【2】②
ー/ー
「あ、そうだ主任──」
「鈴木さん、街中では役職は止めましょう。わたくしは加賀で。社長のこともお名前でお呼びしましょうか」
社内の習慣のまま呼び掛けた鈴木に、加賀が軽く注意する。
「はい、わかりました」
「北原さん、その靴……」
鈴木に軽く頷きを返したあと、有紗の足元に目をやった加賀が何か言い掛けるのに慌てて言葉を被せた。
「すみません! スニーカーよりはいいと思って、私革靴これしか持ってなくて、その」
高校時代から履いている、くたびれた黒いローファー。
自分の格好が、綺麗なオフィスにもお洒落な街にも、全身何もかも場違いだということくらい有紗自身十分承知している。
しかし有紗の高校はアルバイト禁止だったため、必需品以外を買う余裕はなかったのだ。
「謝る必要なんてありませんのよ。わたくしの方こそ不躾な言い方でごめんなさいね。靴も買いましょう」
恥ずかしくてしどろもどろの有紗に、加賀は穏やかな笑みを浮かべながら宥めてくれた。
「北原さん、ヒールなんて履いたことないんじゃない? いきなりで大丈夫でしょうか。靴擦れとか、………あ、でもヒールよりフラットシューズの方が合うのかな。うーん、それも服のタイプによりますねぇ」
「その観点は大事ですよ、鈴木さん。できるだけ楽な靴と合わせられるお衣装を選ばないと」
鈴木の言葉に、加賀が重々しく頷いている。
有紗は、この二人のような美しく優秀だろう大人の女性に優しくされたことなどなかった。
アルバイトしていたカフェへの通勤で、朝に夕に見上げていたオフィスビル群。その中で働く人たちは、別世界の冷たい存在だと思っていたのだ。
仕事だとしても、彼女たちが少しでも有紗の負担にならないように考えてくれていることくらいはひしひしと伝わって来た。
「どういうところへ行けばいいのかしら。鈴木さん、真瀬さんに言ってらしたような服を扱うセレクトショップって御存知?」
「いえ、あたしの守備範囲ではないので」
「そうよね、わたくしも知らないわ。……とりあえず、若いお嬢さん向けのファッションビルに行きましょうか」
鈴木が首を左右に振るのに、加賀も同意している。
「あ、それならあたしが学生の頃行きつけだったとこはどうでしょう」
彼女たちの話は、有紗には半分もわからなかった。加賀はまだしも、鈴木は有紗と五歳しか変わらないというのに。
それでも、生活環境が異なると何もかもが違ってしまうのは経験上身に沁みていた。
「ここならいろんなタイプの女の子向けのショップが入ってますよ。より取り見取りです」
目の前に聳えるのは、有紗がテレビでしか観たことのないような華やかなショッピングビル。
「確か三階と四階にそういうお店があった気がするんですよね。あたしも久しぶりなので、変わってなければ、ですけど」
改めて記憶を確かめるようにしながらも鈴木は自信なさげだ。
一応、フロアごとのショップガイドもあるのだが、店名だけでははっきりしないのだそうだ。
「とりあえず上がりましょう。……北原さん、今日は貴女の趣味嗜好はちょっと考慮できないかもしれません」
「構いません。お仕事用、ですし。私は何でも」
相変わらず優しく気遣ってくれる加賀に、有紗はごく普通に返した。
もとより逆らえる立場だなどと思ってはいない。
加賀と鈴木に連れられるままにいくつものショップを回り、彼女たちが店員と話して候補に挙げた服を試着して行く。
もちろん、その合間に有紗の好みも参考までにか訊かれるのだが、今まで自分が知っていた洋服と違い過ぎる『何か』に、言葉など出て来ない。
煌びやかなあれこれに埋もれた店内で、「この中で一番好きな服を選んで」と指示されるに至っては、その場でまさしく硬直してしまった。
あとで訊いたところ、彼女たちの目にはそのショップの品はほぼ同テイストに見えたので、どうせなら有紗の好きなものをと考えてくれたらしい。
質問を無視するのは失礼だし、だからと言って何と答えればいいのかと困惑する有紗に、加賀は途中から「YES-NO」か「二択」で返せる問いに絞ってくれるようになった。
たとえば「北原さん、このくらいの短いスカートは如何?」、あるいは「この二つならどちらがお好き?」といった感じだ。
短いとはいえ、加賀の提示するものは「膝が見えるかどうか」程度であったのだが。
「北原さん、お化粧したことある? 化粧品持ってる?」
「……いえ、ありません。何も持ってないです」
買い物を終えてファッションビルを出た後、鈴木に問われて有紗は正直に答えた。ここで見栄を張る意味もない。
「そうですわ、お化粧のことを忘れていました」
「やっぱり少しはした方がいいですよね? デパート行くのがいいでしょうか?」
加賀の言葉に、鈴木が頷いている。
「それがいちばん無難ですわね。……北原さん、疲れていませんか?」
気遣ってくれる加賀に平気です、と返した。
「北原さんだったらホントに基本だけでいい筈だから、そんな難しく考えなくて大丈夫。若いんだし、何より肌も顔立ちもそんな綺麗なんだから厚塗りする必要なんてない、ってかしちゃダメよ。台無しだから」
おろおろしている有紗を安心させるためだろう、鈴木が気軽な口調で説明してくれる。
「北原さん、本当にお肌が白くてきめ細かくて綺麗ですものね。若さももちろんですけれど、それだけじゃありませんわ」
感心したように褒めてくれる加賀に面映ゆい思いはあるものの、有紗は率直に嬉しかった。
「じゃあデパートのカウンター行きましょう。あたしが使ってるブランドと同じでよければ、ちょっとはアドバイスもできるけど。あーでも、美容部員さんに訊いた方が確実ですよね……」
独り言のような鈴木の呟きを加賀が拾う。
「あら、それでも実際のユーザーの声というのは大切ですわよ。お店の方はマイナス面はなかなか口にはなさらないでしょうし」
「あの、私も鈴木さんに教えていただけるなら嬉しいです」
思い切って告げた有紗に、鈴木は「北原さんみたいな美少女と『お揃い』って、ちょっと照れるけど嬉しいわ」と笑ってくれた。
デパートの、鈴木がずっと好きで使っているというブランドのカウンターを訪ねる。若い女性に人気らしく、価格帯もそれほど高くはないそうだ。とはいえ、有紗にとっては簡単に手の出る値段ではなかった。
有紗が「化粧品」というものに抱いていたイメージを覆すような、文字通りキラキラした可愛らしいパッケージの数々。
主に鈴木が店員に要望を告げてやり取りをしてくれて、その結果目の前に並べられた商品の中から有紗の好みを訊いた上でひとつひとつ選んで行く。
実際に肌に乗せてみないとわからないから、と美しくにこやかな美容部員に簡単に化粧も施してもらった。鏡の中の、確かに自分なのにまるで知らない誰かのような顔。
購入するものを決めたあと、当然ながら自分で使えるようにと丁寧に教えてもらった。
「毎日してたらすぐ慣れるけど、わかんなかったらあたしに訊いて。最悪、明日は口紅だけ塗って、あとは会社に全部持って来たらいいから」
横から鈴木が小声で言い添えてくれるのにも、ありがたく礼を言う。
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「鈴木さん、街中では役職は止めましょう。わたくしは加賀で。社長のこともお名前でお呼びしましょうか」
社内の習慣のまま呼び掛けた鈴木に、加賀が軽く注意する。
「はい、わかりました」
「北原さん、その靴……」
鈴木に軽く頷きを返したあと、有紗の足元に目をやった加賀が何か言い掛けるのに慌てて言葉を被せた。
「すみません! スニーカーよりはいいと思って、私革靴これしか持ってなくて、その」
高校時代から履いている、くたびれた黒いローファー。
自分の格好が、綺麗なオフィスにもお洒落な街にも、全身何もかも場違いだということくらい有紗自身十分承知している。
しかし有紗の高校はアルバイト禁止だったため、必需品以外を買う余裕はなかったのだ。
「謝る必要なんてありませんのよ。わたくしの方こそ不躾な言い方でごめんなさいね。靴も買いましょう」
恥ずかしくてしどろもどろの有紗に、加賀は穏やかな笑みを浮かべながら宥めてくれた。
「北原さん、ヒールなんて履いたことないんじゃない? いきなりで大丈夫でしょうか。靴擦れとか、………あ、でもヒールよりフラットシューズの方が合うのかな。うーん、それも服のタイプによりますねぇ」
「その観点は大事ですよ、鈴木さん。できるだけ楽な靴と合わせられるお衣装を選ばないと」
鈴木の言葉に、加賀が重々しく頷いている。
有紗は、この二人のような美しく優秀だろう大人の女性に優しくされたことなどなかった。
アルバイトしていたカフェへの通勤で、朝に夕に見上げていたオフィスビル群。その中で働く人たちは、別世界の冷たい存在だと思っていたのだ。
仕事だとしても、彼女たちが少しでも有紗の負担にならないように考えてくれていることくらいはひしひしと伝わって来た。
「どういうところへ行けばいいのかしら。鈴木さん、真瀬さんに言ってらしたような服を扱うセレクトショップって御存知?」
「いえ、あたしの守備範囲ではないので」
「そうよね、わたくしも知らないわ。……とりあえず、若いお嬢さん向けのファッションビルに行きましょうか」
鈴木が首を左右に振るのに、加賀も同意している。
「あ、それならあたしが学生の頃行きつけだったとこはどうでしょう」
彼女たちの話は、有紗には半分もわからなかった。加賀はまだしも、鈴木は有紗と五歳しか変わらないというのに。
それでも、生活環境が異なると何もかもが違ってしまうのは経験上身に沁みていた。
「ここならいろんなタイプの女の子向けのショップが入ってますよ。より取り見取りです」
目の前に|聳《そび》えるのは、有紗がテレビでしか観たことのないような華やかなショッピングビル。
「確か三階と四階にそういうお店があった気がするんですよね。あたしも久しぶりなので、変わってなければ、ですけど」
改めて記憶を確かめるようにしながらも鈴木は自信なさげだ。
一応、フロアごとのショップガイドもあるのだが、店名だけでははっきりしないのだそうだ。
「とりあえず上がりましょう。……北原さん、今日は貴女の趣味嗜好はちょっと考慮できないかもしれません」
「構いません。お仕事用、ですし。私は何でも」
相変わらず優しく気遣ってくれる加賀に、有紗はごく普通に返した。
もとより逆らえる立場だなどと思ってはいない。
加賀と鈴木に連れられるままにいくつものショップを回り、彼女たちが店員と話して候補に挙げた服を試着して行く。
もちろん、その合間に有紗の好みも参考までにか訊かれるのだが、今まで自分が知っていた洋服と違い過ぎる『何か』に、言葉など出て来ない。
煌びやかなあれこれに埋もれた店内で、「この中で一番好きな服を選んで」と指示されるに至っては、その場でまさしく硬直してしまった。
あとで訊いたところ、彼女たちの目にはそのショップの品はほぼ同テイストに見えたので、どうせなら有紗の好きなものをと考えてくれたらしい。
質問を無視するのは失礼だし、だからと言って何と答えればいいのかと困惑する有紗に、加賀は途中から「YES-NO」か「二択」で返せる問いに絞ってくれるようになった。
たとえば「北原さん、このくらいの短いスカートは如何?」、あるいは「この二つならどちらがお好き?」といった感じだ。
短いとはいえ、加賀の提示するものは「膝が見えるかどうか」程度であったのだが。
「北原さん、お化粧したことある? 化粧品持ってる?」
「……いえ、ありません。何も持ってないです」
買い物を終えてファッションビルを出た後、鈴木に問われて有紗は正直に答えた。ここで見栄を張る意味もない。
「そうですわ、お化粧のことを忘れていました」
「やっぱり少しはした方がいいですよね? デパート行くのがいいでしょうか?」
加賀の言葉に、鈴木が頷いている。
「それがいちばん無難ですわね。……北原さん、疲れていませんか?」
気遣ってくれる加賀に平気です、と返した。
「北原さんだったらホントに基本だけでいい筈だから、そんな難しく考えなくて大丈夫。若いんだし、何より肌も顔立ちもそんな綺麗なんだから厚塗りする必要なんてない、ってかしちゃダメよ。台無しだから」
おろおろしている有紗を安心させるためだろう、鈴木が気軽な口調で説明してくれる。
「北原さん、本当にお肌が白くてきめ細かくて綺麗ですものね。若さももちろんですけれど、それだけじゃありませんわ」
感心したように褒めてくれる加賀に面映ゆい思いはあるものの、有紗は率直に嬉しかった。
「じゃあデパートのカウンター行きましょう。あたしが使ってるブランドと同じでよければ、ちょっとはアドバイスもできるけど。あーでも、美容部員さんに訊いた方が確実ですよね……」
独り言のような鈴木の呟きを加賀が拾う。
「あら、それでも実際のユーザーの声というのは大切ですわよ。お店の方はマイナス面はなかなか口にはなさらないでしょうし」
「あの、私も鈴木さんに教えていただけるなら嬉しいです」
思い切って告げた有紗に、鈴木は「北原さんみたいな美少女と『お揃い』って、ちょっと照れるけど嬉しいわ」と笑ってくれた。
デパートの、鈴木がずっと好きで使っているというブランドのカウンターを訪ねる。若い女性に人気らしく、価格帯もそれほど高くはないそうだ。とはいえ、有紗にとっては簡単に手の出る値段ではなかった。
有紗が「化粧品」というものに抱いていたイメージを覆すような、文字通りキラキラした可愛らしいパッケージの数々。
主に鈴木が店員に要望を告げてやり取りをしてくれて、その結果目の前に並べられた商品の中から有紗の好みを訊いた上でひとつひとつ選んで行く。
実際に肌に乗せてみないとわからないから、と美しくにこやかな美容部員に簡単に|化粧《メイク》も施してもらった。鏡の中の、確かに自分なのにまるで知らない誰かのような顔。
購入するものを決めたあと、当然ながら自分で使えるようにと丁寧に教えてもらった。
「毎日してたらすぐ慣れるけど、わかんなかったらあたしに訊いて。最悪、明日は|口紅《リップ》だけ塗って、あとは会社に全部持って来たらいいから」
横から鈴木が小声で言い添えてくれるのにも、ありがたく礼を言う。