまでが、なんだか申し訳なさそうな顔をしていた。
どうにかお母さんを送り出した後も、四人の間に流れる空気はどうしようもなく重苦しかった。
「あの……ごめんね。お母さんが、色々失礼なことを言って……」
私がそう言うと、皆、首を横に振ってくれた。だけどそれ以上は、上手く言えないようだった。
「えーと……もう、話しちゃうね。私って、クローンなんだ」
わざと軽い口調で言ってみたけど、空気を軽くするのには失敗した。私には、高等技術過ぎたみたいだ。
「オリジナルと姉妹ってことで育ったんだけど、2年前にオリジナル……『姉』の愛がね、病気で……ね。で、それ以来お母さんは私と愛の区別がつかなくなる時が出てきて、さっきみたいに完全に入れ替わって考えちゃう時があるんだ」
「……死んだのは、『ヒトミ』の方だと?」
ナオヤくんの声が、今はとても厳しく聞こえた。正しくて、鋭くて、皮膚だけ剥ぎ取られたみたいな奇妙な痛みが走る。
「2年前に、愛は急変してそのまま亡くなったんだけど、お母さんの中では『続き』ができててね……急変したその時、『ヒトミ』がドナーとして臓器提供して、愛は奇跡的に病気を克服するの。可哀想にヒトミは犠牲になったけれど、愛は信じられないくらい元気になった……ていう後日談がね、出来上がってるみたいで……すごく都合良くて、最初、ちょっと笑っちゃった……アハハ」
私はなんとか笑うのだけど、誰もそれに追従はしなかった。まぁ、逆の立場なら、私だって笑えるわけがない。私が、失敗した。
こういう時、つくづく思う。愛なら、もっとうまく立ち回れたのにって。
体育祭で負けた時、頑張って準備した文化祭の出し物が不慮の事故で壊れた時、誰かが転校してお別れするとき……いつだって愛と深海くんが一緒になって皆の気持ちを明るくさせた。
ああ、私はやっぱり、どれだけやっても『愛』になることはできないんだな。
そう、唐突に思った。
その次の瞬間だった。私の体を誰かが包み込んだ。
「……弓槻さん?」
弓槻さんは答えなかった。その代わり、肩が震えていた。私に触れる指や、腕や、額や髪……すべてが小さく震えて、そして温かかった。
「あの、ごめん……何か悲しい気持ちにさせちゃった? ええと……」
「悲しいのは、天宮さんじゃない」
「え?」
「あんなの、ないよ……!」
肩に回した手に、ぎゅっと力が籠もる。
「俺も、そう思う」
向かいのソファに座っていた加地くんが、そう言った。ゆったり座っているようでいて、膝に置いた拳が強く硬く握りしめられている。
「あの人……ヒステリックだけどちゃんと心配はしてた。それが正気に戻ったらさ、こっちのこととかどうでもいい風で……まるで自分が被害にあったみたいな顔してさ……とるべき態度が違うんじゃねえのって、思った」
「……うん、そうだよね。あれは……違うよね」
皆がそう言う気持ちは、わかる。理解できる。そして、とてもありがたいと思う。
だけどお母さんの胸の内を知る私には、あの時のお母さんをすべて否定することはできないでいた。
私が曖昧な返事しかできないでいると、リビングはまた暗闇みたいな沈黙が下りた。
そんな中で、ひょこっと声がした。
「一つ、提案なのですが……」
なんだか、この声を聞くと安心するようになっている気がする。
もちろん、ナオヤくんの声だった。