第15話 マカトゥおばあ 2
ー/ー集落の石垣が続く道を歩いた。
蒼がフィールドノートを開いた。歩きながら書き足した。クガニ。黄金。北の守護。按司の乱で御嶽焼失。祀り手が絶えた。何百年も待ち続けた。
「ナビ」
「ん?」
「命を削ることになる、って言ってた」
「うん」
「知ってたか」
「なんとなく」ナビが前を向いたまま言った。
「格が高いものを祓う時はいつもそうだから。だから最初から弔う方法を考えてた」
蒼は少し黙った。
「最初から考えてたのか」
「うん」
「俺に言わなかったのか」
「言っても心配するだけだから」
「心配する」蒼が言った。「当たり前だろ」
ナビが少し止まった。蒼を見た。蒼は前を向いたまま歩いていた。
「……ごめん」ナビが言った。
「謝らなくていい。ただ、次から言え」
「うん」
「なんでもね?」
ナビが少し間を置いた。「うん」
二人並んで歩いた。キジムナーたちが蒼の肩と頭で静かにしていた。
「蒼」
「うん」
「さっきおばあに話してた時」ナビが言った。「ノートを見なかったね」
蒼は少し考えた。
「全部覚えてたから」
「なんで全部覚えてたの」
「忘れたくなかったから」蒼が言った。「クガニのことを調べている間、ずっとそう思ってた。忘れたくないと思いながら調べてたら、全部頭に入ってた」
ナビがしばらく黙った。
「そういうことか」ナビが言った。「おばあが練習させてたの、そのためだったんだ」
「どういう意味だ」
「おばあはね」ナビが言った。「蒼がクガニに話しかける前に、一度声に出させたかったんだと思う。頭の中にあることと、声に出すことは違うから」
蒼はしばらく黙って歩いた。
「……おばあ、全部分かってたんだな」
「分かってたと思う」ナビが窓の外を見た。「だから最初に聞いたんだよ。聞きに来たのか、確かめに来たのか、って」
蒼はその問いを思い出した。あの時とっさに「確かめに来ました」と答えていた。体が勝手に答えていた。
「俺が確かめに来たと分かってたから、話させてくれたのか」
「うん。聞きに来たって答えてたら、おばあは別の話し方をしたと思う」
蒼はスマホを取り出した。じいちゃんへの電話だ。
「報告してから行く、って言ったから」蒼がナビに言った。
「うん」
呼び出し音が三回鳴って、祖父が出た。
「蒼か」
「うん。報告がある」
「聞こう」
「クガニという名前の、北の守護のことを調べた。場所も分かった。来週、やんばるに行く」
電話の向こうで祖父が少し黙った。
「クガニ」祖父が繰り返した。「黄金の守護か」
「知ってるのか」
「名前だけは聞いたことがある。記録にほとんど残っていない存在だと」
「一行だけ残ってた」
「……一行」
「博物館の民俗資料室に。焼失したという記述だけ」
祖父がまた黙った。長い間だった。
「蒼」
「うん」
「向き合いに行くのか、それとも祓いに行くのか」
「向き合いに行く」蒼が言った。「クガニはまだ腐りきってない。弔えると思う」
「誰に聞いた」
「古老のユタに。口承を持ってるおばあに」
「そうか」祖父の声が少し変わった。「お前が動くなら、仲村の家として動くことになる。それは分かっているか」
「分かってる」
「詫びを入れるなら、仲村の家として入れる。お前一人の話ではない」
「分かってる」蒼が言った。「じいちゃんの代わりに詫びることになる。それでいいか」
沈黙。
「……いい」祖父がようやく言った。「任せる」
「行ってくる」
「気をつけなさい」
「うん」
「それと蒼」
「うん」
「クガニに、長い間誰も来られなくて申し訳なかったと伝えてくれ。仲村の家として」
蒼は少し黙った。
「伝えるよ」
そう電話を切った後、ナビが窓の外を見ていた。
「じいちゃん、なんて言ってた」
「任せるって。クガニに申し訳なかったと伝えてくれって」
ナビが窓から蒼に視線を向けた。
「ちゃんとした人だね」
「ちゃんとした人だよ」
「会いたいな、やっぱり」
「終わったら来てもらう」蒼が言った。「今度こそ」
「うん」
バスの中、ナビが窓の外を見ていた。蒼がフィールドノートを整理していた。
リュックの中に、折り畳み傘が入っていた。朝、ナビが「雨が来る」と言って入れたものだった。天気予報は晴れだったが、夕方に降った。蒼はそれを使いながら、ナビがいつ自分の荷物を確認したのかを考えた。
答えは出なかった。でもなんとなく、気にしたままバスに乗っていた。
しばらくして、ナビが言った。
「おばあ、好きだな」
「俺も」蒼が言った。「あの人、全部知ってる顔してた」
「全部知ってるわけじゃないけど」ナビが言った。「でも長い間見てきたから、大事なことが分かる」
「大事なことって」
「どこを見ればいいか」ナビが言った。「何が本物か」
蒼はノートから顔を上げた。
「俺を見て、何か言いたそうだったな、おばあ」
「言ってたじゃない。北の血だって」
「それだけじゃない気がした」
ナビが少し考えた。
「おばあはね」ナビが言った。「人を見る時、その人が何のためにここにいるか、を見る。ユタはそういう見方をするから」
「俺が何のためにいるか、か」
「うん」
「分かったのか、おばあに」
「たぶん」ナビが窓に向き直った。「だから土産のウチカビを渡したんだと思う。ちゃんと役割を果たす人間だって、分かったから」
蒼は布袋を取り出した。ウチカビが入っていた。軽かった。小さかった。でも確かに、重さがあった。
「行こう」蒼が言った。「クガニのところに」
「うん」ナビが言った。「一緒に」
バスが北に向かって走っていた。肩の上でキジムナーがキュル、と鳴いた。
蒼は窓の外を見た。流れていく景色の向こうに、やんばるの緑が見え始めていた。
蒼がノートに今日聞いたことを書き足した。
向き合う。逃げない。名前を呼ぶ。調べてきたことを全部話す。詫びる。線香を焚く。ウチカビを燃やす。
「整理できた」蒼が言った。
「うん」
「準備が必要なものは揃ってる。ウチカビも線香も貰った。ヒラウコーはリュックにある」
「蒼が話す言葉が一番大事だけどね」
「そのために調べてきた」蒼が言った。「クガニのことは全部持って行く」
ナビが少し蒼を見た。
「緊張してる?」
「してる」
「正直だね」
「隠す意味がない」蒼が言った。「でも逃げない。それだけははっきりしてる」
「うん」ナビが言った。「知ってる」
「お前は緊張してないのか」
ナビが少し考えた。
「してる」
「正直だな」
「隠す意味がない」
蒼が少し笑った。ナビも笑った。
キジムナーが肩の上でキュルキュル鳴いた。
「来るなよ、クガニのところには」
キュキュキュ。
「怒るな。危ないから言ってる」
キュルキュル。
「来るって言ってる」ナビが訳した。
「お前が訳するな」
「来るものは来るから」
蒼はため息をついた。
バスが北に向かって走っていた。
やんばるの緑が窓の外に増えてきた。
「来週か」ナビが言った。
「来週。天気を確認して、道を調べて、準備を整えてから」
「ちゃんと準備するんだね」
「当たり前だろ。クガニのところに行くのに、準備なしじゃ失礼だ」
ナビがしばらく黙った。
それから窓の外に向き直った。
「クガニ」ナビが小さく言った。声に出して、確かめるように。「もう少し待ってて。ちゃんと準備して行くから」
窓の外にやんばるの山が続いていた。
北の方角の空が、今日は少し明るかった。
蒼がフィールドノートを開いた。歩きながら書き足した。クガニ。黄金。北の守護。按司の乱で御嶽焼失。祀り手が絶えた。何百年も待ち続けた。
「ナビ」
「ん?」
「命を削ることになる、って言ってた」
「うん」
「知ってたか」
「なんとなく」ナビが前を向いたまま言った。
「格が高いものを祓う時はいつもそうだから。だから最初から弔う方法を考えてた」
蒼は少し黙った。
「最初から考えてたのか」
「うん」
「俺に言わなかったのか」
「言っても心配するだけだから」
「心配する」蒼が言った。「当たり前だろ」
ナビが少し止まった。蒼を見た。蒼は前を向いたまま歩いていた。
「……ごめん」ナビが言った。
「謝らなくていい。ただ、次から言え」
「うん」
「なんでもね?」
ナビが少し間を置いた。「うん」
二人並んで歩いた。キジムナーたちが蒼の肩と頭で静かにしていた。
「蒼」
「うん」
「さっきおばあに話してた時」ナビが言った。「ノートを見なかったね」
蒼は少し考えた。
「全部覚えてたから」
「なんで全部覚えてたの」
「忘れたくなかったから」蒼が言った。「クガニのことを調べている間、ずっとそう思ってた。忘れたくないと思いながら調べてたら、全部頭に入ってた」
ナビがしばらく黙った。
「そういうことか」ナビが言った。「おばあが練習させてたの、そのためだったんだ」
「どういう意味だ」
「おばあはね」ナビが言った。「蒼がクガニに話しかける前に、一度声に出させたかったんだと思う。頭の中にあることと、声に出すことは違うから」
蒼はしばらく黙って歩いた。
「……おばあ、全部分かってたんだな」
「分かってたと思う」ナビが窓の外を見た。「だから最初に聞いたんだよ。聞きに来たのか、確かめに来たのか、って」
蒼はその問いを思い出した。あの時とっさに「確かめに来ました」と答えていた。体が勝手に答えていた。
「俺が確かめに来たと分かってたから、話させてくれたのか」
「うん。聞きに来たって答えてたら、おばあは別の話し方をしたと思う」
蒼はスマホを取り出した。じいちゃんへの電話だ。
「報告してから行く、って言ったから」蒼がナビに言った。
「うん」
呼び出し音が三回鳴って、祖父が出た。
「蒼か」
「うん。報告がある」
「聞こう」
「クガニという名前の、北の守護のことを調べた。場所も分かった。来週、やんばるに行く」
電話の向こうで祖父が少し黙った。
「クガニ」祖父が繰り返した。「黄金の守護か」
「知ってるのか」
「名前だけは聞いたことがある。記録にほとんど残っていない存在だと」
「一行だけ残ってた」
「……一行」
「博物館の民俗資料室に。焼失したという記述だけ」
祖父がまた黙った。長い間だった。
「蒼」
「うん」
「向き合いに行くのか、それとも祓いに行くのか」
「向き合いに行く」蒼が言った。「クガニはまだ腐りきってない。弔えると思う」
「誰に聞いた」
「古老のユタに。口承を持ってるおばあに」
「そうか」祖父の声が少し変わった。「お前が動くなら、仲村の家として動くことになる。それは分かっているか」
「分かってる」
「詫びを入れるなら、仲村の家として入れる。お前一人の話ではない」
「分かってる」蒼が言った。「じいちゃんの代わりに詫びることになる。それでいいか」
沈黙。
「……いい」祖父がようやく言った。「任せる」
「行ってくる」
「気をつけなさい」
「うん」
「それと蒼」
「うん」
「クガニに、長い間誰も来られなくて申し訳なかったと伝えてくれ。仲村の家として」
蒼は少し黙った。
「伝えるよ」
そう電話を切った後、ナビが窓の外を見ていた。
「じいちゃん、なんて言ってた」
「任せるって。クガニに申し訳なかったと伝えてくれって」
ナビが窓から蒼に視線を向けた。
「ちゃんとした人だね」
「ちゃんとした人だよ」
「会いたいな、やっぱり」
「終わったら来てもらう」蒼が言った。「今度こそ」
「うん」
バスの中、ナビが窓の外を見ていた。蒼がフィールドノートを整理していた。
リュックの中に、折り畳み傘が入っていた。朝、ナビが「雨が来る」と言って入れたものだった。天気予報は晴れだったが、夕方に降った。蒼はそれを使いながら、ナビがいつ自分の荷物を確認したのかを考えた。
答えは出なかった。でもなんとなく、気にしたままバスに乗っていた。
しばらくして、ナビが言った。
「おばあ、好きだな」
「俺も」蒼が言った。「あの人、全部知ってる顔してた」
「全部知ってるわけじゃないけど」ナビが言った。「でも長い間見てきたから、大事なことが分かる」
「大事なことって」
「どこを見ればいいか」ナビが言った。「何が本物か」
蒼はノートから顔を上げた。
「俺を見て、何か言いたそうだったな、おばあ」
「言ってたじゃない。北の血だって」
「それだけじゃない気がした」
ナビが少し考えた。
「おばあはね」ナビが言った。「人を見る時、その人が何のためにここにいるか、を見る。ユタはそういう見方をするから」
「俺が何のためにいるか、か」
「うん」
「分かったのか、おばあに」
「たぶん」ナビが窓に向き直った。「だから土産のウチカビを渡したんだと思う。ちゃんと役割を果たす人間だって、分かったから」
蒼は布袋を取り出した。ウチカビが入っていた。軽かった。小さかった。でも確かに、重さがあった。
「行こう」蒼が言った。「クガニのところに」
「うん」ナビが言った。「一緒に」
バスが北に向かって走っていた。肩の上でキジムナーがキュル、と鳴いた。
蒼は窓の外を見た。流れていく景色の向こうに、やんばるの緑が見え始めていた。
蒼がノートに今日聞いたことを書き足した。
向き合う。逃げない。名前を呼ぶ。調べてきたことを全部話す。詫びる。線香を焚く。ウチカビを燃やす。
「整理できた」蒼が言った。
「うん」
「準備が必要なものは揃ってる。ウチカビも線香も貰った。ヒラウコーはリュックにある」
「蒼が話す言葉が一番大事だけどね」
「そのために調べてきた」蒼が言った。「クガニのことは全部持って行く」
ナビが少し蒼を見た。
「緊張してる?」
「してる」
「正直だね」
「隠す意味がない」蒼が言った。「でも逃げない。それだけははっきりしてる」
「うん」ナビが言った。「知ってる」
「お前は緊張してないのか」
ナビが少し考えた。
「してる」
「正直だな」
「隠す意味がない」
蒼が少し笑った。ナビも笑った。
キジムナーが肩の上でキュルキュル鳴いた。
「来るなよ、クガニのところには」
キュキュキュ。
「怒るな。危ないから言ってる」
キュルキュル。
「来るって言ってる」ナビが訳した。
「お前が訳するな」
「来るものは来るから」
蒼はため息をついた。
バスが北に向かって走っていた。
やんばるの緑が窓の外に増えてきた。
「来週か」ナビが言った。
「来週。天気を確認して、道を調べて、準備を整えてから」
「ちゃんと準備するんだね」
「当たり前だろ。クガニのところに行くのに、準備なしじゃ失礼だ」
ナビがしばらく黙った。
それから窓の外に向き直った。
「クガニ」ナビが小さく言った。声に出して、確かめるように。「もう少し待ってて。ちゃんと準備して行くから」
窓の外にやんばるの山が続いていた。
北の方角の空が、今日は少し明るかった。
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