写真の向こうの依頼人~クライアント~1-②
ー/ー「瑛比古、ちょっと待て」
事務所に入り、出勤簿に印鑑を押すと、時計は十一時五分だった。
所長の方針で『明知探偵事務所』ではタイムカードは導入していない。
探偵事務所という仕事柄、外回りが多いため現場直行直帰が頻繁にある、ということもあるが、どちらかというと所長が出勤簿にこだわっているためである。
かつて公務員の多くがタイムカードでなく出勤簿を採用しており、所長は元警察官――地方公務員であるため、出勤簿にハンコを押すことに、一種の儀礼を感じているらしい。
警察官が探偵に華麗に転身! なんてドラマみたいな話だが、実はそう華麗でもない。
件のビル相続の折、本当は、所長の奥さんの花代さんが猛勉強して行政書士の資格を取得したので、その流れで当初は行政書士事務所を開設した。
折よく(悪く?)、腰を痛めてしまった所長の小太郎さん、思い切って早期退職し、花代さんの仕事を手伝い始めた。
が、元・警察官、の肩書が効いたのか、いつの間にか本業の「書類作成代行」を依頼に来たお客さんが、ついでに小太郎さんに相談事をしていくうちに、そちらが評判になり……気が付けば、晴れて「明知探偵事務所」開設の運びとなってしまった。
花代さんの行政書士事務所も実は併設されているので、件数は少ないものの一定数の依頼がある行政書士の仕事もしつつ、結局探偵事務所の経理も請け負うようになり(花代さんは結婚前に市役所の庶務会計課での勤務経験があったので、そちら方面はプロである)、現在に至る。
花代さんに懇願されて、実は瑛比古さんも行政書士の資格は持っている。
全く書類仕事はしていないが、試験を受ければ(というか受かれば)取れるので。
手当を増やしてくれるという約束にホイホイ乗ってしまった。余談である。
元・警察官と言っても交番勤務が長く、温和な人柄で街でも人気のお巡りさん(でも柔道三段! 腰を痛めた今は、技はかけられないが)だった小太郎さんだが、今日はしかめっ面である。
「何ですか? これから昼休みなんですけど」
早速一階に降りてランチを頂くつもりであった。
が、小太郎さん――所長に止められた。
「まだ十一時だぞ。仕事に来て、仕事しない内に昼休みとるヤツがあるか! まあ、お前は家の用事もあるし、遅く出てくるのは仕方ないが……それにしたって、案件くらい目を通してから行け」
「ダメです。今日は急ぐんで」
「どうした? メイちゃん、具合でも悪いのか? だったらウチのに迎えに行かせるぞ?」
瑛比古さんには厳しい態度を貫く(よう努力をしているが、貫けたためしはない)所長も、孫娘のように可愛がっているメイのこととなると、途端に甘くなる。
「縁起でもない! メイは今日も元気いっぱいです!」
「ならいいが。小さい子は突然具合悪くなるから、気を付けてあげるんだぞ」
「ご忠告痛み入ります。じゃあ」
「『じゃあ』っじゃない! 待てと言っとろうが!」
「急いでいるんです、って言ったでしょうが!」
「だから、何があったんだ?」
「今日は木曜日! 待ちに待った唐揚げ定食の日なんです!」
「はあ?」
「所長も知っているでしょう。そこらの中華料理屋も敵わない、絶妙なスパイス使いで下味をつけたあの唐揚げを! いや、もっとスゴいのはあの揚げ具合! むね肉とは思えない肉汁! 柔らかさ! 明知屋の人気ナンバーワン! 唐揚げ定食! ランチでは日替りメニューでしか味わえないんですよ! 毎週木曜日しか! 早く行かないと売り切れちゃうんです!」
「……今日は特別にこっちに運んでもらうから、まあ、話を聞いてくれや」
兄弟のよしみで頼み込んで、でもランチタイムで運ぶ人手がないと言われて、所長自ら一階まで取りに行き(腰を痛めた所長の強い希望で、三階建てながら、このビルにはエレベーターが設置されている。
ちなみに三階には所長と大二郎さんの家族、二世帯の住宅である)。
僕が行きます、と瑛比古さんは言ったのだか、トンズラされたら困るとハッキリ言われて、所長室で留守番させられた。
まあ、エレベーターで運ぶんだからいいか、と所長室のソファーでふんぞり返っていると、カタカタとワゴンを押した所長が戻ってきた。さっきより、だいぶ表情が柔らかい。
「ほら、とにかく食え」
「ご馳走様です」
ほかほかの唐揚げ定食に手を合わせ、しっかりおごってもらうつもりで、先に礼を言う。
「まあ、いいけどな」
「あれ? 所長は今日はヘルシーランチじゃないんですか?」
メタボ対策で、いつもはシェフ特製ヘルシーランチ(これも日替り)を召し上がっている所長である。
が、目の前には瑛比古さんと同じお膳が、もう一つ。
「うるさい! アレだけ唐揚げ唐揚げって言って誘ったのはお前だろうが」
元々嫌いじゃないところへ『唐揚げ』コール、普段の摂生で溜まったストレスもあって、つい頼んでしまった。
瑛比古さんのせいにして、久しぶりの揚げ物に、心の中でほくそ笑んでいたが、しっかり顔に出ている。
やっぱりこの人、探偵に向いていないと思うけどなあ、今更だけど、と思いつつも、瑛比古さんは余計なことは言わず、思考は目の前の皿に集中する。
「うん、美味いなあ」
目を細めて唐揚げを味わう所長。
「もう、フレンチの枠じゃ収まらないですね、シェフのウデは」
「いや、フランス人は何でも食うらしいぞ。豚足なんかも、普通に食うらしい。カタツムリまで食っちまうくらいだからな」
唐揚げに舌鼓を打ちながら、料理談義に花を咲かせるお二人様。
何か大事な話があったはずでは……?
事務所に入り、出勤簿に印鑑を押すと、時計は十一時五分だった。
所長の方針で『明知探偵事務所』ではタイムカードは導入していない。
探偵事務所という仕事柄、外回りが多いため現場直行直帰が頻繁にある、ということもあるが、どちらかというと所長が出勤簿にこだわっているためである。
かつて公務員の多くがタイムカードでなく出勤簿を採用しており、所長は元警察官――地方公務員であるため、出勤簿にハンコを押すことに、一種の儀礼を感じているらしい。
警察官が探偵に華麗に転身! なんてドラマみたいな話だが、実はそう華麗でもない。
件のビル相続の折、本当は、所長の奥さんの花代さんが猛勉強して行政書士の資格を取得したので、その流れで当初は行政書士事務所を開設した。
折よく(悪く?)、腰を痛めてしまった所長の小太郎さん、思い切って早期退職し、花代さんの仕事を手伝い始めた。
が、元・警察官、の肩書が効いたのか、いつの間にか本業の「書類作成代行」を依頼に来たお客さんが、ついでに小太郎さんに相談事をしていくうちに、そちらが評判になり……気が付けば、晴れて「明知探偵事務所」開設の運びとなってしまった。
花代さんの行政書士事務所も実は併設されているので、件数は少ないものの一定数の依頼がある行政書士の仕事もしつつ、結局探偵事務所の経理も請け負うようになり(花代さんは結婚前に市役所の庶務会計課での勤務経験があったので、そちら方面はプロである)、現在に至る。
花代さんに懇願されて、実は瑛比古さんも行政書士の資格は持っている。
全く書類仕事はしていないが、試験を受ければ(というか受かれば)取れるので。
手当を増やしてくれるという約束にホイホイ乗ってしまった。余談である。
元・警察官と言っても交番勤務が長く、温和な人柄で街でも人気のお巡りさん(でも柔道三段! 腰を痛めた今は、技はかけられないが)だった小太郎さんだが、今日はしかめっ面である。
「何ですか? これから昼休みなんですけど」
早速一階に降りてランチを頂くつもりであった。
が、小太郎さん――所長に止められた。
「まだ十一時だぞ。仕事に来て、仕事しない内に昼休みとるヤツがあるか! まあ、お前は家の用事もあるし、遅く出てくるのは仕方ないが……それにしたって、案件くらい目を通してから行け」
「ダメです。今日は急ぐんで」
「どうした? メイちゃん、具合でも悪いのか? だったらウチのに迎えに行かせるぞ?」
瑛比古さんには厳しい態度を貫く(よう努力をしているが、貫けたためしはない)所長も、孫娘のように可愛がっているメイのこととなると、途端に甘くなる。
「縁起でもない! メイは今日も元気いっぱいです!」
「ならいいが。小さい子は突然具合悪くなるから、気を付けてあげるんだぞ」
「ご忠告痛み入ります。じゃあ」
「『じゃあ』っじゃない! 待てと言っとろうが!」
「急いでいるんです、って言ったでしょうが!」
「だから、何があったんだ?」
「今日は木曜日! 待ちに待った唐揚げ定食の日なんです!」
「はあ?」
「所長も知っているでしょう。そこらの中華料理屋も敵わない、絶妙なスパイス使いで下味をつけたあの唐揚げを! いや、もっとスゴいのはあの揚げ具合! むね肉とは思えない肉汁! 柔らかさ! 明知屋の人気ナンバーワン! 唐揚げ定食! ランチでは日替りメニューでしか味わえないんですよ! 毎週木曜日しか! 早く行かないと売り切れちゃうんです!」
「……今日は特別にこっちに運んでもらうから、まあ、話を聞いてくれや」
兄弟のよしみで頼み込んで、でもランチタイムで運ぶ人手がないと言われて、所長自ら一階まで取りに行き(腰を痛めた所長の強い希望で、三階建てながら、このビルにはエレベーターが設置されている。
ちなみに三階には所長と大二郎さんの家族、二世帯の住宅である)。
僕が行きます、と瑛比古さんは言ったのだか、トンズラされたら困るとハッキリ言われて、所長室で留守番させられた。
まあ、エレベーターで運ぶんだからいいか、と所長室のソファーでふんぞり返っていると、カタカタとワゴンを押した所長が戻ってきた。さっきより、だいぶ表情が柔らかい。
「ほら、とにかく食え」
「ご馳走様です」
ほかほかの唐揚げ定食に手を合わせ、しっかりおごってもらうつもりで、先に礼を言う。
「まあ、いいけどな」
「あれ? 所長は今日はヘルシーランチじゃないんですか?」
メタボ対策で、いつもはシェフ特製ヘルシーランチ(これも日替り)を召し上がっている所長である。
が、目の前には瑛比古さんと同じお膳が、もう一つ。
「うるさい! アレだけ唐揚げ唐揚げって言って誘ったのはお前だろうが」
元々嫌いじゃないところへ『唐揚げ』コール、普段の摂生で溜まったストレスもあって、つい頼んでしまった。
瑛比古さんのせいにして、久しぶりの揚げ物に、心の中でほくそ笑んでいたが、しっかり顔に出ている。
やっぱりこの人、探偵に向いていないと思うけどなあ、今更だけど、と思いつつも、瑛比古さんは余計なことは言わず、思考は目の前の皿に集中する。
「うん、美味いなあ」
目を細めて唐揚げを味わう所長。
「もう、フレンチの枠じゃ収まらないですね、シェフのウデは」
「いや、フランス人は何でも食うらしいぞ。豚足なんかも、普通に食うらしい。カタツムリまで食っちまうくらいだからな」
唐揚げに舌鼓を打ちながら、料理談義に花を咲かせるお二人様。
何か大事な話があったはずでは……?
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