【陸ノ漆】

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 夜、臭いがした。翔はすぐにわかった。……血の臭いだ。  かあちゃんがおさしみを切っている。今日はブリが安かったのよ。そんな事をいいながら。でも、おさしみの臭い……魚の血の臭いじゃない。おおかみの、血の臭いだ。  この家じゃない。もっと遠くで、する。 「どこいくのさ、もうお刺身切っちゃったよ」 「茜んとこ。ごめん、すぐ戻っから」  どうしてその名前が出たのか、わからない。でも、。だから確認しに行くだけ。違うって、言って欲しかった。大丈夫だよって、言って欲しかった。  翔が生まれて初めて大好きになった、茜という女の子に。  からから、と玄関の引き戸を閉める。血の臭いは、二又に別れた道の……上に登っていく方から。……その子の家の方からした。  気がついたら走っていた。徒歩だと十分はかかる。だから、走った。素晴らしい速度が出た。ふたつの脚だけで走るのは非効率だ。手も使おう。鼻をもっと良くしなくては。鼻が伸びた。彼女が誰かに襲われてたら、助けなきゃ。牙がバキバキと伸びた。  そうして彼女の家に着いた。夜だったけど、昼間みたいに明るく見えた。だから、家の中までよく見えた。だから、玄関の土間で倒れていて。  金髪のあのベルベッチカが、大好きな大好きな茜の腸を引きずり出して食べているのが。  よく、見えた。 「てめえっ!」  翔はベルベッチカに襲いかかった。けれど、ベルベッチカは後ろにも目があるみたいに、即座に「食事」を止めて飛びのいた。目が赤く光っている。  翔は大好きなその子のそばにかけよった。茜は、口から血を流して、喉元を食いちぎられて、お腹から腸を出して。  ……もう、冷たくなっていた。 「うわああああっ!」  翔の中の怒りに火がついた。  ぐおおおおお──っ!  まるでおおかみみたいな地を揺るがす叫び声をあげた。 (許せない。許せない、ベルベッチカ! おれの初恋のひとを……返せっ!)  ベルベッチカとの戦いの火蓋が切って落とされた。ベルベッチカは右手の爪を立てて、瞬間的に近づいて首をかき切った。翔は避けようとするも、身体が大きくて、うまく避けれない。  ざんっ……致命傷こそ避けたものの、首に深手を負った。  ぐおおおおっ!  それでも、攻撃はやめない。がぶり、と肩にかみついた。そして振り回して放り投げた。ベルベッチカは頭を打った。チャンスだと思った。このまま、心臓をひとかみしてやる。  ベルベッチカの動きが止まった。 (今だ! 茜のカタキ! 思い知れ!)  翔は、口を大きく広げていた。ベルベッチカの心臓をえぐりとるつもりで。だから、新月の目はそれを見逃さなかった。すかさず出したコルトSAAを口の中につっこんで、そして間髪入れずトリガーを引いた。  だーん!  銀メッキがされた弾丸は、喉を貫き、翔の小脳と脳幹を引き裂いた。  ……  翔は……倒れた。おおかみの身体を手放して、もとの十一歳の小河内翔の姿で。  ゆうの放った弾丸は、翔の脳幹を貫いた。即死だった。そのはずだ。  ……なのに今、どうして茜の手を、握っているんだろう……  ゆうは涙が、涙が止まらない。 『きみ、二体立て続けでも、冷静さを欠かなかった。よくやったね、愛しいきみ』  今日ばかりは、ゆうにベルの声は届かなかった。  ゆうは二人を抱いて、何時間も泣いた。  おかげで二人を食べ切るころには、日付を跨いでいた。



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 夜、臭いがした。翔はすぐにわかった。……血の臭いだ。  かあちゃんがおさしみを切っている。今日はブリが安かったのよ。そんな事をいいながら。でも、おさしみの臭い……魚の血の臭いじゃない。おおかみの、血の臭いだ。  この家じゃない。もっと遠くで、する。 「どこいくのさ、もうお刺身切っちゃったよ」 「茜んとこ。ごめん、すぐ戻っから」  どうしてその名前が出たのか、わからない。でも、。だから確認しに行くだけ。違うって、言って欲しかった。大丈夫だよって、言って欲しかった。  翔が生まれて初めて大好きになった、茜という女の子に。  からから、と玄関の引き戸を閉める。血の臭いは、二又に別れた道の……上に登っていく方から。……その子の家の方からした。  気がついたら走っていた。徒歩だと十分はかかる。だから、走った。素晴らしい速度が出た。ふたつの脚だけで走るのは非効率だ。手も使おう。鼻をもっと良くしなくては。鼻が伸びた。彼女が誰かに襲われてたら、助けなきゃ。牙がバキバキと伸びた。  そうして彼女の家に着いた。夜だったけど、昼間みたいに明るく見えた。だから、家の中までよく見えた。だから、玄関の土間で倒れていて。  金髪のあのベルベッチカが、大好きな大好きな茜の腸を引きずり出して食べているのが。  よく、見えた。 「てめえっ!」  翔はベルベッチカに襲いかかった。けれど、ベルベッチカは後ろにも目があるみたいに、即座に「食事」を止めて飛びのいた。目が赤く光っている。  翔は大好きなその子のそばにかけよった。茜は、口から血を流して、喉元を食いちぎられて、お腹から腸を出して。  ……もう、冷たくなっていた。 「うわああああっ!」  翔の中の怒りに火がついた。  ぐおおおおお──っ!  まるでおおかみみたいな地を揺るがす叫び声をあげた。 (許せない。許せない、ベルベッチカ! おれの初恋のひとを……返せっ!)  ベルベッチカとの戦いの火蓋が切って落とされた。ベルベッチカは右手の爪を立てて、瞬間的に近づいて首をかき切った。翔は避けようとするも、身体が大きくて、うまく避けれない。  ざんっ……致命傷こそ避けたものの、首に深手を負った。  ぐおおおおっ!  それでも、攻撃はやめない。がぶり、と肩にかみついた。そして振り回して放り投げた。ベルベッチカは頭を打った。チャンスだと思った。このまま、心臓をひとかみしてやる。  ベルベッチカの動きが止まった。 (今だ! 茜のカタキ! 思い知れ!)  翔は、口を大きく広げていた。ベルベッチカの心臓をえぐりとるつもりで。だから、新月の目はそれを見逃さなかった。すかさず出したコルトSAAを口の中につっこんで、そして間髪入れずトリガーを引いた。  だーん!  銀メッキがされた弾丸は、喉を貫き、翔の小脳と脳幹を引き裂いた。  ……  翔は……倒れた。おおかみの身体を手放して、もとの十一歳の小河内翔の姿で。  ゆうの放った弾丸は、翔の脳幹を貫いた。即死だった。そのはずだ。  ……なのに今、どうして茜の手を、握っているんだろう……  ゆうは涙が、涙が止まらない。 『きみ、二体立て続けでも、冷静さを欠かなかった。よくやったね、愛しいきみ』  今日ばかりは、ゆうにベルの声は届かなかった。  ゆうは二人を抱いて、何時間も泣いた。  おかげで二人を食べ切るころには、日付を跨いでいた。



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