若者の旅に地図はいらない
ー/ー「まったく自業自得なんだよ!」
腹立ちまぎれに、岡崎が足元の小石を蹴り上げた。玉石だらけの川原を、あちこちぶつかりながら小石が転がっていく。最後に大きく跳ね上がって、ほかの石の間にまぎれ込んだ。そこを睨みつけ、岡崎は忌々しげに煙草を口に運ぶ。
岡崎が煙草に火をつけたのは、バス停があった空き地を出発して以来のこと。あれからすでに一時間以上経っている。
「そうカリカリするなって。お前だって、こうして一服できたんだし」
川下へ棚引いていく煙を見つめながら、真一は岡崎をなだめる。
真一たちは、川原の真ん中に立っている。周囲を満たす清らかな瀬音。春の渓谷を渡る風は、きりっと冷たい。
「でも、いつになったら出発できるんですかね。あの様子じゃ、当分無理でしょ」
すがめた目の先で、小林が前かがみになった長岡の背中をさすっている。川原の先端だ。大丈夫か、とさっきから小林が何度も声をかけているが、長岡は曖昧に返事をするだけで、顔を上げられない。
「おぅえええっ」
見ているそばから、またえづき出した。小林がちょうど振り返って、真一たちのほうに来ようとしたところだったが、襟首をつかまれたみたいに取って返した。
チッ、と岡崎が舌を鳴らす。
「ほっときゃいいんですよ、あんな奴。さんざん注意したでしょ俺たち。言うこと聞かなかったあいつが悪いんですから」
岡崎の怒りはもっともだ。こうなった原因は、ひとえに長岡自身にある。
さかのぼること約一時間半前。長岡は空き地の向かいの田舎商店で、棒アイスとスナック菓子、それに本日発売の漫画週刊誌を二冊買った。どちらの漫画も発売日を心待ちにしていた長岡は、車に乗り込むなり、むさぼるように読み始めた。道中ずっと静かだったのは、漫画に熱中していたからだ。
真一たちは、再三忠告した。車酔いになるぞ、と。
だが、長岡は生返事を返すばかりで、一向に改めようとしない。やがて遠くに見えていた山並みが迫ってきて、山懐に車が吸い込まれた。
長岡はここで一旦漫画を閉じた。カーブの多い山道で活字を追うことは難しい。真一たちは、さすがにあきらめたのだろうと思った。
だが、長岡の旺盛な読書熱は、こんなことくらいでは冷めなかった。少ししてまた表紙を開くと、大きく体が揺さぶられるのもかまわず、ページをめくり続けた。ときに真一に寄りかかり、ときに窓ガラスに頭をぶつけて痛そうな音を立てながらも、なお漫画を手放さない。その執念は、もはや称賛に値した。
ここまでくると、もう長岡を注意する者はいなかった。オナニーを覚えた猿と一緒だな、と岡崎が吐き捨てたのを最後に、真一たちは自分たちの会話に没頭した。
それからしばらく――
「ちょっと……停めてくれ……」
会話にかすれた声がまぎれ込んだ。蚊の鳴くような声だったので、最初は空耳かと思った。だが、隣を見ると、ドアとシートの間に、長岡がぐったりともたれかかっていた。
そもそも、知らない道を行ってみようと言ったのは長岡だ。バカ正直に国道を走っていても面白くない。いずれ出てくる観光名所は、どこも中身が知れたところばかり。入場料を取るところは、なおさら行く気がしない。真一がなにげなく道端の看板のレジャー施設の名を読み上げたら、長岡に一笑に付されてしまった。昔、遠足やら子供会やらで、さんざん連れて行かれた場所だという。
「四人でゴーカートレースでもやりますか、いい年こいて」
真一の意見がさもつまらないというふうに、長岡は肩をすくめてみせた。
一方、岡崎は突飛なアイデアには乗り気ではなかった。小林の車にナビなどという気の利いたものはついておらず、かといって地図も持ってきていなかった。退屈でも国道を走っている分には迷う心配はない。天気もいいし、どこかで海でも眺めながらメシが食えれば十分じゃないか――岡崎はそう言った。
真一も同じ意見だった。これから初夏を迎えようという海岸では、菜の花によく似たハマダイコンの花が咲いているはず。雲のように咲き群がる白や紫の花を眺めながら、腹ごなしに海辺の道を歩くのもいい。釣れそうな磯や漁港があれば、そこもチェックしたい。
だが、長岡は真一たちの考えを、つまらない、消極的、となじった上で言い放った。
若者の旅に地図はいらねえ、と。
出たとこ勝負だ、と。
腹立ちまぎれに、岡崎が足元の小石を蹴り上げた。玉石だらけの川原を、あちこちぶつかりながら小石が転がっていく。最後に大きく跳ね上がって、ほかの石の間にまぎれ込んだ。そこを睨みつけ、岡崎は忌々しげに煙草を口に運ぶ。
岡崎が煙草に火をつけたのは、バス停があった空き地を出発して以来のこと。あれからすでに一時間以上経っている。
「そうカリカリするなって。お前だって、こうして一服できたんだし」
川下へ棚引いていく煙を見つめながら、真一は岡崎をなだめる。
真一たちは、川原の真ん中に立っている。周囲を満たす清らかな瀬音。春の渓谷を渡る風は、きりっと冷たい。
「でも、いつになったら出発できるんですかね。あの様子じゃ、当分無理でしょ」
すがめた目の先で、小林が前かがみになった長岡の背中をさすっている。川原の先端だ。大丈夫か、とさっきから小林が何度も声をかけているが、長岡は曖昧に返事をするだけで、顔を上げられない。
「おぅえええっ」
見ているそばから、またえづき出した。小林がちょうど振り返って、真一たちのほうに来ようとしたところだったが、襟首をつかまれたみたいに取って返した。
チッ、と岡崎が舌を鳴らす。
「ほっときゃいいんですよ、あんな奴。さんざん注意したでしょ俺たち。言うこと聞かなかったあいつが悪いんですから」
岡崎の怒りはもっともだ。こうなった原因は、ひとえに長岡自身にある。
さかのぼること約一時間半前。長岡は空き地の向かいの田舎商店で、棒アイスとスナック菓子、それに本日発売の漫画週刊誌を二冊買った。どちらの漫画も発売日を心待ちにしていた長岡は、車に乗り込むなり、むさぼるように読み始めた。道中ずっと静かだったのは、漫画に熱中していたからだ。
真一たちは、再三忠告した。車酔いになるぞ、と。
だが、長岡は生返事を返すばかりで、一向に改めようとしない。やがて遠くに見えていた山並みが迫ってきて、山懐に車が吸い込まれた。
長岡はここで一旦漫画を閉じた。カーブの多い山道で活字を追うことは難しい。真一たちは、さすがにあきらめたのだろうと思った。
だが、長岡の旺盛な読書熱は、こんなことくらいでは冷めなかった。少ししてまた表紙を開くと、大きく体が揺さぶられるのもかまわず、ページをめくり続けた。ときに真一に寄りかかり、ときに窓ガラスに頭をぶつけて痛そうな音を立てながらも、なお漫画を手放さない。その執念は、もはや称賛に値した。
ここまでくると、もう長岡を注意する者はいなかった。オナニーを覚えた猿と一緒だな、と岡崎が吐き捨てたのを最後に、真一たちは自分たちの会話に没頭した。
それからしばらく――
「ちょっと……停めてくれ……」
会話にかすれた声がまぎれ込んだ。蚊の鳴くような声だったので、最初は空耳かと思った。だが、隣を見ると、ドアとシートの間に、長岡がぐったりともたれかかっていた。
そもそも、知らない道を行ってみようと言ったのは長岡だ。バカ正直に国道を走っていても面白くない。いずれ出てくる観光名所は、どこも中身が知れたところばかり。入場料を取るところは、なおさら行く気がしない。真一がなにげなく道端の看板のレジャー施設の名を読み上げたら、長岡に一笑に付されてしまった。昔、遠足やら子供会やらで、さんざん連れて行かれた場所だという。
「四人でゴーカートレースでもやりますか、いい年こいて」
真一の意見がさもつまらないというふうに、長岡は肩をすくめてみせた。
一方、岡崎は突飛なアイデアには乗り気ではなかった。小林の車にナビなどという気の利いたものはついておらず、かといって地図も持ってきていなかった。退屈でも国道を走っている分には迷う心配はない。天気もいいし、どこかで海でも眺めながらメシが食えれば十分じゃないか――岡崎はそう言った。
真一も同じ意見だった。これから初夏を迎えようという海岸では、菜の花によく似たハマダイコンの花が咲いているはず。雲のように咲き群がる白や紫の花を眺めながら、腹ごなしに海辺の道を歩くのもいい。釣れそうな磯や漁港があれば、そこもチェックしたい。
だが、長岡は真一たちの考えを、つまらない、消極的、となじった上で言い放った。
若者の旅に地図はいらねえ、と。
出たとこ勝負だ、と。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
作者の他の作品
この作者の他作品はありません。
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。