夏の裏側
ー/ー 一昨年の夏、彼女はこの世を去った。
ゆらゆら揺れる水面は、夏の日差しを反射して宝石のように輝いている。湿気を含みながらも涼しい空気を吸い込むと、暑さへの憂いは多少和らいだ。
誰もいない学校のプールは時の進みが遅い。まるで空間ごと世界から取り残されているようだ。
「取り残されている・・・か。」
彼女はここで亡くなった。事故だった。未だに実感は湧かない。ついぞ湧くことは無いんじゃないかとさえ思う。僕の心は、彼女の命と共に『取り残された』ままだ。
塩素の香りが鼻腔をくすぐる。まばゆい陽光が網膜を突き刺す。虫の声が鼓膜を揺らす。略装の制服が汗を吸って身体に纏わりつく。嫌になるほどの、夏。
彼女のいない世界は時の進みが速い。いつの間にか季節は巡り、彼女を奪った夏がまたやってきた。生前の彼女と過ごした鮮やかな毎日を、否が応でも呼び起こされる。
僕にとってそれが苦痛とならないのは、彼女が未だ『取り残されている』からだ。
水槽の縁に立ち、静かに目を閉じる。潤った空気で肺を満たすと、重力に身を任せて水に倒れ込んだ。視覚、嗅覚、聴覚が消え去り、うつ伏せのまま沈みゆく感覚のみが残った。
息苦しさが消えたころ、僕はゆっくりと目を開けた。本来見えるべき水槽の底はどこにも見当たらない。広がるのは、星々が散りばめられた夜空。水中から見るその空は、水のうねりにあわせて揺らめいている。その揺らめきが近づくにつれ、もう一つの水面が迫ってきていることを悟った。
水槽の底に足をつけ、もう一つの水面から上半身を出した。ここは夏の裏側。世界から、そして時間からも取り残されたこの場所には、
「久しぶりだね。」
あの日のままの彼女が存在しているのだった。
一昨年の夏、彼女は取り残された世界の住人になった。
ゆらゆら揺れる水面は、夏の月光を反射して灯火のように輝いている。湿気を帯びつつも澄んだ夜の空気を吸い込むと、彼女と会えた幸福は増幅された。
この世界は、夏の間だけ僕が生きる世界と繋がる。どれだけ時間が経過しても夜は明けず、常に満点の星が彼女を照らす。
「今年も来てくれたんだね。会えて嬉しいよ。」
「僕も。元気だった?」
彼女は笑顔で頷いた。腰まで伸びた艷やかな髪が揺れる。プールサイドに立つ彼女は、生前となんら変わらず美しかった。
取り残された僕達の、たった二人だけの世界。
取り残された彼女の魂に、取り残された彼女への恋情に、僕は今年も会いに来た。
ゆらゆら揺れる水面は、夏の日差しを反射して宝石のように輝いている。湿気を含みながらも涼しい空気を吸い込むと、暑さへの憂いは多少和らいだ。
誰もいない学校のプールは時の進みが遅い。まるで空間ごと世界から取り残されているようだ。
「取り残されている・・・か。」
彼女はここで亡くなった。事故だった。未だに実感は湧かない。ついぞ湧くことは無いんじゃないかとさえ思う。僕の心は、彼女の命と共に『取り残された』ままだ。
塩素の香りが鼻腔をくすぐる。まばゆい陽光が網膜を突き刺す。虫の声が鼓膜を揺らす。略装の制服が汗を吸って身体に纏わりつく。嫌になるほどの、夏。
彼女のいない世界は時の進みが速い。いつの間にか季節は巡り、彼女を奪った夏がまたやってきた。生前の彼女と過ごした鮮やかな毎日を、否が応でも呼び起こされる。
僕にとってそれが苦痛とならないのは、彼女が未だ『取り残されている』からだ。
水槽の縁に立ち、静かに目を閉じる。潤った空気で肺を満たすと、重力に身を任せて水に倒れ込んだ。視覚、嗅覚、聴覚が消え去り、うつ伏せのまま沈みゆく感覚のみが残った。
息苦しさが消えたころ、僕はゆっくりと目を開けた。本来見えるべき水槽の底はどこにも見当たらない。広がるのは、星々が散りばめられた夜空。水中から見るその空は、水のうねりにあわせて揺らめいている。その揺らめきが近づくにつれ、もう一つの水面が迫ってきていることを悟った。
水槽の底に足をつけ、もう一つの水面から上半身を出した。ここは夏の裏側。世界から、そして時間からも取り残されたこの場所には、
「久しぶりだね。」
あの日のままの彼女が存在しているのだった。
一昨年の夏、彼女は取り残された世界の住人になった。
ゆらゆら揺れる水面は、夏の月光を反射して灯火のように輝いている。湿気を帯びつつも澄んだ夜の空気を吸い込むと、彼女と会えた幸福は増幅された。
この世界は、夏の間だけ僕が生きる世界と繋がる。どれだけ時間が経過しても夜は明けず、常に満点の星が彼女を照らす。
「今年も来てくれたんだね。会えて嬉しいよ。」
「僕も。元気だった?」
彼女は笑顔で頷いた。腰まで伸びた艷やかな髪が揺れる。プールサイドに立つ彼女は、生前となんら変わらず美しかった。
取り残された僕達の、たった二人だけの世界。
取り残された彼女の魂に、取り残された彼女への恋情に、僕は今年も会いに来た。
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