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#11 Rain

ー/ー



 夕方になった。空は雲に覆われていて、夕日は見えなかった。
 大雨に打たれる中、レイネは小さなくしゃみをした。しかしその声は、すぐに雨音にかき消されてしまった。

「……さむ……い」

「大丈夫か?」

 フィリオはもしやと思い、レイネの額に濡れた手を当てた。その瞬間、彼女はまたくしゃみをした。

「やっぱり熱が出てるな……大変だ、すぐにリーフ爺さんの所へ行かないと!」
 
 彼の悪い予感は当たった。

「大丈夫、大丈夫だ。僕が始めた事だ、僕がなんとかする……きっとなんとかなる……」

 フィリオのその言葉は、彼自身を安心させる為のものだった。彼は唾を飲んでレイネをおんぶする。

「よいしょっ……と。レイネ……大丈夫だぞ」

 今度の「大丈夫」は、レイネへの言葉だった。

「……」

 レイネは彼の背中の温もりを感じて、少し安心した様な表情を浮かべた。
 フィリオはレイネをおんぶして街の南西部にある街病院へ向かって走った。雨は絶え間なく降り続け、二人の全身を濡らす。それはさながら二人への罰の様だった。
 フィリオは雨に負けずに走り続けた。

「ん……」

 レイネが何かを言いかけた。
 
「レイネ! 大丈夫か?」

「……だい……じょうぶ」

 レイネはそう言っているが、フィリオは彼女の事が心配でしょうがなかった。
 そして二人はようやく街病院へたどり着いた。
 フィリオが雨に濡れて冷たくなったドアを開ける。

「……ハァ……ハァ」

 フィリオはここまで長い距離を走ったことがなかった。ましてやレイネをおんぶしながらだった故、彼はすっかり疲労困憊していたのだ。

「おや、これはどうしたんだい」

 どこか懐かしい匂いがする部屋の奥から、掠れた老婆の声が聞こえた。

「この子を……よろしく……お願い……します」

 フィリオは最後の力を振り絞って言った後、その場にバタリと倒れ込んだ。

「おやまぁ、これはフィリオじゃないの。またおっきくなって……」

 老婆はゆっくりとした口調で言った。老婆は短身で、ベージュの服を着ている。

「早く……クリスおば……さん」

 老婆は街の皆んなからクリスと呼ばれてるが、本名はクリスティーンと言う。フィリオと家族と言う訳ではないが、彼は彼女を家族の様に愛し、慕っていた。
 
「あらいけない。はやく手当をしなくちゃ。でも、まずは体を拭かないとね」

 クリスティーンは部屋の奥の棚からおもむろに布を二枚取り出し、「どうぞ」と言ってそれを二人に差し出した。

「ありがとうございます」

 フィリオはようやく息の弾みが収まり、レイネの体を拭いた。レイネの顔色は悪く、生気を失っているかの様に見えた。

「レイネ! 大丈夫か!」

 レイネに視線を移したフィリオが、慌てて彼女を持って揺する。

「クリスおばさん! リーフ爺さんは居ないんですか?」

「まぁまぁフィリオ、落ち着きなさい。慌てても良いことなんか一つもないわ。爺さんは二階で本でも読んでるんじゃないかしらね。呼んでくるからちょっとだけ待っててちょうだい」

 クリスティーンは二階へ、のそのそと階段を上がっていく。フィリオはその間に、部屋の右側にあるベッドにレイネを寝かせた。

「はぁ……」

 フィリオは心配そうに彼女の頭を撫でる。

「よぉ、フィリオ。随分と久々じゃあないか。どれ、この子を診りゃいいんだな」

 部屋の奥から今度は掠れた老爺の声がした。

「リーフ爺さん、お久しぶりです……この子を、お願いします」

「安心しろ。私に任せてくれ」

 リーフは仏頂面の割に優しい言葉を吐く男だった。

「どれ、ちょっと失礼」

 彼がレイネの額にシワだらけの手をそっと当てると、レイネのくしゃみが部屋に響いた。

「……うむ。これは……」

「……こ、これは?」

 フィリオが固唾を飲んで聞き返した。

「心配ない。ただの風邪だ」

 リーフはそう言って静かに笑った。

「なんだよ……心配した……」

 フィリオは彼の言葉を聞いてそっと胸を撫で下ろした。

「クリスティーン、風邪薬を頼む」

「はい、分かりましたよ」

 リーフの頼みを聞いたクリスティーンは調合室へ行った。

「それにしてもお前さん達、何があった?」

 リーフがフィリオに問う。

「えと、僕がレイネを一人でおつかいに行かせて……あ、レイネの事知らないですよね」

「話はタウルから聞いている。この街は人の話が広まりやすいからな」

「そっか。そうでしたね。これも人の縁、か」

 この街の人々は皆が家族の様で、人と人との繋がりが深い。彼は今その温かさを実感した。

「あ、そうそう、それで……レイネにパンを買ってくれってお願いしたんです」

「ルミンのパン屋か。それだったらお前さんの家からは近いんじゃないか?」

「そうなんです。そうなんですけど、レイネがパンを買った後、余ったお金で商店街に行って花を買いに行ってたみたいで……」

「なるほどな。それがあの花という訳か」

 リーフはレイネが持っていたバーベナの花を見て言った。それはまだ彼女の手に、強く握られていた。

「レイネは花が好きで、僕のために買って来てくれたんです。でも帰る時に道に迷っちゃって、それで、雨も降ってきて……」

「そうか。それは災難だったな。分かった。フィリオ、一つだけ言っておきたい事がある」

「なんです?」

 リーフはベッドへ歩いた。そしてバーベナを彼女の手から離し、それを眺めながらこう言った。

「レイネと言ったな……その子を褒めてやってくれ」

「褒める……」

「レイネはお前さんのためを思ってやったんだ。それは紛れもない愛だ。彼女なりの優しさだよ。その愛を受け取ってやるのが、親の義務だろう」

「親、か」

 フィリオはジタンを思い描いた。もし彼が自分なら彼はレイネにどうしていただろうか。
  
「親と言うのは子から無償で愛を受け取っている。だからこそ、その愛を無下にしてはいけない」

「無償の愛……」

 フィリオは考えたことがなかった。自分がジタンへ無意識のうちにどれだけ大きな愛を与えていたかを。

「そうだフィリオ、もう一つ話したい事がある。レイネは記憶を失っていると言ったな」

「はい。何か分かった事があるんですか?」

「いや、何も分からないどころか、謎が増えた。レイネの症状は記憶喪失と言って、主に頭を強く打ったり等の物理的な衝撃によって引き起こされるのだが、レイネには目立った外傷が無い。その為、何故レイネは記憶を失ったのかは定かではない。この病気は現在治療法が確立されていない故、今の私にはどうしようもできん。すまない」

 悲壮な口調でリーフは語った。

「そうですか……リーフ爺さんが謝る事ないですよ。大丈夫です。たとえ失った記憶が戻らなくても、これからレイネは僕と一緒に色々な事を経験して、沢山の事を覚えていきますから」

「そうか……フィリオ。遅くなったが、これを受け取ってくれ。レイネからお前への気持ちだ」
 
窓から打ち付ける雨の音が聞こえる。
 リーフはレイネのバーベナの花をフィリオに渡した。彼はそれを何も言わずにそっと受け取った。


次のエピソードへ進む #12 Phantasm


みんなのリアクション

 夕方になった。空は雲に覆われていて、夕日は見えなかった。
 大雨に打たれる中、レイネは小さなくしゃみをした。しかしその声は、すぐに雨音にかき消されてしまった。
「……さむ……い」
「大丈夫か?」
 フィリオはもしやと思い、レイネの額に濡れた手を当てた。その瞬間、彼女はまたくしゃみをした。
「やっぱり熱が出てるな……大変だ、すぐにリーフ爺さんの所へ行かないと!」
 彼の悪い予感は当たった。
「大丈夫、大丈夫だ。僕が始めた事だ、僕がなんとかする……きっとなんとかなる……」
 フィリオのその言葉は、彼自身を安心させる為のものだった。彼は唾を飲んでレイネをおんぶする。
「よいしょっ……と。レイネ……大丈夫だぞ」
 今度の「大丈夫」は、レイネへの言葉だった。
「……」
 レイネは彼の背中の温もりを感じて、少し安心した様な表情を浮かべた。
 フィリオはレイネをおんぶして街の南西部にある街病院へ向かって走った。雨は絶え間なく降り続け、二人の全身を濡らす。それはさながら二人への罰の様だった。
 フィリオは雨に負けずに走り続けた。
「ん……」
 レイネが何かを言いかけた。
「レイネ! 大丈夫か?」
「……だい……じょうぶ」
 レイネはそう言っているが、フィリオは彼女の事が心配でしょうがなかった。
 そして二人はようやく街病院へたどり着いた。
 フィリオが雨に濡れて冷たくなったドアを開ける。
「……ハァ……ハァ」
 フィリオはここまで長い距離を走ったことがなかった。ましてやレイネをおんぶしながらだった故、彼はすっかり疲労困憊していたのだ。
「おや、これはどうしたんだい」
 どこか懐かしい匂いがする部屋の奥から、掠れた老婆の声が聞こえた。
「この子を……よろしく……お願い……します」
 フィリオは最後の力を振り絞って言った後、その場にバタリと倒れ込んだ。
「おやまぁ、これはフィリオじゃないの。またおっきくなって……」
 老婆はゆっくりとした口調で言った。老婆は短身で、ベージュの服を着ている。
「早く……クリスおば……さん」
 老婆は街の皆んなからクリスと呼ばれてるが、本名はクリスティーンと言う。フィリオと家族と言う訳ではないが、彼は彼女を家族の様に愛し、慕っていた。
「あらいけない。はやく手当をしなくちゃ。でも、まずは体を拭かないとね」
 クリスティーンは部屋の奥の棚からおもむろに布を二枚取り出し、「どうぞ」と言ってそれを二人に差し出した。
「ありがとうございます」
 フィリオはようやく息の弾みが収まり、レイネの体を拭いた。レイネの顔色は悪く、生気を失っているかの様に見えた。
「レイネ! 大丈夫か!」
 レイネに視線を移したフィリオが、慌てて彼女を持って揺する。
「クリスおばさん! リーフ爺さんは居ないんですか?」
「まぁまぁフィリオ、落ち着きなさい。慌てても良いことなんか一つもないわ。爺さんは二階で本でも読んでるんじゃないかしらね。呼んでくるからちょっとだけ待っててちょうだい」
 クリスティーンは二階へ、のそのそと階段を上がっていく。フィリオはその間に、部屋の右側にあるベッドにレイネを寝かせた。
「はぁ……」
 フィリオは心配そうに彼女の頭を撫でる。
「よぉ、フィリオ。随分と久々じゃあないか。どれ、この子を診りゃいいんだな」
 部屋の奥から今度は掠れた老爺の声がした。
「リーフ爺さん、お久しぶりです……この子を、お願いします」
「安心しろ。私に任せてくれ」
 リーフは仏頂面の割に優しい言葉を吐く男だった。
「どれ、ちょっと失礼」
 彼がレイネの額にシワだらけの手をそっと当てると、レイネのくしゃみが部屋に響いた。
「……うむ。これは……」
「……こ、これは?」
 フィリオが固唾を飲んで聞き返した。
「心配ない。ただの風邪だ」
 リーフはそう言って静かに笑った。
「なんだよ……心配した……」
 フィリオは彼の言葉を聞いてそっと胸を撫で下ろした。
「クリスティーン、風邪薬を頼む」
「はい、分かりましたよ」
 リーフの頼みを聞いたクリスティーンは調合室へ行った。
「それにしてもお前さん達、何があった?」
 リーフがフィリオに問う。
「えと、僕がレイネを一人でおつかいに行かせて……あ、レイネの事知らないですよね」
「話はタウルから聞いている。この街は人の話が広まりやすいからな」
「そっか。そうでしたね。これも人の縁、か」
 この街の人々は皆が家族の様で、人と人との繋がりが深い。彼は今その温かさを実感した。
「あ、そうそう、それで……レイネにパンを買ってくれってお願いしたんです」
「ルミンのパン屋か。それだったらお前さんの家からは近いんじゃないか?」
「そうなんです。そうなんですけど、レイネがパンを買った後、余ったお金で商店街に行って花を買いに行ってたみたいで……」
「なるほどな。それがあの花という訳か」
 リーフはレイネが持っていたバーベナの花を見て言った。それはまだ彼女の手に、強く握られていた。
「レイネは花が好きで、僕のために買って来てくれたんです。でも帰る時に道に迷っちゃって、それで、雨も降ってきて……」
「そうか。それは災難だったな。分かった。フィリオ、一つだけ言っておきたい事がある」
「なんです?」
 リーフはベッドへ歩いた。そしてバーベナを彼女の手から離し、それを眺めながらこう言った。
「レイネと言ったな……その子を褒めてやってくれ」
「褒める……」
「レイネはお前さんのためを思ってやったんだ。それは紛れもない愛だ。彼女なりの優しさだよ。その愛を受け取ってやるのが、親の義務だろう」
「親、か」
 フィリオはジタンを思い描いた。もし彼が自分なら彼はレイネにどうしていただろうか。
「親と言うのは子から無償で愛を受け取っている。だからこそ、その愛を無下にしてはいけない」
「無償の愛……」
 フィリオは考えたことがなかった。自分がジタンへ無意識のうちにどれだけ大きな愛を与えていたかを。
「そうだフィリオ、もう一つ話したい事がある。レイネは記憶を失っていると言ったな」
「はい。何か分かった事があるんですか?」
「いや、何も分からないどころか、謎が増えた。レイネの症状は記憶喪失と言って、主に頭を強く打ったり等の物理的な衝撃によって引き起こされるのだが、レイネには目立った外傷が無い。その為、何故レイネは記憶を失ったのかは定かではない。この病気は現在治療法が確立されていない故、今の私にはどうしようもできん。すまない」
 悲壮な口調でリーフは語った。
「そうですか……リーフ爺さんが謝る事ないですよ。大丈夫です。たとえ失った記憶が戻らなくても、これからレイネは僕と一緒に色々な事を経験して、沢山の事を覚えていきますから」
「そうか……フィリオ。遅くなったが、これを受け取ってくれ。レイネからお前への気持ちだ」
窓から打ち付ける雨の音が聞こえる。
 リーフはレイネのバーベナの花をフィリオに渡した。彼はそれを何も言わずにそっと受け取った。