第14話 マカトゥおばあ
ー/ーマカトゥおばあの家は本島中部の古い集落にあった。
バスを乗り継いで一時間。集落に入ると空気が変わった。観光地でも新興住宅地でもない、ただ長く人が住んできた場所の空気だった。石垣が続いていた。赤瓦の屋根が続いていた。
「ここか……おばあの家は」蒼が言った。
「たぶん」ナビが言った。
ナビは確信を持って言っていたが「たぶん」と言った。来たことがない場所なのに迷わなかった。最初の御嶽と同じだった。ナビには地図のようなものが体の中にあるらしかった。
キジムナーたちもついてきていた。止めても来た。三体が蒼の肩と頭とリュックに分散して乗っていた。集落の中では誰もキジムナーを気にしなかった。見えているのか、見えていないのか、見えていて気にしないのか、蒼には分からなかった。
集落の奥に、一際古い家があった。赤瓦の屋根、石垣、門の前にシーサー。丁寧に手入れされていた。でも古かった。この集落の中でも一番古い佇まいだった。
門の前に立った時、縁側に人影があった。
老女だった。九十代とナビは言っていた。確かにそう見えた。しわが深く、小さく、でも背筋が真っ直ぐだった。縁側に座って、二人が来るのを見ていた。まるで待っていたように。
「来たね」おばあが言った。
ナビが門をくぐった。蒼もついた。
おばあが台所に入って、すぐに戻ってきた。さんぴん茶が三つ。縁側に並べた。
おばあは蒼の顔をまじまじと見た。しばらく見ていた。
「あんたは……私が思ってたのと顔が違うさ」
「ち、違いますか?」
「何か探してた顔だと思っていたけれど」おばあが言った。「これは、何か持ってきた顔だね」
そうおばあは笑った。
「本土の子だね」
「埼玉から来ました。仲村蒼といいます」
「仲村」おばあが繰り返した。目が細くなった。「神社の家か」
「よく分かりましたね」
「顔に出てるよ」おばあがナビを見た。「この子が連れてくる人間がただの人間なわけないしね」
ナビが「そうでしょ」という顔をした。蒼は何も言えなかった。
おばあがさんぴん茶を一口飲んだ。
「ウムイのことで来たんだろ」
「はい」ナビが言った。「北のウムイです」
おばあが少し間を置いた。蒼の方を見た。
「聞きに来たのか。それとも確かめに来たのか」
蒼は少し止まった。
「確かめに来ました」
おばあの目が変わった。
「話してみ」
蒼はフィールドノートを出した。
「調べてきたことを話してもいいですか」
「どうぞ」
蒼はノートを開いた。書き込んだ文字を見ながら、でも途中からノートを見なくなった。
「北山の境に御嶽があった。按司の乱で焼失した。祀り手が絶えた。その後、北部の作物が育たなくなった記録がある。海の幸が減った記録もある。ユタが北の気の乱れを感じているという記録もあった」
おばあが黙って聞いていた。
「今起きていることと同じパターンです。珊瑚の白化、拝所の水の濁り。その御嶽にいた存在が機能しなくなると、自然の均衡が崩れる。それが何百年も前の記録に残っていた」
「よく調べた」おばあが言った。
「場所も分かりました」蒼はノートの地図を開いた。「やんばるの奥、北山の境と重なる場所に、名前のない御嶽の印がありました。ナビも感じると言っていました」
おばあがナビを見た。「そこだね」
「はい」ナビが言った。
おばあが蒼に視線を戻した。
「名前は」
「クガニ」蒼が言った。「昭和初期の聞き取り調査の記録に残っていました。黄金という意味だと」
おばあがしばらく黙った。
蒼には、おばあが何かを確かめているのが分かった。蒼が持ってきた情報を、自分の中にある何かと照らし合わせているような間だった。
「クガニ」おばあがようやく繰り返した。「そう。黄金。その頃に祀っていた人たちが呼んでいた名前だよ」
「知っていたんですか」
「知ってた」おばあが遠くを見た。「でも誰も聞きに来なかった。長い間ね」
おばあの声に、ナビのそれと似た何かがあった。長い時間を知っている人間の声だった。
「一行だけ記録に残っていました」蒼が言った。「焼失したという記述だけ。名前の前の話は何も残っていなかった」
「一行だけ、か」おばあが静かに言った。「それだけでも残ってたのは、誰かが惜しいと思ったからだよ。書かずにはいられなかった人間が、一人はいたんだ」
蒼はその一行を書いた人間のことを考えた。名前も知らない、何百年も前の人間。でも確かにその人間が、一行だけ書き残した。
「その一行を、あんたが見つけた」おばあが続けた。
「クガニには、それが届くと思うよ」
蒼はフィールドノートを握り直した。
調べてきた。記録してきた。クガニのことを全部頭に入れてきた。それは本当だった。でも蒼が今日ここに来たのは、それだけではなかった。
霊力がない。術もない。ナビがいなければ戦えない。それも本当だった。でもクガニを助けたかった。助ける側にいたかった。その気持ちを、おばあに認めてほしかった。言葉にしたことはなかった。でも今日、ここに来た理由はそこにあった。
「一つ教えてください」蒼が続けて答えた。「俺はクガニに何ができますか」
おばあがゆっくり蒼を見た。
「なんで俺が聞くんか、じゃなくて。俺に何ができるか、か」
「はい」
おばあが少し黙った。それからナビを見て笑った。
「この子、ちゃんとしてるね」
「そうでしょ」ナビが言った。
「本土から来た生態学の学生が、よく分かったね」
「この子と一緒にいたら、嫌でも分かってきた」
おばあがくっくっと笑った。しわの多い顔が、笑うとさらにしわが増えた。
それからおばあの表情が変わった。笑みが消えたのではなかった。笑みの奥に、別のものが混じった。長い時間の重さを持った顔だった。
「あんたに聞く前に、一つだけ確かめさせて」おばあが言った。
「はい」
「クガニの一行を見つけた時、何を思ったか」
蒼は博物館の薄暗い資料室を思い出した。一行だけ残っていた記述。焼失したと、祀り手が絶えたと、それだけ書いてあった。
「かわいそうだと思いました」
「怒りでも恐怖でもなく?」
「はい。ただ、かわいそうだと」
おばあがうなずいた。一度だけ、静かにうなずいた。
「それがあれば届く」おばあが言った。「気持ちだけは偽れないから」
それからおばあが話し始めた。
「ウムイを弔うのはね、戦うのとは全然違う。まず覚えておきなさい」
「はい」
「戦おうとしたら負ける。ウムイは怨念だから、攻撃すれば攻撃するほど大きくなる。対抗するんじゃなくて、向き合うんだよ」
「向き合う、というのは」
「クガニが何者だったか、ここにいたことを認める。忘れていたことを詫びる。そして名前を呼ぶ」おばあが言った。
「腐りきったものには届かない。でもクガニはまだ——」
「ぎりぎり届く」
「そう」おばあがうなずいた。「だからあんたが行くんだよ。北の結界の家の子が、クガニの名前を呼ぶ。それが一番届く」
「名前を呼んだら、何を言えばいいんですか」
「調べてきたことを全部話しなさい」おばあが言った。「クガニが何者だったか。どんな役割を持っていたか。焼失した後に何が起きたか。あんたが見つけたこと。さっき俺に話してくれたこと、そのままクガニに話しなさい」
蒼はさんぴん茶を一口飲んだ。
「さっきおばあに話したことを、そのままクガニに」
「そう」おばあが言った。「あんたはもう、練習してきたんだよ。さっき俺に話してくれた時に」
蒼は少し黙った。
そうか、と思った。おばあが「確かめに来たのか」と聞いたのはそういう意味だったのかもしれなかった。蒼が調べてきたことを声に出して話す場を、おばあは作っていた。
「それから詫びを入れる」おばあが続けた。
「仲村の家として詫びる。北の結界を守ってきた家として、同じ列島を守っていたクガニのことを忘れていたことを、ちゃんと詫びる」
「じいちゃんに相談してから行く方がいいですか」
おばあが少し考えた。「相談できるなら、した方がいい。でも——」おばあが蒼を見た。「あんたはもう、十分分かってると思うよ」
「俺が、ですか」
「数か月前、沖縄に来た時とは違う顔をしてる」おばあが静かに言った。「何かを背負える顔になってる」
蒼は答えなかった。
「一つ聞いてもいいですか」ナビが言った。
「どうぞ」
「クガニは——攻撃してきますか。向き合おうとした時に」
おばあが少し間を置いた。「してくる」
「やっぱり」
「でもね」おばあが言った。「逃げなければ、本気では攻撃してこない」
「逃げなければ?」
「ウムイはね、長い間誰にも向き合ってもらえなかった。来ては逃げていく人間を何度も見てきた。だから試すんだよ。こいつも逃げるかどうか」
「逃げたら?」
「終わり」おばあがはっきり言った。
「一度逃げたら、クガニは信じない。それ以上向き合おうとしても届かなくなる」
「逃げなければ、信じるんですか」
「試しの攻撃に耐えたら——信じる可能性が生まれる」おばあがナビを見た。「だからユタが必要だよ。逃げないために、守る人間が要る」
ナビがうなずいた。蒼がナビを見た。
「俺が逃げないように、お前が守るのか」
「逆」ナビが言った。「蒼がいるから、私が逃げないで済む」
蒼は少し黙った。
「アンカーってことか」
「そうとも言うね」
おばあが二人を見ていた。しばらくして、小さくうなずいた。「大丈夫そうだね」
「大丈夫ですか、俺たちで」蒼が聞いた。
「大丈夫かどうかは行ってみないと分からない」おばあが言った。「でも——向き合おうとする気持ちが本物なら届く。気持ちだけは偽れないから」
帰り際、おばあが立ち上がった。「待ちなさい」
台所に入ってしばらくして戻ってきた。小さな布袋と、細い線香の束を蒼に渡した。
「ウチカビと線香だ。あの場所で燃やしなさい」おばあが言った。「クガニへの土産だよ。この線香はこの集落で按司の時代からずっと作られてきたもの。クガニが知ってる匂いのはずだから」
蒼が受け取った。軽かった。でも手の中で確かな重みがあった。
「ありがとうございます」
「礼はいらない」おばあがナビを見た。「無理するなよ。あんたが消耗したら終わりだからね。向き合うのは蒼くんの仕事。あんたは守ることだけ考えなさい」
ナビが「はい」と素直に返事をした。
「知ってると思うけど、あんたの霊力の核心は龍神だよ」おばあが静かに言った。「北と南、二柱の龍神の力を借りられる。でも使えば使うほど削れる。それを分かって使いなさい」
おばあが最後に蒼を見た。
「仲村、といったね」
「はい」
「あんたのじいさんに、沖縄には良いものがいると伝えなさい」
「じいちゃんを知ってるんですか」
「知らないよ」おばあが笑った。「でも北の血がここまで来たんだから、向こうも動いてるはずだろ。伝えておきなさい」
それだけだった。門を出た。
バスを乗り継いで一時間。集落に入ると空気が変わった。観光地でも新興住宅地でもない、ただ長く人が住んできた場所の空気だった。石垣が続いていた。赤瓦の屋根が続いていた。
「ここか……おばあの家は」蒼が言った。
「たぶん」ナビが言った。
ナビは確信を持って言っていたが「たぶん」と言った。来たことがない場所なのに迷わなかった。最初の御嶽と同じだった。ナビには地図のようなものが体の中にあるらしかった。
キジムナーたちもついてきていた。止めても来た。三体が蒼の肩と頭とリュックに分散して乗っていた。集落の中では誰もキジムナーを気にしなかった。見えているのか、見えていないのか、見えていて気にしないのか、蒼には分からなかった。
集落の奥に、一際古い家があった。赤瓦の屋根、石垣、門の前にシーサー。丁寧に手入れされていた。でも古かった。この集落の中でも一番古い佇まいだった。
門の前に立った時、縁側に人影があった。
老女だった。九十代とナビは言っていた。確かにそう見えた。しわが深く、小さく、でも背筋が真っ直ぐだった。縁側に座って、二人が来るのを見ていた。まるで待っていたように。
「来たね」おばあが言った。
ナビが門をくぐった。蒼もついた。
おばあが台所に入って、すぐに戻ってきた。さんぴん茶が三つ。縁側に並べた。
おばあは蒼の顔をまじまじと見た。しばらく見ていた。
「あんたは……私が思ってたのと顔が違うさ」
「ち、違いますか?」
「何か探してた顔だと思っていたけれど」おばあが言った。「これは、何か持ってきた顔だね」
そうおばあは笑った。
「本土の子だね」
「埼玉から来ました。仲村蒼といいます」
「仲村」おばあが繰り返した。目が細くなった。「神社の家か」
「よく分かりましたね」
「顔に出てるよ」おばあがナビを見た。「この子が連れてくる人間がただの人間なわけないしね」
ナビが「そうでしょ」という顔をした。蒼は何も言えなかった。
おばあがさんぴん茶を一口飲んだ。
「ウムイのことで来たんだろ」
「はい」ナビが言った。「北のウムイです」
おばあが少し間を置いた。蒼の方を見た。
「聞きに来たのか。それとも確かめに来たのか」
蒼は少し止まった。
「確かめに来ました」
おばあの目が変わった。
「話してみ」
蒼はフィールドノートを出した。
「調べてきたことを話してもいいですか」
「どうぞ」
蒼はノートを開いた。書き込んだ文字を見ながら、でも途中からノートを見なくなった。
「北山の境に御嶽があった。按司の乱で焼失した。祀り手が絶えた。その後、北部の作物が育たなくなった記録がある。海の幸が減った記録もある。ユタが北の気の乱れを感じているという記録もあった」
おばあが黙って聞いていた。
「今起きていることと同じパターンです。珊瑚の白化、拝所の水の濁り。その御嶽にいた存在が機能しなくなると、自然の均衡が崩れる。それが何百年も前の記録に残っていた」
「よく調べた」おばあが言った。
「場所も分かりました」蒼はノートの地図を開いた。「やんばるの奥、北山の境と重なる場所に、名前のない御嶽の印がありました。ナビも感じると言っていました」
おばあがナビを見た。「そこだね」
「はい」ナビが言った。
おばあが蒼に視線を戻した。
「名前は」
「クガニ」蒼が言った。「昭和初期の聞き取り調査の記録に残っていました。黄金という意味だと」
おばあがしばらく黙った。
蒼には、おばあが何かを確かめているのが分かった。蒼が持ってきた情報を、自分の中にある何かと照らし合わせているような間だった。
「クガニ」おばあがようやく繰り返した。「そう。黄金。その頃に祀っていた人たちが呼んでいた名前だよ」
「知っていたんですか」
「知ってた」おばあが遠くを見た。「でも誰も聞きに来なかった。長い間ね」
おばあの声に、ナビのそれと似た何かがあった。長い時間を知っている人間の声だった。
「一行だけ記録に残っていました」蒼が言った。「焼失したという記述だけ。名前の前の話は何も残っていなかった」
「一行だけ、か」おばあが静かに言った。「それだけでも残ってたのは、誰かが惜しいと思ったからだよ。書かずにはいられなかった人間が、一人はいたんだ」
蒼はその一行を書いた人間のことを考えた。名前も知らない、何百年も前の人間。でも確かにその人間が、一行だけ書き残した。
「その一行を、あんたが見つけた」おばあが続けた。
「クガニには、それが届くと思うよ」
蒼はフィールドノートを握り直した。
調べてきた。記録してきた。クガニのことを全部頭に入れてきた。それは本当だった。でも蒼が今日ここに来たのは、それだけではなかった。
霊力がない。術もない。ナビがいなければ戦えない。それも本当だった。でもクガニを助けたかった。助ける側にいたかった。その気持ちを、おばあに認めてほしかった。言葉にしたことはなかった。でも今日、ここに来た理由はそこにあった。
「一つ教えてください」蒼が続けて答えた。「俺はクガニに何ができますか」
おばあがゆっくり蒼を見た。
「なんで俺が聞くんか、じゃなくて。俺に何ができるか、か」
「はい」
おばあが少し黙った。それからナビを見て笑った。
「この子、ちゃんとしてるね」
「そうでしょ」ナビが言った。
「本土から来た生態学の学生が、よく分かったね」
「この子と一緒にいたら、嫌でも分かってきた」
おばあがくっくっと笑った。しわの多い顔が、笑うとさらにしわが増えた。
それからおばあの表情が変わった。笑みが消えたのではなかった。笑みの奥に、別のものが混じった。長い時間の重さを持った顔だった。
「あんたに聞く前に、一つだけ確かめさせて」おばあが言った。
「はい」
「クガニの一行を見つけた時、何を思ったか」
蒼は博物館の薄暗い資料室を思い出した。一行だけ残っていた記述。焼失したと、祀り手が絶えたと、それだけ書いてあった。
「かわいそうだと思いました」
「怒りでも恐怖でもなく?」
「はい。ただ、かわいそうだと」
おばあがうなずいた。一度だけ、静かにうなずいた。
「それがあれば届く」おばあが言った。「気持ちだけは偽れないから」
それからおばあが話し始めた。
「ウムイを弔うのはね、戦うのとは全然違う。まず覚えておきなさい」
「はい」
「戦おうとしたら負ける。ウムイは怨念だから、攻撃すれば攻撃するほど大きくなる。対抗するんじゃなくて、向き合うんだよ」
「向き合う、というのは」
「クガニが何者だったか、ここにいたことを認める。忘れていたことを詫びる。そして名前を呼ぶ」おばあが言った。
「腐りきったものには届かない。でもクガニはまだ——」
「ぎりぎり届く」
「そう」おばあがうなずいた。「だからあんたが行くんだよ。北の結界の家の子が、クガニの名前を呼ぶ。それが一番届く」
「名前を呼んだら、何を言えばいいんですか」
「調べてきたことを全部話しなさい」おばあが言った。「クガニが何者だったか。どんな役割を持っていたか。焼失した後に何が起きたか。あんたが見つけたこと。さっき俺に話してくれたこと、そのままクガニに話しなさい」
蒼はさんぴん茶を一口飲んだ。
「さっきおばあに話したことを、そのままクガニに」
「そう」おばあが言った。「あんたはもう、練習してきたんだよ。さっき俺に話してくれた時に」
蒼は少し黙った。
そうか、と思った。おばあが「確かめに来たのか」と聞いたのはそういう意味だったのかもしれなかった。蒼が調べてきたことを声に出して話す場を、おばあは作っていた。
「それから詫びを入れる」おばあが続けた。
「仲村の家として詫びる。北の結界を守ってきた家として、同じ列島を守っていたクガニのことを忘れていたことを、ちゃんと詫びる」
「じいちゃんに相談してから行く方がいいですか」
おばあが少し考えた。「相談できるなら、した方がいい。でも——」おばあが蒼を見た。「あんたはもう、十分分かってると思うよ」
「俺が、ですか」
「数か月前、沖縄に来た時とは違う顔をしてる」おばあが静かに言った。「何かを背負える顔になってる」
蒼は答えなかった。
「一つ聞いてもいいですか」ナビが言った。
「どうぞ」
「クガニは——攻撃してきますか。向き合おうとした時に」
おばあが少し間を置いた。「してくる」
「やっぱり」
「でもね」おばあが言った。「逃げなければ、本気では攻撃してこない」
「逃げなければ?」
「ウムイはね、長い間誰にも向き合ってもらえなかった。来ては逃げていく人間を何度も見てきた。だから試すんだよ。こいつも逃げるかどうか」
「逃げたら?」
「終わり」おばあがはっきり言った。
「一度逃げたら、クガニは信じない。それ以上向き合おうとしても届かなくなる」
「逃げなければ、信じるんですか」
「試しの攻撃に耐えたら——信じる可能性が生まれる」おばあがナビを見た。「だからユタが必要だよ。逃げないために、守る人間が要る」
ナビがうなずいた。蒼がナビを見た。
「俺が逃げないように、お前が守るのか」
「逆」ナビが言った。「蒼がいるから、私が逃げないで済む」
蒼は少し黙った。
「アンカーってことか」
「そうとも言うね」
おばあが二人を見ていた。しばらくして、小さくうなずいた。「大丈夫そうだね」
「大丈夫ですか、俺たちで」蒼が聞いた。
「大丈夫かどうかは行ってみないと分からない」おばあが言った。「でも——向き合おうとする気持ちが本物なら届く。気持ちだけは偽れないから」
帰り際、おばあが立ち上がった。「待ちなさい」
台所に入ってしばらくして戻ってきた。小さな布袋と、細い線香の束を蒼に渡した。
「ウチカビと線香だ。あの場所で燃やしなさい」おばあが言った。「クガニへの土産だよ。この線香はこの集落で按司の時代からずっと作られてきたもの。クガニが知ってる匂いのはずだから」
蒼が受け取った。軽かった。でも手の中で確かな重みがあった。
「ありがとうございます」
「礼はいらない」おばあがナビを見た。「無理するなよ。あんたが消耗したら終わりだからね。向き合うのは蒼くんの仕事。あんたは守ることだけ考えなさい」
ナビが「はい」と素直に返事をした。
「知ってると思うけど、あんたの霊力の核心は龍神だよ」おばあが静かに言った。「北と南、二柱の龍神の力を借りられる。でも使えば使うほど削れる。それを分かって使いなさい」
おばあが最後に蒼を見た。
「仲村、といったね」
「はい」
「あんたのじいさんに、沖縄には良いものがいると伝えなさい」
「じいちゃんを知ってるんですか」
「知らないよ」おばあが笑った。「でも北の血がここまで来たんだから、向こうも動いてるはずだろ。伝えておきなさい」
それだけだった。門を出た。
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