アルトⅢ
ー/ー 黄色いパーカーを着たアルトは、駅舎の前に立っていた。
「おーっす、お待たせ」
声がした方を見ると、光太が青いジャージのポケットに両手を突っ込みながら歩いてきた。首から下げた白いお守りが揺れている。
「遅い。一分遅れだ。戦場では一秒の遅れが命取りになる。今後は気をつけろ」
「お前、何言ってんの?」
呆れ顔の光太をよそに、アルトは駅の構内へ足を踏み入れた。
券売機の前で立ち止まる。人々が機械を操作し、小さな紙を受け取って改札へ向かっていく。
なるほど。あの紙が通行証なのだな。
「どうした? ぼーっと突っ立って」
「どうすれば、ここを通れる?」
光太がにやにやした。
「最初は一人でやるとか言ってたくせに、ここで聞くのか?」
「助けを求めているのではない。情報を得るための質問だ。はやく答えろ」
「はいはい、勇者様」
光太はため息をつきつつ切符を買い、二枚差し出した。
「ほら、あとで金返せよ」
アルトは切符を指先でつまみ、じろじろ眺めた。
改札を抜け、ホームへ向かう。そこには人がまばらに立っていた。
「げっ、美咲」
光太が露骨に嫌そうな顔をした。
「あら、アルトと光太じゃない。アンタたちどっか行くの?」
「貝戸の商店街までな。勇斗のスマホを取りに行く」
「へぇ。いつもならそういうの、勇斗のお母さんが全部してたのに」
「彼女は今日いない。だからボクが行く」
低いアナウンスが響いた。
『電車が到着します。黄色い線の内側でお待ちください』
轟音とともに銀色の車体が滑り込んできた。アルトは目を見開く。
「これがデンシャ?」
「そうだよ。さ、乗るぞ」
車内は思ったより狭く、いろんな匂いが混ざっていた。
三人が席に座る。電車が走り出し、窓の外の景色が流れていく。
やがて大きく揺れた。アルトの視界の端で、老婆がふらつく。
美咲がさっと立ち上がり、少し遅れて光太も席を立った。
「おばあさん、どうぞ座ってください」
「あら、いいのよ」
「俺たち、次で降りますから」
老婆が二人に頭を下げ、席に座る。
アルトはその様子を黙って見ていた。
扉の近くへ移動したあと、低く訊く。
「なぁ、お前たち、どうしてあんなことをした?」
「あんなことって、おばあさんに席譲ったこと?」
「ああ。自分の利益にもならないのに、なぜそんなことをする?」
美咲と光太は一瞬きょとんとした。
「困ってる人がいたら助けるのは当たり前でしょ」
「勇斗なら、おろおろしつつも席譲ってたな」
「あぁ、確かに」
二人がくすくす笑う。
当たり前だと言われても、アルトにはうまく呑み込めなかった。
『次は貝戸ー、貝戸ー』
改札を抜けた先は、人でごった返していた。大きな看板が光り、色とりどりの映像が次々に切り替わる。声も匂いも多すぎる。
「やっぱ休日となると、人多いなぁ」
「ほら、アルト。スマホショップはあっちだ」
立ち止まっていたアルトの背を、光太が叩いた。
「光太、ちょい待ち」
美咲は鞄からスマホを取り出した。指が素早く表面を滑る。
「ミサキ、それは?」
「え? もしかしてアルト、スマホってどういうものか知らなかったの?」
「ああ。初めて見た」
アルトは真剣な顔でその操作を見つめた。
「アンタたち、時間あるんでしょ? いいとこ連れてってあげる」
「何でお前に付き合わなきゃいけないんだよ」
「あっそ。じゃ、アルト、こんなバカ放っておいて行くわよ」
美咲はアルトの手首を掴むと、そのまま人混みの中へ引っ張っていった。
「おーい! アルトを誘拐すんな!」
たどり着いたのは、唐揚げの店だった。
「最近できたのよ」
美咲は得意げにスマホの画面を見せる。クーポンが表示されていた。
しばらくして戻ってきた美咲は、揚げたての唐揚げを頬張りながら箱を差し出した。
「アルトも食べてみて。おいしいわよ」
「いや、ボクはいい」
「いいから食べなさい」
半ば強引に口へ押し込まれる。熱い。だが、衣は軽く、肉汁と塩気が一気に広がった。
「……うまい」
「でしょ?」
美咲が得意げに笑う。
「あ、写真撮ろ」
アルトの肩に腕を回し、美咲はスマホを向けた。シャッター音が立て続けに鳴る。
「アンタさぁ、笑いなさいよ。勇斗としてやるなら、もっと感情出さなきゃ」
「笑うって?」
「こう、ニーッてやるのよ」
美咲は白い歯を見せて笑った。
「それ、シグネリアにも言われたな」
「シグネリアって、アタシに似てるっていう子?」
「あぁ。顔立ちも、髪の色も」
アルトは少し目を伏せた。
「毎晩ボクの部屋に忍び込んできては、いろんな話をしてくれた。いい迷惑だった。だが、不思議と嫌ではなかった」
「へぇぇー。なんか、それ、ちょっといいじゃん」
「おーい、そろそろ行くぞ」
修理された勇斗のスマホを受け取ったあと、美咲とは店の前で別れた。
帰りの電車の中、光太が言う。
「とりあえず、うち来いよ。スマホの使い方教えてやるから」
夏野神社へ着く頃には、日が傾いていた。
石段を上り、境内へ足を踏み入れる。石の犬が二体、不気味な姿で鎮座していた。
「ここがジンジャか。不思議な場所だな」
「まぁな」
黄色い銀杏の葉を踏みながら、石畳を進む。町のざわめきが嘘のように遠い。
しばらく歩くと、小さな祠が見えた。
「あれは何だ?」
「摂社っていってな。本殿の神様と関わりのある神様が祀られてるんだ」
光太は得意げに話し始めた。テンピ様は救いの神で、昔この地を襲った災厄を鎮めた。ヤト様はこの土地の守り神だという。
アルトは話を聞きながら、ふと足を止めた。
空気の中に、微かなざわめきがある。
「どうした?」
「マナを感じる」
アルト自身、その言葉に戸惑っていた。この世界にはマナはないと思っていた。だが、意識を澄ませると、確かにある。
「あそこか」
アルトは山を見上げた。
「コータ、あの山に何がある?」
「天陽山のてっぺんには御神木があるんだ。でも、あそこは――」
光太が言い終わる前に、アルトは駆け出した。
「おい、ちょっと待てって!」
アルトは斜面を一気に駆け上がり、ひらけた場所へ出る。
目の前には小さな小屋があった。色褪せた木の壁が夕方の光に染まっている。
「あの小屋は?」
「秘密基地。俺と勇斗が小学生の頃に見つけたんだ」
「中に入っていいか?」
アルトは戸を開けた。
窓から差し込む光が、小屋の中をやわらかく照らしている。中央には小さな炉があり、壁際には雑然と荷物が置かれていた。
「ここは……」
アルトは室内をゆっくり見回した。
自分の記憶ではないはずなのに、妙に落ち着いた。
「そういや勇斗も昔、そんなこと言ってたっけな」
「ぐっ」
右手首が痺れた。
同時に、ポケットの中から陽気なメロディが鳴り出す。
「おい、お前のスマホ鳴ってるぞ?」
アルトはスマートフォンを取り出した。着信画面には『夏野光太』と表示されている。
「は? 俺のスマホから? な、何で? この前なくしたはずなのに」
光太が目を白黒させる。
「これ、どうしたらいいんだ?」
「緑のマーク押して右にスライドさせれば繋がるけど……え、マジで出るの?」
アルトはためらわず、指を滑らせた。
画面全体が砂嵐みたいに乱れ始める。スピーカーから耳障りなノイズが響いた。
「何だ、これは」
やがてノイズが途切れ、画面が切り替わった。
「……ボク?」
そこには、アルトと同じ顔が映っていた。
「おーっす、お待たせ」
声がした方を見ると、光太が青いジャージのポケットに両手を突っ込みながら歩いてきた。首から下げた白いお守りが揺れている。
「遅い。一分遅れだ。戦場では一秒の遅れが命取りになる。今後は気をつけろ」
「お前、何言ってんの?」
呆れ顔の光太をよそに、アルトは駅の構内へ足を踏み入れた。
券売機の前で立ち止まる。人々が機械を操作し、小さな紙を受け取って改札へ向かっていく。
なるほど。あの紙が通行証なのだな。
「どうした? ぼーっと突っ立って」
「どうすれば、ここを通れる?」
光太がにやにやした。
「最初は一人でやるとか言ってたくせに、ここで聞くのか?」
「助けを求めているのではない。情報を得るための質問だ。はやく答えろ」
「はいはい、勇者様」
光太はため息をつきつつ切符を買い、二枚差し出した。
「ほら、あとで金返せよ」
アルトは切符を指先でつまみ、じろじろ眺めた。
改札を抜け、ホームへ向かう。そこには人がまばらに立っていた。
「げっ、美咲」
光太が露骨に嫌そうな顔をした。
「あら、アルトと光太じゃない。アンタたちどっか行くの?」
「貝戸の商店街までな。勇斗のスマホを取りに行く」
「へぇ。いつもならそういうの、勇斗のお母さんが全部してたのに」
「彼女は今日いない。だからボクが行く」
低いアナウンスが響いた。
『電車が到着します。黄色い線の内側でお待ちください』
轟音とともに銀色の車体が滑り込んできた。アルトは目を見開く。
「これがデンシャ?」
「そうだよ。さ、乗るぞ」
車内は思ったより狭く、いろんな匂いが混ざっていた。
三人が席に座る。電車が走り出し、窓の外の景色が流れていく。
やがて大きく揺れた。アルトの視界の端で、老婆がふらつく。
美咲がさっと立ち上がり、少し遅れて光太も席を立った。
「おばあさん、どうぞ座ってください」
「あら、いいのよ」
「俺たち、次で降りますから」
老婆が二人に頭を下げ、席に座る。
アルトはその様子を黙って見ていた。
扉の近くへ移動したあと、低く訊く。
「なぁ、お前たち、どうしてあんなことをした?」
「あんなことって、おばあさんに席譲ったこと?」
「ああ。自分の利益にもならないのに、なぜそんなことをする?」
美咲と光太は一瞬きょとんとした。
「困ってる人がいたら助けるのは当たり前でしょ」
「勇斗なら、おろおろしつつも席譲ってたな」
「あぁ、確かに」
二人がくすくす笑う。
当たり前だと言われても、アルトにはうまく呑み込めなかった。
『次は貝戸ー、貝戸ー』
改札を抜けた先は、人でごった返していた。大きな看板が光り、色とりどりの映像が次々に切り替わる。声も匂いも多すぎる。
「やっぱ休日となると、人多いなぁ」
「ほら、アルト。スマホショップはあっちだ」
立ち止まっていたアルトの背を、光太が叩いた。
「光太、ちょい待ち」
美咲は鞄からスマホを取り出した。指が素早く表面を滑る。
「ミサキ、それは?」
「え? もしかしてアルト、スマホってどういうものか知らなかったの?」
「ああ。初めて見た」
アルトは真剣な顔でその操作を見つめた。
「アンタたち、時間あるんでしょ? いいとこ連れてってあげる」
「何でお前に付き合わなきゃいけないんだよ」
「あっそ。じゃ、アルト、こんなバカ放っておいて行くわよ」
美咲はアルトの手首を掴むと、そのまま人混みの中へ引っ張っていった。
「おーい! アルトを誘拐すんな!」
たどり着いたのは、唐揚げの店だった。
「最近できたのよ」
美咲は得意げにスマホの画面を見せる。クーポンが表示されていた。
しばらくして戻ってきた美咲は、揚げたての唐揚げを頬張りながら箱を差し出した。
「アルトも食べてみて。おいしいわよ」
「いや、ボクはいい」
「いいから食べなさい」
半ば強引に口へ押し込まれる。熱い。だが、衣は軽く、肉汁と塩気が一気に広がった。
「……うまい」
「でしょ?」
美咲が得意げに笑う。
「あ、写真撮ろ」
アルトの肩に腕を回し、美咲はスマホを向けた。シャッター音が立て続けに鳴る。
「アンタさぁ、笑いなさいよ。勇斗としてやるなら、もっと感情出さなきゃ」
「笑うって?」
「こう、ニーッてやるのよ」
美咲は白い歯を見せて笑った。
「それ、シグネリアにも言われたな」
「シグネリアって、アタシに似てるっていう子?」
「あぁ。顔立ちも、髪の色も」
アルトは少し目を伏せた。
「毎晩ボクの部屋に忍び込んできては、いろんな話をしてくれた。いい迷惑だった。だが、不思議と嫌ではなかった」
「へぇぇー。なんか、それ、ちょっといいじゃん」
「おーい、そろそろ行くぞ」
修理された勇斗のスマホを受け取ったあと、美咲とは店の前で別れた。
帰りの電車の中、光太が言う。
「とりあえず、うち来いよ。スマホの使い方教えてやるから」
夏野神社へ着く頃には、日が傾いていた。
石段を上り、境内へ足を踏み入れる。石の犬が二体、不気味な姿で鎮座していた。
「ここがジンジャか。不思議な場所だな」
「まぁな」
黄色い銀杏の葉を踏みながら、石畳を進む。町のざわめきが嘘のように遠い。
しばらく歩くと、小さな祠が見えた。
「あれは何だ?」
「摂社っていってな。本殿の神様と関わりのある神様が祀られてるんだ」
光太は得意げに話し始めた。テンピ様は救いの神で、昔この地を襲った災厄を鎮めた。ヤト様はこの土地の守り神だという。
アルトは話を聞きながら、ふと足を止めた。
空気の中に、微かなざわめきがある。
「どうした?」
「マナを感じる」
アルト自身、その言葉に戸惑っていた。この世界にはマナはないと思っていた。だが、意識を澄ませると、確かにある。
「あそこか」
アルトは山を見上げた。
「コータ、あの山に何がある?」
「天陽山のてっぺんには御神木があるんだ。でも、あそこは――」
光太が言い終わる前に、アルトは駆け出した。
「おい、ちょっと待てって!」
アルトは斜面を一気に駆け上がり、ひらけた場所へ出る。
目の前には小さな小屋があった。色褪せた木の壁が夕方の光に染まっている。
「あの小屋は?」
「秘密基地。俺と勇斗が小学生の頃に見つけたんだ」
「中に入っていいか?」
アルトは戸を開けた。
窓から差し込む光が、小屋の中をやわらかく照らしている。中央には小さな炉があり、壁際には雑然と荷物が置かれていた。
「ここは……」
アルトは室内をゆっくり見回した。
自分の記憶ではないはずなのに、妙に落ち着いた。
「そういや勇斗も昔、そんなこと言ってたっけな」
「ぐっ」
右手首が痺れた。
同時に、ポケットの中から陽気なメロディが鳴り出す。
「おい、お前のスマホ鳴ってるぞ?」
アルトはスマートフォンを取り出した。着信画面には『夏野光太』と表示されている。
「は? 俺のスマホから? な、何で? この前なくしたはずなのに」
光太が目を白黒させる。
「これ、どうしたらいいんだ?」
「緑のマーク押して右にスライドさせれば繋がるけど……え、マジで出るの?」
アルトはためらわず、指を滑らせた。
画面全体が砂嵐みたいに乱れ始める。スピーカーから耳障りなノイズが響いた。
「何だ、これは」
やがてノイズが途切れ、画面が切り替わった。
「……ボク?」
そこには、アルトと同じ顔が映っていた。
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