第3話:強欲の報酬(バウンティ・ラッシュ)
ー/ー 巨大なドーム天井を埋め尽くす空中ホログラム・スクリーンに、血のような変則発光を伴う黄金の文字列が躍動した。
『第一遊戯:バウンティ・ラッシュ(賞金首疾走)』
空間を圧していた怒号と嗚咽が、一瞬で凍りつく。
壇上の及川は、仕立ての良い防弾スーツの袖口から覗くサイバー端末を優雅に操作しながら、網膜を細めて氷のような笑みを浮かべた。
「ルールは至ってシンプルじゃ。これはな、お前たち社会の産業廃棄物どもが、己の肉体に“最後の値段”をつけるゲームよ」
及川の細い指先が空間をなぞると、スクリーンの映像が切り替わり、暗黒の鋼鉄迷宮を這い回る「それ」が映し出された。
多脚型の金属フレーム、冷徹なクロムでコーティングされた装甲、そして中央で狂気的に脈動する真紅の光学センサー。
自律型殺戮追跡機――『リーパー(死神)』。
四国の裏社会で「未登録の不法滞在者」を間引くために使われる非合法ハンターマシンの名に、数人の債務者が短い悲鳴を漏らした。
「今からお前らの網膜デバイスに、手持ちの債務プレート(チップ)を何枚賭けるかの入力プロンプトを送る。その額はそのまま、この船底の迷宮における、お前らの首にかかる“賞金(ヘイト値)”となる」
及川の声は淡々としていたが、その底には絶対的な捕食者が持つ残酷な愉悦がギラギラと滲んでいた。
「制限時間は10分。このエルドラドの最下層に広がるドック迷宮を逃げ切り、生きて生存エリアへ帰還すれば、賭け金は2倍にして返還する。だが――」
老人は人差し指を立て、チッチッチと左右に振った。
「リーパーの爪が、お前らの生体組織に一瞬でも触れた瞬間、全財産は没収。……当然、その命もな」
広間が激しくざわめく。その混沌を突き破り、一人のサイバー浮浪者が叫んだ。
「だったら、1枚だけ賭けて、スタート地点の物陰で震えてりゃあ、確実に生き残れるじゃねえか!」
「カカッ、賢いようで、実に浅はかじゃのぉ、ドブネズミが」
及川が指を鳴らすと、背後のホログラムに、賭け金(賞金額)とリーパーの「索敵アルゴリズム」の対応表が展開された。
【懸賞金額とリーパーの追跡難易度マトリクス】 1〜3枚 :通常索敵(低周波巡回モード) 4〜7枚 :高速追跡(アクティブ・ソナー解放) 8〜15枚:【位置情報リアルタイム常時公開】 16枚以上:【ドローンによる逃走ルート強制封鎖・殺戮モード】
「リーパーの超高性能AIはな、“高価な獲物”を最優先で狩るように最適化されとる。1枚の小物を追うほど、死神の処理能力(リソース)は安うない。じゃが――」
及川の機械化された左眼が、愉悦に細められる。
「欲をかいて10枚、20枚と賭けてみい。リーパーの全演算能力がお前ひとりに集中し、その網膜IDを地獄の果てまで追跡するようになる。……さあ、選べ。安全なドブネズミとして惨めに行き延びるか、高価な獲物として獰猛に散るか。入力期限は――残り30秒じゃ」
天井のスピーカーから、脳髄を直撃する重低音のカウントダウンが鳴り響き始めた。
――30。
忠茂の手のひらが、じっとりと熱い汗に濡れる。
手持ちは20枚。全額賭けて逃げ切れば、一撃で40枚となり借金は完済、この地獄からおさらばできる。だが、20枚は「逃走ルート封鎖」。強化外骨格なしの生身では、文字通りの死刑宣告だ。
――25。
半分。10枚。
逃げ切れば20枚。完済には届かないが、生きてさえいれば次がある。
だが、10枚のペナルティは『位置情報リアルタイム常時公開』だ。常に居場所をリーパーに、そして他の生存者に曝され続ける。
――20。
ピコン、ピコンと、周囲の債務者たちの絶望的な確定音が鳴り響く。視界の端に、生存者たちの設定額のログが激流のように流れた。
『1』『1』『2』『1』――大半は、命を惜しむ震える雑魚だ。
だが、その濁流の中で、ひときわ異様な、血のように赤いログが網膜を焼いた。
『50』
狂気。手持ちの20枚を超えている。つまり、先ほど及川が放ったレーザーで硬直した男から、どさくさに紛れてプレートを毟り取って上乗せしたのだ。
広間の中央で、違法な軍用サイバネティクスで全身を武装した髭面の大男が、下卑た咆哮を上げていた。
「来いやァ、クソ機械! 俺の肉体原価を舐めるなよ!」
忠茂は、その大男の不自然に肥大した脚部パーツを一瞬で見抜いた。
(……直進のみの突進型サイバネティクスか。いい前衛(デコイ)がいる。あいつがリーパーの初期ヘイトをすべて吸う)
――15。
心臓が、肋骨を叩き割らんばかりに脈打つ。
(山口……お前なら、いくら賭ける?)
かつて『アイアン・ドライブ』のユース時代、絶望的な点差の最終クォーターで、笑いながら「俺の背中だけ見て走れ」と言い放った、あの裏切り者の背中が脳裏をよぎる。あいつの無茶な戦術眼が、今の忠茂の脳内で冷徹な数式へと変換されていく。
リーパーの索敵アルゴリズム。50枚のデコイの移動速度。1枚の雑魚どもの密集地帯。そのすべての隙間を縫って、最も効率的にリーパーを撒き、かつ次戦への軍資金を最大化できる最適解の数字――。
――10。
忠茂は息を止め、視線入力でその「数字」を虚空に叩きつけ、生体認証を確定した。
乾いた電子音が、彼の脳内で爆発した。
『有賀忠茂:設定賞金額 10枚。難易度:【位置情報常時公開】確定』
「強欲なバカと、賢しいドブネズミが出揃ったようじゃな」
及川が残酷に手を叩くと同時に、三百人が立つ鋼鉄の床が、轟音とともに左右へスライドした。
眼下に広がるのは、油臭い蒸気と赤色灯が明滅する、巨大な船底ドックの暗黒迷宮。そしてそこには、前話でせり上がってきた、無骨な戦闘用強化外骨格(エグゾスケルトン)の群れが、牙を剥いて格納されていた。
「――死神(リーパー)の、放免じゃ」
床が消えた。
重力に引かれ、暗闇へと落下する忠茂の耳の奥に、及川の冷徹な残響が突き刺さる。
「走れ、バグ共。死にたくなければな」
凄まじい衝撃とともに、忠茂の足は、冷たい船底の鉄板を捉えていた。
ガガガガガッ! と頭上から不気味な駆動音が響く。
彼の網膜に、最悪のカウントダウンと、自らの位置を示す巨大な赤色ビーコンが強制展開された。
『警告:リーパー起動まで、あと10秒。あなたの現在地は、全生存者および追跡機に常時共有されています』
暗闇の中、忠茂の目の前にあったのは、錆びついた旧式の強化外骨格『アイアン・レスキュー』のハッチだった。
恐怖はない。ただ、圧倒的な戦慄と歓喜の混ざった笑みが、彼の唇を歪めていた。
「……上等だ。位置がバレてんなら、全員まとめてブチ抜いてやるよ」
元プロ候補生の指先が、強化外骨格の起動キーへと、電撃のように伸びた。
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