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追憶

ー/ー



 ぼやけていた視界が、少しずつはっきりしていく。

 目の前に広がっていたのは、どこまでも白い大地だった。雪原だ。陽射しを受け、雪がまぶしく光っていた。

「ふぇ、ふぇっくしょん!」

 くしゃみと一緒に鼻をすすったのは、小柄な少年だった。エメラルドグリーンの髪が冷たい風に揺れている。

「寒さが苦手なのは変わってないな、ランパ」

 目元を仮面で隠し、黄金色の鎧をまとっている男が笑った。

「ルークは平気なのか?」

「私は大丈夫さ。この精霊器ラクメトが体温を調整してくれるからね」

 ルークは自分の鎧を軽く叩いた。

「それより、討伐を頼まれた魔族がいる場所って、ここで合ってるのかよ?」

 バキバキと木がなぎ倒れる音が響いた。

「合っているよ」

 ルークの表情がすっと引き締まる。手が聖剣の柄にかかった。

 雪を踏みしめて現れたのは、巨大な鹿だった。枝分かれした角は木のように太い。濁った黒い瞳が、二人を見下している。

「あ、あれが大鹿……おっかねぇ」

「うん、でかいな。魔神のしもべってだけのことはある」

 ルークは軽く言った。

「貴様、何者だ」

 耳障りな声が大鹿の口から響いた。

「私は、マナの女神チキサの命を受け、魔神を討つ者」

 ルークは聖剣クトネシスを抜いた。

「勝てるのかよ」

「大丈夫。なんとかなるさ」

 次の瞬間、大鹿が頭を低くした。

 巨大な角を突き出し、一気に突進してくる。巨体からは信じられない速さだった。

「うわっ!」

 ルークとランパは左右へ飛び退いた。

 突進の勢いを殺しきれなかった大鹿は、背後の岩に激突し、轟音とともに粉々に砕いた。

「ひえぇ……なんだよあの力!」

「これはのんびりしていられないな」

 ルークは踏み込み、聖剣を振るった。刃が黒い巨体を裂き、傷口から黒い液体が飛び散る。

「何だ、その剣は」

「聖剣クトネシスの切れ味はどうだい?」

 大鹿が前脚で地面を踏み鳴らした。角の上空に魔法陣が浮かぶ。

「おぉ、魔法まで使えるのか」

「感心してる場合か。くるぞ!」

 ランパが叫ぶ。

 黒い旋風が巻き起こった。雪を巻き込みながら風の刃がルークを襲う。黄金の鎧がきしみ、ルークの体が宙へ弾かれた。

「ルーク!」

 地面へ落ちかけたルークを狙い、大鹿が再び突っ込んでくる。

 轟音。弾き飛ばされたルークは雪原を大きく転がり、最後は岩に叩きつけられて止まった。

「ぐっ……」

 ルークは血を吐き、それでも立ち上がった。肩で荒く息をしている。鎧もあちこち傷ついていた。

「大丈夫か、ルーク!」

「油断したな」

 ルークは口元の血を拭った。

「次の一撃で決める。ランパ、あの鹿の足止めを頼む」

「オ、オイラが?」

 大鹿の視線がランパを捉えた。小さな体が震える。

「む、無理だよ。怖い」

 ルークはランパを見た。

「勇気を出すんだ。私はランパを信じてる。だから、ランパも私を信じてくれ」

 ランパは目を見開いた。

「……わ、わかった。やってみる」

「ありがとう」

 ルークは赤いマントの内側から、一本の葉巻を取り出した。太く長い葉巻だった。吸い口の近くには金色のリングがついている。ルークが吸い口を噛み切る。左手のガントレットに埋め込まれた宝石から青白い炎が噴き上がり、先端に火がついた。淡い緑色の煙が静かに立ちのぼった。

「ルーク、くるぞ!」

 ランパが叫ぶ。

 葉巻をくわえたまま、ルークは剣を構えた。

 大鹿が再び地を蹴る。

「と、止まれぇ!」

 ランパが両手を突き出した。地面からつるが伸び、大鹿の脚に絡みつく。

 すぐに引きちぎられた。

「だめだ、ルーク。あれっ?」

 ルークは大鹿の真上にいた。

 全身に緑煙をまとい、逆手に握った聖剣クトネシスは真紅の光を帯びている。真紅に燃える刃が、大鹿の背へ突き立てられた。

 大鹿が絶叫する。炎が巨体を呑み込む。

 ルークは剣を引き抜き、返す刃で巨大な角を切り飛ばす。さらに蹴りで距離を取り、雪の上へ着地した。

 直後、爆音が轟いた。

 炎に包まれた大鹿の体が砕け散り、黒い破片となって消えていく。

「す、すげぇ」

 ランパはぺたんと座り込み、口をあんぐり開けていた。

「きみが隙を作ってくれたからだよ」

 ルークは葉巻をくわえ直し、煙を吐き出した。淡い緑色の煙が白い空へ溶けていく。

「そのでかい煙草、精霊樹の葉と指輪を合成してできたやつだよな」

「そう。魔法の葉巻ユグドラシガー。略してドラシガー」

「その名前、自分でつけたのかよ」

「いい名前だろう?」

 ルークは笑った。

「煙を吸うと、マナが体の内側に染みていく感じがするんだ。痛みも薄れるし、傷の治りも早くなる」

「普通の人間はそんなことできないんだぞ」

「私は普通じゃないからね。母は精霊、父は人間。その間に生まれた」

「それを自分で言うのかよ」

 ランパは苦笑した。

「さて、そろそろ村に戻ろうか。大鹿を倒したことを報告しなきゃならない」
 

 場面が変わる。

 村の入口だった。

 ルークは高々と角を掲げた。

「皆、魔神のしもべである大鹿を、このルークが打ち倒したぞ!」

 家々から村人たちが顔を出し、どよめきが広がる。

 一人の老人が前へ出た。

「ルーク殿、あなたは救世主じゃ。村を代表して礼を言わせてもらう」

「はは、なぁに、これしきのこと」

 ルークが得意げに笑った、そのときだった。

 掲げていた角がさらさらと崩れ始める。

「おや」

 角は白い灰のように崩れ、消えていった。

 その直後、ぐうう、と大きな音が鳴る。ルークの腹だった。

「……お腹が空いたな」

「食事を用意しましょう。さぁ、私の家に来なされ」

 老人が嬉しそうに言った。

 二人は老人の家へ案内された。

 部屋の奥では、若い女性が台所に立っていた。長い髪は霞のように淡く、やわらかく光を受けていた。

「お客さんだよ。あの大鹿を打ち倒した、ルーク殿じゃ」

 老人が女性の肩を軽く叩いた。

「あ、あなたが、あの大鹿を……」

 振り向いた女性は、きょとんとした表情でルークを見つめた。

「お強いのですね」

 ルークの動きがわずかに止まった。

「きみ、名前は?」

 ルークは急に真顔になって訊いた。

「わたしはレタ。ルークさん、大鹿を倒してくれてありがとうございます」

「レタか。うん、いい名前だ」

 ルークは急に背筋を伸ばした。

「年はいくつだい?」

「えっと、今年で十六です」

「なんと。私と同じじゃないか!」

 ルークが大声を出す。

「ルーク、顔赤いぞ?」

 ランパが半目になった。

「気のせいだ」

「そちらの小さな方は?」

「オイラはランパ。樹の精霊だよ」

「精霊……初めて見ました」

 レタは少し目を丸くした。

「お二人は、どういった関係なのですか?」

「オイラとルークは昔からの友達なんだ」

「ふふ、いいですわね。わたしには友と呼べる人がいないので、少し羨ましいです」

「じゃあ、今日から私がきみの友達になろう」

 ルークは勢いよく立ち上がり、レタに手を差し出した。

 レタは少し迷ってから、その手をそっと重ねた。

「ありがとうございます。嬉しいです」

 そこでまた、ルークの腹が鳴った。

 レタが思わず笑う。

「それでは、そのお腹の虫を先になんとかしないといけませんね」

 ほどなくして食事が並んだ。ルークは目を輝かせ、次々と皿を空にしていく。

「うまい。こんなうまい料理は初めてだ」

「ランパさんは、食べられないのですか?」

 手つかずの皿を、レタは眺めた。

「いや、オイラ精霊だし。食べなくても平気」

「ランパ、うまいものは楽しんだ方がいい」

 大きなパンが、ランパの口に突っ込まれた。

「もがーっ」

 ランパはパンを引きちぎり、口をもぐもぐと動かした。やがて喉仏が大きく動いた。

「……うまい」

 ランパの目が輝いた。

 ぱくぱくと食べるランパの姿を見て、ルークとレタの頬が緩んだ。

「食事中に申し訳ない。ルーク殿、魔女の噂は知っておりますかな?」

 奥の部屋から、老人が深刻な顔で現れた。

「魔女?」

 瞬間、視界がふっと暗くなった。


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 ぼやけていた視界が、少しずつはっきりしていく。
 目の前に広がっていたのは、どこまでも白い大地だった。雪原だ。陽射しを受け、雪がまぶしく光っていた。
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「寒さが苦手なのは変わってないな、ランパ」
 目元を仮面で隠し、黄金色の鎧をまとっている男が笑った。
「ルークは平気なのか?」
「私は大丈夫さ。この精霊器ラクメトが体温を調整してくれるからね」
 ルークは自分の鎧を軽く叩いた。
「それより、討伐を頼まれた魔族がいる場所って、ここで合ってるのかよ?」
 バキバキと木がなぎ倒れる音が響いた。
「合っているよ」
 ルークの表情がすっと引き締まる。手が聖剣の柄にかかった。
 雪を踏みしめて現れたのは、巨大な鹿だった。枝分かれした角は木のように太い。濁った黒い瞳が、二人を見下している。
「あ、あれが大鹿……おっかねぇ」
「うん、でかいな。魔神のしもべってだけのことはある」
 ルークは軽く言った。
「貴様、何者だ」
 耳障りな声が大鹿の口から響いた。
「私は、マナの女神チキサの命を受け、魔神を討つ者」
 ルークは聖剣クトネシスを抜いた。
「勝てるのかよ」
「大丈夫。なんとかなるさ」
 次の瞬間、大鹿が頭を低くした。
 巨大な角を突き出し、一気に突進してくる。巨体からは信じられない速さだった。
「うわっ!」
 ルークとランパは左右へ飛び退いた。
 突進の勢いを殺しきれなかった大鹿は、背後の岩に激突し、轟音とともに粉々に砕いた。
「ひえぇ……なんだよあの力!」
「これはのんびりしていられないな」
 ルークは踏み込み、聖剣を振るった。刃が黒い巨体を裂き、傷口から黒い液体が飛び散る。
「何だ、その剣は」
「聖剣クトネシスの切れ味はどうだい?」
 大鹿が前脚で地面を踏み鳴らした。角の上空に魔法陣が浮かぶ。
「おぉ、魔法まで使えるのか」
「感心してる場合か。くるぞ!」
 ランパが叫ぶ。
 黒い旋風が巻き起こった。雪を巻き込みながら風の刃がルークを襲う。黄金の鎧がきしみ、ルークの体が宙へ弾かれた。
「ルーク!」
 地面へ落ちかけたルークを狙い、大鹿が再び突っ込んでくる。
 轟音。弾き飛ばされたルークは雪原を大きく転がり、最後は岩に叩きつけられて止まった。
「ぐっ……」
 ルークは血を吐き、それでも立ち上がった。肩で荒く息をしている。鎧もあちこち傷ついていた。
「大丈夫か、ルーク!」
「油断したな」
 ルークは口元の血を拭った。
「次の一撃で決める。ランパ、あの鹿の足止めを頼む」
「オ、オイラが?」
 大鹿の視線がランパを捉えた。小さな体が震える。
「む、無理だよ。怖い」
 ルークはランパを見た。
「勇気を出すんだ。私はランパを信じてる。だから、ランパも私を信じてくれ」
 ランパは目を見開いた。
「……わ、わかった。やってみる」
「ありがとう」
 ルークは赤いマントの内側から、一本の葉巻を取り出した。太く長い葉巻だった。吸い口の近くには金色のリングがついている。ルークが吸い口を噛み切る。左手のガントレットに埋め込まれた宝石から青白い炎が噴き上がり、先端に火がついた。淡い緑色の煙が静かに立ちのぼった。
「ルーク、くるぞ!」
 ランパが叫ぶ。
 葉巻をくわえたまま、ルークは剣を構えた。
 大鹿が再び地を蹴る。
「と、止まれぇ!」
 ランパが両手を突き出した。地面からつるが伸び、大鹿の脚に絡みつく。
 すぐに引きちぎられた。
「だめだ、ルーク。あれっ?」
 ルークは大鹿の真上にいた。
 全身に緑煙をまとい、逆手に握った聖剣クトネシスは真紅の光を帯びている。真紅に燃える刃が、大鹿の背へ突き立てられた。
 大鹿が絶叫する。炎が巨体を呑み込む。
 ルークは剣を引き抜き、返す刃で巨大な角を切り飛ばす。さらに蹴りで距離を取り、雪の上へ着地した。
 直後、爆音が轟いた。
 炎に包まれた大鹿の体が砕け散り、黒い破片となって消えていく。
「す、すげぇ」
 ランパはぺたんと座り込み、口をあんぐり開けていた。
「きみが隙を作ってくれたからだよ」
 ルークは葉巻をくわえ直し、煙を吐き出した。淡い緑色の煙が白い空へ溶けていく。
「そのでかい煙草、精霊樹の葉と指輪を合成してできたやつだよな」
「そう。魔法の葉巻ユグドラシガー。略してドラシガー」
「その名前、自分でつけたのかよ」
「いい名前だろう?」
 ルークは笑った。
「煙を吸うと、マナが体の内側に染みていく感じがするんだ。痛みも薄れるし、傷の治りも早くなる」
「普通の人間はそんなことできないんだぞ」
「私は普通じゃないからね。母は精霊、父は人間。その間に生まれた」
「それを自分で言うのかよ」
 ランパは苦笑した。
「さて、そろそろ村に戻ろうか。大鹿を倒したことを報告しなきゃならない」
 場面が変わる。
 村の入口だった。
 ルークは高々と角を掲げた。
「皆、魔神のしもべである大鹿を、このルークが打ち倒したぞ!」
 家々から村人たちが顔を出し、どよめきが広がる。
 一人の老人が前へ出た。
「ルーク殿、あなたは救世主じゃ。村を代表して礼を言わせてもらう」
「はは、なぁに、これしきのこと」
 ルークが得意げに笑った、そのときだった。
 掲げていた角がさらさらと崩れ始める。
「おや」
 角は白い灰のように崩れ、消えていった。
 その直後、ぐうう、と大きな音が鳴る。ルークの腹だった。
「……お腹が空いたな」
「食事を用意しましょう。さぁ、私の家に来なされ」
 老人が嬉しそうに言った。
 二人は老人の家へ案内された。
 部屋の奥では、若い女性が台所に立っていた。長い髪は霞のように淡く、やわらかく光を受けていた。
「お客さんだよ。あの大鹿を打ち倒した、ルーク殿じゃ」
 老人が女性の肩を軽く叩いた。
「あ、あなたが、あの大鹿を……」
 振り向いた女性は、きょとんとした表情でルークを見つめた。
「お強いのですね」
 ルークの動きがわずかに止まった。
「きみ、名前は?」
 ルークは急に真顔になって訊いた。
「わたしはレタ。ルークさん、大鹿を倒してくれてありがとうございます」
「レタか。うん、いい名前だ」
 ルークは急に背筋を伸ばした。
「年はいくつだい?」
「えっと、今年で十六です」
「なんと。私と同じじゃないか!」
 ルークが大声を出す。
「ルーク、顔赤いぞ?」
 ランパが半目になった。
「気のせいだ」
「そちらの小さな方は?」
「オイラはランパ。樹の精霊だよ」
「精霊……初めて見ました」
 レタは少し目を丸くした。
「お二人は、どういった関係なのですか?」
「オイラとルークは昔からの友達なんだ」
「ふふ、いいですわね。わたしには友と呼べる人がいないので、少し羨ましいです」
「じゃあ、今日から私がきみの友達になろう」
 ルークは勢いよく立ち上がり、レタに手を差し出した。
 レタは少し迷ってから、その手をそっと重ねた。
「ありがとうございます。嬉しいです」
 そこでまた、ルークの腹が鳴った。
 レタが思わず笑う。
「それでは、そのお腹の虫を先になんとかしないといけませんね」
 ほどなくして食事が並んだ。ルークは目を輝かせ、次々と皿を空にしていく。
「うまい。こんなうまい料理は初めてだ」
「ランパさんは、食べられないのですか?」
 手つかずの皿を、レタは眺めた。
「いや、オイラ精霊だし。食べなくても平気」
「ランパ、うまいものは楽しんだ方がいい」
 大きなパンが、ランパの口に突っ込まれた。
「もがーっ」
 ランパはパンを引きちぎり、口をもぐもぐと動かした。やがて喉仏が大きく動いた。
「……うまい」
 ランパの目が輝いた。
 ぱくぱくと食べるランパの姿を見て、ルークとレタの頬が緩んだ。
「食事中に申し訳ない。ルーク殿、魔女の噂は知っておりますかな?」
 奥の部屋から、老人が深刻な顔で現れた。
「魔女?」
 瞬間、視界がふっと暗くなった。