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鏡の奥の片翼人~ベターハーフ~ 1-③

ー/ー



「泣いてる」


 知人の家に遊びに行った帰り、通りかかったアパートの一室を示して、ハルが言った。


「気持ち悪いって……さみしいって」

 どんなになだめても、ハルは動こうとはしなかった。


 仕方なく、その部屋の呼び鈴を鳴らしたが、人の出る気配はない。

「誰もいないよ」

「いるよ。言ったもん、あ、お母さんが帰ってきた、って」

 あまりにもハッキリ断言するので、瑛比古さんと美晴(みはる)さんは、アパートの大家にその部屋の住人の所在を聞いた。


「さあ? いつも急に何日もいなくなっちゃうし。子供? そう言えば、大分前に、この子ぐらいの子を見たことあるけど、今は病気だとかで入院してるって話だから。そんな小さい子を一人で留守番させないでしょうに」


 ……ところが。


 所長のコネで地元の警察に頼み込んで立ち会ってもらい、大家に鍵を開けてもらったところ。

 猿ぐつわをされ、両手両足を縛られた小さな男の子が、部屋の隅に、横たわっていた。

 かなり衰弱していたが、まだ意識は残っていた。


 ……その後、母親が若い恋人と生活するために夜逃げし、邪魔になった子供を置き去りにしたことが判った。


 男の子は以前から、暴力やネグレクト――放置の虐待を受けており、大家が会った時は、既に七歳になっていたという。


「いつもあんな風に聞こえるの?」

「あんな風って?」


 美晴さんが尋ねると、ハルはきょとんとして、聞き返した。

「……ええと、お口をチャックしたお友達や、いない人の声が聞こえることがある?」

「あるよ。『オシッコしたい』とか『お家に帰りたい』とか。そうしたら僕、先生に教えるの」

 ニコニコして、ハルは答えた。



 その夜、ハルを寝かしつけた後、美晴さんが瑛比古さんに話した。

「前に幼稚園の先生に言われたの。ハルくんは、とても気がつく子だけど、逆に怖いくらい、感情の機微に敏感なんですって。ニコニコ笑顔のつもりなのに、悲しかったり怒っていることを見透かされてしまうんですって。……私、てっきり瑛比古さんみたいな力があるのかと思っていたんだけど」

「違うとは言いきれないけど、僕の場合は意思を読み取るって感じなのに対して、ハルのはもっと単純に受け止めているって感じだ。どちらかと言えば精神感応(かんのう)――サイコメトリーやテレパシーに近いのかな」

「それって」

「僕は、読み取る時点である程度取捨選択(しゅしゃせんたく)してるし。霊的な存在は格が上がるほど無闇な干渉はしてこないし、無差別に干渉してくるような低級霊には、家伝の『お守り』があったから、あまり影響は受けなかったけど。ハルの場合、どうしたらいいんだか」

「今までは、普通の会話の延長だと思っていたから、本人は負担に感じてなかったんでしょうね。相手もまだ十分言葉で表現しきれない歳の子供だから、逆にコミュニケーションがスムーズになっていたのかも。人混みなんかで許容範囲を越えた時は、泣いて解消してたんじゃないかしら」

「でも、このままじゃ、いずれハルの心が壊れてしまうかもしれない。年齢を重ねていく程、取り巻く社会や人間関係は複雑になって行くんだろうし」

「今までは、ほとんど本心と発言が一致していたし、ハルに対して悪感情を向ける人が少なかったから、ハルは『聞き流して』いたのよね? 普通の会話みたいに。ただ、強い思いというか、訴えてくるものには、行動を起こしている、ってことなのかしら?」

「御先祖様の『お守り』も、霊なら効き目があるけど、ハルにはどうかな。きっと守ってくださっていると思うけど、血縁や家族になると、僕には感じられなくなっちゃうんだよね。本当に危険な時は別だけど」


 亡くなった両親の事故の時や、叔母の曄古(ようこ)さんの最期には、言葉に()らないメッセージが感じられた。

 だからと言って、瑛比古さんにどうこう出来たわけではない。

 
人の寿命に関することは、究極的には神さまの領分である。






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「泣いてる」
 知人の家に遊びに行った帰り、通りかかったアパートの一室を示して、ハルが言った。
「気持ち悪いって……さみしいって」
 どんなになだめても、ハルは動こうとはしなかった。
 仕方なく、その部屋の呼び鈴を鳴らしたが、人の出る気配はない。
「誰もいないよ」
「いるよ。言ったもん、あ、お母さんが帰ってきた、って」
 あまりにもハッキリ断言するので、瑛比古さんと|美晴《みはる》さんは、アパートの大家にその部屋の住人の所在を聞いた。
「さあ? いつも急に何日もいなくなっちゃうし。子供? そう言えば、大分前に、この子ぐらいの子を見たことあるけど、今は病気だとかで入院してるって話だから。そんな小さい子を一人で留守番させないでしょうに」
 ……ところが。
 所長のコネで地元の警察に頼み込んで立ち会ってもらい、大家に鍵を開けてもらったところ。
 猿ぐつわをされ、両手両足を縛られた小さな男の子が、部屋の隅に、横たわっていた。
 かなり衰弱していたが、まだ意識は残っていた。
 ……その後、母親が若い恋人と生活するために夜逃げし、邪魔になった子供を置き去りにしたことが判った。
 男の子は以前から、暴力やネグレクト――放置の虐待を受けており、大家が会った時は、既に七歳になっていたという。
「いつもあんな風に聞こえるの?」
「あんな風って?」
 美晴さんが尋ねると、ハルはきょとんとして、聞き返した。
「……ええと、お口をチャックしたお友達や、いない人の声が聞こえることがある?」
「あるよ。『オシッコしたい』とか『お家に帰りたい』とか。そうしたら僕、先生に教えるの」
 ニコニコして、ハルは答えた。
 その夜、ハルを寝かしつけた後、美晴さんが瑛比古さんに話した。
「前に幼稚園の先生に言われたの。ハルくんは、とても気がつく子だけど、逆に怖いくらい、感情の機微に敏感なんですって。ニコニコ笑顔のつもりなのに、悲しかったり怒っていることを見透かされてしまうんですって。……私、てっきり瑛比古さんみたいな力があるのかと思っていたんだけど」
「違うとは言いきれないけど、僕の場合は意思を読み取るって感じなのに対して、ハルのはもっと単純に受け止めているって感じだ。どちらかと言えば精神|感応《かんのう》――サイコメトリーやテレパシーに近いのかな」
「それって」
「僕は、読み取る時点である程度|取捨選択《しゅしゃせんたく》してるし。霊的な存在は格が上がるほど無闇な干渉はしてこないし、無差別に干渉してくるような低級霊には、家伝の『お守り』があったから、あまり影響は受けなかったけど。ハルの場合、どうしたらいいんだか」
「今までは、普通の会話の延長だと思っていたから、本人は負担に感じてなかったんでしょうね。相手もまだ十分言葉で表現しきれない歳の子供だから、逆にコミュニケーションがスムーズになっていたのかも。人混みなんかで許容範囲を越えた時は、泣いて解消してたんじゃないかしら」
「でも、このままじゃ、いずれハルの心が壊れてしまうかもしれない。年齢を重ねていく程、取り巻く社会や人間関係は複雑になって行くんだろうし」
「今までは、ほとんど本心と発言が一致していたし、ハルに対して悪感情を向ける人が少なかったから、ハルは『聞き流して』いたのよね? 普通の会話みたいに。ただ、強い思いというか、訴えてくるものには、行動を起こしている、ってことなのかしら?」
「御先祖様の『お守り』も、霊なら効き目があるけど、ハルにはどうかな。きっと守ってくださっていると思うけど、血縁や家族になると、僕には感じられなくなっちゃうんだよね。本当に危険な時は別だけど」
 亡くなった両親の事故の時や、叔母の|曄古《ようこ》さんの最期には、言葉に|依《よ》らないメッセージが感じられた。
 だからと言って、瑛比古さんにどうこう出来たわけではない。
人の寿命に関することは、究極的には神さまの領分である。