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通りすがりの未知人~ストレンジャー~ 3-③

ー/ー



 ……彼女が会いに来たのは、明日は退院、という日。


 めったに面会時間内に来れない夫が、産後指導のため半休をもらって病院に来ていた。


 育児指導室という小さめの部屋で沐浴(もくよく)などの指導を受けた。


 指導の後は、しばらく家族水入らずで過ごしていいことになっていて、久しぶりに他人のいない時間を楽しんでいた。



 入浴後で具合よく寝入っている愛くるしい寝顔を見ながら、夫と他愛もないお喋りをしていると、ノックの音がした。

 もう時間なのかと、夫がドアを開けると。



「お久しぶり。予定より早かったのね」

 彼女が、入ってきた。

「初めまして」


 夫はびっくりしてしばらく(ほう)けていたが、慌てて挨拶を返した。

 突然の闖入(ちんにゅう)に非難することも忘れて、私も夫も彼女を見つめた。

 いつもの、華やかな装いではなく、私が普段着るような、綿ニットのアンサンブルにフレアースカート。

 化粧はうっすら、装飾品も付けていない。

 鏡の前にいるような錯覚を覚えた。



「ごめんなさいね。家族水入らずのところ、悪いとは思ったんだけど、あまり人に見られない方がいいかと思って。あなたの実家に、顔を出すのもどうかと思うし」

 事情を知るものなら、なるほどと納得してしまいそうになる。

 不躾(ぶしつけ)な振る舞いも、気遣いの結果と逆に恐縮してしまいそうになる。


 夫は信じたのだろう、初めて会う、妻に雰囲気までよく似た義妹に、すっかり心を許したようだった。


 もともと夫には「双子の妹がいて、一度だけあったことがあるが、向こうは住む世界が違うから」とだけ話してあった。

 色々なしがらみのある社会の人で、たびたび会うことは難しいから、相手の素性も聞かないで欲しい、とも。

 それを、こっそり、無理して会いに来てくれた、と感激していたのだと思う。



「可愛い! ねえ抱かせて頂戴! そっと、ね」

 無邪気にねだる様子は、先日までと全く別人だった。


 やっぱりあれは、出産前の情緒不安定のせいだったのかしら。


 私まで、そんなふうに思えてきた。



「本当可愛いわあ」

 微笑んで、赤ちゃんを抱く様子は、自分を見ているようで、決して嫌な気分ではなかった。


「そうだ。写真撮ってもいい? 姉さん!」

「いいわよ?!」


 姉さん、などといきなり呼ばれて、反射的に許諾(きょだく)してしまった。

 向けられた笑顔に、何の他意も感じられず、私は戸惑った。


 姉さん、という響きが、何度も頭の中をこだまして、やがて嬉しくなってしまった。

 これから、本当の姉妹になれるのかもしれない。

 そんな淡い期待が、胸をよぎった。



「私のカバン開けてくれる? デジカメ入っているから出して撮って頂戴。あ、お義兄さんも一緒に」


 流されるように、我が子を挟んで微笑む夫と妹の写真を撮る。


 シャッター音がなり。



 まるで家族のような三人の姿が、モニターに固定された、一瞬。




 優しかったはずの、妹の笑顔が、勝ち誇ったように、見えた。


 ……すぐに、画面がぶれて、撮影スタンバイに戻った。


「今度は私が撮るね」

 さっきの表情は気のせいだったのか、と思えるほど、無邪気に私達を撮影する。


「じゃあ、見つからないうちに帰るわね」

 カモフラージュのためか、薄くスモークの入った眼鏡を掛けて、ハンカチで軽く口元を覆いながら、部屋を出ていった。


 入れ違いに、授乳室に続く内側のドアから看護師が時間の終わりを告げに入ってきた。

 我が子を預けてから、しばらくデイルームで夫と過ごし、エレベーターホールで見送った、後。




 彼女が、私との写真は、一枚も撮っていかなかったことに、気が付いた。










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 ……彼女が会いに来たのは、明日は退院、という日。
 めったに面会時間内に来れない夫が、産後指導のため半休をもらって病院に来ていた。
 育児指導室という小さめの部屋で|沐浴《もくよく》などの指導を受けた。
 指導の後は、しばらく家族水入らずで過ごしていいことになっていて、久しぶりに他人のいない時間を楽しんでいた。
 入浴後で具合よく寝入っている愛くるしい寝顔を見ながら、夫と他愛もないお喋りをしていると、ノックの音がした。
 もう時間なのかと、夫がドアを開けると。
「お久しぶり。予定より早かったのね」
 彼女が、入ってきた。
「初めまして」
 夫はびっくりしてしばらく|呆《ほう》けていたが、慌てて挨拶を返した。
 突然の|闖入《ちんにゅう》に非難することも忘れて、私も夫も彼女を見つめた。
 いつもの、華やかな装いではなく、私が普段着るような、綿ニットのアンサンブルにフレアースカート。
 化粧はうっすら、装飾品も付けていない。
 鏡の前にいるような錯覚を覚えた。
「ごめんなさいね。家族水入らずのところ、悪いとは思ったんだけど、あまり人に見られない方がいいかと思って。あなたの実家に、顔を出すのもどうかと思うし」
 事情を知るものなら、なるほどと納得してしまいそうになる。
 |不躾《ぶしつけ》な振る舞いも、気遣いの結果と逆に恐縮してしまいそうになる。
 夫は信じたのだろう、初めて会う、妻に雰囲気までよく似た義妹に、すっかり心を許したようだった。
 もともと夫には「双子の妹がいて、一度だけあったことがあるが、向こうは住む世界が違うから」とだけ話してあった。
 色々なしがらみのある社会の人で、たびたび会うことは難しいから、相手の素性も聞かないで欲しい、とも。
 それを、こっそり、無理して会いに来てくれた、と感激していたのだと思う。
「可愛い! ねえ抱かせて頂戴! そっと、ね」
 無邪気にねだる様子は、先日までと全く別人だった。
 やっぱりあれは、出産前の情緒不安定のせいだったのかしら。
 私まで、そんなふうに思えてきた。
「本当可愛いわあ」
 微笑んで、赤ちゃんを抱く様子は、自分を見ているようで、決して嫌な気分ではなかった。
「そうだ。写真撮ってもいい? 姉さん!」
「いいわよ?!」
 姉さん、などといきなり呼ばれて、反射的に|許諾《きょだく》してしまった。
 向けられた笑顔に、何の他意も感じられず、私は戸惑った。
 姉さん、という響きが、何度も頭の中をこだまして、やがて嬉しくなってしまった。
 これから、本当の姉妹になれるのかもしれない。
 そんな淡い期待が、胸をよぎった。
「私のカバン開けてくれる? デジカメ入っているから出して撮って頂戴。あ、お義兄さんも一緒に」
 流されるように、我が子を挟んで微笑む夫と妹の写真を撮る。
 シャッター音がなり。
 まるで家族のような三人の姿が、モニターに固定された、一瞬。
 優しかったはずの、妹の笑顔が、勝ち誇ったように、見えた。
 ……すぐに、画面がぶれて、撮影スタンバイに戻った。
「今度は私が撮るね」
 さっきの表情は気のせいだったのか、と思えるほど、無邪気に私達を撮影する。
「じゃあ、見つからないうちに帰るわね」
 カモフラージュのためか、薄くスモークの入った眼鏡を掛けて、ハンカチで軽く口元を覆いながら、部屋を出ていった。
 入れ違いに、授乳室に続く内側のドアから看護師が時間の終わりを告げに入ってきた。
 我が子を預けてから、しばらくデイルームで夫と過ごし、エレベーターホールで見送った、後。
 彼女が、私との写真は、一枚も撮っていかなかったことに、気が付いた。