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供儀の獣

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 上潮蕊市を抜けて、檸篠市に入った車は、潮蕊うしべ大社たいしゃの駐車場で停まった。  潮蕊大社は、潮蕊湖周辺に複数の境内を持つ、大変に歴史の長い神社である。大昔からこの地に根付いていた自然崇拝に起源を持つとも言われ、県内外から一年を通して観光客が訪れる。  境内は全部で四か所──下潮蕊町に二箇所、潮蕊市に一箇所。そして、檸篠市に一箇所が現存する。  檸篠市にある境内は、四つの中では最も規模が小さいが、からりとした風の通る明るい木立の中にあった。  駐車場から横断歩道を渡って、石段を上った先に、大きな鳥居が現れた。よく見かける朱塗りではなく、黒っぽい金属で出来ていて、雨だれの跡のように緑青がふいている。  鳥居の先にも斜面が続き、神事を行う為のろう社殿しゃでんが並んでいる。風が起こる度にかすかに木々の葉が揺れ、鈴を振るような優しい音が響いた。 「別海先生の家って、この近くなの?」 「はい。歩いて来られるほどの距離です」  利玖はブラウスの袖をまくって腕時計を確かめる。砂糖菓子の包み紙みたいに膨らんでいるので、見辛そうだった。 「そうですね、もう出発してこちらに向かわれていると思います」 「なるほどね……」  史岐は深呼吸をして気を引き締める。  ここまで来たからには、別海医師の顔を拝んで帰るつもりだった。それとなく自分が熊野家の跡取りである事を匂わせれば、牽制けんせいぐらいにはなるかもしれない。地位も権力も、これといった縁故も持たない学生の身で出来る事といったら、情けないがその程度だった。  今や遅しと待ち構える心境がそうさせるのか、別海医師はなかなか現れない。  利玖の後について境内をぶらついていたが、壁のない、床板と屋根を柱が支えているだけの変わった造りの廊の前に来た時、急に地面がかしいだような感覚に襲われた。  気を張り過ぎたか、と思ったが、利玖が口にした言葉を聞いて合点がいく。 「動物の首をお供えしていたんですね」  利玖は、立て札に書かれた廊の解説を読んでいた。 「それも、一度に何頭も……。今はもう行われていない風習のようですが」  最後は、ささやくような声になって、利玖は言い終えた後もしばらく、向こう側の景色が見通せるほどがらんとした廊を見つめていた。  それから史岐の方を振り向くと、びっくりしたように目を見開いた。 「大丈夫ですか? 史岐さん、顔が真っ白ですよ」 「うん……」  自分の声なのに、銅鑼どらを鳴らされたようにぐわん、ぐわんと頭に響く。たまらずに史岐は額を押さえた。 「ごめん……、ちょっと煙草吸って来る」 「わかりました」利玖は頷き、下に向かって指をさした。「確か、横断歩道の手前に灰皿があったはずです」 「ありがとう」  史岐は、煙草とライターを引っ張り出しながら、早足で石段を駆け下りた。



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 上潮蕊市を抜けて、檸篠市に入った車は、潮蕊うしべ大社たいしゃの駐車場で停まった。  潮蕊大社は、潮蕊湖周辺に複数の境内を持つ、大変に歴史の長い神社である。大昔からこの地に根付いていた自然崇拝に起源を持つとも言われ、県内外から一年を通して観光客が訪れる。  境内は全部で四か所──下潮蕊町に二箇所、潮蕊市に一箇所。そして、檸篠市に一箇所が現存する。  檸篠市にある境内は、四つの中では最も規模が小さいが、からりとした風の通る明るい木立の中にあった。  駐車場から横断歩道を渡って、石段を上った先に、大きな鳥居が現れた。よく見かける朱塗りではなく、黒っぽい金属で出来ていて、雨だれの跡のように緑青がふいている。  鳥居の先にも斜面が続き、神事を行う為のろう社殿しゃでんが並んでいる。風が起こる度にかすかに木々の葉が揺れ、鈴を振るような優しい音が響いた。 「別海先生の家って、この近くなの?」 「はい。歩いて来られるほどの距離です」  利玖はブラウスの袖をまくって腕時計を確かめる。砂糖菓子の包み紙みたいに膨らんでいるので、見辛そうだった。 「そうですね、もう出発してこちらに向かわれていると思います」 「なるほどね……」  史岐は深呼吸をして気を引き締める。  ここまで来たからには、別海医師の顔を拝んで帰るつもりだった。それとなく自分が熊野家の跡取りである事を匂わせれば、牽制けんせいぐらいにはなるかもしれない。地位も権力も、これといった縁故も持たない学生の身で出来る事といったら、情けないがその程度だった。  今や遅しと待ち構える心境がそうさせるのか、別海医師はなかなか現れない。  利玖の後について境内をぶらついていたが、壁のない、床板と屋根を柱が支えているだけの変わった造りの廊の前に来た時、急に地面がかしいだような感覚に襲われた。  気を張り過ぎたか、と思ったが、利玖が口にした言葉を聞いて合点がいく。 「動物の首をお供えしていたんですね」  利玖は、立て札に書かれた廊の解説を読んでいた。 「それも、一度に何頭も……。今はもう行われていない風習のようですが」  最後は、ささやくような声になって、利玖は言い終えた後もしばらく、向こう側の景色が見通せるほどがらんとした廊を見つめていた。  それから史岐の方を振り向くと、びっくりしたように目を見開いた。 「大丈夫ですか? 史岐さん、顔が真っ白ですよ」 「うん……」  自分の声なのに、銅鑼どらを鳴らされたようにぐわん、ぐわんと頭に響く。たまらずに史岐は額を押さえた。 「ごめん……、ちょっと煙草吸って来る」 「わかりました」利玖は頷き、下に向かって指をさした。「確か、横断歩道の手前に灰皿があったはずです」 「ありがとう」  史岐は、煙草とライターを引っ張り出しながら、早足で石段を駆け下りた。



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