何度か唇を重ねられているうち、次第に息苦しくなったアンジュは呼吸を求め、口を僅かに開ける。
直ぐ様そこを狙ったかのように、熱く質量あるジェラルドの舌が入り込んで来た。彼女の小さな舌に絡め、口内を味わうように
艶かしく動き回る。
驚きと困惑で錯乱していく思考の中、『自身の内で直に彼の体温を感じられている』という状況がアンジュには嬉しく、胸の奥がきつく絞られ、打ち震えていた。
暫し後、苦しそうな吐息で我に返ったジェラルドは、名残惜しそうに唇を離した。瞳を涙で潤ませ、頬を薄紅に染めているアンジュを抱き抱え、ダブルベッドへ押し流すように仰向けに倒す。
自分と彼女のブーツの紐を素早く解き、床に脱ぎ捨てる。しっかりと両手を繋ぎ、柔らかなマットに縫い止めると、明らかに動揺しているアンジュを覗き込むように、身体全体で覆い被さった。
夜露に濡れたベリーに変化した、彼女の丸い唇が酩酊した視界に映る。
――愛らしい……喰ってしまいたい……
湧いた衝動を流し込むように、再び自身の口でアンジュの唇を包み込み、微かに開いた隙間から舌を割り入れる。口内を舐める度に滴る、ほのかに甘い液を吸い上げ、流れ落ちる自身の唾液と絡ませる。
そんな慣れない自身の艶な行為が、ジェラルドを次第に酔わせた。何度も繰り返される深いキスが、想いを通わせたばかりの若い恋人達を、じわり……じわり……と蕩けさせてゆく。
――ずっと……ずっと、俺は、こうしたかったのだ……
――この娘を、こんな風に自分の全てで抱き込んで…… そんな夢を何度も、何度も……見たような気がする……
次第に苦しそうな表情に変わったアンジュに気づき、ジェラルドは慌てて、顔を離した。涙を滲ませ赤らんだ表情で、けほっ、とアンジュは軽く咳き込む。
はぁ……は……と二種の呼吸音が、狭い室内に響いていた。
「……さわって……いい、んだな?」
荒い息遣いのまま、いつもより一層低く、ぴん、と張り詰めたチェロの音色が、艶やかに響く。欲を孕む男の目付きと表情に変化したジェラルドは、躊躇いがちに窺った。
いつもの瞳の色ではない。深緑のダークグリーンでも、ペリドットでもなかった。萌える若葉のような、刹那的な炎が艶に揺らめいている。
驚きと恍惚の混じった表情のまま、こくん、とアンジュは首部を上下に動かす。心臓はかつてない程に暴れている。いつもの彼と様子が違うのは、少し怖かった。
しかし、先程、深く触れ合った時に感じた幸福感、甘い高鳴りの方が、ずっと遥かに勝っていたのだ。口枷は恐ろしかったけれど、唇を守れて本当に良かった……と、熱に浮かされたような脳裏に過ったが、今の自分の状態を思い出し、少し血の気が引いた。
「あ、私……あれからシャワーを……」
あの後の身体を、彼に見せるのはさすがに抵抗があって、途端に躊躇する。しかし、ジェラルドの目付きは悟り、据わっていた。
「そのままでいい」
ぴしゃり、と有無を言わさぬ物言い。許容というよりは、彼女の身体に刻まれた、忌むモノへの威嚇を剥き出している。
「……アイツに、どこを触られた?」
「……⁉」
あの事が瞬時に甦り、なぶるような震えが、アンジュの全身に走った。顔が少し歪む。思い出すのは、やはり辛い。
「ああ……悪かった。言わなくていい」
察したジェラルドは、宥めるように額に口付け、改めて体制を整えた。ぎしり、と古いスプリングが軋む音が、響く。
「ジェ……ド、さん……」
「怖くなったら……我慢しないで叩いてでも、止めてくれ…… いいな?」
不安と喜びの混じった複雑な表情をするアンジュに向かい、しっかり言い聞かせるよう、喉奥から絞り出す。いつになく艶々と揺らめく閃光を放つ、ジェラルドの若葉色の瞳が自分の視線を捕らえ、反らせない。
片手でアンジュの頭部を包み、細い首筋、鎖骨にかけ、唇をゆるやかに啄みながら這わせる。同時に、ざらついた熱い舌先で優しく舐めると、慣れない感触に驚き、小鳥のさえずりのような甘い鳴き声が、彼女の口元から零れた。
カーディガンとブラウスのボタンを、ぎこちない手つきで一つずつ外され、胸当ての止め金が緩む。それだけで心臓が、きつく、甘く絞られる気がしたアンジュは、思わず瞼を閉じた。
慎ましげながらも柔い膨らみが、ゆっくりと慎重に、胸当ての隙間から少しひんやりとした掌に包まれていくのが判った。
「……ジェ……さ……」
瞬時に彼の名を呼び、無意識に漏れ続けていた自身の声に気づく。途端、激しい羞恥が襲ったアンジュは、慌てて手の甲で口を塞いだ。
少しざらついた彼の長い指が胸元で湾曲する度、艶かしい自身の吐息と共に、甘い炭酸水が全身を走り抜けるような粟立ちを感じる。
……あの時。似たような事をされた記憶はあった。が、なるべく何も見えないよう、感じないように瞼を閉じ、意識を、自分全てを殺していた為、未知の刺激による妙な違和感と、身体中を好き勝手に触られた不快感しか覚えていない。
そんな忌まわしい記憶が微かに甦る度、軽い眩暈、震えが起こった。手の力が緩み、甘い声は呻きに変わる。
「う、あ……」
「……アンジュ」
小さな悲鳴のような声が耳に入り、彼女の耳元で、ジェラルドは心配そうに呼んだ。覚えのある、静かに響く低音の声に惹かれるように、涙で覆われたマリンブルーの瞳で、彼の顔を見る。
「……もう、止めるか?」
いつになく真剣で、どこか思い詰めたような表情で問う恋しい人。不安、労り、焦り、そして、熱を含んだ艶のある若葉色の瞳が、自分の様子を伺っていた。
似た色味だが、あの男とはまるで違う眼差し。自分をひたすら気遣い、慈しむような優しい触れ方……
今、自身の全てを預け、委ねているのは、目の前のこの人なのだ、と認知し直したアンジュは、静かに首を振った。
「……わかった」
緩んだストラップをずり下げ、シュミーズと胸当てを腰元まで剥がし落とす。白く柔らかな膨らみが、鮮明に視界に映った瞬間、熱い血流が雪崩れ込むように、ジェラルドの目元を襲った。思わず、額を片手で被う。
「ジェ……ラル、ドさん……?」
突然、微動だにしなくなった彼が心配になり、アンジュは恐る恐る、か細く声をかける。何か気に障ったのかと心配になったのだ。
「……あの、大きくなく、て……ごめんなさい……」
豊満とは言えない胸と細過ぎる身体に、がっかりさせてしまったのだと思ったアンジュは、きまり悪そうに彼から視線を反らし、両手で隠そうとした。
細い指の隙間から見え隠れする、薄桃に染まった素肌が、ジェラルドにはとても扇情的に映る。懸命にありったけの理性を保っていた彼の脳内に、霹靂の稲妻のような一撃を与えた。一瞬、意識が飛びそうになったが、ぐっ、と堪え、なんとか努め抑える。
「……違う。気にする……な」
「……?」
一層、押し殺した声で否定する彼に困惑するアンジュを他所に、ジェラルドは意識を切り替えた。まだ冷えている部屋の空気から守るように、自身ごと備え付けの厚手の毛布を被る。そんな薄暗がりの中でも判る、彼女の白い肌に薄く残る、忌まわしい痣を探しては、上書きするかのように自身の唇で強めに挟み、吸い付く。双の柔い膨らみは、再び掌で包み崩し、指で形をなぞり撫でた後、そっ、と食むようにキスをした。
瞬間、一際甘く高らかな音が、抑えていたアンジュの口元から漏れる。その声に煽られたジェラルドは、腰元から腹のすべやかな素肌を撫で、そこも愛でるように唇をあてる。次第に、強張っていた彼女の身体の力が抜け、細かな息遣いと彼の名を微かに呼ぶ声が、零れ続けた。
そんな口元を必死に抑えながら、すがるように自分の腕を掴み、抱きついて来ようとする。そんなアンジュが、ジェラルドにはいとおしくて堪らなかった。マシュマロのような感触の肌に触れては、無我夢中で触れては撫で続ける。
少しずつしっとりした感触を帯び出した彼女の身体から漂う、ミルク混じりの蜂蜜のような甘い香りが、キスをする度に鼻腔を擽り、心地好さを増幅させた。
――可愛い……本当にいとおしい…… 俺でいいなら、あんな記憶、全て消してやりたい……
――もっと触れたい……もっと……もっと……この女が、ほしい……
絶え間なく狂ったように勢いを増し、凄まじく自身を支配してくる、この熱く燃え上がるような衝動は、一体何なのだろう。女性の身体に触るのは、実は、初めてではなかった。貴族の男の戯れと言われ、成人して間もなく、高級娼婦を迎えた事がある。しかし、自分に向けられた剥き出しの欲望を目の当たりにし、性への苦手意識が、ますます酷くなっただけだった。
しかし、今の自分は、大切な花を愛でるように、尊い宝物を壊さないよう扱いながらも、切なる渇望、恋しさが、どこかが壊れてしまったように溢れて止まらない。
何があっても自分が守る。だから自分だけのものにしたい、という強烈な庇護欲と独占欲に駆られ、一心不乱に抱いている。そんな自分の心情が信じられなかった。
満たされた、幸福感。そんな言葉が脳内を過り、『もしかして、これがそうなのか』と思い知らされたような気がした。
少し躊躇った後、そっ……と、アンジュのウールスカートの中に手を差し入れた。下着の上から探り当てるように、びくついた足の付け根、内股付近に触れる。
「……⁉ な、んで、そん……なとこ……?」
くらくら、と陶酔した意識の中、自分でも知らない部分を、よりによって彼に触れられ、反射的に下腹部がざわつく。既に自身が自身で無くなりそうなのに、今度こそ羞恥でおかしくなるんじゃないか……とアンジュは思った。
「……ここは? 触られたか?」
妙に神妙な面持ちで、そんな事を尋ねてくるジェラルドが不可解で、ふるふる、と真っ赤に染まった顔を左右に振る。そんな彼女の様子は、嘘をついているようには見えなかった。
「同じ感じ、で少し…… あと、足を……」
「……そうか。これ以上、は……?」
聞くのは恐ろしい問いだ。聞きたくない答えの場合、自分の精神が潰れてしまうかもしれない。しかし、この事からは逃げられないと、腹を括った。
「これ、以上……? あの……?」
「その……見られた、とか」
言い難そうに問う彼に、アンジュは、また思い切り左右に振る。
「……そうか」
途端、『良かった』という安堵で、がくり、と全身の力が抜けた。今でも狂いそうなのに、これ以上、あの男に何かされていたらどうしようかと怖れていたのだ。
……気遣いや罪悪感と共に、いや、それ以上に在ったのは、独占欲だった。彼女は今でも十分辛いだろうに、どうやら処女を奪われた訳ではなかったようで、ほっとしている。
同時に、『このまま、全てを見たい。自分のものにしてしまいたい』という、エゴイズムな性衝動も湧き出す。
自分の想いは、決して綺麗な気持ちだけじゃない。こんなどうしようもない位に情欲に満ちた感情が、自身に存在していた事が、根が真面目なジェラルドには、ショックだった。
「……もう……止める。悪かった」
ゆらり、と身体を離し、力無げに詫びを言う。
「え、あの……」
「君は疲れているし、これ以上……は、今するべきじゃない」
『これ以上』とは、具体的に何をするのだろう。そんなに負荷がかかる事なのか。性知識は『特別な人としかしてはいけない、裸になって触れ合う神聖な行為』という概念位しかなかったアンジュの脳裏に、そんな素朴な疑問が過る。
もう少し問いかけたくなったが、彼の狼狽えぶりを見ていると、軽率に口にしてはいけない事のような気がした。
「どういう事か、よくわからない……ですけど…… 多分、貴方となら、嫌……じゃないです、よ?」
とどめの追い討ちに遭ったような心境になり、ジェラルドは内心、頭を抱えたが、片言で告げた。
「……また、その時……教える……」
「ありがとうございます」
僅かに汗と疲労が滲む表情で、恥じらいながらも嬉しそうにはにかむ彼女に、これから自分はどうしていけば良いのか……と、改めて悩まされてしまうジェラルドだった。