【伍ノ壱】

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「ベル」  かなかなかなかな、ひぐらしのなく、初秋の山奥。あの、お屋敷のベルの部屋の中。愛しいベルの黒いかんおけの横で、ゆうは立っている。  腰まであるクセのあるブロンドヘア。青い瞳、少し膨らんだ胸。帽子で隠していないほんとのゆうの姿だ。さっきまでの学校の制服──グレーのハーフパンツ──を着ている。ハーフパンツは、血で汚れている。  どんどんどん、ゆうはかんおけに大好きなその子が閉じ込められていると思った。 「ベル、ベル、開けて。開けてよ」 「エレオノーラ」  とつぜん、耳元で声がした。ゆうが必死に呼んでいた女の子は、真後ろに立っていた。そして、懐かしいような聞いたことのあるような、そんな名前を口にした。 「エレオノーラ・リリヰ。きみのほんとの名前だよ。……私が付けた」  ゆうよりも色素の薄い金髪は、同じようにクセがあって腰まである。水色の瞳、ゆうより痩せていて、全体的に細い。転校してきた時の、青いリボンの白いワンピースを着ている。 「お母さん……なの……? ベルが……」  ベルはにっこり笑うだけ。 「十三日」 「えっ」 「私が愛しいきみをこの手で抱くことが出来た日数だよ」  ベルが崩れかけたガラス細工みたいな顔で、両の手を見た。 「二週間も居られなかった。お乳は最後まで出なかった」  小さな母親は哀感を込めて、息子にそう告白した。  ゆうは涙ぐんで叫んだ。 「どうして、どうして僕を手放したのっ? ずっと、ずっと、ベルと居たかったのに!」  ベルは広げた手のひらを握りしめ、目に涙を浮かべ、言った。 「負けたんだ……オリジンに。許しておくれ娘よ、私のこの世でいちばん大切な、エレオノーラ」  ぎゅっ、とベルが抱きしめてくれた。信じられないほど冷たい。声が震えている。 「僕も大好き……ねえ、始祖って、オリジンって。それは、だれ?」 「何度も言ってる。わからない」  そうだ。誰かもわからない、それが始祖だった。 「……でも、案外近くに居るのかもしれない。私を見て。エレオノーラ。いや、ゆうくん」  そう言うと、抱きしめた腕を外し、両肩に手を乗せ真っ直ぐ見つめた。 「これからは戦いだよ。生き残るための。君の願いを叶えるための」 「僕の……願い……」 「ふふ。知っているよ……でも、それには命を刈り取らなくてはならない。君の村の、ヒト以外の全ての命を。それには、激しい抵抗に遭うと思う。だから私があげられる次の力をあげる」  そう言うと、ベルベッチカは娘に口付けをした。舌を絡めて、唾液を送って。  ベルベッチカ・リリヰの舌の味は。  ゆうに真実を見抜く新月の目を与えた。  口を離したベルが、指をさす。 「ほら、見えるようになっただろう。私が『負けて』、転校の日まで封印される、その瞬間だよ」  ……  十一年前。夜、お屋敷の門を開け、中に入る二人の人影がある。  一人は、新月の始祖、ベルベッチカ。髪を握られ、もう一人に引きずられている。 「動クナ」  もう一人。夜の闇より遥かに濃く深い闇に覆われ、ヒトの形をしている以外見えない。  彼女は必死に叫んだ。 「娘を、エレオノーラをどこへやったっ」 「アノ子ハ オ前ノ元ニ居ルヨリ 安全ナ所へ 預ケタ」  お屋敷を正面玄関から入り、階段を上り、ベルベッチカの部屋に入ると、かんおけに押し倒した。  ……手には十字架型の杭を持っている。 「……っ! 私を封印するつもりかっ」 「オ前ハ 十一年後ノ 儀式デ 必要ダ」  ずどっ。 「きぃぃぃぁぁぁあああ!」  ……  あの黒いのが、始祖だろうか。 「……そうだね。そうなる」 「やっぱり、『見えない』んだね……。……ベルはずっと、このかんおけに封印されてたの?」 「……そうだね。……だからきみだと気付くのに時間がかかった。……すまない」  ベルはゆうを抱きしめながら、詫びた。 「いいんだよ……僕も、こうしてベルと出会えて嬉しい。これ以上ないくらい」 「ありがとう……さあ、時間だ」  ベルはゆうをはなして、三歩下がった。 「きみを待ってるヒトがいる。起きてあげないと、ね」  そう言って、ベルは優しくはにかんだ。知っている誰よりも優しく、やわらかい顔で。



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【伍ノ壱】

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「ベル」  かなかなかなかな、ひぐらしのなく、初秋の山奥。あの、お屋敷のベルの部屋の中。愛しいベルの黒いかんおけの横で、ゆうは立っている。  腰まであるクセのあるブロンドヘア。青い瞳、少し膨らんだ胸。帽子で隠していないほんとのゆうの姿だ。さっきまでの学校の制服──グレーのハーフパンツ──を着ている。ハーフパンツは、血で汚れている。  どんどんどん、ゆうはかんおけに大好きなその子が閉じ込められていると思った。 「ベル、ベル、開けて。開けてよ」 「エレオノーラ」  とつぜん、耳元で声がした。ゆうが必死に呼んでいた女の子は、真後ろに立っていた。そして、懐かしいような聞いたことのあるような、そんな名前を口にした。 「エレオノーラ・リリヰ。きみのほんとの名前だよ。……私が付けた」  ゆうよりも色素の薄い金髪は、同じようにクセがあって腰まである。水色の瞳、ゆうより痩せていて、全体的に細い。転校してきた時の、青いリボンの白いワンピースを着ている。 「お母さん……なの……? ベルが……」  ベルはにっこり笑うだけ。 「十三日」 「えっ」 「私が愛しいきみをこの手で抱くことが出来た日数だよ」  ベルが崩れかけたガラス細工みたいな顔で、両の手を見た。 「二週間も居られなかった。お乳は最後まで出なかった」  小さな母親は哀感を込めて、息子にそう告白した。  ゆうは涙ぐんで叫んだ。 「どうして、どうして僕を手放したのっ? ずっと、ずっと、ベルと居たかったのに!」  ベルは広げた手のひらを握りしめ、目に涙を浮かべ、言った。 「負けたんだ……オリジンに。許しておくれ娘よ、私のこの世でいちばん大切な、エレオノーラ」  ぎゅっ、とベルが抱きしめてくれた。信じられないほど冷たい。声が震えている。 「僕も大好き……ねえ、始祖って、オリジンって。それは、だれ?」 「何度も言ってる。わからない」  そうだ。誰かもわからない、それが始祖だった。 「……でも、案外近くに居るのかもしれない。私を見て。エレオノーラ。いや、ゆうくん」  そう言うと、抱きしめた腕を外し、両肩に手を乗せ真っ直ぐ見つめた。 「これからは戦いだよ。生き残るための。君の願いを叶えるための」 「僕の……願い……」 「ふふ。知っているよ……でも、それには命を刈り取らなくてはならない。君の村の、ヒト以外の全ての命を。それには、激しい抵抗に遭うと思う。だから私があげられる次の力をあげる」  そう言うと、ベルベッチカは娘に口付けをした。舌を絡めて、唾液を送って。  ベルベッチカ・リリヰの舌の味は。  ゆうに真実を見抜く新月の目を与えた。  口を離したベルが、指をさす。 「ほら、見えるようになっただろう。私が『負けて』、転校の日まで封印される、その瞬間だよ」  ……  十一年前。夜、お屋敷の門を開け、中に入る二人の人影がある。  一人は、新月の始祖、ベルベッチカ。髪を握られ、もう一人に引きずられている。 「動クナ」  もう一人。夜の闇より遥かに濃く深い闇に覆われ、ヒトの形をしている以外見えない。  彼女は必死に叫んだ。 「娘を、エレオノーラをどこへやったっ」 「アノ子ハ オ前ノ元ニ居ルヨリ 安全ナ所へ 預ケタ」  お屋敷を正面玄関から入り、階段を上り、ベルベッチカの部屋に入ると、かんおけに押し倒した。  ……手には十字架型の杭を持っている。 「……っ! 私を封印するつもりかっ」 「オ前ハ 十一年後ノ 儀式デ 必要ダ」  ずどっ。 「きぃぃぃぁぁぁあああ!」  ……  あの黒いのが、始祖だろうか。 「……そうだね。そうなる」 「やっぱり、『見えない』んだね……。……ベルはずっと、このかんおけに封印されてたの?」 「……そうだね。……だからきみだと気付くのに時間がかかった。……すまない」  ベルはゆうを抱きしめながら、詫びた。 「いいんだよ……僕も、こうしてベルと出会えて嬉しい。これ以上ないくらい」 「ありがとう……さあ、時間だ」  ベルはゆうをはなして、三歩下がった。 「きみを待ってるヒトがいる。起きてあげないと、ね」  そう言って、ベルは優しくはにかんだ。知っている誰よりも優しく、やわらかい顔で。



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