New Phase

ー/ー



「北原さん。次はこの集計お願いね。前のと基本は同じだから」
「はい」
 指導役の隣席の社員、今関(いまぜき) 奈緒(なお)の指示に、有紗は生真面目に頷く。
「途中、わからなかったらすぐ訊いて。忙しそうでも遠慮いらないから。仕事だからね。思い込みで間違われる方が困るし」
 言葉は多少きついが、彼女はハキハキと明快で親切だ。
「わかりました」
「うん、じゃあ――」
「今関さーん、ちょっといいかな?」
 彼女が課長に呼ばれ、会話が途切れる。
「はい、行きます」
 課長の元に向かうため席を立った今関の背中を見送り、有紗は新たな仕事に向き直った。

 総務課に配属されて一週間。
 毎日着て来る服はすべて、加賀と鈴木に付き合ってもらって買ったものだ。今日は、白い地模様のあるカットソーにモスグリーンのロングスカートを合わせていた。
 この先、特に季節が移り変わることも考えれば今の手持ち分だけでは到底足りないが、少しずつ買い足して行くつもりでいる。
 もともと大きな会社でもないので総務課の全員が有紗の「前職」を承知の筈だ。
 ただ、箝口令でも敷かれているのか、それとも仕事の上では無関係で関心がないからなのか一切触れられることはなかった。
 基本的に社長室に籠っていて、時折すぐ傍に位置する秘書室を訪れるだけだった有紗のことは、他部署の人間はそこまで認知していないということもあるのだろうか。
 真実は窺い知れないものの、ありがたく思う。
 そして何より不器用を自認している有紗には、コツコツ積み上げる総務の仕事はもしかしたら合っているのかもしれないと感じていた。
 高校時代の教師にも、「北原は生真面目だし、堅実な事務仕事の方がいいよ」と地元の安定企業に推薦するから、と言ってもらっていた。
 せっかくの好意を無下にしてしまったことは申し訳なく思っている。しかし、あの頃の有紗の最優先事項は家を出ることだったのだ。
 そのためにはやむを得ない選択だったと今も考えている。

「あ、あれ? ない。誰だか知らないけど、最後使ったら補充しといてよ~。……北原さん、悪い。倉庫行って備品のストック取って来てもらえる?」
 先輩社員である明石(あかし) 亘太郎(こうたろう)の要請に、有紗は返事と共に席を立って彼のもとへ足を運ぶ。
「はい。何が必要ですか?」
「えっとこれね。あと、ついでにこっちも残り少ないからお願いできる?」
 申し訳なさそうな明石の声に、有紗は即承諾を返した。
 些細な雑用であろうとも、「仕事」を頼まれてきちんとこなせるのは素直に嬉しい。
「わかりました。すぐに」
「ゴメン、助かる! ホント、君みたいな真面目な子が入って来てくれてよかったよ~。こんなことばっか頼んで悪いね」
 言葉だけではなく恐縮してくれているらしい明石に、有紗もつい笑って答えた。
「いえ、そんな。新人ですから当たり前です。何でも言いつけてください」
 品目をチェックすると、有紗は倉庫へ行くべくドアに向かった。

「北原さん」
 廊下に出たところで、不意に呼び止められて振り向く。
 視線の先には、声を聞いた瞬間に頭に浮かんだ相手が立っていた。
「社長」
 頭を下げる有紗に、彼は必要ない、と手を振る。
「北原さん、仕事中に失礼は承知だけど。でもせっかく会えたから。――今晩、食事でもどうですか?」
「はい……!」

 仕切り直した関係を、ここから少しずつ、新しく始めよう。


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「北原さん。次はこの集計お願いね。前のと基本は同じだから」
「はい」
 指導役の隣席の社員、|今関《いまぜき》 |奈緒《なお》の指示に、有紗は生真面目に頷く。
「途中、わからなかったらすぐ訊いて。忙しそうでも遠慮いらないから。仕事だからね。思い込みで間違われる方が困るし」
 言葉は多少きついが、彼女はハキハキと明快で親切だ。
「わかりました」
「うん、じゃあ――」
「今関さーん、ちょっといいかな?」
 彼女が課長に呼ばれ、会話が途切れる。
「はい、行きます」
 課長の元に向かうため席を立った今関の背中を見送り、有紗は新たな仕事に向き直った。
 総務課に配属されて一週間。
 毎日着て来る服はすべて、加賀と鈴木に付き合ってもらって買ったものだ。今日は、白い地模様のあるカットソーにモスグリーンのロングスカートを合わせていた。
 この先、特に季節が移り変わることも考えれば今の手持ち分だけでは到底足りないが、少しずつ買い足して行くつもりでいる。
 もともと大きな会社でもないので総務課の全員が有紗の「前職」を承知の筈だ。
 ただ、箝口令でも敷かれているのか、それとも仕事の上では無関係で関心がないからなのか一切触れられることはなかった。
 基本的に社長室に籠っていて、時折すぐ傍に位置する秘書室を訪れるだけだった有紗のことは、他部署の人間はそこまで認知していないということもあるのだろうか。
 真実は窺い知れないものの、ありがたく思う。
 そして何より不器用を自認している有紗には、コツコツ積み上げる総務の仕事はもしかしたら合っているのかもしれないと感じていた。
 高校時代の教師にも、「北原は生真面目だし、堅実な事務仕事の方がいいよ」と地元の安定企業に推薦するから、と言ってもらっていた。
 せっかくの好意を無下にしてしまったことは申し訳なく思っている。しかし、あの頃の有紗の最優先事項は家を出ることだったのだ。
 そのためにはやむを得ない選択だったと今も考えている。
「あ、あれ? ない。誰だか知らないけど、最後使ったら補充しといてよ~。……北原さん、悪い。倉庫行って備品のストック取って来てもらえる?」
 先輩社員である|明石《あかし》 |亘太郎《こうたろう》の要請に、有紗は返事と共に席を立って彼のもとへ足を運ぶ。
「はい。何が必要ですか?」
「えっとこれね。あと、ついでにこっちも残り少ないからお願いできる?」
 申し訳なさそうな明石の声に、有紗は即承諾を返した。
 些細な雑用であろうとも、「仕事」を頼まれてきちんとこなせるのは素直に嬉しい。
「わかりました。すぐに」
「ゴメン、助かる! ホント、君みたいな真面目な子が入って来てくれてよかったよ~。こんなことばっか頼んで悪いね」
 言葉だけではなく恐縮してくれているらしい明石に、有紗もつい笑って答えた。
「いえ、そんな。新人ですから当たり前です。何でも言いつけてください」
 品目をチェックすると、有紗は倉庫へ行くべくドアに向かった。
「北原さん」
 廊下に出たところで、不意に呼び止められて振り向く。
 視線の先には、声を聞いた瞬間に頭に浮かんだ相手が立っていた。
「社長」
 頭を下げる有紗に、彼は必要ない、と手を振る。
「北原さん、仕事中に失礼は承知だけど。でもせっかく会えたから。――今晩、食事でもどうですか?」
「はい……!」
 仕切り直した関係を、ここから少しずつ、新しく始めよう。