第2章 逃げるが勝ち-1
ー/ー 朝食に昨晩のパンプキンシチューの残りとパンを食べた後、最初に行ったのは玄関と郵便ポストの『氷室』と記載されたステンレス製の表札の右隣に、『山城』とプリンターで印刷した紙をメンディングテープで貼り付けることだった。
「ちゃんとしたプレートじゃなくてごめんね」
と私が言うと、駆は照れくさそうな表情で笑った。
「オレ居候なんで贅沢言えません」
「まあ、そうなんだけど……」
何か陳腐で申し訳なく感じてしまう。駆がどれだけの期間我が家で居候するか分からないけど、しばらくはこれで我慢してもらうしかない。
駆は本当に礼儀正しい青年で、マンションですれ違う人全てに「おはようございます」と丁寧に挨拶している。このマンションは世帯数が少なくお互い顔見知りのため、住人達は表札を見て私が同棲を始めたのだろうと思うのだろう。勘違いしないで下さい、これは同棲じゃなく同居です、ランちゃんはただの居候なんですよなんていちいち隣人達に言い訳するつもりもなかったが、何となく気恥ずかしい。実際、エントランスでばったり出会った同じフロアに住む初老夫妻の奥さんの方から「有葉ちゃん、素敵な彼氏じゃない」と耳打ちされ、私は耳まで真っ赤になった。奥さんは私が両親を亡くしてから何かと気に掛けてくれる親切な人なのだが、違うと否定もできず、ごにょごにょとお茶を濁すことしかできなかった。奥さんが立ち去った後、手で顔をさかんに扇いでいる私に対して駆が不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「ランちゃんが彼氏だって誤解されてしまった。でも否定すると事情を話さなくちゃいけないし、ごめん……」
言い訳がましく私が呟くと、駆はふむと考え込むように顎に手を当ててからさらっと言った。
「まあ、普通そう思うよね。別に誤解されたってオレは構わないけど、アルファさんは迷惑?」
「いや、べ、別に構わないよ」
私も駆を真似てさらっと言おうとしたが微妙に失敗した。
「だけど、ランちゃんの未来の恋人に申し訳ないじゃない?」
「未来の……恋人……?」
駆が本格的に考え込んでしまう。
「そんなこと一度も考えたこともなかったけど……アルファさんはオレの恩人だし、そんなつまらないことでヤキモチ焼く相手はこっちから願い下げだな」
「ちなみに好きな子とかいないの?」
「全くいないよ」
駆は即答した。
「アルファさんこそ、いないの?」
「私?」
思わず咳込み、遠い目をした。
「しばらくは勘弁かな」
見栄を張ってこんな言い方をしてしまった。本当は異性との交際なんてほとんどしたことがないというのに。
「仕事忙しいし、なんか面倒くさくて」
面倒くさいと思っている事は間違っていない。誰かと出会い好きになって告白し交際して……と考えただけで億劫になってくる。今の私にはその気力が全然ないのだ。この年にして既に枯れているのかもしれない。トキメキ? 何それ美味しいの? という気分なのだ。もっともFQⅢをプレイする時間はたっぷりあるのだから、忙しいというのは言い訳に過ぎないのだが。
「それなのにナンパなキャラはプレイするんだ」
駆がふふっと笑った。私のFQⅢのPCアルファはハーフエルフの吟遊詩人なのだが、初対面の女性キャラを見たら挨拶代わりに必ず口説く男だった。
「アーアー、聞こえなーい」
私は耳をふさいでふざけ、誤魔化した。自分と全く逆のキャラメイクをしてしまった事を突っ込まれる日が来るとは思わなかったぞ。
その直後、昨日宅配業者に依頼した駆の荷物が届いたのだが、玄関の前に置かれた段ボールの数に圧倒されてしまった。本の入った小さめの段ボール箱に関しては、少女漫画を大人買いしてしまったと聞いていたから想定内だったが、衣類の入った大き目の段ボールの数が一般男子の所有していると思われる衣類の量を遥かに超えていて、度肝を抜かれた。駆の部屋に置いてあるクローゼット一つでは全然足りない。段ボール箱自体は両親の遺品が置かれている隣の和室にとりあえず置くとしても、新たにクローゼットを買い足さないといけなくなってしまった。昨日のうちに言っておいてくれれば心の準備ができていたのに。私が呆れると思って言い出せなかったのだろうか。荷物を解くのは後回しにして、三郷にある北欧系の家具量販店に行くことを急遽決める。
最寄駅からオレンジのラインの入った武蔵野線の車両に乗り込んだ。自宅の最寄り駅は乗換駅でもあるので大勢の人たちがどっと降りていったため、私達はロングシートに座ることができた。
今日は昨日とうって変わって暖かく、私は黒っぽいブラウスにベージュのガウチョパンツ、オフホワイトのロングカーディガンを着ていたが、まだ荷物を解いていない駆は、ダッフルコートは自宅に置いて来たものの昨日とほぼ同じ服装である。
「君、着道楽だったんだね……」
私は隣に座った駆の方を向いて言った。すると駆の顔がとたんに困り顔になる。
「オレの服、ほとんどおばあさんに買ってもらったもので……」
「そうだったんだ」
「おばあさんは買い物が趣味みたいな人なんだけど、オレが進学したとたんに、仕事で上京する度オレを呼び出して買い物に付き合わせては服を買ってくれるようになった……それがあんな量になってしまって……」
駆のお祖母さんは地元で不動産業を営んでいるとは聞いていたけど、かっこいい孫を連れ歩いては高級な服を買い与えていたってことか。まあ、着せ替え人形のように服をとっかえひっかえしたくなる気持ちは分からないではない。私は羨ましくなって吐息をついたが、その意味を誤解されたようだ。
「……身分不相応だってことは分かってる……オレ、ブランドとかは全然分からないけど、服に付いたタグは見てたから価格は知ってるし……。おばあさんはオレを可愛がってくれていたからいらないとも言えないし、あれば着てたけど、父さんはおばあさんの買ってくれた服を着ているといい顔しないし……」
「え、買ってくれるならラッキーって私なら思っちゃうけどね」
これは私の本心である。ただし我が家のクローゼットを圧迫しなければ、の話だ。
それから私はしばらく反対側のロングシートの窓から見える風景をぼんやりと目で追った。ビルやマンションが徐々にまばらになり一軒家や畑が増えていく。まだ三月上旬なので緑は乏しいものの、あとひと月もしないうちに桜や菜の花が咲き乱れるのだろう。今乗っている武蔵野線と少し離れてほぼ平行に走っている東武野田線は、愛称アーバンパークラインなのだが、毎回どこが『アーバン』なのだろうと思ってしまうほど、この一帯はのどかな景色が広がっているのだ。
この時私はふと気が付いた。
「ん? ランちゃん、おばあさんに今回の件は話していないの?」
駆は即答しなかった。そして言いにくそうに俯いたままぼそぼそと説明し始める。
「……おばあさんと婿の父さんは本当に仲が悪いんだよ……犬猿の仲ってやつ? 母さんがいずれおばあさんに話すとは思うけど、オレの口から事情を話したり、援助を求めていたらおばあさんと父さんは全面戦争に突入しかねない……だからとても言い出せなかった……結果アルファさんに頼ることになってしまってごめんなさい……」
私は驚きのあまり瞬きしかできなかった。駆が相当裕福らしいおばあさんに頼れなかったのはそういうことなのか。確かに自分の事で身内が争うのは見たくないよね。
「……そっか……うん、当然だ……」
私は駆の選択を肯定する。
「本当にごめんなさい」
駆は立ち上がると頭を深々と下げもう一度謝ってくる。私は駆の方を向いて親指を立て笑いかけたのだった。
「全然問題ない。気にしなくていいよ!」
新三郷駅で下車すると、家具量販店までのんびり歩いていくことにする。電車に揺られた上にぽかぽか陽気で、つい欠伸が出てしまう。
すぐ近くにはショッピングモールや会員制倉庫型店舗などもあるのだが、今日は家具量販店だけ見ることにする。運動不足の私はそこを見ただけでへとへとになることは間違いないからだ。
量販店の中をけっこう歩いてからクローゼット類が置いてあるコーナーに辿り着くと、予め計っていた我が家の空きスペースに合う寸法のクローゼットをなんとか見繕うことができた。更に残りのスペースに置ける程度の本棚も発見したので、こちらも購入することにする。
発送手続きが済んだ時点で私達のお腹は鳴り始めたため、付属のレストランで昼食を摂った。ついでに五十円の名物ソフトクリームもしっかり食べてから帰宅の途につく。
自宅に帰ると駆は早速荷ほどきを始めた。一応手伝いを申し出たが大丈夫と断られてしまったため、私は遠慮なくソファで昼寝をさせてもらう。正直私はもうへとへとだったが、一方駆はさすがアスリート、タフである。全く疲れた様子を見せることはなかった。
数時間後駆の部屋を訪れると、買った家具が届くのは翌週になるため未開封の段ボール箱は残されていたものの、『ひっそりぐらし』の大小様々なぬいぐるみがベッドの上に置かれていて、元から置いてあった本棚には大学の教科書や工学の専門書以外に、少女漫画がぎっしりと収められていた。元々置いてあった書斎机の上にはごついゲーミングPCと大き目のディスプレイが設置されていたが、PCの筐体にはFQⅢの派手なステッカーが貼ってあった。ここには駆の好きなものが溢れている。
「ひっそりぐらし、何が好きなの?」
私はベッドの上に置いてある巨大なペパーミントグリーンの『かめ』のぬいぐるみを両手で持ち上げながら尋ねた。かめは本人が覚えていないほど長く生きていて物忘れもしょっちゅうだが、そのおとぼけっぷりがファンから愛されているキャラだ。
既に置いてあった方のクローゼットに今すぐ使う春物の洋服を収納していた駆は笑顔で答えてくる。
「オレは『はりねずみ』推しだよ」
ひっそりぐらしのはりねずみは、パステルイエローで少し困り顔をしたキャラだ。自分の背中の針で誰かを傷つけてしまうのではないかといつも心配している。確かに黒いゲーミングPCの横に、はりねずみがそっと置いてあった。おずおずと笑う駆とはりねずみはよく似ていると、私はこっそりと思った。
「私は『てでぃべあ』が一番好きかな」
そう言いながらベッドの上に置いてある水色のてでぃべあを手に取った。てでぃべあはその名の通りクマのぬいぐるみなのだが、お腹の縫い目がほつれてしまったため綿が飛び出し痩せてしまい、失われた綿を常に探し求めているという設定だった。それ以外のメインキャラとしてピンクのみにぶたがいる。みにぶたは、自分が成長していつかミニブタではなくなってしまうのではないかと密かに恐れているキャラだった。
私はてでぃべあをそっとベッドの上に戻すと、次に本棚に収納された少女漫画のタイトルを眺める。本棚を見ればその人が分かると言うが、駆の蔵書は吸血鬼一族の漫画や、フランス革命を舞台にした漫画など今や古典となった少女漫画もあったものの、意外にSF系が多いことに気が付いた。
「少女漫画が好きって言うから典型的な少女漫画の愛好家なのかと思ったらそういう訳でもないんだね……」
私が感想を述べると、背後に駆が歩み寄って来た。
「小さい頃にピアノの先生の家で読んでいた少女漫画が未来もので、人間そっくりなアンドロイド二人が主人公なんだけど、とても繊細で美しい絵なのに話はとてもハードで心を打ち抜かれたんだ……」
駆の指がある一連の文庫本の背表紙につと触れた。
「これがそのシリーズなんだけど、オレの少女漫画の原体験だね……」
私はそのシリーズは寡聞にして知らなかった。
「借りてもいい?」
「もちろん。アルファさんが気に入ってくれるといいんだけど」
駆がおずおずと微笑みかけた。私も笑ってみせた。
「ありがとう。うちの両親もけっこう少女漫画は収集していたんだよ。和室に置いてある本棚に収納しているから、良かったら暇なときにでも読んでみて」
駆は嬉しそうに頷いたのだった。
駆がそろそろ夕飯の支度をすると言うので、リビングダイニングに二人で移動する。ダイニングテーブル側に座って先ほど駆から借りてきた漫画を読んでいた私に、駆がカウンターキッチンで野菜を洗いながら恐る恐る尋ねてきた。
「……アルファさんのご両親はどんな方達だったの?」
リビングダイニングに置いてある両親の写真は、数年前の夏、家族三人で長野の高原に旅行に出かけた時きれいな湖畔で私が撮影したものだった。中年太りこそしてはいるけど背が高くにこやかな表情の父と、小柄ながら姿勢が良くはつらつとした表情の母が仲良く寄り添っていた。
「父は元々広く浅いオタクでね。北海道出身だったんだけど、地元だとなかなか思ったような就職先がないから大学卒業と同時に上京してきて、とあるゲームのオフ会で母と出会ったらしいよ。ゲームや漫画が大好きで、出世に全然興味がないから管理職にはなれなくて、でも本人全然気にしてなかったな」
「とても優しそうな人だよね」
「うん、とても温厚だった。怒っているところはほとんど見たことなかったなあ。本当にぬいぐるみの熊さんって感じで」
そう言ってから私の胸がちくりと痛んだが、その痛みには気付かないふりをして話を続ける。
「一方母はこの辺り出身でね、地元の市役所に勤めてた。ここにマンションを買ったのも母の仕事優先だったらしい。一見バリキャリっぽいのに本当は隠れオタクで。一つのゲームをとことんやり込むのが趣味だった。何のゲームか聞いていなかったけどゲーム攻略サイトも運営していたみたいだし」
私はこの時母の様子を思い出して、くすくす笑った。
「職場では怖い課長さんなのに、家では娘からコントローラー奪って夢中で遊んでいたんだよ。信じられる?」
それを聞いた駆はふふっと笑ってからこう言う。
「アルファさん、お母さんによく似てるね」
「……よく言われる……身長は父親似なんだけどね……」
私はそう同意してから、再び胸が痛むのを覚えた。この痛みは何なのだろう。両親が亡くなり早二年が経過して、両親の話をするのにもすっかり慣れたと思っていたのに。
両親が交通事故で死去した後唯一残っていた母方の祖父も一年以上前に病気で亡くなったため、私はいわゆる天涯孤独なのである。両親が一人っ子同士だったためおじ・おばもいないので、私の三親等内の親族が全く存在していないのだ。両親が生きていた証は私とこの家だけになってしまっていた。
たまに小中学校からの親友、柳田 渚が泊りがけで遊びに来てくれるくらいで、事故以来この家にはずっと私しか住んでいなかった。なのにゲーム仲間でしかなかった駆が昨日からうちに住み始め、私のためにせっせと食事の支度をしてくれている。本当に不思議で現実離れした光景だ。
やがてキッチンから野菜をリズミカルに切る音が響いてくる。母は本当に忙しい人だったから毎日夕飯を作っていた訳ではなかったけど、凝り性で鍋やキッチン道具にはやたら拘っていた。それをまた使ってくれる人がいるという事実が純粋に嬉しかった。
「ランちゃん、君本当に器用だね……」
私はカウンターキッチンを覗き込みながら感心する。嬉しそうな顔の駆が顔を上げた。
「オレ、実家では料理ってほとんどしたことなかったんだけど、たまたま始めた洋食屋のアルバイトですごく向いていることに気が付いたんだ。店主のおじさんが丁寧に調理の仕方を教えてくれたから最終的にはオレが皆の賄い料理作るようになってた」
「料理が得意って、本当に羨ましい」
私は心から褒めた。駆は照れくさそうな表情を浮かべる。
「前住んでいた賃貸は電熱式のコンロが一口しかないし、キッチンが物凄く狭かったから物足りなかったけど、ここは道具も一式揃っていてとても使い勝手がいいね」
そう言いながら切った野菜を両手鍋に手際よく放り込んでいく。どうやら今日は肉じゃがらしい。
「でしょでしょ」
私は自分の手柄でもないくせに胸を張った。そんな私に受けたのか駆が笑った。屈託のない朗らかな笑顔だった。私もそれに釣られて一緒に笑ったのだった。
「ちゃんとしたプレートじゃなくてごめんね」
と私が言うと、駆は照れくさそうな表情で笑った。
「オレ居候なんで贅沢言えません」
「まあ、そうなんだけど……」
何か陳腐で申し訳なく感じてしまう。駆がどれだけの期間我が家で居候するか分からないけど、しばらくはこれで我慢してもらうしかない。
駆は本当に礼儀正しい青年で、マンションですれ違う人全てに「おはようございます」と丁寧に挨拶している。このマンションは世帯数が少なくお互い顔見知りのため、住人達は表札を見て私が同棲を始めたのだろうと思うのだろう。勘違いしないで下さい、これは同棲じゃなく同居です、ランちゃんはただの居候なんですよなんていちいち隣人達に言い訳するつもりもなかったが、何となく気恥ずかしい。実際、エントランスでばったり出会った同じフロアに住む初老夫妻の奥さんの方から「有葉ちゃん、素敵な彼氏じゃない」と耳打ちされ、私は耳まで真っ赤になった。奥さんは私が両親を亡くしてから何かと気に掛けてくれる親切な人なのだが、違うと否定もできず、ごにょごにょとお茶を濁すことしかできなかった。奥さんが立ち去った後、手で顔をさかんに扇いでいる私に対して駆が不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「ランちゃんが彼氏だって誤解されてしまった。でも否定すると事情を話さなくちゃいけないし、ごめん……」
言い訳がましく私が呟くと、駆はふむと考え込むように顎に手を当ててからさらっと言った。
「まあ、普通そう思うよね。別に誤解されたってオレは構わないけど、アルファさんは迷惑?」
「いや、べ、別に構わないよ」
私も駆を真似てさらっと言おうとしたが微妙に失敗した。
「だけど、ランちゃんの未来の恋人に申し訳ないじゃない?」
「未来の……恋人……?」
駆が本格的に考え込んでしまう。
「そんなこと一度も考えたこともなかったけど……アルファさんはオレの恩人だし、そんなつまらないことでヤキモチ焼く相手はこっちから願い下げだな」
「ちなみに好きな子とかいないの?」
「全くいないよ」
駆は即答した。
「アルファさんこそ、いないの?」
「私?」
思わず咳込み、遠い目をした。
「しばらくは勘弁かな」
見栄を張ってこんな言い方をしてしまった。本当は異性との交際なんてほとんどしたことがないというのに。
「仕事忙しいし、なんか面倒くさくて」
面倒くさいと思っている事は間違っていない。誰かと出会い好きになって告白し交際して……と考えただけで億劫になってくる。今の私にはその気力が全然ないのだ。この年にして既に枯れているのかもしれない。トキメキ? 何それ美味しいの? という気分なのだ。もっともFQⅢをプレイする時間はたっぷりあるのだから、忙しいというのは言い訳に過ぎないのだが。
「それなのにナンパなキャラはプレイするんだ」
駆がふふっと笑った。私のFQⅢのPCアルファはハーフエルフの吟遊詩人なのだが、初対面の女性キャラを見たら挨拶代わりに必ず口説く男だった。
「アーアー、聞こえなーい」
私は耳をふさいでふざけ、誤魔化した。自分と全く逆のキャラメイクをしてしまった事を突っ込まれる日が来るとは思わなかったぞ。
その直後、昨日宅配業者に依頼した駆の荷物が届いたのだが、玄関の前に置かれた段ボールの数に圧倒されてしまった。本の入った小さめの段ボール箱に関しては、少女漫画を大人買いしてしまったと聞いていたから想定内だったが、衣類の入った大き目の段ボールの数が一般男子の所有していると思われる衣類の量を遥かに超えていて、度肝を抜かれた。駆の部屋に置いてあるクローゼット一つでは全然足りない。段ボール箱自体は両親の遺品が置かれている隣の和室にとりあえず置くとしても、新たにクローゼットを買い足さないといけなくなってしまった。昨日のうちに言っておいてくれれば心の準備ができていたのに。私が呆れると思って言い出せなかったのだろうか。荷物を解くのは後回しにして、三郷にある北欧系の家具量販店に行くことを急遽決める。
最寄駅からオレンジのラインの入った武蔵野線の車両に乗り込んだ。自宅の最寄り駅は乗換駅でもあるので大勢の人たちがどっと降りていったため、私達はロングシートに座ることができた。
今日は昨日とうって変わって暖かく、私は黒っぽいブラウスにベージュのガウチョパンツ、オフホワイトのロングカーディガンを着ていたが、まだ荷物を解いていない駆は、ダッフルコートは自宅に置いて来たものの昨日とほぼ同じ服装である。
「君、着道楽だったんだね……」
私は隣に座った駆の方を向いて言った。すると駆の顔がとたんに困り顔になる。
「オレの服、ほとんどおばあさんに買ってもらったもので……」
「そうだったんだ」
「おばあさんは買い物が趣味みたいな人なんだけど、オレが進学したとたんに、仕事で上京する度オレを呼び出して買い物に付き合わせては服を買ってくれるようになった……それがあんな量になってしまって……」
駆のお祖母さんは地元で不動産業を営んでいるとは聞いていたけど、かっこいい孫を連れ歩いては高級な服を買い与えていたってことか。まあ、着せ替え人形のように服をとっかえひっかえしたくなる気持ちは分からないではない。私は羨ましくなって吐息をついたが、その意味を誤解されたようだ。
「……身分不相応だってことは分かってる……オレ、ブランドとかは全然分からないけど、服に付いたタグは見てたから価格は知ってるし……。おばあさんはオレを可愛がってくれていたからいらないとも言えないし、あれば着てたけど、父さんはおばあさんの買ってくれた服を着ているといい顔しないし……」
「え、買ってくれるならラッキーって私なら思っちゃうけどね」
これは私の本心である。ただし我が家のクローゼットを圧迫しなければ、の話だ。
それから私はしばらく反対側のロングシートの窓から見える風景をぼんやりと目で追った。ビルやマンションが徐々にまばらになり一軒家や畑が増えていく。まだ三月上旬なので緑は乏しいものの、あとひと月もしないうちに桜や菜の花が咲き乱れるのだろう。今乗っている武蔵野線と少し離れてほぼ平行に走っている東武野田線は、愛称アーバンパークラインなのだが、毎回どこが『アーバン』なのだろうと思ってしまうほど、この一帯はのどかな景色が広がっているのだ。
この時私はふと気が付いた。
「ん? ランちゃん、おばあさんに今回の件は話していないの?」
駆は即答しなかった。そして言いにくそうに俯いたままぼそぼそと説明し始める。
「……おばあさんと婿の父さんは本当に仲が悪いんだよ……犬猿の仲ってやつ? 母さんがいずれおばあさんに話すとは思うけど、オレの口から事情を話したり、援助を求めていたらおばあさんと父さんは全面戦争に突入しかねない……だからとても言い出せなかった……結果アルファさんに頼ることになってしまってごめんなさい……」
私は驚きのあまり瞬きしかできなかった。駆が相当裕福らしいおばあさんに頼れなかったのはそういうことなのか。確かに自分の事で身内が争うのは見たくないよね。
「……そっか……うん、当然だ……」
私は駆の選択を肯定する。
「本当にごめんなさい」
駆は立ち上がると頭を深々と下げもう一度謝ってくる。私は駆の方を向いて親指を立て笑いかけたのだった。
「全然問題ない。気にしなくていいよ!」
新三郷駅で下車すると、家具量販店までのんびり歩いていくことにする。電車に揺られた上にぽかぽか陽気で、つい欠伸が出てしまう。
すぐ近くにはショッピングモールや会員制倉庫型店舗などもあるのだが、今日は家具量販店だけ見ることにする。運動不足の私はそこを見ただけでへとへとになることは間違いないからだ。
量販店の中をけっこう歩いてからクローゼット類が置いてあるコーナーに辿り着くと、予め計っていた我が家の空きスペースに合う寸法のクローゼットをなんとか見繕うことができた。更に残りのスペースに置ける程度の本棚も発見したので、こちらも購入することにする。
発送手続きが済んだ時点で私達のお腹は鳴り始めたため、付属のレストランで昼食を摂った。ついでに五十円の名物ソフトクリームもしっかり食べてから帰宅の途につく。
自宅に帰ると駆は早速荷ほどきを始めた。一応手伝いを申し出たが大丈夫と断られてしまったため、私は遠慮なくソファで昼寝をさせてもらう。正直私はもうへとへとだったが、一方駆はさすがアスリート、タフである。全く疲れた様子を見せることはなかった。
数時間後駆の部屋を訪れると、買った家具が届くのは翌週になるため未開封の段ボール箱は残されていたものの、『ひっそりぐらし』の大小様々なぬいぐるみがベッドの上に置かれていて、元から置いてあった本棚には大学の教科書や工学の専門書以外に、少女漫画がぎっしりと収められていた。元々置いてあった書斎机の上にはごついゲーミングPCと大き目のディスプレイが設置されていたが、PCの筐体にはFQⅢの派手なステッカーが貼ってあった。ここには駆の好きなものが溢れている。
「ひっそりぐらし、何が好きなの?」
私はベッドの上に置いてある巨大なペパーミントグリーンの『かめ』のぬいぐるみを両手で持ち上げながら尋ねた。かめは本人が覚えていないほど長く生きていて物忘れもしょっちゅうだが、そのおとぼけっぷりがファンから愛されているキャラだ。
既に置いてあった方のクローゼットに今すぐ使う春物の洋服を収納していた駆は笑顔で答えてくる。
「オレは『はりねずみ』推しだよ」
ひっそりぐらしのはりねずみは、パステルイエローで少し困り顔をしたキャラだ。自分の背中の針で誰かを傷つけてしまうのではないかといつも心配している。確かに黒いゲーミングPCの横に、はりねずみがそっと置いてあった。おずおずと笑う駆とはりねずみはよく似ていると、私はこっそりと思った。
「私は『てでぃべあ』が一番好きかな」
そう言いながらベッドの上に置いてある水色のてでぃべあを手に取った。てでぃべあはその名の通りクマのぬいぐるみなのだが、お腹の縫い目がほつれてしまったため綿が飛び出し痩せてしまい、失われた綿を常に探し求めているという設定だった。それ以外のメインキャラとしてピンクのみにぶたがいる。みにぶたは、自分が成長していつかミニブタではなくなってしまうのではないかと密かに恐れているキャラだった。
私はてでぃべあをそっとベッドの上に戻すと、次に本棚に収納された少女漫画のタイトルを眺める。本棚を見ればその人が分かると言うが、駆の蔵書は吸血鬼一族の漫画や、フランス革命を舞台にした漫画など今や古典となった少女漫画もあったものの、意外にSF系が多いことに気が付いた。
「少女漫画が好きって言うから典型的な少女漫画の愛好家なのかと思ったらそういう訳でもないんだね……」
私が感想を述べると、背後に駆が歩み寄って来た。
「小さい頃にピアノの先生の家で読んでいた少女漫画が未来もので、人間そっくりなアンドロイド二人が主人公なんだけど、とても繊細で美しい絵なのに話はとてもハードで心を打ち抜かれたんだ……」
駆の指がある一連の文庫本の背表紙につと触れた。
「これがそのシリーズなんだけど、オレの少女漫画の原体験だね……」
私はそのシリーズは寡聞にして知らなかった。
「借りてもいい?」
「もちろん。アルファさんが気に入ってくれるといいんだけど」
駆がおずおずと微笑みかけた。私も笑ってみせた。
「ありがとう。うちの両親もけっこう少女漫画は収集していたんだよ。和室に置いてある本棚に収納しているから、良かったら暇なときにでも読んでみて」
駆は嬉しそうに頷いたのだった。
駆がそろそろ夕飯の支度をすると言うので、リビングダイニングに二人で移動する。ダイニングテーブル側に座って先ほど駆から借りてきた漫画を読んでいた私に、駆がカウンターキッチンで野菜を洗いながら恐る恐る尋ねてきた。
「……アルファさんのご両親はどんな方達だったの?」
リビングダイニングに置いてある両親の写真は、数年前の夏、家族三人で長野の高原に旅行に出かけた時きれいな湖畔で私が撮影したものだった。中年太りこそしてはいるけど背が高くにこやかな表情の父と、小柄ながら姿勢が良くはつらつとした表情の母が仲良く寄り添っていた。
「父は元々広く浅いオタクでね。北海道出身だったんだけど、地元だとなかなか思ったような就職先がないから大学卒業と同時に上京してきて、とあるゲームのオフ会で母と出会ったらしいよ。ゲームや漫画が大好きで、出世に全然興味がないから管理職にはなれなくて、でも本人全然気にしてなかったな」
「とても優しそうな人だよね」
「うん、とても温厚だった。怒っているところはほとんど見たことなかったなあ。本当にぬいぐるみの熊さんって感じで」
そう言ってから私の胸がちくりと痛んだが、その痛みには気付かないふりをして話を続ける。
「一方母はこの辺り出身でね、地元の市役所に勤めてた。ここにマンションを買ったのも母の仕事優先だったらしい。一見バリキャリっぽいのに本当は隠れオタクで。一つのゲームをとことんやり込むのが趣味だった。何のゲームか聞いていなかったけどゲーム攻略サイトも運営していたみたいだし」
私はこの時母の様子を思い出して、くすくす笑った。
「職場では怖い課長さんなのに、家では娘からコントローラー奪って夢中で遊んでいたんだよ。信じられる?」
それを聞いた駆はふふっと笑ってからこう言う。
「アルファさん、お母さんによく似てるね」
「……よく言われる……身長は父親似なんだけどね……」
私はそう同意してから、再び胸が痛むのを覚えた。この痛みは何なのだろう。両親が亡くなり早二年が経過して、両親の話をするのにもすっかり慣れたと思っていたのに。
両親が交通事故で死去した後唯一残っていた母方の祖父も一年以上前に病気で亡くなったため、私はいわゆる天涯孤独なのである。両親が一人っ子同士だったためおじ・おばもいないので、私の三親等内の親族が全く存在していないのだ。両親が生きていた証は私とこの家だけになってしまっていた。
たまに小中学校からの親友、柳田 渚が泊りがけで遊びに来てくれるくらいで、事故以来この家にはずっと私しか住んでいなかった。なのにゲーム仲間でしかなかった駆が昨日からうちに住み始め、私のためにせっせと食事の支度をしてくれている。本当に不思議で現実離れした光景だ。
やがてキッチンから野菜をリズミカルに切る音が響いてくる。母は本当に忙しい人だったから毎日夕飯を作っていた訳ではなかったけど、凝り性で鍋やキッチン道具にはやたら拘っていた。それをまた使ってくれる人がいるという事実が純粋に嬉しかった。
「ランちゃん、君本当に器用だね……」
私はカウンターキッチンを覗き込みながら感心する。嬉しそうな顔の駆が顔を上げた。
「オレ、実家では料理ってほとんどしたことなかったんだけど、たまたま始めた洋食屋のアルバイトですごく向いていることに気が付いたんだ。店主のおじさんが丁寧に調理の仕方を教えてくれたから最終的にはオレが皆の賄い料理作るようになってた」
「料理が得意って、本当に羨ましい」
私は心から褒めた。駆は照れくさそうな表情を浮かべる。
「前住んでいた賃貸は電熱式のコンロが一口しかないし、キッチンが物凄く狭かったから物足りなかったけど、ここは道具も一式揃っていてとても使い勝手がいいね」
そう言いながら切った野菜を両手鍋に手際よく放り込んでいく。どうやら今日は肉じゃがらしい。
「でしょでしょ」
私は自分の手柄でもないくせに胸を張った。そんな私に受けたのか駆が笑った。屈託のない朗らかな笑顔だった。私もそれに釣られて一緒に笑ったのだった。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
朝食に昨晩のパンプキンシチューの残りとパンを食べた後、最初に行ったのは玄関と郵便ポストの『氷室』と記載されたステンレス製の表札の右隣に、『山城』とプリンターで印刷した紙をメンディングテープで貼り付けることだった。
「ちゃんとしたプレートじゃなくてごめんね」
と私が言うと、駆は照れくさそうな表情で笑った。
「オレ居候なんで贅沢言えません」
「まあ、そうなんだけど……」
何か陳腐で申し訳なく感じてしまう。駆がどれだけの期間我が家で居候するか分からないけど、しばらくはこれで我慢してもらうしかない。
駆は本当に礼儀正しい青年で、マンションですれ違う人全てに「おはようございます」と丁寧に挨拶している。このマンションは世帯数が少なくお互い顔見知りのため、住人達は表札を見て私が同棲を始めたのだろうと思うのだろう。勘違いしないで下さい、これは同棲じゃなく同居です、ランちゃんはただの居候なんですよなんていちいち隣人達に言い訳するつもりもなかったが、何となく気恥ずかしい。実際、エントランスでばったり出会った同じフロアに住む初老夫妻の奥さんの方から「有葉ちゃん、素敵な彼氏じゃない」と耳打ちされ、私は耳まで真っ赤になった。奥さんは私が両親を亡くしてから何かと気に掛けてくれる親切な人なのだが、違うと否定もできず、ごにょごにょとお茶を濁すことしかできなかった。奥さんが立ち去った後、手で顔をさかんに扇いでいる私に対して駆が不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「ランちゃんが彼氏だって誤解されてしまった。でも否定すると事情を話さなくちゃいけないし、ごめん……」
言い訳がましく私が呟くと、駆はふむと考え込むように顎に手を当ててからさらっと言った。
「まあ、普通そう思うよね。別に誤解されたってオレは構わないけど、アルファさんは迷惑?」
「いや、べ、別に構わないよ」
私も駆を真似てさらっと言おうとしたが微妙に失敗した。
「だけど、ランちゃんの未来の恋人に申し訳ないじゃない?」
「未来の……恋人……?」
駆が本格的に考え込んでしまう。
「そんなこと一度も考えたこともなかったけど……アルファさんはオレの恩人だし、そんなつまらないことでヤキモチ焼く相手はこっちから願い下げだな」
「ちなみに好きな子とかいないの?」
「全くいないよ」
駆は即答した。
「アルファさんこそ、いないの?」
「私?」
思わず咳込み、遠い目をした。
「しばらくは勘弁かな」
見栄を張ってこんな言い方をしてしまった。本当は異性との交際なんてほとんどしたことがないというのに。
「仕事忙しいし、なんか面倒くさくて」
面倒くさいと思っている事は間違っていない。誰かと出会い好きになって告白し交際して……と考えただけで億劫になってくる。今の私にはその気力が全然ないのだ。この年にして既に枯れているのかもしれない。トキメキ? 何それ美味しいの? という気分なのだ。もっともFQⅢをプレイする時間はたっぷりあるのだから、忙しいというのは言い訳に過ぎないのだが。
「それなのにナンパなキャラはプレイするんだ」
駆がふふっと笑った。私のFQⅢのPCアルファはハーフエルフの吟遊詩人なのだが、初対面の女性キャラを見たら挨拶代わりに必ず口説く男だった。
「アーアー、聞こえなーい」
私は耳をふさいでふざけ、誤魔化した。自分と全く逆のキャラメイクをしてしまった事を突っ込まれる日が来るとは思わなかったぞ。
「ちゃんとしたプレートじゃなくてごめんね」
と私が言うと、駆は照れくさそうな表情で笑った。
「オレ居候なんで贅沢言えません」
「まあ、そうなんだけど……」
何か陳腐で申し訳なく感じてしまう。駆がどれだけの期間我が家で居候するか分からないけど、しばらくはこれで我慢してもらうしかない。
駆は本当に礼儀正しい青年で、マンションですれ違う人全てに「おはようございます」と丁寧に挨拶している。このマンションは世帯数が少なくお互い顔見知りのため、住人達は表札を見て私が同棲を始めたのだろうと思うのだろう。勘違いしないで下さい、これは同棲じゃなく同居です、ランちゃんはただの居候なんですよなんていちいち隣人達に言い訳するつもりもなかったが、何となく気恥ずかしい。実際、エントランスでばったり出会った同じフロアに住む初老夫妻の奥さんの方から「有葉ちゃん、素敵な彼氏じゃない」と耳打ちされ、私は耳まで真っ赤になった。奥さんは私が両親を亡くしてから何かと気に掛けてくれる親切な人なのだが、違うと否定もできず、ごにょごにょとお茶を濁すことしかできなかった。奥さんが立ち去った後、手で顔をさかんに扇いでいる私に対して駆が不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「ランちゃんが彼氏だって誤解されてしまった。でも否定すると事情を話さなくちゃいけないし、ごめん……」
言い訳がましく私が呟くと、駆はふむと考え込むように顎に手を当ててからさらっと言った。
「まあ、普通そう思うよね。別に誤解されたってオレは構わないけど、アルファさんは迷惑?」
「いや、べ、別に構わないよ」
私も駆を真似てさらっと言おうとしたが微妙に失敗した。
「だけど、ランちゃんの未来の恋人に申し訳ないじゃない?」
「未来の……恋人……?」
駆が本格的に考え込んでしまう。
「そんなこと一度も考えたこともなかったけど……アルファさんはオレの恩人だし、そんなつまらないことでヤキモチ焼く相手はこっちから願い下げだな」
「ちなみに好きな子とかいないの?」
「全くいないよ」
駆は即答した。
「アルファさんこそ、いないの?」
「私?」
思わず咳込み、遠い目をした。
「しばらくは勘弁かな」
見栄を張ってこんな言い方をしてしまった。本当は異性との交際なんてほとんどしたことがないというのに。
「仕事忙しいし、なんか面倒くさくて」
面倒くさいと思っている事は間違っていない。誰かと出会い好きになって告白し交際して……と考えただけで億劫になってくる。今の私にはその気力が全然ないのだ。この年にして既に枯れているのかもしれない。トキメキ? 何それ美味しいの? という気分なのだ。もっともFQⅢをプレイする時間はたっぷりあるのだから、忙しいというのは言い訳に過ぎないのだが。
「それなのにナンパなキャラはプレイするんだ」
駆がふふっと笑った。私のFQⅢのPCアルファはハーフエルフの吟遊詩人なのだが、初対面の女性キャラを見たら挨拶代わりに必ず口説く男だった。
「アーアー、聞こえなーい」
私は耳をふさいでふざけ、誤魔化した。自分と全く逆のキャラメイクをしてしまった事を突っ込まれる日が来るとは思わなかったぞ。
その直後、昨日宅配業者に依頼した駆の荷物が届いたのだが、玄関の前に置かれた段ボールの数に圧倒されてしまった。本の入った小さめの段ボール箱に関しては、少女漫画を大人買いしてしまったと聞いていたから想定内だったが、衣類の入った大き目の段ボールの数が一般男子の所有していると思われる衣類の量を遥かに超えていて、度肝を抜かれた。駆の部屋に置いてあるクローゼット一つでは全然足りない。段ボール箱自体は両親の遺品が置かれている隣の和室にとりあえず置くとしても、新たにクローゼットを買い足さないといけなくなってしまった。昨日のうちに言っておいてくれれば心の準備ができていたのに。私が呆れると思って言い出せなかったのだろうか。荷物を解くのは後回しにして、三郷にある北欧系の家具量販店に行くことを急遽決める。
最寄駅からオレンジのラインの入った武蔵野線の車両に乗り込んだ。自宅の最寄り駅は乗換駅でもあるので大勢の人たちがどっと降りていったため、私達はロングシートに座ることができた。
今日は昨日とうって変わって暖かく、私は黒っぽいブラウスにベージュのガウチョパンツ、オフホワイトのロングカーディガンを着ていたが、まだ荷物を解いていない駆は、ダッフルコートは自宅に置いて来たものの昨日とほぼ同じ服装である。
「君、着道楽だったんだね……」
私は隣に座った駆の方を向いて言った。すると駆の顔がとたんに困り顔になる。
「オレの服、ほとんどおばあさんに買ってもらったもので……」
「そうだったんだ」
「おばあさんは買い物が趣味みたいな人なんだけど、オレが進学したとたんに、仕事で上京する度オレを呼び出して買い物に付き合わせては服を買ってくれるようになった……それがあんな量になってしまって……」
駆のお祖母さんは地元で不動産業を営んでいるとは聞いていたけど、かっこいい孫を連れ歩いては高級な服を買い与えていたってことか。まあ、着せ替え人形のように服をとっかえひっかえしたくなる気持ちは分からないではない。私は羨ましくなって吐息をついたが、その意味を誤解されたようだ。
「……身分不相応だってことは分かってる……オレ、ブランドとかは全然分からないけど、服に付いたタグは見てたから価格は知ってるし……。おばあさんはオレを可愛がってくれていたからいらないとも言えないし、あれば着てたけど、父さんはおばあさんの買ってくれた服を着ているといい顔しないし……」
「え、買ってくれるならラッキーって私なら思っちゃうけどね」
これは私の本心である。ただし我が家のクローゼットを圧迫しなければ、の話だ。
それから私はしばらく反対側のロングシートの窓から見える風景をぼんやりと目で追った。ビルやマンションが徐々にまばらになり一軒家や畑が増えていく。まだ三月上旬なので緑は乏しいものの、あとひと月もしないうちに桜や菜の花が咲き乱れるのだろう。今乗っている武蔵野線と少し離れてほぼ平行に走っている東武野田線は、愛称アーバンパークラインなのだが、毎回どこが『アーバン』なのだろうと思ってしまうほど、この一帯はのどかな景色が広がっているのだ。
この時私はふと気が付いた。
「ん? ランちゃん、おばあさんに今回の件は話していないの?」
駆は即答しなかった。そして言いにくそうに俯いたままぼそぼそと説明し始める。
「……おばあさんと婿の父さんは本当に仲が悪いんだよ……犬猿の仲ってやつ? 母さんがいずれおばあさんに話すとは思うけど、オレの口から事情を話したり、援助を求めていたらおばあさんと父さんは全面戦争に突入しかねない……だからとても言い出せなかった……結果アルファさんに頼ることになってしまってごめんなさい……」
私は驚きのあまり瞬きしかできなかった。駆が相当裕福らしいおばあさんに頼れなかったのはそういうことなのか。確かに自分の事で身内が争うのは見たくないよね。
「……そっか……うん、当然だ……」
私は駆の選択を肯定する。
「本当にごめんなさい」
駆は立ち上がると頭を深々と下げもう一度謝ってくる。私は駆の方を向いて親指を立て笑いかけたのだった。
「全然問題ない。気にしなくていいよ!」
今日は昨日とうって変わって暖かく、私は黒っぽいブラウスにベージュのガウチョパンツ、オフホワイトのロングカーディガンを着ていたが、まだ荷物を解いていない駆は、ダッフルコートは自宅に置いて来たものの昨日とほぼ同じ服装である。
「君、着道楽だったんだね……」
私は隣に座った駆の方を向いて言った。すると駆の顔がとたんに困り顔になる。
「オレの服、ほとんどおばあさんに買ってもらったもので……」
「そうだったんだ」
「おばあさんは買い物が趣味みたいな人なんだけど、オレが進学したとたんに、仕事で上京する度オレを呼び出して買い物に付き合わせては服を買ってくれるようになった……それがあんな量になってしまって……」
駆のお祖母さんは地元で不動産業を営んでいるとは聞いていたけど、かっこいい孫を連れ歩いては高級な服を買い与えていたってことか。まあ、着せ替え人形のように服をとっかえひっかえしたくなる気持ちは分からないではない。私は羨ましくなって吐息をついたが、その意味を誤解されたようだ。
「……身分不相応だってことは分かってる……オレ、ブランドとかは全然分からないけど、服に付いたタグは見てたから価格は知ってるし……。おばあさんはオレを可愛がってくれていたからいらないとも言えないし、あれば着てたけど、父さんはおばあさんの買ってくれた服を着ているといい顔しないし……」
「え、買ってくれるならラッキーって私なら思っちゃうけどね」
これは私の本心である。ただし我が家のクローゼットを圧迫しなければ、の話だ。
それから私はしばらく反対側のロングシートの窓から見える風景をぼんやりと目で追った。ビルやマンションが徐々にまばらになり一軒家や畑が増えていく。まだ三月上旬なので緑は乏しいものの、あとひと月もしないうちに桜や菜の花が咲き乱れるのだろう。今乗っている武蔵野線と少し離れてほぼ平行に走っている東武野田線は、愛称アーバンパークラインなのだが、毎回どこが『アーバン』なのだろうと思ってしまうほど、この一帯はのどかな景色が広がっているのだ。
この時私はふと気が付いた。
「ん? ランちゃん、おばあさんに今回の件は話していないの?」
駆は即答しなかった。そして言いにくそうに俯いたままぼそぼそと説明し始める。
「……おばあさんと婿の父さんは本当に仲が悪いんだよ……犬猿の仲ってやつ? 母さんがいずれおばあさんに話すとは思うけど、オレの口から事情を話したり、援助を求めていたらおばあさんと父さんは全面戦争に突入しかねない……だからとても言い出せなかった……結果アルファさんに頼ることになってしまってごめんなさい……」
私は驚きのあまり瞬きしかできなかった。駆が相当裕福らしいおばあさんに頼れなかったのはそういうことなのか。確かに自分の事で身内が争うのは見たくないよね。
「……そっか……うん、当然だ……」
私は駆の選択を肯定する。
「本当にごめんなさい」
駆は立ち上がると頭を深々と下げもう一度謝ってくる。私は駆の方を向いて親指を立て笑いかけたのだった。
「全然問題ない。気にしなくていいよ!」
新三郷駅で下車すると、家具量販店までのんびり歩いていくことにする。電車に揺られた上にぽかぽか陽気で、つい欠伸が出てしまう。
すぐ近くにはショッピングモールや会員制倉庫型店舗などもあるのだが、今日は家具量販店だけ見ることにする。運動不足の私はそこを見ただけでへとへとになることは間違いないからだ。
量販店の中をけっこう歩いてからクローゼット類が置いてあるコーナーに辿り着くと、予め計っていた我が家の空きスペースに合う寸法のクローゼットをなんとか見繕うことができた。更に残りのスペースに置ける程度の本棚も発見したので、こちらも購入することにする。
発送手続きが済んだ時点で私達のお腹は鳴り始めたため、付属のレストランで昼食を摂った。ついでに五十円の名物ソフトクリームもしっかり食べてから帰宅の途につく。
すぐ近くにはショッピングモールや会員制倉庫型店舗などもあるのだが、今日は家具量販店だけ見ることにする。運動不足の私はそこを見ただけでへとへとになることは間違いないからだ。
量販店の中をけっこう歩いてからクローゼット類が置いてあるコーナーに辿り着くと、予め計っていた我が家の空きスペースに合う寸法のクローゼットをなんとか見繕うことができた。更に残りのスペースに置ける程度の本棚も発見したので、こちらも購入することにする。
発送手続きが済んだ時点で私達のお腹は鳴り始めたため、付属のレストランで昼食を摂った。ついでに五十円の名物ソフトクリームもしっかり食べてから帰宅の途につく。
自宅に帰ると駆は早速荷ほどきを始めた。一応手伝いを申し出たが大丈夫と断られてしまったため、私は遠慮なくソファで昼寝をさせてもらう。正直私はもうへとへとだったが、一方駆はさすがアスリート、タフである。全く疲れた様子を見せることはなかった。
数時間後駆の部屋を訪れると、買った家具が届くのは翌週になるため未開封の段ボール箱は残されていたものの、『ひっそりぐらし』の大小様々なぬいぐるみがベッドの上に置かれていて、元から置いてあった本棚には大学の教科書や工学の専門書以外に、少女漫画がぎっしりと収められていた。元々置いてあった書斎机の上にはごついゲーミングPCと大き目のディスプレイが設置されていたが、PCの筐体にはFQⅢの派手なステッカーが貼ってあった。ここには駆の好きなものが溢れている。
「ひっそりぐらし、何が好きなの?」
私はベッドの上に置いてある巨大なペパーミントグリーンの『かめ』のぬいぐるみを両手で持ち上げながら尋ねた。かめは本人が覚えていないほど長く生きていて物忘れもしょっちゅうだが、そのおとぼけっぷりがファンから愛されているキャラだ。
既に置いてあった方のクローゼットに今すぐ使う春物の洋服を収納していた駆は笑顔で答えてくる。
「オレは『はりねずみ』推しだよ」
ひっそりぐらしのはりねずみは、パステルイエローで少し困り顔をしたキャラだ。自分の背中の針で誰かを傷つけてしまうのではないかといつも心配している。確かに黒いゲーミングPCの横に、はりねずみがそっと置いてあった。おずおずと笑う駆とはりねずみはよく似ていると、私はこっそりと思った。
「私は『てでぃべあ』が一番好きかな」
そう言いながらベッドの上に置いてある水色のてでぃべあを手に取った。てでぃべあはその名の通りクマのぬいぐるみなのだが、お腹の縫い目がほつれてしまったため綿が飛び出し痩せてしまい、失われた綿を常に探し求めているという設定だった。それ以外のメインキャラとしてピンクのみにぶたがいる。みにぶたは、自分が成長していつかミニブタではなくなってしまうのではないかと密かに恐れているキャラだった。
私はてでぃべあをそっとベッドの上に戻すと、次に本棚に収納された少女漫画のタイトルを眺める。本棚を見ればその人が分かると言うが、駆の蔵書は吸血鬼一族の漫画や、フランス革命を舞台にした漫画など今や古典となった少女漫画もあったものの、意外にSF系が多いことに気が付いた。
「少女漫画が好きって言うから典型的な少女漫画の愛好家なのかと思ったらそういう訳でもないんだね……」
私が感想を述べると、背後に駆が歩み寄って来た。
「小さい頃にピアノの先生の家で読んでいた少女漫画が未来もので、人間そっくりなアンドロイド二人が主人公なんだけど、とても繊細で美しい絵なのに話はとてもハードで心を打ち抜かれたんだ……」
駆の指がある一連の文庫本の背表紙につと触れた。
「これがそのシリーズなんだけど、オレの少女漫画の原体験だね……」
私はそのシリーズは寡聞にして知らなかった。
「借りてもいい?」
「もちろん。アルファさんが気に入ってくれるといいんだけど」
駆がおずおずと微笑みかけた。私も笑ってみせた。
「ありがとう。うちの両親もけっこう少女漫画は収集していたんだよ。和室に置いてある本棚に収納しているから、良かったら暇なときにでも読んでみて」
駆は嬉しそうに頷いたのだった。
数時間後駆の部屋を訪れると、買った家具が届くのは翌週になるため未開封の段ボール箱は残されていたものの、『ひっそりぐらし』の大小様々なぬいぐるみがベッドの上に置かれていて、元から置いてあった本棚には大学の教科書や工学の専門書以外に、少女漫画がぎっしりと収められていた。元々置いてあった書斎机の上にはごついゲーミングPCと大き目のディスプレイが設置されていたが、PCの筐体にはFQⅢの派手なステッカーが貼ってあった。ここには駆の好きなものが溢れている。
「ひっそりぐらし、何が好きなの?」
私はベッドの上に置いてある巨大なペパーミントグリーンの『かめ』のぬいぐるみを両手で持ち上げながら尋ねた。かめは本人が覚えていないほど長く生きていて物忘れもしょっちゅうだが、そのおとぼけっぷりがファンから愛されているキャラだ。
既に置いてあった方のクローゼットに今すぐ使う春物の洋服を収納していた駆は笑顔で答えてくる。
「オレは『はりねずみ』推しだよ」
ひっそりぐらしのはりねずみは、パステルイエローで少し困り顔をしたキャラだ。自分の背中の針で誰かを傷つけてしまうのではないかといつも心配している。確かに黒いゲーミングPCの横に、はりねずみがそっと置いてあった。おずおずと笑う駆とはりねずみはよく似ていると、私はこっそりと思った。
「私は『てでぃべあ』が一番好きかな」
そう言いながらベッドの上に置いてある水色のてでぃべあを手に取った。てでぃべあはその名の通りクマのぬいぐるみなのだが、お腹の縫い目がほつれてしまったため綿が飛び出し痩せてしまい、失われた綿を常に探し求めているという設定だった。それ以外のメインキャラとしてピンクのみにぶたがいる。みにぶたは、自分が成長していつかミニブタではなくなってしまうのではないかと密かに恐れているキャラだった。
私はてでぃべあをそっとベッドの上に戻すと、次に本棚に収納された少女漫画のタイトルを眺める。本棚を見ればその人が分かると言うが、駆の蔵書は吸血鬼一族の漫画や、フランス革命を舞台にした漫画など今や古典となった少女漫画もあったものの、意外にSF系が多いことに気が付いた。
「少女漫画が好きって言うから典型的な少女漫画の愛好家なのかと思ったらそういう訳でもないんだね……」
私が感想を述べると、背後に駆が歩み寄って来た。
「小さい頃にピアノの先生の家で読んでいた少女漫画が未来もので、人間そっくりなアンドロイド二人が主人公なんだけど、とても繊細で美しい絵なのに話はとてもハードで心を打ち抜かれたんだ……」
駆の指がある一連の文庫本の背表紙につと触れた。
「これがそのシリーズなんだけど、オレの少女漫画の原体験だね……」
私はそのシリーズは寡聞にして知らなかった。
「借りてもいい?」
「もちろん。アルファさんが気に入ってくれるといいんだけど」
駆がおずおずと微笑みかけた。私も笑ってみせた。
「ありがとう。うちの両親もけっこう少女漫画は収集していたんだよ。和室に置いてある本棚に収納しているから、良かったら暇なときにでも読んでみて」
駆は嬉しそうに頷いたのだった。
駆がそろそろ夕飯の支度をすると言うので、リビングダイニングに二人で移動する。ダイニングテーブル側に座って先ほど駆から借りてきた漫画を読んでいた私に、駆がカウンターキッチンで野菜を洗いながら恐る恐る尋ねてきた。
「……アルファさんのご両親はどんな方達だったの?」
リビングダイニングに置いてある両親の写真は、数年前の夏、家族三人で長野の高原に旅行に出かけた時きれいな湖畔で私が撮影したものだった。中年太りこそしてはいるけど背が高くにこやかな表情の父と、小柄ながら姿勢が良くはつらつとした表情の母が仲良く寄り添っていた。
「父は元々広く浅いオタクでね。北海道出身だったんだけど、地元だとなかなか思ったような就職先がないから大学卒業と同時に上京してきて、とあるゲームのオフ会で母と出会ったらしいよ。ゲームや漫画が大好きで、出世に全然興味がないから管理職にはなれなくて、でも本人全然気にしてなかったな」
「とても優しそうな人だよね」
「うん、とても温厚だった。怒っているところはほとんど見たことなかったなあ。本当にぬいぐるみの熊さんって感じで」
そう言ってから私の胸がちくりと痛んだが、その痛みには気付かないふりをして話を続ける。
「一方母はこの辺り出身でね、地元の市役所に勤めてた。ここにマンションを買ったのも母の仕事優先だったらしい。一見バリキャリっぽいのに本当は隠れオタクで。一つのゲームをとことんやり込むのが趣味だった。何のゲームか聞いていなかったけどゲーム攻略サイトも運営していたみたいだし」
私はこの時母の様子を思い出して、くすくす笑った。
「職場では怖い課長さんなのに、家では娘からコントローラー奪って夢中で遊んでいたんだよ。信じられる?」
それを聞いた駆はふふっと笑ってからこう言う。
「アルファさん、お母さんによく似てるね」
「……よく言われる……身長は父親似なんだけどね……」
私はそう同意してから、再び胸が痛むのを覚えた。この痛みは何なのだろう。両親が亡くなり早二年が経過して、両親の話をするのにもすっかり慣れたと思っていたのに。
両親が交通事故で死去した後唯一残っていた母方の祖父も一年以上前に病気で亡くなったため、私はいわゆる天涯孤独なのである。両親が一人っ子同士だったためおじ・おばもいないので、私の三親等内の親族が全く存在していないのだ。両親が生きていた証は私とこの家だけになってしまっていた。
たまに小中学校からの親友、柳田 渚が泊りがけで遊びに来てくれるくらいで、事故以来この家にはずっと私しか住んでいなかった。なのにゲーム仲間でしかなかった駆が昨日からうちに住み始め、私のためにせっせと食事の支度をしてくれている。本当に不思議で現実離れした光景だ。
「……アルファさんのご両親はどんな方達だったの?」
リビングダイニングに置いてある両親の写真は、数年前の夏、家族三人で長野の高原に旅行に出かけた時きれいな湖畔で私が撮影したものだった。中年太りこそしてはいるけど背が高くにこやかな表情の父と、小柄ながら姿勢が良くはつらつとした表情の母が仲良く寄り添っていた。
「父は元々広く浅いオタクでね。北海道出身だったんだけど、地元だとなかなか思ったような就職先がないから大学卒業と同時に上京してきて、とあるゲームのオフ会で母と出会ったらしいよ。ゲームや漫画が大好きで、出世に全然興味がないから管理職にはなれなくて、でも本人全然気にしてなかったな」
「とても優しそうな人だよね」
「うん、とても温厚だった。怒っているところはほとんど見たことなかったなあ。本当にぬいぐるみの熊さんって感じで」
そう言ってから私の胸がちくりと痛んだが、その痛みには気付かないふりをして話を続ける。
「一方母はこの辺り出身でね、地元の市役所に勤めてた。ここにマンションを買ったのも母の仕事優先だったらしい。一見バリキャリっぽいのに本当は隠れオタクで。一つのゲームをとことんやり込むのが趣味だった。何のゲームか聞いていなかったけどゲーム攻略サイトも運営していたみたいだし」
私はこの時母の様子を思い出して、くすくす笑った。
「職場では怖い課長さんなのに、家では娘からコントローラー奪って夢中で遊んでいたんだよ。信じられる?」
それを聞いた駆はふふっと笑ってからこう言う。
「アルファさん、お母さんによく似てるね」
「……よく言われる……身長は父親似なんだけどね……」
私はそう同意してから、再び胸が痛むのを覚えた。この痛みは何なのだろう。両親が亡くなり早二年が経過して、両親の話をするのにもすっかり慣れたと思っていたのに。
両親が交通事故で死去した後唯一残っていた母方の祖父も一年以上前に病気で亡くなったため、私はいわゆる天涯孤独なのである。両親が一人っ子同士だったためおじ・おばもいないので、私の三親等内の親族が全く存在していないのだ。両親が生きていた証は私とこの家だけになってしまっていた。
たまに小中学校からの親友、柳田 渚が泊りがけで遊びに来てくれるくらいで、事故以来この家にはずっと私しか住んでいなかった。なのにゲーム仲間でしかなかった駆が昨日からうちに住み始め、私のためにせっせと食事の支度をしてくれている。本当に不思議で現実離れした光景だ。
やがてキッチンから野菜をリズミカルに切る音が響いてくる。母は本当に忙しい人だったから毎日夕飯を作っていた訳ではなかったけど、凝り性で鍋やキッチン道具にはやたら拘っていた。それをまた使ってくれる人がいるという事実が純粋に嬉しかった。
「ランちゃん、君本当に器用だね……」
私はカウンターキッチンを覗き込みながら感心する。嬉しそうな顔の駆が顔を上げた。
「オレ、実家では料理ってほとんどしたことなかったんだけど、たまたま始めた洋食屋のアルバイトですごく向いていることに気が付いたんだ。店主のおじさんが丁寧に調理の仕方を教えてくれたから最終的にはオレが皆の賄い料理作るようになってた」
「料理が得意って、本当に羨ましい」
私は心から褒めた。駆は照れくさそうな表情を浮かべる。
「前住んでいた賃貸は電熱式のコンロが一口しかないし、キッチンが物凄く狭かったから物足りなかったけど、ここは道具も一式揃っていてとても使い勝手がいいね」
そう言いながら切った野菜を両手鍋に手際よく放り込んでいく。どうやら今日は肉じゃがらしい。
「でしょでしょ」
私は自分の手柄でもないくせに胸を張った。そんな私に受けたのか駆が笑った。屈託のない朗らかな笑顔だった。私もそれに釣られて一緒に笑ったのだった。
「ランちゃん、君本当に器用だね……」
私はカウンターキッチンを覗き込みながら感心する。嬉しそうな顔の駆が顔を上げた。
「オレ、実家では料理ってほとんどしたことなかったんだけど、たまたま始めた洋食屋のアルバイトですごく向いていることに気が付いたんだ。店主のおじさんが丁寧に調理の仕方を教えてくれたから最終的にはオレが皆の賄い料理作るようになってた」
「料理が得意って、本当に羨ましい」
私は心から褒めた。駆は照れくさそうな表情を浮かべる。
「前住んでいた賃貸は電熱式のコンロが一口しかないし、キッチンが物凄く狭かったから物足りなかったけど、ここは道具も一式揃っていてとても使い勝手がいいね」
そう言いながら切った野菜を両手鍋に手際よく放り込んでいく。どうやら今日は肉じゃがらしい。
「でしょでしょ」
私は自分の手柄でもないくせに胸を張った。そんな私に受けたのか駆が笑った。屈託のない朗らかな笑顔だった。私もそれに釣られて一緒に笑ったのだった。