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ヤブ医者バイアス

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1 まだ中学生の頃。 僕はサッカーをやっていた。 膝がキシキシと痛いので 病院に通うことにした。 しかし僕が住むまちには、 近くに2つの整形外科がある。 どちらにしようか迷って、 前に怪我で通院していた先輩に ちょっと相談してみたところ、 「あっちはヤブ医者らしいよ」と。 「えっ、そうなんですか!?」 僕、海凪直哉は驚いた。 それで先輩と同じ病院へ 通院することになった。 「オスグッドですね しばらく運動は控えてください」 ドクターストップを食らった。 オスグッド病は成長期になりやすい。 悪化すると筋肉が膝の骨を剥離させ、 正座もできなくなってしまう。 そう脅されて、湿布を何枚か。 安静にしていなさい。 ストレッチをしていなさい。 「すぐに治る薬とかないんですか?」 「ありません」と即答だった。 なんだよ。 練習できないってことじゃん。 それじゃ体力も落ちて、 実力も落ちてダメになる。 仲間たちに置いていかれる。 「どのくらいになりそうですか?」 「…まずは1週間様子を見ましょう」 ああ、1週間か。 それでも筋肉が落ちるけど、 なんとか取り返せそうかな。 「寝る前に貼る湿布と 痛み止めを処方しておきます」 その後、バンテリンと、 鎮痛剤を1週間分処方された。 そして「ストレッチのすすめ」 というリーフレットを1枚。 ともかく、中体連まであと半年。 早く復帰して実力を戻さなければ /////////////// 2 「う~ん…」 先生は僕の膝を見て唸る。 初診から1週間経ち、 ワクワクした気分で病院へ。 しかし先生の反応は良くない。 僕の膝は相変わらず盛り上がってる。 「ダメ…ですか?」 「ダメですね」 即答。 「もう少し様子を見ましょう また1週間後に予約しますね」 「えっと、また1週間後ですか?」 「はい、1週間後です」 そして。 次の診察でも先生は膝に唸る。 その次も次も同じ。 もう1ヶ月経ってしまった。 安静にして運動を控えなさい。 寝る前に湿布を張りなさい。 風呂上がりにストレッチしなさい。 また1週間後に来てください。 いっつもその繰り返し。 もっとパッと治す方法ないの? もう2ヶ月近く経つんだけど。 始めに「1週間で治る」って 言ってたのはなんだったんだよ。 前に相談した先輩に聞いた。 「先輩は通院し始めてどのくらい ドクターストップされてました?」 「う~ん、6ヶ月くらいかな」 6ヶ月って。 中体連に間に合わないじゃん。 「頑張って早く治してくれよ?」 「はっ、はい!」 …あの医者は嘘つきだ。 始めから1週間で治るなんて 微塵も思ってなかったんだ。 別の日に廊下で同級生と話した。 「よぉ、まだオスグッドなのか?」 「うん」 「どこ病院?」 「◯◯整形だけど」 「えっ、そこヤブって聞いたよ?」 そうなのか。 やっぱり、そうだと思った。 あの医者はヤブだったんだよ。 /////////////// 3 部屋の扉のノックを聞いた。 「おい、今日予約の日だろ? いつまで寝てるつもりだ」 「…病院、行きたくない」 「はぁ?」 ガチャとドアの開く音がして、 飯田宝代が入ってきた。幼馴染。 彼はベッドの側に荷物を下ろす。 「ほい」と投げ渡されたスマホに とある接骨院のホームページ。 「整形外科が嫌なんだったら そういう選択肢もある」 「そういう問題じゃないし」 端末を投げ返す。 「読んでみろよ、どうだ? お前が渇望してる情報だぞ」 もう一回、投げ渡された。 渋々に文章を読んでいく。  当接骨院は成長痛が専門です。  特にオスグッドの場合、  当院ではたった1回の施術で  練習復帰が叶います! 思わず顔を上げた。 僕の顔を見てホウが乾笑する。 「とりあえず最後まで読んで それから判断することだな」 指を下から上へ滑らす。 通院した人のコメントが並ぶ。  施術を受けた直後から  膝の痛みが消えました。  家で出来るストレッチなど、  より早く復帰するために  親身に指導をしてくれます。  そのおかげで僕は  たった3回目の通院だけで  オスグットが改善しました。  先生には感謝しかありません。 以下似たような文が続く。 「えっ、ここ良いじゃん」 それを聞いたホウはため息1つ。 説教の始まる合図だった。 /////////////// 4 「オステオパシーは魔術じゃない 施術してすぐ膝が治ることはない」 「だから3回の通院で…」 [治すんでしょ?]の言葉は遮られた。 「3回ってどのくらいの長さだ?」 またホウが食い気味に続ける。 「コメントをよく読め ストレッチの指導とかだって 整形の方針と同じじゃないか」 病院でもらったリーフレットと サイトで紹介されている 筋肉をほぐす方法を見比べる。 「確かに、めちゃ似てんな…」 鞄から僕の保険証と診察券が出た。 なんで持ってるんだ。 あ、親に説得を頼まれたのか。 「患者が指示通りに生活するなんて、 楽観的な信頼に甘んじてないで リスクを徹底的に排除するほうが 医学的には合理的な選択だよな」 …全然合理的なんかじゃない。 「でも、中体連までに治さないと! 早く練習に復帰しないと!」 ホウは僕の右手を引き上げた。 「早く治るかはその人次第だ」 2枚のカードが押し付けられる。 「その気持ちを俺じゃなくて 先生に伝えてみればいい」 嫌だね。布団を被り直す。 「…今の俺は誘拐が許可されている」 「えっ?」と言う間に 布団ごとロープで拘束されて、 体をくねるくらいしかできない。 「ちょっ、どういうつもりだこれ!」 「あんまり暴れると熱中症で死ぬぞ」 肩に担ぎながらホウが答える。 あっ、今の自分の気持ち。 動物病院に連れていかれる ペットと同じなのかもしれない。 変に冷静な頭が笑っていた。 /////////////// 5 膝に電気を流された。 電気風呂よりは優しい。ピリピリ。 「これで痛みが和らぎますし、 血行が促進されて 治りが早くなるはずです」 「あの、もう練習にも 復帰したいんですけど…」 「ああ、それなら」 卓上の棚から青ファイルを取り、 サポーターの取扱説明書を パラパラ見せてくれた。 「膝の負担を減らすので こういうの付けるといいですよ」 安いのは1000円弱くらい。 医療用になるともう少し高い。 「安いのでも良いんですか?」 「医療用の方がより効果的ですが それでも十分大丈夫ですよ」 ファイルが棚に戻される。 「直哉さんはサッカーでしたよね」 「ああ、はい、そうです」 「これからも変わらず、 激しい練習は控えるべきです 走り込みとか脚の筋トレとか 膝に負担のかかるものは特に」 「えっ、でもそれじゃ」 「はい、分かってます 分かってますから」 先生は僕をなだめて笑っている。 「練習への参加を認めましょう」 「…いいんですか?」 「で す が。」 黄色いファイルを棚から取り出す。 「練習を始める前、終えた後に ストレッチを必ずしましょう」 今、家にあるのと同じ資料だ。 「練習に復帰する選択をして リスクを自ら背負ったからには 早く治せるかどうかは、 直哉さん次第ですからね」 ホウと同じこと言ってる。 「はい!任せてください!」 待合室に響くから、と 怒られるくらいの返事をした。 /////////////// 6 「いーち、にーぃ、さーん、しっ!」 校庭に僕の声が響く。 「ごーぉ、ろーく、しーち、はち!」 許可の出た次の日から 僕は練習に復帰した。 「きゅー、じゅー、いーち、にっ!」 今もこうして念入りに柔軟してる。 「さーん、しーぃ、ごぉ…」 「ちょちょちょい待て!」 先輩が肩を叩いて止めてきた。 「いつまで伸ばす気だ?」 「8を5回コールするまでです」 「つまり…何カウントだよ」 「48ですね」 「長すぎだわ」 「長過ぎくらいが良いんです」 そして反対の脚を横に伸ばし、 心のなかで数えつつの会話。 「先輩、気軽に医者をヤブヤブ言うの やめた方がいいですよ それ真に受けて病院行かずに 悪化したら責任とれます?」 ホウからの受け売り。 「…そうか、そうだな それはすまなかった」 自分の非を認めて謝罪できる。 その義理堅さは素直に憧れる。 それからは一生懸命に練習した。 日に日に膝の山も低くなって、 大会の1ヶ月前には寛解宣告。 柔軟の大切さを部活でも説き、 ストレッチの時間を長めにした。 寛解してからは、 走り込みもシュートも対人も、 膝に手加減せずに練習した。 柔軟のおかげで体幹も良くなり、 チーム全体の士気が高まっている。 「優勝するぞ!」 先輩の呼びかけに 皆が「オー!」と腕を挙げて応えた。 果たしてその年は、 1回戦目で強豪に当たり、 中体連は初戦で敗退。 先輩も引退してしまった。 残念。 終わり



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