対面
ー/ー 画面の向こう側に、自分そっくりの顔が映し出されていた。勇斗は静かに息を呑んだ。
「きみは、もしかして」
『お前は……むっ』
自分そっくりの顔が画面の外に消えた。代わりに、親友の顔が画面いっぱいに映し出される。
『勇斗!』
「光太!」
『勇斗、勇斗だよな? てか、なんだよ、その勇者みたいな格好。コスプレしてんの?』
久しぶりに見る光太の顔。勇斗は胸がいっぱいになり、さまざまな感情が一気にあふれ出した。
『お、おいおい、泣くなよ!』
「だ、だってぇ」
勇斗は、声を押し殺しながら、しばらく涙を流した。
『落ち着いたか? で、お前、今どこにいるんだよ?』
「えっと、異世界、かな。今いる場所は、ホルタっていう砂漠の街の近くなんだ」
光太は一瞬黙り込んだ。
『マジで?』
「うん、マジ」
勇斗は少しだけ間を置いたあと、これまでの経緯を話した。
『そっか、大変なことになってんだな』
光太は、唇をきつく噛んだ。
「おーい、そのツンツン頭のやつだれだー?」
画面を覗き込んだランパが、興味津々な様子で尋ねた。
『お前こそだれぇー?』
「オイラはランパ。樹の精霊さ」
『お、おう。俺は光太だ。よろしく』
「光太、そっちは大丈夫? お母さん、心配してない? 学校とかどうなってるの?」
『あ、あぁ。こっちではアルトがお前の代わりしてくれてるからさ。今のところ大丈夫だ。……たぶん』
画面が少し動く。勇斗と同じ顔をした少年の姿が映し出された。
アルト――魔神退治に出たあと、行方不明となった勇者。彼が、今、画面の向こうにいる。勇斗は身震いをした。
『お前が、ユートか。まさか本当にボクの世界にいるなんてな』
鋭い眼光と落ち着き払った仕草。アルトは表情をほとんど変えず、淡々とした声で言った。
勇斗はゴクリとつばを飲み込んだ。
「え、えっと。はじめまして、僕は日向勇斗」
『挨拶はいい。単刀直入に聞く。元の世界に戻る手がかりは見つかったのか?』
勇斗は言葉に詰まった。アルトの発言には、「手がかりを見つけられていないなら、話す価値もない」と言わんばかりの冷たさを感じた。
「え、えっと、えっとぉ」
精霊樹に身を宿すマナの女神に会うことで、元の世界に戻る方法が見つかるかもしれない――ということを、勇斗はアルトに話した。
『そうか』
アルトはわずかに目を細めた。
『ならば、お前はそれを目指せ。こちらでも手がかりを探す。もし、困ったことがあれば、トゥーレというソレイン王国の魔術師を頼れ――』
突如、フォンタイトのスピーカーからノイズが発生し、画面が乱れ始めた。
『ユート、お前の目には、迷いがある。それはいつか――』
ノイズが激しくなった。
「ちょ、ちょっと待って! まだ話したいことが」
画面が真っ黒になった。
「……何なんだよ」
勇斗はむくれながら、画面を思い切りタップした。反応はない。フォンタイトの内部で流れていたオーロラは、完全に輝きを失っていた。
「ランパ。これ、故障したのかな」
「うーん。見たところ、これはマナの力で動いているみたいだから、マナが回復すれば、また使えるようになると思うぞ」
スマホと同じように、充電が必要らしい。再び使えるようになるには、どれくらい時間がかかるのだろうか。じれったい。
「ユートが言ってたことって、本当だったんだな。マジで他の世界があるなんて」
ミュールは尻尾をだらんとさせ、ゆっくりとまばたきを二回した。
「どういう状況っスか、これ?」
不思議そうな顔をしたチカップが、勇斗を見つめた。
「あ、あとで説明するよ」
勇斗たちは、ホルタの東側にある酒場『金砂の盃亭』でテーブルを囲んでいた。酒と葉巻と汗の匂いが入り混じる広い空間に、荒い笑い声とざわめきが満ちている。
「同じ顔をした二人の入れ替わり。にわかに信じがたいっスね」
勇斗から事情を聞いたチカップは、眉間にしわを寄せながら言った。
「でも、フォンタイトでのやりとりを聞いた限り、信じるしかありませんわよね?」
「まぁ、そうっスよね」
チカップは、小さな息を吐いたあと、椅子の背にもたれかかった。
「はいよ、お待たせ! ガキども、たんと食って飲みな!」
威勢のいい掛け声とともに、皿が次々とテーブルに置かれていく。ほどなくして、四人分のジョッキも運ばれてきた。
「ウヒョー!」
ランパが、香ばしく焼けた獣肉の串焼きにかじりついた。肉をあっという間に胃袋に入れた彼は、間髪を入れずにスープの皿を両手で持った。
「はしたない食べ方ですわね」
ソーマは、ちぎったパンをスープにつけ、ゆっくりと口に運んだ。
一方、ミュールはナッツをあてに、ビラードを飲んでいた。チカップは出された料理をまんべんなく食べていた。
「ユート、食べませんの?」
「全部辛くて、僕の口には合わないかな」
全体的にスパイスが効きすぎていた。甘いデザートを注文しておけばよかった、と勇斗は後悔していた。
料理の皿は、三十分ほどで空になった。
「チカップ、ジュースばっかり飲んで、酒は飲まないのかよ」
三杯目のビラードを飲み干したミュールが、チカップの肩に勢いよく手を回した。チカップが持つジョッキに入っているジュースが波打った。
「自分、お酒は苦手なんス」
「ふーん。で、ずっと気になってたんだけど、何でずっと頭に包帯巻いてんの? オル族の第三の目はよく知られてるんだから、別に隠す必要ないだろ?」
「あ、いや、自分の目は他とは違うから、あんまり見せたくないんス」
戸惑いの表情を浮かべたチカップは、額に巻いた包帯を触った。
勇斗は左手首に目をやった。ガントレットの下には四芒星の形をした痣が隠れている。小学生の頃、同級生に痣を見られ、からかわれた嫌な記憶が蘇った。
ため息をついた勇斗は、ビラードをひと口飲んだ。視線を横にやると、ランパが鼻ちょうちんを膨らませていた。食べるだけ食べて、今は夢の中らしい。
「ユート、葉巻は吸わないんスか?」
「えっ」
勇斗の目の前に、灰皿が置かれた。光沢のある、真鍮製の灰皿だ。中央には深いくぼみがあり、縁には葉巻を置くための溝が彫られている。
「い、今は吸わないよ!」
特に怪我をしていないし、今から戦うわけでもない。
「自分、マナが出る葉巻って聞いたことないから、気になるっス。どんな仕組みなんだろう」
チカップの目がきらきらしている。視線が熱い。遺跡からの帰り道、勇斗はチカップにドラシガーのことを話していた。そのときから、彼は興味津々だった。
「アルトと話してからずっと浮かない顔してるし、気分転換しなよ」
ミュールはニッと笑った。
「うぅ」
辺りを見回した。他のテーブルでは、屈強な漢たちが、酒を飲み、葉巻を片手に談笑していた。
「少しだけなら、いいのかな」
頬を赤らめた勇斗は、マントの内側から一本の葉巻を取り出した。精霊樹の葉と古びた指輪を合成して作られた魔法の葉巻――ドラシガーだ。
鼓動が速くなった。
勇斗は深呼吸をしたあと、ナイフで吸い口をまっすぐに切り落とした。そして、ガントレットから吹き出す青白い炎で、底面に火をつけた。
「おぉ」
立ち昇る淡い緑色の煙を見たチカップは、感嘆の声を上げた。
勇斗は、そっとドラシガーを咥え、頬をへこませた。適度に冷たい煙が口の中に入り込んだ。
口の中で煙を転がした。舌の上で、バニラやカカオを思わせる柔らかな甘さが広がった。ナッツのようなコクも感じられた。美味しい。
勇斗は、静かに煙を吐き出した。前方に緑煙が浮遊する。湿った森林のような香りを嗅ぐと、なんとも心地よい気分になった。
「素敵。煙がとても似合いますわ」
ソーマが目を細め、甘くささやいた。
勇斗は、さらに頬が熱くなるのを感じた。
「よっ、坊主。若いのに葉巻を吸うんだな。しかもグランデサイズときた。高そうな鎧も着てるし、どこかの貴族か?」
白い煙を吐き出しながら葉巻を咥えた漢が、勇斗のすぐ隣に立っていた。大柄で、眼帯をつけている。たくましい腕には、生々しい傷跡が無数にあった。
「どこで買ったんだ? 煙が緑の葉巻なんて初めて見たぞ」
他のテーブルの漢たちも集まってきた。大勢の視線が勇斗に集中する。
勇斗はドラシガーを右手に持ちながら、固まってしまった。
「うわあああっ!」
「助けてくれぇ!」
外から悲鳴が聞こえてきた。酒場内が、ざわめく。
「なんだぁ、ケンカか? ちょっと懲らしめにいってやるか」
豪快に煙を吐き出した漢は、大斧をひょいと担ぎ、酒場から出ていった。ミュールとチカップも席を立つ。
「ねぇ、ランパ、起きてよ。なにかあったみたいだよ」
ドラシガーを灰皿に置いた勇斗は、ランパを揺さぶった。
「むにゃむにゃ、もう食えなーぞー」
「ランパさん、起きませんわね」
酒場の玄関に目をやると、ミュールが青ざめた表情で手招きしていた。
「行ってきてくださいませ、ユート」
「わ、わかった」
勇斗は一歩踏み出したところで足を止め、振り向いた。念のためにと、ドラシガーを手に取った。
大通りには、多くの人が倒れていた。動かなくなった者たちを夕日が赤く照らしていた。鼻の奥を捻じ曲げるような悪臭が、乾いた風に乗って漂っていた。
「あの人は」
道の中央に、一人の男が佇んでいた。見覚えのある金髪の男。彼の手に握られた禍々しい剣の先端から、赤い液体が滴っている。
ドサッと、生暖かい塊が目の前に放り投げられた。
さっきまで勇斗に話しかけていた漢だった。眼帯に覆われていない方の目は大きく見開かれ、斜めに歪んだ口からは、舌がはみ出している。首から下はなかった。
勇斗は激しい嘔吐感に襲われ、左手で口を押さえた。
「おやぁ。きみは確か、遺跡に行くとか言っていたお坊ちゃん。葉巻なんか持って、優雅に一服でもしていたか?」
金髪の男はニヤリと笑い、ゆらりと近づいてきた。目の焦点が合っていなかった。
「そっちにいるのは役立たずのチカップじゃぁないか。また会えるとは奇遇だねぇ」
「あなた、ひ、人を、殺したんスか? ど、どうして」
チカップの声が震える。
「オレは、今、無性に血が欲しくてたまらないんだよォ! 誰でもいいんだ。血を、全部よこしなァ!」
奇声が響き渡る。これまで遭遇してきた、どの魔族よりも恐ろしく感じた。
「だれを斬ろうかなぁ?」
刃を舐めた金髪の男は、獲物を狙う獣のような目で、勇斗を睨みつけた。
「ユート! 剣を抜けっ!」
ミュールが叫ぶ。
勇斗は慌ててドラシガーを咥え、聖剣クトネシスを鞘から引き抜いた。大きく息を吸う。細胞が刺激され、戦い方が身体に流れ込んでくる。
金髪の男はニヤッと笑い、一気に間を詰めてきた。
鋭い刃が、勇斗目掛けて振り下ろされる。すかさず、聖剣で受け止める。重い。刃を滑らせ、距離をとる。男は舌打ちをした。
一瞬の静寂。
金髪の男が動いた。
勇斗はじっと目をこらした。一瞬、時間が遅くなったように感じた。腕の流れや剣の軌跡が、手に取るようにわかる。刃で刃を受け、体を捻り、胴を叩いた。相手の顔が曇る。
一進一退の攻防。金属音が鳴り響き、火花が散った。
「ヒャハッ!」
鋭い突きが、勇斗の胸部を捉えた。プレート越しに、衝撃が胸に伝わった。
勇斗はドラシガーを強く噛み、後方に跳躍した。鋭く息を吸い込み、口の隙間から煙を勢いよく放出した。ゆっくり吸ったときの甘さはなく、スパイシーな味がした。
大量の緑煙が、勇斗の周囲に漂った。
敵は叫びながら突進してきた。
鋭い刃が、勇斗の首を切り裂いた。
「何っ」
切り裂いたのは、煙が作り出した幻影だった。金髪の男の顔に、初めて苛立ちが浮かんだ。
相手がよろめいた瞬間を、勇斗は逃さなかった。体内のマナを消費して、精霊術を発動した。聖剣が炎をまとい始めた。
紅の閃光が、横一文字に放たれた。爆音とともに、金髪の男は大きく吹き飛び、建物の壁に打ちつけられた。
勇斗は、相手の首元に剣先を突き立てた。
ドラシガーの先から昇る煙は、伸びかけては揺れ、行き先を決められないように蛇行した。
真っ白な灰が、こぼれ落ちた。
剣を握る勇斗の手は、小刻みに震えていた。
殺したら、この人と同じ。
勇斗は後ずさった。
迷った。その一瞬が、致命傷だった。
金髪の男はニタリと笑った。大きく裂けた彼の口から、いく本もの黒い触手が凄まじい勢いで飛び出し、勇斗の胴体を絡め取った。体が宙に浮いた。
「ユート!」
ミュールとチカップの叫び声が、はるか下から聞こえる。
勇斗の体全体が、激しく締め付けられる。金属が割れる音。締め付けの強度が増した。激痛。いくつもの鈍い音が、脳に響いた。
「ごっはああああぁぁぁっ」
勇斗は目を限界まで見開き、大量に吐血した。口から離れたドラシガーが落下した。
「グブェアアアアアアアァァァッ!」
雄叫びとともに、金髪の男の体がぐちゃぐちゃと膨らんでいく。肥大化。瞬く間に、無数の触手を蠢かせるどす黒い化け物が誕生した。
「ギへェアアアアッ!」
化け物はゆっくりと移動しながら、いくつもの触手をめちゃくちゃに打ち振った。石造りの建物が次々と破壊されていった。
「がぁっ、ぐぅっ」
触手に捕まった勇斗は、激しく振り回された。風切り音。強打。サークレットにヒビが入る。顔面の皮膚が削られる。歯を食いしばる。頭が割れそうになる。血が舞う。
「聖なる槍よ、貫け」
爽やかな声とともに、光り輝くいくつもの巨大な槍が、化け物の体に深々と突き刺さった。
「グオオオオオオオッ!」
低い咆哮を轟かせ、化け物はもがき苦しむ。やがて巨体はどろどろと溶け、跡形もなくなった。
束縛を解かれた勇斗の体が、落ちた。
地面に叩きつけられた勇斗の顔面は赤黒く腫れ上がり、食いしばった歯の隙間からヒューヒューと息が漏れていた。手足は不自然な方向に曲がり、全身を覆っていた金属は砕け散っていた。割れた鎧の隙間から、血がどろりと流れていた。
「全く、アルトくんらしくない」
グレーの長髪を掻き上げた男性が、瀕死の勇斗を見つめ、呟いた。
「きみは、もしかして」
『お前は……むっ』
自分そっくりの顔が画面の外に消えた。代わりに、親友の顔が画面いっぱいに映し出される。
『勇斗!』
「光太!」
『勇斗、勇斗だよな? てか、なんだよ、その勇者みたいな格好。コスプレしてんの?』
久しぶりに見る光太の顔。勇斗は胸がいっぱいになり、さまざまな感情が一気にあふれ出した。
『お、おいおい、泣くなよ!』
「だ、だってぇ」
勇斗は、声を押し殺しながら、しばらく涙を流した。
『落ち着いたか? で、お前、今どこにいるんだよ?』
「えっと、異世界、かな。今いる場所は、ホルタっていう砂漠の街の近くなんだ」
光太は一瞬黙り込んだ。
『マジで?』
「うん、マジ」
勇斗は少しだけ間を置いたあと、これまでの経緯を話した。
『そっか、大変なことになってんだな』
光太は、唇をきつく噛んだ。
「おーい、そのツンツン頭のやつだれだー?」
画面を覗き込んだランパが、興味津々な様子で尋ねた。
『お前こそだれぇー?』
「オイラはランパ。樹の精霊さ」
『お、おう。俺は光太だ。よろしく』
「光太、そっちは大丈夫? お母さん、心配してない? 学校とかどうなってるの?」
『あ、あぁ。こっちではアルトがお前の代わりしてくれてるからさ。今のところ大丈夫だ。……たぶん』
画面が少し動く。勇斗と同じ顔をした少年の姿が映し出された。
アルト――魔神退治に出たあと、行方不明となった勇者。彼が、今、画面の向こうにいる。勇斗は身震いをした。
『お前が、ユートか。まさか本当にボクの世界にいるなんてな』
鋭い眼光と落ち着き払った仕草。アルトは表情をほとんど変えず、淡々とした声で言った。
勇斗はゴクリとつばを飲み込んだ。
「え、えっと。はじめまして、僕は日向勇斗」
『挨拶はいい。単刀直入に聞く。元の世界に戻る手がかりは見つかったのか?』
勇斗は言葉に詰まった。アルトの発言には、「手がかりを見つけられていないなら、話す価値もない」と言わんばかりの冷たさを感じた。
「え、えっと、えっとぉ」
精霊樹に身を宿すマナの女神に会うことで、元の世界に戻る方法が見つかるかもしれない――ということを、勇斗はアルトに話した。
『そうか』
アルトはわずかに目を細めた。
『ならば、お前はそれを目指せ。こちらでも手がかりを探す。もし、困ったことがあれば、トゥーレというソレイン王国の魔術師を頼れ――』
突如、フォンタイトのスピーカーからノイズが発生し、画面が乱れ始めた。
『ユート、お前の目には、迷いがある。それはいつか――』
ノイズが激しくなった。
「ちょ、ちょっと待って! まだ話したいことが」
画面が真っ黒になった。
「……何なんだよ」
勇斗はむくれながら、画面を思い切りタップした。反応はない。フォンタイトの内部で流れていたオーロラは、完全に輝きを失っていた。
「ランパ。これ、故障したのかな」
「うーん。見たところ、これはマナの力で動いているみたいだから、マナが回復すれば、また使えるようになると思うぞ」
スマホと同じように、充電が必要らしい。再び使えるようになるには、どれくらい時間がかかるのだろうか。じれったい。
「ユートが言ってたことって、本当だったんだな。マジで他の世界があるなんて」
ミュールは尻尾をだらんとさせ、ゆっくりとまばたきを二回した。
「どういう状況っスか、これ?」
不思議そうな顔をしたチカップが、勇斗を見つめた。
「あ、あとで説明するよ」
勇斗たちは、ホルタの東側にある酒場『金砂の盃亭』でテーブルを囲んでいた。酒と葉巻と汗の匂いが入り混じる広い空間に、荒い笑い声とざわめきが満ちている。
「同じ顔をした二人の入れ替わり。にわかに信じがたいっスね」
勇斗から事情を聞いたチカップは、眉間にしわを寄せながら言った。
「でも、フォンタイトでのやりとりを聞いた限り、信じるしかありませんわよね?」
「まぁ、そうっスよね」
チカップは、小さな息を吐いたあと、椅子の背にもたれかかった。
「はいよ、お待たせ! ガキども、たんと食って飲みな!」
威勢のいい掛け声とともに、皿が次々とテーブルに置かれていく。ほどなくして、四人分のジョッキも運ばれてきた。
「ウヒョー!」
ランパが、香ばしく焼けた獣肉の串焼きにかじりついた。肉をあっという間に胃袋に入れた彼は、間髪を入れずにスープの皿を両手で持った。
「はしたない食べ方ですわね」
ソーマは、ちぎったパンをスープにつけ、ゆっくりと口に運んだ。
一方、ミュールはナッツをあてに、ビラードを飲んでいた。チカップは出された料理をまんべんなく食べていた。
「ユート、食べませんの?」
「全部辛くて、僕の口には合わないかな」
全体的にスパイスが効きすぎていた。甘いデザートを注文しておけばよかった、と勇斗は後悔していた。
料理の皿は、三十分ほどで空になった。
「チカップ、ジュースばっかり飲んで、酒は飲まないのかよ」
三杯目のビラードを飲み干したミュールが、チカップの肩に勢いよく手を回した。チカップが持つジョッキに入っているジュースが波打った。
「自分、お酒は苦手なんス」
「ふーん。で、ずっと気になってたんだけど、何でずっと頭に包帯巻いてんの? オル族の第三の目はよく知られてるんだから、別に隠す必要ないだろ?」
「あ、いや、自分の目は他とは違うから、あんまり見せたくないんス」
戸惑いの表情を浮かべたチカップは、額に巻いた包帯を触った。
勇斗は左手首に目をやった。ガントレットの下には四芒星の形をした痣が隠れている。小学生の頃、同級生に痣を見られ、からかわれた嫌な記憶が蘇った。
ため息をついた勇斗は、ビラードをひと口飲んだ。視線を横にやると、ランパが鼻ちょうちんを膨らませていた。食べるだけ食べて、今は夢の中らしい。
「ユート、葉巻は吸わないんスか?」
「えっ」
勇斗の目の前に、灰皿が置かれた。光沢のある、真鍮製の灰皿だ。中央には深いくぼみがあり、縁には葉巻を置くための溝が彫られている。
「い、今は吸わないよ!」
特に怪我をしていないし、今から戦うわけでもない。
「自分、マナが出る葉巻って聞いたことないから、気になるっス。どんな仕組みなんだろう」
チカップの目がきらきらしている。視線が熱い。遺跡からの帰り道、勇斗はチカップにドラシガーのことを話していた。そのときから、彼は興味津々だった。
「アルトと話してからずっと浮かない顔してるし、気分転換しなよ」
ミュールはニッと笑った。
「うぅ」
辺りを見回した。他のテーブルでは、屈強な漢たちが、酒を飲み、葉巻を片手に談笑していた。
「少しだけなら、いいのかな」
頬を赤らめた勇斗は、マントの内側から一本の葉巻を取り出した。精霊樹の葉と古びた指輪を合成して作られた魔法の葉巻――ドラシガーだ。
鼓動が速くなった。
勇斗は深呼吸をしたあと、ナイフで吸い口をまっすぐに切り落とした。そして、ガントレットから吹き出す青白い炎で、底面に火をつけた。
「おぉ」
立ち昇る淡い緑色の煙を見たチカップは、感嘆の声を上げた。
勇斗は、そっとドラシガーを咥え、頬をへこませた。適度に冷たい煙が口の中に入り込んだ。
口の中で煙を転がした。舌の上で、バニラやカカオを思わせる柔らかな甘さが広がった。ナッツのようなコクも感じられた。美味しい。
勇斗は、静かに煙を吐き出した。前方に緑煙が浮遊する。湿った森林のような香りを嗅ぐと、なんとも心地よい気分になった。
「素敵。煙がとても似合いますわ」
ソーマが目を細め、甘くささやいた。
勇斗は、さらに頬が熱くなるのを感じた。
「よっ、坊主。若いのに葉巻を吸うんだな。しかもグランデサイズときた。高そうな鎧も着てるし、どこかの貴族か?」
白い煙を吐き出しながら葉巻を咥えた漢が、勇斗のすぐ隣に立っていた。大柄で、眼帯をつけている。たくましい腕には、生々しい傷跡が無数にあった。
「どこで買ったんだ? 煙が緑の葉巻なんて初めて見たぞ」
他のテーブルの漢たちも集まってきた。大勢の視線が勇斗に集中する。
勇斗はドラシガーを右手に持ちながら、固まってしまった。
「うわあああっ!」
「助けてくれぇ!」
外から悲鳴が聞こえてきた。酒場内が、ざわめく。
「なんだぁ、ケンカか? ちょっと懲らしめにいってやるか」
豪快に煙を吐き出した漢は、大斧をひょいと担ぎ、酒場から出ていった。ミュールとチカップも席を立つ。
「ねぇ、ランパ、起きてよ。なにかあったみたいだよ」
ドラシガーを灰皿に置いた勇斗は、ランパを揺さぶった。
「むにゃむにゃ、もう食えなーぞー」
「ランパさん、起きませんわね」
酒場の玄関に目をやると、ミュールが青ざめた表情で手招きしていた。
「行ってきてくださいませ、ユート」
「わ、わかった」
勇斗は一歩踏み出したところで足を止め、振り向いた。念のためにと、ドラシガーを手に取った。
大通りには、多くの人が倒れていた。動かなくなった者たちを夕日が赤く照らしていた。鼻の奥を捻じ曲げるような悪臭が、乾いた風に乗って漂っていた。
「あの人は」
道の中央に、一人の男が佇んでいた。見覚えのある金髪の男。彼の手に握られた禍々しい剣の先端から、赤い液体が滴っている。
ドサッと、生暖かい塊が目の前に放り投げられた。
さっきまで勇斗に話しかけていた漢だった。眼帯に覆われていない方の目は大きく見開かれ、斜めに歪んだ口からは、舌がはみ出している。首から下はなかった。
勇斗は激しい嘔吐感に襲われ、左手で口を押さえた。
「おやぁ。きみは確か、遺跡に行くとか言っていたお坊ちゃん。葉巻なんか持って、優雅に一服でもしていたか?」
金髪の男はニヤリと笑い、ゆらりと近づいてきた。目の焦点が合っていなかった。
「そっちにいるのは役立たずのチカップじゃぁないか。また会えるとは奇遇だねぇ」
「あなた、ひ、人を、殺したんスか? ど、どうして」
チカップの声が震える。
「オレは、今、無性に血が欲しくてたまらないんだよォ! 誰でもいいんだ。血を、全部よこしなァ!」
奇声が響き渡る。これまで遭遇してきた、どの魔族よりも恐ろしく感じた。
「だれを斬ろうかなぁ?」
刃を舐めた金髪の男は、獲物を狙う獣のような目で、勇斗を睨みつけた。
「ユート! 剣を抜けっ!」
ミュールが叫ぶ。
勇斗は慌ててドラシガーを咥え、聖剣クトネシスを鞘から引き抜いた。大きく息を吸う。細胞が刺激され、戦い方が身体に流れ込んでくる。
金髪の男はニヤッと笑い、一気に間を詰めてきた。
鋭い刃が、勇斗目掛けて振り下ろされる。すかさず、聖剣で受け止める。重い。刃を滑らせ、距離をとる。男は舌打ちをした。
一瞬の静寂。
金髪の男が動いた。
勇斗はじっと目をこらした。一瞬、時間が遅くなったように感じた。腕の流れや剣の軌跡が、手に取るようにわかる。刃で刃を受け、体を捻り、胴を叩いた。相手の顔が曇る。
一進一退の攻防。金属音が鳴り響き、火花が散った。
「ヒャハッ!」
鋭い突きが、勇斗の胸部を捉えた。プレート越しに、衝撃が胸に伝わった。
勇斗はドラシガーを強く噛み、後方に跳躍した。鋭く息を吸い込み、口の隙間から煙を勢いよく放出した。ゆっくり吸ったときの甘さはなく、スパイシーな味がした。
大量の緑煙が、勇斗の周囲に漂った。
敵は叫びながら突進してきた。
鋭い刃が、勇斗の首を切り裂いた。
「何っ」
切り裂いたのは、煙が作り出した幻影だった。金髪の男の顔に、初めて苛立ちが浮かんだ。
相手がよろめいた瞬間を、勇斗は逃さなかった。体内のマナを消費して、精霊術を発動した。聖剣が炎をまとい始めた。
紅の閃光が、横一文字に放たれた。爆音とともに、金髪の男は大きく吹き飛び、建物の壁に打ちつけられた。
勇斗は、相手の首元に剣先を突き立てた。
ドラシガーの先から昇る煙は、伸びかけては揺れ、行き先を決められないように蛇行した。
真っ白な灰が、こぼれ落ちた。
剣を握る勇斗の手は、小刻みに震えていた。
殺したら、この人と同じ。
勇斗は後ずさった。
迷った。その一瞬が、致命傷だった。
金髪の男はニタリと笑った。大きく裂けた彼の口から、いく本もの黒い触手が凄まじい勢いで飛び出し、勇斗の胴体を絡め取った。体が宙に浮いた。
「ユート!」
ミュールとチカップの叫び声が、はるか下から聞こえる。
勇斗の体全体が、激しく締め付けられる。金属が割れる音。締め付けの強度が増した。激痛。いくつもの鈍い音が、脳に響いた。
「ごっはああああぁぁぁっ」
勇斗は目を限界まで見開き、大量に吐血した。口から離れたドラシガーが落下した。
「グブェアアアアアアアァァァッ!」
雄叫びとともに、金髪の男の体がぐちゃぐちゃと膨らんでいく。肥大化。瞬く間に、無数の触手を蠢かせるどす黒い化け物が誕生した。
「ギへェアアアアッ!」
化け物はゆっくりと移動しながら、いくつもの触手をめちゃくちゃに打ち振った。石造りの建物が次々と破壊されていった。
「がぁっ、ぐぅっ」
触手に捕まった勇斗は、激しく振り回された。風切り音。強打。サークレットにヒビが入る。顔面の皮膚が削られる。歯を食いしばる。頭が割れそうになる。血が舞う。
「聖なる槍よ、貫け」
爽やかな声とともに、光り輝くいくつもの巨大な槍が、化け物の体に深々と突き刺さった。
「グオオオオオオオッ!」
低い咆哮を轟かせ、化け物はもがき苦しむ。やがて巨体はどろどろと溶け、跡形もなくなった。
束縛を解かれた勇斗の体が、落ちた。
地面に叩きつけられた勇斗の顔面は赤黒く腫れ上がり、食いしばった歯の隙間からヒューヒューと息が漏れていた。手足は不自然な方向に曲がり、全身を覆っていた金属は砕け散っていた。割れた鎧の隙間から、血がどろりと流れていた。
「全く、アルトくんらしくない」
グレーの長髪を掻き上げた男性が、瀕死の勇斗を見つめ、呟いた。
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