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地底湖を跨ぐ

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 結局、美蕗の手土産を用意するという名目で匠は屋敷に戻り、残った四人で本を探す事になった。 「柊牙さんから伺ったお話で大体のあたりはつけましたので、順番に巡っていきましょう」  先頭を歩きながら利玖が言う。一応、案内図と思しき紙を手に持っていたが、ほとんど見ずに歩いていた。  頭上に照明はない。代わりに、ほのかな光が足元に広がっている。通路脇の岩壁に覆いをつけた電球が置かれ、等間隔に並んだ光が誘導灯のように行く手を照らしているのだ。強い光ではないものの、白い鍾乳石が反射板のように機能して、歩くのには不便しなかった。  利玖の説明によると、通路の周囲には岩壁を掘って作った小部屋がいくつもあり、その中に本が分類されて収められているらしい。  時々、足元に近い岩壁に人がやっと一人通れるくらいの隙間があって、その奥には鉄板を並べただけの簡素な階段が伸びていた。恐らく、その階段が小部屋に繋がっているのだろう。階段の下の方に鎖が渡してあって、勝手に立ち入る事が出来ないようになっていたが、そんな物がなくても、ほとんどの人間が入っていくのを躊躇うような、不気味な暗がりだった。  美蕗が、ふいに足を止め、頭上を仰いだ。 「コウモリが一匹もいないわね」  左右の岩壁は、上に向かうにつれて少しずつ寄り添い、最終的には本の綴じ目のようにくっついている。この通路は、鍾乳洞の内部に自然に生じていた亀裂に道具を入れて切り拓いたらしい。  利玖が戻ってきて、美蕗の横に並んだ。 「虫や獣が入り込まないように、鍾乳洞全体に処理を施しているそうです。貴重な蔵書が、汚れたり、水に濡れたら大変ですから」 「なぜ他の場所に移さないの?」  射かけるような口調で美蕗が問うた。 「え……」 「土地の確保は容易でしょう。これだけ広大な敷地があるのだから。図書館を建てるのに幾らかかるかわかりませんけれど、鍾乳洞を切り拓いて整備するのに比べたら、そんなに変わらないのではないかしら」  美蕗は腕を組み、辺りを見渡した。 「それとも、ここでないといけない理由があるの?」 「…………」  利玖が答えられずにいると、美蕗は微笑んで「進みましょう」と促した。  歩くにつれて、水音が近づいてくる。  前方に、照明の並びが一部途切れている所があった。  岩壁が大きく窪んでいるので、向こう側に落ちないように、その部分の通路には柵が設けられている。  足元を覗き込んでみると、通路の下をくぐり、左から右に向かって勢いよく水が噴き出しているのが見えた。 「地下水流です。ここから出た後は、外の河川に合流しています」  利玖は、和室から持ち出してきた懐中電灯を点けると、ほとばしる水流が光の中に浮かび上がった。  岩壁に藻や苔は生えていない。つるりとした乳白色の洞の中を、一欠片の濁りもない水がうねりながら流れていく。恐ろしいほどの透明度で、まるでがらが流動するのを見ているようだった。 「もっと迫力のある場所がありますよ」  利玖は三人をさらに奥へと導いた。  足元の照明が再び途切れ、先ほど見かけた物よりも頑丈な柵が通路の両側に設けられている。しかし、水音は聞こえなかった。  やがて、四人の前に現れたのは、ほの青い光を放つ巨大な地底湖だった。通路は、湖面を跨ぐ形で向こう岸へ続いていた。 「お……、すげえ」  柊牙が呟く。彼の事だから、その後に皮肉の一つや二つ続くかと思ったが、それきり言葉をのんだ。  ドーム状に湖面を覆う岩壁からワイヤーのような物が下ろされ、水中深くまで届き、先端部に球状の照明が取り付けられている。その光が湖全体に拡散して、立ちのぼる朝もやのように淡く湖面を輝かせていた。 「とても、水があるようには見えないわね」  美蕗の言葉に、三人とも黙って頷く。  水は完璧に澄み渡っていて、はるか下にある湖底近くの岩壁の起伏まではっきりと見える。湖がある事を知らなければ、ただ空気が滞留しているだけのように思うかもしれない。鍾乳石の先端から落ちる滴が、ぽつ、ぽつっと水面に波紋を生み出しているので、辛うじてそこに空気との境目がある事がわかった。  美蕗がローファーの爪先で、コツ、と柵の根元をつついた。 「なぜ、あんな所に照明があるの? 良い眺めではあるけれど、入場料を取って客を呼び込んでいる訳でもないのでしょう?」 「地底湖があると知らずに、利用者が足を踏み外してしまったら大変ですから」 「それなら、金網でも掛けて蓋をしておいた方が安全よ。……出来ない理由があるの? 柵の高さもそれほどではないし、何だか……、そうね、下からやって来る物の邪魔にならないようにしているみたい」 「おい」  珍しく史岐が低い声を出した。  利玖は、美蕗に言いつのられた事よりも、そちらの方に驚いてびくっと体を震わせたが、そこで初めて、自分の心臓が早鐘を打っている事に気が付いた。 「不作法も大概にしろよ。ただの妄想でも、それを口に出す事自体が、良くない物を引き寄せるきっかけになり得ると、知らない訳じゃないだろう」  美蕗はゆっくりと水面から目を上げ、岩壁沿いに鍾乳洞の全体を見渡した後、利玖に向き直って微笑んだ。 「その通りね。ええ……、ごめんなさい」



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 結局、美蕗の手土産を用意するという名目で匠は屋敷に戻り、残った四人で本を探す事になった。 「柊牙さんから伺ったお話で大体のあたりはつけましたので、順番に巡っていきましょう」  先頭を歩きながら利玖が言う。一応、案内図と思しき紙を手に持っていたが、ほとんど見ずに歩いていた。  頭上に照明はない。代わりに、ほのかな光が足元に広がっている。通路脇の岩壁に覆いをつけた電球が置かれ、等間隔に並んだ光が誘導灯のように行く手を照らしているのだ。強い光ではないものの、白い鍾乳石が反射板のように機能して、歩くのには不便しなかった。  利玖の説明によると、通路の周囲には岩壁を掘って作った小部屋がいくつもあり、その中に本が分類されて収められているらしい。  時々、足元に近い岩壁に人がやっと一人通れるくらいの隙間があって、その奥には鉄板を並べただけの簡素な階段が伸びていた。恐らく、その階段が小部屋に繋がっているのだろう。階段の下の方に鎖が渡してあって、勝手に立ち入る事が出来ないようになっていたが、そんな物がなくても、ほとんどの人間が入っていくのを躊躇うような、不気味な暗がりだった。  美蕗が、ふいに足を止め、頭上を仰いだ。 「コウモリが一匹もいないわね」  左右の岩壁は、上に向かうにつれて少しずつ寄り添い、最終的には本の綴じ目のようにくっついている。この通路は、鍾乳洞の内部に自然に生じていた亀裂に道具を入れて切り拓いたらしい。  利玖が戻ってきて、美蕗の横に並んだ。 「虫や獣が入り込まないように、鍾乳洞全体に処理を施しているそうです。貴重な蔵書が、汚れたり、水に濡れたら大変ですから」 「なぜ他の場所に移さないの?」  射かけるような口調で美蕗が問うた。 「え……」 「土地の確保は容易でしょう。これだけ広大な敷地があるのだから。図書館を建てるのに幾らかかるかわかりませんけれど、鍾乳洞を切り拓いて整備するのに比べたら、そんなに変わらないのではないかしら」  美蕗は腕を組み、辺りを見渡した。 「それとも、ここでないといけない理由があるの?」 「…………」  利玖が答えられずにいると、美蕗は微笑んで「進みましょう」と促した。  歩くにつれて、水音が近づいてくる。  前方に、照明の並びが一部途切れている所があった。  岩壁が大きく窪んでいるので、向こう側に落ちないように、その部分の通路には柵が設けられている。  足元を覗き込んでみると、通路の下をくぐり、左から右に向かって勢いよく水が噴き出しているのが見えた。 「地下水流です。ここから出た後は、外の河川に合流しています」  利玖は、和室から持ち出してきた懐中電灯を点けると、ほとばしる水流が光の中に浮かび上がった。  岩壁に藻や苔は生えていない。つるりとした乳白色の洞の中を、一欠片の濁りもない水がうねりながら流れていく。恐ろしいほどの透明度で、まるでがらが流動するのを見ているようだった。 「もっと迫力のある場所がありますよ」  利玖は三人をさらに奥へと導いた。  足元の照明が再び途切れ、先ほど見かけた物よりも頑丈な柵が通路の両側に設けられている。しかし、水音は聞こえなかった。  やがて、四人の前に現れたのは、ほの青い光を放つ巨大な地底湖だった。通路は、湖面を跨ぐ形で向こう岸へ続いていた。 「お……、すげえ」  柊牙が呟く。彼の事だから、その後に皮肉の一つや二つ続くかと思ったが、それきり言葉をのんだ。  ドーム状に湖面を覆う岩壁からワイヤーのような物が下ろされ、水中深くまで届き、先端部に球状の照明が取り付けられている。その光が湖全体に拡散して、立ちのぼる朝もやのように淡く湖面を輝かせていた。 「とても、水があるようには見えないわね」  美蕗の言葉に、三人とも黙って頷く。  水は完璧に澄み渡っていて、はるか下にある湖底近くの岩壁の起伏まではっきりと見える。湖がある事を知らなければ、ただ空気が滞留しているだけのように思うかもしれない。鍾乳石の先端から落ちる滴が、ぽつ、ぽつっと水面に波紋を生み出しているので、辛うじてそこに空気との境目がある事がわかった。  美蕗がローファーの爪先で、コツ、と柵の根元をつついた。 「なぜ、あんな所に照明があるの? 良い眺めではあるけれど、入場料を取って客を呼び込んでいる訳でもないのでしょう?」 「地底湖があると知らずに、利用者が足を踏み外してしまったら大変ですから」 「それなら、金網でも掛けて蓋をしておいた方が安全よ。……出来ない理由があるの? 柵の高さもそれほどではないし、何だか……、そうね、下からやって来る物の邪魔にならないようにしているみたい」 「おい」  珍しく史岐が低い声を出した。  利玖は、美蕗に言いつのられた事よりも、そちらの方に驚いてびくっと体を震わせたが、そこで初めて、自分の心臓が早鐘を打っている事に気が付いた。 「不作法も大概にしろよ。ただの妄想でも、それを口に出す事自体が、良くない物を引き寄せるきっかけになり得ると、知らない訳じゃないだろう」  美蕗はゆっくりと水面から目を上げ、岩壁沿いに鍾乳洞の全体を見渡した後、利玖に向き直って微笑んだ。 「その通りね。ええ……、ごめんなさい」



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