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6-6

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 現世の和泉さんは、とても明るくて人付き合いのいい人だ。今は僕の願いを聞き入れてもらい、少年の姿に変化したソプラ・テナーと共に大阪観光を満喫している。広の暴走を止めるために思いついた提案だったけど、頼んで良かったな。

 僕は初めて訪れた大阪の景色を堪能しながら、僕たちのこれまでの経緯を和泉さんに話した。

 僕と広は前世でも特別親交が深い仲で、記憶が戻った僕は早速彼と合流するために行動を開始した。まずは自分の首領名が姓であることから、広もその可能性にあると睨んで〝陸中〟という姓を調査。結果、全国でたった一家族だけ岩手に存在すると判明し、紛れもなく()であると確信した僕は、広を探すために岩手の名門公立中学を受験すると決めた。
 弁護士を目指していた僕は元々地元宮城の難関中学を志望していたけど、急な変更を申し出たにも関わらず、あることを理由に両親が反対することはなかった。その理由までは和泉さんには言えなかったけれど。

 家族で岩手へ転居した後、陸中一家が住んでいるという地域をくまなく探した。
 そして運命的に広との再会を果たしたのだ。

 家族ぐるみで仲良くなった僕らは、ソプラとテナーをお互いの両親に変化させ、春休みに相手の家族の旅行に同行すると偽り合った。つまり広の両親には陸前家と、そして僕の両親には陸中家と共に行くとして、実際には僕たちだけで大阪の地を踏んだというわけだ。

 まぁ僕は広の仲間であり友人であり、保護者のようなものだ。

「……ってことは、大阪(ここ)には和矢君と広君の二人だけで来たってこと!?」
「違うのだ。ソプラとテナーもいるのだっ!」

 広が頬を膨らませて反論しているが、和泉さんが驚くのも無理はない。いや、さすがに僕の行動に引いているのか、カフェラテを飲もうとした手が止まっていた。現在、有名なチーズケーキ店でティータイム中なのである。

「両親を騙したことには胸が痛みますが……、子供の僕らにはこうするしかありませんでした。僕たちはブリッランテの生まれ変わりだ、と言うわけにはいきませんし」

 僕がそう呟くと、和泉さんが今度は口を噤んで唸ってしまった。マズい、これは言わない方が良かったか。僕たちが大阪に集まるのは和泉さんがいるからだし。
 甘い物好きで一緒にケーキを頬張っているソプラとテナーを眺めながら、僕は心の中で焦っていた。……安芸さんに怒られたらどうしよう。

 でもそれ以上に気になっているのが、和泉さんが時折辛そうに顔を顰めることだった。街を観光中にもその姿は見られ、そんな時彼女は決まって一瞬片耳に触れる。
 思い返せばその際いつも何かしらの音が鳴っていた。今だって3席先にいる男性のスマホが着信していたし、やはり音の何かに反応しているとしか思えない。

「あの、和泉さん。音が何か気になりますか?」

 それとなく僕たちの話から反らすように尋ねると、彼女はひっそりと苦笑した。そこで僕は初めて、和泉さんだけが感じている音のズレについて聞いた。
 音の高さ、つまり〝ピッチ〟がズレて聞こえると人が不快を感じるのは、脳が音のパターンや調和を記憶しているからだ。それが音に敏感な音楽家、とりわけ絶対音感を持つ人ならば一入だ。更にピッチのズレた音を長時間聞き続けると、人間の脳はそれを補正しようとエネルギーを使うから、疲労やストレスにも繋がるだろう。

 ただし人の脳には『適応能力』というものがある。本来なら時間が経つにつれ慣れてくるはずなのだけど、和泉さんはD4()の音は日を追うごとに少しずつ下がっていると説明した。そして最近はG4()の音にも同じ現象が発生。これでは脳も適応できず、和泉さんは日々ストレスに耐えていることになる。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか。皆、忘れ物しちゃだめだよ」
「む。子供扱いしないでほしいのだ」

 それでも和泉さんの振る舞いは常に気丈だ。安芸さんたちがカルテットを組む提案をした成果もあると思うけど、音のズレが消滅したわけではないから突発的な音には反応してしまうのだろう。あんなにヴァイオリンを楽しそうに弾く人が、そんな日々に苦悩しないはずがない。
 彼女も僕たちと同じように、笑顔の裏で必死に戦っているんだ。これもブリッランテの生まれ変わりとしての運命か……。

 十六時を回り僕たちは大阪の都心から和泉市の方に戻ってきた。広は今日一日で和泉さんとの距離をかなり縮めた気がするけれど、それでもまだ一度たりとも彼女の名前を呼んでいない。それに必ず間に僕を挟むし。

 大阪にはあと2日ほど滞在するけれど、その間で広に和泉さんと仲良くしてもらうにはどうしたらいいんだろう。

「今日はありがとうございます、和泉さん。とても楽しかったです。ほら、広も御礼言って」
「……ありがとうなのだ」
「こちらこそありがとう。岩手へ帰る前に、また一緒に演奏しようね」

 僕たちは駅の前で別れて和泉さんを見送った。
 そして宿泊ホテルへ向かうために、彼女とは逆方向へ歩き始めた時、その異変に僕は気づく。

 何かがブーンという羽音を鳴らしながら、すれ違って飛び去るのを目にした。色、大きさから考えて蜂。それも猛毒を持つスズメバチだった。
 無論、スズメバチ自体は屋外の中なのだから遭遇することはあるだろうけど、季節はまだ3月の中旬。この時期、蜂たちはまだ冬眠中のはずだ。女王蜂ならば巣を作るために活動を始めているかもしれないが、こんな街中を飛ぶだろうか。

 晩ご飯の話をする広に「さっきまでケーキ食べてただろう……」と苦笑しながら答えつつ何気なく振り返ると、スズメバチは真っ直ぐと()()へ近づいていく。

 僕の直感が、脳内に警鐘を響かせた。

変化(ヴァリエ)ッ!」

 そう叫んでポケットから取り出したのは、ピアノの弦として使われるミュージックワイヤだ。ピアノ奏者である僕はあの巨大な楽器を常時担ぐわけにいかないから、有事のためにこのワイヤを持ち歩いて戦っている。
 変化(ヴァリエ)をすると僕の体の一部となって取り込まれ、自在に操ることが可能だ。

「えっ……?」
「和矢!?」
番手調節(コードチューニング)17番1/2(にぶ)分散鋼斬(アルペジオ)!」

 右手の指先から直径1ミリのワイヤを解き放ったワイヤは、和泉さんに襲いかかるスズメバチを猛追した。



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 現世の和泉さんは、とても明るくて人付き合いのいい人だ。今は僕の願いを聞き入れてもらい、少年の姿に変化したソプラ・テナーと共に大阪観光を満喫している。広の暴走を止めるために思いついた提案だったけど、頼んで良かったな。
 僕は初めて訪れた大阪の景色を堪能しながら、僕たちのこれまでの経緯を和泉さんに話した。
 僕と広は前世でも特別親交が深い仲で、記憶が戻った僕は早速彼と合流するために行動を開始した。まずは自分の首領名が姓であることから、広もその可能性にあると睨んで〝陸中〟という姓を調査。結果、全国でたった一家族だけ岩手に存在すると判明し、紛れもなく|彼《・》であると確信した僕は、広を探すために岩手の名門公立中学を受験すると決めた。
 弁護士を目指していた僕は元々地元宮城の難関中学を志望していたけど、急な変更を申し出たにも関わらず、あることを理由に両親が反対することはなかった。その理由までは和泉さんには言えなかったけれど。
 家族で岩手へ転居した後、陸中一家が住んでいるという地域をくまなく探した。
 そして運命的に広との再会を果たしたのだ。
 家族ぐるみで仲良くなった僕らは、ソプラとテナーをお互いの両親に変化させ、春休みに相手の家族の旅行に同行すると偽り合った。つまり広の両親には陸前家と、そして僕の両親には陸中家と共に行くとして、実際には僕たちだけで大阪の地を踏んだというわけだ。
 まぁ僕は広の仲間であり友人であり、保護者のようなものだ。
「……ってことは、|大阪《ここ》には和矢君と広君の二人だけで来たってこと!?」
「違うのだ。ソプラとテナーもいるのだっ!」
 広が頬を膨らませて反論しているが、和泉さんが驚くのも無理はない。いや、さすがに僕の行動に引いているのか、カフェラテを飲もうとした手が止まっていた。現在、有名なチーズケーキ店でティータイム中なのである。
「両親を騙したことには胸が痛みますが……、子供の僕らにはこうするしかありませんでした。僕たちはブリッランテの生まれ変わりだ、と言うわけにはいきませんし」
 僕がそう呟くと、和泉さんが今度は口を噤んで唸ってしまった。マズい、これは言わない方が良かったか。僕たちが大阪に集まるのは和泉さんがいるからだし。
 甘い物好きで一緒にケーキを頬張っているソプラとテナーを眺めながら、僕は心の中で焦っていた。……安芸さんに怒られたらどうしよう。
 でもそれ以上に気になっているのが、和泉さんが時折辛そうに顔を顰めることだった。街を観光中にもその姿は見られ、そんな時彼女は決まって一瞬片耳に触れる。
 思い返せばその際いつも何かしらの音が鳴っていた。今だって3席先にいる男性のスマホが着信していたし、やはり音の何かに反応しているとしか思えない。
「あの、和泉さん。音が何か気になりますか?」
 それとなく僕たちの話から反らすように尋ねると、彼女はひっそりと苦笑した。そこで僕は初めて、和泉さんだけが感じている音のズレについて聞いた。
 音の高さ、つまり〝ピッチ〟がズレて聞こえると人が不快を感じるのは、脳が音のパターンや調和を記憶しているからだ。それが音に敏感な音楽家、とりわけ絶対音感を持つ人ならば一入だ。更にピッチのズレた音を長時間聞き続けると、人間の脳はそれを補正しようとエネルギーを使うから、疲労やストレスにも繋がるだろう。
 ただし人の脳には『適応能力』というものがある。本来なら時間が経つにつれ慣れてくるはずなのだけど、和泉さんは|D4《レ》の音は日を追うごとに少しずつ下がっていると説明した。そして最近は|G4《ソ》の音にも同じ現象が発生。これでは脳も適応できず、和泉さんは日々ストレスに耐えていることになる。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。皆、忘れ物しちゃだめだよ」
「む。子供扱いしないでほしいのだ」
 それでも和泉さんの振る舞いは常に気丈だ。安芸さんたちがカルテットを組む提案をした成果もあると思うけど、音のズレが消滅したわけではないから突発的な音には反応してしまうのだろう。あんなにヴァイオリンを楽しそうに弾く人が、そんな日々に苦悩しないはずがない。
 彼女も僕たちと同じように、笑顔の裏で必死に戦っているんだ。これもブリッランテの生まれ変わりとしての運命か……。
 十六時を回り僕たちは大阪の都心から和泉市の方に戻ってきた。広は今日一日で和泉さんとの距離をかなり縮めた気がするけれど、それでもまだ一度たりとも彼女の名前を呼んでいない。それに必ず間に僕を挟むし。
 大阪にはあと2日ほど滞在するけれど、その間で広に和泉さんと仲良くしてもらうにはどうしたらいいんだろう。
「今日はありがとうございます、和泉さん。とても楽しかったです。ほら、広も御礼言って」
「……ありがとうなのだ」
「こちらこそありがとう。岩手へ帰る前に、また一緒に演奏しようね」
 僕たちは駅の前で別れて和泉さんを見送った。
 そして宿泊ホテルへ向かうために、彼女とは逆方向へ歩き始めた時、その異変に僕は気づく。
 何かがブーンという羽音を鳴らしながら、すれ違って飛び去るのを目にした。色、大きさから考えて蜂。それも猛毒を持つスズメバチだった。
 無論、スズメバチ自体は屋外の中なのだから遭遇することはあるだろうけど、季節はまだ3月の中旬。この時期、蜂たちはまだ冬眠中のはずだ。女王蜂ならば巣を作るために活動を始めているかもしれないが、こんな街中を飛ぶだろうか。
 晩ご飯の話をする広に「さっきまでケーキ食べてただろう……」と苦笑しながら答えつつ何気なく振り返ると、スズメバチは真っ直ぐと|彼《・》|女《・》へ近づいていく。
 僕の直感が、脳内に警鐘を響かせた。
「|変化《ヴァリエ》ッ!」
 そう叫んでポケットから取り出したのは、ピアノの弦として使われるミュージックワイヤだ。ピアノ奏者である僕はあの巨大な楽器を常時担ぐわけにいかないから、有事のためにこのワイヤを持ち歩いて戦っている。
 |変化《ヴァリエ》をすると僕の体の一部となって取り込まれ、自在に操ることが可能だ。
「えっ……?」
「和矢!?」
「|番手調節《コードチューニング》17番|1/2《にぶ》、|分散鋼斬《アルペジオ》!」
 右手の指先から直径1ミリのワイヤを解き放ったワイヤは、和泉さんに襲いかかるスズメバチを猛追した。