現時刻…多分朝の9時辺り。朝焼けを見れないのは久しぶりの事だ。
いつもは祝詞の修練をしていたから早起きなんだが、小太郎君の見送りで本当に消耗していたようで全然起きれなかった。まだ少し、体が重い。
頭も体もしゃっきりしないまま布団から抜け出し、顔を洗って歯磨きをしているうちにお腹が鳴った。そして、朝からご飯をモリモリ食べてしまった……。
このままだと太るんじゃないのか、俺は。今日は目一杯お寺のお手伝いして、汗水垂らして働きたい所だ。
「ごちそうさまでした」
「朝粥は体に馴染む。蕨のおひたしはこの上なく良い出来だった」
「ホント、シャキシャキしてとろとろして、出汁の味が染みて美味しかった。蕨のイメージが変わったよ」
颯人と二人、朝ご飯の余韻にうっとりしてると、真さんが『ふむ』と呟き、ニヤリと嗤う。
「お昼は天ぷらにしましょうか?とれたての山菜は最高ですよ」
「「山菜の天ぷら!!」」
「はいはい、その前に朝のお勤めですよ。ご一緒いただけますか?」
「はいっ!」
「昼の楽しみが増えたな」
「ホントだなー!あー、楽しみだ!!」
今朝のご飯はお粥と昨日採った蕨のおひたし。お漬物と常備菜でたくさんの山菜をお腹いっぱいいただいた。食べたばかりでお昼の話をしてるのに、涎が出てくる。
山菜の美味しさを知ってしまった俺は自宅に帰ってもご飯を美味しく食べられるのだろうか。……自信がない。
ここに来てから美味しいものばかり食べて…甘いものが欲しいという欲求は全然なくなった。お米の甘さや食事に含まれる食べ物本来の味が美味しくて仕方ない。
神様中毒も治ったかな。心なしか他の怪我も痛みが感じられなくなったような気がして来た。
ここに来させてもらって本当によかった。食べ物をちゃんと食べると、辺りを見渡す余裕ができる。
人を助ける仕事をする自分が余裕なし、ってのはダメだ。
颯人の言う通り、今後は痛い時はちゃんと言おう。そして怪我をしない努力をしなければならない……なるべく、出来るだけ。
朝食で使った食器を片付け、水に潜らせてから米糠をつけてスポンジで洗う。……これで洗剤の代わりになるなんて、すごくないか?
ここは山奥だから下水道がなくて、生活用水が川にそのまま流れる。だから洗剤の類は使わない。
お風呂は温泉、強酸性の泉質だそうで、布タオルで擦るだけでさっぱりした。汚れも油もちゃんと取れるんだ。
シャンプーは重曹、リンスはクエン酸を使うし、おトイレは汲み取り式だった。
今の汲み取り式トイレにも驚愕した。泡を流してニオイが上がってこないように蓋をするから……全然臭くないんだ。文明の利器に感動したら良いのか、古式ゆかしい超自然派の暮らしに感動したら良いのか。とにかく凄い。
洗い物を水切りカゴに入れて、食事の後片付けを終える。これから朝のお勤め……要するに祈りを捧げるお仕事をするみたいだ。
このお寺では昼に電気の灯りをつけないらしく、全部の窓を開け放って外からの自然光を取り入れている。
廊下やお部屋、いろんな場所にお線香が炊かれて、それが陽光の中に漂ってほわほわして……なんて綺麗な光景なんだろう。見てるだけでも気持ちが落ち着く。
「読経をするだけですから、お座りになってお待ちください」
「はい!」
「ふむ…明るい光の中で見ると神々しいな…良き堂だ」
「本当だな、すごいや……」
真さんは大きな仏壇の前にある座布団に座り、俺たちもそれを真似て後ろにある座布団の上に座った。
正座なんて久しぶりだから、ちょっと緊張する。
ゴーン、ゴーンと|リ《・》|ン《・》を叩き、真さんがお経を唱え出した。
独特の低い声色と、時々叩かれるリンの音が本堂に響き渡る。真さんは木魚を使わないのか……ちょびっと残念だ。本職の方が叩くところを見てみたかった。
お経の言葉が重なっていくたびに、透明な薄い膜が広がって部屋を包み込む。小さな頃に見たバブルガムみたいな感じ。
ほんのり白いそれは壁に沿って形を変えて、古い木材に染み込み消えていく。自分の体を透過する時は、ふわふわ布で撫でられている様な感触がする。
(これが正しい結界だ。我が其方に施しているもの肉や血に蓄積し、浄真が施しているものはこの寺自体に蓄積している。時が経つごとに効果が薄れるため重ねて張っていく必要がある)
(すごいなぁ…俺もできる様になる?)
(其方はすでに出来てはいるのだ。使い方の問題だな)
(使い方の…?難しいな、何が大元なのかわからんし、原理がわからん)
(我も説明が思いつかぬ。前にも言ったが、これは霊力といめーじによって成される。あとで試そう)
(はい)
幾重にも広がる結界の膜をじっと見ても、何が元で作られているのかさっぱりわからない。真さんは経を言霊として発しているから、そこが関与しているんだろう。俺がやる場合は祝詞がキーになるんだとは思うけど。
内陣に置かれた仏壇…正式名は|須弥壇《しゅみだん》と言うらしいんだが。大きな黒い木で作られた筐体、その扉が開かれている。金箔に包まれた内側の空洞には掛け軸がかかっていた
大きいのはもちろんだけど、漂う雰囲気がものすごい。…圧力まではいかないものの、荘厳さに圧倒される。
お寺さんの中に入った事なんかなかったのに、懐かしく、久しぶりにここに来た気さえしてくる。
凄く不思議な気持ちだ。何も知らないはずなのに、こうして目の前にあるだけで親しみを感じるのは歴史のせいなのか、雰囲気のせいなのか…わからないけど。
天井からぶら下がったたくさんのぼんぼりに蝋燭で火が灯され、柔らかい光の中で一心にお経を唱える彼の姿は凛々しく、神々しい。
お線香の香りに体が包まれて、正座をした足が痺れ始めた頃読経が終わり、真さんが振り向いた。
「芦屋さん、こちらでご本尊様にご挨拶なさってみませんか。」
「えっ!?い、いや、そこはお坊さんしか入れないんじゃ……?」
「いいえ、そんなことはありません。ウチは大きなお寺さんではないですし、厳格な決まりはありません。
芦屋さんは裏公務員なのですから。坊主と同じようなものですよ。どうぞ」
「……ひぇっ…は、はい…」
恐る恐る真さんと交代して一際大きな座布団に座る。毎朝彼が座っているからか、座布団の中のワタは彼の足の形に変化していた。
目前を見上げると、天井までしっかりした作りの|須弥壇《しゅみだん》が圧倒的な存在感を持って佇んでいる。あれが人の手によって作られていると言うのが信じられない。ものすごく細かい細工が遠くてもはっきり見える。
彫金と言われる金の飾りは、木に絡まる蔦のように曲線を描いて配され、陽の光を返している。須弥壇の周りにもたくさんの仏像が立ち並んで…囲まれて。ここにいると大きな手のひらの上にいるみたいだ。
さっき感じていた懐かしさはこの感触だったのか。ホッとするような安心感が本当に不思議だな。
「リンを鳴らして合掌してみてください」
「はい」
金属でできたお椀の様なリンは、一般の家に備えられた物とは違って、抱えても持ち上げられるか怪しい程大きくて重そう。それを叩く棒も大きいし長い。ずっしりと重たいそれを持ち、どう叩いたものか思い悩む。
「ふふ…芦屋さんは遠慮しぃですな。自由にして良いのですよ」
「……うっ、でも…」
「はいはい、では指導いたしましょう。りん棒は持ち手の部分を柔らかく持ち、しっかり手のひらに乗せて指を巻き付けるのです。
力任せにするのではなく、棒の重さで叩くのですよ。リン棒の周りに保護の綿が巻いてありますが、当たりが良ければいい音がします。
一度目は小さく、二度目、三度目は少し力を入れて、リンの縁を上から叩いてください」
「緊張しますね…やってみます」
真さんがやっていた様に手首を使ってりん棒を動かし、リンの縁を叩く。
お椀の形の中で音がほわん、とうまれて周りに広がっていく。
音の広がりが波紋の様に見えた。波打った音が空気を清めて広がっていく。
読経の合図だけではなくて、浄めの効果もあるのか。……柏手と同じってことだろうか。
3回叩き、リン棒を台に戻して胸の前で手を合わせ、頭を下げる。
――昨晩は夜遅くに失礼しました。お邪魔するからには何かお役に立てる事よう勤めます。
それから…怪我の治療と、結界のお勉強をさせて下さい。よろしくお願いします。
合掌を解き、顔を上げる。神社では柏手を打つけど、リンを叩くのが同じ様な効果を持つなんて初めて知った。
面白いなぁ…発祥の地が違うのに、神社もお寺も作法が似通っている。
「さて、本来でしたらここで説法をするのですが。芦屋さんには必要ありませんのでしません」
「えっ」
「今朝のお導きは私の度肝を抜いてますので、逆に説法を受けたい気分ですよ。私たちが行う説法・法話というのは修行中で苦しむ方達への道標なのです。
芦屋さんは道標を渡す側だと判断しました。」
「ええぇ……お、俺はまだ裏公務員になって半年も経ってないですよ。怪我だらけで颯人にも心配させてるし、伏見さんには結界を学んで来いと言われたんですが…」
やたらキッパリと言われてしまい、俺は必死で真さんに縋り付く。勉強させてくださいっ!!
「ふむ……では、結界についてのお勉強にもなるでしょうから、私からの依頼を受けてください。実地訓練と参りましょう」
「依頼…ですか?」
「えぇ。私のやり方では限界を感じていましたし、あなたのやり方をもう一度見たいので。
最近になって強い呪いの込められた物品が持ち込まれるのです。
天変地異によって建物が壊され、昔々に怨霊達を閉じ込めた品物がたくさん出てきてしまって。それらを呪物と言いますが……浄化に手こずる物が山ほどありましてな」
「なるほど…お手伝いするのは構いませんけど、長年浄化をされてきた真さんの役に立てるかは……」
「長年していようがしていまいが関係ありませんよ!実に楽しみです……早速参りましょうっ!!」
「は、はい……」
真さんは俺の手を引っ張って立たせ、スタスタと本堂の奥に歩いていく。
颯人ものんびりついてくるけど……何その小さい扉!
須弥壇の脇にある大きな掛け軸を捲ると、膝下までしかない扉が現れた。……秘密の扉か!?
「颯人、これ……入れるか?」
「そこをくぐらずとも行ける。先に行くが良い」
「そうなの?わかった」
真さんに倣い、床に這いつくばってその小さな扉を抜けると……辺り一面にもわーーーんと黒い霧が現れる。
瘴気か?!とも思ったけど……これは。
「これは、この土地に伝わる秘法の結界です。瘴気に似て非なるものですよ」
「……確かに、息苦しくないし、匂いも違いますね」
「芦屋さんは天賦の才能持ちですな。瘴気の匂いは通常感じ得ぬものです。あまり口外されない方が良いかと」
「……えっ」
「小太郎を成仏させたのも、その反応だと無意識でしたでしょう。あんな事普通できませんからね?」
「えっ?」
立て続けにいわれると、混乱してしまうんですけど。俺、もしかして天才なのか?……まさかなぁ、ナイナイ。
「浄真、真幸が無鉄砲になる故そのように口に出すな。我が困る」
「ふふ…これは失礼しました」
「えっ!??颯人、いつの間に!?」
ドアを潜り抜けて、黒モヤが漂う中に颯人が立ってる。まさか通り抜けたの?神様ってすごいな?
「褒めるなら口に出すのだ」
「さっき真さんに口に出すな、って言ってただろ」
「我は良いのだ。神だからな」
「ハイハーイ、颯人すご〜い」
「またそのようにぞんざいな言い方をしおって……」
「ぷふっ……くふふ……」
おおう。真さんに笑われてしまった。
三人連れ立って黒モヤの中を歩くと、目の前に突然蔵が現れた。ここもまた小さい扉かぁ……。
「ここから先は……お待ちになりますか?」
「いや、問題ない。この程度の怨念は元々耐性がある。学ばせてやってくれ」
「おぉ、そうですか。では参りましょう」
「………………………………ハイ」
小さな扉にかかったやたら頑丈そうな真っ暗な錠前を、真っ黒の鍵でガチン!と開いて真さんが中に入っていく。
「颯人。なんか怖いんだが」
「ふむ、気配を察したか」
「サブイボが止まらんのだけど!?」
「そうだろうな、ここには我が思っていたよりも強い怨念のこもった品が大量にある。
何と言うたか……人間たちがこぞってその電気の箱で書き込む…いんたぁねっとで書かれているような物がある」
「SNSの事か?……待って、じゃあ『箱』って言ってたのは、『コトリバコ』とかだったりする?」
あぁ、と得心したように微笑む颯人。…………嘘だろ?嘘だと言ってくれ。
「あれは誰が書いたかわからぬ物だったが、コトリバコは真実存在する。
元々の由来としては呪物である『蠱毒』に近しい物だが。人の業が詰まった物品だらけだろう。先に行くぞ」
「ま、待って!!颯人!!!」
颯人がしゅるん、と風を纏って消えてしまう。俺は真っ黒扉の前で佇み、一人で悪寒と戦っている。入りたくないんですけど!!俺、こう言うの苦手なんだぞ!?
コトリバコ、ってむかーしむかしのネット掲示板で見たホラーの話だったはずなんだが。マジで存在してしまうのか!?
(真幸、はよう中に入れ)
(どうしても入らなきゃ、ダメですか)
(入らねばそこに良からぬものが集まってくるぞ。其方の気配に釣られて、既に影が複数近づいている。ほれ、もう直ぐそばに)
(早く言って!!!!!!!!)
俺は念通話で大絶叫し、必死で小さな扉をくぐりぬけた。
━━━━━━
「こちらはコトリバコ、これは髪の毛で作られた羽衣、あっ、それは触らないでくださいね、呪いの人形です」
「絶対触りません。本物があるって認めたくない。本当に怖い。」
「コトリバコが世間の目に晒されたのは驚きましたねぇ。日本の悪しき因習で作られた物ですから……知らない方がいい事もあるのですがねぇ」
「………………」
本堂と違って真っ暗闇、カビ臭い匂いに包まれた蔵の中。わずかな灯火だけが頼りで、床を歩くたびにギシギシ言うからいちいちビクビクしてしまう。
俺は暗いの苦手なんだよっ!!
「小太郎の話は、河童伝説につながります。山深い集落に、増水で氾濫した川は龍神の怒りとされ、それを治めるために神への遣いとして七歳未満、数を100まで数えられる子が捧げられていました」
「河童?カッパは妖怪なんじゃ…?」
「妖怪の元は、人であるケースが多く存在します。良い河童と悪い河童がいるでしょう?何によって生まれたのかで属性が変わるんですよ。
恨みを持って悪いことをするのが尻子玉を抜く者、死を経て悟りを開いたのが水の精霊・龍神の遣いです。まぁこれは私の推測による物ですから、参考程度にお聞きください。
この地方に伝わるのは悲しみによって怨霊と化し、颯人様が言ったように人に取り憑き寂しさを紛らわせようとする者です。
取り憑かれると、人はミイラになりますな」
ミイラか、怖いな。……ん?あれ?その話って、念通話でしてたような。
「あっ、しまった。黙っているつもりでしたが……ついうっかり話してしまいましたな」
「し、真さん!?まさか念通話できるんですか!?」
ニコニコ微笑んだ真さんは、蝋燭の明かりの元でニヤリ、と嗤った。
「この際ですから伝えてしまいましょう。私は、伏見と同期の陰陽師でした」
「………………えっ!?」
「ははっ。『盲目の陰陽師』として名を馳せたんですよ?生粋の陰陽師でしたが、この寺に出会い……今はこうして坊主をしていますがね」
「…………」
俺は呆然として暗闇に佇む真さんを見つめる。元裏公務員って事だよな?
飄々とした彼からは、元からずっとお坊さんだったようにしか感じられなかった。まさか、陰陽師だったなんて。
「さぁて、では怨霊達を解き放ちましょうか」
「えっ!?」
「颯人様、早々に訓練と参りましょう。芦屋さんに結界をお願いします。
そして、芦屋さんは怨霊達に結界を施してみましょうか。小太郎くんを抱きしめた時、あなたが無意識に彼にしたようにすれば良いのです」
「ま、待って……待って下さい!やり方がわからん!颯人!」
「うむ。先ほども言っただろう?いめーじだ。その者を守り、助けてやりたいと言う心持ちで触れれば施せる」
「怨霊に結界って……待って、いくつ呪物があるんですか!?」
真さんは部屋の中央にあったやけに大きい百匁蝋燭に火を移す。それが赤々と燃え上がり、壁一面に飾られた禍々しい文字のお札達、それに沿って並んだガラスケースの中にたくさん入った人形、箱、行李、お面達がその姿を現した。
俺のサブイボは臨海を突破している。
颯人の腕にがっしりしがみつき、恐る恐るそれを眺めた。
「……は、颯人ぉ……」
「ふ、其方が怖がるのは珍しいな。勘は正しいとだけ言っておく。だが、中にいる者の姿を見ればその顔色は変わるだろう」
「どう言う意味だよっ!?うぅ、サブイボ止まらん」
天井までびっしり貼られたお札を遠い目で眺め、俺は颯人の腕を握り直す。数がおかしい。数が。まさか全部じゃないよな?そうだよな?
「そうそう、私の通り名は二つございましてな、『盲目の陰陽師』そして……」
俺は颯人の陰から半分だけ顔を出して、生唾を飲む。
「――『ドSの鬼軍曹』とも言われておりました。」