【7】③
ー/ー
◇ ◇ ◇
「出ない、か……、!」
夜が更けてから、何度か有紗に電話を掛けている。
あの翌朝、彼女からの着信があったきり、こちらからも一度も連絡を取ろうとはしなかった。
つい今まで、呼び出し音が鳴るばかりで何の反応もなかったのだが。
『……はい』
「有紗?」
息せき切って尋ねた真瀬に、彼女は遠慮がちに答えてくれる。
『そう、です。……あの、電話出なくて――』
「そんなのいいから! 今、ちょっとだけ話せる?」
『はい。大丈夫です』
有紗の返事を確かめて、言うべき台詞を頭に浮かべる。
「有紗、とりあえず一度会いたい。明日、会社に来てくれないか?」
『……、……はい、わかりました』
逡巡の末にだろう、確かに彼女が承諾するのを聞いて、真瀬は胸を撫で下ろした。
「あ、そういえばアパートには帰ってる?」
『……いいえ、一度も』
何気ない問いに、有紗が答える。
「そうか。あ、僕はアパートの方には全然行ってないから。見張ったりもしてないよ」
もし見張っていても、結局無駄足だったわけか。そう考えてしまった後ろめたさを誤魔化すように、真瀬は余計なことを口にしていた。
『それは、そんなことなさると思ってない、ので』
……彼女の信頼が重く、なんとも申し訳ない気分になる。
実は余程監視を頼もうかと考えていたのだ。どちらにしても有紗を捕まえることはできなかったのだろうが、止めておいてよかった、のだと思っておこう。
「じゃあ、今は困ったことないんだよね? それじゃ、また明日」
『はい。明日、会社で』
用件だけで通話を終わらせると、真瀬は脳内で明日のシミュレーションを始めた。
まる三日会っていなかっただけなのに、目の前の有紗を見た途端懐かしさが込み上げる気がした。
最後に会った日と同じ服。フリルやレースに飾られた白いブラウスに、深紅のやはりフリルがついた胸当て付きのスカートだ。
……あれから自宅アパートに帰っていないのなら、おそらく『人形』用はこの一着しか手元になかったのだろう。
「ほら、これ」
人形。
有紗のデスクの椅子の座面に置いた木製のドールチェアに、ピンクのドレスを着て座っている。
昨日、百合絵に付き合ってもらって購入したものだ。
「『人形』はもういい。君は人間に戻るんだ。このデスクも撤去するよ。……この人形はあっちの棚にでも飾ろう」
「……はい。ごしゅ、しゃ、社長。お世話になりました。短い間でしたけど、本当にありが――」
ぱっと頭を下げて、別れを告げようとする彼女を止める。
「辞めるの? 君はこの会社の社員だよ。……もちろん、嫌だから辞めるって言うなら引き止められないけど」
「……え?」
きょとんとする有紗に、真瀬は丁寧に説明した。
「『人形』じゃなくなったけど、これからもここで働いて欲しい。秘書室にはちょっと入れられないんだけど、総務でよければ」
真瀬の提案に、小首を傾げていた彼女はみるみる顔を輝かせる。
「嬉しいです! 頑張ってお仕事覚えて、少しでもお役に立てるようにします!」
「服も買ったほうがいいな、普通のを。あ、あと、引っ越そう! 支度金出すから、もっと駅に近くて何よりセキュリティ重視のところ。あのアパート、防犯面ザル過ぎる」
前もって考えていた件を並べていく真瀬に、有紗は困惑した表情を隠さない。
「それは、……でも」
「この会社、家賃補助の制度もあるんだ。それ使えば、すごい高級マンションは無理でももっと安全で便利な部屋がいくらでも探せるよ。引っ越し費用は僕が一旦立て替えるから、金受け取るのが嫌ならいつか返してくれればいい」
なんとか気持ちを汲んで欲しい、と言葉を重ねた。
「……わかりました」
真瀬の必死が伝わったのか、不承不承といった雰囲気ながら了承した彼女にとりあえず安心する。
「不動産屋さん紹介するから。早い方がいいね」
「はい。お願いします」
畳み掛ける真瀬に、今度は有紗も素直に頷いた。
◇ ◇ ◇
「今、どこにいるかは言わなくていいよ。君が安心できる場所にいるならそれで」
「……すみません」
真瀬の言葉に、有紗は申し訳ないと思いつつも口を噤んでしまった。
やはりここで加賀の名は出したくない。いくら彼女が構わないと言っても、その事実で彼女が不利益を被ることはないと信じてはいても。
あれから、加賀は朝になると出勤し、普段通り勤務をこなして有紗が待つ自宅に帰って来る毎日を送っていた。
いったい職場でどんな顔をしていたのだろう、と疑問に感じはしたが、結局いつもの沈着冷静な彼女しか浮かばなかった。
そして、それが正解だったのだと思う。
着替えのひとつもない有紗のために、彼女は仕事帰りに下着類や部屋着まで買って来てくれた。
終わってみれば、加賀の部屋で過ごしたのは四泊だったが、有紗にとっては一生忘れられない思い出になった。
感謝は言うまでもなく、楽しかったという意味でも。
「私、ご、社長が嫌いだったとか、『人形』が嫌だったとかじゃないんです。今はちょっと、……上手く説明できないんですけど、あの」
何事もなかったかのように受け入れてくれる真瀬に、かえって居た堪れなくなった有紗が言い掛けるのをそっと制止される。
「だったら今はいい。話せるようになったら話してくれたら嬉しいかな。……いつでもいいからさ」
話せる日など来るのだろうか。
真瀬が好きだから、捨てられる前に逃げたのだ、と加賀と話して整理した自分の気持ちを告げられる日が来るなどとは思えなかった。
それでも、彼の思いやりには応えたい。
「──はい、いつか必ず」
何も訊かずに笑ってくれる真瀬に、他の部分ででも恩を返せるように。
「僕も、その時には君にいろいろ話せるかもしれない。――話したい、と思ってるんだ」
これからずっと、同じ会社で働くんだからね、と彼は笑みを湛えたまま会話に終止符を打った。
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◇ ◇ ◇
「出ない、か……、!」
夜が更けてから、何度か有紗に電話を掛けている。
あの翌朝、彼女からの着信があったきり、こちらからも一度も連絡を取ろうとはしなかった。
つい今まで、呼び出し音が鳴るばかりで何の反応もなかったのだが。
『……はい』
「有紗?」
息せき切って尋ねた真瀬に、彼女は遠慮がちに答えてくれる。
『そう、です。……あの、電話出なくて――』
「そんなのいいから! 今、ちょっとだけ話せる?」
『はい。大丈夫です』
有紗の返事を確かめて、言うべき台詞を頭に浮かべる。
「有紗、とりあえず一度会いたい。明日、会社に来てくれないか?」
『……、……はい、わかりました』
逡巡の末にだろう、確かに彼女が承諾するのを聞いて、真瀬は胸を撫で下ろした。
「あ、そういえばアパートには帰ってる?」
『……いいえ、一度も』
何気ない問いに、有紗が答える。
「そうか。あ、僕はアパートの方には全然行ってないから。見張ったりもしてないよ」
もし見張っていても、結局無駄足だったわけか。そう考えてしまった後ろめたさを誤魔化すように、真瀬は余計なことを口にしていた。
『それは、そんなことなさると思ってない、ので』
……彼女の信頼が重く、なんとも申し訳ない気分になる。
実は余程監視を頼もうかと考えていたのだ。どちらにしても有紗を捕まえることはできなかったのだろうが、止めておいてよかった、のだと思っておこう。
「じゃあ、今は困ったことないんだよね? それじゃ、また明日」
『はい。明日、会社で』
用件だけで通話を終わらせると、真瀬は脳内で明日のシミュレーションを始めた。
まる三日会っていなかっただけなのに、目の前の有紗を見た途端懐かしさが込み上げる気がした。
最後に会った日と同じ服。フリルやレースに飾られた白いブラウスに、深紅のやはりフリルがついた胸当て付きのスカートだ。
……あれから自宅アパートに帰っていないのなら、おそらく『人形』用はこの一着しか手元になかったのだろう。
「ほら、これ」
|人形《ドール》。
有紗のデスクの椅子の座面に置いた木製のドールチェアに、ピンクのドレスを着て座っている。
昨日、百合絵に付き合ってもらって購入したものだ。
「『人形』はもういい。君は人間に戻るんだ。このデスクも撤去するよ。……この|人形《こ》はあっちの棚にでも飾ろう」
「……はい。ごしゅ、しゃ、社長。お世話になりました。短い間でしたけど、本当にありが――」
ぱっと頭を下げて、別れを告げようとする彼女を止める。
「辞めるの? 君はこの会社の社員だよ。……もちろん、嫌だから辞めるって言うなら引き止められないけど」
「……え?」
きょとんとする有紗に、真瀬は丁寧に説明した。
「『人形』じゃなくなったけど、これからもここで働いて欲しい。秘書室にはちょっと入れられないんだけど、総務でよければ」
真瀬の提案に、小首を傾げていた彼女はみるみる顔を輝かせる。
「嬉しいです! 頑張ってお仕事覚えて、少しでもお役に立てるようにします!」
「服も買ったほうがいいな、普通のを。あ、あと、引っ越そう! 支度金出すから、もっと駅に近くて何よりセキュリティ重視のところ。あのアパート、防犯面ザル過ぎる」
前もって考えていた件を並べていく真瀬に、有紗は困惑した表情を隠さない。
「それは、……でも」
「|この会社《ウチ》、家賃補助の制度もあるんだ。それ使えば、すごい高級マンションは無理でももっと安全で便利な部屋がいくらでも探せるよ。引っ越し費用は僕が一旦立て替えるから、金受け取るのが嫌ならいつか返してくれればいい」
なんとか気持ちを汲んで欲しい、と言葉を重ねた。
「……わかりました」
真瀬の必死が伝わったのか、不承不承といった雰囲気ながら了承した彼女にとりあえず安心する。
「不動産屋さん紹介するから。早い方がいいね」
「はい。お願いします」
畳み掛ける真瀬に、今度は有紗も素直に頷いた。
◇ ◇ ◇
「今、どこにいるかは言わなくていいよ。君が安心できる場所にいるならそれで」
「……すみません」
真瀬の言葉に、有紗は申し訳ないと思いつつも口を|噤《つぐ》んでしまった。
やはりここで加賀の名は出したくない。いくら彼女が構わないと言っても、その事実で彼女が不利益を被ることはないと信じてはいても。
あれから、加賀は朝になると出勤し、普段通り勤務をこなして有紗が待つ自宅に帰って来る毎日を送っていた。
いったい職場でどんな顔をしていたのだろう、と疑問に感じはしたが、結局いつもの沈着冷静な彼女しか浮かばなかった。
そして、それが正解だったのだと思う。
着替えのひとつもない有紗のために、彼女は仕事帰りに下着類や部屋着まで買って来てくれた。
終わってみれば、加賀の部屋で過ごしたのは四泊だったが、有紗にとっては一生忘れられない思い出になった。
感謝は言うまでもなく、楽しかったという意味でも。
「私、ご、社長が嫌いだったとか、『人形』が嫌だったとかじゃないんです。今はちょっと、……上手く説明できないんですけど、あの」
何事もなかったかのように受け入れてくれる真瀬に、かえって居た堪れなくなった有紗が言い掛けるのをそっと制止される。
「だったら今はいい。話せるようになったら話してくれたら嬉しいかな。……いつでもいいからさ」
話せる日など来るのだろうか。
真瀬が好きだから、捨てられる前に逃げたのだ、と加賀と話して整理した自分の気持ちを告げられる日が来るなどとは思えなかった。
それでも、彼の思いやりには応えたい。
「──はい、いつか必ず」
何も訊かずに笑ってくれる真瀬に、他の部分ででも恩を返せるように。
「僕も、その時には君にいろいろ話せるかもしれない。――話したい、と思ってるんだ」
これからずっと、|同じ会社《ここ》で働くんだからね、と彼は笑みを湛えたまま会話に終止符を打った。