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第84話 羽成親子

ー/ー



 時は島長一家が越してくる半世紀ほど前に遡る。当時のそこにログハウスは存在しておらず、古めかしい平屋があるだけだった。そして、石垣の強固な門構えが格式高さを物語っている。
『チーン』
 仏壇の前で合掌している男の名は、羽成健造。この家の世帯主であり、普段は大工として生計を立てている。
「和代、よしゆきは今日から小学生だ。この間までおむつ履いてたはずなんだが、ガキの成長ってのは早いもんだなぁ」
 仏壇に飾られた遺影には、彼の妻であった和代が微笑んでいる。生前は仲睦まじいおしどり夫婦であったが、長らく子宝に恵まれなかった。
 ようやく第一子を授かったものの、高齢出産も相まって難産に見舞われる。長時間に及ぶ出産に母体は耐えることが出来ず、和代はこの世を去る。
「おとうさぁーん!」
 健造の脇腹へ駆け込んできたのは、息子であるよしゆき。妻に先立たれた健造は、彼を男手一つで育ててきている。その甲斐もあって、彼はとてもわんぱくな少年に育っている。
「よしゆき、お前は今日も元気いっぱいだなぁ!」
 勢いよく飛びついてきたよしゆきに、父として喜びを隠せない健造。少年の背中には不釣り合いな黒いランドセルが、真新しい光沢を放っている。
「せっかくだから、お前もおかあさんに挨拶しとけ」
 健造は、喜び交じりによしゆきの頭をガシガシと撫でる。それを聞いたよしゆきは、遺影の母にランドセルを見せながら話しかける。
「おかあさん、今日から僕は小学生だよ! おとうさんにランドセルも買ってもらった!」
 ランドセルが気に入っているのか、よしゆきは遺影の母へ誇らしげに語っている。もし母がそこにいるなら、優しく微笑んでいることだろう。
「お友達とも仲良くするし、お勉強もいっぱいするから、必ずお家へ帰って来てね!」
 よしゆきがこの言葉を口にするのは訳がある。健造がよしゆきに寂しい思いをさせまいと、和代は別の世界へ出掛けていると言い聞かせてきた。そして、よしゆきがいい子にしていれば母は必ず帰ると言い聞かせてきている。
「よしゆき、おかあさんが帰ってきたらいっぱい話を聞かせてもらおうなぁ」
 健造は、再び息子の頭をガシガシと撫でる。思えばそれは健造が考えた善意の嘘であり、教育上の方便だった。だが、それは奇しくも健造自身の慰みにもなっていた。
「あ、もうこんな時間! 大変、学校に遅刻しちゃう!!」
 時計を見たよしゆきは慌てて走り出す。小学校への期待に胸が高鳴る、そんな彼の足取りは軽い。
「気を付けてなぁ!」
 健造は、息子の初登校を見送る。そんな彼の内心は、我が子の成長する期待と不安が入り混じっている。
「さて、俺もひと仕事行ってくるか! 和代、またな!」
 合掌の後、健造は仏壇を後にする。遺影の和代は『いってらっしゃい!』と言わんばかりに微笑んだ表情を浮かべているだけだった。
――
 仕事の前に健造が訪れたのは、万事屋みなもと。ここは、彼の御用達としている雑貨店である。
「文恵、居るかぁ?」
 健造が、慣れ親しんだように店員を呼ぶ。彼の呼び声を聞くなり、店員が倉庫から間髪入れずに現れた。
「兄さん、今日はこれをご所望ですね!」
 方眼紙を差し出している彼女の名は、源文恵。彼女はみなもとの店員であり、健造の実妹でもある。彼女がここへ嫁いで以降、健造は何かとこの店を贔屓にしている。
「お、察しがいいじゃないか。さすがは俺の妹だ!」
 機敏な対応の妹に、健造は感嘆の声を漏らす。そこはやはり、実の兄妹だからこそ成立するものといえる。
「兄さんがこの時間に来るときは、大体これを買うって相場が決まっていますからね?」
 兄の反応を見て文恵はしたり顔。兄の要望に応えることが、彼女の楽しみの一つでもある。
「これは一本取られた! ハハハッ!」
 感嘆のあまり、健造は額に手を当てる。この兄妹もまた実に仲睦まじい様子。
「ところで、今日はよしゆきの初登校でしたっけ?」
 文恵は、甥っ子の初登校日もきちんと記憶していた。義姉の死を知って以来、彼女は母同然によしゆきを気にかけてきた。そういう意味で、よしゆきにとって彼女は実母よりも身近な母といえる存在である。
「そうなんだよ。よしゆきの奴、駆け足で登校しててよぉ。俺まで嬉しくなっちまった!」
 愛しの我が子に、親バカが炸裂する父義之。それほどまでに、息子を溺愛しているのだ。
「兄さんてば、あんまりよしゆきを甘やかさない方がいいですよ? それに、和代さんのことも誤魔化してるんでしょう?」
 文恵の指摘を受けて、健造は図星だと言わんばかりの動揺ぶり。すると間もなく、彼の額から滝のように汗が流れ出てきた。
「あれは誤魔化してるんじゃねぇんだ。本当のことを知ったらよしゆきは悲しむし、俺だって悲しい」
 俯きながらも、健造は必死に弁明している。息子が小学生となって今でさえ、妻の死を受け入れられずにいるのだ。
「そんなこと言って......。そんなんじゃ和代さんも浮かばれませんよ?」
 そんな兄を、妹の立場から諫める文恵。だが、健造はなおも弁明を続ける。
「和代は今でも生きてるさ。もしかしたら、玄関から何食わぬ顔でひょっこり帰って来るかもしれないしな?」
 妻の死を受け入れがたい健造の言葉は、もはや屁理屈にも等しい。だが、この嘘によって後に羽成親子の間に亀裂が生じることとなる。


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『チーン』
 仏壇の前で合掌している男の名は、羽成健造。この家の世帯主であり、普段は大工として生計を立てている。
「和代、よしゆきは今日から小学生だ。この間までおむつ履いてたはずなんだが、ガキの成長ってのは早いもんだなぁ」
 仏壇に飾られた遺影には、彼の妻であった和代が微笑んでいる。生前は仲睦まじいおしどり夫婦であったが、長らく子宝に恵まれなかった。
 ようやく第一子を授かったものの、高齢出産も相まって難産に見舞われる。長時間に及ぶ出産に母体は耐えることが出来ず、和代はこの世を去る。
「おとうさぁーん!」
 健造の脇腹へ駆け込んできたのは、息子であるよしゆき。妻に先立たれた健造は、彼を男手一つで育ててきている。その甲斐もあって、彼はとてもわんぱくな少年に育っている。
「よしゆき、お前は今日も元気いっぱいだなぁ!」
 勢いよく飛びついてきたよしゆきに、父として喜びを隠せない健造。少年の背中には不釣り合いな黒いランドセルが、真新しい光沢を放っている。
「せっかくだから、お前もおかあさんに挨拶しとけ」
 健造は、喜び交じりによしゆきの頭をガシガシと撫でる。それを聞いたよしゆきは、遺影の母にランドセルを見せながら話しかける。
「おかあさん、今日から僕は小学生だよ! おとうさんにランドセルも買ってもらった!」
 ランドセルが気に入っているのか、よしゆきは遺影の母へ誇らしげに語っている。もし母がそこにいるなら、優しく微笑んでいることだろう。
「お友達とも仲良くするし、お勉強もいっぱいするから、必ずお家へ帰って来てね!」
 よしゆきがこの言葉を口にするのは訳がある。健造がよしゆきに寂しい思いをさせまいと、和代は別の世界へ出掛けていると言い聞かせてきた。そして、よしゆきがいい子にしていれば母は必ず帰ると言い聞かせてきている。
「よしゆき、おかあさんが帰ってきたらいっぱい話を聞かせてもらおうなぁ」
 健造は、再び息子の頭をガシガシと撫でる。思えばそれは健造が考えた善意の嘘であり、教育上の方便だった。だが、それは奇しくも健造自身の慰みにもなっていた。
「あ、もうこんな時間! 大変、学校に遅刻しちゃう!!」
 時計を見たよしゆきは慌てて走り出す。小学校への期待に胸が高鳴る、そんな彼の足取りは軽い。
「気を付けてなぁ!」
 健造は、息子の初登校を見送る。そんな彼の内心は、我が子の成長する期待と不安が入り混じっている。
「さて、俺もひと仕事行ってくるか! 和代、またな!」
 合掌の後、健造は仏壇を後にする。遺影の和代は『いってらっしゃい!』と言わんばかりに微笑んだ表情を浮かべているだけだった。
――
 仕事の前に健造が訪れたのは、万事屋みなもと。ここは、彼の御用達としている雑貨店である。
「文恵、居るかぁ?」
 健造が、慣れ親しんだように店員を呼ぶ。彼の呼び声を聞くなり、店員が倉庫から間髪入れずに現れた。
「兄さん、今日はこれをご所望ですね!」
 方眼紙を差し出している彼女の名は、源文恵。彼女はみなもとの店員であり、健造の実妹でもある。彼女がここへ嫁いで以降、健造は何かとこの店を贔屓にしている。
「お、察しがいいじゃないか。さすがは俺の妹だ!」
 機敏な対応の妹に、健造は感嘆の声を漏らす。そこはやはり、実の兄妹だからこそ成立するものといえる。
「兄さんがこの時間に来るときは、大体これを買うって相場が決まっていますからね?」
 兄の反応を見て文恵はしたり顔。兄の要望に応えることが、彼女の楽しみの一つでもある。
「これは一本取られた! ハハハッ!」
 感嘆のあまり、健造は額に手を当てる。この兄妹もまた実に仲睦まじい様子。
「ところで、今日はよしゆきの初登校でしたっけ?」
 文恵は、甥っ子の初登校日もきちんと記憶していた。義姉の死を知って以来、彼女は母同然によしゆきを気にかけてきた。そういう意味で、よしゆきにとって彼女は実母よりも身近な母といえる存在である。
「そうなんだよ。よしゆきの奴、駆け足で登校しててよぉ。俺まで嬉しくなっちまった!」
 愛しの我が子に、親バカが炸裂する父義之。それほどまでに、息子を溺愛しているのだ。
「兄さんてば、あんまりよしゆきを甘やかさない方がいいですよ? それに、和代さんのことも誤魔化してるんでしょう?」
 文恵の指摘を受けて、健造は図星だと言わんばかりの動揺ぶり。すると間もなく、彼の額から滝のように汗が流れ出てきた。
「あれは誤魔化してるんじゃねぇんだ。本当のことを知ったらよしゆきは悲しむし、俺だって悲しい」
 俯きながらも、健造は必死に弁明している。息子が小学生となって今でさえ、妻の死を受け入れられずにいるのだ。
「そんなこと言って......。そんなんじゃ和代さんも浮かばれませんよ?」
 そんな兄を、妹の立場から諫める文恵。だが、健造はなおも弁明を続ける。
「和代は今でも生きてるさ。もしかしたら、玄関から何食わぬ顔でひょっこり帰って来るかもしれないしな?」
 妻の死を受け入れがたい健造の言葉は、もはや屁理屈にも等しい。だが、この嘘によって後に羽成親子の間に亀裂が生じることとなる。