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07.Knockin' on Heavens' Door/Bob Dylan

ー/ー



『ピピピピ……ピピピピ……』
 音楽に混ざった電子音が邪魔くさい。せっかく人が気持ち良く弾き語りをしているってのに。演奏中はケータイ切れよ!

 徐々に意識がハッキリしてくると、歌っているのは自分ではなく甲本ヒロトだというコトがわかる。次にわかったのは、仕事に間に合うかどうかという事実だった。

 駅まで全力で走りながら、最近寝坊するコトが増えてきたなと反省。一般企業のサラリーマンより、やや出勤時間が遅い職場なのが唯一の救いだ。

 土曜日なので、飛び乗った私鉄は比較的空いており、座れれば終点の五反田まで連れて行ってくれるのだから楽で良い。

 特に座席の両端は、寄り掛かれるので終点までガッツリ眠るコトも出来る。しかも車両が新型だと、端が金属製のパイプではなく壁になっているので、立っている乗客がもたれ掛かってきて、見知らぬ尻に圧迫されるコトも無い。

 乗り込んだのは旧式の車両だったが、幸いにも端の座席に座れたので、電車に揺られながら昨晩聴き通していた曲を脳内で再生する。

 心地好いテンポで、ゆっくりと走る電車の車窓にピッタリの楽曲だ。

 元々普段から音楽を聴く習慣が無いのだが、スマートフォンにダウンロードするか、MP3プレイヤーかポータブルCDプレイヤーでも持ち歩こうかとも思うほどだった。

 音楽が日常を豊かにするなんて、どこかのキャッチコピーみたいだが、今は本当にそう思いつつある。

 手持ち無沙汰で、貰ったCDの曲をうろ覚えでスマートフォンの動画検索をしてみると、意外にも何件かヒットした。

 調子の良いイヤフォンでも持っていれば、今すぐにでも聴けるのだが、申し訳程度のポーズで肩から下げたトートバッグには何も入っていない上、生憎音楽を聴かない生活を送っているので、ヘッドフォンやイヤフォンのような類いの気の利いたモノなど入っているハズがない。

 今日は帰りに地下道を通らず、家電量販店でも覗いて帰ろう。勤務地が新宿っていう利点を、今日は初めて活用出来そうだ。

 三両編成の私鉄から、五反田で山手線に足取り軽く乗り換えたが、勤務地である新宿に近付くにつれ現実に引き戻されてゆく。

 駅からの地下道を通ると、また一日コールセンターに詰め込まれ、魂をすり減らすような業務が待ち受けているのかと思うと憂鬱になる。

 職場では、自らが研修をした新人付きを課せられており、自分のKPIを達成しつつ、あの絡みづらい二人の面倒を見なくてはならない。

 一人は調子だけ良くてやる気を感じられない男の子と、もう一人は何を考えてるのかわからなくてやる気も感じられない女の子。

 ホントに扱いづらい……

 朝礼が終わったセンター内では、問題児の一人である大野が、早速他の女性オペレーターにちょっかいを出している。

 見張りが出来るよう架電ブースをすぐ近くにしているっていうのに。

 イイ度胸してるなお前は。ナンパなら外でやれ!

「あー大野くん、仕事中だから他の人の邪魔しないで自分のリストに架電してくれるかな?」

 若いヤツは叱り方を間違えると面倒臭いので、やんわり注意を促す。

「あ、さーせん。何かモチベーション上がらなくて、アドバイス貰ってたんスよ。全然サボってないんで」

 お前のモチベーションって何だよ。悪びれる様子もなく、相変わらず業務を進めている気配は無い。

 一方もう一人の問題児は、架電はしているものの声のトーンが低く、受話器の向こうから全く相手にしてもらえていない。

 オンラインの通話システムで妹尾梓のモニタリングをすると、電話口でボソボソと名乗っているのでイタズラ電話と間違えられ、ガチャ切りされている。

「あー、妹尾さん、もうちょっと明るく喋ってみようか? お通夜じゃないんだから……ハハハ」

 こういうのが続くと、心が折れて辞めちゃうコが多いので、心配になって愛想笑いで慰める。

 マスクと前髪で隠れて読み取れない表情でこちらを一瞥をし、会釈してモニターに視線を戻す。

 もう何なんだよ……若いヤツはどう扱うのが正解かわかんないよ。

 こんな状況では、当然ながら業務に集中出来ず、午前中に定められた架電KPIも達成するコト無く昼休みになってしまった。

 グッタリと休憩スペースの隅でうなだれていると、突っ伏したテーブルに影が落ちた。

 佐向亜依子かと期待し、ガバッと身体を起こすと妹尾梓が無言で立ち尽くしていた。

「うぉおビックリした! ど、どうかした?」

「あの、今日、14時で上がらせて欲しいんですけど……」

 驚いて心臓がバクバクいっているが、それよりも業務中ですらあまり会話の無い彼女からの申し出に、ドラクエのマタンゴばりに驚き戸惑っていた。

「何か都合悪いかな? まぁ土曜日だもんね? 予定あるなら仕方ないか。進捗状況にもよるけど、新人だから足りない分は俺がやっておくよ……でも、次からはもうちょっと早めに言ってね?」

 我ながら安請け合いしてしまうのは悪いクセだ。妹尾梓はペコリと一礼して、休憩スペース内の真逆にある隅の席に戻った。

 はぁ、しかしビックリした。ホッとしたところでテーブルに置いたスマートフォンがガタガタと震えた。

『今日、20時までに三茶集合で! 来なかったら……どうしようか?(笑)』

 恐ろしげなメッセージに続いて可愛らしいスタンプが送られてきた。送り主はミチヨだった。

 イカン! すっかり忘れてた。今日は無理矢理チケット売り付けられたライブの日じゃないか!

 しかもほんの数日前に、サクラ以外の三人の前で激昂してしまったのもあって、顔を合わせるのは非常に気まずい……が、メッセージを開いてしまった以上、気付かなかったという言い訳は通用すまい。

 妹尾梓の後を追って、やっぱダメとはとても言えない雰囲気だったので、財布から出したチケットの住所を地図アプリに入力して、到着予定時刻を20時より5分前に設定して検索。

 19時24分にここを出て、走れば何とか間に合いそうな気配である。

 業務を逆算して、あとは妹尾梓がどれだけリストを未着手で帰るかが問題だ。気合いを入れて午後の業務に取り掛からなくては。

 西村京太郎のトリックさながらのタイムテーブルを確認した上で、一応お願いだけはしておこうと、片隅でヘッドフォンをしている妹尾梓の前へ、極力申し訳なさそうな顔で両手を合わせながら赴いた。

「14時上がりは大丈夫なんだけど、俺も20時から三茶で予定入っちゃって、出来るだけ残業したくないから架電頑張ってくれるかな?ホント申し訳ない」

 ヘッドフォンを外して、俺のお願いを聞いていた妹尾梓は、無言だがやや驚いた表情で二度ほど頷いてくれた。これで根回しは万全だ。

 あとは余程のイレギュラーさえ無ければ、20時に三茶到着は確実である。

 午後は一時間ごとに、逆算で貯金を作りつつフル回転で業務をこなす。

 我ながらデキる男っぽいが、実際にはバイトに毛が生えた程度の仕事しかしていない。

 予定通り妹尾梓が14時で上がったが、根回しが効いたのか彼女の残りを請け負っても、十分定時には上がれそうである。

 ホッとしながらオヤツ休憩から戻ると、業務開始して10分経っても空席がある。

 稼働人数を数えたり、出勤者リストを広げるまでもなく、不在なのは大野だった。

「やられた……」

 あまりの落胆でつい声を漏らしてしまった。

 システムで業務進捗を確認すると、大野のリストはほぼ手付かずのまま残されており、妹尾梓の業務を請け負った上、さらに大野の分のリスト消化をするとなると、20時に三茶到着は厳しそうだ。

 あの野郎! 派遣会社経由でクレーム上げてやるから覚悟しておけ!

 恨み節を口にしたところで、業務規約上では20時以降の架電は禁止されている為、目一杯働いても最速で20時にはここを出られる。

 30分以上の遅刻は致命的だが、必死に走り込んで『行った』という事実だけでも作らなくてはなるまい。

 一気に下がったモチベーションを何とか立て直しつつ、架電の手を進めるも時間だけが刻々と過ぎてゆき、ここを出なくてはならない19時24分はとうに回っていた。

 架電が規定時刻を超えないよう、オペレーター全員が見られる大きなホワイトボードに札を貼り出す。

『19時50分以降は発信禁止』

 終礼を待たずにこっそりと部屋を出て、ロッカーでスマートフォンを取り出しミチヨにメッセージを送信する。

『申し訳ない。仕事が押してこれから会社出ます。到着は20時半ぐらいになりそうです』

 とりあえずこれで、こちらから連絡を取ったというエビデンスは残せた。

 恐らく忙しい彼女達が、このメッセージに気付くのは、しばらく経ってからだろうと安堵した瞬間、手にしていたスマートフォンが震えた。

『アミオさん! ダッシュ!! サクラが遅れても坊主だって言ってる』

 優しくない! 優しくないよ! 彼女達に大人の駆け引きは通用しなかったか……

 カバンを引ったくるように掴み、擦れ違うスタッフに会釈を繰り返して駅まで走る。

 何とか20時前に会社は出られたが、走って駅まで向かう途中、手ブレを起こしながら地図アプリで到着時刻を検察すると、どう頑張っても20時33分が最速。

 しかも走ろうが歩こうが、乗れる電車が一本早まるコトは無さそうである。

 諦めてダラダラ歩こうとも思ったが、何故か自分がいい加減な人間に成り下がってしまいそうな気がして、折衷案で早歩きのまま駅へ向かった。

 きっとこういうところが小娘に舐められるんだろうなと、自己分析をしつつ改札を通る。

 ソワソワが止まらないが、電車到着まで2分程。スマートフォンを見ると新着のメッセージが届いている。

『ライブが機材トラブルでちょっと押してるけど、たぶんあと15分ぐらいで始めるから直接入ってきてね? アミオさん頑張って走って!』

 やはり間に合わないが、励まされている以上は全力で向かわなければ、大人としてのプライドが許さない。

 電車内でも足踏みを止められず、周りからは白い目で見られているようだが、全くもって落ち着かない。

 駅に着くなりホームを走り、階段を駆け上がって、地上に出て周囲を見回すが、どっちに行ったら良いかもわからなかった。

 再度地図アプリを開くが、こんな時に限ってGPSが行ったり来たりで自分の位置すらはっきりしない。

「樹海かよ!」

 ついつい大声を出してしまい、我に返って周囲を見渡すと、ギターを背負った女の子三人組がこちらを見ていた。

 この立地でギター持参とくれば、恐らく目的地は同じじゃなかろうか?完全に賭けだが彼女達に付いて行ってみるコトにした。

 ただその先にライブハウスが無かったり、ギターだと思っていたモノが、実は隣の晩御飯的な巨大なしゃもじだったりしたら、そこでゲームオーバーだ。

 女の子が熱狂的なヨネスケ師匠の大ファンでないとも限らない。

 怪しまれないように、付かず離れずの距離を保って後ろを歩く。

 とは言え、先程まで街中で大声を張り上げ、落ち着きのないオッサンが息を切らして後を着けてきていたら誰でも不安になるハズだろう。

 細い路地から商店街に出てしばらく歩くと、絶賛ストーキング対象の少女達が振り返った。

「あ、あの! ずっと着けてきてますけど、何か用ですか?」

 思いっきり怯えた顔で、一人は今にも警察に通報するぞと言わんばかりにスマートフォンを握り締めている。これは最悪ライブどころでは無いかもしれん。

「いや、あの、道に迷ってまして……あ、そうだ! ここです。ここに行きたいんです! ギターとか持ってるから、もしかしたら一緒かなぁ? なんて」

 財布に入ったチケットを出そうとして、お尻のポケットに手を入れると、少女達の一人がヒィ! と小声で悲鳴を上げたが、構わず財布を取り出した。

 そこから引き抜かれた小さな黄色い紙切れを見た彼女達は、緊張が解けた様子でやっと口を開いた。

「なんだパラGOか……それならそこのゲームセンターの地下ですよ」

 三人組の少女達から、緊張が解けるのを確認出来た。

「あー怖かった。ちなみに私達はその先にあるスタジオ行くんで、着いて来なくて良かったですね」

「あ、ありがとうございます。驚かせてゴメンなさい」

 ペコペコと、振り返りながら何度も頭を下げつつ、小走りで商店街を進み、ゲームセンターの地下に続く通路に入った。

 薄暗く、壁にはチラシやステッカー、バンドの名前らしき落書きが施されていて、マンガ『クローズ』の鈴蘭高校を彷彿とさせる。

 階段を降りるにつれ、ビリビリと壁を震わせる重低音が聞こえてきた。

 人生でこんな場所に立ち寄ったコトなど無かったので、扉を開いたらマッドマックスに出てくるようなモヒカン野郎が、釘を打ち付けたバットを担いで待っているのではとか、デビルマンの一巻で、不動明が巻き込まれるサバトのシーンが頭を駆け巡った。

 レンガ造りの細い階段を一番下まで降りて、恐る恐る鉄製の大きな扉を引き開けると、重低音はさらに大きさを増した。

 ビクビクして前を向くと、小さなテーブルの受付カウンターに、ややケバいメイクの女の子が座っている。

 握り締めていたチケットを渡すと点線から一部分を切り離した。

 おもむろに、差し出したままだった右手を引っ張られ、ビクッとしたところ手の甲にスタンプを押された。

 そのまま顔を近付けて、騒音で聞き取りづらい事を考慮してか、耳元に大声で叫ばれた。

「ドリンク代500円頂きます!」

 そういえば、そんなコトを誰かに言われたなと、遠い記憶を遡りつつ財布から千円札を一枚取り出して受付嬢に手渡し、お釣りとチラシの束を貰う。

 もう一枚左手にそびえる大きな鉄製の扉を押し開くと、更なる轟音が耳をつんざいた。


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 徐々に意識がハッキリしてくると、歌っているのは自分ではなく甲本ヒロトだというコトがわかる。次にわかったのは、仕事に間に合うかどうかという事実だった。
 駅まで全力で走りながら、最近寝坊するコトが増えてきたなと反省。一般企業のサラリーマンより、やや出勤時間が遅い職場なのが唯一の救いだ。
 土曜日なので、飛び乗った私鉄は比較的空いており、座れれば終点の五反田まで連れて行ってくれるのだから楽で良い。
 特に座席の両端は、寄り掛かれるので終点までガッツリ眠るコトも出来る。しかも車両が新型だと、端が金属製のパイプではなく壁になっているので、立っている乗客がもたれ掛かってきて、見知らぬ尻に圧迫されるコトも無い。
 乗り込んだのは旧式の車両だったが、幸いにも端の座席に座れたので、電車に揺られながら昨晩聴き通していた曲を脳内で再生する。
 心地好いテンポで、ゆっくりと走る電車の車窓にピッタリの楽曲だ。
 元々普段から音楽を聴く習慣が無いのだが、スマートフォンにダウンロードするか、MP3プレイヤーかポータブルCDプレイヤーでも持ち歩こうかとも思うほどだった。
 音楽が日常を豊かにするなんて、どこかのキャッチコピーみたいだが、今は本当にそう思いつつある。
 手持ち無沙汰で、貰ったCDの曲をうろ覚えでスマートフォンの動画検索をしてみると、意外にも何件かヒットした。
 調子の良いイヤフォンでも持っていれば、今すぐにでも聴けるのだが、申し訳程度のポーズで肩から下げたトートバッグには何も入っていない上、生憎音楽を聴かない生活を送っているので、ヘッドフォンやイヤフォンのような類いの気の利いたモノなど入っているハズがない。
 今日は帰りに地下道を通らず、家電量販店でも覗いて帰ろう。勤務地が新宿っていう利点を、今日は初めて活用出来そうだ。
 三両編成の私鉄から、五反田で山手線に足取り軽く乗り換えたが、勤務地である新宿に近付くにつれ現実に引き戻されてゆく。
 駅からの地下道を通ると、また一日コールセンターに詰め込まれ、魂をすり減らすような業務が待ち受けているのかと思うと憂鬱になる。
 職場では、自らが研修をした新人付きを課せられており、自分のKPIを達成しつつ、あの絡みづらい二人の面倒を見なくてはならない。
 一人は調子だけ良くてやる気を感じられない男の子と、もう一人は何を考えてるのかわからなくてやる気も感じられない女の子。
 ホントに扱いづらい……
 朝礼が終わったセンター内では、問題児の一人である大野が、早速他の女性オペレーターにちょっかいを出している。
 見張りが出来るよう架電ブースをすぐ近くにしているっていうのに。
 イイ度胸してるなお前は。ナンパなら外でやれ!
「あー大野くん、仕事中だから他の人の邪魔しないで自分のリストに架電してくれるかな?」
 若いヤツは叱り方を間違えると面倒臭いので、やんわり注意を促す。
「あ、さーせん。何かモチベーション上がらなくて、アドバイス貰ってたんスよ。全然サボってないんで」
 お前のモチベーションって何だよ。悪びれる様子もなく、相変わらず業務を進めている気配は無い。
 一方もう一人の問題児は、架電はしているものの声のトーンが低く、受話器の向こうから全く相手にしてもらえていない。
 オンラインの通話システムで妹尾梓のモニタリングをすると、電話口でボソボソと名乗っているのでイタズラ電話と間違えられ、ガチャ切りされている。
「あー、妹尾さん、もうちょっと明るく喋ってみようか? お通夜じゃないんだから……ハハハ」
 こういうのが続くと、心が折れて辞めちゃうコが多いので、心配になって愛想笑いで慰める。
 マスクと前髪で隠れて読み取れない表情でこちらを一瞥をし、会釈してモニターに視線を戻す。
 もう何なんだよ……若いヤツはどう扱うのが正解かわかんないよ。
 こんな状況では、当然ながら業務に集中出来ず、午前中に定められた架電KPIも達成するコト無く昼休みになってしまった。
 グッタリと休憩スペースの隅でうなだれていると、突っ伏したテーブルに影が落ちた。
 佐向亜依子かと期待し、ガバッと身体を起こすと妹尾梓が無言で立ち尽くしていた。
「うぉおビックリした! ど、どうかした?」
「あの、今日、14時で上がらせて欲しいんですけど……」
 驚いて心臓がバクバクいっているが、それよりも業務中ですらあまり会話の無い彼女からの申し出に、ドラクエのマタンゴばりに驚き戸惑っていた。
「何か都合悪いかな? まぁ土曜日だもんね? 予定あるなら仕方ないか。進捗状況にもよるけど、新人だから足りない分は俺がやっておくよ……でも、次からはもうちょっと早めに言ってね?」
 我ながら安請け合いしてしまうのは悪いクセだ。妹尾梓はペコリと一礼して、休憩スペース内の真逆にある隅の席に戻った。
 はぁ、しかしビックリした。ホッとしたところでテーブルに置いたスマートフォンがガタガタと震えた。
『今日、20時までに三茶集合で! 来なかったら……どうしようか?(笑)』
 恐ろしげなメッセージに続いて可愛らしいスタンプが送られてきた。送り主はミチヨだった。
 イカン! すっかり忘れてた。今日は無理矢理チケット売り付けられたライブの日じゃないか!
 しかもほんの数日前に、サクラ以外の三人の前で激昂してしまったのもあって、顔を合わせるのは非常に気まずい……が、メッセージを開いてしまった以上、気付かなかったという言い訳は通用すまい。
 妹尾梓の後を追って、やっぱダメとはとても言えない雰囲気だったので、財布から出したチケットの住所を地図アプリに入力して、到着予定時刻を20時より5分前に設定して検索。
 19時24分にここを出て、走れば何とか間に合いそうな気配である。
 業務を逆算して、あとは妹尾梓がどれだけリストを未着手で帰るかが問題だ。気合いを入れて午後の業務に取り掛からなくては。
 西村京太郎のトリックさながらのタイムテーブルを確認した上で、一応お願いだけはしておこうと、片隅でヘッドフォンをしている妹尾梓の前へ、極力申し訳なさそうな顔で両手を合わせながら赴いた。
「14時上がりは大丈夫なんだけど、俺も20時から三茶で予定入っちゃって、出来るだけ残業したくないから架電頑張ってくれるかな?ホント申し訳ない」
 ヘッドフォンを外して、俺のお願いを聞いていた妹尾梓は、無言だがやや驚いた表情で二度ほど頷いてくれた。これで根回しは万全だ。
 あとは余程のイレギュラーさえ無ければ、20時に三茶到着は確実である。
 午後は一時間ごとに、逆算で貯金を作りつつフル回転で業務をこなす。
 我ながらデキる男っぽいが、実際にはバイトに毛が生えた程度の仕事しかしていない。
 予定通り妹尾梓が14時で上がったが、根回しが効いたのか彼女の残りを請け負っても、十分定時には上がれそうである。
 ホッとしながらオヤツ休憩から戻ると、業務開始して10分経っても空席がある。
 稼働人数を数えたり、出勤者リストを広げるまでもなく、不在なのは大野だった。
「やられた……」
 あまりの落胆でつい声を漏らしてしまった。
 システムで業務進捗を確認すると、大野のリストはほぼ手付かずのまま残されており、妹尾梓の業務を請け負った上、さらに大野の分のリスト消化をするとなると、20時に三茶到着は厳しそうだ。
 あの野郎! 派遣会社経由でクレーム上げてやるから覚悟しておけ!
 恨み節を口にしたところで、業務規約上では20時以降の架電は禁止されている為、目一杯働いても最速で20時にはここを出られる。
 30分以上の遅刻は致命的だが、必死に走り込んで『行った』という事実だけでも作らなくてはなるまい。
 一気に下がったモチベーションを何とか立て直しつつ、架電の手を進めるも時間だけが刻々と過ぎてゆき、ここを出なくてはならない19時24分はとうに回っていた。
 架電が規定時刻を超えないよう、オペレーター全員が見られる大きなホワイトボードに札を貼り出す。
『19時50分以降は発信禁止』
 終礼を待たずにこっそりと部屋を出て、ロッカーでスマートフォンを取り出しミチヨにメッセージを送信する。
『申し訳ない。仕事が押してこれから会社出ます。到着は20時半ぐらいになりそうです』
 とりあえずこれで、こちらから連絡を取ったというエビデンスは残せた。
 恐らく忙しい彼女達が、このメッセージに気付くのは、しばらく経ってからだろうと安堵した瞬間、手にしていたスマートフォンが震えた。
『アミオさん! ダッシュ!! サクラが遅れても坊主だって言ってる』
 優しくない! 優しくないよ! 彼女達に大人の駆け引きは通用しなかったか……
 カバンを引ったくるように掴み、擦れ違うスタッフに会釈を繰り返して駅まで走る。
 何とか20時前に会社は出られたが、走って駅まで向かう途中、手ブレを起こしながら地図アプリで到着時刻を検察すると、どう頑張っても20時33分が最速。
 しかも走ろうが歩こうが、乗れる電車が一本早まるコトは無さそうである。
 諦めてダラダラ歩こうとも思ったが、何故か自分がいい加減な人間に成り下がってしまいそうな気がして、折衷案で早歩きのまま駅へ向かった。
 きっとこういうところが小娘に舐められるんだろうなと、自己分析をしつつ改札を通る。
 ソワソワが止まらないが、電車到着まで2分程。スマートフォンを見ると新着のメッセージが届いている。
『ライブが機材トラブルでちょっと押してるけど、たぶんあと15分ぐらいで始めるから直接入ってきてね? アミオさん頑張って走って!』
 やはり間に合わないが、励まされている以上は全力で向かわなければ、大人としてのプライドが許さない。
 電車内でも足踏みを止められず、周りからは白い目で見られているようだが、全くもって落ち着かない。
 駅に着くなりホームを走り、階段を駆け上がって、地上に出て周囲を見回すが、どっちに行ったら良いかもわからなかった。
 再度地図アプリを開くが、こんな時に限ってGPSが行ったり来たりで自分の位置すらはっきりしない。
「樹海かよ!」
 ついつい大声を出してしまい、我に返って周囲を見渡すと、ギターを背負った女の子三人組がこちらを見ていた。
 この立地でギター持参とくれば、恐らく目的地は同じじゃなかろうか?完全に賭けだが彼女達に付いて行ってみるコトにした。
 ただその先にライブハウスが無かったり、ギターだと思っていたモノが、実は隣の晩御飯的な巨大なしゃもじだったりしたら、そこでゲームオーバーだ。
 女の子が熱狂的なヨネスケ師匠の大ファンでないとも限らない。
 怪しまれないように、付かず離れずの距離を保って後ろを歩く。
 とは言え、先程まで街中で大声を張り上げ、落ち着きのないオッサンが息を切らして後を着けてきていたら誰でも不安になるハズだろう。
 細い路地から商店街に出てしばらく歩くと、絶賛ストーキング対象の少女達が振り返った。
「あ、あの! ずっと着けてきてますけど、何か用ですか?」
 思いっきり怯えた顔で、一人は今にも警察に通報するぞと言わんばかりにスマートフォンを握り締めている。これは最悪ライブどころでは無いかもしれん。
「いや、あの、道に迷ってまして……あ、そうだ! ここです。ここに行きたいんです! ギターとか持ってるから、もしかしたら一緒かなぁ? なんて」
 財布に入ったチケットを出そうとして、お尻のポケットに手を入れると、少女達の一人がヒィ! と小声で悲鳴を上げたが、構わず財布を取り出した。
 そこから引き抜かれた小さな黄色い紙切れを見た彼女達は、緊張が解けた様子でやっと口を開いた。
「なんだパラGOか……それならそこのゲームセンターの地下ですよ」
 三人組の少女達から、緊張が解けるのを確認出来た。
「あー怖かった。ちなみに私達はその先にあるスタジオ行くんで、着いて来なくて良かったですね」
「あ、ありがとうございます。驚かせてゴメンなさい」
 ペコペコと、振り返りながら何度も頭を下げつつ、小走りで商店街を進み、ゲームセンターの地下に続く通路に入った。
 薄暗く、壁にはチラシやステッカー、バンドの名前らしき落書きが施されていて、マンガ『クローズ』の鈴蘭高校を彷彿とさせる。
 階段を降りるにつれ、ビリビリと壁を震わせる重低音が聞こえてきた。
 人生でこんな場所に立ち寄ったコトなど無かったので、扉を開いたらマッドマックスに出てくるようなモヒカン野郎が、釘を打ち付けたバットを担いで待っているのではとか、デビルマンの一巻で、不動明が巻き込まれるサバトのシーンが頭を駆け巡った。
 レンガ造りの細い階段を一番下まで降りて、恐る恐る鉄製の大きな扉を引き開けると、重低音はさらに大きさを増した。
 ビクビクして前を向くと、小さなテーブルの受付カウンターに、ややケバいメイクの女の子が座っている。
 握り締めていたチケットを渡すと点線から一部分を切り離した。
 おもむろに、差し出したままだった右手を引っ張られ、ビクッとしたところ手の甲にスタンプを押された。
 そのまま顔を近付けて、騒音で聞き取りづらい事を考慮してか、耳元に大声で叫ばれた。
「ドリンク代500円頂きます!」
 そういえば、そんなコトを誰かに言われたなと、遠い記憶を遡りつつ財布から千円札を一枚取り出して受付嬢に手渡し、お釣りとチラシの束を貰う。
 もう一枚左手にそびえる大きな鉄製の扉を押し開くと、更なる轟音が耳をつんざいた。