【5】②

ー/ー



理恵(りえ)、しばらく有紗ここに泊めるから」
 有紗を連れて戻った丈の自宅の1DK。
 玄関を入るなり、迎えに出た妻に言い放つ兄に唖然とする。
「丈くん、私泊まる気なんてない。いったいどこに泊まるって言うのよ。……ごめんなさい、お義姉(ねえ)さん。私すぐ帰りますから」
「有紗ちゃん、ごめんね」
 ぐずる息子を抱いてあやしている、疲れ果てた義姉の様子に有紗は申し訳なさに顔も上げられない思いだった。
「何言ってんだ! 行くとこなんかないだろ? 落ち着くまでウチに居ていいから――」
「丈くん、自分が何言ってるかわかってるの? 勇人(はやと)くん、まだ赤ちゃんなのに」
 自分を想いやってくれるのはありがたいが、妻や息子との現実が目に入っていないらしい兄に無性に苛立ちが募る。
「でも家族が困ってるときに」
「ん。丈くんの家族はもう、お義姉さんと勇人くんだけだよ。私は親戚。……そうやって、自分の都合のいい人を『家族』扱いしたがるのってあの人たちとどこが違うの?」
 母と、長兄と。
 敢えて言葉にはしなかったが、丈にも有紗の言わんとするところは伝わったのだろう。彼は見るからに狼狽し始めた。
「俺、……俺、そんな?」
 引き攣った表情でようよう口にした丈に、有紗は容赦なく追い打ちを掛ける。
「うん。もし今のことを勇人くんが覚えてたら、『パパはぼくより有紗(叔母さん)が大事なんだ』って思うよ、きっと。私と丈くんもそうじゃなかった? 『自分はどうでもいいんだ』っていつも思わせられてなかった? ……私たちの場合は、同じきょうだいだったけど」
「俺は、……家の中で『家族』は有紗だけだった。お父さんは小さい時に死んで、お母さんは兄貴のことばっかだったし兄貴はお母さんしか見てなかった」
 混乱しながら、丈は絞り出すように「過去」を口にする。
「私も同じ。だから、丈くんには自分の家族を一番大切にして欲しい。この『家族』を守れるのは丈ちゃけでしょ? 私は私で、新しい家族作って幸せになれるようにする」
「……でも。実際、行くとこあるのか? どうするんだよ」
 有紗の言葉を理解はしたようだが、丈は食い下がって来た。
「以前より手持ち余裕あるし、どこか泊まるよ。ホテルとかいっぱいあるでしょ」
 安心させるように軽く答えた有紗に、丈はようやくといった調子で頷いた。
「そうか。……でも、とにかく連絡だけはしろ」
「わかった」
 丈の言葉に返事して、義姉に顔を向ける。
「お義姉さん、次はちゃんと連絡してから遊びに来ますね」
 確かにほっとしたような表情で、それでも笑ってくれる理恵に精一杯明るく告げて、有紗は兄の家を後にした。

 本来は置いて来るべきだったのかもしれないが、そのまま持って来てしまったスマートフォン。
 アドレス帳には、丈以外には会社の親しい顔触れだけだ。真瀬と一倉は論外。鈴木は実家暮らしだった筈。
 ──加賀、は。
「……あの、華子さ、ん。私、あ」
 相手が応答したのに合わせて、呼び掛けたものの何を言っていいかわからず言葉に詰まった有紗に、加賀が真剣な声で問うて来た。
『有紗ちゃん? 今、どなたかと一緒に居ますか?』
「え? いえ、一人、です」
『わかりました。今は外ですか?』
「はい。……あの、会社で――」
『お家には帰れますか? 有紗ちゃん。もし無理なら行くところはありますか?』
 有紗が言い掛けるのに加賀が被せる。普段の彼女なら決してしない行い。何らかの事情は聞いて、――あるいは察しているのだろう。
「……いいえ」
『もしよろしければ、わたくしのところにいらっしゃいませんか? 一人暮らしのマンションで、お世辞にも広いとは申せませんが、雨露はしのげますので』
 もちろん他言は致しません、と重々しく付け足す彼女に、知らず入っていたらしい全身の力が抜ける気がした。
「お、お願い、します。申し訳ありません」
『では、こちらの駅まで来られますか? 無理ならわたくしが迎えに行きます』
「行けます。駅のどこに居ればいいでしょう」
 加賀に教えられたマンションの最寄り駅に降り立ち、打ち合わせ通りの改札を出たところに彼女の姿を見つけた。
「華子さん!」
 小走りで駆け寄る有紗を、加賀が安心したような笑顔で迎えてくれる。
 普段のスーツとはかけ離れたカジュアルなパンツスタイルで、随分目線が低く感じる。足元に目をやると、こちらも初めて見るスニーカーだった。普段は高いヒールで意識することもないが、そういえば加賀は有紗より十五センチ近く背が低かったのだ。
 常にきっちりと纏めている髪もいったん解いたらしく、低めのポニーテールといった軽快なイメージだ。
「ああ、有紗ちゃん。では参りましょう。ここからほんの五分ほどですから」
 辿り着いた加賀のマンションは、新築には見えないがエントランスまで清掃の行き届いた綺麗な建物だった。
 手前がダイニングキッチン、奥にベランダ付きの寝室の1DKの彼女の部屋に通される。
「有紗ちゃん、お夕飯は?」
 ダイニングテーブルの椅子を勧められ、腰を下ろした有紗に加賀が尋ねた。
「あ、何も……」
 そういえば何も食べてはいなかった。お腹が空いたという感覚もない。
「食べられそうなら何かお出ししましょうか?」
「いえ、すみません。今は何も。……できたら、飲み物をいただけますか?」
 せっかくの彼女の申し出を角が立たないように祈りながら断って、喉の渇きを覚えて飲み物を頼んでみる。
「わかりました。コーヒー、紅茶、ほうじ茶、ミネラルウォーター。ジュース類はございませんの。ああ、牛乳はありますのでカフェオレやミルクティーはできますわ」
「あの、もしよければミルクティーをお願いできますか?」
 この場合は「なんでもいい」よりはっきり好みを言った方がいいだろう。
「承知しました。少々お待ちくださいね」
 笑顔で了承して、加賀はキッチンに立った。

「とりあえずお風呂に入るのは如何でしょう。この部屋ね、バスとトイレが別なんです。狭いですが、きちんと洗い場があるバスルームなんですのよ」
 お茶を飲み終えた有紗に、加賀が嬉しそうに切り出した。ありがたく甘えることにしたが、着替えがないことに今更気づく。
「普段着はおそらく身長が違いすぎて無理ですが、わたくし寝る時はゆったりしたものを好みますので、寝間着は何とかお貸しできる気がしますわ」
 そのくらいとうにお見通しなのだろう彼女が出してきてくれた、Mサイズのパジャマ。もしかしたら少し丈が短いかもしれないが、着て寝る分には困らないだろう。
下着(ショーツ)は、有紗ちゃんに会う前にコンビニで買っておいたんですの」
「あ、ありがとうございます」
 パッケージのままの下着を差し出され、その心配りに礼を言って受け取る。
「他のものは脱いだらすぐ洗えば明日には着られますわ。全自動で乾燥までできますので遠慮はなさらずにね」


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「|理恵《りえ》、しばらく有紗ここに泊めるから」
 有紗を連れて戻った丈の自宅の1DK。
 玄関を入るなり、迎えに出た妻に言い放つ兄に唖然とする。
「丈くん、私泊まる気なんてない。いったいどこに泊まるって言うのよ。……ごめんなさい、お|義姉《ねえ》さん。私すぐ帰りますから」
「有紗ちゃん、ごめんね」
 ぐずる息子を抱いてあやしている、疲れ果てた義姉の様子に有紗は申し訳なさに顔も上げられない思いだった。
「何言ってんだ! 行くとこなんかないだろ? 落ち着くまでウチに居ていいから――」
「丈くん、自分が何言ってるかわかってるの? |勇人《はやと》くん、まだ赤ちゃんなのに」
 自分を想いやってくれるのはありがたいが、妻や息子との現実が目に入っていないらしい兄に無性に苛立ちが募る。
「でも家族が困ってるときに」
「ん。丈くんの家族はもう、お義姉さんと勇人くんだけだよ。私は親戚。……そうやって、自分の都合のいい人を『家族』扱いしたがるのってあの人たちとどこが違うの?」
 母と、長兄と。
 敢えて言葉にはしなかったが、丈にも有紗の言わんとするところは伝わったのだろう。彼は見るからに狼狽し始めた。
「俺、……俺、そんな?」
 引き攣った表情でようよう口にした丈に、有紗は容赦なく追い打ちを掛ける。
「うん。もし今のことを勇人くんが覚えてたら、『パパはぼくより|有紗《叔母さん》が大事なんだ』って思うよ、きっと。私と丈くんもそうじゃなかった? 『自分はどうでもいいんだ』っていつも思わせられてなかった? ……私たちの場合は、同じきょうだいだったけど」
「俺は、……家の中で『家族』は有紗だけだった。お父さんは小さい時に死んで、お母さんは兄貴のことばっかだったし兄貴はお母さんしか見てなかった」
 混乱しながら、丈は絞り出すように「過去」を口にする。
「私も同じ。だから、丈くんには自分の家族を一番大切にして欲しい。この『家族』を守れるのは丈ちゃけでしょ? 私は私で、新しい家族作って幸せになれるようにする」
「……でも。実際、行くとこあるのか? どうするんだよ」
 有紗の言葉を理解はしたようだが、丈は食い下がって来た。
「以前より手持ち余裕あるし、どこか泊まるよ。ホテルとかいっぱいあるでしょ」
 安心させるように軽く答えた有紗に、丈はようやくといった調子で頷いた。
「そうか。……でも、とにかく連絡だけはしろ」
「わかった」
 丈の言葉に返事して、義姉に顔を向ける。
「お義姉さん、次はちゃんと連絡してから遊びに来ますね」
 確かにほっとしたような表情で、それでも笑ってくれる理恵に精一杯明るく告げて、有紗は兄の家を後にした。
 本来は置いて来るべきだったのかもしれないが、そのまま持って来てしまったスマートフォン。
 アドレス帳には、丈以外には会社の親しい顔触れだけだ。真瀬と一倉は論外。鈴木は実家暮らしだった筈。
 ──加賀、は。
「……あの、華子さ、ん。私、あ」
 相手が応答したのに合わせて、呼び掛けたものの何を言っていいかわからず言葉に詰まった有紗に、加賀が真剣な声で問うて来た。
『有紗ちゃん? 今、どなたかと一緒に居ますか?』
「え? いえ、一人、です」
『わかりました。今は外ですか?』
「はい。……あの、会社で――」
『お家には帰れますか? 有紗ちゃん。もし無理なら行くところはありますか?』
 有紗が言い掛けるのに加賀が被せる。普段の彼女なら決してしない行い。何らかの事情は聞いて、――あるいは察しているのだろう。
「……いいえ」
『もしよろしければ、わたくしのところにいらっしゃいませんか? 一人暮らしのマンションで、お世辞にも広いとは申せませんが、雨露はしのげますので』
 もちろん他言は致しません、と重々しく付け足す彼女に、知らず入っていたらしい全身の力が抜ける気がした。
「お、お願い、します。申し訳ありません」
『では、こちらの駅まで来られますか? 無理ならわたくしが迎えに行きます』
「行けます。駅のどこに居ればいいでしょう」
 加賀に教えられたマンションの最寄り駅に降り立ち、打ち合わせ通りの改札を出たところに彼女の姿を見つけた。
「華子さん!」
 小走りで駆け寄る有紗を、加賀が安心したような笑顔で迎えてくれる。
 普段のスーツとはかけ離れたカジュアルなパンツスタイルで、随分目線が低く感じる。足元に目をやると、こちらも初めて見るスニーカーだった。普段は高いヒールで意識することもないが、そういえば加賀は有紗より十五センチ近く背が低かったのだ。
 常にきっちりと纏めている髪もいったん解いたらしく、低めのポニーテールといった軽快なイメージだ。
「ああ、有紗ちゃん。では参りましょう。ここからほんの五分ほどですから」
 辿り着いた加賀のマンションは、新築には見えないがエントランスまで清掃の行き届いた綺麗な建物だった。
 手前がダイニングキッチン、奥にベランダ付きの寝室の1DKの彼女の部屋に通される。
「有紗ちゃん、お夕飯は?」
 ダイニングテーブルの椅子を勧められ、腰を下ろした有紗に加賀が尋ねた。
「あ、何も……」
 そういえば何も食べてはいなかった。お腹が空いたという感覚もない。
「食べられそうなら何かお出ししましょうか?」
「いえ、すみません。今は何も。……できたら、飲み物をいただけますか?」
 せっかくの彼女の申し出を角が立たないように祈りながら断って、喉の渇きを覚えて飲み物を頼んでみる。
「わかりました。コーヒー、紅茶、ほうじ茶、ミネラルウォーター。ジュース類はございませんの。ああ、牛乳はありますのでカフェオレやミルクティーはできますわ」
「あの、もしよければミルクティーをお願いできますか?」
 この場合は「なんでもいい」よりはっきり好みを言った方がいいだろう。
「承知しました。少々お待ちくださいね」
 笑顔で了承して、加賀はキッチンに立った。
「とりあえずお風呂に入るのは如何でしょう。この部屋ね、バスとトイレが別なんです。狭いですが、きちんと洗い場があるバスルームなんですのよ」
 お茶を飲み終えた有紗に、加賀が嬉しそうに切り出した。ありがたく甘えることにしたが、着替えがないことに今更気づく。
「普段着はおそらく身長が違いすぎて無理ですが、わたくし寝る時はゆったりしたものを好みますので、寝間着は何とかお貸しできる気がしますわ」
 そのくらいとうにお見通しなのだろう彼女が出してきてくれた、Mサイズのパジャマ。もしかしたら少し丈が短いかもしれないが、着て寝る分には困らないだろう。
「|下着《ショーツ》は、有紗ちゃんに会う前にコンビニで買っておいたんですの」
「あ、ありがとうございます」
 パッケージのままの下着を差し出され、その心配りに礼を言って受け取る。
「他のものは脱いだらすぐ洗えば明日には着られますわ。全自動で乾燥までできますので遠慮はなさらずにね」