第3章 袖振り合うも多生の縁-1
ー/ー 私達の同居生活が始まって約二か月が経ち、早くもゴールデンウィークを迎えていた。5月3日、憲法記念日に、駆の大学の友人、内海 陽大君を呼んでようやくすき焼きパーティを開くことができた。野菜と、高級米沢牛を奮発してどっさり買ってきた後、キッチンの棚の奥に眠っていたすき焼き鍋とガスボンベタイプの卓上コンロを駆に取り出してもらう。これを使うのは何年ぶりだろう。
夕方、イベントの撤収系アルバイトを一つ終わらせてから内海君は我が家にやって来た。
「おっじゃまっしまーす!」
大声で挨拶しながら内海君はあまり広くない我が家の玄関に入って来た。出迎えた私を見るなり「おおっ!」と何故か嬉しそうな声を挙げてから、
「初めまして、内海と申します。今晩は遠慮なくゴチになるっす!」
と言って威勢よく頭を下げた。そんな内海君は白いTシャツの上に真っ赤でど派手な金魚柄のアロハシャツにダメージジーンズを着ており、K大生というよりむしろガテン系兄さんのように見える。後で聞いたところによると、そのアロハシャツはたまたま通りがかった古着屋で見かけ、一目惚れし即買ったものらしい。
その日は駆の部屋に泊ることとなっていたため、背負っていた大き目のリュックを置くために駆の部屋に入った内海君は、この時まで駆がずっと秘密にしていた大量の少女漫画や『ひっそりぐらし』を初めて目にしたのだが、内海君は決してバカにする事なく、「へえ、かわいーじゃん」とひっそりぐらしの『かめ』の巨大なぬいぐるみを嬉しそうに抱っこしていたそうなので、少女漫画や可愛いものが好きなのに、大学入学後誰にも話せずにいたという駆の苦悩もようやく解消されたようだった。
すき焼き鍋を卓上コンロにセットし、駆特製のわりしたを入れて火を付けた。煮立ってきたところで野菜を先に入れてから後で肉を追加する。いわゆる関東風だ。
「すき焼きなんて滅茶苦茶久しぶりっす!」
内海君は生卵を割りほぐすと、手を合わせ「いっただっきまーす♪」と言ってから早速箸をつけ始めた。駆も負けじと食べ始める。
内海君はいわゆる苦学生ではあるが、悲壮感は全くなくとても陽気で元気な青年だった。髪はなかなか切る暇がないとかでけっこうぼさぼさに伸びていており、外でのアルバイトが多いためとても日焼けしている。駆との出会いは偶々実験で同じ班となり、手先の器用な駆が率先して実験をてきぱきとやってくれたことがきっかけだったようだ。
複数の派遣会社に登録しては様々な種類のアルバイトをしてきたようで、すき焼きをつつきながら経験してきた話をあれこれ語ってくれた。事務所の引っ越しや、倉庫のピッキング、有名アーティストのライブの設営・撤収や警備、資格試験の立ち合い、交通量調査等々やったらしいが、その間数えきれない人々と出会ったそうだ。当然その中にはいい人もいれば食わせ者もいる。会う度に必ず缶コーヒーを一本御馳走してくれる親切なおばさんがいたかと思うと、苦学生に借金を申し込もうとしたり、ギャンブルや夜の街での遊びに誘ってくる悪いおじさんがいたり。内海君はそんな出会いも全て前向きにとらえ、自分の糧なのだと語ってくれた。一発逆転が狙えるのではとちょっと期待し、一度だけ悪いおじさんに競馬場に連れて行ってもらったことがあったが、なけなしの金をつぎ込んだ馬券が全く当たらなかった事から、これは自分には向かない危険な遊びだとさっさと悟ったらしい。
そんな彼が特に気を付けているのは、一つのアルバイトにのめり込みすぎないことだと言う。アルバイトなど時給が安い代わりに責任がないのがメリットのはずなのに、バイトリーダーにされ安い時給で責任を持たされ辞めるに辞められなくなったバイト仲間を大勢見てきたからだとか。
「真面目な連中がその罠にはまっちゃうんっすよ。いいように使われてシフトをがんがん入れられ勉強どころじゃなくなっちまうのに、体調でも崩したらあっけなくぽいっす」
内海君は甘辛いすき焼きのたれが染み込んだ柔らかい肉を本当に美味しそうに頬張りながら、シリアスな話をさらっとする。私は具がほとんど無くなりかけていた鍋に菜箸で野菜と肉を一生懸命追加しながら頷いた。食欲旺盛な男子二名の食べるスピードには本当に驚かされる。
「一種のやりがい搾取だよね、それ」
「そうなんっす。俺はそれが怖くてちょっと時給が良くても絶対バイトリーダーにはならなかったっすね。バイトは楽しいし色んな人達と出会える場でもあるけど、あくまで稼ぐ手段だってことを忘れないようにしないとダメなんっす。今年は就活だ、卒論だってやるべき事がてんこ盛りなんで、山城が紹介してくれる割のいい家庭教師のバイトがとても助かってるっす」
「そうなの?」
私が駆に尋ねると、内海君の話に耳を傾けつつ、ひたすら黙々と食べていた駆が頷いた。
「オレのところにおばあさんの知り合いから家庭教師を打診する電話がよくかかってくるんだけど、オレは例のキッズシッターだけで手一杯だから、内海君によくお願いしてるんだ」
「家庭教師のバイトは直接契約に限るっす。夕飯も御馳走してもらえるんだけど、これが美味いのなんのって。さすがお金持ちは違うっすね。紹介会社通すと中間搾取がひどくって」
と内海君。私は相槌を打つ。
「分かるー。私も紹介会社通してやったことあるけどびっくりしたわ。でも家庭教師ってなかなかマッチングしなかったから仕方なく登録してたけど」
「いい家庭教師先はつくづくコネっすね。今回でよく分かったっす。俺、山城とダチで本当に良かったわ~。ほんと、持つべきものは友っす!」
内海君は屈託なく笑った。
それから苦学生ならではのエピソードをさらに披露する。
「俺、ボランティアと実益を兼ねて時々献血ルームに行くんっすよ。同じ寮の先輩から教わったんっすけど、飲み物やお菓子が食べ放題だし、Wi-fi繋がってるから無料ネカフェみたいに使うとお得なんっす」
「えー、私は献血一度だけやったことあるけど、貧血起こしたから無理」
私はその時気分が悪くなって歩けなくなった事を思い出しながら身を震わせた。すると内海君は満面の笑みを浮かべながら答える。
「俺、血の気が多いからへーきっす。ただ残念ながら回数制限あるから、そう頻繁にできないんっすよね」
ここで頼まれると断れない駆が、らしい話を披露してくる。
「オレO型なんだけど、ほら、O型って他の血液型にも輸血できるでしょ? 時々街でO型の血液が不足してますって看板持ってる人見かけるとなんか申し訳なくなってつい献血しちゃうんだよね……」
つい、で献血してしまうのか。いかにも駆らしい動機である。だが、そんな駆のお陰で助かっている人達が間違いなくいると思えば決して間違ってはいない。
その後内海君のサークルの話になったのだが、突然しょんぼりと悲しそうな顔をした。
「俺、せっかく念願のミステリー系サークルに入ったっていうのに、結局幽霊部員なんっすよ。バイトで忙しくて全然活動できてなくて、それどころか今はミステリーの新作なんて禄に読めてねーっつーの!」
私の親友の柳田 渚は元文学少女だが同時にミステリー好きでもあるので、この場にいたらさぞかし内海君と話が盛り上がったことだろう。残念ながら私はあまり詳しくないので、代わりに自分が知っているマダミス(マーダーミステリーの略)の話を振った。
「マダミスって何っすか? ポケミスとかこのミスみたいな?」
私は逆にポケミスやこのミスを知らなかったから尋ねたところ、ポケミスは新書版の叢書『ハヤカワポケットミステリ』のこと、このミスは『このミステリーはすごい!』の略で、ミステリーのブックランキングムック本だそうだ。一つ賢くなったところでマダミスの説明に戻る。
「テーブルトークRPGに近いんだけど、参加者全員が物語の登場人物になり切って事件の犯人を突き止めるゲームの事だよ」
内海君はぽかんとする。
「テーブルトークRPGとは何っすか?」
あちゃー、そこからか。結局私は内海君に丁寧にテーブルトークRPG(略してTRPG)とマダミスの説明をする羽目に陥ったのだった。
「テーブルトークRPGとは、ゲームマスターと呼ばれる進行役と冒険者とかになり切ったプレイヤー達が話し合いながら協力して物語を進めていくゲームの事だよ。ある意味即興演劇なのかもね。日本だとRPGって言うとコンピューターゲームのイメージがあるけど、元々は対人プレイから始まったんだ」
「なるほどー。全然知らなかったっす」
私は冷たい麦茶を一口飲んでから説明を続ける。
「一方マダミスはTRPGに近いけど、プレイヤー達が架空の殺人事件などの登場人物を演じて犯人を推理するわけ。最終的に全員で誰が犯人か投票して、その結果次第で迎えるエンディングが変わってくるんだ。まあ、必ずしも殺人事件とは限らないんだけどね。自作のキャラを演じるTRPGと違って与えられた役割を演じるから、犯人役になる場合もあるね」
「つまり犯人役が割り振られた場合は、疑いを向けられないようにしないといけないんっすね」
内海君は考え込んだ。私は相槌を打った。
「そうなの。その場合いかに他のプレイヤーを騙すかという力量が試されるわけ」
「役割を演じつつ推理するのかあ。けっこうハードっすね。氷室さんはそういうゲーム好きなんっすか?」
内海君が不思議そうに私の顔をじっと見てきたので、私はにっと笑った。
「うん、私はなり切って遊ぶ事が大好きなんだよ。だから人間相手のTRPGやマダミスも好きだし、コンピューターゲームのRPGも好き。まあ、対人の場合交渉や騙し騙されっていう要素も入って来るからそのやり取りも楽しいよね」
へえと内海君はしきりに感心する。
「俺はなりきりとかこっ恥ずかしいからマダミス参加はなかなか難しそうだけど、それだったらむしろシナリオ作る側に回りたいっすね。高校時代はお恥ずかしながら推理小説みたいなもん書いたりもしてたんっすよ」
「そうなんだ、内海君にそういう趣味があるってオレ全然知らなかったよ」
駆が驚いたように目を丸くする。すると内海君は駆のわき腹を肘で小突いた。
「お前だって正統派イケメンのくせに、可愛いもの好きとかギャップありすぎだろ」
「ちなみにランちゃんはけっこうなりきり上手だよ」
と私がFQⅢの駆の高飛車美少女キャラの話をすると、駆の顔が一瞬で真っ赤になった。
「アルファさん! 女性キャラプレイしてるってわざわざ内海君にバラさなくったっていいじゃない!」
「今更じゃね?」
「今更じゃん」
内海君と私の意見は完全一致したのだった。
準備していた具材がすべて皆の胃袋の中に収まり鍋に締めのうどんを投入した時、内海君がこんなことを言ってきた。
「俺、K大に入ってちょーしくったって思ってるんっすけど」
「どうして?」
私が尋ねた。すると内海君は威勢よくぼやき始めた。
「俺が大学入った直後に実家でずっとやってた飲食店の経営が突然傾いたんっすよ。数年前に地元に進出してきた同業他社にパイを奪われたのが理由なんっすけど、結果仕送りが全面ストップしちゃって。慌てて今住んでるおんぼろ寮に引っ越したり、貸与型の奨学金申請して、それ以外に大学独自の給付型奨学金とかもらえたから何とか今授業料も払えてるんっすけど、事前に分かってたらもっと授業料の安い大学を選んでたのに……とか」
「とか?」
「K大の学生って皆金持ちだと思われてるじゃないっすか、せっかくデートにこぎつけても女の子は皆俺に奢ってもらえるって思い込んでるっす」
「へえ、そうなんだ」
「会計時、絶対に財布出さないっつすからね。俺、割り勘してくれる女の子としか付き合いたくないんで、未だに彼女募集中っす」
そう言った後、隣に座っている駆の肩に腕を回し話題を振ってくる。
「なあ、山城、お前は奢るんだろ?」
「……オレ、今まで一度もデートした事ないから……」
駆が衝撃的なことを告白してきた。
「ウソだろ!?」
内海君が口をぽかんと開けた。駆は言いにくそうに俯きながら口の中でぼそぼそと言う。
「誘われたことは何度もあるけど、みんなキラキラしたリア充っぽい女子ばかりだし、オタバレしたら絶対軽蔑されそうだったから全部断ってた……」
「くー、マジかよ。もったいねー」
内海君が拳を握りしめた。
「何事も経験だろ? 相手だって実は隠れオタかもしれないんだぞ」
「ええっ!?」
駆はあり得ないという表情になった。
「ブランドもののバッグや財布を日常使いしているお洒落な女子が隠れオタ???」
「いや、その台詞ブーメランだと思うけど」
突っ込み待ちなのだろうかと思い、私は駆に突っ込んだ。駆はあたふたと手を振る。
「いや、オレの場合別に自分で買った訳じゃないから……」
「そういう問題じゃないと思うぞ」
内海君も突っ込んだ。
「お前を見て誰がオタクだって思うんだよ! それと同じだって」
駆はしょんぼりする。駆は自分の事をおばあさんに買ってもらった衣服を適当に合わせているだけだと思っている節があるが、本当にブランドものを文字通り適当に合わせているだけなら絶対にお洒落にはならず、むしろ滅茶苦茶ダサくなる。駆にはコーディネートのセンスが備わっているから様になっているという自覚が全くないのがもどかしい。
「そう言う内海君はミステリーオタクでしょ?」
私が話を振ると、内海君は誇らしげに頷いて親指を立てた。
「もちろんっす!」
そんな内海君だってオタクには全く見えない。駆とは別な意味で。
「氷室さんだって、全然ゲームオタクには見えないっすよ」
「でしょ?」
私も内海君を真似して親指を立てた。駆は内海君と私を代わる代わる見て羨ましそうにぼやく。
「何で二人ともそんなに自信満々なの?」
「君も胸を張ってオタクを名乗ればいいんだよ」
私は反対側に座っている駆の肩を身を乗り出しポンと叩く。すると駆は思い出したように口を開いた。
「あー……そう言えば先日講義の後、新しく同級生になった女子達とひっそりぐらしの話をしたんだ」
きっかけは、今年の春から駆がペンケースに大量投入したひっそりぐらしのカラフルな蛍光ペンだったそうだが、それを目ざとく見つけた女子達が話しかけてきたそうだ。
「いいじゃん」
私が相槌を打つと、駆はもじもじしながら打ち明ける。
「どのキャラが好きって訊かれて、オレ、はりねずみって恥ずかしくて言えなくて全部って答えてしまって……」
何故そこで恥ずかしがるのかさっぱり理解できない。そう尋ねると駆は照れくさそうに笑った。
「オレ、好きって言語化するのが苦手なのかな……」
「私には一杯語ってたじゃん!」
私は腕を組み口を尖らせた。駆は困り顔をする。
「アルファさんなら受け止めてくれると思ったから……」
何でやねん。
「俺は分かるな。一番好きなものはなかなか好きと言えない気持ち」
内海君が駆の肩を持った。
「口に出すのが畏れ多いというか。俺も一番お気に入りの作家先生の事は好きすぎてなかなか語れないっす」
「そうなんだ……」
そう言われて改めて考えてみたが、私には現時点で一番好きな『推し』はないのかもしれない。好きなゲームはどれもこれも好きではあるけど、恋のような熱量でもって語ったことは一度もなかった。そう気が付くと何だか寂しいものだ。
「初対面の相手に好きを熱く語りすぎてドン引きされてもイヤだし……」
駆がごにょごにょ言うのだが、確かにそれはオタクあるあるである。
「だったらSNSで趣味アカウント作って、遠慮なく思う存分呟けば。推しのタグ付ければ同好の士が反応してくれるんじゃない? どうせ匿名なんだし」
と未だアカを持っていない駆に提案すると、駆はおずおずと頷いた。
「……確かに匿名ならいけるかな……」
「アイコンをはりねずみのぬいぐるみにしてみるとか」
「なるほど……」
駆は顎に手を当て感心している。こんな事簡単に思いつくのではとつい思ってしまうのだが、これまでずっと趣味を禁止され、その抑圧が強すぎて実行に移せなかったのだろう。私達が背中をそっと押してあげない限り、駆は呟くことすら始められないのではなかろうかと私は心配してしまった。
「アカ作ったら教えてくれよ。俺のアカを代わりに教えてやっから。毒は何がいい~とか完全犯罪を行うには~とかヤバい事ばっか呟いてっけどさ」
と内海君がわははと笑った。私も負けじと言った。
「私のアカも教えるよ。疲れた、眠いとか仕事辞めたいとかネガティブな事ばっかり呟いている限界OLっぽいアカだけど、そんなので良ければ」
「食べ終わったら、ぬいぐるみの写真撮って早速アカ作ってみる!」
駆の目が輝き始めた。
食べ終わったらという言葉で、私達は話に夢中になりすぎて締めのうどんが煮詰まりかけていることに気が付く。私は慌てて卓上コンロの火を止め、焦げかかって鍋にへばりついているうどんを菜箸で必死でかき混ぜた。
「野郎ども、さっさと食べちゃって!」
既に私は満腹だった。
「ラジャー!」
「了解っす!」
内海君と駆は私に向かって敬礼すると、味がしっかり染みたうどんを早速食べ始め、あっという間に全部片づけてしまったのだった。
夕方、イベントの撤収系アルバイトを一つ終わらせてから内海君は我が家にやって来た。
「おっじゃまっしまーす!」
大声で挨拶しながら内海君はあまり広くない我が家の玄関に入って来た。出迎えた私を見るなり「おおっ!」と何故か嬉しそうな声を挙げてから、
「初めまして、内海と申します。今晩は遠慮なくゴチになるっす!」
と言って威勢よく頭を下げた。そんな内海君は白いTシャツの上に真っ赤でど派手な金魚柄のアロハシャツにダメージジーンズを着ており、K大生というよりむしろガテン系兄さんのように見える。後で聞いたところによると、そのアロハシャツはたまたま通りがかった古着屋で見かけ、一目惚れし即買ったものらしい。
その日は駆の部屋に泊ることとなっていたため、背負っていた大き目のリュックを置くために駆の部屋に入った内海君は、この時まで駆がずっと秘密にしていた大量の少女漫画や『ひっそりぐらし』を初めて目にしたのだが、内海君は決してバカにする事なく、「へえ、かわいーじゃん」とひっそりぐらしの『かめ』の巨大なぬいぐるみを嬉しそうに抱っこしていたそうなので、少女漫画や可愛いものが好きなのに、大学入学後誰にも話せずにいたという駆の苦悩もようやく解消されたようだった。
すき焼き鍋を卓上コンロにセットし、駆特製のわりしたを入れて火を付けた。煮立ってきたところで野菜を先に入れてから後で肉を追加する。いわゆる関東風だ。
「すき焼きなんて滅茶苦茶久しぶりっす!」
内海君は生卵を割りほぐすと、手を合わせ「いっただっきまーす♪」と言ってから早速箸をつけ始めた。駆も負けじと食べ始める。
内海君はいわゆる苦学生ではあるが、悲壮感は全くなくとても陽気で元気な青年だった。髪はなかなか切る暇がないとかでけっこうぼさぼさに伸びていており、外でのアルバイトが多いためとても日焼けしている。駆との出会いは偶々実験で同じ班となり、手先の器用な駆が率先して実験をてきぱきとやってくれたことがきっかけだったようだ。
複数の派遣会社に登録しては様々な種類のアルバイトをしてきたようで、すき焼きをつつきながら経験してきた話をあれこれ語ってくれた。事務所の引っ越しや、倉庫のピッキング、有名アーティストのライブの設営・撤収や警備、資格試験の立ち合い、交通量調査等々やったらしいが、その間数えきれない人々と出会ったそうだ。当然その中にはいい人もいれば食わせ者もいる。会う度に必ず缶コーヒーを一本御馳走してくれる親切なおばさんがいたかと思うと、苦学生に借金を申し込もうとしたり、ギャンブルや夜の街での遊びに誘ってくる悪いおじさんがいたり。内海君はそんな出会いも全て前向きにとらえ、自分の糧なのだと語ってくれた。一発逆転が狙えるのではとちょっと期待し、一度だけ悪いおじさんに競馬場に連れて行ってもらったことがあったが、なけなしの金をつぎ込んだ馬券が全く当たらなかった事から、これは自分には向かない危険な遊びだとさっさと悟ったらしい。
そんな彼が特に気を付けているのは、一つのアルバイトにのめり込みすぎないことだと言う。アルバイトなど時給が安い代わりに責任がないのがメリットのはずなのに、バイトリーダーにされ安い時給で責任を持たされ辞めるに辞められなくなったバイト仲間を大勢見てきたからだとか。
「真面目な連中がその罠にはまっちゃうんっすよ。いいように使われてシフトをがんがん入れられ勉強どころじゃなくなっちまうのに、体調でも崩したらあっけなくぽいっす」
内海君は甘辛いすき焼きのたれが染み込んだ柔らかい肉を本当に美味しそうに頬張りながら、シリアスな話をさらっとする。私は具がほとんど無くなりかけていた鍋に菜箸で野菜と肉を一生懸命追加しながら頷いた。食欲旺盛な男子二名の食べるスピードには本当に驚かされる。
「一種のやりがい搾取だよね、それ」
「そうなんっす。俺はそれが怖くてちょっと時給が良くても絶対バイトリーダーにはならなかったっすね。バイトは楽しいし色んな人達と出会える場でもあるけど、あくまで稼ぐ手段だってことを忘れないようにしないとダメなんっす。今年は就活だ、卒論だってやるべき事がてんこ盛りなんで、山城が紹介してくれる割のいい家庭教師のバイトがとても助かってるっす」
「そうなの?」
私が駆に尋ねると、内海君の話に耳を傾けつつ、ひたすら黙々と食べていた駆が頷いた。
「オレのところにおばあさんの知り合いから家庭教師を打診する電話がよくかかってくるんだけど、オレは例のキッズシッターだけで手一杯だから、内海君によくお願いしてるんだ」
「家庭教師のバイトは直接契約に限るっす。夕飯も御馳走してもらえるんだけど、これが美味いのなんのって。さすがお金持ちは違うっすね。紹介会社通すと中間搾取がひどくって」
と内海君。私は相槌を打つ。
「分かるー。私も紹介会社通してやったことあるけどびっくりしたわ。でも家庭教師ってなかなかマッチングしなかったから仕方なく登録してたけど」
「いい家庭教師先はつくづくコネっすね。今回でよく分かったっす。俺、山城とダチで本当に良かったわ~。ほんと、持つべきものは友っす!」
内海君は屈託なく笑った。
それから苦学生ならではのエピソードをさらに披露する。
「俺、ボランティアと実益を兼ねて時々献血ルームに行くんっすよ。同じ寮の先輩から教わったんっすけど、飲み物やお菓子が食べ放題だし、Wi-fi繋がってるから無料ネカフェみたいに使うとお得なんっす」
「えー、私は献血一度だけやったことあるけど、貧血起こしたから無理」
私はその時気分が悪くなって歩けなくなった事を思い出しながら身を震わせた。すると内海君は満面の笑みを浮かべながら答える。
「俺、血の気が多いからへーきっす。ただ残念ながら回数制限あるから、そう頻繁にできないんっすよね」
ここで頼まれると断れない駆が、らしい話を披露してくる。
「オレO型なんだけど、ほら、O型って他の血液型にも輸血できるでしょ? 時々街でO型の血液が不足してますって看板持ってる人見かけるとなんか申し訳なくなってつい献血しちゃうんだよね……」
つい、で献血してしまうのか。いかにも駆らしい動機である。だが、そんな駆のお陰で助かっている人達が間違いなくいると思えば決して間違ってはいない。
その後内海君のサークルの話になったのだが、突然しょんぼりと悲しそうな顔をした。
「俺、せっかく念願のミステリー系サークルに入ったっていうのに、結局幽霊部員なんっすよ。バイトで忙しくて全然活動できてなくて、それどころか今はミステリーの新作なんて禄に読めてねーっつーの!」
私の親友の柳田 渚は元文学少女だが同時にミステリー好きでもあるので、この場にいたらさぞかし内海君と話が盛り上がったことだろう。残念ながら私はあまり詳しくないので、代わりに自分が知っているマダミス(マーダーミステリーの略)の話を振った。
「マダミスって何っすか? ポケミスとかこのミスみたいな?」
私は逆にポケミスやこのミスを知らなかったから尋ねたところ、ポケミスは新書版の叢書『ハヤカワポケットミステリ』のこと、このミスは『このミステリーはすごい!』の略で、ミステリーのブックランキングムック本だそうだ。一つ賢くなったところでマダミスの説明に戻る。
「テーブルトークRPGに近いんだけど、参加者全員が物語の登場人物になり切って事件の犯人を突き止めるゲームの事だよ」
内海君はぽかんとする。
「テーブルトークRPGとは何っすか?」
あちゃー、そこからか。結局私は内海君に丁寧にテーブルトークRPG(略してTRPG)とマダミスの説明をする羽目に陥ったのだった。
「テーブルトークRPGとは、ゲームマスターと呼ばれる進行役と冒険者とかになり切ったプレイヤー達が話し合いながら協力して物語を進めていくゲームの事だよ。ある意味即興演劇なのかもね。日本だとRPGって言うとコンピューターゲームのイメージがあるけど、元々は対人プレイから始まったんだ」
「なるほどー。全然知らなかったっす」
私は冷たい麦茶を一口飲んでから説明を続ける。
「一方マダミスはTRPGに近いけど、プレイヤー達が架空の殺人事件などの登場人物を演じて犯人を推理するわけ。最終的に全員で誰が犯人か投票して、その結果次第で迎えるエンディングが変わってくるんだ。まあ、必ずしも殺人事件とは限らないんだけどね。自作のキャラを演じるTRPGと違って与えられた役割を演じるから、犯人役になる場合もあるね」
「つまり犯人役が割り振られた場合は、疑いを向けられないようにしないといけないんっすね」
内海君は考え込んだ。私は相槌を打った。
「そうなの。その場合いかに他のプレイヤーを騙すかという力量が試されるわけ」
「役割を演じつつ推理するのかあ。けっこうハードっすね。氷室さんはそういうゲーム好きなんっすか?」
内海君が不思議そうに私の顔をじっと見てきたので、私はにっと笑った。
「うん、私はなり切って遊ぶ事が大好きなんだよ。だから人間相手のTRPGやマダミスも好きだし、コンピューターゲームのRPGも好き。まあ、対人の場合交渉や騙し騙されっていう要素も入って来るからそのやり取りも楽しいよね」
へえと内海君はしきりに感心する。
「俺はなりきりとかこっ恥ずかしいからマダミス参加はなかなか難しそうだけど、それだったらむしろシナリオ作る側に回りたいっすね。高校時代はお恥ずかしながら推理小説みたいなもん書いたりもしてたんっすよ」
「そうなんだ、内海君にそういう趣味があるってオレ全然知らなかったよ」
駆が驚いたように目を丸くする。すると内海君は駆のわき腹を肘で小突いた。
「お前だって正統派イケメンのくせに、可愛いもの好きとかギャップありすぎだろ」
「ちなみにランちゃんはけっこうなりきり上手だよ」
と私がFQⅢの駆の高飛車美少女キャラの話をすると、駆の顔が一瞬で真っ赤になった。
「アルファさん! 女性キャラプレイしてるってわざわざ内海君にバラさなくったっていいじゃない!」
「今更じゃね?」
「今更じゃん」
内海君と私の意見は完全一致したのだった。
準備していた具材がすべて皆の胃袋の中に収まり鍋に締めのうどんを投入した時、内海君がこんなことを言ってきた。
「俺、K大に入ってちょーしくったって思ってるんっすけど」
「どうして?」
私が尋ねた。すると内海君は威勢よくぼやき始めた。
「俺が大学入った直後に実家でずっとやってた飲食店の経営が突然傾いたんっすよ。数年前に地元に進出してきた同業他社にパイを奪われたのが理由なんっすけど、結果仕送りが全面ストップしちゃって。慌てて今住んでるおんぼろ寮に引っ越したり、貸与型の奨学金申請して、それ以外に大学独自の給付型奨学金とかもらえたから何とか今授業料も払えてるんっすけど、事前に分かってたらもっと授業料の安い大学を選んでたのに……とか」
「とか?」
「K大の学生って皆金持ちだと思われてるじゃないっすか、せっかくデートにこぎつけても女の子は皆俺に奢ってもらえるって思い込んでるっす」
「へえ、そうなんだ」
「会計時、絶対に財布出さないっつすからね。俺、割り勘してくれる女の子としか付き合いたくないんで、未だに彼女募集中っす」
そう言った後、隣に座っている駆の肩に腕を回し話題を振ってくる。
「なあ、山城、お前は奢るんだろ?」
「……オレ、今まで一度もデートした事ないから……」
駆が衝撃的なことを告白してきた。
「ウソだろ!?」
内海君が口をぽかんと開けた。駆は言いにくそうに俯きながら口の中でぼそぼそと言う。
「誘われたことは何度もあるけど、みんなキラキラしたリア充っぽい女子ばかりだし、オタバレしたら絶対軽蔑されそうだったから全部断ってた……」
「くー、マジかよ。もったいねー」
内海君が拳を握りしめた。
「何事も経験だろ? 相手だって実は隠れオタかもしれないんだぞ」
「ええっ!?」
駆はあり得ないという表情になった。
「ブランドもののバッグや財布を日常使いしているお洒落な女子が隠れオタ???」
「いや、その台詞ブーメランだと思うけど」
突っ込み待ちなのだろうかと思い、私は駆に突っ込んだ。駆はあたふたと手を振る。
「いや、オレの場合別に自分で買った訳じゃないから……」
「そういう問題じゃないと思うぞ」
内海君も突っ込んだ。
「お前を見て誰がオタクだって思うんだよ! それと同じだって」
駆はしょんぼりする。駆は自分の事をおばあさんに買ってもらった衣服を適当に合わせているだけだと思っている節があるが、本当にブランドものを文字通り適当に合わせているだけなら絶対にお洒落にはならず、むしろ滅茶苦茶ダサくなる。駆にはコーディネートのセンスが備わっているから様になっているという自覚が全くないのがもどかしい。
「そう言う内海君はミステリーオタクでしょ?」
私が話を振ると、内海君は誇らしげに頷いて親指を立てた。
「もちろんっす!」
そんな内海君だってオタクには全く見えない。駆とは別な意味で。
「氷室さんだって、全然ゲームオタクには見えないっすよ」
「でしょ?」
私も内海君を真似して親指を立てた。駆は内海君と私を代わる代わる見て羨ましそうにぼやく。
「何で二人ともそんなに自信満々なの?」
「君も胸を張ってオタクを名乗ればいいんだよ」
私は反対側に座っている駆の肩を身を乗り出しポンと叩く。すると駆は思い出したように口を開いた。
「あー……そう言えば先日講義の後、新しく同級生になった女子達とひっそりぐらしの話をしたんだ」
きっかけは、今年の春から駆がペンケースに大量投入したひっそりぐらしのカラフルな蛍光ペンだったそうだが、それを目ざとく見つけた女子達が話しかけてきたそうだ。
「いいじゃん」
私が相槌を打つと、駆はもじもじしながら打ち明ける。
「どのキャラが好きって訊かれて、オレ、はりねずみって恥ずかしくて言えなくて全部って答えてしまって……」
何故そこで恥ずかしがるのかさっぱり理解できない。そう尋ねると駆は照れくさそうに笑った。
「オレ、好きって言語化するのが苦手なのかな……」
「私には一杯語ってたじゃん!」
私は腕を組み口を尖らせた。駆は困り顔をする。
「アルファさんなら受け止めてくれると思ったから……」
何でやねん。
「俺は分かるな。一番好きなものはなかなか好きと言えない気持ち」
内海君が駆の肩を持った。
「口に出すのが畏れ多いというか。俺も一番お気に入りの作家先生の事は好きすぎてなかなか語れないっす」
「そうなんだ……」
そう言われて改めて考えてみたが、私には現時点で一番好きな『推し』はないのかもしれない。好きなゲームはどれもこれも好きではあるけど、恋のような熱量でもって語ったことは一度もなかった。そう気が付くと何だか寂しいものだ。
「初対面の相手に好きを熱く語りすぎてドン引きされてもイヤだし……」
駆がごにょごにょ言うのだが、確かにそれはオタクあるあるである。
「だったらSNSで趣味アカウント作って、遠慮なく思う存分呟けば。推しのタグ付ければ同好の士が反応してくれるんじゃない? どうせ匿名なんだし」
と未だアカを持っていない駆に提案すると、駆はおずおずと頷いた。
「……確かに匿名ならいけるかな……」
「アイコンをはりねずみのぬいぐるみにしてみるとか」
「なるほど……」
駆は顎に手を当て感心している。こんな事簡単に思いつくのではとつい思ってしまうのだが、これまでずっと趣味を禁止され、その抑圧が強すぎて実行に移せなかったのだろう。私達が背中をそっと押してあげない限り、駆は呟くことすら始められないのではなかろうかと私は心配してしまった。
「アカ作ったら教えてくれよ。俺のアカを代わりに教えてやっから。毒は何がいい~とか完全犯罪を行うには~とかヤバい事ばっか呟いてっけどさ」
と内海君がわははと笑った。私も負けじと言った。
「私のアカも教えるよ。疲れた、眠いとか仕事辞めたいとかネガティブな事ばっかり呟いている限界OLっぽいアカだけど、そんなので良ければ」
「食べ終わったら、ぬいぐるみの写真撮って早速アカ作ってみる!」
駆の目が輝き始めた。
食べ終わったらという言葉で、私達は話に夢中になりすぎて締めのうどんが煮詰まりかけていることに気が付く。私は慌てて卓上コンロの火を止め、焦げかかって鍋にへばりついているうどんを菜箸で必死でかき混ぜた。
「野郎ども、さっさと食べちゃって!」
既に私は満腹だった。
「ラジャー!」
「了解っす!」
内海君と駆は私に向かって敬礼すると、味がしっかり染みたうどんを早速食べ始め、あっという間に全部片づけてしまったのだった。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
私達の同居生活が始まって約二か月が経ち、早くもゴールデンウィークを迎えていた。5月3日、憲法記念日に、駆の大学の友人、|内海 陽大《うつみ はると》君を呼んでようやくすき焼きパーティを開くことができた。野菜と、高級米沢牛を奮発してどっさり買ってきた後、キッチンの棚の奥に眠っていたすき焼き鍋とガスボンベタイプの卓上コンロを駆に取り出してもらう。これを使うのは何年ぶりだろう。
夕方、イベントの撤収系アルバイトを一つ終わらせてから内海君は我が家にやって来た。
「おっじゃまっしまーす!」
大声で挨拶しながら内海君はあまり広くない我が家の玄関に入って来た。出迎えた私を見るなり「おおっ!」と何故か嬉しそうな声を挙げてから、
「初めまして、内海と申します。今晩は遠慮なくゴチになるっす!」
と言って威勢よく頭を下げた。そんな内海君は白いTシャツの上に真っ赤でど派手な金魚柄のアロハシャツにダメージジーンズを着ており、K大生というよりむしろガテン系兄さんのように見える。後で聞いたところによると、そのアロハシャツはたまたま通りがかった古着屋で見かけ、一目惚れし即買ったものらしい。
その日は駆の部屋に泊ることとなっていたため、背負っていた大き目のリュックを置くために駆の部屋に入った内海君は、この時まで駆がずっと秘密にしていた大量の少女漫画や『ひっそりぐらし』を初めて目にしたのだが、内海君は決してバカにする事なく、「へえ、かわいーじゃん」とひっそりぐらしの『かめ』の巨大なぬいぐるみを嬉しそうに抱っこしていたそうなので、少女漫画や可愛いものが好きなのに、大学入学後誰にも話せずにいたという駆の苦悩もようやく解消されたようだった。
夕方、イベントの撤収系アルバイトを一つ終わらせてから内海君は我が家にやって来た。
「おっじゃまっしまーす!」
大声で挨拶しながら内海君はあまり広くない我が家の玄関に入って来た。出迎えた私を見るなり「おおっ!」と何故か嬉しそうな声を挙げてから、
「初めまして、内海と申します。今晩は遠慮なくゴチになるっす!」
と言って威勢よく頭を下げた。そんな内海君は白いTシャツの上に真っ赤でど派手な金魚柄のアロハシャツにダメージジーンズを着ており、K大生というよりむしろガテン系兄さんのように見える。後で聞いたところによると、そのアロハシャツはたまたま通りがかった古着屋で見かけ、一目惚れし即買ったものらしい。
その日は駆の部屋に泊ることとなっていたため、背負っていた大き目のリュックを置くために駆の部屋に入った内海君は、この時まで駆がずっと秘密にしていた大量の少女漫画や『ひっそりぐらし』を初めて目にしたのだが、内海君は決してバカにする事なく、「へえ、かわいーじゃん」とひっそりぐらしの『かめ』の巨大なぬいぐるみを嬉しそうに抱っこしていたそうなので、少女漫画や可愛いものが好きなのに、大学入学後誰にも話せずにいたという駆の苦悩もようやく解消されたようだった。
すき焼き鍋を卓上コンロにセットし、駆特製のわりしたを入れて火を付けた。煮立ってきたところで野菜を先に入れてから後で肉を追加する。いわゆる関東風だ。
「すき焼きなんて滅茶苦茶久しぶりっす!」
内海君は生卵を割りほぐすと、手を合わせ「いっただっきまーす♪」と言ってから早速箸をつけ始めた。駆も負けじと食べ始める。
内海君はいわゆる苦学生ではあるが、悲壮感は全くなくとても陽気で元気な青年だった。髪はなかなか切る暇がないとかでけっこうぼさぼさに伸びていており、外でのアルバイトが多いためとても日焼けしている。駆との出会いは偶々実験で同じ班となり、手先の器用な駆が率先して実験をてきぱきとやってくれたことがきっかけだったようだ。
複数の派遣会社に登録しては様々な種類のアルバイトをしてきたようで、すき焼きをつつきながら経験してきた話をあれこれ語ってくれた。事務所の引っ越しや、倉庫のピッキング、有名アーティストのライブの設営・撤収や警備、資格試験の立ち合い、交通量調査等々やったらしいが、その間数えきれない人々と出会ったそうだ。当然その中にはいい人もいれば食わせ者もいる。会う度に必ず缶コーヒーを一本御馳走してくれる親切なおばさんがいたかと思うと、苦学生に借金を申し込もうとしたり、ギャンブルや夜の街での遊びに誘ってくる悪いおじさんがいたり。内海君はそんな出会いも全て前向きにとらえ、自分の糧なのだと語ってくれた。一発逆転が狙えるのではとちょっと期待し、一度だけ悪いおじさんに競馬場に連れて行ってもらったことがあったが、なけなしの金をつぎ込んだ馬券が全く当たらなかった事から、これは自分には向かない危険な遊びだとさっさと悟ったらしい。
そんな彼が特に気を付けているのは、一つのアルバイトにのめり込みすぎないことだと言う。アルバイトなど時給が安い代わりに責任がないのがメリットのはずなのに、バイトリーダーにされ安い時給で責任を持たされ辞めるに辞められなくなったバイト仲間を大勢見てきたからだとか。
「真面目な連中がその罠にはまっちゃうんっすよ。いいように使われてシフトをがんがん入れられ勉強どころじゃなくなっちまうのに、体調でも崩したらあっけなくぽいっす」
内海君は甘辛いすき焼きのたれが染み込んだ柔らかい肉を本当に美味しそうに頬張りながら、シリアスな話をさらっとする。私は具がほとんど無くなりかけていた鍋に菜箸で野菜と肉を一生懸命追加しながら頷いた。食欲旺盛な男子二名の食べるスピードには本当に驚かされる。
「一種のやりがい搾取だよね、それ」
「そうなんっす。俺はそれが怖くてちょっと時給が良くても絶対バイトリーダーにはならなかったっすね。バイトは楽しいし色んな人達と出会える場でもあるけど、あくまで稼ぐ手段だってことを忘れないようにしないとダメなんっす。今年は就活だ、卒論だってやるべき事がてんこ盛りなんで、山城が紹介してくれる割のいい家庭教師のバイトがとても助かってるっす」
「そうなの?」
私が駆に尋ねると、内海君の話に耳を傾けつつ、ひたすら黙々と食べていた駆が頷いた。
「オレのところにおばあさんの知り合いから家庭教師を打診する電話がよくかかってくるんだけど、オレは例のキッズシッターだけで手一杯だから、内海君によくお願いしてるんだ」
「家庭教師のバイトは直接契約に限るっす。夕飯も御馳走してもらえるんだけど、これが美味いのなんのって。さすがお金持ちは違うっすね。紹介会社通すと中間搾取がひどくって」
と内海君。私は相槌を打つ。
「分かるー。私も紹介会社通してやったことあるけどびっくりしたわ。でも家庭教師ってなかなかマッチングしなかったから仕方なく登録してたけど」
「いい家庭教師先はつくづくコネっすね。今回でよく分かったっす。俺、山城とダチで本当に良かったわ~。ほんと、持つべきものは友っす!」
内海君は屈託なく笑った。
それから苦学生ならではのエピソードをさらに披露する。
「俺、ボランティアと実益を兼ねて時々献血ルームに行くんっすよ。同じ寮の先輩から教わったんっすけど、飲み物やお菓子が食べ放題だし、Wi-fi繋がってるから無料ネカフェみたいに使うとお得なんっす」
「えー、私は献血一度だけやったことあるけど、貧血起こしたから無理」
私はその時気分が悪くなって歩けなくなった事を思い出しながら身を震わせた。すると内海君は満面の笑みを浮かべながら答える。
「俺、血の気が多いからへーきっす。ただ残念ながら回数制限あるから、そう頻繁にできないんっすよね」
ここで頼まれると断れない駆が、らしい話を披露してくる。
「オレO型なんだけど、ほら、O型って他の血液型にも輸血できるでしょ? 時々街でO型の血液が不足してますって看板持ってる人見かけるとなんか申し訳なくなってつい献血しちゃうんだよね……」
つい、で献血してしまうのか。いかにも駆らしい動機である。だが、そんな駆のお陰で助かっている人達が間違いなくいると思えば決して間違ってはいない。
「すき焼きなんて滅茶苦茶久しぶりっす!」
内海君は生卵を割りほぐすと、手を合わせ「いっただっきまーす♪」と言ってから早速箸をつけ始めた。駆も負けじと食べ始める。
内海君はいわゆる苦学生ではあるが、悲壮感は全くなくとても陽気で元気な青年だった。髪はなかなか切る暇がないとかでけっこうぼさぼさに伸びていており、外でのアルバイトが多いためとても日焼けしている。駆との出会いは偶々実験で同じ班となり、手先の器用な駆が率先して実験をてきぱきとやってくれたことがきっかけだったようだ。
複数の派遣会社に登録しては様々な種類のアルバイトをしてきたようで、すき焼きをつつきながら経験してきた話をあれこれ語ってくれた。事務所の引っ越しや、倉庫のピッキング、有名アーティストのライブの設営・撤収や警備、資格試験の立ち合い、交通量調査等々やったらしいが、その間数えきれない人々と出会ったそうだ。当然その中にはいい人もいれば食わせ者もいる。会う度に必ず缶コーヒーを一本御馳走してくれる親切なおばさんがいたかと思うと、苦学生に借金を申し込もうとしたり、ギャンブルや夜の街での遊びに誘ってくる悪いおじさんがいたり。内海君はそんな出会いも全て前向きにとらえ、自分の糧なのだと語ってくれた。一発逆転が狙えるのではとちょっと期待し、一度だけ悪いおじさんに競馬場に連れて行ってもらったことがあったが、なけなしの金をつぎ込んだ馬券が全く当たらなかった事から、これは自分には向かない危険な遊びだとさっさと悟ったらしい。
そんな彼が特に気を付けているのは、一つのアルバイトにのめり込みすぎないことだと言う。アルバイトなど時給が安い代わりに責任がないのがメリットのはずなのに、バイトリーダーにされ安い時給で責任を持たされ辞めるに辞められなくなったバイト仲間を大勢見てきたからだとか。
「真面目な連中がその罠にはまっちゃうんっすよ。いいように使われてシフトをがんがん入れられ勉強どころじゃなくなっちまうのに、体調でも崩したらあっけなくぽいっす」
内海君は甘辛いすき焼きのたれが染み込んだ柔らかい肉を本当に美味しそうに頬張りながら、シリアスな話をさらっとする。私は具がほとんど無くなりかけていた鍋に菜箸で野菜と肉を一生懸命追加しながら頷いた。食欲旺盛な男子二名の食べるスピードには本当に驚かされる。
「一種のやりがい搾取だよね、それ」
「そうなんっす。俺はそれが怖くてちょっと時給が良くても絶対バイトリーダーにはならなかったっすね。バイトは楽しいし色んな人達と出会える場でもあるけど、あくまで稼ぐ手段だってことを忘れないようにしないとダメなんっす。今年は就活だ、卒論だってやるべき事がてんこ盛りなんで、山城が紹介してくれる割のいい家庭教師のバイトがとても助かってるっす」
「そうなの?」
私が駆に尋ねると、内海君の話に耳を傾けつつ、ひたすら黙々と食べていた駆が頷いた。
「オレのところにおばあさんの知り合いから家庭教師を打診する電話がよくかかってくるんだけど、オレは例のキッズシッターだけで手一杯だから、内海君によくお願いしてるんだ」
「家庭教師のバイトは直接契約に限るっす。夕飯も御馳走してもらえるんだけど、これが美味いのなんのって。さすがお金持ちは違うっすね。紹介会社通すと中間搾取がひどくって」
と内海君。私は相槌を打つ。
「分かるー。私も紹介会社通してやったことあるけどびっくりしたわ。でも家庭教師ってなかなかマッチングしなかったから仕方なく登録してたけど」
「いい家庭教師先はつくづくコネっすね。今回でよく分かったっす。俺、山城とダチで本当に良かったわ~。ほんと、持つべきものは友っす!」
内海君は屈託なく笑った。
それから苦学生ならではのエピソードをさらに披露する。
「俺、ボランティアと実益を兼ねて時々献血ルームに行くんっすよ。同じ寮の先輩から教わったんっすけど、飲み物やお菓子が食べ放題だし、Wi-fi繋がってるから無料ネカフェみたいに使うとお得なんっす」
「えー、私は献血一度だけやったことあるけど、貧血起こしたから無理」
私はその時気分が悪くなって歩けなくなった事を思い出しながら身を震わせた。すると内海君は満面の笑みを浮かべながら答える。
「俺、血の気が多いからへーきっす。ただ残念ながら回数制限あるから、そう頻繁にできないんっすよね」
ここで頼まれると断れない駆が、らしい話を披露してくる。
「オレO型なんだけど、ほら、O型って他の血液型にも輸血できるでしょ? 時々街でO型の血液が不足してますって看板持ってる人見かけるとなんか申し訳なくなってつい献血しちゃうんだよね……」
つい、で献血してしまうのか。いかにも駆らしい動機である。だが、そんな駆のお陰で助かっている人達が間違いなくいると思えば決して間違ってはいない。
その後内海君のサークルの話になったのだが、突然しょんぼりと悲しそうな顔をした。
「俺、せっかく念願のミステリー系サークルに入ったっていうのに、結局幽霊部員なんっすよ。バイトで忙しくて全然活動できてなくて、それどころか今はミステリーの新作なんて禄に読めてねーっつーの!」
私の親友の柳田 渚は元文学少女だが同時にミステリー好きでもあるので、この場にいたらさぞかし内海君と話が盛り上がったことだろう。残念ながら私はあまり詳しくないので、代わりに自分が知っているマダミス(マーダーミステリーの略)の話を振った。
「マダミスって何っすか? ポケミスとかこのミスみたいな?」
私は逆にポケミスやこのミスを知らなかったから尋ねたところ、ポケミスは新書版の叢書『ハヤカワポケットミステリ』のこと、このミスは『このミステリーはすごい!』の略で、ミステリーのブックランキングムック本だそうだ。一つ賢くなったところでマダミスの説明に戻る。
「テーブルトークRPGに近いんだけど、参加者全員が物語の登場人物になり切って事件の犯人を突き止めるゲームの事だよ」
内海君はぽかんとする。
「テーブルトークRPGとは何っすか?」
あちゃー、そこからか。結局私は内海君に丁寧にテーブルトークRPG(略してTRPG)とマダミスの説明をする羽目に陥ったのだった。
「テーブルトークRPGとは、ゲームマスターと呼ばれる進行役と冒険者とかになり切ったプレイヤー達が話し合いながら協力して物語を進めていくゲームの事だよ。ある意味即興演劇なのかもね。日本だとRPGって言うとコンピューターゲームのイメージがあるけど、元々は対人プレイから始まったんだ」
「なるほどー。全然知らなかったっす」
私は冷たい麦茶を一口飲んでから説明を続ける。
「一方マダミスはTRPGに近いけど、プレイヤー達が架空の殺人事件などの登場人物を演じて犯人を推理するわけ。最終的に全員で誰が犯人か投票して、その結果次第で迎えるエンディングが変わってくるんだ。まあ、必ずしも殺人事件とは限らないんだけどね。自作のキャラを演じるTRPGと違って与えられた役割を演じるから、犯人役になる場合もあるね」
「つまり犯人役が割り振られた場合は、疑いを向けられないようにしないといけないんっすね」
内海君は考え込んだ。私は相槌を打った。
「そうなの。その場合いかに他のプレイヤーを騙すかという力量が試されるわけ」
「役割を演じつつ推理するのかあ。けっこうハードっすね。氷室さんはそういうゲーム好きなんっすか?」
内海君が不思議そうに私の顔をじっと見てきたので、私はにっと笑った。
「うん、私はなり切って遊ぶ事が大好きなんだよ。だから人間相手のTRPGやマダミスも好きだし、コンピューターゲームのRPGも好き。まあ、対人の場合交渉や騙し騙されっていう要素も入って来るからそのやり取りも楽しいよね」
へえと内海君はしきりに感心する。
「俺はなりきりとかこっ恥ずかしいからマダミス参加はなかなか難しそうだけど、それだったらむしろシナリオ作る側に回りたいっすね。高校時代はお恥ずかしながら推理小説みたいなもん書いたりもしてたんっすよ」
「そうなんだ、内海君にそういう趣味があるってオレ全然知らなかったよ」
駆が驚いたように目を丸くする。すると内海君は駆のわき腹を肘で小突いた。
「お前だって正統派イケメンのくせに、可愛いもの好きとかギャップありすぎだろ」
「ちなみにランちゃんはけっこうなりきり上手だよ」
と私がFQⅢの駆の高飛車美少女キャラの話をすると、駆の顔が一瞬で真っ赤になった。
「アルファさん! 女性キャラプレイしてるってわざわざ内海君にバラさなくったっていいじゃない!」
「今更じゃね?」
「今更じゃん」
内海君と私の意見は完全一致したのだった。
「俺、せっかく念願のミステリー系サークルに入ったっていうのに、結局幽霊部員なんっすよ。バイトで忙しくて全然活動できてなくて、それどころか今はミステリーの新作なんて禄に読めてねーっつーの!」
私の親友の柳田 渚は元文学少女だが同時にミステリー好きでもあるので、この場にいたらさぞかし内海君と話が盛り上がったことだろう。残念ながら私はあまり詳しくないので、代わりに自分が知っているマダミス(マーダーミステリーの略)の話を振った。
「マダミスって何っすか? ポケミスとかこのミスみたいな?」
私は逆にポケミスやこのミスを知らなかったから尋ねたところ、ポケミスは新書版の叢書『ハヤカワポケットミステリ』のこと、このミスは『このミステリーはすごい!』の略で、ミステリーのブックランキングムック本だそうだ。一つ賢くなったところでマダミスの説明に戻る。
「テーブルトークRPGに近いんだけど、参加者全員が物語の登場人物になり切って事件の犯人を突き止めるゲームの事だよ」
内海君はぽかんとする。
「テーブルトークRPGとは何っすか?」
あちゃー、そこからか。結局私は内海君に丁寧にテーブルトークRPG(略してTRPG)とマダミスの説明をする羽目に陥ったのだった。
「テーブルトークRPGとは、ゲームマスターと呼ばれる進行役と冒険者とかになり切ったプレイヤー達が話し合いながら協力して物語を進めていくゲームの事だよ。ある意味即興演劇なのかもね。日本だとRPGって言うとコンピューターゲームのイメージがあるけど、元々は対人プレイから始まったんだ」
「なるほどー。全然知らなかったっす」
私は冷たい麦茶を一口飲んでから説明を続ける。
「一方マダミスはTRPGに近いけど、プレイヤー達が架空の殺人事件などの登場人物を演じて犯人を推理するわけ。最終的に全員で誰が犯人か投票して、その結果次第で迎えるエンディングが変わってくるんだ。まあ、必ずしも殺人事件とは限らないんだけどね。自作のキャラを演じるTRPGと違って与えられた役割を演じるから、犯人役になる場合もあるね」
「つまり犯人役が割り振られた場合は、疑いを向けられないようにしないといけないんっすね」
内海君は考え込んだ。私は相槌を打った。
「そうなの。その場合いかに他のプレイヤーを騙すかという力量が試されるわけ」
「役割を演じつつ推理するのかあ。けっこうハードっすね。氷室さんはそういうゲーム好きなんっすか?」
内海君が不思議そうに私の顔をじっと見てきたので、私はにっと笑った。
「うん、私はなり切って遊ぶ事が大好きなんだよ。だから人間相手のTRPGやマダミスも好きだし、コンピューターゲームのRPGも好き。まあ、対人の場合交渉や騙し騙されっていう要素も入って来るからそのやり取りも楽しいよね」
へえと内海君はしきりに感心する。
「俺はなりきりとかこっ恥ずかしいからマダミス参加はなかなか難しそうだけど、それだったらむしろシナリオ作る側に回りたいっすね。高校時代はお恥ずかしながら推理小説みたいなもん書いたりもしてたんっすよ」
「そうなんだ、内海君にそういう趣味があるってオレ全然知らなかったよ」
駆が驚いたように目を丸くする。すると内海君は駆のわき腹を肘で小突いた。
「お前だって正統派イケメンのくせに、可愛いもの好きとかギャップありすぎだろ」
「ちなみにランちゃんはけっこうなりきり上手だよ」
と私がFQⅢの駆の高飛車美少女キャラの話をすると、駆の顔が一瞬で真っ赤になった。
「アルファさん! 女性キャラプレイしてるってわざわざ内海君にバラさなくったっていいじゃない!」
「今更じゃね?」
「今更じゃん」
内海君と私の意見は完全一致したのだった。
準備していた具材がすべて皆の胃袋の中に収まり鍋に締めのうどんを投入した時、内海君がこんなことを言ってきた。
「俺、K大に入ってちょーしくったって思ってるんっすけど」
「どうして?」
私が尋ねた。すると内海君は威勢よくぼやき始めた。
「俺が大学入った直後に実家でずっとやってた飲食店の経営が突然傾いたんっすよ。数年前に地元に進出してきた同業他社にパイを奪われたのが理由なんっすけど、結果仕送りが全面ストップしちゃって。慌てて今住んでるおんぼろ寮に引っ越したり、貸与型の奨学金申請して、それ以外に大学独自の給付型奨学金とかもらえたから何とか今授業料も払えてるんっすけど、事前に分かってたらもっと授業料の安い大学を選んでたのに……とか」
「とか?」
「K大の学生って皆金持ちだと思われてるじゃないっすか、せっかくデートにこぎつけても女の子は皆俺に奢ってもらえるって思い込んでるっす」
「へえ、そうなんだ」
「会計時、絶対に財布出さないっつすからね。俺、割り勘してくれる女の子としか付き合いたくないんで、未だに彼女募集中っす」
そう言った後、隣に座っている駆の肩に腕を回し話題を振ってくる。
「なあ、山城、お前は奢るんだろ?」
「……オレ、今まで一度もデートした事ないから……」
駆が衝撃的なことを告白してきた。
「ウソだろ!?」
内海君が口をぽかんと開けた。駆は言いにくそうに俯きながら口の中でぼそぼそと言う。
「誘われたことは何度もあるけど、みんなキラキラしたリア充っぽい女子ばかりだし、オタバレしたら絶対軽蔑されそうだったから全部断ってた……」
「くー、マジかよ。もったいねー」
内海君が拳を握りしめた。
「何事も経験だろ? 相手だって実は隠れオタかもしれないんだぞ」
「ええっ!?」
駆はあり得ないという表情になった。
「ブランドもののバッグや財布を日常使いしているお洒落な女子が隠れオタ???」
「いや、その台詞ブーメランだと思うけど」
突っ込み待ちなのだろうかと思い、私は駆に突っ込んだ。駆はあたふたと手を振る。
「いや、オレの場合別に自分で買った訳じゃないから……」
「そういう問題じゃないと思うぞ」
内海君も突っ込んだ。
「お前を見て誰がオタクだって思うんだよ! それと同じだって」
駆はしょんぼりする。駆は自分の事をおばあさんに買ってもらった衣服を適当に合わせているだけだと思っている節があるが、本当にブランドものを文字通り適当に合わせているだけなら絶対にお洒落にはならず、むしろ滅茶苦茶ダサくなる。駆にはコーディネートのセンスが備わっているから様になっているという自覚が全くないのがもどかしい。
「そう言う内海君はミステリーオタクでしょ?」
私が話を振ると、内海君は誇らしげに頷いて親指を立てた。
「もちろんっす!」
そんな内海君だってオタクには全く見えない。駆とは別な意味で。
「氷室さんだって、全然ゲームオタクには見えないっすよ」
「でしょ?」
私も内海君を真似して親指を立てた。駆は内海君と私を代わる代わる見て羨ましそうにぼやく。
「何で二人ともそんなに自信満々なの?」
「君も胸を張ってオタクを名乗ればいいんだよ」
私は反対側に座っている駆の肩を身を乗り出しポンと叩く。すると駆は思い出したように口を開いた。
「あー……そう言えば先日講義の後、新しく同級生になった女子達とひっそりぐらしの話をしたんだ」
きっかけは、今年の春から駆がペンケースに大量投入したひっそりぐらしのカラフルな蛍光ペンだったそうだが、それを目ざとく見つけた女子達が話しかけてきたそうだ。
「いいじゃん」
私が相槌を打つと、駆はもじもじしながら打ち明ける。
「どのキャラが好きって訊かれて、オレ、はりねずみって恥ずかしくて言えなくて全部って答えてしまって……」
何故そこで恥ずかしがるのかさっぱり理解できない。そう尋ねると駆は照れくさそうに笑った。
「オレ、好きって言語化するのが苦手なのかな……」
「私には一杯語ってたじゃん!」
私は腕を組み口を尖らせた。駆は困り顔をする。
「アルファさんなら受け止めてくれると思ったから……」
何でやねん。
「俺は分かるな。一番好きなものはなかなか好きと言えない気持ち」
内海君が駆の肩を持った。
「口に出すのが畏れ多いというか。俺も一番お気に入りの作家先生の事は好きすぎてなかなか語れないっす」
「そうなんだ……」
そう言われて改めて考えてみたが、私には現時点で一番好きな『推し』はないのかもしれない。好きなゲームはどれもこれも好きではあるけど、恋のような熱量でもって語ったことは一度もなかった。そう気が付くと何だか寂しいものだ。
「初対面の相手に好きを熱く語りすぎてドン引きされてもイヤだし……」
駆がごにょごにょ言うのだが、確かにそれはオタクあるあるである。
「だったらSNSで趣味アカウント作って、遠慮なく思う存分呟けば。推しのタグ付ければ同好の士が反応してくれるんじゃない? どうせ匿名なんだし」
と未だアカを持っていない駆に提案すると、駆はおずおずと頷いた。
「……確かに匿名ならいけるかな……」
「アイコンをはりねずみのぬいぐるみにしてみるとか」
「なるほど……」
駆は顎に手を当て感心している。こんな事簡単に思いつくのではとつい思ってしまうのだが、これまでずっと趣味を禁止され、その抑圧が強すぎて実行に移せなかったのだろう。私達が背中をそっと押してあげない限り、駆は呟くことすら始められないのではなかろうかと私は心配してしまった。
「アカ作ったら教えてくれよ。俺のアカを代わりに教えてやっから。毒は何がいい~とか完全犯罪を行うには~とかヤバい事ばっか呟いてっけどさ」
と内海君がわははと笑った。私も負けじと言った。
「私のアカも教えるよ。疲れた、眠いとか仕事辞めたいとかネガティブな事ばっかり呟いている限界OLっぽいアカだけど、そんなので良ければ」
「食べ終わったら、ぬいぐるみの写真撮って早速アカ作ってみる!」
駆の目が輝き始めた。
食べ終わったらという言葉で、私達は話に夢中になりすぎて締めのうどんが煮詰まりかけていることに気が付く。私は慌てて卓上コンロの火を止め、焦げかかって鍋にへばりついているうどんを菜箸で必死でかき混ぜた。
「野郎ども、さっさと食べちゃって!」
既に私は満腹だった。
「ラジャー!」
「了解っす!」
内海君と駆は私に向かって敬礼すると、味がしっかり染みたうどんを早速食べ始め、あっという間に全部片づけてしまったのだった。
「俺、K大に入ってちょーしくったって思ってるんっすけど」
「どうして?」
私が尋ねた。すると内海君は威勢よくぼやき始めた。
「俺が大学入った直後に実家でずっとやってた飲食店の経営が突然傾いたんっすよ。数年前に地元に進出してきた同業他社にパイを奪われたのが理由なんっすけど、結果仕送りが全面ストップしちゃって。慌てて今住んでるおんぼろ寮に引っ越したり、貸与型の奨学金申請して、それ以外に大学独自の給付型奨学金とかもらえたから何とか今授業料も払えてるんっすけど、事前に分かってたらもっと授業料の安い大学を選んでたのに……とか」
「とか?」
「K大の学生って皆金持ちだと思われてるじゃないっすか、せっかくデートにこぎつけても女の子は皆俺に奢ってもらえるって思い込んでるっす」
「へえ、そうなんだ」
「会計時、絶対に財布出さないっつすからね。俺、割り勘してくれる女の子としか付き合いたくないんで、未だに彼女募集中っす」
そう言った後、隣に座っている駆の肩に腕を回し話題を振ってくる。
「なあ、山城、お前は奢るんだろ?」
「……オレ、今まで一度もデートした事ないから……」
駆が衝撃的なことを告白してきた。
「ウソだろ!?」
内海君が口をぽかんと開けた。駆は言いにくそうに俯きながら口の中でぼそぼそと言う。
「誘われたことは何度もあるけど、みんなキラキラしたリア充っぽい女子ばかりだし、オタバレしたら絶対軽蔑されそうだったから全部断ってた……」
「くー、マジかよ。もったいねー」
内海君が拳を握りしめた。
「何事も経験だろ? 相手だって実は隠れオタかもしれないんだぞ」
「ええっ!?」
駆はあり得ないという表情になった。
「ブランドもののバッグや財布を日常使いしているお洒落な女子が隠れオタ???」
「いや、その台詞ブーメランだと思うけど」
突っ込み待ちなのだろうかと思い、私は駆に突っ込んだ。駆はあたふたと手を振る。
「いや、オレの場合別に自分で買った訳じゃないから……」
「そういう問題じゃないと思うぞ」
内海君も突っ込んだ。
「お前を見て誰がオタクだって思うんだよ! それと同じだって」
駆はしょんぼりする。駆は自分の事をおばあさんに買ってもらった衣服を適当に合わせているだけだと思っている節があるが、本当にブランドものを文字通り適当に合わせているだけなら絶対にお洒落にはならず、むしろ滅茶苦茶ダサくなる。駆にはコーディネートのセンスが備わっているから様になっているという自覚が全くないのがもどかしい。
「そう言う内海君はミステリーオタクでしょ?」
私が話を振ると、内海君は誇らしげに頷いて親指を立てた。
「もちろんっす!」
そんな内海君だってオタクには全く見えない。駆とは別な意味で。
「氷室さんだって、全然ゲームオタクには見えないっすよ」
「でしょ?」
私も内海君を真似して親指を立てた。駆は内海君と私を代わる代わる見て羨ましそうにぼやく。
「何で二人ともそんなに自信満々なの?」
「君も胸を張ってオタクを名乗ればいいんだよ」
私は反対側に座っている駆の肩を身を乗り出しポンと叩く。すると駆は思い出したように口を開いた。
「あー……そう言えば先日講義の後、新しく同級生になった女子達とひっそりぐらしの話をしたんだ」
きっかけは、今年の春から駆がペンケースに大量投入したひっそりぐらしのカラフルな蛍光ペンだったそうだが、それを目ざとく見つけた女子達が話しかけてきたそうだ。
「いいじゃん」
私が相槌を打つと、駆はもじもじしながら打ち明ける。
「どのキャラが好きって訊かれて、オレ、はりねずみって恥ずかしくて言えなくて全部って答えてしまって……」
何故そこで恥ずかしがるのかさっぱり理解できない。そう尋ねると駆は照れくさそうに笑った。
「オレ、好きって言語化するのが苦手なのかな……」
「私には一杯語ってたじゃん!」
私は腕を組み口を尖らせた。駆は困り顔をする。
「アルファさんなら受け止めてくれると思ったから……」
何でやねん。
「俺は分かるな。一番好きなものはなかなか好きと言えない気持ち」
内海君が駆の肩を持った。
「口に出すのが畏れ多いというか。俺も一番お気に入りの作家先生の事は好きすぎてなかなか語れないっす」
「そうなんだ……」
そう言われて改めて考えてみたが、私には現時点で一番好きな『推し』はないのかもしれない。好きなゲームはどれもこれも好きではあるけど、恋のような熱量でもって語ったことは一度もなかった。そう気が付くと何だか寂しいものだ。
「初対面の相手に好きを熱く語りすぎてドン引きされてもイヤだし……」
駆がごにょごにょ言うのだが、確かにそれはオタクあるあるである。
「だったらSNSで趣味アカウント作って、遠慮なく思う存分呟けば。推しのタグ付ければ同好の士が反応してくれるんじゃない? どうせ匿名なんだし」
と未だアカを持っていない駆に提案すると、駆はおずおずと頷いた。
「……確かに匿名ならいけるかな……」
「アイコンをはりねずみのぬいぐるみにしてみるとか」
「なるほど……」
駆は顎に手を当て感心している。こんな事簡単に思いつくのではとつい思ってしまうのだが、これまでずっと趣味を禁止され、その抑圧が強すぎて実行に移せなかったのだろう。私達が背中をそっと押してあげない限り、駆は呟くことすら始められないのではなかろうかと私は心配してしまった。
「アカ作ったら教えてくれよ。俺のアカを代わりに教えてやっから。毒は何がいい~とか完全犯罪を行うには~とかヤバい事ばっか呟いてっけどさ」
と内海君がわははと笑った。私も負けじと言った。
「私のアカも教えるよ。疲れた、眠いとか仕事辞めたいとかネガティブな事ばっかり呟いている限界OLっぽいアカだけど、そんなので良ければ」
「食べ終わったら、ぬいぐるみの写真撮って早速アカ作ってみる!」
駆の目が輝き始めた。
食べ終わったらという言葉で、私達は話に夢中になりすぎて締めのうどんが煮詰まりかけていることに気が付く。私は慌てて卓上コンロの火を止め、焦げかかって鍋にへばりついているうどんを菜箸で必死でかき混ぜた。
「野郎ども、さっさと食べちゃって!」
既に私は満腹だった。
「ラジャー!」
「了解っす!」
内海君と駆は私に向かって敬礼すると、味がしっかり染みたうどんを早速食べ始め、あっという間に全部片づけてしまったのだった。