相棒はポット

ー/ー



「ふん、魔力もなけりゃ剣も振れん。お前のような“お湯を沸かすしか能のない女”など、我が公爵家には不要だ!」

 そう言い放った兄の声と同時に、馬車の窓から私のカバンがぽいっと投げ捨てられた。

 続いて、そっと。

 ネルドリップのポットが、まるで壊れ物注意の荷物みたいに丁寧に置かれた。

 ……いや、なんでそこだけ優しいのよ。

「ミリー! そのポットは父上の愛用品だ! 傷つけたら殺されるぞ!」

「私よりポットの方が大事なの!?」

 兄のドヤ顔が馬車の窓から覗く。
 ああ、この顔。昔から“自分は完璧だ”って思ってるタイプのやつだ。

「お前のような無能は、公爵家には不要だ!」

「はいはい、了解です。じゃあ二度と呼ばないでねー」

「……なんだその軽さは!」

 兄が怒鳴るが、私はもう聞いていない。
 だって、怒鳴り声ってコーヒーの香りの邪魔になるんだもの。

 私はポットを抱え、くるりと背を向けた。

「さて。追放されたし、コーヒーでも淹れに行きますか」

 前世の記憶を持って転生した私が授かった固有スキルは【至高の抽出】。
 戦闘にも内政にも役に立たない、ただの“最高のコーヒーを淹れるスキル”。

 公爵家の令嬢としては完全にアウト。
 でも、コーヒー好きとしては完全にセーフ。

「……ま、いいわ。あんなカビ臭い家、こっちから願い下げよ」

 私は埃を払い、ポットを抱えて歩き出した。

 ◆

 王都の片隅。
 日が当たらない代わりに、静寂とちょっとした怪しさが支配する路地裏。

 その奥に、古びた看板がひっそりと掛かっていた。

『シュティルレダ』

「……なんか強そうな名前ね」

 ドアを開けると、カランコロンと乾いた鈴の音が響いた。

「……客か。悪いが、うちは愛想を売る店じゃない」

 カウンターの奥で新聞を広げていたのは、驚くほど渋いおじ様だった。

 白髪混じりの髪を後ろに流し、彫りの深い顔立ち。
 左目には薄い傷跡。
 黒いベストが似合いすぎてて、ちょっと反則。

「雇ってください。私、お湯を沸かすことにかけては天才的なんです」

「帰れ。ガキの遊び場じゃない」

 即答。
 でも私は諦めない。

 黙ってポットを置き、カバンから厳選した豆を取り出す。
(道中で野生のコーヒーの木を見つけたのだ。異世界、最高。)

 店の片隅にある魔石式コンロを勝手に借り、温度を調整し始める。

「おい、聞いてるのか――」

 マスターの声が止まった。

 豆を挽き、お湯を注いだ瞬間。
 立ち昇る香りが、店の空気を一変させた。

 甘く、深く、どこか懐かしい。
 魂の奥をノックしてくるような香り。

 私は丁寧に、一滴一滴を“置いていく”。

【至高の抽出】。
 水の分子に魔力を乗せ、豆の本来の輝きを引き出すスキル。

「……どうぞ」

 マスターは疑わしげにカップを口に運んだ。

 そして――

「……なんだ、これは。俺は長年、戦場でも王宮でもあらゆる飲み物を飲んできたが……こんな、心が震える一杯は初めてだ」

 渋い顔のまま、目だけが驚いている。
 そのギャップがまた反則。

「ミリーと言います。お給料は、屋根裏部屋と三食でいいです」

 マスターはふっと口角を上げた。

「……俺はベック。好きにしろ。ただし、豆を切らしたら即刻叩き出すぞ」

 こうして私は、路地裏の喫茶店の看板娘になった。



 第2章:噂は香りに乗って


『シュティルレダ』で働き始めて一ヶ月。

 最初は「渋い店主と勝手に働き始めた少女」という怪しい組み合わせだったけれど、
 今では――

「すみません! 今日の整理券、もう終わってますか!?」
「昨日の分は昨日のうちに終わりました!」

 ……店の前に行列ができるほどの人気店になっていた。

 原因はもちろん、私のコーヒー。
 いや、正確には【至高の抽出】のせいだ。

「ミリーちゃんのコーヒー飲むと、三日寝てないのに元気になるんだよなぁ」
「私は逆に、飲んだ瞬間に寝落ちしたわ。なんで?」

「知らないです。私も怖いです」

 効果が人によって違うのが謎すぎる。
 でも美味しいから許されている。

 ◆

 店内では、今日も常連たちが好き勝手にくつろいでいた。

「ミリー、少し休め。お前が倒れたら、俺はこの店の客全員を敵に回すことになる」

 カウンターの奥で、ベックさんが渋い顔で言う。
 渋い顔なのに、言ってることは完全に保護者。

「ふふ、ベックさんが守ってくれるんでしょ?」

「……馬鹿を言え。俺はただの店主だ」

 と言いながら、腰の剣を磨いている。
 いや、それ絶対“ただの店主”の装備じゃない。

「マスター、今日も最高の一杯を頼む」

 騎士団長が入ってきた。
 この人、飲むたびに泣くから困る。

「うっ……今日も……心に……沁みる……!」

 ほら、泣いた。

「団長、泣くのはいいけど、鎧の中に涙が入ると錆びますよ」

「それでも構わん……!」

 いや構えよ。

 次に入ってきたのは、フードを深くかぶった賢者様。

「今日も……悟りを……」

「開かないでくださいね!? 店で悟らないでくださいね!?」

「……では、半分だけ」

 半分って何。

 ◆

 そんなカオスな日常の中、私は幸せだった。

 ベックさんは口数が少ないけれど、
 私が火傷をすれば黙って冷石を差し出してくれるし、
 重い荷物は「触るな」と言って全部持っていく。

「ミリー、これは俺がやる」

「え、でも――」

「いいから」

 渋い。
 渋いのに、優しさが滲み出ててずるい。

「……ベックさん、もしかして私のこと――」

「違う」

 即答。
 早い。
 でもなんか恥ずかしそう。

 この人、ほんとにずるい。

 ◆

 そんなある日のことだった。

 店のドアが、バァン! と乱暴に開かれた。

「おい! ここか、噂の店は! この私を三十分も待たせるとは、どんな不届きな店主だ!」

 豪華な毛皮を羽織った青年――
 私の兄、カイルが登場した。

 ……うわぁ、来た。

 後ろには父の側近たちもずらり。
 完全に“偉い人が来ました”のテンション。

 カイルはカウンターに座るなり、私を見て目を見開いた。

「……ミリー!? 貴様、こんな薄汚い店で何を……。ああ、なるほど。魔力のない無能が、平民相手に泥水を売って日銭を稼いでいるわけか」

 店内が静まり返る。

 騎士団長の眉がピクリ。
 賢者様のフードがピクッ。

「お兄様、お久しぶりです。ここは『泥水』ではなく、最高のコーヒーを出すお店ですよ」

「黙れ! 公爵家の名に泥を塗りおって。おい、店主! この出来損ないを今すぐクビにしろ!」

 ベックさんが、ゆっくりと新聞を置いた。

 その瞬間、空気が凍りつく。

「……小僧。うちの看板娘に、ずいぶんな言い草だな」

「なんだと? 貴様、私が誰だか――」

「公爵家の息子だろうが、神の使いだろうが関係ねえ。この店で一番偉いのは、最高の一杯を淹れるミリーだ」

 店内の常連たちが一斉に頷く。

「そうだそうだ!」
「ミリーちゃんはこの店の宝だぞ!」
「悟りを開きかけた私が言うのだから間違いない」

 賢者様、それは説得力あるのかないのか。

「……ミリー、淹れてやれ。こいつが二度と、うちの敷居を跨げなくなるようなやつをな」

「了解です、マスター」

 私は最高級の豆を手に取った。

 これまでの感謝と、ほんの少しの“お返し”を込めて。



 第3章:至高の抽出、そして決着


 兄・カイルの乱入で店内が凍りついたまま、
 私は静かに豆を手に取った。

「ミリー、淹れてやれ。こいつが二度と、うちの敷居を跨げなくなるような一杯をな」

 ベックさんの声は低くて渋い。
 でも言ってる内容は完全にコメディ。

「了解です、マスター」

 私は深呼吸し、豆を挽き始めた。

 ゴリゴリゴリ……。

 その音だけで、店内の常連たちがざわつく。

「きた……! ミリーちゃんの“本気モード”だ……!」
「今日は悟りじゃ済まないかもしれん……」
「団長、泣く準備はいいですか?」
「もう泣いてる……!」

 泣くの早い。

 ◆

 私はお湯を注ぎながら、スキルを発動した。

【至高の抽出:覚醒】

 水の分子に魔力を乗せ、
 “飲む者の精神を極限まで研ぎ澄ませる”という、
 ちょっと危険なバージョン。

「……お兄様。どうぞ」

 カイルは鼻で笑いながらカップを掴んだ。

「ふん、たかがコーヒーごとき――」

 その瞬間。

「っ……!? な、なんだこれは……!」

 兄の顔から血の気が引き、目が見開かれる。

「うわ、効きすぎでは?」
「ミリーちゃん、今日のは強烈だな……」
「これは……精神に直接……!」

 賢者様、実況しないで。

 カイルは震える声で叫び始めた。

「わ、私は……妹の才能を恐れていた……!
 自分には何もない……家柄に縋っているだけの……空っぽの人間だ……!」

 店内の常連たちが一斉に拍手。

「言った! ついに言った!」
「ミリーちゃんのコーヒー、ついに人を更生させたぞ!」
「これはもう薬じゃなくて武器だろ……」

 兄は涙と鼻水を垂らしながら、側近たちに抱えられて店を飛び出していった。

 その間、ベックさんは落ちたカップだけは超反応でキャッチしていた。

「……割れたらもったいねえからな」

 いや、そこだけ真剣。

 ◆

 兄たちが去ったあと、店内は静寂に包まれた。

 そして――

「ブラボー!!」

 割れんばかりの拍手が起きた。

 騎士団長は号泣し、
 賢者様は「今日こそ悟った」とか言い出し、
 ベックさんは新聞を読み直すふりをして耳を赤くしていた。

 私は深く息を吐いた。

「……やりすぎたかな?」

「いや、ちょうどいい」

 ベックさんがぼそっと言う。

「ミリー、お前の一杯は時に剣より鋭い。……誇れ」

 渋い。
 渋いのに、言ってることは完全に褒めてる。

「……ありがとうございます、マスター」

 私は照れながら頭を下げた。


 ◆
 兄たちが去り、店が静かになった夜。
 私は片付けをしながら、今日の出来事を思い返していた。

「……やりすぎたんじゃないか?」

 カウンター越しに、ベックさんが苦笑しながら言う。
 渋い顔のまま、ちょっとだけ眉が下がっている。

「だって、せっかくのコーヒーを“泥水”なんて言うんですもの。
 少しだけ、自分と向き合ってもらっただけですよ」

「少し、ね……?」

 ベックさんは新聞を閉じ、ため息をついた。

「お前の淹れる一杯は、時に剣より鋭い。……誇れ」

「えっ、褒めてます?」

「褒めてる」

 即答。
 でも耳が赤い。
 この人、ほんとにずるい。

 私は照れ隠しに、カップを拭く手を早めた。

「ミリー」

「はい?」

「お前はもう、どこへ行く必要もない。ここは……お前の店だ」

「……っ」

 胸がじんわり温かくなる。
 でも、ここで素直に泣いたら負けな気がする。

「じゃあ、マスター。明日の朝、特別な一杯を淹れますね」

「……特別?」

「はい。甘いやつです」

「……甘いのか」

 ベックさんが、ほんの少しだけ目をそらした。
 渋い顔のまま照れてるの、反則。

 私は笑いながら窓の外を見た。

 夜の王都は静かで、星が瞬いている。
 路地裏の店は小さいけれど、ここは私の城だ。

 役立たずと呼ばれた少女は、
 今や王都一の騎士や賢者が頭を下げる喫茶店の看板娘。

 そして隣には、渋くて優しくて、ちょっと不器用な相棒がいる。

「……よし。明日の豆、挽いておこう」

 私はポットを手に取り、軽く撫でた。

「明日もよろしくね、相棒」

 ポットが、気のせいか“コポッ”と鳴った気がした。

 ……いや、気のせいだよね?

 たぶん。



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「ふん、魔力もなけりゃ剣も振れん。お前のような“お湯を沸かすしか能のない女”など、我が公爵家には不要だ!」
 そう言い放った兄の声と同時に、馬車の窓から私のカバンがぽいっと投げ捨てられた。
 続いて、そっと。
 ネルドリップのポットが、まるで壊れ物注意の荷物みたいに丁寧に置かれた。
 ……いや、なんでそこだけ優しいのよ。
「ミリー! そのポットは父上の愛用品だ! 傷つけたら殺されるぞ!」
「私よりポットの方が大事なの!?」
 兄のドヤ顔が馬車の窓から覗く。
 ああ、この顔。昔から“自分は完璧だ”って思ってるタイプのやつだ。
「お前のような無能は、公爵家には不要だ!」
「はいはい、了解です。じゃあ二度と呼ばないでねー」
「……なんだその軽さは!」
 兄が怒鳴るが、私はもう聞いていない。
 だって、怒鳴り声ってコーヒーの香りの邪魔になるんだもの。
 私はポットを抱え、くるりと背を向けた。
「さて。追放されたし、コーヒーでも淹れに行きますか」
 前世の記憶を持って転生した私が授かった固有スキルは【至高の抽出】。
 戦闘にも内政にも役に立たない、ただの“最高のコーヒーを淹れるスキル”。
 公爵家の令嬢としては完全にアウト。
 でも、コーヒー好きとしては完全にセーフ。
「……ま、いいわ。あんなカビ臭い家、こっちから願い下げよ」
 私は埃を払い、ポットを抱えて歩き出した。
 ◆
 王都の片隅。
 日が当たらない代わりに、静寂とちょっとした怪しさが支配する路地裏。
 その奥に、古びた看板がひっそりと掛かっていた。
『シュティルレダ』
「……なんか強そうな名前ね」
 ドアを開けると、カランコロンと乾いた鈴の音が響いた。
「……客か。悪いが、うちは愛想を売る店じゃない」
 カウンターの奥で新聞を広げていたのは、驚くほど渋いおじ様だった。
 白髪混じりの髪を後ろに流し、彫りの深い顔立ち。
 左目には薄い傷跡。
 黒いベストが似合いすぎてて、ちょっと反則。
「雇ってください。私、お湯を沸かすことにかけては天才的なんです」
「帰れ。ガキの遊び場じゃない」
 即答。
 でも私は諦めない。
 黙ってポットを置き、カバンから厳選した豆を取り出す。
(道中で野生のコーヒーの木を見つけたのだ。異世界、最高。)
 店の片隅にある魔石式コンロを勝手に借り、温度を調整し始める。
「おい、聞いてるのか――」
 マスターの声が止まった。
 豆を挽き、お湯を注いだ瞬間。
 立ち昇る香りが、店の空気を一変させた。
 甘く、深く、どこか懐かしい。
 魂の奥をノックしてくるような香り。
 私は丁寧に、一滴一滴を“置いていく”。
【至高の抽出】。
 水の分子に魔力を乗せ、豆の本来の輝きを引き出すスキル。
「……どうぞ」
 マスターは疑わしげにカップを口に運んだ。
 そして――
「……なんだ、これは。俺は長年、戦場でも王宮でもあらゆる飲み物を飲んできたが……こんな、心が震える一杯は初めてだ」
 渋い顔のまま、目だけが驚いている。
 そのギャップがまた反則。
「ミリーと言います。お給料は、屋根裏部屋と三食でいいです」
 マスターはふっと口角を上げた。
「……俺はベック。好きにしろ。ただし、豆を切らしたら即刻叩き出すぞ」
 こうして私は、路地裏の喫茶店の看板娘になった。
 第2章:噂は香りに乗って
『シュティルレダ』で働き始めて一ヶ月。
 最初は「渋い店主と勝手に働き始めた少女」という怪しい組み合わせだったけれど、
 今では――
「すみません! 今日の整理券、もう終わってますか!?」
「昨日の分は昨日のうちに終わりました!」
 ……店の前に行列ができるほどの人気店になっていた。
 原因はもちろん、私のコーヒー。
 いや、正確には【至高の抽出】のせいだ。
「ミリーちゃんのコーヒー飲むと、三日寝てないのに元気になるんだよなぁ」
「私は逆に、飲んだ瞬間に寝落ちしたわ。なんで?」
「知らないです。私も怖いです」
 効果が人によって違うのが謎すぎる。
 でも美味しいから許されている。
 ◆
 店内では、今日も常連たちが好き勝手にくつろいでいた。
「ミリー、少し休め。お前が倒れたら、俺はこの店の客全員を敵に回すことになる」
 カウンターの奥で、ベックさんが渋い顔で言う。
 渋い顔なのに、言ってることは完全に保護者。
「ふふ、ベックさんが守ってくれるんでしょ?」
「……馬鹿を言え。俺はただの店主だ」
 と言いながら、腰の剣を磨いている。
 いや、それ絶対“ただの店主”の装備じゃない。
「マスター、今日も最高の一杯を頼む」
 騎士団長が入ってきた。
 この人、飲むたびに泣くから困る。
「うっ……今日も……心に……沁みる……!」
 ほら、泣いた。
「団長、泣くのはいいけど、鎧の中に涙が入ると錆びますよ」
「それでも構わん……!」
 いや構えよ。
 次に入ってきたのは、フードを深くかぶった賢者様。
「今日も……悟りを……」
「開かないでくださいね!? 店で悟らないでくださいね!?」
「……では、半分だけ」
 半分って何。
 ◆
 そんなカオスな日常の中、私は幸せだった。
 ベックさんは口数が少ないけれど、
 私が火傷をすれば黙って冷石を差し出してくれるし、
 重い荷物は「触るな」と言って全部持っていく。
「ミリー、これは俺がやる」
「え、でも――」
「いいから」
 渋い。
 渋いのに、優しさが滲み出ててずるい。
「……ベックさん、もしかして私のこと――」
「違う」
 即答。
 早い。
 でもなんか恥ずかしそう。
 この人、ほんとにずるい。
 ◆
 そんなある日のことだった。
 店のドアが、バァン! と乱暴に開かれた。
「おい! ここか、噂の店は! この私を三十分も待たせるとは、どんな不届きな店主だ!」
 豪華な毛皮を羽織った青年――
 私の兄、カイルが登場した。
 ……うわぁ、来た。
 後ろには父の側近たちもずらり。
 完全に“偉い人が来ました”のテンション。
 カイルはカウンターに座るなり、私を見て目を見開いた。
「……ミリー!? 貴様、こんな薄汚い店で何を……。ああ、なるほど。魔力のない無能が、平民相手に泥水を売って日銭を稼いでいるわけか」
 店内が静まり返る。
 騎士団長の眉がピクリ。
 賢者様のフードがピクッ。
「お兄様、お久しぶりです。ここは『泥水』ではなく、最高のコーヒーを出すお店ですよ」
「黙れ! 公爵家の名に泥を塗りおって。おい、店主! この出来損ないを今すぐクビにしろ!」
 ベックさんが、ゆっくりと新聞を置いた。
 その瞬間、空気が凍りつく。
「……小僧。うちの看板娘に、ずいぶんな言い草だな」
「なんだと? 貴様、私が誰だか――」
「公爵家の息子だろうが、神の使いだろうが関係ねえ。この店で一番偉いのは、最高の一杯を淹れるミリーだ」
 店内の常連たちが一斉に頷く。
「そうだそうだ!」
「ミリーちゃんはこの店の宝だぞ!」
「悟りを開きかけた私が言うのだから間違いない」
 賢者様、それは説得力あるのかないのか。
「……ミリー、淹れてやれ。こいつが二度と、うちの敷居を跨げなくなるようなやつをな」
「了解です、マスター」
 私は最高級の豆を手に取った。
 これまでの感謝と、ほんの少しの“お返し”を込めて。
 第3章:至高の抽出、そして決着
 兄・カイルの乱入で店内が凍りついたまま、
 私は静かに豆を手に取った。
「ミリー、淹れてやれ。こいつが二度と、うちの敷居を跨げなくなるような一杯をな」
 ベックさんの声は低くて渋い。
 でも言ってる内容は完全にコメディ。
「了解です、マスター」
 私は深呼吸し、豆を挽き始めた。
 ゴリゴリゴリ……。
 その音だけで、店内の常連たちがざわつく。
「きた……! ミリーちゃんの“本気モード”だ……!」
「今日は悟りじゃ済まないかもしれん……」
「団長、泣く準備はいいですか?」
「もう泣いてる……!」
 泣くの早い。
 ◆
 私はお湯を注ぎながら、スキルを発動した。
【至高の抽出:覚醒】
 水の分子に魔力を乗せ、
 “飲む者の精神を極限まで研ぎ澄ませる”という、
 ちょっと危険なバージョン。
「……お兄様。どうぞ」
 カイルは鼻で笑いながらカップを掴んだ。
「ふん、たかがコーヒーごとき――」
 その瞬間。
「っ……!? な、なんだこれは……!」
 兄の顔から血の気が引き、目が見開かれる。
「うわ、効きすぎでは?」
「ミリーちゃん、今日のは強烈だな……」
「これは……精神に直接……!」
 賢者様、実況しないで。
 カイルは震える声で叫び始めた。
「わ、私は……妹の才能を恐れていた……!
 自分には何もない……家柄に縋っているだけの……空っぽの人間だ……!」
 店内の常連たちが一斉に拍手。
「言った! ついに言った!」
「ミリーちゃんのコーヒー、ついに人を更生させたぞ!」
「これはもう薬じゃなくて武器だろ……」
 兄は涙と鼻水を垂らしながら、側近たちに抱えられて店を飛び出していった。
 その間、ベックさんは落ちたカップだけは超反応でキャッチしていた。
「……割れたらもったいねえからな」
 いや、そこだけ真剣。
 ◆
 兄たちが去ったあと、店内は静寂に包まれた。
 そして――
「ブラボー!!」
 割れんばかりの拍手が起きた。
 騎士団長は号泣し、
 賢者様は「今日こそ悟った」とか言い出し、
 ベックさんは新聞を読み直すふりをして耳を赤くしていた。
 私は深く息を吐いた。
「……やりすぎたかな?」
「いや、ちょうどいい」
 ベックさんがぼそっと言う。
「ミリー、お前の一杯は時に剣より鋭い。……誇れ」
 渋い。
 渋いのに、言ってることは完全に褒めてる。
「……ありがとうございます、マスター」
 私は照れながら頭を下げた。
 ◆
 兄たちが去り、店が静かになった夜。
 私は片付けをしながら、今日の出来事を思い返していた。
「……やりすぎたんじゃないか?」
 カウンター越しに、ベックさんが苦笑しながら言う。
 渋い顔のまま、ちょっとだけ眉が下がっている。
「だって、せっかくのコーヒーを“泥水”なんて言うんですもの。
 少しだけ、自分と向き合ってもらっただけですよ」
「少し、ね……?」
 ベックさんは新聞を閉じ、ため息をついた。
「お前の淹れる一杯は、時に剣より鋭い。……誇れ」
「えっ、褒めてます?」
「褒めてる」
 即答。
 でも耳が赤い。
 この人、ほんとにずるい。
 私は照れ隠しに、カップを拭く手を早めた。
「ミリー」
「はい?」
「お前はもう、どこへ行く必要もない。ここは……お前の店だ」
「……っ」
 胸がじんわり温かくなる。
 でも、ここで素直に泣いたら負けな気がする。
「じゃあ、マスター。明日の朝、特別な一杯を淹れますね」
「……特別?」
「はい。甘いやつです」
「……甘いのか」
 ベックさんが、ほんの少しだけ目をそらした。
 渋い顔のまま照れてるの、反則。
 私は笑いながら窓の外を見た。
 夜の王都は静かで、星が瞬いている。
 路地裏の店は小さいけれど、ここは私の城だ。
 役立たずと呼ばれた少女は、
 今や王都一の騎士や賢者が頭を下げる喫茶店の看板娘。
 そして隣には、渋くて優しくて、ちょっと不器用な相棒がいる。
「……よし。明日の豆、挽いておこう」
 私はポットを手に取り、軽く撫でた。
「明日もよろしくね、相棒」
 ポットが、気のせいか“コポッ”と鳴った気がした。
 ……いや、気のせいだよね?
 たぶん。