夕刻時、小山田信近(おやまだのぶちか)の件は、たけの耳にも届いた。きていた明心(あこ)と一緒に、うめと定正(さだまさ)が説明したのである。
「にしてもさ。何で今更、婚約者の仇討ちとかいってんの。そいつ」
「ふふ、単なる馬鹿なのだ。先の戦に負けた腹いせだろう」
「えー、何それ。よくわかんないんだけど」
「私を見られてもな。勝つも負けるも上次第だと思うが」
「姫の言う通り。どうも信近殿は若に敵意を向けている様でね。比べられでもしたのかもしれぬ」
と、広げた扇をゆっくり仰ぐ男性。比べようがないじゃん、という若年の言葉に、乳母のげんこつが飛んだ。
少年は頭をさすりながら、
「それで。おれたちはどうすりゃいいの」
「たけ殿はこの館にいて頂くが。お前は決めていない。どうしたい」
「どうって。姉貴がここにいるならここにいるよ」
「やはりそうか。なれば条件がある」
「条件?」
口をとがらせた明心に対し、定正は目を細めながら口角をあげる。同時に、一人の青年が入室した。
「お前は平家の郎党らと組み、たけ姫と共に脱走しようとしたからな。そういう意味では信用されておらぬのだよ。分かるか」
「お目付け役、ってことかよ」
「左様。ああ、私がこちらに来ていたのは、単純な好奇心だぞ」
「小僧、前にも話したが。ここはお館様一家中心で動いておる。中核を担う方々を危険に晒す訳にはいかぬじゃ」
お前は武士では無い故どう動くか読めん、と、うめ。彼女の一歩後ろで座っている青年は、事件時に庭で見た青年だった。
「明心。ここに留まりたければ受ける以外にない」
「納得しなかったら」
「前線に連れていかれるだろうな。私では庇えだてできぬ」
「ふうん。そりゃしょうがないか。面倒くさい力関係だなあ」
「おや。随分と素直ではないか。もっと対抗するかと思うたが」
「しても無駄じゃん。少なくともここの決まりは、従ったほうが長生きできる」
「賢明だ。良い判断をしたな」
ご満悦な定正に対し、明心は半目の表情で返す。無意識にやられたわき腹を抑えているのを、前者は見逃さなかった。
「定正殿。他の者達は」
「怪我が酷い者は動かさぬよ。今の所、定清兄上の隊半分が残る」
「左様でございますか」
「まさかとは思うが。たけ姫よ、共に戦うなどとは言うまいな」
「ございませぬ。光正殿に止められました故」
はあ、と息を吐く、たけ。出ようとしてたのか、と、その場にいる全員が思う。
さすがの色男も眉間に手をあてながら、
「今までの生活の癖があろうが。立場を考えてもらわねば困る」
「心得ておりまする。故に、彼らに伝えて頂きたい言葉がございます」
「何か」
たけは目を鋭くさせ、回答者を射抜く。
「私の代わりに小山田信近をぶん殴ってこい、と」
と、至極当然のごとく口にする、たけ。気のせいか、嬉々とした雰囲気をまとっている模様。
一方、源家側はというと、定正とうめは呆気にとられ、明心と青年は吹きだしてしまう。まあ、青年のほうは、乳母ににらまれてすぐに抑えたが。
「はっはっはっはっ。良かろう、必ず伝える。その言葉、若にも言うてみよ。きっと喜ぶぞ」
「ひ、必要ございますか。光正殿の強さは群を抜いておりますが」
「その様子だと嫌っている様子。それを伝えれば良い」
と、口元を扇子で隠しながら笑う色男。光正が喜ぶ、というよりは、驚くのほうが近いだろう。そして何より、楽に進軍出来そうだ、と腹で考えていた。
黒い思考を感じとったのか、うめは深くため息をする。
「油断するで無いぞ、定正」
「当然だ。何があるか分からぬからな」
急に真面目な表情になるが、すぐに普段の柔和な顔に戻った。
「そうそう、姫よ」
「はい」
「そなたはまず、自分の幸せを考えた方が良いと思うぞ。さすれば下の者たちも安心しよう」
「は、はあ」
ふふふ、と笑い退室の挨拶した後、足早に部屋を去った。
「何があるか分からないって。おっちゃん、何を考えてんだろ」
「小僧。小山田の狙いが何か、分かるか」
「ん? 光正へのふくしゅーじゃないの」
「様を付けんか馬鹿者っ。まあいい。その復讐とやらはどの様な方法で行われると思う」
「方法って。戦場でたたっ斬るんじゃなくて」
「十中八九出来まい。なら、他の方法で貶めるしか無かろう」
「おとしめるって。まさか」
たけの顔を見た、明心。
「その可能性があるから、兵力を残したのもある」
「普段はそこまで残さないってことだよな。それじゃあ」
「そういう事だ。これでお前が監視されるのにも納得がいくだろう」
「どこに、敵がいるか、っつーこと」
「宜しい。頼んだぞ」
青年は頷くと、ゆっくり立ちあがった。
「今日は戻ると良い。いつも通りにしていた構わんが、目を逃れようと思うで無いぞ」
「あいよ。あんた、名前は」
「こやつの名前は幽(ゆう)。喉に怪我を負っていてな、話せぬのだ」
うめの言葉に頭を縦に動かすと、首元にまいている布を外した。首を斜めに引き裂くように、痛々しい傷跡が残っている。
「そっか。おれ、少しなら文字かけるよ」
「やり取りはお前達の間で決めると良い」
「わかった。よろしくっつーのも変だけど。よろしく」
目を若干細めた幽は、再びうなづいた。
風呂や食事が終わり夜もふけてきた刻限。たけの元に、光正は戦いに備えるために今日は自室で睡眠をとると、うめが伝えにきた。彼女も戦いへの準備があるらしく、早めに休むという。
正直、たけはどの様に顔をあわせてよいのか悩んでいたため、ほっとしていた。
とはいえ、小山田が気になり、すぐには寝つけそうにない。
私が光正殿の弱点になるとは、到底思えん。が、足は引っ張りたくないな。
かつては憎しみしかなかったが、ひょんなことから関わるようになり、決して悪人ではないと、頭では理解している。だからといって、昨日の今日で父や兄たちのことを完全に過去の存在だと、割り切れずにもいる。
夫は時間がかかるのは承知している様子だが、それでは役目もはたせない。
「何と中途半端な存在なのだ、私は」
体をおこし、外の空気に触れる、たけ。まだ冷えこむ夜の風は、彼女を落ち着かせるにはちょうどよかった。
「父上、兄上、皆。私は、どうすれば、よい」
問いはすぐに空へとけてしまい、虫の声だけが響く。
そなたはまず、自分の幸せを考えた方が良いと思うぞ。さすれば下の者たちも安心しよう。
昼時に、義理叔父に言われた言葉がよみがえる。
「幸せ、か。何をもって幸せと呼ぶのか」
家が壊滅してから源家にくる間は、貧しいながらも剣の腕を磨きつつ、明心や薬右衛門とともに生活をしていた。その日限りの暮らしではあったが、充実していたように思える。
源家に足をつけてからも、今のような空疎感はなかった。何故か急に、ぽっかりと穴が開いてしまった感覚なのだ。
ふう、と、青い息をはく、たけ。とはいえ、体の中には、再度同じ色の空気がはいってくる。
「ちゃんと、光正殿と。向きあったほうがいいのかも、しれんな」
自身の気持ちをはじめ、たけにとって誇りとは何なのか。生きるとは何なのか。
星はいつまでも輝くが、人はそうではない。
今は目の前に発生した問題を解決することに専念しよう。
ふっ、と、腹に力をいれて短く勢いをつけた息をだす。悩んでいても仕方がない場合も、世の中にはある。
たけは気持ちを新たにし、寝床につくのであった。