Birthday①
ー/ー
「有紗ちゃん、来週お誕生日でしょ?」
「はい」
変わらず仲良くしている秘書室の鈴木 由香に問われ、有紗は頷いた。
「十九歳だよね? うーん、若い! ……あのさ、お祝いしたいんだけど、秘書室のみんなとご飯食べに行かない?」
彼女の話は、有紗にはまったくの想定外だった。
これまで学校でお決まりの流れ作業のように、誕生日を迎えたクラスメイトに「おめでとう」の声を掛け合う習慣はあった。
見た目で嫌でも目立ってしまう有紗は、少しでも「普通の子」の中に埋没できるよう祈りながら身も心も縮こまることに努めた。
勉強よりも何よりも、それが最優先だったのだ。
その甲斐もあってか、単なる級友以上の存在もいない代わりに疎まれることもなかった。
親しい間柄で行われる「プレゼント交換」には交じれなかったが、最初からそこまで望んではいない。
有紗は家庭でさえ特別に自分だけの誕生日を祝ってもらった覚えはなかった。
父は有紗を可愛がってくれていた、らしいが記憶にない。
父が亡くなってからは、家で祝いの言葉を掛けてくれたのは次兄の丈だけだ。
五歳年上の丈は、高校入学後にアルバイトをするようになってからはプレゼントも贈ってくれていた。
高価なものはなくせいぜい小物だったが、有紗には忘れられない想い出だ。
「あの、そんなこと、……いいです」
何と答えていいかもわからずとりあえず遠慮したが、彼女は違う受け取り方をしたらしい。
「あ、当日は社、っと、他に予定もあるだろうから近い日で。それでも無理?」
「予定は大丈夫です。……そうじゃなくて、あの、わざわざ私なんかのために――」
戸惑いを拭いきれないでいる有紗に、鈴木は明るく笑ってひらひらと手を振る。
「あはは、そんな大袈裟に考えなくていーよ! 有紗ちゃんのお祝いを口実に楽しみたいだけだから。でも、お店は有紗ちゃんの好みに合わせるね」
「……わかりました。ありがとうございます」
気軽にね、という鈴木に、有紗はこれ以上固辞する方が失礼に当たるかと承諾した。
◇ ◇ ◇
「有紗の誕生日がもうすぐなんだ」
彼女とはもう何度か食事を共にしていた。誕生祝い用の店も早くから予約してある。
まだ肝心な言葉は何も口に出せてはいないものの、真瀬の中ではお付き合いの初めくらいのつもりではいた。
三十をいくつも過ぎて一体何をやっているんだ、と自分でもよくわかってはいるのだ。
「やっぱさぁ、宝石屋に連れてって『どれでも好きなの買ってあげるよ』じゃ引かれるよな? せっかくだから誕生石のジュエリーでも贈りたいんだけど……、まだ十代だしかえって困らせるかなぁ」
七月の誕生石はルビーなのだそうだ。透き通った赤い宝石は有紗によく似合うのではないか、と真瀬は考えていたのだが。
「……そこに、ご自分できちんと気づかれたのは賢明でしたね」
プレゼントといって最初に浮かぶイメージをそのまま口にした真瀬に、一倉が仕方なさそうに返して来た。
「お前、バカにしてるだろ」
真瀬の恨み節を、彼は否定さえしない。
ただ――。
「ジュエリーを贈られるのは来年になさっては如何ですか? ちょうど二十歳になられますし、『記念に、大人は本物をひとつ持っていた方がいい』とでも仰れば、北原さんもそういうものかと納得されて受け取られるのでは」
「……お前、ホント頼りになるわ」
年齢はひとつしか変わらないのだが、経験値には天地の差がありそうだ。あるいは、単に頭の回転が違うだけなのかもしれない。
「ところで私、先日秘書室の女性が話しているのを小耳に挟んだのですが」
眼鏡のブリッジを人差し指でついと押し上げながら、一倉が唐突にまるで独り言のように話し出した。
「北原さんが『お人形』を欲しがっていらっしゃるというお話でした。調べたら高くて驚いた、ちょっと手が出ないと仰っていたとか」
「『人形』……?」
意味不明なまま鸚鵡返しした真瀬に、彼はしたり顔で続ける。
「ええ、私も聞きかじりですので間違っているかもしれませんが、おそらくこういうものでは?」
一倉が指し示したのは、真瀬のデスク脇、キャビネットの中ほどに飾られた椅子に座った例の人形。
「正確なお値段は存じませんが、意外と高価なのは門外漢の私にも、……少なくとも、子どもの玩具とは桁が違いますよね?」
「まあ、確かに。でも、本当の骨董品の人形は車なんかより高かったりするし。あっちはそれこそコレクターでなきゃ無理だろ」
一倉は、真瀬の的外れな応答に呆れた様子を隠さずに言葉を返す。
「骨董品には、重ねた時と希少性というまったく別の付加価値がございます。比較するものではありません。……とにかく、あなたには大した金額ではなくとも、彼女のお給料で気軽に買えるものではないというのはおわかりですか?」
噛んで含めるような一倉の言葉に、真瀬は軌道修正して頷いた。
「もちろん。……そうか、その『人形』を僕が贈ればいいんじゃないか?」
一倉の真意にようやく気付いて、真瀬は思わず膝を打ちたくなる。
「『与えてやる』という意識さえ持たなければ、それが最適解ではないでしょうか。くれぐれも切り出し方を間違われませんよう」
最後まで厳しい彼に、それでも真瀬は心から感謝した。
◇ ◇ ◇
「有紗。こんな日に悪いけど、先に僕に付き合ってもらえるかな?」
今日は有紗の誕生日だ。
祝いたいと伝えて食事の約束をしていたのだが、勤務終了後に落ち合ってすぐ真瀬は彼女に切り出した。
「はい」
素直に頷く有紗を伴って、社長室にある人形を調達した店に赴く。
阿部の婚約者である百合絵に連れられて訪れた先だ。
店内の棚にタイプごとに並べられた「彼ら、彼女ら」は、同じように見えて皆少しずつ顔も違う。少なくとも違って見える。
「有紗、今日で十九歳だろう? もしよかったら、――迷惑じゃなかったら、僕が誕生日のプレゼントに人形を贈りたいと思うんだけど」
「……、……あの」
戸惑ったような素振りに、失敗したか? と真瀬は血の気が引く思いがした。
もしかしたら自分のしていることは、場所が違うだけで『宝石店で何でも選べと言い放つ嫌な奴』そのものなのだろうか。
あるいは、一倉のいう「切り出し方の間違い」なのか!?
「あ! でも、もし君が『自分で買うから価値がある』って考えてるなら、それはそれでいいんだ。ただ、僕はそういう気持ちで居るよ、ってだけ」
真瀬があたふたと弁解するのに、彼女は両手を振って感情を表す。
「いえ、そうじゃないんです。でも、……いいんでしょうか?」
こんな高いもの、と有紗が今にも消え入りそうな声で呟くのに、真瀬はとりあえず胸を撫で下ろした。
「もちろん! あのさ、僕が贈りたいんだ。僕の我が儘なんだ。だから、聞いてもらえるだけで嬉しいんだよ」
必死で言い聞かせるような真瀬に、彼女も安心したように微笑んでくれた。
「私、お人形なんて、……自分では持ってなかったんですけど、小さい子用のプラスティックの柔らかいのしか知らなくて。これも見た感じは柔らかそうなのに、実際には硬いですよね。落としたりぶつけたりしたら壊しそうで、なんだか怖い気もします」
不器用だから、と不安そうな有紗に何か言い掛けた店員の女性を目で制し、真瀬は口を開く。
「ガラスや陶器じゃないから丁寧に扱えば問題ないよ。特別な樹脂で丈夫だから、そうそう壊れたりしない」
「そうなんですか? 全然知りませんでした。真瀬さん、よくご存じなんですね」
感心したような有紗の声に胸を張る気にはなれない。真瀬も同じ疑問を百合絵に否定され、教えられたに過ぎないからだ。
「仰る通りですわ。それに万が一傷が付いたりいたしましても、こちらでメンテナンスもお引き受けしております」
言い添えてくれた店員に断って、店の中をゆっくりと見て回る有紗を目で追う。
いくつかの候補はすぐに絞られたようだったが、そこからが長かった。
真瀬も経験したことだが、顔立ちの微妙な違いが意外と気になって迷ってしまうのだ。
さして思い入れもなかった自分でさえそうだったのだから、有紗はなおさらだろう。
店員もさすがに慣れているらしく、決して急かすような真似はしない。黙ったまま延々と考え込んでいた有紗がどうにか一体を選んだときも、ごく普通の顔で接客を続けてくれた。
必要な装備をすべて揃えるよう促し、店員にアドバイスを求めながら彼女が選んだ一式を纏めて購入する。
ピンクの髪に青い瞳の人形に、衣装や小物は瞳に合わせた青を基調にしたらしい。
真瀬が店員とやり取りしている間、有紗は邪魔にならないように端に寄って待っていた。
まるで夢見心地の様子で。
店を出て、大きな包みを大事そうに抱えた有紗が話し出した。
「私、『人形』をやっていて、綺麗なお洋服をいろいろ着られるのが本当に嬉しかったんです」
今の彼女の格好は、ごく一般的なオフィスカジュアルと呼ばれるものだろう。
首元の詰まっていない淡いピンクの半袖ニットに、細かい襞のたくさん入った焦げ茶色の長いスカート。
秘書室の女性たちに付き合ってもらって、仕事着を買い揃えたのだと聞いている。
今日のような日に着る、所謂「余所行き」の服を有紗はまだ持っていない。
本当は、真瀬が何でも買ってやりたかった。連れ歩くのに相応しくないからではない。決してない。
ただ純粋に、彼女のために必要なものを与えたかった。
しかし、金に飽かせたやり方は慎もうと喉元まで出掛かった言葉を堪えたのだ。相手はそれを喜ぶようなタイプではないとわかっているからこそ。
「……そう思ってもらえたなら、僕の愚行にも少しは意味があったのかな。いや、それは違うか」
何を調子に乗っているのだ、と我ながら恥ずかしくなった真瀬に彼女が真剣に答えてくれた。
「意味はありました。──私、目立つのがすごく嫌でした。こんな顔だし、髪や瞳も。最初に買いに行ったときはそれどころじゃなかったんです。でもお仕事始めたら毎朝支度するのがすごく、すごく楽しくて。本当は私も、綺麗な格好してみたかったのかもしれません。外に出掛けるとか知ってる人に会うとかじゃなくて、ただ、着てみたかった。自分でも気づかなかったんです、そんなこと」
有紗は幼い頃から、服を着ることを楽しむ環境にはなかった筈だ。
彼女にとって服は、まさしく「最低限必要で身に着けるもの」でしかなかったのだろうから。
卑怯にも調べて知ってしまった事実。まだ真瀬は、「調査した」ことを彼女には打ち明けられていない。そんな日が来るのかさえわからないままだ。
……有紗からは、ほんの少しずつ零れ落ちるように過去の、生い立ちの話も聞かされてはいた。おそらく飽きるほど言われ、訊かれていたからだろうが、クォーターであることは真っ先に彼女の口から出ている。
コンプレックスの根幹だったのだろう容姿が、『人形』としてはこの上なく活きていた。有紗はそこまで考えていないかもしれないが事実だ。
「でも、もう私は十分楽しんだので自分ではいいんです。これからはこの人形にいろいろ着せてあげたいな、って」
「着替え用の衣装もあるから、いくらでも買えばいいよ。僕もあまりよく知らないんだけど、メーカーが出してる分だけじゃなくて、自分で作った服を売ってる人もいるって聞いたことあるし」
これも百合絵から得た知識をそのまま話した。
「ええ。これからお給料が入ったら一つずつ買い足して行こうと思ってます」
如何にも堅実な少女らしい目標だと真瀬は感心する。
「僕も良さそうなの見つけたらプレゼントしていいかな? あ、なるべく有紗の好みに合うように、前もってどれがいいか訊くようにするよ」
「はい、わかりました」
真瀬の問い掛けに、有紗は嬉しそうに笑って答えた。
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「はい」
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「十九歳だよね? うーん、若い! ……あのさ、お祝いしたいんだけど、秘書室のみんなとご飯食べに行かない?」
彼女の話は、有紗にはまったくの想定外だった。
これまで学校でお決まりの流れ作業のように、誕生日を迎えたクラスメイトに「おめでとう」の声を掛け合う習慣はあった。
見た目で嫌でも目立ってしまう有紗は、少しでも「普通の子」の中に埋没できるよう祈りながら身も心も縮こまることに努めた。
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その甲斐もあってか、単なる級友以上の存在もいない代わりに疎まれることもなかった。
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有紗は家庭でさえ特別に自分だけの誕生日を祝ってもらった覚えはなかった。
父は有紗を可愛がってくれていた、らしいが記憶にない。
父が亡くなってからは、家で祝いの言葉を掛けてくれたのは次兄の丈だけだ。
五歳年上の丈は、高校入学後にアルバイトをするようになってからはプレゼントも贈ってくれていた。
高価なものはなくせいぜい小物だったが、有紗には忘れられない想い出だ。
「あの、そんなこと、……いいです」
何と答えていいかもわからずとりあえず遠慮したが、彼女は違う受け取り方をしたらしい。
「あ、当日は社、っと、他に予定もあるだろうから近い日で。それでも無理?」
「予定は大丈夫です。……そうじゃなくて、あの、わざわざ私なんかのために――」
戸惑いを拭いきれないでいる有紗に、鈴木は明るく笑ってひらひらと手を振る。
「あはは、そんな大袈裟に考えなくていーよ! 有紗ちゃんのお祝いを口実に楽しみたいだけだから。でも、お店は有紗ちゃんの好みに合わせるね」
「……わかりました。ありがとうございます」
気軽にね、という鈴木に、有紗はこれ以上固辞する方が失礼に当たるかと承諾した。
◇ ◇ ◇
「有紗の誕生日がもうすぐなんだ」
彼女とはもう何度か食事を共にしていた。誕生祝い用の店も早くから予約してある。
まだ肝心な言葉は何も口に出せてはいないものの、真瀬の中ではお付き合いの初めくらいのつもりではいた。
三十をいくつも過ぎて一体何をやっているんだ、と自分でもよくわかってはいるのだ。
「やっぱさぁ、宝石屋に連れてって『どれでも好きなの買ってあげるよ』じゃ引かれるよな? せっかくだから|誕生石《ルビー》のジュエリーでも贈りたいんだけど……、まだ十代だしかえって困らせるかなぁ」
七月の誕生石はルビーなのだそうだ。透き通った赤い宝石は有紗によく似合うのではないか、と真瀬は考えていたのだが。
「……そこに、ご自分できちんと気づかれたのは賢明でしたね」
プレゼントといって最初に浮かぶイメージをそのまま口にした真瀬に、一倉が仕方なさそうに返して来た。
「お前、バカにしてるだろ」
真瀬の恨み節を、彼は否定さえしない。
ただ――。
「ジュエリーを贈られるのは来年になさっては如何ですか? ちょうど二十歳になられますし、『記念に、大人は本物をひとつ持っていた方がいい』とでも仰れば、北原さんもそういうものかと納得されて受け取られるのでは」
「……お前、ホント頼りになるわ」
年齢はひとつしか変わらないのだが、経験値には天地の差がありそうだ。あるいは、単に頭の回転が違うだけなのかもしれない。
「ところで私、先日秘書室の女性が話しているのを小耳に挟んだのですが」
眼鏡のブリッジを人差し指でついと押し上げながら、一倉が唐突にまるで独り言のように話し出した。
「北原さんが『お人形』を欲しがっていらっしゃるというお話でした。調べたら高くて驚いた、ちょっと手が出ないと仰っていたとか」
「『人形』……?」
意味不明なまま|鸚鵡返《おうむがえ》しした真瀬に、彼はしたり顔で続ける。
「ええ、私も聞きかじりですので間違っているかもしれませんが、おそらくこういうものでは?」
一倉が指し示したのは、真瀬のデスク脇、キャビネットの中ほどに飾られた椅子に座った例の|人形《ドール》。
「正確なお値段は存じませんが、意外と高価なのは門外漢の私にも、……少なくとも、子どもの玩具とは桁が違いますよね?」
「まあ、確かに。でも、本当の|骨董品《アンティーク》の人形は車なんかより高かったりするし。あっちはそれこそコレクターでなきゃ無理だろ」
一倉は、真瀬の的外れな応答に呆れた様子を隠さずに言葉を返す。
「骨董品には、重ねた時と希少性というまったく別の付加価値がございます。比較するものではありません。……とにかく、あなたには大した金額ではなくとも、彼女のお給料で気軽に買えるものではないというのはおわかりですか?」
噛んで含めるような一倉の言葉に、真瀬は軌道修正して頷いた。
「もちろん。……そうか、その『人形』を僕が贈ればいいんじゃないか?」
一倉の真意にようやく気付いて、真瀬は思わず膝を打ちたくなる。
「『与えてやる』という意識さえ持たなければ、それが最適解ではないでしょうか。くれぐれも切り出し方を間違われませんよう」
最後まで厳しい彼に、それでも真瀬は心から感謝した。
◇ ◇ ◇
「有紗。こんな日に悪いけど、先に僕に付き合ってもらえるかな?」
今日は有紗の誕生日だ。
祝いたいと伝えて食事の約束をしていたのだが、勤務終了後に落ち合ってすぐ真瀬は彼女に切り出した。
「はい」
素直に頷く有紗を伴って、社長室にある|人形《ドール》を調達した店に赴く。
阿部の婚約者である百合絵に連れられて訪れた先だ。
店内の棚にタイプごとに並べられた「彼ら、彼女ら」は、同じように見えて皆少しずつ顔も違う。少なくとも違って見える。
「有紗、今日で十九歳だろう? もしよかったら、――迷惑じゃなかったら、僕が誕生日のプレゼントに人形を贈りたいと思うんだけど」
「……、……あの」
戸惑ったような素振りに、失敗したか? と真瀬は血の気が引く思いがした。
もしかしたら自分のしていることは、場所が違うだけで『宝石店で何でも選べと言い放つ嫌な奴』そのものなのだろうか。
あるいは、一倉のいう「切り出し方の間違い」なのか!?
「あ! でも、もし君が『自分で買うから価値がある』って考えてるなら、それはそれでいいんだ。ただ、僕はそういう気持ちで居るよ、ってだけ」
真瀬があたふたと弁解するのに、彼女は両手を振って感情を表す。
「いえ、そうじゃないんです。でも、……いいんでしょうか?」
こんな高いもの、と有紗が今にも消え入りそうな声で呟くのに、真瀬はとりあえず胸を撫で下ろした。
「もちろん! あのさ、|僕が《・・》贈りたいんだ。僕の我が儘なんだ。だから、聞いてもらえるだけで嬉しいんだよ」
必死で言い聞かせるような真瀬に、彼女も安心したように微笑んでくれた。
「私、お人形なんて、……自分では持ってなかったんですけど、小さい子用のプラスティックの柔らかいのしか知らなくて。これも見た感じは柔らかそうなのに、実際には硬いですよね。落としたりぶつけたりしたら壊しそうで、なんだか怖い気もします」
不器用だから、と不安そうな有紗に何か言い掛けた店員の女性を目で制し、真瀬は口を開く。
「ガラスや陶器じゃないから丁寧に扱えば問題ないよ。特別な樹脂で丈夫だから、そうそう壊れたりしない」
「そうなんですか? 全然知りませんでした。真瀬さん、よくご存じなんですね」
感心したような有紗の声に胸を張る気にはなれない。真瀬も同じ疑問を百合絵に否定され、教えられたに過ぎないからだ。
「仰る通りですわ。それに万が一傷が付いたりいたしましても、こちらでメンテナンスもお引き受けしております」
言い添えてくれた店員に断って、店の中をゆっくりと見て回る有紗を目で追う。
いくつかの候補はすぐに絞られたようだったが、そこからが長かった。
真瀬も経験したことだが、顔立ちの微妙な違いが意外と気になって迷ってしまうのだ。
さして思い入れもなかった自分でさえそうだったのだから、有紗はなおさらだろう。
店員もさすがに慣れているらしく、決して急かすような真似はしない。黙ったまま延々と考え込んでいた有紗がどうにか一体を選んだときも、ごく普通の顔で接客を続けてくれた。
必要な装備をすべて揃えるよう促し、店員にアドバイスを求めながら彼女が選んだ一式を纏めて購入する。
ピンクの髪に青い瞳の人形に、衣装や小物は瞳に合わせた青を基調にしたらしい。
真瀬が店員とやり取りしている間、有紗は邪魔にならないように端に寄って待っていた。
まるで夢見心地の様子で。
店を出て、大きな包みを大事そうに抱えた有紗が話し出した。
「私、『人形』をやっていて、綺麗なお洋服をいろいろ着られるのが本当に嬉しかったんです」
今の彼女の格好は、ごく一般的なオフィスカジュアルと呼ばれるものだろう。
首元の詰まっていない淡いピンクの半袖ニットに、細かい|襞《ひだ》のたくさん入った焦げ茶色の長いスカート。
秘書室の女性たちに付き合ってもらって、仕事着を買い揃えたのだと聞いている。
今日のような日に着る、所謂「余所行き」の服を有紗はまだ持っていない。
本当は、真瀬が何でも買ってやりたかった。連れ歩くのに相応しくないからではない。決してない。
ただ純粋に、彼女のために必要なものを与えたかった。
しかし、金に飽かせたやり方は慎もうと喉元まで出掛かった言葉を堪えたのだ。相手はそれを喜ぶようなタイプではないとわかっているからこそ。
「……そう思ってもらえたなら、僕の愚行にも少しは意味があったのかな。いや、それは違うか」
何を調子に乗っているのだ、と我ながら恥ずかしくなった真瀬に彼女が真剣に答えてくれた。
「意味はありました。──私、目立つのがすごく嫌でした。こんな顔だし、髪や瞳も。最初に買いに行ったときはそれどころじゃなかったんです。でもお仕事始めたら毎朝支度するのがすごく、すごく楽しくて。本当は私も、綺麗な格好してみたかったのかもしれません。外に出掛けるとか知ってる人に会うとかじゃなくて、ただ、着てみたかった。自分でも気づかなかったんです、そんなこと」
有紗は幼い頃から、服を着ることを楽しむ環境にはなかった筈だ。
彼女にとって服は、まさしく「最低限必要で身に着けるもの」でしかなかったのだろうから。
卑怯にも調べて知ってしまった事実。まだ真瀬は、「調査した」ことを彼女には打ち明けられていない。そんな日が来るのかさえわからないままだ。
……有紗からは、ほんの少しずつ零れ落ちるように過去の、生い立ちの話も聞かされてはいた。おそらく飽きるほど言われ、訊かれていたからだろうが、クォーターであることは真っ先に彼女の口から出ている。
コンプレックスの根幹だったのだろう容姿が、『人形』としてはこの上なく活きていた。有紗はそこまで考えていないかもしれないが事実だ。
「でも、もう私は十分楽しんだので自分ではいいんです。これからはこの|人形《こ》にいろいろ着せてあげたいな、って」
「着替え用の衣装もあるから、いくらでも買えばいいよ。僕もあまりよく知らないんだけど、メーカーが出してる分だけじゃなくて、自分で作った服を売ってる人もいるって聞いたことあるし」
これも百合絵から得た知識をそのまま話した。
「ええ。これからお給料が入ったら一つずつ買い足して行こうと思ってます」
如何にも堅実な少女らしい目標だと真瀬は感心する。
「僕も良さそうなの見つけたらプレゼントしていいかな? あ、なるべく有紗の好みに合うように、前もってどれがいいか訊くようにするよ」
「はい、わかりました」
真瀬の問い掛けに、有紗は嬉しそうに笑って答えた。