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ⅡーⅠ 雨に濁った琥珀色

ー/ー



 いずれ来る雨上がりを待つためならば、雨も悪くない。
 そう思えるようになったのは、雨が上がったその先で、二度とはない出会いに恵まれたからだ。

 微かに香ばしい匂いがする。
 その香りのもとは、少年の手元にあるクラフト紙の袋だった。より正確には、その中に入った木炭である。
 少年はその紙袋を、店の隅の邪魔にならないところへ置いた。
「これで全部かな」
 少年――ユリオは立ち上がり、周囲をぐるりと見まわす。薄暗い店内の他の四隅に、たった今置いたものと同じ紙袋が置かれていた。
 ものが違えば、魔除けのまじないのような光景だった。しかし、よくないものを除去するという意味では、さほど違いはない。
 木炭を店の四隅に置いた理由。それは狭い店内にいくつも並んだ本棚を、湿気から守るためだった。
 湿気対策は雨期のイルーニュには必須だが、木炭を使うというのは珍しい、らしい。なんでも店主の故郷における、生活の知恵に由来するそうだ。
 ひと仕事終えて、ユリオは奥にある店番用のテーブルへ戻る。
 雨冷えした空気が店内に流れ込んできたのは、その時だった。
 雨音と、濡れた足音が耳朶を打つ。ドアの閉まる音が、それに続いた。
「いらっしゃい」
 店番用のテーブルに着くと、店の入り口の辺りがよく見える。
 一人の少女が、雨除けのマントを脱いでいるところだった。
 マントの下は、すらりとしたシルエットの白のドレス。それは薄暗い店内には、眩しいくらいに真っ白だった。紫のロングヘアが、その上をさらさらと流れていく。
 おもむろに店内を見まわす彼女と、目が合った。
 似ている。
 誰と、あるいは何とどう似ているのか、ということを考える暇はない。
 少女がまっすぐ、ユリオへ向かってきたからだ。
 本棚には見向きもしない。テーブルの前までやってきて、値踏みするような目つきでユリオを見つめる。
 不躾な視線に、ユリオはさすがに顔をしかめた。何用か問いかけようと、少女を見返す。
 しかしその瞳に、ユリオは言葉を一瞬忘れた。
 琥珀色。
 少女の瞳は、同居人と同じ色をしていた。キリっとした印象の、ツリ目がちな目つきもよく似ている。よく考えれば、髪色だってそうだ。
 決定的に違うのは、少女の方が同居人よりも背が高いということ。同居人はユリオより、頭ひとつぶんは背が低い。対して目の前の少女は、ユリオよりも少し小さい程度のように見える。
 同居人に姉が居る、という話は聞いたことがない。かといって、彼女の母は既に故人だ。そもそも若すぎる。
 他に思い当たる節と言えば、ひとつだけだった。
「ユリオというのは、あなたのことかしら?」
 どこか押し付けるような印象の笑顔で、少女はそう言った。
「そうだけど」少女が何者なのかを考えると、声は自然とつっけんどんな調子になった。「おまえは?」
「あら、これはとんだ失礼を」ドレスの裾をつまんで、少女が一礼する。「私、アンジェリカ・スピエルドルフと申します。……フルエットお姉様の妹、と言えばおわかりかしら?」
 アンジェリカが、わざとらしく小首を傾げる。
 ユリオは天を仰ぎたくなった。思い違いであれば、どれほどよかっただろうか。
「……何しに来たんだよ」
 同居人――フルエットの妹と言えば、番がどうのと嫌がらせをしてきた相手だ。それがイルーニュに来たとなれば、その目的はろくでもないものに決まっている。
 真意を探るユリオの視線を遮るように、アンジェリカはひらり手を振った。その仕草は、姉によく似ている。
「あら怖い。別に、お姉様の暮らしぶりを覗きに来ただけよ」
「だったら家に行けばいいだろ」
「暮らしぶりを伺うなら、使用人にも目を向けるのは当然でなくて? あなた、お姉様に雇われているんでしょう?」
 違うと言いかけて、口をつぐんだ。実際はともかく、フルエットの実家ではそういうことになっている。
 ふんと鼻を鳴らして、壁を作るように腕を組んだ。
「なら、もう用は済んだろ」
「ご挨拶ね。まだ顔を見ただけじゃない」アンジェリカが、琥珀色の瞳を鋭く細める。「お話くらいさせていただける?」
「話すことなんかないだろ」
「私にはあるのよ。あなた、お姉様に不満があるのではなくて?」
 そんなわけがない。こめかみ辺りがヒクつくのを、手で隠した。
「どういう意味だよ」
「だってあなた、使用人なのにこんな所で働いているじゃない。足りていないのではなくて?」
 給金が、という話だろう。
 しかし実際を知らないのだから当然だが、アンジェリカは根本的に間違っている。ユリオとフルエットの間に、そもそも給金のやり取りは存在しない。使用人ではなく、同居人なのだから。
 二人の本当の関係をバラさないまま、アンジェリカを納得させるには、どう答えればいいだろうか。
「……」
 そんなユリオの沈黙を、図星と勘違いしたらしい。アンジェリカは右手を差し出してきた。
「本邸に来る気はない? お姉様のところに居るよりも、きっといい暮らしができるわよ?」
 ユリオの指先が、テーブルを叩く。そういうことか。
 適当な理屈をつけて、ユリオをフルエットから引き離す。それがアンジェリカの目的だ。これも姉に対するいやがらせなのだろう。
 だとすれば。いや、例えまったく別の理由があったとしても、ユリオの答えは決まっていた。
「いやだ」
 瞬間、どろりと。
 アンジェリカの琥珀色の瞳が、濁ったような気がした。
 ユリオの首筋を、ぞっと寒気が走り抜ける。前に強大な人狼と向き合った時に感じた、本能的で乾いたソレとは違う。もっとどろどろとした、まとわりつくような寒気だった。
 瞳を濁らせたアンジェリカが、口を開く。
 その時、冷えた空気と雨音が、店内に入り込んできた。
 アンジェリカが振り返り、ユリオはそんな彼女越しに店の入り口へ目を向ける。
 雨避けのコートを羽織った、小柄な少女がそこに立っていた。濡れるのを嫌ってお団子にまとめた髪は、アンジェリカと似た紫色をしている。
 少女の視線は、アンジェリカへと釘付けになっていた。脱ぎかけていたコートが、華奢な肩を滑って床に落ちる。
「久しぶりね、お姉様」
 棘を隠さない妹の声に、小柄な姉――フルエットは、コートを拾って笑みを浮かべる。
「しばらく会わないうちに、ずいぶん背が高くなったね」
 アンジェリカの肩が、ひくつくように震えた。


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 いずれ来る雨上がりを待つためならば、雨も悪くない。
 そう思えるようになったのは、雨が上がったその先で、二度とはない出会いに恵まれたからだ。
 微かに香ばしい匂いがする。
 その香りのもとは、少年の手元にあるクラフト紙の袋だった。より正確には、その中に入った木炭である。
 少年はその紙袋を、店の隅の邪魔にならないところへ置いた。
「これで全部かな」
 少年――ユリオは立ち上がり、周囲をぐるりと見まわす。薄暗い店内の他の四隅に、たった今置いたものと同じ紙袋が置かれていた。
 ものが違えば、魔除けのまじないのような光景だった。しかし、よくないものを除去するという意味では、さほど違いはない。
 木炭を店の四隅に置いた理由。それは狭い店内にいくつも並んだ本棚を、湿気から守るためだった。
 湿気対策は雨期のイルーニュには必須だが、木炭を使うというのは珍しい、らしい。なんでも店主の故郷における、生活の知恵に由来するそうだ。
 ひと仕事終えて、ユリオは奥にある店番用のテーブルへ戻る。
 雨冷えした空気が店内に流れ込んできたのは、その時だった。
 雨音と、濡れた足音が耳朶を打つ。ドアの閉まる音が、それに続いた。
「いらっしゃい」
 店番用のテーブルに着くと、店の入り口の辺りがよく見える。
 一人の少女が、雨除けのマントを脱いでいるところだった。
 マントの下は、すらりとしたシルエットの白のドレス。それは薄暗い店内には、眩しいくらいに真っ白だった。紫のロングヘアが、その上をさらさらと流れていく。
 おもむろに店内を見まわす彼女と、目が合った。
 似ている。
 誰と、あるいは何とどう似ているのか、ということを考える暇はない。
 少女がまっすぐ、ユリオへ向かってきたからだ。
 本棚には見向きもしない。テーブルの前までやってきて、値踏みするような目つきでユリオを見つめる。
 不躾な視線に、ユリオはさすがに顔をしかめた。何用か問いかけようと、少女を見返す。
 しかしその瞳に、ユリオは言葉を一瞬忘れた。
 琥珀色。
 少女の瞳は、同居人と同じ色をしていた。キリっとした印象の、ツリ目がちな目つきもよく似ている。よく考えれば、髪色だってそうだ。
 決定的に違うのは、少女の方が同居人よりも背が高いということ。同居人はユリオより、頭ひとつぶんは背が低い。対して目の前の少女は、ユリオよりも少し小さい程度のように見える。
 同居人に姉が居る、という話は聞いたことがない。かといって、彼女の母は既に故人だ。そもそも若すぎる。
 他に思い当たる節と言えば、ひとつだけだった。
「ユリオというのは、あなたのことかしら?」
 どこか押し付けるような印象の笑顔で、少女はそう言った。
「そうだけど」少女が何者なのかを考えると、声は自然とつっけんどんな調子になった。「おまえは?」
「あら、これはとんだ失礼を」ドレスの裾をつまんで、少女が一礼する。「私、アンジェリカ・スピエルドルフと申します。……フルエットお姉様の妹、と言えばおわかりかしら?」
 アンジェリカが、わざとらしく小首を傾げる。
 ユリオは天を仰ぎたくなった。思い違いであれば、どれほどよかっただろうか。
「……何しに来たんだよ」
 同居人――フルエットの妹と言えば、番がどうのと嫌がらせをしてきた相手だ。それがイルーニュに来たとなれば、その目的はろくでもないものに決まっている。
 真意を探るユリオの視線を遮るように、アンジェリカはひらり手を振った。その仕草は、姉によく似ている。
「あら怖い。別に、お姉様の暮らしぶりを覗きに来ただけよ」
「だったら家に行けばいいだろ」
「暮らしぶりを伺うなら、使用人にも目を向けるのは当然でなくて? あなた、お姉様に雇われているんでしょう?」
 違うと言いかけて、口をつぐんだ。実際はともかく、フルエットの実家ではそういうことになっている。
 ふんと鼻を鳴らして、壁を作るように腕を組んだ。
「なら、もう用は済んだろ」
「ご挨拶ね。まだ顔を見ただけじゃない」アンジェリカが、琥珀色の瞳を鋭く細める。「お話くらいさせていただける?」
「話すことなんかないだろ」
「私にはあるのよ。あなた、お姉様に不満があるのではなくて?」
 そんなわけがない。こめかみ辺りがヒクつくのを、手で隠した。
「どういう意味だよ」
「だってあなた、使用人なのにこんな所で働いているじゃない。足りていないのではなくて?」
 給金が、という話だろう。
 しかし実際を知らないのだから当然だが、アンジェリカは根本的に間違っている。ユリオとフルエットの間に、そもそも給金のやり取りは存在しない。使用人ではなく、同居人なのだから。
 二人の本当の関係をバラさないまま、アンジェリカを納得させるには、どう答えればいいだろうか。
「……」
 そんなユリオの沈黙を、図星と勘違いしたらしい。アンジェリカは右手を差し出してきた。
「本邸に来る気はない? お姉様のところに居るよりも、きっといい暮らしができるわよ?」
 ユリオの指先が、テーブルを叩く。そういうことか。
 適当な理屈をつけて、ユリオをフルエットから引き離す。それがアンジェリカの目的だ。これも姉に対するいやがらせなのだろう。
 だとすれば。いや、例えまったく別の理由があったとしても、ユリオの答えは決まっていた。
「いやだ」
 瞬間、どろりと。
 アンジェリカの琥珀色の瞳が、濁ったような気がした。
 ユリオの首筋を、ぞっと寒気が走り抜ける。前に強大な人狼と向き合った時に感じた、本能的で乾いたソレとは違う。もっとどろどろとした、まとわりつくような寒気だった。
 瞳を濁らせたアンジェリカが、口を開く。
 その時、冷えた空気と雨音が、店内に入り込んできた。
 アンジェリカが振り返り、ユリオはそんな彼女越しに店の入り口へ目を向ける。
 雨避けのコートを羽織った、小柄な少女がそこに立っていた。濡れるのを嫌ってお団子にまとめた髪は、アンジェリカと似た紫色をしている。
 少女の視線は、アンジェリカへと釘付けになっていた。脱ぎかけていたコートが、華奢な肩を滑って床に落ちる。
「久しぶりね、お姉様」
 棘を隠さない妹の声に、小柄な姉――フルエットは、コートを拾って笑みを浮かべる。
「しばらく会わないうちに、ずいぶん背が高くなったね」
 アンジェリカの肩が、ひくつくように震えた。