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第十四巻

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 源家は今、日増しに緊張感が増していっている。表面上夫婦になった光正とたけは、ここしばらく戦の準備ですれ違いが続いていた。
 とはいえ、たけにとってはある意味、準備期間なのかもしれない。
 今日も男性の服を着て野太刀の前に目を閉じて座する、たけの部屋に、とある若い女の声が響く。
 「義理姉上(あねうえ)様、いらっしゃいますか」
 「はい。どうぞお入り下さい」
 す、と引かれたふすまの先にいたのは、これまた勇ましい恰好をしている娘だった。烏帽子はしていないが、直垂(ひたたれ)上下を身につけている。
 一礼をした娘は、たけの隣に座る。
 「何か、お悩み事でも」
 「悩み。そう、ですね」
 たけは目を閉じると、顔の位置を太刀の前へと戻す。
 「やはり、戦へ赴きたいのでしょうか」
 「そう、ではないのです。ただ」
 「ただ?」
 のどに詰まりものでもあるかのように、言葉を飲みこむ、たけ。動いたのどを見て、娘は、
 「最近庭で鍛錬していない、と兄上が心配されているのです」
 「光正殿が、ですか」
 「はい。兄上は図体こそ大きいですが気は小さいのですよ。妙なところで繊細でして。まつも困るときがあって」
 あまりきつくいうと気落ちしましてね、と、娘。たけより三つ下だが、顔の輪郭以外は同じ年頃に見えるかもしれない。
 まつは、一度立ち上がり、たけとの距離を縮めて座りなおす。
 「背景に関してはお伺いしております。さぞ我が家が憎いでしょう。ですが、それでもまつは、義理姉上様のお力になりとう存じます」
 「まつ様。ありがとうございます。その、何といえばよいのか、私にもわからぬのです」
 意外な返答だったが、まつは再び義理の姉が口を開くのを待った。
 「一族のため、そう、思い、光正殿を倒す事だけ、集中、して、おりました」
 たけのまつげが、下に落ちる。
 「悪いのは、我が家の、方だとも、知らず」
 両手に力がはいり、服に深いしわがよる。
 「分からぬのです。何故、父上や兄上は黙って、いたのかも。私自身が、どうしたいのかも。だが、こんな私に、光正殿は、生きろと、仰った」
 背を丸め、うつむく、たけ。
 「誇りも何も持たぬ私に、どうしろというのだ」
 こらえていた涙が、ぽたり、と、落ちた。まつは、同じ武家の姫であるが故に、何となく胸の内が想像できてしまう。
 「あーねーきー。いるんだろーっ」
 てっ、という声がふすまの外でした。まつがひざを延ばしてむかうと、明心(あこ)と幽(ゆう)がたっていた。
 「お前か。義理姉上様に用か」
 「そうだよ。はいる」
 「待て。許可をしておらぬだろう」
 「あんたの許しなんざ必要ないだろ。ここは姉貴の部屋なんだし」
 「女性には準備というものがあるのだ」
 「明心、少し待ってくれ」
 「ん。わかった」
 襟首をつかまれた少年は一歩さがった。すると、静かにふすまがしめられる。
 「まつ様、申し訳ございません。あの子は貴族を心底嫌っていて、武家も同じだと思っているようでして」
 「ご心配なく。兄上からうかがっております故。それにしても、たけ様や兄上、平家武士らにはなついておられますね」
 「私と光正殿の場合は、力で抑えられたからだと思いますが」
 「ふむ。不思議な者ですね」
 「無礼を働かぬよう言い聞かせましょう」
 「ふふ、構いませんよ。あのように突っかかってくる者がいなかったので、面白いのです」
 と、まつ。少々ほおを赤く染めて口角があがっている。たけは、この一家には変わり者が多いのか、と感じた。
 「明心、待たせたな。よいぞ」
 「あいよ。お邪魔しまっす」
 幽は、一礼をしてから入室する。
 「今日はどうしたのだ」
 「こっちの台詞だっつうの。引きこもって何してんのさ」
 「特に、何もしておらん」
 「あんなにやってた素振りもしてないんだってな」
 光正に聞いたけど、と明心。妹は眉をひそめ、幽は険しい表情で息をはく。
 「する気がなくて、な」
 「ふうん。どうして」
 首を左右にふる、たけ。うつむく彼女を、明心は静かに見ていた。
 「ちょっと、さ。庭におりようよ。気分転換になるよ、きっと」
 「そう、だな」
 了承を得た明心は、たけの手を取ると、そのままふすまの外へでた。庭におりたつと、近くにそびえる木まで歩いていく。
 「体動かすだけなら問題ないだろ。ちょっと登んない」
 「これにか?」
 「屋根だと怒られるんだもん」
 「当たり前だ、馬鹿者。というより、いつ上ったのだっ」
 「えー。初めてこの部屋にきたとき、だったかなあ」
 はいれなかったから、と全く悪びれた様子がない男子。昔から目的のためなら手段を選ばないところがあるようだ。
 たけが半目で木を仰いでいる間、とんとん、と問題児の肩がたたかれる。たたかれたほうへ頭を動かすと、青年が縄の切れ端を見せてきた。
 何だろうと受け手が思っていると、あっという間に腰回りにつけられ固く結ばれてしまう。まるで馬の手綱である。
 「んなことしなくたって逃げねぇっつーのっ」
 青年は顔を左右にふり、しっかりと縄を握った。
 「ったく。いつの間に用意したんだよ。まあいいや」
 少し木から離れると、明心は助走をつけて飛びのった。想像以上の脚力に、たけは開いた口がふさがらない。
 枝葉がゆれて少し経過すると、ひょっこり身を乗りだす。
 「すんげー間抜けづら」
 「誰が間抜けだ、誰が」
 「あははっ。ほら、ここに足場あるから。きなよ」
 捕まりながら差しだされる手。小さいと記憶していた手は、意外に大きかった。
 「ほら早く。いい景色が見れるよ」
 「景色?」
 「そ。高いところならでは、ってね」
 にっ、と悪戯っ子がごとく笑う、明心。顔の筋肉が少しつられると、義弟と同じ動作をした。
 姫は少年に手伝ってもらいながら、足場の許す限り登っていく。
 枝葉がだんだん少なくなり、かろうじて座れる空間を確保すると、ゆっくりと目線を水平に保つ。
 瞳の先には緑の濃淡で彩られた山々が、果てしなく広がっていた。
 見開いた、たけに対し、
 「武士の誇りとかさ、おれにはわかんない。少なくとも、今の姉貴は縛りつけられてるようにしか、見えないんだよね」
 「縛り、か」
 「うん。まあさ、おれには親兄弟なんていないから、元の条件すら違うけど」
 左右の足を交互にぷらぷらさせながら、
 「あんたには恩がある。何も知らない奴に色々教えてくれた」
 全てでないにしろ文字の読み書きをはじめ、人とのありかたや関わりかた、そして、他人を大切だと想う気持ち。
 たけと出会わなければ、おそらく、明心は今頃のたれ死んでこの世にいない可能性すらある。
 「人間なんてさ、ちっぽけじゃん。この自然見たらそう思わない? 鳥みたく空だって飛べない」
 数羽の鳥が、遠くの空を、横ぎった。
 「そう、だな。下ばかり見ていては、この雄大さは気づけないな」
 落ちないように体をのばす、たけ。
 「ありがとう、明心。お陰様で少し気が楽になった」
 「光正よりおれのほうが頼りになるっしょ」
 「調子に乗るんじゃない」
 「ええー。あいつじゃあここまで絶対これないよ。途中で枝が折れちまう」
 「ふふ。それこそ屋根だろうな」
 「うわ。しょっけんらんよーっていうんでしょ、それ」
 「乱用というより特権だろうな。次期当主殿だし」
 それ以前にそんな所に行かんだろう、と続けた姫は、そろそろ降りようと提案する。
 「んじゃあ、おれ先おりるよ」
 「頼む。木登りはあまり得意じゃなくてな」
 「柿とってるじゃん」
 「あれは仕方なくだ」
 「なっつかしい。手分けして食い物探してたもんなあ」
 過去を思いだしながら、二人はゆっくりと下りていったのだった。


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 源家は今、日増しに緊張感が増していっている。表面上夫婦になった光正とたけは、ここしばらく戦の準備ですれ違いが続いていた。
 とはいえ、たけにとってはある意味、準備期間なのかもしれない。
 今日も男性の服を着て野太刀の前に目を閉じて座する、たけの部屋に、とある若い女の声が響く。
 「義理姉上(あねうえ)様、いらっしゃいますか」
 「はい。どうぞお入り下さい」
 す、と引かれたふすまの先にいたのは、これまた勇ましい恰好をしている娘だった。烏帽子はしていないが、直垂(ひたたれ)上下を身につけている。
 一礼をした娘は、たけの隣に座る。
 「何か、お悩み事でも」
 「悩み。そう、ですね」
 たけは目を閉じると、顔の位置を太刀の前へと戻す。
 「やはり、戦へ赴きたいのでしょうか」
 「そう、ではないのです。ただ」
 「ただ?」
 のどに詰まりものでもあるかのように、言葉を飲みこむ、たけ。動いたのどを見て、娘は、
 「最近庭で鍛錬していない、と兄上が心配されているのです」
 「光正殿が、ですか」
 「はい。兄上は図体こそ大きいですが気は小さいのですよ。妙なところで繊細でして。まつも困るときがあって」
 あまりきつくいうと気落ちしましてね、と、娘。たけより三つ下だが、顔の輪郭以外は同じ年頃に見えるかもしれない。
 まつは、一度立ち上がり、たけとの距離を縮めて座りなおす。
 「背景に関してはお伺いしております。さぞ我が家が憎いでしょう。ですが、それでもまつは、義理姉上様のお力になりとう存じます」
 「まつ様。ありがとうございます。その、何といえばよいのか、私にもわからぬのです」
 意外な返答だったが、まつは再び義理の姉が口を開くのを待った。
 「一族のため、そう、思い、光正殿を倒す事だけ、集中、して、おりました」
 たけのまつげが、下に落ちる。
 「悪いのは、我が家の、方だとも、知らず」
 両手に力がはいり、服に深いしわがよる。
 「分からぬのです。何故、父上や兄上は黙って、いたのかも。私自身が、どうしたいのかも。だが、こんな私に、光正殿は、生きろと、仰った」
 背を丸め、うつむく、たけ。
 「誇りも何も持たぬ私に、どうしろというのだ」
 こらえていた涙が、ぽたり、と、落ちた。まつは、同じ武家の姫であるが故に、何となく胸の内が想像できてしまう。
 「あーねーきー。いるんだろーっ」
 てっ、という声がふすまの外でした。まつがひざを延ばしてむかうと、明心(あこ)と幽(ゆう)がたっていた。
 「お前か。義理姉上様に用か」
 「そうだよ。はいる」
 「待て。許可をしておらぬだろう」
 「あんたの許しなんざ必要ないだろ。ここは姉貴の部屋なんだし」
 「女性には準備というものがあるのだ」
 「明心、少し待ってくれ」
 「ん。わかった」
 襟首をつかまれた少年は一歩さがった。すると、静かにふすまがしめられる。
 「まつ様、申し訳ございません。あの子は貴族を心底嫌っていて、武家も同じだと思っているようでして」
 「ご心配なく。兄上からうかがっております故。それにしても、たけ様や兄上、平家武士らにはなついておられますね」
 「私と光正殿の場合は、力で抑えられたからだと思いますが」
 「ふむ。不思議な者ですね」
 「無礼を働かぬよう言い聞かせましょう」
 「ふふ、構いませんよ。あのように突っかかってくる者がいなかったので、面白いのです」
 と、まつ。少々ほおを赤く染めて口角があがっている。たけは、この一家には変わり者が多いのか、と感じた。
 「明心、待たせたな。よいぞ」
 「あいよ。お邪魔しまっす」
 幽は、一礼をしてから入室する。
 「今日はどうしたのだ」
 「こっちの台詞だっつうの。引きこもって何してんのさ」
 「特に、何もしておらん」
 「あんなにやってた素振りもしてないんだってな」
 光正に聞いたけど、と明心。妹は眉をひそめ、幽は険しい表情で息をはく。
 「する気がなくて、な」
 「ふうん。どうして」
 首を左右にふる、たけ。うつむく彼女を、明心は静かに見ていた。
 「ちょっと、さ。庭におりようよ。気分転換になるよ、きっと」
 「そう、だな」
 了承を得た明心は、たけの手を取ると、そのままふすまの外へでた。庭におりたつと、近くにそびえる木まで歩いていく。
 「体動かすだけなら問題ないだろ。ちょっと登んない」
 「これにか?」
 「屋根だと怒られるんだもん」
 「当たり前だ、馬鹿者。というより、いつ上ったのだっ」
 「えー。初めてこの部屋にきたとき、だったかなあ」
 はいれなかったから、と全く悪びれた様子がない男子。昔から目的のためなら手段を選ばないところがあるようだ。
 たけが半目で木を仰いでいる間、とんとん、と問題児の肩がたたかれる。たたかれたほうへ頭を動かすと、青年が縄の切れ端を見せてきた。
 何だろうと受け手が思っていると、あっという間に腰回りにつけられ固く結ばれてしまう。まるで馬の手綱である。
 「んなことしなくたって逃げねぇっつーのっ」
 青年は顔を左右にふり、しっかりと縄を握った。
 「ったく。いつの間に用意したんだよ。まあいいや」
 少し木から離れると、明心は助走をつけて飛びのった。想像以上の脚力に、たけは開いた口がふさがらない。
 枝葉がゆれて少し経過すると、ひょっこり身を乗りだす。
 「すんげー間抜けづら」
 「誰が間抜けだ、誰が」
 「あははっ。ほら、ここに足場あるから。きなよ」
 捕まりながら差しだされる手。小さいと記憶していた手は、意外に大きかった。
 「ほら早く。いい景色が見れるよ」
 「景色?」
 「そ。高いところならでは、ってね」
 にっ、と悪戯っ子がごとく笑う、明心。顔の筋肉が少しつられると、義弟と同じ動作をした。
 姫は少年に手伝ってもらいながら、足場の許す限り登っていく。
 枝葉がだんだん少なくなり、かろうじて座れる空間を確保すると、ゆっくりと目線を水平に保つ。
 瞳の先には緑の濃淡で彩られた山々が、果てしなく広がっていた。
 見開いた、たけに対し、
 「武士の誇りとかさ、おれにはわかんない。少なくとも、今の姉貴は縛りつけられてるようにしか、見えないんだよね」
 「縛り、か」
 「うん。まあさ、おれには親兄弟なんていないから、元の条件すら違うけど」
 左右の足を交互にぷらぷらさせながら、
 「あんたには恩がある。何も知らない奴に色々教えてくれた」
 全てでないにしろ文字の読み書きをはじめ、人とのありかたや関わりかた、そして、他人を大切だと想う気持ち。
 たけと出会わなければ、おそらく、明心は今頃のたれ死んでこの世にいない可能性すらある。
 「人間なんてさ、ちっぽけじゃん。この自然見たらそう思わない? 鳥みたく空だって飛べない」
 数羽の鳥が、遠くの空を、横ぎった。
 「そう、だな。下ばかり見ていては、この雄大さは気づけないな」
 落ちないように体をのばす、たけ。
 「ありがとう、明心。お陰様で少し気が楽になった」
 「光正よりおれのほうが頼りになるっしょ」
 「調子に乗るんじゃない」
 「ええー。あいつじゃあここまで絶対これないよ。途中で枝が折れちまう」
 「ふふ。それこそ屋根だろうな」
 「うわ。しょっけんらんよーっていうんでしょ、それ」
 「乱用というより特権だろうな。次期当主殿だし」
 それ以前にそんな所に行かんだろう、と続けた姫は、そろそろ降りようと提案する。
 「んじゃあ、おれ先おりるよ」
 「頼む。木登りはあまり得意じゃなくてな」
 「柿とってるじゃん」
 「あれは仕方なくだ」
 「なっつかしい。手分けして食い物探してたもんなあ」
 過去を思いだしながら、二人はゆっくりと下りていったのだった。