第2話 人として限られた生活
ー/ー****
僕が長老から、あの菌を植えつけられ、数日が経過した……。
「──ねえ、瀬三居君、聞いてるの?」
あっ、そうか。
今は個体番号731じゃなく、この呼び名が僕の名前だった。
肩にかかるまで伸びた、黒い前髪を目線まで垂らし、特に目立たない地味な青年の顔つきだが、僕は見事に人の姿になれたんだ。
人間になり、数日が過ぎたのに、未だに実感がわかない。
なぜか、最初からカジュアルな服を着ていたのは、何かしらの都合なのかは、よく知らないけれど……。
──あれから、この体になって、行くあてをさ迷い、学校の近くで熱中症になりかけて、倒れていたところを、この下校中の女の子に介抱された。
こうして偶然にも僕の好きな女の子でもあった、天埜川邪音と知り合ったのだ。
これぞ、まさに運命の赤い糸を感じさせる。
天埜川さんには悪いが、僕には両親が遠方に転勤していない状況で、現在は高校を卒業し、就活中で親の仕送りにて、ひとり暮らしをしていると伝えてある。
だけど、早くも下校帰りの彼女のお薦めで入ったファミレスで、僕の危機が迫っていた。
「ねえ、どのご飯にするか、早く決めてよ。私、お腹ペコペコでさあ……」
もう一度、天埜川さんが差し出したお店のメニュー表を、端から隅々まで目を通す。
幸い、大人になったら、天敵になる人間の言葉を理解することに対し、地下の学校の授業で外来語や、人間の好きな食べ物の勉強をしたかいがあり、これらのメニューは理解でき、難なく読める。
しかし、いくら読んでも、ここの店の料理は、なぜか食べ物系のみ。
野菜のスムージーや、コーンスープとか、そのような飲める食べ物はない。
僕はこの体になっても、見た目が人間になっただけで、消化方法は元のセミのように、口から栄養を吸い取る食事作法だ。
物を食べれるような咀嚼が、器用にできる体ではないことに、正直、焦っていた。
だからと言って、野菜ジュースだけを頼もうとしても『ちゃんとご飯食べてる? 今日は私が奢るから、何かご飯食べなよ』と心配されて、このような有りさまだ。
「だったら、夏野菜のペーストたっぷりのグリーンカレーライスにしようかな。じゃあ僕は、ちょっとトイレに行ってくるから」
野菜をトロトロにまで煮込んで、形を溶かしたカレーなら、何とかいけるはず。
後は即興の思いつきの作戦通りに、手はずを整えるばかりだ。
「分かった。注文するね」
──彼女が店員さんに注文を伝えている時に席を外し、僕はレジの近くで、接客を終えた他の店員を呼び、レジ袋を1枚頼むことにした。
「分かりました。レジ袋は有料ですが、よろしいでしょうか」
「ああ、後から、あの僕の連れが払うからさ」
僕は親指でクイクイと、邪音の方に視線を向けさせる。
「……ははーん。ヒモですか。男として、最低ですね」
「はあ、何か言った?」
「いえいえ、風の噂でしょう」
そう言って、その店員さんは調理場に隣接したカウンターへ、オーダーを伝えに行った。
****
僕が戻り、テーブルの椅子に座ると、まるで見計らったかのように、すぐに温かな料理が運ばれてきた。
「やーん、どれもこれも美味しそう♪」
僕の方はカレーだったが、彼女の方は、ケーキやパフェなどのデザートだらけ。
肝心のご飯はどうするのだろうか。
「あのさ、主食はいらないの?」
「うん。女の子はデザートと、ご飯は一緒だから」
「それは別腹ではないのかな……?」
「そういう瀬三居君こそ、こんな暑い日にカレーじゃん」
「いや、他に食べれる物が……」
「まあ、いいじゃん。食べる時くらい、お互いに詮索はなしってことで♪」
天埜川さんはデザートに四角い物を近付けて、何やら小言を向けている。
「何々、このスマホが気になるの? まあ、今月出たばかりの新機種だからね」
「へえ、それがスマホって言うんだ?」
「なに、その目は。まさか、未だにガラケーなの?」
「えっ、唐揚げが何だって……?」
「うん、からあげは関係ないよ?」
あっ、しまった。
つい、本心が漏れてしまった。
どう挽回するべきか……。
「なら、特別に触らせてあげるよ」
彼女は深くは問いたださず、僕にその代物を差し出してきた。
長方形のはんぺんのような機械に、何やら映像がはめ込まれている。
作りもそれなりに丈夫で、手にもしっくりと馴染み、それほど重くもない。
「そうだ、せっかくだから記念に、一緒に写真でも撮ろうよ」
彼女が僕の席に身を寄せてきて、僕の持っていたスマホを扱い、僕たちの方へ画面を向ける。
すると次の瞬間、そのスマホからカシャと音がなり、一瞬だけ太陽のような輝きをした。
僕はそれに対して、反射的に、つい目を伏せてしまう。
「あーあ、瀬三居君、目を閉じたら駄目だよ」
天埜川さんがマジマジと、スマホを確認している。
「あれれ、スマホの故障かな?」
「どうしたんだい?」
「瀬三居君の姿が写ってないの。もう一度撮ろうか」
そうやって何回も写真を撮影しても、僕の姿が写ることはなかった。
「あーあ、レンズの故障かな。新しいスマホに変えてもらわないとね」
実体が写らないということは、僕はもうすでに……。
──何でだよ。
人間の神様ってやらも、残酷だな。
ようやく、彼女ときっかけを掴めたのに……。
僕は唇を噛みしめながら、テーブルに顔を俯けると、次々と視界から込みあげて来るものがあった。
「瀬三居君? なに、泣いてるの?」
「……いや、このカレーが、あまりにも辛くてさ」
僕は目の前のカレーを不馴れなスプーンですくって、口いっぱいに頬張り、喉へと流し込む。
向かい隣に座り直した彼女は、それを見つめ、ケラケラと笑っていた。
「あはは、大丈夫。誰もとって、食べたりしないよ。よく噛んで、ゆっくり食べてね」
そんな僕の心境も知らずに、天埜川さんは再び撮影に夢中になり、デザートにスマホを向けている。
(……チャンスは今しかない!)
──僕がその隙を掻い潜って、ポケットから、あのレジ袋をひざの上に広げて、固形物のライスをスプーンを使い、その袋へと移す。
(よし、これでこのライスは、何とか服に隠して、後から近所の畑の肥料にして、撒いてしまえばいい)
それから残ったルーの入った皿を持って、勢いよく、豪快に口へと流し込む。
ピリリとした刺激物で、いつもの優しい樹液の味じゃないが、これはこれで美味しかったりするから、人間の味覚というのは不思議だ。
(うっ、でも消化器官がムカムカする。とりあえず、あとから林にある樹液で口直しだな……)
──僕はこの至福の時間を、あとどれくらいの時間、過ごせるのだろう。
その真意を知るために、もう一度、あの長老を訪ねてみたくなったのだった……。
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