【4】①
ー/ー
「秘書室も業務中ですので時間は限られますが、できるだけこちらに来ていただけるようにしますね」
「すみません、ありがとうございます」
仕事を中断させてしまったことを詫びて秘書室を辞した有紗に、共に廊下に出た一倉が声を掛けて来る。
「次からは何かしていただくことを用意しておきます。ただ、最初はごく簡単な単純作業くらいしかお願いできないと思うのですが……」
「構いません。というか、難しいことはできないので、私」
申し訳なさそうな一倉を不思議に思いながら、有紗は努めて明るく返事した。
最初のアルバイト先で、研修期間中に採用はないと告げると共に掛けられた言葉が不意に浮かぶ。
「君さ、本当にきれいだし行儀も悪くないけど、水商売はやめときなね。それなり以上の店の女の子は頭も要るから。気配りはもちろん会話術も必須なわけ。君みたいなデリケートな子には務まらないよ」
採用担当者は高校生の娘がいると話していた。あれは侮蔑の捨て台詞ではなく、おそらくは娘と重ねた上での有紗に対するせめてもの忠告だったと思っている。
しかし真瀬に会うことがなければ、『人形』の仕事を得られなければ。近い将来、他に生きる方法はなかったかもしれない。
そんな自分が「何もしない」境遇を嘆くなど贅沢極まりないというのもよくわかっていた。
「社長。先ほどは『人形』をお貸しいただいてどうもありがとうございました。ところで、秘書室で月に何度かケーキやパフェを楽しむ会を催しているのですが、そこに『彼女』にも参加いただくことは可能ですか?」
早速社長室を訪れた一倉が、真瀬に有紗の出席の是非を問う形を取りながら促してくれる。
「ああ、なんか聞いたことあるな。全然いいよ、時間外だろ? もちろん有紗の分の費用は僕が持つから。何でも好きなもの食べておいで」
有紗を見て笑みを浮かべる真瀬に、感謝を込めて頭を下げた。
「あ、もし出掛けるのに普通の服がいるなら買っていいよ。請求は僕に、というか先にいくらか渡しておいた方がいいのか?」
考えながらもカードケースを取り出した真瀬に、有紗は首を左右に振る。
「要りません!」とはっきり断るべきところだろうが、『人形』としてはあまり感情的な部分は見せない方がいいという思いが邪魔をしてしまう。
「社長。本当に好きなお洋服は、ご本人がお給料で買う楽しみもあるのでは? スポンサーがいると、どうしても妥協が生まれてしまいますので」
困っている有紗に助け船を出すように、一倉が横から申し添えてくれた。
「それもそうか。でもさ、最初の頃にも言ったけど中には結構大変そうな服もあるし、通勤に着る服が必要なら遠慮いらないよ」
この人は本当に優しい。ただ金を出せばいいというだけではなく、そこには必ず有紗への気持ちが込められている気がした。
……正直、ピントがずれていると感じることも少なくはないのだけれど。
「はい、ご主人様」
有紗の返事に、真瀬は満足そうな表情を見せた。
「今週のケーキの会、有紗ちゃん行ける?」
真瀬が社を空けた今日、秘書室に顔を出した有紗に鈴木が満面の笑みで駆け寄って来た。
「明後日ですよね? 大丈夫です」
「そっか、楽しみ~」
封筒に三つ折りにした文書を入れて封をするだけの発送業務を手伝いながら、有紗は気になっていたことを訊いてみる。
「あの、……服なんですけど。こういうの、おかしいんですか? 私、全然わからなくて。もし皆さんに恥ずかしい思いさせたら申し訳ないので、何か着るもの買いに行った方がいいんでしょうか」
唐突な話題に一瞬場を支配した沈黙は、すぐに笑いで打ち消された。
「えー、いいんじゃない? 正直、あたしが着ろって言われたら『イヤ、無理です!』一択だけど、見てる分には可愛いし好き。有紗ちゃんホント似合ってるし。こういうのってトシもありますけど、絶対それだけじゃないですよね?」
鈴木があっけらかんと言うのに、加賀に次ぐベテランの杉 和佳奈が辛辣に続ける。
「街中で他人の服笑うような奴は、どんなもの着てたって何かしら理由見つけて笑うのよ。フェミニンでもモードでも、極論ビジネススーツでも。……つまり、自分がいいなら何も気にする必要なし! まあ有紗ちゃんみたいに優しくてセンシティヴな子には、そういう連中のことはわからないかもね」
彼女は秘書室で唯一の既婚者で、二歳の娘を持つ母だそうだ。
「わからなくていいんじゃないですか? あたしだってわかりませんけど、その方が幸せですよ、きっと」
鈴木も彼女に同意した。
「有紗ちゃん。貴女が構わないならいいのですが、もし他に着るものがなくて仕方なくということでしたら服を買いに行きましょう。お手伝いしますわ」
加賀がそう申し出てくれる。
ここの皆は、有紗を常に気遣ってくれていると感じていた。
杉の「センシティヴ」という表現も悪い意味で使っているのではないくらいわかるが、それが彼女たちの有紗に対する共通理解なのだろう。
「いえ。私は本当に平気なんです。もしかしたら笑われているのかもしれませんけど、こんな綺麗なお洋服着るの初めてですし、とても嬉しいです」
今も人目がまったく気にならないと言えば嘘だが、「これは仕事だ。自分はこれで給料をもらって生活しているのだ」という自負で多少なりとも前を向けるようになった。
名前で「有紗ちゃん」と呼ばれるようになってからも、休み時間やティータイム以外はメリハリをつけて「北原さん」なのだが、こういう単純作業中だけは皆も素に戻るようだ。
有紗の方も、少しずつ名前で呼ばせてもらうことが増えている。
向こうは「気軽に」と言ってくれるのだが、どうしても立場の違いを考えて躊躇してしまっていたのもようやく薄れて来た。
◇ ◇ ◇
「有紗、なんかここんとこ楽しそうだね」
「あ、……そう、ですか?」
何気なく問い掛けた真瀬に、無自覚だったらしい彼女が曖昧に答えた。
最近、真瀬が社を離れるときは言うに及ばず、この部屋で執務しているときも折に触れ一倉が有紗を誘いに来るようになった。
せいぜい週に二、三回といったところではあるが。
秘書室で何やらお茶を飲んでお喋りしたり、簡単な作業を手伝ったりしているらしい。
厳密に『人形』としてなら御法度なのだろう。
たとえ『主人』に構われなくとも、ここでじっとおとなしく過ごすだけの給料を支払っているとも言えるのだから。
しかし、真瀬はそこまで気にしてはいなかった。何より、仕事中は集中していて有紗にまで気配りする余裕などない。
自分の目の届かない範囲でまで『人形』を演じろと強要するつもりなどなかった。
――結局自分は趣味人にはなりきれないのかもしれない。
そして有紗も、最初に真瀬が許可したにも拘らずスマートフォンでゲームをしたり動画を観たりも決してしなかった。
たまに秘書室の女性に借りたという本を読んでいることはあったが。
確かに、椅子に掛けて静かに本を読んでいる姿は『人形』として逸脱してはいない。
「オジサンと同じ部屋にいて、ただ座って時々言うこと聞いてたら必死こいてバイトするよりたくさんお金もらえる。しかも、ほとんどの時間は買ってもらった最新スマホで遊び放題」
そのくらい割り切れる子が相手ならまた違ったのかもしれない。
しかし、逆説的に真瀬はそういう少女なら選ばなかっただろうし、同じ空間で過ごすことさえすぐに嫌になって止めてしまっただろうとも思う。
だからこそ真瀬にとっても、一倉の機転はありがたかった。それで有紗が喜んでいるのならなおさらだ。
「そういえば、有紗が読んでる本ってどういうの? マンガじゃないよね?」
ふと思いついて訊いた真瀬に、彼女はゆっくり瞬きして答えた。
「小説です。……えーと、なんて言うのかわかりませんが、中学生や高校生の女の子が出てくるお話とかです」
「へぇ。ふつーの、ファンタジーじゃなくて日常の、日本の話?」
「はい。日本の、学校の話です。友達とか、先生とか、格好いい先輩とか。でも、外国のもあります。それはもう少し大人の女の人でしたけど」
有紗の説明では、具体的なイメージがまるで掴めない。
彼女のすべてを把握し、管理したいとまで思い上がっているわけでも何でもないので、知る必要などないと言えばそれまでなのだが。
……むしろ、自分は何故こんなことを気にしているのだろうか。
「外国とか大人の女性っていうのはロマンスものとかかな? 学生の男ならラノベなんかが多いみたいだけど、女の子って何読むんだ? また秘書室で訊いてみよう。有紗も、気に入ったのあったら自分で買えばいいよ。代金は僕が出すから」
「はい。ありがとうございます」
無性に気まずくなってしまい、真瀬はそれとなく話を終わらせた。
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「すみません、ありがとうございます」
仕事を中断させてしまったことを詫びて秘書室を辞した有紗に、共に廊下に出た一倉が声を掛けて来る。
「次からは何かしていただくことを用意しておきます。ただ、最初はごく簡単な単純作業くらいしかお願いできないと思うのですが……」
「構いません。というか、難しいことはできないので、私」
申し訳なさそうな一倉を不思議に思いながら、有紗は努めて明るく返事した。
最初のアルバイト先で、研修期間中に採用はないと告げると共に掛けられた言葉が不意に浮かぶ。
「君さ、本当にきれいだし行儀も悪くないけど、|水商売《お水》はやめときなね。それなり以上の店の女の子は頭も要るから。気配りはもちろん会話術も必須なわけ。君みたいな《《デリケート》》な子には務まらないよ」
採用担当者は高校生の娘がいると話していた。あれは侮蔑の捨て台詞ではなく、おそらくは娘と重ねた上での有紗に対するせめてもの忠告だったと思っている。
しかし真瀬に会うことがなければ、『人形』の仕事を得られなければ。近い将来、他に生きる方法はなかったかもしれない。
そんな自分が「何もしない」境遇を嘆くなど贅沢極まりないというのもよくわかっていた。
「社長。先ほどは『人形』をお貸しいただいてどうもありがとうございました。ところで、秘書室で月に何度かケーキやパフェを楽しむ会を催しているのですが、そこに『彼女』にも参加いただくことは可能ですか?」
早速社長室を訪れた一倉が、真瀬に有紗の出席の是非を問う形を取りながら促してくれる。
「ああ、なんか聞いたことあるな。全然いいよ、時間外だろ? もちろん有紗の分の費用は僕が持つから。何でも好きなもの食べておいで」
有紗を見て笑みを浮かべる真瀬に、感謝を込めて頭を下げた。
「あ、もし出掛けるのに普通の服がいるなら買っていいよ。請求は僕に、というか先にいくらか渡しておいた方がいいのか?」
考えながらもカードケースを取り出した真瀬に、有紗は首を左右に振る。
「要りません!」とはっきり断るべきところだろうが、『人形』としてはあまり感情的な部分は見せない方がいいという思いが邪魔をしてしまう。
「社長。本当に好きなお洋服は、ご本人がお給料で買う楽しみもあるのでは? スポンサーがいると、どうしても妥協が生まれてしまいますので」
困っている有紗に助け船を出すように、一倉が横から申し添えてくれた。
「それもそうか。でもさ、最初の頃にも言ったけど中には結構大変そうな服もあるし、通勤に着る服が必要なら遠慮いらないよ」
この人は本当に優しい。ただ金を出せばいいというだけではなく、そこには必ず有紗への気持ちが込められている気がした。
……正直、ピントがずれていると感じることも少なくはないのだけれど。
「はい、ご主人様」
有紗の返事に、真瀬は満足そうな表情を見せた。
「今週のケーキの会、有紗ちゃん行ける?」
真瀬が社を空けた今日、秘書室に顔を出した有紗に鈴木が満面の笑みで駆け寄って来た。
「明後日ですよね? 大丈夫です」
「そっか、楽しみ~」
封筒に三つ折りにした文書を入れて封をするだけの発送業務を手伝いながら、有紗は気になっていたことを訊いてみる。
「あの、……服なんですけど。こういうの、おかしいんですか? 私、全然わからなくて。もし皆さんに恥ずかしい思いさせたら申し訳ないので、何か着るもの買いに行った方がいいんでしょうか」
唐突な話題に一瞬場を支配した沈黙は、すぐに笑いで打ち消された。
「えー、いいんじゃない? 正直、あたしが着ろって言われたら『イヤ、無理です!』一択だけど、見てる分には可愛いし好き。有紗ちゃんホント似合ってるし。こういうのってトシもありますけど、絶対それだけじゃないですよね?」
鈴木があっけらかんと言うのに、加賀に次ぐベテランの|杉《すぎ》 |和佳奈《わかな》が辛辣に続ける。
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彼女は秘書室で唯一の既婚者で、二歳の娘を持つ母だそうだ。
「わからなくていいんじゃないですか? あたしだってわかりませんけど、その方が幸せですよ、きっと」
鈴木も彼女に同意した。
「有紗ちゃん。貴女が構わないならいいのですが、もし他に着るものがなくて仕方なくということでしたら服を買いに行きましょう。お手伝いしますわ」
加賀がそう申し出てくれる。
ここの皆は、有紗を常に気遣ってくれていると感じていた。
杉の「センシティヴ」という表現も悪い意味で使っているのではないくらいわかるが、それが彼女たちの有紗に対する共通理解なのだろう。
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有紗の方も、少しずつ名前で呼ばせてもらうことが増えている。
向こうは「気軽に」と言ってくれるのだが、どうしても立場の違いを考えて躊躇してしまっていたのもようやく薄れて来た。
◇ ◇ ◇
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「あ、……そう、ですか?」
何気なく問い掛けた真瀬に、無自覚だったらしい彼女が曖昧に答えた。
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せいぜい週に二、三回といったところではあるが。
秘書室で何やらお茶を飲んでお喋りしたり、簡単な作業を手伝ったりしているらしい。
厳密に『人形』としてなら御法度なのだろう。
たとえ『主人』に構われなくとも、ここでじっとおとなしく過ごすだけの給料を支払っているとも言えるのだから。
しかし、真瀬はそこまで気にしてはいなかった。何より、仕事中は集中していて有紗にまで気配りする余裕などない。
自分の目の届かない範囲でまで『人形』を演じろと強要するつもりなどなかった。
――結局自分は趣味人にはなりきれないのかもしれない。
そして有紗も、最初に真瀬が許可したにも拘らずスマートフォンでゲームをしたり動画を観たりも決してしなかった。
たまに秘書室の女性に借りたという本を読んでいることはあったが。
確かに、椅子に掛けて静かに本を読んでいる姿は『人形』として逸脱してはいない。
「オジサンと同じ部屋にいて、ただ座って時々言うこと聞いてたら必死こいてバイトするよりたくさんお金もらえる。しかも、ほとんどの時間は買ってもらった最新スマホで遊び放題」
そのくらい割り切れる子が相手ならまた違ったのかもしれない。
しかし、逆説的に真瀬はそういう少女なら選ばなかっただろうし、同じ空間で過ごすことさえすぐに嫌になって止めてしまっただろうとも思う。
だからこそ真瀬にとっても、一倉の機転はありがたかった。それで有紗が喜んでいるのならなおさらだ。
「そういえば、有紗が読んでる本ってどういうの? マンガじゃないよね?」
ふと思いついて訊いた真瀬に、彼女はゆっくり瞬きして答えた。
「小説です。……えーと、なんて言うのかわかりませんが、中学生や高校生の女の子が出てくるお話とかです」
「へぇ。ふつーの、ファンタジーじゃなくて日常の、日本の話?」
「はい。日本の、学校の話です。友達とか、先生とか、格好いい先輩とか。でも、外国のもあります。それはもう少し大人の女の人でしたけど」
有紗の説明では、具体的なイメージがまるで掴めない。
彼女のすべてを把握し、管理したいとまで思い上がっているわけでも何でもないので、知る必要などないと言えばそれまでなのだが。
……むしろ、自分は何故こんなことを気にしているのだろうか。
「外国とか大人の女性っていうのはロマンスものとかかな? 学生の男ならラノベなんかが多いみたいだけど、女の子って何読むんだ? また秘書室で訊いてみよう。有紗も、気に入ったのあったら自分で買えばいいよ。代金は僕が出すから」
「はい。ありがとうございます」
無性に気まずくなってしまい、真瀬はそれとなく話を終わらせた。