「その様な事があったのか」
「大事に至らずに良かったな、光正(みつまさ)」
「はい。皆のお陰です」
はあ、と、ため息がでてしまった、次期当主。今は太陽もすっかり顔をだした時間帯で、朝餉の前である。
「わしが見た限り、相当困惑しておった様子でな。恐らく、一族の誇りと自らの言動と恥とをはかりにかけ、心が乱れ事に至ったのだろう」
定清(さだきよ)の説明に、うめは目を伏せて頭をふる。恐れていた現実が起きたからである。
「てっきり光正に斬り掛かると思うておったが」
「定光(さだみつ)兄上、女心を理解しておりませんな。彼女の気質を考えれば、可能性はあるでしょう」
「何故忠告せなんだ」
「私がしなくとも、うめがしましょう。のう」
「ぬかったわ。花を摘みに行っていた時でな」
「それは間が悪い。さすがのお前でも無理だな」
「当たり前だ馬鹿者。私は人間だからな」
「失敬な。人を化け物みたいに」
「けだものではあろうが」
「光正よ。これ位の軽口を叩き合う仲になると楽だぞ」
「誤解される様な事を言うでない」
「んん。定光、この事を平家側に伝えてはどうか」
視線が源家の主の兄に集まる。
「たけ姫が落ち着いてからだが。彼らの忠誠心は目を見張るものがある。味方になれば心強いのではないか」
「それは余も考えておった。六年もの月日を考えればな」
「情を以って制する、か」
「うむ。定正(さだまさ)はどう思う」
「宜しいかと。たけ姫の口から直接伝えるのならば、上手く行く率が上がりましょうぞ」
「では、私がたけに伝えましょう」
「その際は定正と光正が同行せよ」
「畏まりました」
「お任せを。して、光正」
「何も御座いませぬ。話していただけに御座います」
「何じゃ、つまらんの」
「馬鹿か。お前は」
「叔父上はそれも見越していたのでは」
「はっはっはっ。良い意味で期待を裏切られたらと思うたのだがな。おお、朝餉の時刻か」
運ばれてくる食事を、一家は妙な雰囲気の中でいただいた。
地に降りそそぐ命の源が一番高い位置の時間帯。たけはようやく落ち着きを取りもどし、縁側に座って庭を眺めていた。
真に恥ずかしい。事実を知り心乱すなど。あまつさえ光正殿に大怪我を負わせててしまうとは。
大きく、そして長いため息をだす娘。自身の中でもまだ整理がつかずにいた。
信じていた誇りと信念が崩れ、支えであった復讐も、もはや意味をなさない。これから何を支えにして生きればよいのか。
頭では、源家の世継ぎを生み育てる、のを理解している。そうではなく、たけは生きがいを失ってしまったのである。
何のために生きるのか。
滅んだとはいえ、一門の姫の身分であった、たけ。こんな自分でも姫と慕う者たちの生活を守るのが残された使命か。
たけは再び、濁った息を吐きだす。
ぼんやりしていると、屋根の上から物音がした。初めは鳥かと思ったが、にしては音が重い。
姫が視線を上にむけると、目の前に何かが落ちてくる。いや、何かが降りてきた。
「姉貴」
「あ、あごっ」
口を押さえた、たけ。周囲に視線を配り終え、
「何をしている。早く戻らんか」
「だって何度かけあっても、あわせてくれないんだもん」
「当たり前だ。私は光正殿の」
「あいつの何だってんだよ。無理矢理にもほどがあんじゃん」
「仕方がないのだ。こうでもしなければ、お前たちの命がない」
「あんたやおっちゃんたちのいう、ぶしどーってのは、おれには分からない。でも、望みもしない結婚させられて黙っていられるほど馬鹿でもない」
明心(あこ)は、たけの手首をつかむ。
「おっちゃんたちの了承はもらってる。ここから逃げよう。な」
「戯言を申すな。見つかればお前の命は確実にないぞ」
「だから? 恩人を、あんたを見捨てるなんてできない」
引っ張られ抱えられる、たけ。抗議の間もなく、明心は走りだす。
い、いつの間にこんな力が。いや、そんな事よりも。
「お前には学習能力が無いのか」
少年の足元に槍が刺さる。えぐられた地面は、服を汚せるほどの細かい悲鳴をあげて落ちた。
「ちっ。さっきまで別の部屋にいたのに」
「何となく嫌な予感がしてな。急ぎ戻った次第」
「勘、ってやつか。本当に人間か、あんた」
「ふん。この俺に対してまだその様な態度。真に面白い奴だ」
「あんたの愉快事なんざどうでもい」
がし、と、明心(あこ)の右肩に圧力がかかる。見れば、光正の手に掴まれていた。
「み、光正殿。これはっ」
「こうも早く脱出劇が始まるとは思わなんだ」
「こ、この野郎っ」
明心は蹴りを繰りだすも、相手は右足を上げて防いだ。ほぼ同時光正がたけを取りもどすと、少年の腹にむかって体の回転を利かせた蹴りをお見舞いする。
まともに食らった少年は、背を土につけてしまった。
「甘い。その程度の腕で出し抜こうとするなど笑止千万。話にならぬ」
「ぐっ。ち、ちっくしょう」
「光正殿。明心には言って聞かしまする。どうかご慈悲を」
「そう言えば、たけ。お前はもう掛かって来ないのか」
「は?」
「良いから素直に答えろ」
意味不明な質問にたじろぎながらも、
「必要、御座いますまい。光正殿はお家の為に正しい事をなさっただけ」
腹に手をあてながら、表情を変える明心。どうやら、違和感に気づいたらしい。
「つまり必要があれば来るのだな。なれば見せしめにこやつか薬右衛門(やくえもん)を処断するか」
「な、何故そうなるのですっ」
「俺が命を下さなくとも、他の者がしような。それだけの事をしている」
「お望みは、何か」
姫の言葉を待っていたのか、光正は彼女を見つめ不敵に笑う。
「お前達には俺の稽古相手になって貰おう。一度お館様へ通す故、数日は掛かろうがな」
「け、稽古って」
たけと明心は、互いの顔をあわせてしまう。
「時に小僧。お前は自己流か」
「ま、まあ。姉貴に教えてもらったぐらい」
「ほう。意外だな」
「民衆として生きるのに必要ありませぬ故。それに、私も短剣に関しては自己防衛位なのです」
「成程な」
縁側まで移動した光正は、たけをおろすと、明心に近づく。
「お前の力、源家の為に使うと良い。そうすれば、たけの傍にもいれる可能性があるぞ。郎等共の命も助かるやもしれん」
「は? いったい、どういう」
「要は以前の様に首を狙って来い、という事だ。その場所や権利は俺が作れる」
「あんたの遊びにつきあえってのか」
「そう取っても構わんぞ。どうする」
「姉貴に手ぇださないなら、いいぜ」
「お前が条件を出せる立場では無い」
「どーだかな。もしここでおれが死んてみろ。姉貴は一生、あんたを許さねぇだろうよ」
意味わかんだろ、と、明心。身分も実力も格上相手に対しての、この丹力。身長差からくる上目といい大胆に歪ませる口元、女の為の行動力といい、光正は心底感心した。
そのせいか、大笑いをしてしまう。
「良いだろう。だが、たけから求められた場合は別だぞ」
「ざけんな、ばーか。おれのほうが長く一緒にいるんだ」
「ふん。その割には進展しておるまい」
「ぐっ」
痛いところをつかれ、不愉快な表情になる、明心。
「まあ良い。ただ多少の罰は覚悟しておけ。うめ、いるか」
「こちらに」
「父上に謁見したい。お時間を頂戴してくれ」
「畏まりました」
「ば、ばあちゃん。いつの間に」
「どこにでもいるぞ。彼女はな」
まるで凍え死にしそうな顔になる、明心であった。