第7章 禍福は糾える縄の如し-1
ー/ー 10月9日土曜日、私は休日出勤をしていた。参加している開発プロジェクトのスケジュールが一部遅延しており、そのサポートのために直属の上長から頭を下げられての出勤だった。
「本当にごめんね。こんな事、氷室さんにしか頼めないんだよ」
頼られると私は弱い。「しぶしぶですよー」とか軽口叩きつつ、丸一日かけて今年入社した後輩社員の仕事のフォローを行っていたのだ。
午後5時頃その日の仕事のめどが立ち私は解放されたので、いつもは平日だけの双子男児相手のキッズシッターのアルバイトを、ご両親の都合により臨時で行っているはずの駆にLIMEを入れた。
『今日の夕飯どうする?』
『オレはもうバイト終わって駅に着いたところ』
『明日作るケーキの材料をスーパーで一緒に買い物したいから、駅近のカフェで待っててくれる? コーヒー代は後から払うから』
駆が祖父の空き家の掃除に行く度、隣家に住む母の幼馴染、新井 久美子おばさんが季節の果物などの差し入れをしてくれるので、お礼にケーキを作ろうと思い立ったのである。駆には既に手伝いを頼んで了解をもらっている。
『了解。待ってます!』
こんなやり取りをしてから私は徒歩で新宿駅へと向かい、埼京線に乗って約25分で最寄り駅に到着した。駅にほど近い地元にしては珍しくお洒落なセルフオーダー式カフェへと入ると、四人掛けの席に座った駆の反対側には、私と同様に仕事帰りのように見える、グレーのパンツスーツ姿の親友の渚が座っていた。
「!?」
私はどう声を掛けようか悩みつつ二人の座っているテーブルにゆっくり歩み寄ると、私に先に気が付いた渚が「お疲れ!」と無邪気な笑顔を向けてくる。
「さっきランちゃんがここに座っているのが店の外から見えたから、声を掛けたの。いい男を紹介してよって頼んだのに、渚さんに大切な友達を紹介したら骨の髄まで吸い尽くされそうなんで嫌です、とすげなく断られちゃったよ」
それを聞いた駆はあははと苦笑している。なんだか二人とも、以前に比べて親しさが増したような雰囲気だった。
「そ、そうなんだ……」
私はそう言いながらカフェテーブルに乗っている二つのカップをちらりと見た。駆のカップは空だったが渚のカップのコーヒーはほとんど減っていなかったので、さっき来たというのは間違いないのだろう。
駆は私の彼氏という訳ではないからやきもちを焼いても仕方ないのだが、同性の目から見ても魅力的な渚――しかも最近彼氏と別れたばかりだ――と一緒だとなんだかもやもやする。背の高い駆が渚の好みとはずれていると分かっていてもだ。
「私もなんか頼む!」
理不尽極まりないこの気持ちを収めるために、渚の隣の椅子にショルダーバッグを置くと、キャラメルラテを頼むべくカウンターへと向かったのだった。
当初は近所のスーパーで買い出しをしてから駆が夕飯を作る予定だったのだが、渚の予定外の乱入により急遽近くのイタリアン系居酒屋で食事をする事となった。
居酒屋はイタリアの国旗、緑・白・赤の色をモチーフとした内装で、壁面にはワインボトルがぎっしりと並んでいる。カンツォーネが流れる店内は土曜の夜だけあって主に女性客でかなり混雑していたものの、幸い三人座れる席が一卓だけ残っていた。
卓上のタブレットで飲み物を頼む時渚と私は赤のハウスワインをデキャンタで選んだのだが、駆はノンアルコール飲料ではなくカンパリオレンジを選んだ。私は驚いて
「あれ、君、もうアルコールは大丈夫なの?」
と念のため確認する。
去年の12月、駆は所属していたテニスサークルのクリスマスパーティで、飲んでいたカクテルに大量のウォッカをこっそり混ぜられ不覚にも泥酔してしまい、その姿をSNSにアップされるというアルハラを受け退部したのだが、それ以来酒は一切飲んでいないと聞いていたからだ。
駆はこう答えた。
「前に兄さんと食事をした時お酒を勧められたから断ったんだけど、事情を話したら兄さんが、一歩間違えれば傷害罪だし、そうなったら間違いなく廃部だったぞって激怒してくれて。アルファさんも前怒ってくれたけど、身近な人達がオレのために怒ってくれた事が本当に嬉しかった。あの時からずっと引きずっているのがバカバカしく思えてきて……」
それから小さく微笑んでみせる。
「それ以来きちんと向き合おうと思って、トラウマについてあれこれ調べちゃったよ……」
その後、事情を知らない渚にアルハラの件を簡単に説明する。渚もぷりぷり怒り始めた。
「バッカじゃないのっ!? 今時大学だってアルハラに煩いのにあり得ない! でもそういう事されると、こっちは全然悪くないのに暫く引きずっちゃうよね~」
「うん、入学時オリエンテーションでもちゃんと注意されたはずなんだけどね……。サークルを退部するとき、強要してないし、一気飲みでもない、ただのイタズラの範疇じゃないか、オレが怒るのがおかしい、心が狭い、みたいな皆の反応がかなりショックだったんだよ……」
駆がしょんぼりする。
「ほんと、幼いよね」
かつて大学のアナログゲーム同好会部長だった私は、そのテニスサークルのリスクに対する意識の低さに改めて呆れてしまう。駆が泥酔で済んだから救急車を呼ばずに済んだものの、万が一急性アルコール中毒を発症していたら、兄の匠はもちろんの事、父親だって部員達を絶対に許さなかっただろう。駆は父親や兄が警察官である事を周囲に伏せていたそうだが、学生達のあまりにも無自覚で迂闊な行為に私は目眩を覚えてしまう。
「まあ、飲むのは全然構わないけど、絶対に無理はしないでね」
私は一応くぎを刺しておく。すると駆は神妙な顔で頷いた。
「ありがとう。気を付けるよ」
その後早速飲み物が運ばれてきたので三人で乾杯する。駆はカンパリオレンジを恐る恐るちびちびと飲んだ後、「リラックスしていれば全然平気みたい」とほっとしたように笑顔を見せた。それから私達は前菜盛り合わせやフライドポテト、カチャトーラ、大盛ペペロンチーノ、生ハムのピザなどを次々にタブレットに入力していく。
最初に前菜盛り合わせが到着した。渚は小皿に取り分けたタコのカルパッチョを力を込めてフォークで突き刺しながら、いい男が全然見つからない事を愚痴ってきた。前の彼と別れてからまだ一ヶ月弱なのだから仕方ないと思うのだが、もう既に三回合コンをやっていたらしい。コンサル業務で激務のはずなのに、びっくりするほどタフである。
「ナギさんの求める男性の条件が厳しすぎるんだよ」
私が赤ワインを飲みながら突っ込みを入れた。
「背は高すぎず、精神年齢が高くて、教養もあって、本を一杯読んでいて……だっけ?」
「顔は全然拘ってないよ。収入もね。ただし、男尊女卑だけは死んでもお断り!!!」
渚は力説する。
「そんなに条件厳しくないと思うのに、どうして見つからないんだろう」
いや、十分厳しいと思うけど。私は内心で突っ込んだ。
「本を一杯読んでいるっていう条件が意外にハードル高いんじゃないのかな」
アルコールが入って舌が滑らかになった駆が口を挟んでくる。
「オレは家でマンガやゲームが禁止されていたから暇つぶしに本は結構読んでいたけど、今ってスマホさえあればいくらでも退屈しのぎができちゃうでしょ。ゲームに動画にSNS……だから友達でも読書好きって数えるほどしかいないよ」
「そうなんだよね」
渚は腕組みをして、うんうんと頷いた。
「その条件を満たしやすいはずの、私が所属していた文芸サークル関係のコミュニティって残念ながら狭くて……誰それの元カレがごろごろしてるから、そこで探すのは躊躇しちゃう」
「その界隈には渚の元カレもごろごろしてそう」
私は次に到着したフライドポテトを指でつまみながら笑った。渚は答える代わりに大袈裟に肩をすくめてみせる。
「なら、小説家の卵や博士課程の人とかどうかな?」
駆なりに渚の提示する条件から真剣に考えたらしく、そう提案してきた。
「渚さんバリバリ稼いでるし、才能を発掘して開花させるっていうのもいいかもしれないよ」
「なるほど! それもありかもね! リーマン狙うよりもいいかも?」
意外にノリノリである。
そんな渚に、駆がふと思い立ったのかこんな話をし始めた。
「ちなみにオレの母方のおじいさんって、働くのが大嫌いで、日がな一日、趣味の絵描いたりレコード聞いてだらだらと過ごしていたらしいよ。大黒柱はおばあさんの方でね。一応子育てだけはしていたから、かろうじてヒモやニートではないんだけど」
それを聞いた渚が盛大に吹き出す。
「え、本当に? おじいさん随分優雅な生活送ってたんだね? 戦前の高等遊民みたいな感じ? おばあさんはそれでOKだったんだ? 面白そう、詳しく聞かせてよ!」
興味津々の渚に促され、アルコールでほのかに頬を紅潮させた駆は祖父母の馴れ初め話を披露し始めたのだった。
駆の祖母、津紀子は岩手の不動産屋の跡取り娘で、東京オリンピック開催前に東京のとあるミッション系女子大に進学したのだが、勉学を修めるというより、優秀な婿を見つけてくるのが主な目的だったようだ。だから真面目な女学生とはとても言い難かったようで、ある時たまたま遊びに行った銀座の裏路地で、若い男が二人の暴漢にぼこぼこにされているところを目撃。機転を利かせて暴漢達を追っ払ったらしい。それが後のおじいさんの滋だった。今回私も初めて知ったのだが、実はおじいさんの本名は滋ではなく景滋なのだが、戦国武将を連想させるような立派な名前をおじいさんが嫌っていて、銀座ではずっと滋と名乗っていたとのこと。
「おじいさんは端正な顔立ちの二枚目だったから、物凄く女性からもてたんだって。そのせいで同性からはだいぶ恨みを買ったみたいだね。そうやってしょっちゅう絡まれていたらしい」
駆はいつもと違って淀みなくしゃべっているが、その祖父と自分がよく似ているとは渚には言わなかった。イケメンの祖父と自分が似ていると言うのは恥ずかしかったのだろう。渚は前のめりで尋ねた。
「じゃあ、そこから二人のラブロマンスが始まったんだね?」
すると、うーん、と駆は微妙な表情となり首をひねった。
「何せおじいさんは銀座でも有名なモテモテの遊び人で、一方おばあさんは平凡な田舎娘だったから、最初は全くそんな雰囲気じゃなかったみたいだよ。怪我から回復したおじいさんはお礼のつもりでおばあさんを行きつけのジャズ喫茶に連れて行ったんだけど……おばあさんときたらおじいさんの事なんてそっちのけで、流れていたレコードの音楽に夢中になっちゃって、その無邪気な様子に逆にぐっときちゃったらしいって聞いてる」
「いいじゃん、いいじゃん、どんどん続けて!」
こういう心ときめくような恋バナは渚の大好物なのだ。私も続きが聞きたくなった。
駆は驚いたように目をぱちくりさせたものの、咳払いをしてから更に続けた。
「そんな遊び人のおじいさん、実は旧華族の三男坊だったんだけど家は戦後の財産税って言うんだっけ? そのせいで戦前所有していた財産のほとんどを手放さざるを得なくて、子沢山の家庭だったのに跡継ぎの長男以外は穀潰し扱いされていて、すっかりぐれてたみたい。大学にも碌に行ってなかったようだし」
話に夢中になっている私達は、うんうん、と頷き先を促す。
「絵を描くのが好きだったのに、美大への進学を認めてもらえなかったという挫折感が大きかったんだろうねっておばあさんは言ってた。でも困った事に働く事も嫌いだったから、アルバイトは一切せずに、勝手に入れ込んでくる年上の女性達からちゃっかりお小遣いもらってそれを元手に銀座で遊んでたらしいってさ」
駆はそう言ってからふふっと笑った。
「すごいっ!」
渚が驚愕の声を上げた。
「今で喩えたらホストクラブのナンバー1とかだよね?」
「えー、でもホストって営業掛けたり、お客さんをちやほやしたり、とにかくまめなんでしょ? うちのおじいさんは怠惰な人だったみたいだから、そういう事は絶対に無理なんじゃないかな」
とその孫は笑顔で容赦なく一刀両断してくる。私達はその言い方に大受けした。
「来るもの拒まず去るもの追わずってタイプだったみたい。おばあさんに出会うまでは気怠く惰性で生きてたみたいだよ。もっともそうなってしまったおじいさんの気持ちはなんか分かるな…………」
駆は最後の方は呟くように語った。駆自身はとても勤勉なタイプなので、おじいさんに共感を寄せるのはなんだか意外に感じる。
「それでそれで、おじいさんはおばあさんにどんな風にアプローチしたの?」
渚が目をキラキラさせながら続きを催促してくる。駆は熱心に尋ねてくる渚に多少たじろぎつつ続けた。
「ええと……おばあさんはすっかりそのジャズ喫茶が気に入ってしまって通い詰めるようになったんだけど、当然常連のおじいさんと頻繁に顔を合わせるようになって。おばあさんが実は東京で婿探しをしているって事をたまたま知ったおじいさんが、積極的に自分を売り込んでいったみたい。『僕を君のお婿さんにして』ってね」
「キャー、素敵!」と渚が両指を組んだ。目がすっかりハートになっている。だが駆は首を振った。
「でも、おばあさんはいたって冷静だったんだ。田舎は本当に不便だから、おじいさんのようなお坊ちゃまが来るところじゃないって断ったんだよ」
私達は意外な展開に息を呑む。駆は当時の状況を説明してくれた。
「昭和40年代初頭って、うちの地元じゃ田んぼばかりで下水道とか全然普及していなかったそうだし、舗装されていない道路なんてざらだったってさ。便利な東京とは全然違ってたんだよ」
「まあ、そうだろうね……」
私は当時の時代背景を思い起こしながら相槌を打つ。高度経済成長期、今以上に東京と地方格差は大きかったのだろう。
「でもおじいさんは全くめげずにおばあさんに、自分を婿にするメリットをプレゼンし続けたんだってさ。自分は金は全くないが、親のコネならあるって」
そう言ってから駆はおじいさんがおばあさんを懸命に口説く様子を想像したのか、目を細め柔らかく微笑んでみ見せた。
「これぞ愛だね~。怠惰な人間にそこまでさせるとは」
渚がにまにました。駆がそうだね、と頷く。
「熱烈なラブコールに困り果てたおばあさんはついに父親に相談したんだって。そしたら…………」
駆はここで一息つくと、カンパリオレンジをぐいと飲んだ。
「住環境はなんとでもしてやるから、絶対に正式な結婚までこぎつけろと言われたらしい」
「なんとでもしてやるとは豪胆だね」
感心したように渚が言った。私も同意する。
「さすがディベロッパー。スケールが違うわ」
地元のインフラ工事を担っているようなディベロッパーの社長でなければ、とてもそんな事は言えなかっただろう。ここで駆が補足する。
「オレからするとひいおじいさんに当たる人は東京進出が長年の夢だったらしくて、おじいさんの持つコネは一騎当千だからって事らしい」
この時、私は疑問に思った事を口にした。
「これだけアプローチされてもおばあさんは消極的だったんだね?」
「うん、そうなんだよね……」
駆はこくりとした。
「その当時のおばあさんにとっておじいさんはアイドルというか、高嶺の花の存在で、遠くから眺めてさえいれば満足だったみたい。なのに、そんな『推し』がいきなりぐいぐい来たから青天の霹靂っていうか、何が我が身に起こっているの!? って気持ちだったみたいだよ」
「なるほど、そんな感じだったのか」
私は納得する。
「なんだかそれこそ少女漫画みたいだよね」
すると駆はくすっと笑った。
「まあ、おばあさんだって本心はまんざらじゃなかったみたいだし、実家からGOサインが出された後は二人の仲はトントン拍子だったって」
「やったー!」
渚が両手を上げた。
「これでやっとハッピーエンドだね!」
だが、駆は大袈裟に首を振ってみせた。
「ところが…………いざ親を巻き込んで正式な結婚話を進めようとなった時、今度はおじいさんの実家が反対してきたんだよ。散々穀潰しとか言ってたくせに、婿として高く売れると気が付いた途端手放すのが惜しくなってしまったみたいで」
「うっわー、最低!」
渚も口が悪い。駆は苦笑する。
「だって考えてみて。あっちからすればよりによって東北の、しかもどこの馬の骨とも知れないような商家と、旧華族の縁談なんだよ。釣り合わない、家柄が違いすぎるって考えるのも仕方なかったんだ」
時代錯誤だと言いたかったけど、ふと考えてみるとその当時で戦後二十年ほどか。そういう偏見はまだまだ残っていたのだろう。
駆は小さくため息をついてから続けた。
「おばあさんは最悪あっちの家に認められなくてもって考えたみたいだけど、ひいおじいさんとおじいさんが踏ん張ったみたい。ひいおじいさんは当時としては破格の結納金と、それにプラスして東京のお屋敷の修繕費用の肩代わりを提案して、おじいさんも親から認められた結婚という形にして、何とかして山城家にコネをもたらそうとそれは奮闘したんだって。おじいさんはここで一生分働いちゃったんだねっておばあさんはいつも笑ってたっけ」
駆がそう言いにっこりと微笑む。
この時、ペペロンチーノと生ハムのピザが卓上に置かれたので、話をいったん中断し、食べるのに専念する。
「結婚までが大変だったんだね~」
ペペロンチーノを食べてから渚がしみじみと呟く。一方生ハムの味を堪能しつつピザを食べていた私は思わずこう言ってしまった。
「おじいさん……なんだか親に売られたみたいだね……」
「うん、実際そんな感じ」
既に自分の分を食べ終えていた駆は眉をひそめた。
「あっちの家は山城家を蔑んでいたくせに、結納金と修繕費用に目がくらんでおじいさんを婿に出した訳だけど、周囲にはこの結婚はあくまで二人の自由恋愛の結果で、それを認めてあげた自分達は物わかりの良い親みたいに吹聴してたみたいだよ。呆れちゃうよね」
うへーと渚が声を上げた。
「身分制度のあった戦前ならまだしも……」
「オレの母さんなんて、たまにおじいさんの実家に顔を出しても、外孫だからなのかいつも塩対応で感じ悪かったって怒ってたし」
「そっか……孫の扱いすらそんな感じだったんだ……。屋敷を修繕までしてもらったのに……。でも山城不動産の商売的にはメリットはあったんだよね?」
私はおじいさんの実家側の理不尽な扱いに腹を立てつつ尋ねた。駆にしては珍しくシニカルな笑いを浮かべる。
「そうだね、ひいおじいさんのかねてからの念願だった東京進出を果たして、田舎の一企業でしかなかった山城不動産は著しく成長したみたいだから」
しかし、その後表情が一転しにこっと笑ってみせた。
「でも、おじいさんとおばあさんは幸せだったんだから、それはそれで良かったんじゃないかなとオレは思ってる」
「そう言えば、おばあさん、おじいさんに働けって言わなかったの?」
渚が手を小さく挙げて質問すると、駆はくすくす笑い始めた。
「あ、さっき言い忘れてたけど、おじいさんがおばあさんに婿にしてって迫った時、同時に一生絵を描いて過ごしたいって言ってたんだってさ。おじいさんは確かにモテモテだったみたいだけど、あの時代にそんな戯けた事言うような怠け者を敢えて婿にしようだなんて奇特な人はさすがにいなかったみたい。おばあさんは全て分かってて、自分が稼ぐからっておじいさんを受け入れたんだよ」
「おばあさん、若いのに懐が深かったんだ! 男が稼ぐのが当然の時代だったのにね」
渚が感激したようだった。
「いいな~わたしもそういうでっかい女になりたい~」
そして、卓上のデキャンタからワイングラスにワインを注ぐとぐいっとあおる。
「そのためにも是が非でもいい男ゲットしなくちゃ!」
と鼻息荒く気勢を上げる渚を、駆と私で大いに激励したのだった。
実はこの話を聞いた時、私は自分の心に問いかけていた。自分なら働きたくないなんて言ってしまう男性を受け入れられるだろうか? いや、無理だ。一時的に病気や怪我で働けない時は懸命に支えるとしても、最初から働かないと断言している男性と結婚するリスクを引き受ける度量は私は持ち合わせていないようだった。でも、将来の夢のために真剣に学びたいと願う男性なら……それは全力で支えてあげたい。
私はワインの残りをちびちび飲みながら、テーブルに向かい合わせに座っている駆の顔をちらっと盗み見た。相当量酒を飲んでも顔色の変わらなかった兄の匠と違って顔がすっかり真っ赤になっているものの、心からリラックスした様子ですっかり相好を崩している。そういえば去年の夏開催されたFQⅢのオフ会でも、こんな感じで楽しそうにお酒を飲んでいたなという事を思い出した。私の中では俯き加減の駆がデフォになっていたけど、サークルでのアルハラ事件と、その直後の留年そして父から勘当を言い渡された事がいかに駆の心に影を落としていたのかという事に思い至り、胸が締め付けられるような気持ちになった。しかし駆は自分の力でしっかり立ち直ろうとしている。その力強さにすっかり惹かれている事を改めて気づかされたのだった。
私達は渚と居酒屋の前で別れると、深夜まで営業している近所のスーパーに一旦立ち寄り、明日作る予定のケーキの材料や道具などをどっさり購入した。
帰宅してからスマホを確認したところ、匠からLIMEが送られてきていた。東京に住んでいる叔母さんとわざわざ会って両親の事情を聞いてくれたらしい。駆は今入浴しているので、私はソファにあぐらをかいて座り込むと匠のトークを読み始めた。
『おばさんからの聞き込みは無事完了!』
匠からのLIMEはその文章から始まっていた。
『とりあえず判明した事は、両親が結婚する前、母と交際していたのは父の二番目の兄貴、誠だったって事だけ』
『誠伯父は若い頃に日本を出国し今はハワイに永住している。自分やかーくんは会ったこともない人物』
『これ以上はおばあさんから聞き出さないと分からない。引き続き調査は続ける。以上ご報告まで』
最後は『よろしくお願いします!』という無料スタンプで締め括られていた。
私はそれに対し、ひっそりぐらしのスタンプを使った。ピンクのみにぶたが『お疲れ様!』とカップを差し出しているものだ。それから思いついたことをぽつりぽつりと入力していく。
『その誠伯父さんってどんな人物だったのかな』
『両親との間に何らかの確執はありそうだよね?』
『交際の件と出国は無関係なのかな?』
そこまで投稿してから、一旦立ち上がり冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出すと、グラスに麦茶を注いで一気に飲み干す。その時ふと閃いた。エゴサじゃないけど、誠伯父さんのフルネームをネットで検索すれば良いのではないだろうか。ソファに戻って、スマホを再び握りしめると
『フルネームで検索かけたら、もしかして出てきたりするかも?』
と入力してから、水色のてでぃべあが手を振って『頑張ってね!』というスタンプを送信する。
すると即
『分かった、確かにその通りだ。検索かけてみる!』
と返ってきて、『頑張る!』という無料スタンプが送られてきたのだった。
検索には少し時間が必要だろうと思い、私は手元にあるリモコンでテレビの電源を入れた。番組表をさっと眺め、百名山の登山を扱ったBSの番組を選んだ。登山なんて運動が嫌いな自分には一生無縁だと思うけど、どういう訳か登山や過酷な山岳レース番組を見るのは大好きなのだ。
大きなバックパックを背負った番組のナビゲーターが登山ガイドと一緒に、雄大で美しい緑の稜線を歩いていくのをぼうっと眺めていたところ、匠から更なるLIMEが届いた。
『伯父のサイト発見!』
という文字とともにurlが貼り付けられている。私は
『見てみるね!』と入力して、そのurlをタップしてみたのだった。
匠が教えてくれた伯父さんのサイトとは、何とハワイの日本人観光客向けのオプショナルツアー会社のものだった。トップページには社長として『風谷 誠』氏の写真が掲載されている。山城兄弟のお父さんは婿養子だと聞いているけど、元々の苗字が風谷なのか。
誠さんは真っ黒に日焼けしたイケオジだった。恐らく五十代なのだろう、目尻に深い笑い皺が刻まれているものの人好きしそうな笑顔を浮かべた、いかにも女性からモテそうな人物である。カールした長いまつ毛がとても印象的で、顔立ちが匠ではなく駆に何となく似ている。そりゃ伯父さんなのだから当然だよね、と思ってから気が付いた。駆は母方のおじいさんに似ているはずだ。私の頭の中では疑問符がいくつも浮かんだ。駆は母方のおじいさんにも似ていて、なおかつ父方の伯父さんにも似ているという事なのかな? おじいさんの写真でも見せてもらえればその辺は明らかになりそうだけど。
私がしきりに首を傾げている時、洗面所兼脱衣所を出た駆がリビングダイニングにやって来た。上下グレーのスポーツブランドのスウェットの駆はタオルで髪を拭いているが、ベリーショートなのでそれだけで簡単に乾いてしまうらしい。毎朝ドライヤーと格闘している私からすると本当に羨ましい限りだ。
頭にタオルを載せたままキッチンの冷蔵庫のドアを開けたので、私はその背中に向かって尋ねた。
「ねえ、君のおじいさんの写真って持ってない?」
「おじいさんの写真?」
駆が麦茶の入ったポットを持ったまま振り返った。
「さっきの馴れ初め話で気になっちゃった。君に似てるんでしょ。もしも持ってたらと思って」
と理由を説明する。気になっているのは事実だ。
駆はキッチンカウンターに食器棚から取り出したグラスを置くと、麦茶を注ぎながら答えた。
「なくはないよ……でも見せるのはちょっと恥ずかしいかな……」
「恥ずかしい?」
私は首を傾げた。恥ずかしい写真ってどんな写真なんだろう?
すっかり素面になりいつも通りに戻った駆は俯き加減にしばらくもじもじしていたが、意を決したように顔を上げた。
「分かった、今持ってくる」
そう言って自室に向かった。数分後、横長でやたら分厚いきちんと製本された青いアルバムを抱えて戻ってきた。表紙には英語のタイトル、"Fly Me To The Moon"と金色の文字が箔押しされていた。
「これだよ……念のため断っておくと、アルファさんだから見せるんだからね……」
気恥ずかしそうな顔の駆はその分厚いアルバムを開いて、最初のページを私に見せた。
それは往年の映画スターかと見紛うばかりの二枚目な青年の、かなり大きなバストアップのモノクロ写真だった。左分けにした長めの前髪に、眉はきりりと整えられ、目はぱっちりとしていて、高い鼻、形の良い唇に柔和な笑みを浮かべている。ブレザーにボタンダウンのシャツ、細めのネクタイを着用しているので、これはまさしく60年代アイビールックだ。
いや、確かにおじいさんは駆によく似ている。写真の下には『1965年 滋さん。私の一番お気に入りの写真』というキャプションまで添えられている。1965年ということは、東京オリンピック開催の翌年だ。
「おじいさん、マジでイケメンじゃん!」
私は思わず叫んでしまった。そしてご丁寧にキャプションが付けられているあたり確かにこれは恥ずかしい。
これは駆のおばあさんが作った愛のメモリアルアルバムだった。一年ほど前、自費出版の会社から「ご家族のアルバムを作ってみてはいかがですか?」と営業をかけられたおばあさんが金に糸目をつけずノリノリで作ってしまい、親族一同に配ったものだそうだ。
ちなみにお母さんはそれを見て切れたらしい。「こんな趣味丸出しのものを大枚はたいて作った上にバラまくなんて!」とおばあさんに怒ったそうだが、おばあさんはどこ吹く風と娘の説教を聞き流したそうだ。
「すごいね! 他のページも見ていい?」
すっかり興奮してしまった私は駆に確認する。駆は苦笑いを浮かべつつ、頷いた。
「どうぞ。見終わったらテーブルの上に置いておいてくれれば後で片づけるから」
「了解! じゃ、お休み!」
「はい、お休みなさい! アルファさんもほどほどにね!」
駆はそう言い残すと、麦茶の入ったグラスを持って自室にすっと引っ込んでしまう。
一緒に見たかったけど、全ページに先ほどのようなコメントが付いているのだとしたら、身内としては――さらにそのおじいさんとよく似た駆としては居心地が悪いだろう。
私は駆のおじいさんの顔を確認するという当初の目的から既にずれている事は気が付きつつも、そのアルバムのページをめくらずにはいられなかった
最初のページに戻ると、下には滋さんの簡単なプロフィールが記載されていた。○○伯爵家の三男 景滋 1943年6月10日誕生、だそうだ。1943年というと太平洋戦争真っただ中だ。○○伯爵家をスマホで検索したところ、元々は西日本の大名家だった。史学科卒の私にとって何となく聞き覚えのある家名であり、同時に私のような庶民には全くご縁のない立派な家柄でもある。
次のページからは暫く滋さんの幼少時の写真が続いた。節目ごとにきちんと写真館で写真を撮っていたのだろう。生後間もなくの両親との写真から始まり、制帽にボタンが内側に収められた学ラン、半ズボンを身に着けた小学校入学時の写真。同じようにボタンの出ない学ランの中学、高校の写真。すべて背筋がぴんと伸びている。冒頭の写真とは異なり、カメラを見つめる表情は非常に固いものだった。
その後、白いチェックのシャツに細いネクタイ、バミューダショーツという典型的な60年代アイビールックをばっちり決めた滋さんがバーテーブルに肘でもたれかかり、タバコをくゆらせている全身像の写真だった。こちらは目を細めすっかりリラックスしているような表情である。もしかして東京オリンピック前、銀座のみゆき通りを闊歩していたという『みゆき族』などと呼ばれていた若者の一人だったのかもしれない。
その次はすっかり黄ばんでしまったハガキの裏面で、ブルーブラックの万年筆で綴られている。目を凝らして解読してみると、
『つきちゃんへ
君がいない東京は本当に寂しい。
両親が働け働けと毎日うるさいので、仕方なく最近銀座の××画廊で受付のアルバイトを始めました。
といっても全然お客さんが来なくて暇なので、これを書いてます。
一刻も早く君に会いたい。
滋より』
と書いてあって、満月を見上げて泣いている可愛らしい兎の絵が描き添えてある。キャプションには『1966年5月 滋さんからのハガキ』と添えられていた。
それから結納の時の両家の記念写真や改修されたばかりらしい○○家の立派な邸宅の写真などが続いたのだが、そこには長めのキャプションが綴られていた。
『1966年12月結納 ここに至るまでが本当に大変な道のりでした。お父さん、私達のために尽力して下さってありがとうございました』
次は立派な屏風の前で白無垢、綿帽子姿の津紀子さんと、黒紋付袴姿の凛々しい滋さんの結婚写真だった。古いけど立派な木造の民家の広い座敷で撮影されたようだ。きっとここが山城家の本家なのだろう。
『1967年5月4日 待ちに待った結婚式』というキャプションが付いている。新郎新婦とも多少緊張しつつも笑顔だった。その下には両家の集合写真も掲載されている。
それからは新婚旅行の写真が数ページにわたって続いていた。キャプションによると撮影した場所が熱海、名古屋、京都、大阪と転々としているので、少し前に開通した東海道新幹線を使ってあちこち旅行したのだろう。身長の高い滋さんはすべてオーダーメイドと思われる高級そうな細身の三つボタンのスーツに身を包み、小柄な津紀子さんはサイケデリックとでも言うのだろうか、派手な幾何学模様の柄のミニスカートのワンピースを着ている。津紀子さんは意志が強そうな瞳の印象的な、当時流行りのショートカットが似合っているキュートな女性だった。二人とも幸せな新婚さんらしくしっかり寄り添って手を繋ぎ、満面の笑みを浮かべている。
その次のページは山城夫妻と生後間もなくの赤ちゃんの記念写真が続いた。『1968年10月 加奈子誕生』『1970年5月 千賀子誕生』『1973年11月 真由子誕生』とキャプションがある事から、夫妻の三人の娘達だった。長女の加奈子さんが山城兄弟のお母さんという事になる。端正な顔立ちの父親に似て子どもながら目鼻立ちのしっかりしたきれいな赤ちゃんだった。
それからしばらく撮影者が津紀子さんなのか、滋さんと娘さん達の仲の良さそうなスナップ写真が続いていく。滋さんがキャンバスやスケッチブックに向かって娘達の絵を描いている写真や、リクライニングチェアに座って目を閉じてレトロな家具調ステレオでレコードを聴いているような写真なども挿入されていた。モノクロ写真が途中からカラー写真に切り替わっていくのが時代の流れを感じてしまう。
滋さんの描いた水彩画や油絵の写真もいくつか載っていた。その中でもやはり目を引いたのは向日葵を背景に笑顔の白いワンピース姿の津紀子さんを描いた色鮮やかな油絵だった。黄色い絵の具をふんだんに使っていて、滋さんにとって津紀子さんは月であり太陽だったのだろう。
アルバムの最後の写真は、加奈子さんが高校に入学した時記念に写真館で撮影した家族五人の写真だった。新品の高校の制服を身に包み、長い髪を背中まで伸ばしたすらりとした正統派美少女といった風情の加奈子さんを中心に、両脇に津紀子さん似の中学校の制服姿の千賀子さん、小学生ながらおっとりとした雰囲気の紺のワンピース姿の真由子さん、その後ろにお揃いで仕立てたようなスーツ姿の両親が立っていて皆幸せそうに微笑んでいる。ただし、それまでずっと健康そうだった滋さんの頬がこけ、すっかり痩せてしまっていた。
匠の話によるとこの後滋さんは胃ガンで亡くなってしまうのか、そう思ったら、突然涙が込み上げてきた。こんなにも仲の良い一家の父親がいきなり死去したらその衝撃は大きかっただろう。
テーブルの上に載っていたティッシュで涙を拭いながら、私はふと違和感を覚えた。匠は母親が自分の父親を嫌っていたと言ってなかったか。しかし、ここに映っていた加奈子さんと滋さんは大層仲の良い親子であり、加奈子さんが父親を信頼している様子が写真越しに伝わってくるのだ。生前の父親を慕っていたのに、死後ヒモだのジゴロだのって父親を嫌うようになるってどのような心理なのだろう。
私は深い吐息をついた。考えたって答えなど出るはずがない。当事者ではないのだから。ただ、何らかのすれ違いで加奈子さんがそんな気持ちに陥ってしまったのだとしたら、それはとても悲しい事だとは感じた。
アルバムの裏表紙の手前のページには滋さんの亡くなった日付と津紀子さんのコメントが記されていた。
『1984年8月12日 滋さん永眠
滋さん、私がそっちに行くまであともう少し待っててね』
ここで私の涙腺が崩壊してしまった。私は一度も会った事もない津紀子さんに完全に感情移入してしまっていたのだ。駆が傍にいなくて良かった。他所のご家庭のアルバムでこんなに泣いてしまったら本気で心配されてしまう。
しばらく泣いてから再度ティッシュで涙を拭くと、アルバムをそっとダイニングテーブルの上に置いた。
気持ちが落ち着いてからソファに座り込んで考える。確かに駆と滋さんはよく似ていた。津紀子さんが駆の事を溺愛するのも無理はないと思ってしまう。なのに、駆は誠さんにも何となく似ていた。
スマホだと誠さんのサイトが見にくいので、自室に行きパソコンデスクの前に腰を下ろして、無駄に虹色に輝くゲーミングPCを立ち上げる。起動画面を見つめていたら、最近仕事が忙しすぎて、残業して帰って駆が作り置きしてくれていた夕飯を食べると即寝ていたため、平日全然FQⅢで遊べていなかった事を思い出した。私がゲームにログインしないから、私がログインした時だけ遊ぶという約束をしていた駆も、当然その間は遊べていない事になる。何だか申し訳ない気分になった。駆はクソがつくほど真面目なので、ゲームで遊びたいと内心思っていても、疲れているわざわざ私を誘ったりはできない性分なのだ。明日、時間に余裕のある時に必ずログインしようと心に誓う。
パソコンが立ち上がるなり、匠から教えてもらったurlをブラウザに入力する。先ほどの誠さんのサイトが表示された。ハワイの自然が目に鮮やかで眩しい。再度誠さんの顔写真をじっくり眺めた。
(あれ、思ったほど滋さんとは似てないかも?)
それが私の率直な感想である。確かに、滋さんと駆はよく似ているし、誠さんと駆も何となく似ているのだが。
三人の写真を並べたら親戚と思うかもしれないが、滋さんと誠さんはさほど共通点はなかった。全員目鼻立ちがくっきりした二重のイケメンという共通点はあるのだけど。
私は自分の直感を確認するために、風谷氏の写真の下に貼られていた個人ブログのリンクをクリックした。
その個人ブログは誠さんが四人のお子さんと一緒に様々なアクティビティを楽しんでいる様子がさかんにアップされているのだが、誠さんの様々な趣味の一つに写真撮影と書いてあるだけあって、ハワイの美しさが存分に伝わってくる素敵な写真だ。お子さん達と山城兄弟はいとこ同士に当たる訳だが、そのうちハーフと思われる明るい茶色の髪の二十代前半と思われる青年がどことなく匠に似ているのが、これまた不思議な気分にさせられる。
誠さん自身がカメラマンのため、あまり本人の写真はないものの、それでも時折自撮り写真もあったりして本人の顔はしっかりと確認できた。
真っ黒に日焼けしていても、確かに誠さんは駆と似ていると確認できた。滋さんの凛々しい二枚目俳優を彷彿とさせる顔立ちが駆の顔のベースではあるが、そこに誠さんのビューラーを使ったのかと思うほどきれいにカールした長いまつ毛とそこはかとなく甘い要素が付け加わった事で、駆は王子様のような優しそうな雰囲気を漂わせるようになったというのが私なりの分析である。
誠さんと加奈子さんがかつて交際していた……か……。元カレと息子が似ているのは微妙な気持ちになるかもね……正直私はそう思った。その元カレと子の父親である夫が実の兄弟なのだから似ているのも当然なのだが。
ミステリーにありがちな加奈子さんと誠さんが不貞を働いたという不謹慎な可能性も一瞬頭をよぎったものの、山城兄弟が生まれる前に誠さんは出国していると匠がLIMEに書いていたし、その可能性は極めて低そうだ。たとえ一瞬であってもこんな下種な推測をしてしまうなんて、加奈子さんに対して大変失礼である。私は深く反省した。
子の立場からすれば愛してくれない母親なんてもちろん言語道断なのだけど、加奈子さんが駆に苦手意識を持ってしまったのも仕方なかったのかもしれない……そうは思ったものの、所詮私は赤の他人であり、これ以上詮索なんてできる立場にない。後は匠に任せる事にする。
「本当にごめんね。こんな事、氷室さんにしか頼めないんだよ」
頼られると私は弱い。「しぶしぶですよー」とか軽口叩きつつ、丸一日かけて今年入社した後輩社員の仕事のフォローを行っていたのだ。
午後5時頃その日の仕事のめどが立ち私は解放されたので、いつもは平日だけの双子男児相手のキッズシッターのアルバイトを、ご両親の都合により臨時で行っているはずの駆にLIMEを入れた。
『今日の夕飯どうする?』
『オレはもうバイト終わって駅に着いたところ』
『明日作るケーキの材料をスーパーで一緒に買い物したいから、駅近のカフェで待っててくれる? コーヒー代は後から払うから』
駆が祖父の空き家の掃除に行く度、隣家に住む母の幼馴染、新井 久美子おばさんが季節の果物などの差し入れをしてくれるので、お礼にケーキを作ろうと思い立ったのである。駆には既に手伝いを頼んで了解をもらっている。
『了解。待ってます!』
こんなやり取りをしてから私は徒歩で新宿駅へと向かい、埼京線に乗って約25分で最寄り駅に到着した。駅にほど近い地元にしては珍しくお洒落なセルフオーダー式カフェへと入ると、四人掛けの席に座った駆の反対側には、私と同様に仕事帰りのように見える、グレーのパンツスーツ姿の親友の渚が座っていた。
「!?」
私はどう声を掛けようか悩みつつ二人の座っているテーブルにゆっくり歩み寄ると、私に先に気が付いた渚が「お疲れ!」と無邪気な笑顔を向けてくる。
「さっきランちゃんがここに座っているのが店の外から見えたから、声を掛けたの。いい男を紹介してよって頼んだのに、渚さんに大切な友達を紹介したら骨の髄まで吸い尽くされそうなんで嫌です、とすげなく断られちゃったよ」
それを聞いた駆はあははと苦笑している。なんだか二人とも、以前に比べて親しさが増したような雰囲気だった。
「そ、そうなんだ……」
私はそう言いながらカフェテーブルに乗っている二つのカップをちらりと見た。駆のカップは空だったが渚のカップのコーヒーはほとんど減っていなかったので、さっき来たというのは間違いないのだろう。
駆は私の彼氏という訳ではないからやきもちを焼いても仕方ないのだが、同性の目から見ても魅力的な渚――しかも最近彼氏と別れたばかりだ――と一緒だとなんだかもやもやする。背の高い駆が渚の好みとはずれていると分かっていてもだ。
「私もなんか頼む!」
理不尽極まりないこの気持ちを収めるために、渚の隣の椅子にショルダーバッグを置くと、キャラメルラテを頼むべくカウンターへと向かったのだった。
当初は近所のスーパーで買い出しをしてから駆が夕飯を作る予定だったのだが、渚の予定外の乱入により急遽近くのイタリアン系居酒屋で食事をする事となった。
居酒屋はイタリアの国旗、緑・白・赤の色をモチーフとした内装で、壁面にはワインボトルがぎっしりと並んでいる。カンツォーネが流れる店内は土曜の夜だけあって主に女性客でかなり混雑していたものの、幸い三人座れる席が一卓だけ残っていた。
卓上のタブレットで飲み物を頼む時渚と私は赤のハウスワインをデキャンタで選んだのだが、駆はノンアルコール飲料ではなくカンパリオレンジを選んだ。私は驚いて
「あれ、君、もうアルコールは大丈夫なの?」
と念のため確認する。
去年の12月、駆は所属していたテニスサークルのクリスマスパーティで、飲んでいたカクテルに大量のウォッカをこっそり混ぜられ不覚にも泥酔してしまい、その姿をSNSにアップされるというアルハラを受け退部したのだが、それ以来酒は一切飲んでいないと聞いていたからだ。
駆はこう答えた。
「前に兄さんと食事をした時お酒を勧められたから断ったんだけど、事情を話したら兄さんが、一歩間違えれば傷害罪だし、そうなったら間違いなく廃部だったぞって激怒してくれて。アルファさんも前怒ってくれたけど、身近な人達がオレのために怒ってくれた事が本当に嬉しかった。あの時からずっと引きずっているのがバカバカしく思えてきて……」
それから小さく微笑んでみせる。
「それ以来きちんと向き合おうと思って、トラウマについてあれこれ調べちゃったよ……」
その後、事情を知らない渚にアルハラの件を簡単に説明する。渚もぷりぷり怒り始めた。
「バッカじゃないのっ!? 今時大学だってアルハラに煩いのにあり得ない! でもそういう事されると、こっちは全然悪くないのに暫く引きずっちゃうよね~」
「うん、入学時オリエンテーションでもちゃんと注意されたはずなんだけどね……。サークルを退部するとき、強要してないし、一気飲みでもない、ただのイタズラの範疇じゃないか、オレが怒るのがおかしい、心が狭い、みたいな皆の反応がかなりショックだったんだよ……」
駆がしょんぼりする。
「ほんと、幼いよね」
かつて大学のアナログゲーム同好会部長だった私は、そのテニスサークルのリスクに対する意識の低さに改めて呆れてしまう。駆が泥酔で済んだから救急車を呼ばずに済んだものの、万が一急性アルコール中毒を発症していたら、兄の匠はもちろんの事、父親だって部員達を絶対に許さなかっただろう。駆は父親や兄が警察官である事を周囲に伏せていたそうだが、学生達のあまりにも無自覚で迂闊な行為に私は目眩を覚えてしまう。
「まあ、飲むのは全然構わないけど、絶対に無理はしないでね」
私は一応くぎを刺しておく。すると駆は神妙な顔で頷いた。
「ありがとう。気を付けるよ」
その後早速飲み物が運ばれてきたので三人で乾杯する。駆はカンパリオレンジを恐る恐るちびちびと飲んだ後、「リラックスしていれば全然平気みたい」とほっとしたように笑顔を見せた。それから私達は前菜盛り合わせやフライドポテト、カチャトーラ、大盛ペペロンチーノ、生ハムのピザなどを次々にタブレットに入力していく。
最初に前菜盛り合わせが到着した。渚は小皿に取り分けたタコのカルパッチョを力を込めてフォークで突き刺しながら、いい男が全然見つからない事を愚痴ってきた。前の彼と別れてからまだ一ヶ月弱なのだから仕方ないと思うのだが、もう既に三回合コンをやっていたらしい。コンサル業務で激務のはずなのに、びっくりするほどタフである。
「ナギさんの求める男性の条件が厳しすぎるんだよ」
私が赤ワインを飲みながら突っ込みを入れた。
「背は高すぎず、精神年齢が高くて、教養もあって、本を一杯読んでいて……だっけ?」
「顔は全然拘ってないよ。収入もね。ただし、男尊女卑だけは死んでもお断り!!!」
渚は力説する。
「そんなに条件厳しくないと思うのに、どうして見つからないんだろう」
いや、十分厳しいと思うけど。私は内心で突っ込んだ。
「本を一杯読んでいるっていう条件が意外にハードル高いんじゃないのかな」
アルコールが入って舌が滑らかになった駆が口を挟んでくる。
「オレは家でマンガやゲームが禁止されていたから暇つぶしに本は結構読んでいたけど、今ってスマホさえあればいくらでも退屈しのぎができちゃうでしょ。ゲームに動画にSNS……だから友達でも読書好きって数えるほどしかいないよ」
「そうなんだよね」
渚は腕組みをして、うんうんと頷いた。
「その条件を満たしやすいはずの、私が所属していた文芸サークル関係のコミュニティって残念ながら狭くて……誰それの元カレがごろごろしてるから、そこで探すのは躊躇しちゃう」
「その界隈には渚の元カレもごろごろしてそう」
私は次に到着したフライドポテトを指でつまみながら笑った。渚は答える代わりに大袈裟に肩をすくめてみせる。
「なら、小説家の卵や博士課程の人とかどうかな?」
駆なりに渚の提示する条件から真剣に考えたらしく、そう提案してきた。
「渚さんバリバリ稼いでるし、才能を発掘して開花させるっていうのもいいかもしれないよ」
「なるほど! それもありかもね! リーマン狙うよりもいいかも?」
意外にノリノリである。
そんな渚に、駆がふと思い立ったのかこんな話をし始めた。
「ちなみにオレの母方のおじいさんって、働くのが大嫌いで、日がな一日、趣味の絵描いたりレコード聞いてだらだらと過ごしていたらしいよ。大黒柱はおばあさんの方でね。一応子育てだけはしていたから、かろうじてヒモやニートではないんだけど」
それを聞いた渚が盛大に吹き出す。
「え、本当に? おじいさん随分優雅な生活送ってたんだね? 戦前の高等遊民みたいな感じ? おばあさんはそれでOKだったんだ? 面白そう、詳しく聞かせてよ!」
興味津々の渚に促され、アルコールでほのかに頬を紅潮させた駆は祖父母の馴れ初め話を披露し始めたのだった。
駆の祖母、津紀子は岩手の不動産屋の跡取り娘で、東京オリンピック開催前に東京のとあるミッション系女子大に進学したのだが、勉学を修めるというより、優秀な婿を見つけてくるのが主な目的だったようだ。だから真面目な女学生とはとても言い難かったようで、ある時たまたま遊びに行った銀座の裏路地で、若い男が二人の暴漢にぼこぼこにされているところを目撃。機転を利かせて暴漢達を追っ払ったらしい。それが後のおじいさんの滋だった。今回私も初めて知ったのだが、実はおじいさんの本名は滋ではなく景滋なのだが、戦国武将を連想させるような立派な名前をおじいさんが嫌っていて、銀座ではずっと滋と名乗っていたとのこと。
「おじいさんは端正な顔立ちの二枚目だったから、物凄く女性からもてたんだって。そのせいで同性からはだいぶ恨みを買ったみたいだね。そうやってしょっちゅう絡まれていたらしい」
駆はいつもと違って淀みなくしゃべっているが、その祖父と自分がよく似ているとは渚には言わなかった。イケメンの祖父と自分が似ていると言うのは恥ずかしかったのだろう。渚は前のめりで尋ねた。
「じゃあ、そこから二人のラブロマンスが始まったんだね?」
すると、うーん、と駆は微妙な表情となり首をひねった。
「何せおじいさんは銀座でも有名なモテモテの遊び人で、一方おばあさんは平凡な田舎娘だったから、最初は全くそんな雰囲気じゃなかったみたいだよ。怪我から回復したおじいさんはお礼のつもりでおばあさんを行きつけのジャズ喫茶に連れて行ったんだけど……おばあさんときたらおじいさんの事なんてそっちのけで、流れていたレコードの音楽に夢中になっちゃって、その無邪気な様子に逆にぐっときちゃったらしいって聞いてる」
「いいじゃん、いいじゃん、どんどん続けて!」
こういう心ときめくような恋バナは渚の大好物なのだ。私も続きが聞きたくなった。
駆は驚いたように目をぱちくりさせたものの、咳払いをしてから更に続けた。
「そんな遊び人のおじいさん、実は旧華族の三男坊だったんだけど家は戦後の財産税って言うんだっけ? そのせいで戦前所有していた財産のほとんどを手放さざるを得なくて、子沢山の家庭だったのに跡継ぎの長男以外は穀潰し扱いされていて、すっかりぐれてたみたい。大学にも碌に行ってなかったようだし」
話に夢中になっている私達は、うんうん、と頷き先を促す。
「絵を描くのが好きだったのに、美大への進学を認めてもらえなかったという挫折感が大きかったんだろうねっておばあさんは言ってた。でも困った事に働く事も嫌いだったから、アルバイトは一切せずに、勝手に入れ込んでくる年上の女性達からちゃっかりお小遣いもらってそれを元手に銀座で遊んでたらしいってさ」
駆はそう言ってからふふっと笑った。
「すごいっ!」
渚が驚愕の声を上げた。
「今で喩えたらホストクラブのナンバー1とかだよね?」
「えー、でもホストって営業掛けたり、お客さんをちやほやしたり、とにかくまめなんでしょ? うちのおじいさんは怠惰な人だったみたいだから、そういう事は絶対に無理なんじゃないかな」
とその孫は笑顔で容赦なく一刀両断してくる。私達はその言い方に大受けした。
「来るもの拒まず去るもの追わずってタイプだったみたい。おばあさんに出会うまでは気怠く惰性で生きてたみたいだよ。もっともそうなってしまったおじいさんの気持ちはなんか分かるな…………」
駆は最後の方は呟くように語った。駆自身はとても勤勉なタイプなので、おじいさんに共感を寄せるのはなんだか意外に感じる。
「それでそれで、おじいさんはおばあさんにどんな風にアプローチしたの?」
渚が目をキラキラさせながら続きを催促してくる。駆は熱心に尋ねてくる渚に多少たじろぎつつ続けた。
「ええと……おばあさんはすっかりそのジャズ喫茶が気に入ってしまって通い詰めるようになったんだけど、当然常連のおじいさんと頻繁に顔を合わせるようになって。おばあさんが実は東京で婿探しをしているって事をたまたま知ったおじいさんが、積極的に自分を売り込んでいったみたい。『僕を君のお婿さんにして』ってね」
「キャー、素敵!」と渚が両指を組んだ。目がすっかりハートになっている。だが駆は首を振った。
「でも、おばあさんはいたって冷静だったんだ。田舎は本当に不便だから、おじいさんのようなお坊ちゃまが来るところじゃないって断ったんだよ」
私達は意外な展開に息を呑む。駆は当時の状況を説明してくれた。
「昭和40年代初頭って、うちの地元じゃ田んぼばかりで下水道とか全然普及していなかったそうだし、舗装されていない道路なんてざらだったってさ。便利な東京とは全然違ってたんだよ」
「まあ、そうだろうね……」
私は当時の時代背景を思い起こしながら相槌を打つ。高度経済成長期、今以上に東京と地方格差は大きかったのだろう。
「でもおじいさんは全くめげずにおばあさんに、自分を婿にするメリットをプレゼンし続けたんだってさ。自分は金は全くないが、親のコネならあるって」
そう言ってから駆はおじいさんがおばあさんを懸命に口説く様子を想像したのか、目を細め柔らかく微笑んでみ見せた。
「これぞ愛だね~。怠惰な人間にそこまでさせるとは」
渚がにまにました。駆がそうだね、と頷く。
「熱烈なラブコールに困り果てたおばあさんはついに父親に相談したんだって。そしたら…………」
駆はここで一息つくと、カンパリオレンジをぐいと飲んだ。
「住環境はなんとでもしてやるから、絶対に正式な結婚までこぎつけろと言われたらしい」
「なんとでもしてやるとは豪胆だね」
感心したように渚が言った。私も同意する。
「さすがディベロッパー。スケールが違うわ」
地元のインフラ工事を担っているようなディベロッパーの社長でなければ、とてもそんな事は言えなかっただろう。ここで駆が補足する。
「オレからするとひいおじいさんに当たる人は東京進出が長年の夢だったらしくて、おじいさんの持つコネは一騎当千だからって事らしい」
この時、私は疑問に思った事を口にした。
「これだけアプローチされてもおばあさんは消極的だったんだね?」
「うん、そうなんだよね……」
駆はこくりとした。
「その当時のおばあさんにとっておじいさんはアイドルというか、高嶺の花の存在で、遠くから眺めてさえいれば満足だったみたい。なのに、そんな『推し』がいきなりぐいぐい来たから青天の霹靂っていうか、何が我が身に起こっているの!? って気持ちだったみたいだよ」
「なるほど、そんな感じだったのか」
私は納得する。
「なんだかそれこそ少女漫画みたいだよね」
すると駆はくすっと笑った。
「まあ、おばあさんだって本心はまんざらじゃなかったみたいだし、実家からGOサインが出された後は二人の仲はトントン拍子だったって」
「やったー!」
渚が両手を上げた。
「これでやっとハッピーエンドだね!」
だが、駆は大袈裟に首を振ってみせた。
「ところが…………いざ親を巻き込んで正式な結婚話を進めようとなった時、今度はおじいさんの実家が反対してきたんだよ。散々穀潰しとか言ってたくせに、婿として高く売れると気が付いた途端手放すのが惜しくなってしまったみたいで」
「うっわー、最低!」
渚も口が悪い。駆は苦笑する。
「だって考えてみて。あっちからすればよりによって東北の、しかもどこの馬の骨とも知れないような商家と、旧華族の縁談なんだよ。釣り合わない、家柄が違いすぎるって考えるのも仕方なかったんだ」
時代錯誤だと言いたかったけど、ふと考えてみるとその当時で戦後二十年ほどか。そういう偏見はまだまだ残っていたのだろう。
駆は小さくため息をついてから続けた。
「おばあさんは最悪あっちの家に認められなくてもって考えたみたいだけど、ひいおじいさんとおじいさんが踏ん張ったみたい。ひいおじいさんは当時としては破格の結納金と、それにプラスして東京のお屋敷の修繕費用の肩代わりを提案して、おじいさんも親から認められた結婚という形にして、何とかして山城家にコネをもたらそうとそれは奮闘したんだって。おじいさんはここで一生分働いちゃったんだねっておばあさんはいつも笑ってたっけ」
駆がそう言いにっこりと微笑む。
この時、ペペロンチーノと生ハムのピザが卓上に置かれたので、話をいったん中断し、食べるのに専念する。
「結婚までが大変だったんだね~」
ペペロンチーノを食べてから渚がしみじみと呟く。一方生ハムの味を堪能しつつピザを食べていた私は思わずこう言ってしまった。
「おじいさん……なんだか親に売られたみたいだね……」
「うん、実際そんな感じ」
既に自分の分を食べ終えていた駆は眉をひそめた。
「あっちの家は山城家を蔑んでいたくせに、結納金と修繕費用に目がくらんでおじいさんを婿に出した訳だけど、周囲にはこの結婚はあくまで二人の自由恋愛の結果で、それを認めてあげた自分達は物わかりの良い親みたいに吹聴してたみたいだよ。呆れちゃうよね」
うへーと渚が声を上げた。
「身分制度のあった戦前ならまだしも……」
「オレの母さんなんて、たまにおじいさんの実家に顔を出しても、外孫だからなのかいつも塩対応で感じ悪かったって怒ってたし」
「そっか……孫の扱いすらそんな感じだったんだ……。屋敷を修繕までしてもらったのに……。でも山城不動産の商売的にはメリットはあったんだよね?」
私はおじいさんの実家側の理不尽な扱いに腹を立てつつ尋ねた。駆にしては珍しくシニカルな笑いを浮かべる。
「そうだね、ひいおじいさんのかねてからの念願だった東京進出を果たして、田舎の一企業でしかなかった山城不動産は著しく成長したみたいだから」
しかし、その後表情が一転しにこっと笑ってみせた。
「でも、おじいさんとおばあさんは幸せだったんだから、それはそれで良かったんじゃないかなとオレは思ってる」
「そう言えば、おばあさん、おじいさんに働けって言わなかったの?」
渚が手を小さく挙げて質問すると、駆はくすくす笑い始めた。
「あ、さっき言い忘れてたけど、おじいさんがおばあさんに婿にしてって迫った時、同時に一生絵を描いて過ごしたいって言ってたんだってさ。おじいさんは確かにモテモテだったみたいだけど、あの時代にそんな戯けた事言うような怠け者を敢えて婿にしようだなんて奇特な人はさすがにいなかったみたい。おばあさんは全て分かってて、自分が稼ぐからっておじいさんを受け入れたんだよ」
「おばあさん、若いのに懐が深かったんだ! 男が稼ぐのが当然の時代だったのにね」
渚が感激したようだった。
「いいな~わたしもそういうでっかい女になりたい~」
そして、卓上のデキャンタからワイングラスにワインを注ぐとぐいっとあおる。
「そのためにも是が非でもいい男ゲットしなくちゃ!」
と鼻息荒く気勢を上げる渚を、駆と私で大いに激励したのだった。
実はこの話を聞いた時、私は自分の心に問いかけていた。自分なら働きたくないなんて言ってしまう男性を受け入れられるだろうか? いや、無理だ。一時的に病気や怪我で働けない時は懸命に支えるとしても、最初から働かないと断言している男性と結婚するリスクを引き受ける度量は私は持ち合わせていないようだった。でも、将来の夢のために真剣に学びたいと願う男性なら……それは全力で支えてあげたい。
私はワインの残りをちびちび飲みながら、テーブルに向かい合わせに座っている駆の顔をちらっと盗み見た。相当量酒を飲んでも顔色の変わらなかった兄の匠と違って顔がすっかり真っ赤になっているものの、心からリラックスした様子ですっかり相好を崩している。そういえば去年の夏開催されたFQⅢのオフ会でも、こんな感じで楽しそうにお酒を飲んでいたなという事を思い出した。私の中では俯き加減の駆がデフォになっていたけど、サークルでのアルハラ事件と、その直後の留年そして父から勘当を言い渡された事がいかに駆の心に影を落としていたのかという事に思い至り、胸が締め付けられるような気持ちになった。しかし駆は自分の力でしっかり立ち直ろうとしている。その力強さにすっかり惹かれている事を改めて気づかされたのだった。
私達は渚と居酒屋の前で別れると、深夜まで営業している近所のスーパーに一旦立ち寄り、明日作る予定のケーキの材料や道具などをどっさり購入した。
帰宅してからスマホを確認したところ、匠からLIMEが送られてきていた。東京に住んでいる叔母さんとわざわざ会って両親の事情を聞いてくれたらしい。駆は今入浴しているので、私はソファにあぐらをかいて座り込むと匠のトークを読み始めた。
『おばさんからの聞き込みは無事完了!』
匠からのLIMEはその文章から始まっていた。
『とりあえず判明した事は、両親が結婚する前、母と交際していたのは父の二番目の兄貴、誠だったって事だけ』
『誠伯父は若い頃に日本を出国し今はハワイに永住している。自分やかーくんは会ったこともない人物』
『これ以上はおばあさんから聞き出さないと分からない。引き続き調査は続ける。以上ご報告まで』
最後は『よろしくお願いします!』という無料スタンプで締め括られていた。
私はそれに対し、ひっそりぐらしのスタンプを使った。ピンクのみにぶたが『お疲れ様!』とカップを差し出しているものだ。それから思いついたことをぽつりぽつりと入力していく。
『その誠伯父さんってどんな人物だったのかな』
『両親との間に何らかの確執はありそうだよね?』
『交際の件と出国は無関係なのかな?』
そこまで投稿してから、一旦立ち上がり冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出すと、グラスに麦茶を注いで一気に飲み干す。その時ふと閃いた。エゴサじゃないけど、誠伯父さんのフルネームをネットで検索すれば良いのではないだろうか。ソファに戻って、スマホを再び握りしめると
『フルネームで検索かけたら、もしかして出てきたりするかも?』
と入力してから、水色のてでぃべあが手を振って『頑張ってね!』というスタンプを送信する。
すると即
『分かった、確かにその通りだ。検索かけてみる!』
と返ってきて、『頑張る!』という無料スタンプが送られてきたのだった。
検索には少し時間が必要だろうと思い、私は手元にあるリモコンでテレビの電源を入れた。番組表をさっと眺め、百名山の登山を扱ったBSの番組を選んだ。登山なんて運動が嫌いな自分には一生無縁だと思うけど、どういう訳か登山や過酷な山岳レース番組を見るのは大好きなのだ。
大きなバックパックを背負った番組のナビゲーターが登山ガイドと一緒に、雄大で美しい緑の稜線を歩いていくのをぼうっと眺めていたところ、匠から更なるLIMEが届いた。
『伯父のサイト発見!』
という文字とともにurlが貼り付けられている。私は
『見てみるね!』と入力して、そのurlをタップしてみたのだった。
匠が教えてくれた伯父さんのサイトとは、何とハワイの日本人観光客向けのオプショナルツアー会社のものだった。トップページには社長として『風谷 誠』氏の写真が掲載されている。山城兄弟のお父さんは婿養子だと聞いているけど、元々の苗字が風谷なのか。
誠さんは真っ黒に日焼けしたイケオジだった。恐らく五十代なのだろう、目尻に深い笑い皺が刻まれているものの人好きしそうな笑顔を浮かべた、いかにも女性からモテそうな人物である。カールした長いまつ毛がとても印象的で、顔立ちが匠ではなく駆に何となく似ている。そりゃ伯父さんなのだから当然だよね、と思ってから気が付いた。駆は母方のおじいさんに似ているはずだ。私の頭の中では疑問符がいくつも浮かんだ。駆は母方のおじいさんにも似ていて、なおかつ父方の伯父さんにも似ているという事なのかな? おじいさんの写真でも見せてもらえればその辺は明らかになりそうだけど。
私がしきりに首を傾げている時、洗面所兼脱衣所を出た駆がリビングダイニングにやって来た。上下グレーのスポーツブランドのスウェットの駆はタオルで髪を拭いているが、ベリーショートなのでそれだけで簡単に乾いてしまうらしい。毎朝ドライヤーと格闘している私からすると本当に羨ましい限りだ。
頭にタオルを載せたままキッチンの冷蔵庫のドアを開けたので、私はその背中に向かって尋ねた。
「ねえ、君のおじいさんの写真って持ってない?」
「おじいさんの写真?」
駆が麦茶の入ったポットを持ったまま振り返った。
「さっきの馴れ初め話で気になっちゃった。君に似てるんでしょ。もしも持ってたらと思って」
と理由を説明する。気になっているのは事実だ。
駆はキッチンカウンターに食器棚から取り出したグラスを置くと、麦茶を注ぎながら答えた。
「なくはないよ……でも見せるのはちょっと恥ずかしいかな……」
「恥ずかしい?」
私は首を傾げた。恥ずかしい写真ってどんな写真なんだろう?
すっかり素面になりいつも通りに戻った駆は俯き加減にしばらくもじもじしていたが、意を決したように顔を上げた。
「分かった、今持ってくる」
そう言って自室に向かった。数分後、横長でやたら分厚いきちんと製本された青いアルバムを抱えて戻ってきた。表紙には英語のタイトル、"Fly Me To The Moon"と金色の文字が箔押しされていた。
「これだよ……念のため断っておくと、アルファさんだから見せるんだからね……」
気恥ずかしそうな顔の駆はその分厚いアルバムを開いて、最初のページを私に見せた。
それは往年の映画スターかと見紛うばかりの二枚目な青年の、かなり大きなバストアップのモノクロ写真だった。左分けにした長めの前髪に、眉はきりりと整えられ、目はぱっちりとしていて、高い鼻、形の良い唇に柔和な笑みを浮かべている。ブレザーにボタンダウンのシャツ、細めのネクタイを着用しているので、これはまさしく60年代アイビールックだ。
いや、確かにおじいさんは駆によく似ている。写真の下には『1965年 滋さん。私の一番お気に入りの写真』というキャプションまで添えられている。1965年ということは、東京オリンピック開催の翌年だ。
「おじいさん、マジでイケメンじゃん!」
私は思わず叫んでしまった。そしてご丁寧にキャプションが付けられているあたり確かにこれは恥ずかしい。
これは駆のおばあさんが作った愛のメモリアルアルバムだった。一年ほど前、自費出版の会社から「ご家族のアルバムを作ってみてはいかがですか?」と営業をかけられたおばあさんが金に糸目をつけずノリノリで作ってしまい、親族一同に配ったものだそうだ。
ちなみにお母さんはそれを見て切れたらしい。「こんな趣味丸出しのものを大枚はたいて作った上にバラまくなんて!」とおばあさんに怒ったそうだが、おばあさんはどこ吹く風と娘の説教を聞き流したそうだ。
「すごいね! 他のページも見ていい?」
すっかり興奮してしまった私は駆に確認する。駆は苦笑いを浮かべつつ、頷いた。
「どうぞ。見終わったらテーブルの上に置いておいてくれれば後で片づけるから」
「了解! じゃ、お休み!」
「はい、お休みなさい! アルファさんもほどほどにね!」
駆はそう言い残すと、麦茶の入ったグラスを持って自室にすっと引っ込んでしまう。
一緒に見たかったけど、全ページに先ほどのようなコメントが付いているのだとしたら、身内としては――さらにそのおじいさんとよく似た駆としては居心地が悪いだろう。
私は駆のおじいさんの顔を確認するという当初の目的から既にずれている事は気が付きつつも、そのアルバムのページをめくらずにはいられなかった
最初のページに戻ると、下には滋さんの簡単なプロフィールが記載されていた。○○伯爵家の三男 景滋 1943年6月10日誕生、だそうだ。1943年というと太平洋戦争真っただ中だ。○○伯爵家をスマホで検索したところ、元々は西日本の大名家だった。史学科卒の私にとって何となく聞き覚えのある家名であり、同時に私のような庶民には全くご縁のない立派な家柄でもある。
次のページからは暫く滋さんの幼少時の写真が続いた。節目ごとにきちんと写真館で写真を撮っていたのだろう。生後間もなくの両親との写真から始まり、制帽にボタンが内側に収められた学ラン、半ズボンを身に着けた小学校入学時の写真。同じようにボタンの出ない学ランの中学、高校の写真。すべて背筋がぴんと伸びている。冒頭の写真とは異なり、カメラを見つめる表情は非常に固いものだった。
その後、白いチェックのシャツに細いネクタイ、バミューダショーツという典型的な60年代アイビールックをばっちり決めた滋さんがバーテーブルに肘でもたれかかり、タバコをくゆらせている全身像の写真だった。こちらは目を細めすっかりリラックスしているような表情である。もしかして東京オリンピック前、銀座のみゆき通りを闊歩していたという『みゆき族』などと呼ばれていた若者の一人だったのかもしれない。
その次はすっかり黄ばんでしまったハガキの裏面で、ブルーブラックの万年筆で綴られている。目を凝らして解読してみると、
『つきちゃんへ
君がいない東京は本当に寂しい。
両親が働け働けと毎日うるさいので、仕方なく最近銀座の××画廊で受付のアルバイトを始めました。
といっても全然お客さんが来なくて暇なので、これを書いてます。
一刻も早く君に会いたい。
滋より』
と書いてあって、満月を見上げて泣いている可愛らしい兎の絵が描き添えてある。キャプションには『1966年5月 滋さんからのハガキ』と添えられていた。
それから結納の時の両家の記念写真や改修されたばかりらしい○○家の立派な邸宅の写真などが続いたのだが、そこには長めのキャプションが綴られていた。
『1966年12月結納 ここに至るまでが本当に大変な道のりでした。お父さん、私達のために尽力して下さってありがとうございました』
次は立派な屏風の前で白無垢、綿帽子姿の津紀子さんと、黒紋付袴姿の凛々しい滋さんの結婚写真だった。古いけど立派な木造の民家の広い座敷で撮影されたようだ。きっとここが山城家の本家なのだろう。
『1967年5月4日 待ちに待った結婚式』というキャプションが付いている。新郎新婦とも多少緊張しつつも笑顔だった。その下には両家の集合写真も掲載されている。
それからは新婚旅行の写真が数ページにわたって続いていた。キャプションによると撮影した場所が熱海、名古屋、京都、大阪と転々としているので、少し前に開通した東海道新幹線を使ってあちこち旅行したのだろう。身長の高い滋さんはすべてオーダーメイドと思われる高級そうな細身の三つボタンのスーツに身を包み、小柄な津紀子さんはサイケデリックとでも言うのだろうか、派手な幾何学模様の柄のミニスカートのワンピースを着ている。津紀子さんは意志が強そうな瞳の印象的な、当時流行りのショートカットが似合っているキュートな女性だった。二人とも幸せな新婚さんらしくしっかり寄り添って手を繋ぎ、満面の笑みを浮かべている。
その次のページは山城夫妻と生後間もなくの赤ちゃんの記念写真が続いた。『1968年10月 加奈子誕生』『1970年5月 千賀子誕生』『1973年11月 真由子誕生』とキャプションがある事から、夫妻の三人の娘達だった。長女の加奈子さんが山城兄弟のお母さんという事になる。端正な顔立ちの父親に似て子どもながら目鼻立ちのしっかりしたきれいな赤ちゃんだった。
それからしばらく撮影者が津紀子さんなのか、滋さんと娘さん達の仲の良さそうなスナップ写真が続いていく。滋さんがキャンバスやスケッチブックに向かって娘達の絵を描いている写真や、リクライニングチェアに座って目を閉じてレトロな家具調ステレオでレコードを聴いているような写真なども挿入されていた。モノクロ写真が途中からカラー写真に切り替わっていくのが時代の流れを感じてしまう。
滋さんの描いた水彩画や油絵の写真もいくつか載っていた。その中でもやはり目を引いたのは向日葵を背景に笑顔の白いワンピース姿の津紀子さんを描いた色鮮やかな油絵だった。黄色い絵の具をふんだんに使っていて、滋さんにとって津紀子さんは月であり太陽だったのだろう。
アルバムの最後の写真は、加奈子さんが高校に入学した時記念に写真館で撮影した家族五人の写真だった。新品の高校の制服を身に包み、長い髪を背中まで伸ばしたすらりとした正統派美少女といった風情の加奈子さんを中心に、両脇に津紀子さん似の中学校の制服姿の千賀子さん、小学生ながらおっとりとした雰囲気の紺のワンピース姿の真由子さん、その後ろにお揃いで仕立てたようなスーツ姿の両親が立っていて皆幸せそうに微笑んでいる。ただし、それまでずっと健康そうだった滋さんの頬がこけ、すっかり痩せてしまっていた。
匠の話によるとこの後滋さんは胃ガンで亡くなってしまうのか、そう思ったら、突然涙が込み上げてきた。こんなにも仲の良い一家の父親がいきなり死去したらその衝撃は大きかっただろう。
テーブルの上に載っていたティッシュで涙を拭いながら、私はふと違和感を覚えた。匠は母親が自分の父親を嫌っていたと言ってなかったか。しかし、ここに映っていた加奈子さんと滋さんは大層仲の良い親子であり、加奈子さんが父親を信頼している様子が写真越しに伝わってくるのだ。生前の父親を慕っていたのに、死後ヒモだのジゴロだのって父親を嫌うようになるってどのような心理なのだろう。
私は深い吐息をついた。考えたって答えなど出るはずがない。当事者ではないのだから。ただ、何らかのすれ違いで加奈子さんがそんな気持ちに陥ってしまったのだとしたら、それはとても悲しい事だとは感じた。
アルバムの裏表紙の手前のページには滋さんの亡くなった日付と津紀子さんのコメントが記されていた。
『1984年8月12日 滋さん永眠
滋さん、私がそっちに行くまであともう少し待っててね』
ここで私の涙腺が崩壊してしまった。私は一度も会った事もない津紀子さんに完全に感情移入してしまっていたのだ。駆が傍にいなくて良かった。他所のご家庭のアルバムでこんなに泣いてしまったら本気で心配されてしまう。
しばらく泣いてから再度ティッシュで涙を拭くと、アルバムをそっとダイニングテーブルの上に置いた。
気持ちが落ち着いてからソファに座り込んで考える。確かに駆と滋さんはよく似ていた。津紀子さんが駆の事を溺愛するのも無理はないと思ってしまう。なのに、駆は誠さんにも何となく似ていた。
スマホだと誠さんのサイトが見にくいので、自室に行きパソコンデスクの前に腰を下ろして、無駄に虹色に輝くゲーミングPCを立ち上げる。起動画面を見つめていたら、最近仕事が忙しすぎて、残業して帰って駆が作り置きしてくれていた夕飯を食べると即寝ていたため、平日全然FQⅢで遊べていなかった事を思い出した。私がゲームにログインしないから、私がログインした時だけ遊ぶという約束をしていた駆も、当然その間は遊べていない事になる。何だか申し訳ない気分になった。駆はクソがつくほど真面目なので、ゲームで遊びたいと内心思っていても、疲れているわざわざ私を誘ったりはできない性分なのだ。明日、時間に余裕のある時に必ずログインしようと心に誓う。
パソコンが立ち上がるなり、匠から教えてもらったurlをブラウザに入力する。先ほどの誠さんのサイトが表示された。ハワイの自然が目に鮮やかで眩しい。再度誠さんの顔写真をじっくり眺めた。
(あれ、思ったほど滋さんとは似てないかも?)
それが私の率直な感想である。確かに、滋さんと駆はよく似ているし、誠さんと駆も何となく似ているのだが。
三人の写真を並べたら親戚と思うかもしれないが、滋さんと誠さんはさほど共通点はなかった。全員目鼻立ちがくっきりした二重のイケメンという共通点はあるのだけど。
私は自分の直感を確認するために、風谷氏の写真の下に貼られていた個人ブログのリンクをクリックした。
その個人ブログは誠さんが四人のお子さんと一緒に様々なアクティビティを楽しんでいる様子がさかんにアップされているのだが、誠さんの様々な趣味の一つに写真撮影と書いてあるだけあって、ハワイの美しさが存分に伝わってくる素敵な写真だ。お子さん達と山城兄弟はいとこ同士に当たる訳だが、そのうちハーフと思われる明るい茶色の髪の二十代前半と思われる青年がどことなく匠に似ているのが、これまた不思議な気分にさせられる。
誠さん自身がカメラマンのため、あまり本人の写真はないものの、それでも時折自撮り写真もあったりして本人の顔はしっかりと確認できた。
真っ黒に日焼けしていても、確かに誠さんは駆と似ていると確認できた。滋さんの凛々しい二枚目俳優を彷彿とさせる顔立ちが駆の顔のベースではあるが、そこに誠さんのビューラーを使ったのかと思うほどきれいにカールした長いまつ毛とそこはかとなく甘い要素が付け加わった事で、駆は王子様のような優しそうな雰囲気を漂わせるようになったというのが私なりの分析である。
誠さんと加奈子さんがかつて交際していた……か……。元カレと息子が似ているのは微妙な気持ちになるかもね……正直私はそう思った。その元カレと子の父親である夫が実の兄弟なのだから似ているのも当然なのだが。
ミステリーにありがちな加奈子さんと誠さんが不貞を働いたという不謹慎な可能性も一瞬頭をよぎったものの、山城兄弟が生まれる前に誠さんは出国していると匠がLIMEに書いていたし、その可能性は極めて低そうだ。たとえ一瞬であってもこんな下種な推測をしてしまうなんて、加奈子さんに対して大変失礼である。私は深く反省した。
子の立場からすれば愛してくれない母親なんてもちろん言語道断なのだけど、加奈子さんが駆に苦手意識を持ってしまったのも仕方なかったのかもしれない……そうは思ったものの、所詮私は赤の他人であり、これ以上詮索なんてできる立場にない。後は匠に任せる事にする。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
10月9日土曜日、私は休日出勤をしていた。参加している開発プロジェクトのスケジュールが一部遅延しており、そのサポートのために直属の上長から頭を下げられての出勤だった。
「本当にごめんね。こんな事、氷室さんにしか頼めないんだよ」
頼られると私は弱い。「しぶしぶですよー」とか軽口叩きつつ、丸一日かけて今年入社した後輩社員の仕事のフォローを行っていたのだ。
「本当にごめんね。こんな事、氷室さんにしか頼めないんだよ」
頼られると私は弱い。「しぶしぶですよー」とか軽口叩きつつ、丸一日かけて今年入社した後輩社員の仕事のフォローを行っていたのだ。
午後5時頃その日の仕事のめどが立ち私は解放されたので、いつもは平日だけの双子男児相手のキッズシッターのアルバイトを、ご両親の都合により臨時で行っているはずの駆にLIMEを入れた。
『今日の夕飯どうする?』
『オレはもうバイト終わって駅に着いたところ』
『明日作るケーキの材料をスーパーで一緒に買い物したいから、駅近のカフェで待っててくれる? コーヒー代は後から払うから』
駆が祖父の空き家の掃除に行く度、隣家に住む母の幼馴染、新井 久美子おばさんが季節の果物などの差し入れをしてくれるので、お礼にケーキを作ろうと思い立ったのである。駆には既に手伝いを頼んで了解をもらっている。
『了解。待ってます!』
こんなやり取りをしてから私は徒歩で新宿駅へと向かい、埼京線に乗って約25分で最寄り駅に到着した。駅にほど近い地元にしては珍しくお洒落なセルフオーダー式カフェへと入ると、四人掛けの席に座った駆の反対側には、私と同様に仕事帰りのように見える、グレーのパンツスーツ姿の親友の渚が座っていた。
「!?」
私はどう声を掛けようか悩みつつ二人の座っているテーブルにゆっくり歩み寄ると、私に先に気が付いた渚が「お疲れ!」と無邪気な笑顔を向けてくる。
「さっきランちゃんがここに座っているのが店の外から見えたから、声を掛けたの。いい男を紹介してよって頼んだのに、渚さんに大切な友達を紹介したら骨の髄まで吸い尽くされそうなんで嫌です、とすげなく断られちゃったよ」
それを聞いた駆はあははと苦笑している。なんだか二人とも、以前に比べて親しさが増したような雰囲気だった。
「そ、そうなんだ……」
私はそう言いながらカフェテーブルに乗っている二つのカップをちらりと見た。駆のカップは空だったが渚のカップのコーヒーはほとんど減っていなかったので、さっき来たというのは間違いないのだろう。
駆は私の彼氏という訳ではないからやきもちを焼いても仕方ないのだが、同性の目から見ても魅力的な渚――しかも最近彼氏と別れたばかりだ――と一緒だとなんだかもやもやする。背の高い駆が渚の好みとはずれていると分かっていてもだ。
「私もなんか頼む!」
理不尽極まりないこの気持ちを収めるために、渚の隣の椅子にショルダーバッグを置くと、キャラメルラテを頼むべくカウンターへと向かったのだった。
『今日の夕飯どうする?』
『オレはもうバイト終わって駅に着いたところ』
『明日作るケーキの材料をスーパーで一緒に買い物したいから、駅近のカフェで待っててくれる? コーヒー代は後から払うから』
駆が祖父の空き家の掃除に行く度、隣家に住む母の幼馴染、新井 久美子おばさんが季節の果物などの差し入れをしてくれるので、お礼にケーキを作ろうと思い立ったのである。駆には既に手伝いを頼んで了解をもらっている。
『了解。待ってます!』
こんなやり取りをしてから私は徒歩で新宿駅へと向かい、埼京線に乗って約25分で最寄り駅に到着した。駅にほど近い地元にしては珍しくお洒落なセルフオーダー式カフェへと入ると、四人掛けの席に座った駆の反対側には、私と同様に仕事帰りのように見える、グレーのパンツスーツ姿の親友の渚が座っていた。
「!?」
私はどう声を掛けようか悩みつつ二人の座っているテーブルにゆっくり歩み寄ると、私に先に気が付いた渚が「お疲れ!」と無邪気な笑顔を向けてくる。
「さっきランちゃんがここに座っているのが店の外から見えたから、声を掛けたの。いい男を紹介してよって頼んだのに、渚さんに大切な友達を紹介したら骨の髄まで吸い尽くされそうなんで嫌です、とすげなく断られちゃったよ」
それを聞いた駆はあははと苦笑している。なんだか二人とも、以前に比べて親しさが増したような雰囲気だった。
「そ、そうなんだ……」
私はそう言いながらカフェテーブルに乗っている二つのカップをちらりと見た。駆のカップは空だったが渚のカップのコーヒーはほとんど減っていなかったので、さっき来たというのは間違いないのだろう。
駆は私の彼氏という訳ではないからやきもちを焼いても仕方ないのだが、同性の目から見ても魅力的な渚――しかも最近彼氏と別れたばかりだ――と一緒だとなんだかもやもやする。背の高い駆が渚の好みとはずれていると分かっていてもだ。
「私もなんか頼む!」
理不尽極まりないこの気持ちを収めるために、渚の隣の椅子にショルダーバッグを置くと、キャラメルラテを頼むべくカウンターへと向かったのだった。
当初は近所のスーパーで買い出しをしてから駆が夕飯を作る予定だったのだが、渚の予定外の乱入により急遽近くのイタリアン系居酒屋で食事をする事となった。
居酒屋はイタリアの国旗、緑・白・赤の色をモチーフとした内装で、壁面にはワインボトルがぎっしりと並んでいる。カンツォーネが流れる店内は土曜の夜だけあって主に女性客でかなり混雑していたものの、幸い三人座れる席が一卓だけ残っていた。
卓上のタブレットで飲み物を頼む時渚と私は赤のハウスワインをデキャンタで選んだのだが、駆はノンアルコール飲料ではなくカンパリオレンジを選んだ。私は驚いて
「あれ、君、もうアルコールは大丈夫なの?」
と念のため確認する。
居酒屋はイタリアの国旗、緑・白・赤の色をモチーフとした内装で、壁面にはワインボトルがぎっしりと並んでいる。カンツォーネが流れる店内は土曜の夜だけあって主に女性客でかなり混雑していたものの、幸い三人座れる席が一卓だけ残っていた。
卓上のタブレットで飲み物を頼む時渚と私は赤のハウスワインをデキャンタで選んだのだが、駆はノンアルコール飲料ではなくカンパリオレンジを選んだ。私は驚いて
「あれ、君、もうアルコールは大丈夫なの?」
と念のため確認する。
去年の12月、駆は所属していたテニスサークルのクリスマスパーティで、飲んでいたカクテルに大量のウォッカをこっそり混ぜられ不覚にも泥酔してしまい、その姿をSNSにアップされるというアルハラを受け退部したのだが、それ以来酒は一切飲んでいないと聞いていたからだ。
駆はこう答えた。
「前に兄さんと食事をした時お酒を勧められたから断ったんだけど、事情を話したら兄さんが、一歩間違えれば傷害罪だし、そうなったら間違いなく廃部だったぞって激怒してくれて。アルファさんも前怒ってくれたけど、身近な人達がオレのために怒ってくれた事が本当に嬉しかった。あの時からずっと引きずっているのがバカバカしく思えてきて……」
それから小さく微笑んでみせる。
「それ以来きちんと向き合おうと思って、トラウマについてあれこれ調べちゃったよ……」
その後、事情を知らない渚にアルハラの件を簡単に説明する。渚もぷりぷり怒り始めた。
「バッカじゃないのっ!? 今時大学だってアルハラに煩いのにあり得ない! でもそういう事されると、こっちは全然悪くないのに暫く引きずっちゃうよね~」
「うん、入学時オリエンテーションでもちゃんと注意されたはずなんだけどね……。サークルを退部するとき、強要してないし、一気飲みでもない、ただのイタズラの範疇じゃないか、オレが怒るのがおかしい、心が狭い、みたいな皆の反応がかなりショックだったんだよ……」
駆がしょんぼりする。
「ほんと、幼いよね」
かつて大学のアナログゲーム同好会部長だった私は、そのテニスサークルのリスクに対する意識の低さに改めて呆れてしまう。駆が泥酔で済んだから救急車を呼ばずに済んだものの、万が一急性アルコール中毒を発症していたら、兄の匠はもちろんの事、父親だって部員達を絶対に許さなかっただろう。駆は父親や兄が警察官である事を周囲に伏せていたそうだが、学生達のあまりにも無自覚で迂闊な行為に私は目眩を覚えてしまう。
「まあ、飲むのは全然構わないけど、絶対に無理はしないでね」
私は一応くぎを刺しておく。すると駆は神妙な顔で頷いた。
「ありがとう。気を付けるよ」
駆はこう答えた。
「前に兄さんと食事をした時お酒を勧められたから断ったんだけど、事情を話したら兄さんが、一歩間違えれば傷害罪だし、そうなったら間違いなく廃部だったぞって激怒してくれて。アルファさんも前怒ってくれたけど、身近な人達がオレのために怒ってくれた事が本当に嬉しかった。あの時からずっと引きずっているのがバカバカしく思えてきて……」
それから小さく微笑んでみせる。
「それ以来きちんと向き合おうと思って、トラウマについてあれこれ調べちゃったよ……」
その後、事情を知らない渚にアルハラの件を簡単に説明する。渚もぷりぷり怒り始めた。
「バッカじゃないのっ!? 今時大学だってアルハラに煩いのにあり得ない! でもそういう事されると、こっちは全然悪くないのに暫く引きずっちゃうよね~」
「うん、入学時オリエンテーションでもちゃんと注意されたはずなんだけどね……。サークルを退部するとき、強要してないし、一気飲みでもない、ただのイタズラの範疇じゃないか、オレが怒るのがおかしい、心が狭い、みたいな皆の反応がかなりショックだったんだよ……」
駆がしょんぼりする。
「ほんと、幼いよね」
かつて大学のアナログゲーム同好会部長だった私は、そのテニスサークルのリスクに対する意識の低さに改めて呆れてしまう。駆が泥酔で済んだから救急車を呼ばずに済んだものの、万が一急性アルコール中毒を発症していたら、兄の匠はもちろんの事、父親だって部員達を絶対に許さなかっただろう。駆は父親や兄が警察官である事を周囲に伏せていたそうだが、学生達のあまりにも無自覚で迂闊な行為に私は目眩を覚えてしまう。
「まあ、飲むのは全然構わないけど、絶対に無理はしないでね」
私は一応くぎを刺しておく。すると駆は神妙な顔で頷いた。
「ありがとう。気を付けるよ」
その後早速飲み物が運ばれてきたので三人で乾杯する。駆はカンパリオレンジを恐る恐るちびちびと飲んだ後、「リラックスしていれば全然平気みたい」とほっとしたように笑顔を見せた。それから私達は前菜盛り合わせやフライドポテト、カチャトーラ、大盛ペペロンチーノ、生ハムのピザなどを次々にタブレットに入力していく。
最初に前菜盛り合わせが到着した。渚は小皿に取り分けたタコのカルパッチョを力を込めてフォークで突き刺しながら、いい男が全然見つからない事を愚痴ってきた。前の彼と別れてからまだ一ヶ月弱なのだから仕方ないと思うのだが、もう既に三回合コンをやっていたらしい。コンサル業務で激務のはずなのに、びっくりするほどタフである。
「ナギさんの求める男性の条件が厳しすぎるんだよ」
私が赤ワインを飲みながら突っ込みを入れた。
「背は高すぎず、精神年齢が高くて、教養もあって、本を一杯読んでいて……だっけ?」
「顔は全然拘ってないよ。収入もね。ただし、男尊女卑だけは死んでもお断り!!!」
渚は力説する。
「そんなに条件厳しくないと思うのに、どうして見つからないんだろう」
いや、十分厳しいと思うけど。私は内心で突っ込んだ。
「本を一杯読んでいるっていう条件が意外にハードル高いんじゃないのかな」
アルコールが入って舌が滑らかになった駆が口を挟んでくる。
「オレは家でマンガやゲームが禁止されていたから暇つぶしに本は結構読んでいたけど、今ってスマホさえあればいくらでも退屈しのぎができちゃうでしょ。ゲームに動画にSNS……だから友達でも読書好きって数えるほどしかいないよ」
「そうなんだよね」
渚は腕組みをして、うんうんと頷いた。
「その条件を満たしやすいはずの、私が所属していた文芸サークル関係のコミュニティって残念ながら狭くて……誰それの元カレがごろごろしてるから、そこで探すのは躊躇しちゃう」
「その界隈には渚の元カレもごろごろしてそう」
私は次に到着したフライドポテトを指でつまみながら笑った。渚は答える代わりに大袈裟に肩をすくめてみせる。
「なら、小説家の卵や博士課程の人とかどうかな?」
駆なりに渚の提示する条件から真剣に考えたらしく、そう提案してきた。
「渚さんバリバリ稼いでるし、才能を発掘して開花させるっていうのもいいかもしれないよ」
「なるほど! それもありかもね! リーマン狙うよりもいいかも?」
意外にノリノリである。
最初に前菜盛り合わせが到着した。渚は小皿に取り分けたタコのカルパッチョを力を込めてフォークで突き刺しながら、いい男が全然見つからない事を愚痴ってきた。前の彼と別れてからまだ一ヶ月弱なのだから仕方ないと思うのだが、もう既に三回合コンをやっていたらしい。コンサル業務で激務のはずなのに、びっくりするほどタフである。
「ナギさんの求める男性の条件が厳しすぎるんだよ」
私が赤ワインを飲みながら突っ込みを入れた。
「背は高すぎず、精神年齢が高くて、教養もあって、本を一杯読んでいて……だっけ?」
「顔は全然拘ってないよ。収入もね。ただし、男尊女卑だけは死んでもお断り!!!」
渚は力説する。
「そんなに条件厳しくないと思うのに、どうして見つからないんだろう」
いや、十分厳しいと思うけど。私は内心で突っ込んだ。
「本を一杯読んでいるっていう条件が意外にハードル高いんじゃないのかな」
アルコールが入って舌が滑らかになった駆が口を挟んでくる。
「オレは家でマンガやゲームが禁止されていたから暇つぶしに本は結構読んでいたけど、今ってスマホさえあればいくらでも退屈しのぎができちゃうでしょ。ゲームに動画にSNS……だから友達でも読書好きって数えるほどしかいないよ」
「そうなんだよね」
渚は腕組みをして、うんうんと頷いた。
「その条件を満たしやすいはずの、私が所属していた文芸サークル関係のコミュニティって残念ながら狭くて……誰それの元カレがごろごろしてるから、そこで探すのは躊躇しちゃう」
「その界隈には渚の元カレもごろごろしてそう」
私は次に到着したフライドポテトを指でつまみながら笑った。渚は答える代わりに大袈裟に肩をすくめてみせる。
「なら、小説家の卵や博士課程の人とかどうかな?」
駆なりに渚の提示する条件から真剣に考えたらしく、そう提案してきた。
「渚さんバリバリ稼いでるし、才能を発掘して開花させるっていうのもいいかもしれないよ」
「なるほど! それもありかもね! リーマン狙うよりもいいかも?」
意外にノリノリである。
そんな渚に、駆がふと思い立ったのかこんな話をし始めた。
「ちなみにオレの母方のおじいさんって、働くのが大嫌いで、日がな一日、趣味の絵描いたりレコード聞いてだらだらと過ごしていたらしいよ。大黒柱はおばあさんの方でね。一応子育てだけはしていたから、かろうじてヒモやニートではないんだけど」
それを聞いた渚が盛大に吹き出す。
「え、本当に? おじいさん随分優雅な生活送ってたんだね? 戦前の高等遊民みたいな感じ? おばあさんはそれでOKだったんだ? 面白そう、詳しく聞かせてよ!」
興味津々の渚に促され、アルコールでほのかに頬を紅潮させた駆は祖父母の馴れ初め話を披露し始めたのだった。
「ちなみにオレの母方のおじいさんって、働くのが大嫌いで、日がな一日、趣味の絵描いたりレコード聞いてだらだらと過ごしていたらしいよ。大黒柱はおばあさんの方でね。一応子育てだけはしていたから、かろうじてヒモやニートではないんだけど」
それを聞いた渚が盛大に吹き出す。
「え、本当に? おじいさん随分優雅な生活送ってたんだね? 戦前の高等遊民みたいな感じ? おばあさんはそれでOKだったんだ? 面白そう、詳しく聞かせてよ!」
興味津々の渚に促され、アルコールでほのかに頬を紅潮させた駆は祖父母の馴れ初め話を披露し始めたのだった。
駆の祖母、津紀子は岩手の|不動産屋《ディベロッパー》の跡取り娘で、東京オリンピック開催前に東京のとあるミッション系女子大に進学したのだが、勉学を修めるというより、優秀な婿を見つけてくるのが主な目的だったようだ。だから真面目な女学生とはとても言い難かったようで、ある時たまたま遊びに行った銀座の裏路地で、若い男が二人の暴漢にぼこぼこにされているところを目撃。機転を利かせて暴漢達を追っ払ったらしい。それが後のおじいさんの滋だった。今回私も初めて知ったのだが、実はおじいさんの本名は滋ではなく|景滋《かげしげ》なのだが、戦国武将を連想させるような立派な名前をおじいさんが嫌っていて、銀座ではずっと滋と名乗っていたとのこと。
「おじいさんは端正な顔立ちの二枚目だったから、物凄く女性からもてたんだって。そのせいで同性からはだいぶ恨みを買ったみたいだね。そうやってしょっちゅう絡まれていたらしい」
駆はいつもと違って淀みなくしゃべっているが、その祖父と自分がよく似ているとは渚には言わなかった。イケメンの祖父と自分が似ていると言うのは恥ずかしかったのだろう。渚は前のめりで尋ねた。
「じゃあ、そこから二人のラブロマンスが始まったんだね?」
すると、うーん、と駆は微妙な表情となり首をひねった。
「何せおじいさんは銀座でも有名なモテモテの遊び人で、一方おばあさんは平凡な田舎娘だったから、最初は全くそんな雰囲気じゃなかったみたいだよ。怪我から回復したおじいさんはお礼のつもりでおばあさんを行きつけのジャズ喫茶に連れて行ったんだけど……おばあさんときたらおじいさんの事なんてそっちのけで、流れていたレコードの音楽に夢中になっちゃって、その無邪気な様子に逆にぐっときちゃったらしいって聞いてる」
「いいじゃん、いいじゃん、どんどん続けて!」
こういう心ときめくような恋バナは渚の大好物なのだ。私も続きが聞きたくなった。
駆は驚いたように目をぱちくりさせたものの、咳払いをしてから更に続けた。
「そんな遊び人のおじいさん、実は旧華族の三男坊だったんだけど家は戦後の財産税って言うんだっけ? そのせいで戦前所有していた財産のほとんどを手放さざるを得なくて、子沢山の家庭だったのに跡継ぎの長男以外は穀潰し扱いされていて、すっかりぐれてたみたい。大学にも碌に行ってなかったようだし」
話に夢中になっている私達は、うんうん、と頷き先を促す。
「絵を描くのが好きだったのに、美大への進学を認めてもらえなかったという挫折感が大きかったんだろうねっておばあさんは言ってた。でも困った事に働く事も嫌いだったから、アルバイトは一切せずに、勝手に入れ込んでくる年上の女性達からちゃっかりお小遣いもらってそれを元手に銀座で遊んでたらしいってさ」
駆はそう言ってからふふっと笑った。
「すごいっ!」
渚が驚愕の声を上げた。
「今で喩えたらホストクラブのナンバー1とかだよね?」
「えー、でもホストって営業掛けたり、お客さんをちやほやしたり、とにかくまめなんでしょ? うちのおじいさんは怠惰な人だったみたいだから、そういう事は絶対に無理なんじゃないかな」
とその孫は笑顔で容赦なく一刀両断してくる。私達はその言い方に大受けした。
「来るもの拒まず去るもの追わずってタイプだったみたい。おばあさんに出会うまでは気怠く惰性で生きてたみたいだよ。もっともそうなってしまったおじいさんの気持ちはなんか分かるな…………」
駆は最後の方は呟くように語った。駆自身はとても勤勉なタイプなので、おじいさんに共感を寄せるのはなんだか意外に感じる。
「それでそれで、おじいさんはおばあさんにどんな風にアプローチしたの?」
渚が目をキラキラさせながら続きを催促してくる。駆は熱心に尋ねてくる渚に多少たじろぎつつ続けた。
「ええと……おばあさんはすっかりそのジャズ喫茶が気に入ってしまって通い詰めるようになったんだけど、当然常連のおじいさんと頻繁に顔を合わせるようになって。おばあさんが実は東京で婿探しをしているって事をたまたま知ったおじいさんが、積極的に自分を売り込んでいったみたい。『僕を君のお婿さんにして』ってね」
「キャー、素敵!」と渚が両指を組んだ。目がすっかりハートになっている。だが駆は首を振った。
「でも、おばあさんはいたって冷静だったんだ。田舎は本当に不便だから、おじいさんのようなお坊ちゃまが来るところじゃないって断ったんだよ」
私達は意外な展開に息を呑む。駆は当時の状況を説明してくれた。
「昭和40年代初頭って、うちの地元じゃ田んぼばかりで下水道とか全然普及していなかったそうだし、舗装されていない道路なんてざらだったってさ。便利な東京とは全然違ってたんだよ」
「まあ、そうだろうね……」
私は当時の時代背景を思い起こしながら相槌を打つ。高度経済成長期、今以上に東京と地方格差は大きかったのだろう。
「でもおじいさんは全くめげずにおばあさんに、自分を婿にするメリットをプレゼンし続けたんだってさ。自分は金は全くないが、親のコネならあるって」
そう言ってから駆はおじいさんがおばあさんを懸命に口説く様子を想像したのか、目を細め柔らかく微笑んでみ見せた。
「これぞ愛だね~。怠惰な人間にそこまでさせるとは」
渚がにまにました。駆がそうだね、と頷く。
「熱烈なラブコールに困り果てたおばあさんはついに父親に相談したんだって。そしたら…………」
駆はここで一息つくと、カンパリオレンジをぐいと飲んだ。
「住環境はなんとでもしてやるから、絶対に正式な結婚までこぎつけろと言われたらしい」
「なんとでもしてやるとは豪胆だね」
感心したように渚が言った。私も同意する。
「さすがディベロッパー。スケールが違うわ」
地元のインフラ工事を担っているようなディベロッパーの社長でなければ、とてもそんな事は言えなかっただろう。ここで駆が補足する。
「オレからするとひいおじいさんに当たる人は東京進出が長年の夢だったらしくて、おじいさんの持つコネは一騎当千だからって事らしい」
駆はいつもと違って淀みなくしゃべっているが、その祖父と自分がよく似ているとは渚には言わなかった。イケメンの祖父と自分が似ていると言うのは恥ずかしかったのだろう。渚は前のめりで尋ねた。
「じゃあ、そこから二人のラブロマンスが始まったんだね?」
すると、うーん、と駆は微妙な表情となり首をひねった。
「何せおじいさんは銀座でも有名なモテモテの遊び人で、一方おばあさんは平凡な田舎娘だったから、最初は全くそんな雰囲気じゃなかったみたいだよ。怪我から回復したおじいさんはお礼のつもりでおばあさんを行きつけのジャズ喫茶に連れて行ったんだけど……おばあさんときたらおじいさんの事なんてそっちのけで、流れていたレコードの音楽に夢中になっちゃって、その無邪気な様子に逆にぐっときちゃったらしいって聞いてる」
「いいじゃん、いいじゃん、どんどん続けて!」
こういう心ときめくような恋バナは渚の大好物なのだ。私も続きが聞きたくなった。
駆は驚いたように目をぱちくりさせたものの、咳払いをしてから更に続けた。
「そんな遊び人のおじいさん、実は旧華族の三男坊だったんだけど家は戦後の財産税って言うんだっけ? そのせいで戦前所有していた財産のほとんどを手放さざるを得なくて、子沢山の家庭だったのに跡継ぎの長男以外は穀潰し扱いされていて、すっかりぐれてたみたい。大学にも碌に行ってなかったようだし」
話に夢中になっている私達は、うんうん、と頷き先を促す。
「絵を描くのが好きだったのに、美大への進学を認めてもらえなかったという挫折感が大きかったんだろうねっておばあさんは言ってた。でも困った事に働く事も嫌いだったから、アルバイトは一切せずに、勝手に入れ込んでくる年上の女性達からちゃっかりお小遣いもらってそれを元手に銀座で遊んでたらしいってさ」
駆はそう言ってからふふっと笑った。
「すごいっ!」
渚が驚愕の声を上げた。
「今で喩えたらホストクラブのナンバー1とかだよね?」
「えー、でもホストって営業掛けたり、お客さんをちやほやしたり、とにかくまめなんでしょ? うちのおじいさんは怠惰な人だったみたいだから、そういう事は絶対に無理なんじゃないかな」
とその孫は笑顔で容赦なく一刀両断してくる。私達はその言い方に大受けした。
「来るもの拒まず去るもの追わずってタイプだったみたい。おばあさんに出会うまでは気怠く惰性で生きてたみたいだよ。もっともそうなってしまったおじいさんの気持ちはなんか分かるな…………」
駆は最後の方は呟くように語った。駆自身はとても勤勉なタイプなので、おじいさんに共感を寄せるのはなんだか意外に感じる。
「それでそれで、おじいさんはおばあさんにどんな風にアプローチしたの?」
渚が目をキラキラさせながら続きを催促してくる。駆は熱心に尋ねてくる渚に多少たじろぎつつ続けた。
「ええと……おばあさんはすっかりそのジャズ喫茶が気に入ってしまって通い詰めるようになったんだけど、当然常連のおじいさんと頻繁に顔を合わせるようになって。おばあさんが実は東京で婿探しをしているって事をたまたま知ったおじいさんが、積極的に自分を売り込んでいったみたい。『僕を君のお婿さんにして』ってね」
「キャー、素敵!」と渚が両指を組んだ。目がすっかりハートになっている。だが駆は首を振った。
「でも、おばあさんはいたって冷静だったんだ。田舎は本当に不便だから、おじいさんのようなお坊ちゃまが来るところじゃないって断ったんだよ」
私達は意外な展開に息を呑む。駆は当時の状況を説明してくれた。
「昭和40年代初頭って、うちの地元じゃ田んぼばかりで下水道とか全然普及していなかったそうだし、舗装されていない道路なんてざらだったってさ。便利な東京とは全然違ってたんだよ」
「まあ、そうだろうね……」
私は当時の時代背景を思い起こしながら相槌を打つ。高度経済成長期、今以上に東京と地方格差は大きかったのだろう。
「でもおじいさんは全くめげずにおばあさんに、自分を婿にするメリットをプレゼンし続けたんだってさ。自分は金は全くないが、親のコネならあるって」
そう言ってから駆はおじいさんがおばあさんを懸命に口説く様子を想像したのか、目を細め柔らかく微笑んでみ見せた。
「これぞ愛だね~。怠惰な人間にそこまでさせるとは」
渚がにまにました。駆がそうだね、と頷く。
「熱烈なラブコールに困り果てたおばあさんはついに父親に相談したんだって。そしたら…………」
駆はここで一息つくと、カンパリオレンジをぐいと飲んだ。
「住環境はなんとでもしてやるから、絶対に正式な結婚までこぎつけろと言われたらしい」
「なんとでもしてやるとは豪胆だね」
感心したように渚が言った。私も同意する。
「さすがディベロッパー。スケールが違うわ」
地元のインフラ工事を担っているようなディベロッパーの社長でなければ、とてもそんな事は言えなかっただろう。ここで駆が補足する。
「オレからするとひいおじいさんに当たる人は東京進出が長年の夢だったらしくて、おじいさんの持つコネは一騎当千だからって事らしい」
この時、私は疑問に思った事を口にした。
「これだけアプローチされてもおばあさんは消極的だったんだね?」
「うん、そうなんだよね……」
駆はこくりとした。
「その当時のおばあさんにとっておじいさんはアイドルというか、高嶺の花の存在で、遠くから眺めてさえいれば満足だったみたい。なのに、そんな『推し』がいきなりぐいぐい来たから青天の霹靂っていうか、何が我が身に起こっているの!? って気持ちだったみたいだよ」
「なるほど、そんな感じだったのか」
私は納得する。
「なんだかそれこそ少女漫画みたいだよね」
すると駆はくすっと笑った。
「まあ、おばあさんだって本心はまんざらじゃなかったみたいだし、実家からGOサインが出された後は二人の仲はトントン拍子だったって」
「やったー!」
渚が両手を上げた。
「これでやっとハッピーエンドだね!」
だが、駆は大袈裟に首を振ってみせた。
「ところが…………いざ親を巻き込んで正式な結婚話を進めようとなった時、今度はおじいさんの実家が反対してきたんだよ。散々穀潰しとか言ってたくせに、婿として高く売れると気が付いた途端手放すのが惜しくなってしまったみたいで」
「うっわー、最低!」
渚も口が悪い。駆は苦笑する。
「だって考えてみて。あっちからすればよりによって東北の、しかもどこの馬の骨とも知れないような商家と、旧華族の縁談なんだよ。釣り合わない、家柄が違いすぎるって考えるのも仕方なかったんだ」
時代錯誤だと言いたかったけど、ふと考えてみるとその当時で戦後二十年ほどか。そういう偏見はまだまだ残っていたのだろう。
駆は小さくため息をついてから続けた。
「おばあさんは最悪あっちの家に認められなくてもって考えたみたいだけど、ひいおじいさんとおじいさんが踏ん張ったみたい。ひいおじいさんは当時としては破格の結納金と、それにプラスして東京のお屋敷の修繕費用の肩代わりを提案して、おじいさんも親から認められた結婚という形にして、何とかして山城家にコネをもたらそうとそれは奮闘したんだって。おじいさんはここで一生分働いちゃったんだねっておばあさんはいつも笑ってたっけ」
駆がそう言いにっこりと微笑む。
「これだけアプローチされてもおばあさんは消極的だったんだね?」
「うん、そうなんだよね……」
駆はこくりとした。
「その当時のおばあさんにとっておじいさんはアイドルというか、高嶺の花の存在で、遠くから眺めてさえいれば満足だったみたい。なのに、そんな『推し』がいきなりぐいぐい来たから青天の霹靂っていうか、何が我が身に起こっているの!? って気持ちだったみたいだよ」
「なるほど、そんな感じだったのか」
私は納得する。
「なんだかそれこそ少女漫画みたいだよね」
すると駆はくすっと笑った。
「まあ、おばあさんだって本心はまんざらじゃなかったみたいだし、実家からGOサインが出された後は二人の仲はトントン拍子だったって」
「やったー!」
渚が両手を上げた。
「これでやっとハッピーエンドだね!」
だが、駆は大袈裟に首を振ってみせた。
「ところが…………いざ親を巻き込んで正式な結婚話を進めようとなった時、今度はおじいさんの実家が反対してきたんだよ。散々穀潰しとか言ってたくせに、婿として高く売れると気が付いた途端手放すのが惜しくなってしまったみたいで」
「うっわー、最低!」
渚も口が悪い。駆は苦笑する。
「だって考えてみて。あっちからすればよりによって東北の、しかもどこの馬の骨とも知れないような商家と、旧華族の縁談なんだよ。釣り合わない、家柄が違いすぎるって考えるのも仕方なかったんだ」
時代錯誤だと言いたかったけど、ふと考えてみるとその当時で戦後二十年ほどか。そういう偏見はまだまだ残っていたのだろう。
駆は小さくため息をついてから続けた。
「おばあさんは最悪あっちの家に認められなくてもって考えたみたいだけど、ひいおじいさんとおじいさんが踏ん張ったみたい。ひいおじいさんは当時としては破格の結納金と、それにプラスして東京のお屋敷の修繕費用の肩代わりを提案して、おじいさんも親から認められた結婚という形にして、何とかして山城家にコネをもたらそうとそれは奮闘したんだって。おじいさんはここで一生分働いちゃったんだねっておばあさんはいつも笑ってたっけ」
駆がそう言いにっこりと微笑む。
この時、ペペロンチーノと生ハムのピザが卓上に置かれたので、話をいったん中断し、食べるのに専念する。
「結婚までが大変だったんだね~」
ペペロンチーノを食べてから渚がしみじみと呟く。一方生ハムの味を堪能しつつピザを食べていた私は思わずこう言ってしまった。
「おじいさん……なんだか親に売られたみたいだね……」
「うん、実際そんな感じ」
既に自分の分を食べ終えていた駆は眉をひそめた。
「あっちの家は山城家を蔑んでいたくせに、結納金と修繕費用に目がくらんでおじいさんを婿に出した訳だけど、周囲にはこの結婚はあくまで二人の自由恋愛の結果で、それを認めてあげた自分達は物わかりの良い親みたいに吹聴してたみたいだよ。呆れちゃうよね」
うへーと渚が声を上げた。
「身分制度のあった戦前ならまだしも……」
「オレの母さんなんて、たまにおじいさんの実家に顔を出しても、外孫だからなのかいつも塩対応で感じ悪かったって怒ってたし」
「そっか……孫の扱いすらそんな感じだったんだ……。屋敷を修繕までしてもらったのに……。でも山城不動産の商売的にはメリットはあったんだよね?」
私はおじいさんの実家側の理不尽な扱いに腹を立てつつ尋ねた。駆にしては珍しくシニカルな笑いを浮かべる。
「そうだね、ひいおじいさんのかねてからの念願だった東京進出を果たして、田舎の一企業でしかなかった山城不動産は著しく成長したみたいだから」
しかし、その後表情が一転しにこっと笑ってみせた。
「でも、おじいさんとおばあさんは幸せだったんだから、それはそれで良かったんじゃないかなとオレは思ってる」
「結婚までが大変だったんだね~」
ペペロンチーノを食べてから渚がしみじみと呟く。一方生ハムの味を堪能しつつピザを食べていた私は思わずこう言ってしまった。
「おじいさん……なんだか親に売られたみたいだね……」
「うん、実際そんな感じ」
既に自分の分を食べ終えていた駆は眉をひそめた。
「あっちの家は山城家を蔑んでいたくせに、結納金と修繕費用に目がくらんでおじいさんを婿に出した訳だけど、周囲にはこの結婚はあくまで二人の自由恋愛の結果で、それを認めてあげた自分達は物わかりの良い親みたいに吹聴してたみたいだよ。呆れちゃうよね」
うへーと渚が声を上げた。
「身分制度のあった戦前ならまだしも……」
「オレの母さんなんて、たまにおじいさんの実家に顔を出しても、外孫だからなのかいつも塩対応で感じ悪かったって怒ってたし」
「そっか……孫の扱いすらそんな感じだったんだ……。屋敷を修繕までしてもらったのに……。でも山城不動産の商売的にはメリットはあったんだよね?」
私はおじいさんの実家側の理不尽な扱いに腹を立てつつ尋ねた。駆にしては珍しくシニカルな笑いを浮かべる。
「そうだね、ひいおじいさんのかねてからの念願だった東京進出を果たして、田舎の一企業でしかなかった山城不動産は著しく成長したみたいだから」
しかし、その後表情が一転しにこっと笑ってみせた。
「でも、おじいさんとおばあさんは幸せだったんだから、それはそれで良かったんじゃないかなとオレは思ってる」
「そう言えば、おばあさん、おじいさんに働けって言わなかったの?」
渚が手を小さく挙げて質問すると、駆はくすくす笑い始めた。
「あ、さっき言い忘れてたけど、おじいさんがおばあさんに婿にしてって迫った時、同時に一生絵を描いて過ごしたいって言ってたんだってさ。おじいさんは確かにモテモテだったみたいだけど、あの時代にそんな戯けた事言うような怠け者を敢えて婿にしようだなんて奇特な人はさすがにいなかったみたい。おばあさんは全て分かってて、自分が稼ぐからっておじいさんを受け入れたんだよ」
「おばあさん、若いのに懐が深かったんだ! 男が稼ぐのが当然の時代だったのにね」
渚が感激したようだった。
「いいな~わたしもそういうでっかい女になりたい~」
そして、卓上のデキャンタからワイングラスにワインを注ぐとぐいっとあおる。
「そのためにも是が非でもいい男ゲットしなくちゃ!」
と鼻息荒く気勢を上げる渚を、駆と私で大いに激励したのだった。
渚が手を小さく挙げて質問すると、駆はくすくす笑い始めた。
「あ、さっき言い忘れてたけど、おじいさんがおばあさんに婿にしてって迫った時、同時に一生絵を描いて過ごしたいって言ってたんだってさ。おじいさんは確かにモテモテだったみたいだけど、あの時代にそんな戯けた事言うような怠け者を敢えて婿にしようだなんて奇特な人はさすがにいなかったみたい。おばあさんは全て分かってて、自分が稼ぐからっておじいさんを受け入れたんだよ」
「おばあさん、若いのに懐が深かったんだ! 男が稼ぐのが当然の時代だったのにね」
渚が感激したようだった。
「いいな~わたしもそういうでっかい女になりたい~」
そして、卓上のデキャンタからワイングラスにワインを注ぐとぐいっとあおる。
「そのためにも是が非でもいい男ゲットしなくちゃ!」
と鼻息荒く気勢を上げる渚を、駆と私で大いに激励したのだった。
実はこの話を聞いた時、私は自分の心に問いかけていた。自分なら働きたくないなんて言ってしまう男性を受け入れられるだろうか? いや、無理だ。一時的に病気や怪我で働けない時は懸命に支えるとしても、最初から働かないと断言している男性と結婚するリスクを引き受ける度量は私は持ち合わせていないようだった。でも、将来の夢のために真剣に学びたいと願う男性なら……それは全力で支えてあげたい。
私はワインの残りをちびちび飲みながら、テーブルに向かい合わせに座っている駆の顔をちらっと盗み見た。相当量酒を飲んでも顔色の変わらなかった兄の匠と違って顔がすっかり真っ赤になっているものの、心からリラックスした様子ですっかり相好を崩している。そういえば去年の夏開催されたFQⅢのオフ会でも、こんな感じで楽しそうにお酒を飲んでいたなという事を思い出した。私の中では俯き加減の駆がデフォになっていたけど、サークルでのアルハラ事件と、その直後の留年そして父から勘当を言い渡された事がいかに駆の心に影を落としていたのかという事に思い至り、胸が締め付けられるような気持ちになった。しかし駆は自分の力でしっかり立ち直ろうとしている。その力強さにすっかり惹かれている事を改めて気づかされたのだった。
私はワインの残りをちびちび飲みながら、テーブルに向かい合わせに座っている駆の顔をちらっと盗み見た。相当量酒を飲んでも顔色の変わらなかった兄の匠と違って顔がすっかり真っ赤になっているものの、心からリラックスした様子ですっかり相好を崩している。そういえば去年の夏開催されたFQⅢのオフ会でも、こんな感じで楽しそうにお酒を飲んでいたなという事を思い出した。私の中では俯き加減の駆がデフォになっていたけど、サークルでのアルハラ事件と、その直後の留年そして父から勘当を言い渡された事がいかに駆の心に影を落としていたのかという事に思い至り、胸が締め付けられるような気持ちになった。しかし駆は自分の力でしっかり立ち直ろうとしている。その力強さにすっかり惹かれている事を改めて気づかされたのだった。
私達は渚と居酒屋の前で別れると、深夜まで営業している近所のスーパーに一旦立ち寄り、明日作る予定のケーキの材料や道具などをどっさり購入した。
帰宅してからスマホを確認したところ、匠からLIMEが送られてきていた。東京に住んでいる叔母さんとわざわざ会って両親の事情を聞いてくれたらしい。駆は今入浴しているので、私はソファにあぐらをかいて座り込むと匠のトークを読み始めた。
帰宅してからスマホを確認したところ、匠からLIMEが送られてきていた。東京に住んでいる叔母さんとわざわざ会って両親の事情を聞いてくれたらしい。駆は今入浴しているので、私はソファにあぐらをかいて座り込むと匠のトークを読み始めた。
『おばさんからの聞き込みは無事完了!』
匠からのLIMEはその文章から始まっていた。
『とりあえず判明した事は、両親が結婚する前、母と交際していたのは父の二番目の兄貴、誠だったって事だけ』
『誠伯父は若い頃に日本を出国し今はハワイに永住している。自分やかーくんは会ったこともない人物』
『これ以上はおばあさんから聞き出さないと分からない。引き続き調査は続ける。以上ご報告まで』
最後は『よろしくお願いします!』という無料スタンプで締め括られていた。
私はそれに対し、ひっそりぐらしのスタンプを使った。ピンクのみにぶたが『お疲れ様!』とカップを差し出しているものだ。それから思いついたことをぽつりぽつりと入力していく。
『その誠伯父さんってどんな人物だったのかな』
『両親との間に何らかの確執はありそうだよね?』
『交際の件と出国は無関係なのかな?』
そこまで投稿してから、一旦立ち上がり冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出すと、グラスに麦茶を注いで一気に飲み干す。その時ふと閃いた。エゴサじゃないけど、誠伯父さんのフルネームをネットで検索すれば良いのではないだろうか。ソファに戻って、スマホを再び握りしめると
『フルネームで検索かけたら、もしかして出てきたりするかも?』
と入力してから、水色のてでぃべあが手を振って『頑張ってね!』というスタンプを送信する。
すると即
『分かった、確かにその通りだ。検索かけてみる!』
と返ってきて、『頑張る!』という無料スタンプが送られてきたのだった。
匠からのLIMEはその文章から始まっていた。
『とりあえず判明した事は、両親が結婚する前、母と交際していたのは父の二番目の兄貴、誠だったって事だけ』
『誠伯父は若い頃に日本を出国し今はハワイに永住している。自分やかーくんは会ったこともない人物』
『これ以上はおばあさんから聞き出さないと分からない。引き続き調査は続ける。以上ご報告まで』
最後は『よろしくお願いします!』という無料スタンプで締め括られていた。
私はそれに対し、ひっそりぐらしのスタンプを使った。ピンクのみにぶたが『お疲れ様!』とカップを差し出しているものだ。それから思いついたことをぽつりぽつりと入力していく。
『その誠伯父さんってどんな人物だったのかな』
『両親との間に何らかの確執はありそうだよね?』
『交際の件と出国は無関係なのかな?』
そこまで投稿してから、一旦立ち上がり冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出すと、グラスに麦茶を注いで一気に飲み干す。その時ふと閃いた。エゴサじゃないけど、誠伯父さんのフルネームをネットで検索すれば良いのではないだろうか。ソファに戻って、スマホを再び握りしめると
『フルネームで検索かけたら、もしかして出てきたりするかも?』
と入力してから、水色のてでぃべあが手を振って『頑張ってね!』というスタンプを送信する。
すると即
『分かった、確かにその通りだ。検索かけてみる!』
と返ってきて、『頑張る!』という無料スタンプが送られてきたのだった。
検索には少し時間が必要だろうと思い、私は手元にあるリモコンでテレビの電源を入れた。番組表をさっと眺め、百名山の登山を扱ったBSの番組を選んだ。登山なんて運動が嫌いな自分には一生無縁だと思うけど、どういう訳か登山や過酷な山岳レース番組を見るのは大好きなのだ。
大きなバックパックを背負った番組のナビゲーターが登山ガイドと一緒に、雄大で美しい緑の稜線を歩いていくのをぼうっと眺めていたところ、匠から更なるLIMEが届いた。
『伯父のサイト発見!』
という文字とともにurlが貼り付けられている。私は
『見てみるね!』と入力して、そのurlをタップしてみたのだった。
大きなバックパックを背負った番組のナビゲーターが登山ガイドと一緒に、雄大で美しい緑の稜線を歩いていくのをぼうっと眺めていたところ、匠から更なるLIMEが届いた。
『伯父のサイト発見!』
という文字とともにurlが貼り付けられている。私は
『見てみるね!』と入力して、そのurlをタップしてみたのだった。
匠が教えてくれた伯父さんのサイトとは、何とハワイの日本人観光客向けのオプショナルツアー会社のものだった。トップページには社長として『|風谷《かざたに》 誠』氏の写真が掲載されている。山城兄弟のお父さんは婿養子だと聞いているけど、元々の苗字が風谷なのか。
誠さんは真っ黒に日焼けしたイケオジだった。恐らく五十代なのだろう、目尻に深い笑い皺が刻まれているものの人好きしそうな笑顔を浮かべた、いかにも女性からモテそうな人物である。カールした長いまつ毛がとても印象的で、顔立ちが匠ではなく駆に何となく似ている。そりゃ伯父さんなのだから当然だよね、と思ってから気が付いた。駆は母方のおじいさんに似ているはずだ。私の頭の中では疑問符がいくつも浮かんだ。駆は母方のおじいさんにも似ていて、なおかつ父方の伯父さんにも似ているという事なのかな? おじいさんの写真でも見せてもらえればその辺は明らかになりそうだけど。
誠さんは真っ黒に日焼けしたイケオジだった。恐らく五十代なのだろう、目尻に深い笑い皺が刻まれているものの人好きしそうな笑顔を浮かべた、いかにも女性からモテそうな人物である。カールした長いまつ毛がとても印象的で、顔立ちが匠ではなく駆に何となく似ている。そりゃ伯父さんなのだから当然だよね、と思ってから気が付いた。駆は母方のおじいさんに似ているはずだ。私の頭の中では疑問符がいくつも浮かんだ。駆は母方のおじいさんにも似ていて、なおかつ父方の伯父さんにも似ているという事なのかな? おじいさんの写真でも見せてもらえればその辺は明らかになりそうだけど。
私がしきりに首を傾げている時、洗面所兼脱衣所を出た駆がリビングダイニングにやって来た。上下グレーのスポーツブランドのスウェットの駆はタオルで髪を拭いているが、ベリーショートなのでそれだけで簡単に乾いてしまうらしい。毎朝ドライヤーと格闘している私からすると本当に羨ましい限りだ。
頭にタオルを載せたままキッチンの冷蔵庫のドアを開けたので、私はその背中に向かって尋ねた。
「ねえ、君のおじいさんの写真って持ってない?」
「おじいさんの写真?」
駆が麦茶の入ったポットを持ったまま振り返った。
「さっきの馴れ初め話で気になっちゃった。君に似てるんでしょ。もしも持ってたらと思って」
と理由を説明する。気になっているのは事実だ。
駆はキッチンカウンターに食器棚から取り出したグラスを置くと、麦茶を注ぎながら答えた。
「なくはないよ……でも見せるのはちょっと恥ずかしいかな……」
「恥ずかしい?」
私は首を傾げた。恥ずかしい写真ってどんな写真なんだろう?
すっかり素面になりいつも通りに戻った駆は俯き加減にしばらくもじもじしていたが、意を決したように顔を上げた。
「分かった、今持ってくる」
そう言って自室に向かった。数分後、横長でやたら分厚いきちんと製本された青いアルバムを抱えて戻ってきた。表紙には英語のタイトル、"Fly Me To The Moon"と金色の文字が箔押しされていた。
「これだよ……念のため断っておくと、アルファさん《《だから》》見せるんだからね……」
気恥ずかしそうな顔の駆はその分厚いアルバムを開いて、最初のページを私に見せた。
頭にタオルを載せたままキッチンの冷蔵庫のドアを開けたので、私はその背中に向かって尋ねた。
「ねえ、君のおじいさんの写真って持ってない?」
「おじいさんの写真?」
駆が麦茶の入ったポットを持ったまま振り返った。
「さっきの馴れ初め話で気になっちゃった。君に似てるんでしょ。もしも持ってたらと思って」
と理由を説明する。気になっているのは事実だ。
駆はキッチンカウンターに食器棚から取り出したグラスを置くと、麦茶を注ぎながら答えた。
「なくはないよ……でも見せるのはちょっと恥ずかしいかな……」
「恥ずかしい?」
私は首を傾げた。恥ずかしい写真ってどんな写真なんだろう?
すっかり素面になりいつも通りに戻った駆は俯き加減にしばらくもじもじしていたが、意を決したように顔を上げた。
「分かった、今持ってくる」
そう言って自室に向かった。数分後、横長でやたら分厚いきちんと製本された青いアルバムを抱えて戻ってきた。表紙には英語のタイトル、"Fly Me To The Moon"と金色の文字が箔押しされていた。
「これだよ……念のため断っておくと、アルファさん《《だから》》見せるんだからね……」
気恥ずかしそうな顔の駆はその分厚いアルバムを開いて、最初のページを私に見せた。
それは往年の映画スターかと見紛うばかりの二枚目な青年の、かなり大きなバストアップのモノクロ写真だった。左分けにした長めの前髪に、眉はきりりと整えられ、目はぱっちりとしていて、高い鼻、形の良い唇に柔和な笑みを浮かべている。ブレザーにボタンダウンのシャツ、細めのネクタイを着用しているので、これはまさしく60年代アイビールックだ。
いや、確かにおじいさんは駆によく似ている。写真の下には『1965年 滋さん。私の一番お気に入りの写真』というキャプションまで添えられている。1965年ということは、東京オリンピック開催の翌年だ。
「おじいさん、マジでイケメンじゃん!」
私は思わず叫んでしまった。そしてご丁寧にキャプションが付けられているあたり確かにこれは恥ずかしい。
これは駆のおばあさんが作った愛のメモリアルアルバムだった。一年ほど前、自費出版の会社から「ご家族のアルバムを作ってみてはいかがですか?」と営業をかけられたおばあさんが金に糸目をつけずノリノリで作ってしまい、親族一同に配ったものだそうだ。
ちなみにお母さんはそれを見て切れたらしい。「こんな趣味丸出しのものを大枚はたいて作った上にバラまくなんて!」とおばあさんに怒ったそうだが、おばあさんはどこ吹く風と娘の説教を聞き流したそうだ。
いや、確かにおじいさんは駆によく似ている。写真の下には『1965年 滋さん。私の一番お気に入りの写真』というキャプションまで添えられている。1965年ということは、東京オリンピック開催の翌年だ。
「おじいさん、マジでイケメンじゃん!」
私は思わず叫んでしまった。そしてご丁寧にキャプションが付けられているあたり確かにこれは恥ずかしい。
これは駆のおばあさんが作った愛のメモリアルアルバムだった。一年ほど前、自費出版の会社から「ご家族のアルバムを作ってみてはいかがですか?」と営業をかけられたおばあさんが金に糸目をつけずノリノリで作ってしまい、親族一同に配ったものだそうだ。
ちなみにお母さんはそれを見て切れたらしい。「こんな趣味丸出しのものを大枚はたいて作った上にバラまくなんて!」とおばあさんに怒ったそうだが、おばあさんはどこ吹く風と娘の説教を聞き流したそうだ。
「すごいね! 他のページも見ていい?」
すっかり興奮してしまった私は駆に確認する。駆は苦笑いを浮かべつつ、頷いた。
「どうぞ。見終わったらテーブルの上に置いておいてくれれば後で片づけるから」
「了解! じゃ、お休み!」
「はい、お休みなさい! アルファさんもほどほどにね!」
駆はそう言い残すと、麦茶の入ったグラスを持って自室にすっと引っ込んでしまう。
一緒に見たかったけど、全ページに先ほどのようなコメントが付いているのだとしたら、身内としては――さらにそのおじいさんとよく似た駆としては居心地が悪いだろう。
私は駆のおじいさんの顔を確認するという当初の目的から既にずれている事は気が付きつつも、そのアルバムのページをめくらずにはいられなかった
すっかり興奮してしまった私は駆に確認する。駆は苦笑いを浮かべつつ、頷いた。
「どうぞ。見終わったらテーブルの上に置いておいてくれれば後で片づけるから」
「了解! じゃ、お休み!」
「はい、お休みなさい! アルファさんもほどほどにね!」
駆はそう言い残すと、麦茶の入ったグラスを持って自室にすっと引っ込んでしまう。
一緒に見たかったけど、全ページに先ほどのようなコメントが付いているのだとしたら、身内としては――さらにそのおじいさんとよく似た駆としては居心地が悪いだろう。
私は駆のおじいさんの顔を確認するという当初の目的から既にずれている事は気が付きつつも、そのアルバムのページをめくらずにはいられなかった
最初のページに戻ると、下には滋さんの簡単なプロフィールが記載されていた。○○伯爵家の三男 景滋 1943年6月10日誕生、だそうだ。1943年というと太平洋戦争真っただ中だ。○○伯爵家をスマホで検索したところ、元々は西日本の大名家だった。史学科卒の私にとって何となく聞き覚えのある家名であり、同時に私のような庶民には全くご縁のない立派な家柄でもある。
次のページからは暫く滋さんの幼少時の写真が続いた。節目ごとにきちんと写真館で写真を撮っていたのだろう。生後間もなくの両親との写真から始まり、制帽にボタンが内側に収められた学ラン、半ズボンを身に着けた小学校入学時の写真。同じようにボタンの出ない学ランの中学、高校の写真。すべて背筋がぴんと伸びている。冒頭の写真とは異なり、カメラを見つめる表情は非常に固いものだった。
その後、白いチェックのシャツに細いネクタイ、バミューダショーツという典型的な60年代アイビールックをばっちり決めた滋さんがバーテーブルに肘でもたれかかり、タバコをくゆらせている全身像の写真だった。こちらは目を細めすっかりリラックスしているような表情である。もしかして東京オリンピック前、銀座のみゆき通りを闊歩していたという『みゆき族』などと呼ばれていた若者の一人だったのかもしれない。
その次はすっかり黄ばんでしまったハガキの裏面で、ブルーブラックの万年筆で綴られている。目を凝らして解読してみると、
『つきちゃんへ
君がいない東京は本当に寂しい。
両親が働け働けと毎日うるさいので、仕方なく最近銀座の××画廊で受付のアルバイトを始めました。
といっても全然お客さんが来なくて暇なので、これを書いてます。
一刻も早く君に会いたい。
滋より』
と書いてあって、満月を見上げて泣いている可愛らしい兎の絵が描き添えてある。キャプションには『1966年5月 滋さんからのハガキ』と添えられていた。
それから結納の時の両家の記念写真や改修されたばかりらしい○○家の立派な邸宅の写真などが続いたのだが、そこには長めのキャプションが綴られていた。
『1966年12月結納 ここに至るまでが本当に大変な道のりでした。お父さん、私達のために尽力して下さってありがとうございました』
次のページからは暫く滋さんの幼少時の写真が続いた。節目ごとにきちんと写真館で写真を撮っていたのだろう。生後間もなくの両親との写真から始まり、制帽にボタンが内側に収められた学ラン、半ズボンを身に着けた小学校入学時の写真。同じようにボタンの出ない学ランの中学、高校の写真。すべて背筋がぴんと伸びている。冒頭の写真とは異なり、カメラを見つめる表情は非常に固いものだった。
その後、白いチェックのシャツに細いネクタイ、バミューダショーツという典型的な60年代アイビールックをばっちり決めた滋さんがバーテーブルに肘でもたれかかり、タバコをくゆらせている全身像の写真だった。こちらは目を細めすっかりリラックスしているような表情である。もしかして東京オリンピック前、銀座のみゆき通りを闊歩していたという『みゆき族』などと呼ばれていた若者の一人だったのかもしれない。
その次はすっかり黄ばんでしまったハガキの裏面で、ブルーブラックの万年筆で綴られている。目を凝らして解読してみると、
『つきちゃんへ
君がいない東京は本当に寂しい。
両親が働け働けと毎日うるさいので、仕方なく最近銀座の××画廊で受付のアルバイトを始めました。
といっても全然お客さんが来なくて暇なので、これを書いてます。
一刻も早く君に会いたい。
滋より』
と書いてあって、満月を見上げて泣いている可愛らしい兎の絵が描き添えてある。キャプションには『1966年5月 滋さんからのハガキ』と添えられていた。
それから結納の時の両家の記念写真や改修されたばかりらしい○○家の立派な邸宅の写真などが続いたのだが、そこには長めのキャプションが綴られていた。
『1966年12月結納 ここに至るまでが本当に大変な道のりでした。お父さん、私達のために尽力して下さってありがとうございました』
次は立派な屏風の前で白無垢、綿帽子姿の津紀子さんと、黒紋付袴姿の凛々しい滋さんの結婚写真だった。古いけど立派な木造の民家の広い座敷で撮影されたようだ。きっとここが山城家の本家なのだろう。
『1967年5月4日 待ちに待った結婚式』というキャプションが付いている。新郎新婦とも多少緊張しつつも笑顔だった。その下には両家の集合写真も掲載されている。
それからは新婚旅行の写真が数ページにわたって続いていた。キャプションによると撮影した場所が熱海、名古屋、京都、大阪と転々としているので、少し前に開通した東海道新幹線を使ってあちこち旅行したのだろう。身長の高い滋さんはすべてオーダーメイドと思われる高級そうな細身の三つボタンのスーツに身を包み、小柄な津紀子さんはサイケデリックとでも言うのだろうか、派手な幾何学模様の柄のミニスカートのワンピースを着ている。津紀子さんは意志が強そうな瞳の印象的な、当時流行りのショートカットが似合っているキュートな女性だった。二人とも幸せな新婚さんらしくしっかり寄り添って手を繋ぎ、満面の笑みを浮かべている。
『1967年5月4日 待ちに待った結婚式』というキャプションが付いている。新郎新婦とも多少緊張しつつも笑顔だった。その下には両家の集合写真も掲載されている。
それからは新婚旅行の写真が数ページにわたって続いていた。キャプションによると撮影した場所が熱海、名古屋、京都、大阪と転々としているので、少し前に開通した東海道新幹線を使ってあちこち旅行したのだろう。身長の高い滋さんはすべてオーダーメイドと思われる高級そうな細身の三つボタンのスーツに身を包み、小柄な津紀子さんはサイケデリックとでも言うのだろうか、派手な幾何学模様の柄のミニスカートのワンピースを着ている。津紀子さんは意志が強そうな瞳の印象的な、当時流行りのショートカットが似合っているキュートな女性だった。二人とも幸せな新婚さんらしくしっかり寄り添って手を繋ぎ、満面の笑みを浮かべている。
その次のページは山城夫妻と生後間もなくの赤ちゃんの記念写真が続いた。『1968年10月 加奈子誕生』『1970年5月 千賀子誕生』『1973年11月 真由子誕生』とキャプションがある事から、夫妻の三人の娘達だった。長女の加奈子さんが山城兄弟のお母さんという事になる。端正な顔立ちの父親に似て子どもながら目鼻立ちのしっかりしたきれいな赤ちゃんだった。
それからしばらく撮影者が津紀子さんなのか、滋さんと娘さん達の仲の良さそうなスナップ写真が続いていく。滋さんがキャンバスやスケッチブックに向かって娘達の絵を描いている写真や、リクライニングチェアに座って目を閉じてレトロな家具調ステレオでレコードを聴いているような写真なども挿入されていた。モノクロ写真が途中からカラー写真に切り替わっていくのが時代の流れを感じてしまう。
滋さんの描いた水彩画や油絵の写真もいくつか載っていた。その中でもやはり目を引いたのは向日葵を背景に笑顔の白いワンピース姿の津紀子さんを描いた色鮮やかな油絵だった。黄色い絵の具をふんだんに使っていて、滋さんにとって津紀子さんは月であり太陽だったのだろう。
アルバムの最後の写真は、加奈子さんが高校に入学した時記念に写真館で撮影した家族五人の写真だった。新品の高校の制服を身に包み、長い髪を背中まで伸ばしたすらりとした正統派美少女といった風情の加奈子さんを中心に、両脇に津紀子さん似の中学校の制服姿の千賀子さん、小学生ながらおっとりとした雰囲気の紺のワンピース姿の真由子さん、その後ろにお揃いで仕立てたようなスーツ姿の両親が立っていて皆幸せそうに微笑んでいる。ただし、それまでずっと健康そうだった滋さんの頬がこけ、すっかり痩せてしまっていた。
匠の話によるとこの後滋さんは胃ガンで亡くなってしまうのか、そう思ったら、突然涙が込み上げてきた。こんなにも仲の良い一家の父親がいきなり死去したらその衝撃は大きかっただろう。
それからしばらく撮影者が津紀子さんなのか、滋さんと娘さん達の仲の良さそうなスナップ写真が続いていく。滋さんがキャンバスやスケッチブックに向かって娘達の絵を描いている写真や、リクライニングチェアに座って目を閉じてレトロな家具調ステレオでレコードを聴いているような写真なども挿入されていた。モノクロ写真が途中からカラー写真に切り替わっていくのが時代の流れを感じてしまう。
滋さんの描いた水彩画や油絵の写真もいくつか載っていた。その中でもやはり目を引いたのは向日葵を背景に笑顔の白いワンピース姿の津紀子さんを描いた色鮮やかな油絵だった。黄色い絵の具をふんだんに使っていて、滋さんにとって津紀子さんは月であり太陽だったのだろう。
アルバムの最後の写真は、加奈子さんが高校に入学した時記念に写真館で撮影した家族五人の写真だった。新品の高校の制服を身に包み、長い髪を背中まで伸ばしたすらりとした正統派美少女といった風情の加奈子さんを中心に、両脇に津紀子さん似の中学校の制服姿の千賀子さん、小学生ながらおっとりとした雰囲気の紺のワンピース姿の真由子さん、その後ろにお揃いで仕立てたようなスーツ姿の両親が立っていて皆幸せそうに微笑んでいる。ただし、それまでずっと健康そうだった滋さんの頬がこけ、すっかり痩せてしまっていた。
匠の話によるとこの後滋さんは胃ガンで亡くなってしまうのか、そう思ったら、突然涙が込み上げてきた。こんなにも仲の良い一家の父親がいきなり死去したらその衝撃は大きかっただろう。
テーブルの上に載っていたティッシュで涙を拭いながら、私はふと違和感を覚えた。匠は母親が自分の父親を嫌っていたと言ってなかったか。しかし、ここに映っていた加奈子さんと滋さんは大層仲の良い親子であり、加奈子さんが父親を信頼している様子が写真越しに伝わってくるのだ。生前の父親を慕っていたのに、死後ヒモだのジゴロだのって父親を嫌うようになるってどのような心理なのだろう。
私は深い吐息をついた。考えたって答えなど出るはずがない。当事者ではないのだから。ただ、何らかのすれ違いで加奈子さんがそんな気持ちに陥ってしまったのだとしたら、それはとても悲しい事だとは感じた。
私は深い吐息をついた。考えたって答えなど出るはずがない。当事者ではないのだから。ただ、何らかのすれ違いで加奈子さんがそんな気持ちに陥ってしまったのだとしたら、それはとても悲しい事だとは感じた。
アルバムの裏表紙の手前のページには滋さんの亡くなった日付と津紀子さんのコメントが記されていた。
『1984年8月12日 滋さん永眠
滋さん、私がそっちに行くまであともう少し待っててね』
ここで私の涙腺が崩壊してしまった。私は一度も会った事もない津紀子さんに完全に感情移入してしまっていたのだ。駆が傍にいなくて良かった。他所のご家庭のアルバムでこんなに泣いてしまったら本気で心配されてしまう。
しばらく泣いてから再度ティッシュで涙を拭くと、アルバムをそっとダイニングテーブルの上に置いた。
『1984年8月12日 滋さん永眠
滋さん、私がそっちに行くまであともう少し待っててね』
ここで私の涙腺が崩壊してしまった。私は一度も会った事もない津紀子さんに完全に感情移入してしまっていたのだ。駆が傍にいなくて良かった。他所のご家庭のアルバムでこんなに泣いてしまったら本気で心配されてしまう。
しばらく泣いてから再度ティッシュで涙を拭くと、アルバムをそっとダイニングテーブルの上に置いた。
気持ちが落ち着いてからソファに座り込んで考える。確かに駆と滋さんはよく似ていた。津紀子さんが駆の事を溺愛するのも無理はないと思ってしまう。なのに、駆は誠さんにも何となく似ていた。
スマホだと誠さんのサイトが見にくいので、自室に行きパソコンデスクの前に腰を下ろして、無駄に虹色に輝くゲーミングPCを立ち上げる。起動画面を見つめていたら、最近仕事が忙しすぎて、残業して帰って駆が作り置きしてくれていた夕飯を食べると即寝ていたため、平日全然FQⅢで遊べていなかった事を思い出した。私がゲームにログインしないから、私がログインした時だけ遊ぶという約束をしていた駆も、当然その間は遊べていない事になる。何だか申し訳ない気分になった。駆はクソがつくほど真面目なので、ゲームで遊びたいと内心思っていても、疲れているわざわざ私を誘ったりはできない性分なのだ。明日、時間に余裕のある時に必ずログインしようと心に誓う。
スマホだと誠さんのサイトが見にくいので、自室に行きパソコンデスクの前に腰を下ろして、無駄に虹色に輝くゲーミングPCを立ち上げる。起動画面を見つめていたら、最近仕事が忙しすぎて、残業して帰って駆が作り置きしてくれていた夕飯を食べると即寝ていたため、平日全然FQⅢで遊べていなかった事を思い出した。私がゲームにログインしないから、私がログインした時だけ遊ぶという約束をしていた駆も、当然その間は遊べていない事になる。何だか申し訳ない気分になった。駆はクソがつくほど真面目なので、ゲームで遊びたいと内心思っていても、疲れているわざわざ私を誘ったりはできない性分なのだ。明日、時間に余裕のある時に必ずログインしようと心に誓う。
パソコンが立ち上がるなり、匠から教えてもらったurlをブラウザに入力する。先ほどの誠さんのサイトが表示された。ハワイの自然が目に鮮やかで眩しい。再度誠さんの顔写真をじっくり眺めた。
(あれ、思ったほど滋さんとは似てないかも?)
それが私の率直な感想である。確かに、滋さんと駆はよく似ているし、誠さんと駆も何となく似ているのだが。
三人の写真を並べたら親戚と思うかもしれないが、滋さんと誠さんはさほど共通点はなかった。全員目鼻立ちがくっきりした二重のイケメンという共通点はあるのだけど。
私は自分の直感を確認するために、風谷氏の写真の下に貼られていた個人ブログのリンクをクリックした。
(あれ、思ったほど滋さんとは似てないかも?)
それが私の率直な感想である。確かに、滋さんと駆はよく似ているし、誠さんと駆も何となく似ているのだが。
三人の写真を並べたら親戚と思うかもしれないが、滋さんと誠さんはさほど共通点はなかった。全員目鼻立ちがくっきりした二重のイケメンという共通点はあるのだけど。
私は自分の直感を確認するために、風谷氏の写真の下に貼られていた個人ブログのリンクをクリックした。
その個人ブログは誠さんが四人のお子さんと一緒に様々なアクティビティを楽しんでいる様子がさかんにアップされているのだが、誠さんの様々な趣味の一つに写真撮影と書いてあるだけあって、ハワイの美しさが存分に伝わってくる素敵な写真だ。お子さん達と山城兄弟はいとこ同士に当たる訳だが、そのうちハーフと思われる明るい茶色の髪の二十代前半と思われる青年がどことなく匠に似ているのが、これまた不思議な気分にさせられる。
誠さん自身がカメラマンのため、あまり本人の写真はないものの、それでも時折自撮り写真もあったりして本人の顔はしっかりと確認できた。
真っ黒に日焼けしていても、確かに誠さんは駆と似ていると確認できた。滋さんの凛々しい二枚目俳優を彷彿とさせる顔立ちが駆の顔のベースではあるが、そこに誠さんのビューラーを使ったのかと思うほどきれいにカールした長いまつ毛とそこはかとなく甘い要素が付け加わった事で、駆は王子様のような優しそうな雰囲気を漂わせるようになったというのが私なりの分析である。
誠さん自身がカメラマンのため、あまり本人の写真はないものの、それでも時折自撮り写真もあったりして本人の顔はしっかりと確認できた。
真っ黒に日焼けしていても、確かに誠さんは駆と似ていると確認できた。滋さんの凛々しい二枚目俳優を彷彿とさせる顔立ちが駆の顔のベースではあるが、そこに誠さんのビューラーを使ったのかと思うほどきれいにカールした長いまつ毛とそこはかとなく甘い要素が付け加わった事で、駆は王子様のような優しそうな雰囲気を漂わせるようになったというのが私なりの分析である。
誠さんと加奈子さんがかつて交際していた……か……。元カレと息子が似ているのは微妙な気持ちになるかもね……正直私はそう思った。その元カレと子の父親である夫が実の兄弟なのだから似ているのも当然なのだが。
ミステリーにありがちな加奈子さんと誠さんが不貞を働いたという不謹慎な可能性も一瞬頭をよぎったものの、山城兄弟が生まれる前に誠さんは出国していると匠がLIMEに書いていたし、その可能性は極めて低そうだ。たとえ一瞬であってもこんな下種な推測をしてしまうなんて、加奈子さんに対して大変失礼である。私は深く反省した。
子の立場からすれば愛してくれない母親なんてもちろん言語道断なのだけど、加奈子さんが駆に苦手意識を持ってしまったのも仕方なかったのかもしれない……そうは思ったものの、所詮私は赤の他人であり、これ以上詮索なんてできる立場にない。後は匠に任せる事にする。
ミステリーにありがちな加奈子さんと誠さんが不貞を働いたという不謹慎な可能性も一瞬頭をよぎったものの、山城兄弟が生まれる前に誠さんは出国していると匠がLIMEに書いていたし、その可能性は極めて低そうだ。たとえ一瞬であってもこんな下種な推測をしてしまうなんて、加奈子さんに対して大変失礼である。私は深く反省した。
子の立場からすれば愛してくれない母親なんてもちろん言語道断なのだけど、加奈子さんが駆に苦手意識を持ってしまったのも仕方なかったのかもしれない……そうは思ったものの、所詮私は赤の他人であり、これ以上詮索なんてできる立場にない。後は匠に任せる事にする。