策略
ー/ー 勇斗は、突然現れた少女の姿に、思わず目を奪われた。繊細な刺繍が施されたベージュの布を身にまとい、胸元が少し開いていた。その顔立ちは、幼なじみの美咲と見間違えるほどだった。髪型は少し違うが、ローズピンクの髪色はそっくりだ。
「き、きみは?」
「きみはって……記憶喪失にでもなったの?」
ふてくされたような声が、静かな室内に響いた。
「あ、えっと」
アルトの日記の内容を思い出す。この人は、もしかして――
「シグネリア?」
勇斗は、ソレイン王国王女の名前を呟いた。
「よかった、ちゃんと覚えていてくれて。というか、後ろから声をかけただけでひっくり返るなんて、全然アルトらしくないね」
シグネリアはくすくすと笑った。
「あ、いや、すまない。急だったので、驚いてしまって」
勇斗は立ち上がり、シグネリアの顔をじっと見つめた。彼女の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「おかえりなさい」
シグネリアは胸に手を当て、優しく微笑んだ。
「た、ただいま」
「それにしても、急に戻ってきたから本当にびっくりしちゃった。あなたが行方不明になったって聞いて、私がどれだけ心配してたか、わかる?」
細長い指が、勇斗の額に当てられた。
「ご、ごめん」
勇斗は眉をひそめ、弱々しい声を出した。
「え? なにその反応」
「す、すまない」
美咲を目の前にしているような感覚だったので、つい素が出てしまった。
「何だか、別人みたい。あなた、本当にアルト?」
「ぼ、僕は勇者アルトだ!」
ここで失敗するわけにはいかない。気を取り直して、言葉を考えた。
「シグネリア、僕は今疲れているんだ。明日、君の父上と話がある。今日は早く休みたい」
「そう、わかったわ。話はまた明日の夜にしましょう。それじゃ、おやすみなさい。……無事で戻ってきてくれて、本当によかった」
「すまない」
扉が閉まり、再び静寂が戻る。
王女シグネリア――本当に美咲とよく似ていた。顔も、声も。性格は、美咲よりも柔らかい感じだったけど。
ふぅ、と息を吐く。気を取り直して、明日のことを考える。自分がアルトの偽物だとバレずに、何とかしてここを抜け出さなければいけない。
勇斗は、『ソレイン王国 宮廷騎士の心得』のページをめくった。
赤い絨毯の上で、勇斗はひざまずいていた。
「面を上げよ、勇者アルト」
「はっ」
玉座には、いかにも王らしい冠を頭に乗せた、白い髭の男が座っていた。左にはゲジ眉が特徴的な、ふくよかな体型の男。右にはシグネリア王女が立っていた。勇斗の周りには、大勢の兵士に混ざって、トゥーレとダンガスの姿も見えた。
「よくぞ生きて戻った。まずはお主が長い間姿をくらましていたことについて、話を聞かせてもらおう」
「かしこまりました」
鼓動が速くなる。深呼吸をする。
勇斗は、チカップと相談して練り上げた嘘の物語を、王に語った。途中、何か所かつっかえてしまったが、何とか最後まで喋ることができた。
「ふむ、魔族が活発に活動している原因を探るため、新しい仲間と共に再び旅に出るということか」
「はい、その通りです」
「よかろう。この世界に、真の平和をもたらしてくるがよい」
「はっ!」
勇斗は、少しだけ安堵した。
「王よ、ちょーっといいですかな?」
肥満体型の中年男が、声を張り上げた。嫌らしい顔つき。特徴的なゲジ眉が小刻みに動いている。
「どうした、クラバン大臣」
「あの者、勇者アルトにしては、どうも雰囲気が違うと思いませんか? ワシには別人に思えて仕方がないのです」
勇斗は息を呑んだ。頭が真っ白になった。
「ふむ。私は目が衰えてしまっているので、彼の顔はよく見えないのだが、声はそっくりだぞ?」
「確かにそっくりです。しかし、急に姿を消したかと思いきや、変な連中を引き連れて戻ってくる。ワシには何かが引っ掛かるのですよ」
「どういうことですか?」
シグネリアが浮かない顔をする。
「王女、あなたはホルタでの一件をご存じですかな?」
「ええ。急に街中に魔族が出現して、街を破壊して回ったとの報告は聞いています」
「どうもその魔族、人間に化けていたようで。近頃、人間に化ける魔族の報告が相次いでいると、騎士団からも報告が上がっております」
クラバン大臣が、でっぷりした頬に不敵な笑みを浮かべた。
「もし、この者が勇者に化けた魔族でしたら、どうするおつもりで?」
「確かに。仮に、人間に化けて微精霊による守護を突破できる魔族がいるとなれば、それは一大事だ」
王が両手を組んだ。
「ですよねぇ」
クックックと、大臣がほくそ笑んでいる。
「すまぬが、勇者アルトよ。お主が本物だと証明できるものは、何かあるかね?」
勇斗は黙り込んでしまった。視線がさまよった。
「王、失礼ですが、彼は伝説の武具を装備できます。現に、今も身につけている。魔族にそんな芸当ができるはずありません」
トゥーレの声が聞こえた。芯のある声だった。
「武具を形作るなんて、魔法を使えば簡単にできるのではありませんか? 魔術師トゥーレ殿?」
「しかし、あの鎧は本物です。粉々に破壊されても、すぐに修復されていました」
「トゥーレ殿、それは幻覚を見せられていたのかもしれませんぞ」
「クラバン大臣、私を甘くみないでほしい。幻惑の魔法なんて、私には効きませんよ」
謁見の間がざわつき始めた。
「静かに!」
王の一言で、ざわめきがぴしゃりと止んだ。
「王、失礼します」
「どうした、騎士団長ダンガスよ」
「勇者アルトには、右手首に痣があります。それを確認すれば、魔族かどうかはともかく、彼が本物かわかるのではないでしょうか?」
ダンガスが、勇斗の目の前に立った。その表情は険しかった。
「ふむ。アルトよ、ガントレットを外して、右手首を見せよ」
「いや、それは――」
「おや? できぬのかなぁ?」
クラバン大臣がほくそ笑む。
「失礼する」
ダンガスにガントレットを外された。
「痣が、ない」
当たり前だ。自分の痣は、右でなく左にある。こればっかりは、言い逃れができない。しかし、魔族ではないことだけでも、どうにか証明しないと。
「王!」
扉が勢いよく開き、兵士が入ってきた。
「何事だ?」
「城の周りに、多くの魔族が押し寄せてきています!」
「何だと?」
「王よ、このタイミングでの魔族の襲撃。できすぎではありませんかな?」
クラバン大臣が、両手を広げ、大声を張り上げた。
「大臣の言うとおり、不自然だ。アルトの偽物よ、しばらく大人しくしていてもらえるかな」
「お父様!」
「シグネリア、不審な者をこのままにしておくわけにはいかない」
「……はい。お父様」
「その者を捕えろ! 念のため、偽物勇者の仲間たちも捕らえておけ!」
王が叫ぶと、兵士たちが一斉に動いた。
勇斗の首元に、何本もの槍が突きつけられた。
ピチョン、ピチョンと、水滴の滴る音がする。錆びた鉄や腐った食べ物の匂いが混ざり合い、強烈な悪臭が漂っていた。冷たく、寒い。
武具を剥ぎ取られ、下着だけにされた勇斗は、牢屋の中に閉じ込められていた。
ほどなくして、二人の兵士によって鉄格子の扉が開かれた。
「来い。クラバン大臣がお呼びだ」
髪の毛を掴まれた。乱暴に立たされた勇斗は、両手を縛られた。
薄暗い廊下を、無理やり歩かされた。蝋燭の揺らめきが、冷ややかな壁に映る。
連行された先は、こじんまりとした部屋だった。入った途端、強烈な匂いが鼻を襲った。
「こ、ここは」
部屋の中央には、奇妙な形の椅子が置かれていた。周囲には、乾いた血の跡が残っていた。
勇斗は椅子に座らせられた。金具で両手と両足を固定された。
「な、何をするつもりですか」
勇斗の声が、小刻みに震える。
「ごきげんよう、偽物くん。まずは、きみの名前を聞こうか」
クラバン大臣の声が聞こえた。
「ぼ、僕は勇斗です。アルトと偽って申し訳ございません」
「ではユートくん。なぜきみは勇者アルトとそっくりな顔をしているのかね?」
「わ、わかりません」
「なぜ痣が左に?」
「生まれつきです」
「ふむ、それではきみはどこから来たのかね?」
「ち、違う世界から」
笑い声が、部屋中に不気味に轟いた。
「まったく、おかしなことを言う。ところで、きみは魔族なのかね?」
「違うっ!」
「あれの準備を」
兵士の一人が鉄皿を運んできた。皿の上には、赤く熱された大きな銀針が乗っている。
「さっさと白状したほうが身のためですぞ?」
勇斗の右腕に、鋭い針が深々と突き刺さる。皮膚が焼け、鋭い痛みが脳髄を揺さぶった。
「あ、ぐっ、僕は、魔族なんかじゃない」
「魔族は平気で嘘をつく」
左腕、左足、右腕、右足――熱された針が、次々と勇斗の体に食い込んでいった。
「ぎっ――ああああぁッ!」
勇斗は泣き叫んだ。血と、焦げた肉の臭いが鼻をついた。
クラバン大臣は、心底楽しそうな表情を浮かべていた。
「まだ足りませんぞ?」
クラバンによる尋問と拷問は、一時間以上続いた。
勇斗はすっかり憔悴しきっていた。体のあちこちが焼け焦げ、傷口からはじくじくと血が滲んでいた。喉はひどく乾いていた。息を吸うたび、喉がひゅうひゅうと鳴った。
「そろそろ本当のことを言いなさい。自分は魔族だと」
クラバンは、笑いを堪えるのに必死な様子だった。
体に力が入らず、勇斗はがくりと首をうなだれるしかなかった。まぶたが重い。このまま目を閉じたら、二度と開けることができないかもしれない。
「まだ寝てはいけないですぞ?」
勇斗の全身に水がかけられた。塩水だ。傷口がじゅわじゅわと泡立った。
「ぎゃあああああッ!」
絶叫したあと、力がすべて抜け落ちた。
「クックック。今日はこれくらいにしておきますかな。きみたち、この少年をまた牢にぶち込んでおきなさい。自害しないように見張りもお忘れなく。あと、これ、今日のお小遣いね」
「へへっ、これだからやめられねぇぜ」
「どんな女と遊ぼうかなぁ」
勇斗は兵士に引きずられ、再び檻の中に入れられた。
痛い。苦しい。声が出ない。
誰か、助けて――
「何者だっ? ぐわっ」
カシャン、カランと、金属音。ほどなくして、鉄格子の扉が開いた。
「クラバンめ、ずいぶん酷いことをしますね」
「大丈夫ー? 生きてるー?」
ぼやけた視界の先に、トゥーレとペックの姿が見えた。
「ペック、早く回復を」
勇斗の体が、優しい光の繭に包まれた。暖かい。体中の痛みがじわじわ薄れていった。
「飲んでください」
勇斗は、トゥーレから渡された水を一気に飲み干した。
「あ、ありがとうございます。でも、どうして僕を」
「彼女に、どうしても助けてほしいと頼まれたのでね」
「彼女?」
「あ、その前にこれを着てよね。その格好じゃ、とても会わせられないよ」
ペックが指を鳴らすと、大きな光の中から聖剣クトネシスと精霊器ラクメトが出現した。
勇斗は急いで伝説の武具を身にまとった。マントの内側を確認すると、ちゃんとドラシガーも入っていた。
「さて、いいですよ」
姿を見せたのは、シグネリア王女だった。両手を胸の前で組み、唇を固く結んでいる。
「あなたは、誰ですか?」
シグネリアの瞳が、まっすぐに勇斗を見つめた。
勇斗は唇を噛む。ここで黙っていても、どうせ未来はない。クラバンに処刑されるのを待つだけだ。だったら、賭けてみるしかない。この人たちを信じて。
「僕は、日向勇斗です」
勇斗は、途切れ途切れに語った。違う世界から来たこと。アルトは別の世界にいること。お互いに元の世界に戻る方法を探していること。
「まさか、そんなことが」
「信じられないよー!」
トゥーレとペックは、目を大きく見張った。
「まぁ、突拍子もない話ですけど、理屈としては面白い」
「信じて、くれるのですか?」
「半信半疑ですがねぇ」
苦笑いをしているトゥーレは、大げさに首を傾げた。
「わたしは信じます。ユート、あなたの世界に、アルトはいるのですね?」
シグネリアの問いに、勇斗は無言で頷いた。
「トゥーレ、ユートをここから逃してあげてください」
その声には、王女としての命令ではなく、一人の人間としての覚悟が滲んでいた。
「シグネリア様?」
「ユートは、元の世界に帰るべきです。そして、アルトも――こっちに戻ってこなければなりません」
シグネリアの瞳が揺れる。
トゥーレは短く息を吐き、わずかに肩をすくめた。
「やれやれ、わかりました。そんな目で見つめないでください」
トゥーレはそう言うと、静かに歩き出した。
「ついてきてください、ユートくん――でしたよね」
「は、はい」
トゥーレに案内された先は、行き止まりだった。
「ここから地下水道に繋がっています。地下水道を抜けると、スラム街に出ます。あそこは兵の目も薄い。街の外に出る手段もたくさんある。そこから逃げてください」
トゥーレが床の一部を外すと、地下へ続く梯子が現れた。
「あの、ランパ達は?」
勇斗は、辺りをせわしなく見回す。
「彼らも捕まっています。でも安心して。必ずあなたの仲間を助け、後を追わせます」
シグネリアが顔を上げた。
「追手が来る前に、早く。あとは私たちに任せてください。何とかごまかしておきますので」
「頑張ってねー!」
トゥーレとペックが微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
「お気をつけて」
シグネリアのしなやかな手が、勇斗の左手を優しく包み込んだ。
「き、きみは?」
「きみはって……記憶喪失にでもなったの?」
ふてくされたような声が、静かな室内に響いた。
「あ、えっと」
アルトの日記の内容を思い出す。この人は、もしかして――
「シグネリア?」
勇斗は、ソレイン王国王女の名前を呟いた。
「よかった、ちゃんと覚えていてくれて。というか、後ろから声をかけただけでひっくり返るなんて、全然アルトらしくないね」
シグネリアはくすくすと笑った。
「あ、いや、すまない。急だったので、驚いてしまって」
勇斗は立ち上がり、シグネリアの顔をじっと見つめた。彼女の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「おかえりなさい」
シグネリアは胸に手を当て、優しく微笑んだ。
「た、ただいま」
「それにしても、急に戻ってきたから本当にびっくりしちゃった。あなたが行方不明になったって聞いて、私がどれだけ心配してたか、わかる?」
細長い指が、勇斗の額に当てられた。
「ご、ごめん」
勇斗は眉をひそめ、弱々しい声を出した。
「え? なにその反応」
「す、すまない」
美咲を目の前にしているような感覚だったので、つい素が出てしまった。
「何だか、別人みたい。あなた、本当にアルト?」
「ぼ、僕は勇者アルトだ!」
ここで失敗するわけにはいかない。気を取り直して、言葉を考えた。
「シグネリア、僕は今疲れているんだ。明日、君の父上と話がある。今日は早く休みたい」
「そう、わかったわ。話はまた明日の夜にしましょう。それじゃ、おやすみなさい。……無事で戻ってきてくれて、本当によかった」
「すまない」
扉が閉まり、再び静寂が戻る。
王女シグネリア――本当に美咲とよく似ていた。顔も、声も。性格は、美咲よりも柔らかい感じだったけど。
ふぅ、と息を吐く。気を取り直して、明日のことを考える。自分がアルトの偽物だとバレずに、何とかしてここを抜け出さなければいけない。
勇斗は、『ソレイン王国 宮廷騎士の心得』のページをめくった。
赤い絨毯の上で、勇斗はひざまずいていた。
「面を上げよ、勇者アルト」
「はっ」
玉座には、いかにも王らしい冠を頭に乗せた、白い髭の男が座っていた。左にはゲジ眉が特徴的な、ふくよかな体型の男。右にはシグネリア王女が立っていた。勇斗の周りには、大勢の兵士に混ざって、トゥーレとダンガスの姿も見えた。
「よくぞ生きて戻った。まずはお主が長い間姿をくらましていたことについて、話を聞かせてもらおう」
「かしこまりました」
鼓動が速くなる。深呼吸をする。
勇斗は、チカップと相談して練り上げた嘘の物語を、王に語った。途中、何か所かつっかえてしまったが、何とか最後まで喋ることができた。
「ふむ、魔族が活発に活動している原因を探るため、新しい仲間と共に再び旅に出るということか」
「はい、その通りです」
「よかろう。この世界に、真の平和をもたらしてくるがよい」
「はっ!」
勇斗は、少しだけ安堵した。
「王よ、ちょーっといいですかな?」
肥満体型の中年男が、声を張り上げた。嫌らしい顔つき。特徴的なゲジ眉が小刻みに動いている。
「どうした、クラバン大臣」
「あの者、勇者アルトにしては、どうも雰囲気が違うと思いませんか? ワシには別人に思えて仕方がないのです」
勇斗は息を呑んだ。頭が真っ白になった。
「ふむ。私は目が衰えてしまっているので、彼の顔はよく見えないのだが、声はそっくりだぞ?」
「確かにそっくりです。しかし、急に姿を消したかと思いきや、変な連中を引き連れて戻ってくる。ワシには何かが引っ掛かるのですよ」
「どういうことですか?」
シグネリアが浮かない顔をする。
「王女、あなたはホルタでの一件をご存じですかな?」
「ええ。急に街中に魔族が出現して、街を破壊して回ったとの報告は聞いています」
「どうもその魔族、人間に化けていたようで。近頃、人間に化ける魔族の報告が相次いでいると、騎士団からも報告が上がっております」
クラバン大臣が、でっぷりした頬に不敵な笑みを浮かべた。
「もし、この者が勇者に化けた魔族でしたら、どうするおつもりで?」
「確かに。仮に、人間に化けて微精霊による守護を突破できる魔族がいるとなれば、それは一大事だ」
王が両手を組んだ。
「ですよねぇ」
クックックと、大臣がほくそ笑んでいる。
「すまぬが、勇者アルトよ。お主が本物だと証明できるものは、何かあるかね?」
勇斗は黙り込んでしまった。視線がさまよった。
「王、失礼ですが、彼は伝説の武具を装備できます。現に、今も身につけている。魔族にそんな芸当ができるはずありません」
トゥーレの声が聞こえた。芯のある声だった。
「武具を形作るなんて、魔法を使えば簡単にできるのではありませんか? 魔術師トゥーレ殿?」
「しかし、あの鎧は本物です。粉々に破壊されても、すぐに修復されていました」
「トゥーレ殿、それは幻覚を見せられていたのかもしれませんぞ」
「クラバン大臣、私を甘くみないでほしい。幻惑の魔法なんて、私には効きませんよ」
謁見の間がざわつき始めた。
「静かに!」
王の一言で、ざわめきがぴしゃりと止んだ。
「王、失礼します」
「どうした、騎士団長ダンガスよ」
「勇者アルトには、右手首に痣があります。それを確認すれば、魔族かどうかはともかく、彼が本物かわかるのではないでしょうか?」
ダンガスが、勇斗の目の前に立った。その表情は険しかった。
「ふむ。アルトよ、ガントレットを外して、右手首を見せよ」
「いや、それは――」
「おや? できぬのかなぁ?」
クラバン大臣がほくそ笑む。
「失礼する」
ダンガスにガントレットを外された。
「痣が、ない」
当たり前だ。自分の痣は、右でなく左にある。こればっかりは、言い逃れができない。しかし、魔族ではないことだけでも、どうにか証明しないと。
「王!」
扉が勢いよく開き、兵士が入ってきた。
「何事だ?」
「城の周りに、多くの魔族が押し寄せてきています!」
「何だと?」
「王よ、このタイミングでの魔族の襲撃。できすぎではありませんかな?」
クラバン大臣が、両手を広げ、大声を張り上げた。
「大臣の言うとおり、不自然だ。アルトの偽物よ、しばらく大人しくしていてもらえるかな」
「お父様!」
「シグネリア、不審な者をこのままにしておくわけにはいかない」
「……はい。お父様」
「その者を捕えろ! 念のため、偽物勇者の仲間たちも捕らえておけ!」
王が叫ぶと、兵士たちが一斉に動いた。
勇斗の首元に、何本もの槍が突きつけられた。
ピチョン、ピチョンと、水滴の滴る音がする。錆びた鉄や腐った食べ物の匂いが混ざり合い、強烈な悪臭が漂っていた。冷たく、寒い。
武具を剥ぎ取られ、下着だけにされた勇斗は、牢屋の中に閉じ込められていた。
ほどなくして、二人の兵士によって鉄格子の扉が開かれた。
「来い。クラバン大臣がお呼びだ」
髪の毛を掴まれた。乱暴に立たされた勇斗は、両手を縛られた。
薄暗い廊下を、無理やり歩かされた。蝋燭の揺らめきが、冷ややかな壁に映る。
連行された先は、こじんまりとした部屋だった。入った途端、強烈な匂いが鼻を襲った。
「こ、ここは」
部屋の中央には、奇妙な形の椅子が置かれていた。周囲には、乾いた血の跡が残っていた。
勇斗は椅子に座らせられた。金具で両手と両足を固定された。
「な、何をするつもりですか」
勇斗の声が、小刻みに震える。
「ごきげんよう、偽物くん。まずは、きみの名前を聞こうか」
クラバン大臣の声が聞こえた。
「ぼ、僕は勇斗です。アルトと偽って申し訳ございません」
「ではユートくん。なぜきみは勇者アルトとそっくりな顔をしているのかね?」
「わ、わかりません」
「なぜ痣が左に?」
「生まれつきです」
「ふむ、それではきみはどこから来たのかね?」
「ち、違う世界から」
笑い声が、部屋中に不気味に轟いた。
「まったく、おかしなことを言う。ところで、きみは魔族なのかね?」
「違うっ!」
「あれの準備を」
兵士の一人が鉄皿を運んできた。皿の上には、赤く熱された大きな銀針が乗っている。
「さっさと白状したほうが身のためですぞ?」
勇斗の右腕に、鋭い針が深々と突き刺さる。皮膚が焼け、鋭い痛みが脳髄を揺さぶった。
「あ、ぐっ、僕は、魔族なんかじゃない」
「魔族は平気で嘘をつく」
左腕、左足、右腕、右足――熱された針が、次々と勇斗の体に食い込んでいった。
「ぎっ――ああああぁッ!」
勇斗は泣き叫んだ。血と、焦げた肉の臭いが鼻をついた。
クラバン大臣は、心底楽しそうな表情を浮かべていた。
「まだ足りませんぞ?」
クラバンによる尋問と拷問は、一時間以上続いた。
勇斗はすっかり憔悴しきっていた。体のあちこちが焼け焦げ、傷口からはじくじくと血が滲んでいた。喉はひどく乾いていた。息を吸うたび、喉がひゅうひゅうと鳴った。
「そろそろ本当のことを言いなさい。自分は魔族だと」
クラバンは、笑いを堪えるのに必死な様子だった。
体に力が入らず、勇斗はがくりと首をうなだれるしかなかった。まぶたが重い。このまま目を閉じたら、二度と開けることができないかもしれない。
「まだ寝てはいけないですぞ?」
勇斗の全身に水がかけられた。塩水だ。傷口がじゅわじゅわと泡立った。
「ぎゃあああああッ!」
絶叫したあと、力がすべて抜け落ちた。
「クックック。今日はこれくらいにしておきますかな。きみたち、この少年をまた牢にぶち込んでおきなさい。自害しないように見張りもお忘れなく。あと、これ、今日のお小遣いね」
「へへっ、これだからやめられねぇぜ」
「どんな女と遊ぼうかなぁ」
勇斗は兵士に引きずられ、再び檻の中に入れられた。
痛い。苦しい。声が出ない。
誰か、助けて――
「何者だっ? ぐわっ」
カシャン、カランと、金属音。ほどなくして、鉄格子の扉が開いた。
「クラバンめ、ずいぶん酷いことをしますね」
「大丈夫ー? 生きてるー?」
ぼやけた視界の先に、トゥーレとペックの姿が見えた。
「ペック、早く回復を」
勇斗の体が、優しい光の繭に包まれた。暖かい。体中の痛みがじわじわ薄れていった。
「飲んでください」
勇斗は、トゥーレから渡された水を一気に飲み干した。
「あ、ありがとうございます。でも、どうして僕を」
「彼女に、どうしても助けてほしいと頼まれたのでね」
「彼女?」
「あ、その前にこれを着てよね。その格好じゃ、とても会わせられないよ」
ペックが指を鳴らすと、大きな光の中から聖剣クトネシスと精霊器ラクメトが出現した。
勇斗は急いで伝説の武具を身にまとった。マントの内側を確認すると、ちゃんとドラシガーも入っていた。
「さて、いいですよ」
姿を見せたのは、シグネリア王女だった。両手を胸の前で組み、唇を固く結んでいる。
「あなたは、誰ですか?」
シグネリアの瞳が、まっすぐに勇斗を見つめた。
勇斗は唇を噛む。ここで黙っていても、どうせ未来はない。クラバンに処刑されるのを待つだけだ。だったら、賭けてみるしかない。この人たちを信じて。
「僕は、日向勇斗です」
勇斗は、途切れ途切れに語った。違う世界から来たこと。アルトは別の世界にいること。お互いに元の世界に戻る方法を探していること。
「まさか、そんなことが」
「信じられないよー!」
トゥーレとペックは、目を大きく見張った。
「まぁ、突拍子もない話ですけど、理屈としては面白い」
「信じて、くれるのですか?」
「半信半疑ですがねぇ」
苦笑いをしているトゥーレは、大げさに首を傾げた。
「わたしは信じます。ユート、あなたの世界に、アルトはいるのですね?」
シグネリアの問いに、勇斗は無言で頷いた。
「トゥーレ、ユートをここから逃してあげてください」
その声には、王女としての命令ではなく、一人の人間としての覚悟が滲んでいた。
「シグネリア様?」
「ユートは、元の世界に帰るべきです。そして、アルトも――こっちに戻ってこなければなりません」
シグネリアの瞳が揺れる。
トゥーレは短く息を吐き、わずかに肩をすくめた。
「やれやれ、わかりました。そんな目で見つめないでください」
トゥーレはそう言うと、静かに歩き出した。
「ついてきてください、ユートくん――でしたよね」
「は、はい」
トゥーレに案内された先は、行き止まりだった。
「ここから地下水道に繋がっています。地下水道を抜けると、スラム街に出ます。あそこは兵の目も薄い。街の外に出る手段もたくさんある。そこから逃げてください」
トゥーレが床の一部を外すと、地下へ続く梯子が現れた。
「あの、ランパ達は?」
勇斗は、辺りをせわしなく見回す。
「彼らも捕まっています。でも安心して。必ずあなたの仲間を助け、後を追わせます」
シグネリアが顔を上げた。
「追手が来る前に、早く。あとは私たちに任せてください。何とかごまかしておきますので」
「頑張ってねー!」
トゥーレとペックが微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
「お気をつけて」
シグネリアのしなやかな手が、勇斗の左手を優しく包み込んだ。
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