【肆ノ陸】

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 ベルベッチカが、小さく悲鳴をあげる。  大丈夫か、とアレクセイが気遣う。 「う……ん……ちょっと、お腹が、張ってね……」  冷たい冷たい、貨物船のコンテナの中。ウラジオストクで持っていたお金を出せるだけ出して、サビだらけの空きコンテナに乗せてもらった。冬の日本海は寒い。低気圧が近付いていて、雪が吹雪いて海は大しけだ。それに海という「水」に囲まれていて、吐き気が止まらない。狭いコンテナの中で必死にアレクが支えてくれているが、臨月の妊婦には過酷すぎる旅だった。 「オタルに着けば、そこでトーキョー行きの貨車を探そう。トーキョーまで行ければ、僕らは自由だ」 「はあ……はあ。と、トーキョーって、あとどれくらいだい?」 「……まだ、かかりそうだ」  ものすごく揺れるコンテナの中で。明日こそは、明日こそはおおかみから自由に。その一心で、船旅を乗り越えた。ロシアの奥地から船に密航して、貨車に忍び込んだ。石炭を詰んだ貨車だった。屋根すらなかった。  ベルベッチカの体力も、そこまでだった。がちゃん、と貨物列車がターミナルから動き出した頃。 「うああっ!」  雪の降る貨物列車の上で、少女は産気づいた。必死にアレクが手を握りしめはげます中……無事に出産した。  金髪に青い目……母親に瓜二つの女の子だった。  ……  令和六年九月十日、火曜日。日本、岩手県、大祇村。 「おーい、大丈夫かー」  昼休み、蒼太が校庭のベンチに座るゆうを覗きこむ。航もやってきた。 「う、うん……ちょっと、お腹痛くて……」 「大丈夫大丈夫」  翔がやって来てゆうの代わりに勝手を言う。 「ゆうが腹痛いのはいつものことだって。なあ?」 「……そだね、うん、大丈夫」 「よっしゃあ、サッカー再開なー」  ゆうはよたよたと校庭に出ていった。沙羅が心配そうに駆け寄る。 「大丈夫?」 「大丈夫……最近多いんだ」 「おーい、そっち行ったぞー」  蒼太の蹴ったゴールキックが、ゆうの方へ飛んでくる。  ありがと。短くそう言うとボールめがけて駆け出した。 「ゆーちゃん、わるいねー、アタシがいただきっ!」  茜が素晴らしい脚力で、ボールを受けようとしたゆうからボールを奪った。  ゆうも走るが、いつものどんそく。茜にあっという間に引き離された。  そしてゴールキーパーの蒼太をいとも簡単に突破して一点入れた。 「おいー、しっかりしろよお」 「翔、ゆうじゃ茜に勝てないって」  沙羅がゆうの肩に手を当てて、覗き込む。 「ほんとに大丈夫?」 「大丈夫だったら」 「さらー? 男子は敵チームでしょー」  茜が沙羅に釘を刺す。 「でも……調子悪そう……」 「ならチャンスじゃん! きょうはアタシらで男子をギャフンと言わせてやろうよ!」  また、試合が再開された。ボールは足の速い翔がキープする。そこに茜が張り合う。ふたりのボールの取り合いを見ると、中学生にも勝てるんじゃないかと思う。 「ゆう、頼む!」  茜に取られそうになった翔が、苦し紛れにゆうにパスを回した。ゆうをマークするのは超運動オンチのみかだけだ。美玲がゴールキーパーのゴールも近い。ドリブルを続けて、みかを引き離した。 「ごめん、美玲、おねがい!」 「ええっ? あわわわ」  ゆうを止められなかったみかが叫ぶ。ゴールキーパーなんてほとんどやったことの無い美玲は泡をくった。 (いまだ!)  ずきんっ。  ……シュートする直前。鋭い痛みがお腹に走って、転んだ。帽子が脱げて、長い金髪があらわになる。すかさず、美玲が転がるボールを取った。  翔がゆうの元に駆け寄る。 「おい、ゆう! 何やってんだよ、頼むよ、女子に負けちまうよ」 「ご、ごめん……今日はほんとにちょっと……お腹痛くて……」  そう言って彼の伸ばす手を取って立ち上がった時。 「ちょ、ちょっとちょっと! 相原ちゃん、大丈夫っ?」  みかが悲鳴を上げた。 「……気づいてないの?」  沙羅が駆け寄ってきた。 「ゆうちゃんっ! 保健室行こう」  ゆうはなぜそんなことを言われているか理解できていない。 「行こう、ね」 「大丈夫だって」 「大丈夫じゃないよ! そんなに出血して」 (出血?)  お尻を触って初めて気がついた。  制服のグレーのハーフパンツは、お尻が血でぐっしょり濡れていて、つたった血が足首の靴下まで真っ赤に染めていた。  ……ぐらり、ゆうは貧血を起こしてその場で倒れた。



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 ベルベッチカが、小さく悲鳴をあげる。  大丈夫か、とアレクセイが気遣う。 「う……ん……ちょっと、お腹が、張ってね……」  冷たい冷たい、貨物船のコンテナの中。ウラジオストクで持っていたお金を出せるだけ出して、サビだらけの空きコンテナに乗せてもらった。冬の日本海は寒い。低気圧が近付いていて、雪が吹雪いて海は大しけだ。それに海という「水」に囲まれていて、吐き気が止まらない。狭いコンテナの中で必死にアレクが支えてくれているが、臨月の妊婦には過酷すぎる旅だった。 「オタルに着けば、そこでトーキョー行きの貨車を探そう。トーキョーまで行ければ、僕らは自由だ」 「はあ……はあ。と、トーキョーって、あとどれくらいだい?」 「……まだ、かかりそうだ」  ものすごく揺れるコンテナの中で。明日こそは、明日こそはおおかみから自由に。その一心で、船旅を乗り越えた。ロシアの奥地から船に密航して、貨車に忍び込んだ。石炭を詰んだ貨車だった。屋根すらなかった。  ベルベッチカの体力も、そこまでだった。がちゃん、と貨物列車がターミナルから動き出した頃。 「うああっ!」  雪の降る貨物列車の上で、少女は産気づいた。必死にアレクが手を握りしめはげます中……無事に出産した。  金髪に青い目……母親に瓜二つの女の子だった。  ……  令和六年九月十日、火曜日。日本、岩手県、大祇村。 「おーい、大丈夫かー」  昼休み、蒼太が校庭のベンチに座るゆうを覗きこむ。航もやってきた。 「う、うん……ちょっと、お腹痛くて……」 「大丈夫大丈夫」  翔がやって来てゆうの代わりに勝手を言う。 「ゆうが腹痛いのはいつものことだって。なあ?」 「……そだね、うん、大丈夫」 「よっしゃあ、サッカー再開なー」  ゆうはよたよたと校庭に出ていった。沙羅が心配そうに駆け寄る。 「大丈夫?」 「大丈夫……最近多いんだ」 「おーい、そっち行ったぞー」  蒼太の蹴ったゴールキックが、ゆうの方へ飛んでくる。  ありがと。短くそう言うとボールめがけて駆け出した。 「ゆーちゃん、わるいねー、アタシがいただきっ!」  茜が素晴らしい脚力で、ボールを受けようとしたゆうからボールを奪った。  ゆうも走るが、いつものどんそく。茜にあっという間に引き離された。  そしてゴールキーパーの蒼太をいとも簡単に突破して一点入れた。 「おいー、しっかりしろよお」 「翔、ゆうじゃ茜に勝てないって」  沙羅がゆうの肩に手を当てて、覗き込む。 「ほんとに大丈夫?」 「大丈夫だったら」 「さらー? 男子は敵チームでしょー」  茜が沙羅に釘を刺す。 「でも……調子悪そう……」 「ならチャンスじゃん! きょうはアタシらで男子をギャフンと言わせてやろうよ!」  また、試合が再開された。ボールは足の速い翔がキープする。そこに茜が張り合う。ふたりのボールの取り合いを見ると、中学生にも勝てるんじゃないかと思う。 「ゆう、頼む!」  茜に取られそうになった翔が、苦し紛れにゆうにパスを回した。ゆうをマークするのは超運動オンチのみかだけだ。美玲がゴールキーパーのゴールも近い。ドリブルを続けて、みかを引き離した。 「ごめん、美玲、おねがい!」 「ええっ? あわわわ」  ゆうを止められなかったみかが叫ぶ。ゴールキーパーなんてほとんどやったことの無い美玲は泡をくった。 (いまだ!)  ずきんっ。  ……シュートする直前。鋭い痛みがお腹に走って、転んだ。帽子が脱げて、長い金髪があらわになる。すかさず、美玲が転がるボールを取った。  翔がゆうの元に駆け寄る。 「おい、ゆう! 何やってんだよ、頼むよ、女子に負けちまうよ」 「ご、ごめん……今日はほんとにちょっと……お腹痛くて……」  そう言って彼の伸ばす手を取って立ち上がった時。 「ちょ、ちょっとちょっと! 相原ちゃん、大丈夫っ?」  みかが悲鳴を上げた。 「……気づいてないの?」  沙羅が駆け寄ってきた。 「ゆうちゃんっ! 保健室行こう」  ゆうはなぜそんなことを言われているか理解できていない。 「行こう、ね」 「大丈夫だって」 「大丈夫じゃないよ! そんなに出血して」 (出血?)  お尻を触って初めて気がついた。  制服のグレーのハーフパンツは、お尻が血でぐっしょり濡れていて、つたった血が足首の靴下まで真っ赤に染めていた。  ……ぐらり、ゆうは貧血を起こしてその場で倒れた。



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