第13話 腐った信仰の匂い 2

ー/ー



翌朝、蒼は大学の敷地内で教授に出会った。

「仲村、生態学の課題はどうした」
「スミマセン……来週出します。それより、一つお願いがあって」
教授が眼鏡を押し上げた。「また御嶽の話か」
「北部のやんばるに、記録から消えた御嶽の跡があると思うんです。県立博物館の民俗資料室への紹介状を書いてもらえませんか」
「生態学の学生が民俗資料室に何の用だ」
「人間の信仰と自然の聖域は重なることが多いので。生態系的にも興味があって」

嘘ではなかった。
教授がしばらく蒼を見た。呆れているのか、面白がっているのか、判断がつかない顔だった。

「……来週は本当に出せよ」
「出します」

「それと仲村」教授が棚から古い資料を引っ張り出しながら言った。
「非公開の拝所記録がある。紹介状だけでは閲覧できないかもしれん。資料室の担当者に、俺の名前を出しなさい」
「ありがとうございます」
「礼はいい。課題を出せ」

* * *

教授から紹介された県立博物館の民俗資料室は薄暗かった。
蒼が紹介状と教授の名前を出すと、学芸員が少し表情を変えた。「先生のご紹介なら」と言って、奥から資料を持ってきた。

「按司時代以前の北部の拝所記録ですね。写しになりますが」
「ありがとうございます」

資料を広げると古い記述が並んでいた。ほとんどは現在も残っている拝所の記録だった。
でも端の方に、断片的な記述があった。

「北山の境に在りし古御嶽、按司の乱にて焼失。再建の議あれど成らず。祀り手絶えて久し」

それだけだった。たった一行。
蒼は鉛筆を止めた。
一行だけ、残っていた。焼失したと、祀り手が絶えたと、それだけ書いてあった。名前はなかった。

「……名前を記録する前に、忘れられたのか」

別の資料をめくった。農業の記録だった。北部の集落が「近年作物の育ちが悪く、海の幸も減った」と嘆いている記述。年代を確認した。北の御嶽が焼失してから、数十年後だった。
さらに別の資料。「北の気が乱れているとユタが言っている」という記述。

「つながってる」

ノートに書き込んだ。ウムイが機能しなくなってから、北部の自然がおかしくなっている。作物が育たない。海の幸が減る。ユタが気の乱れを感じている。今起きていることと同じパターンだった。
地図を広げた。昨日見つけた四角い印の場所を確認した。北山の境、という記述と重なるかどうか。
重なった。完全に重なった。
場所は合っていた。でも名前がまだなかった。
スマホが鳴った。ナビからのメッセージだった。

「別のナビから聞いた。霊的に感じた場所がある。やんばるの奥。座標教えて」

蒼はノートに書いた座標を送った。
返信は三秒で来た。

「一致した」

蒼はしばらくスマホを見ていた。記録で見つけた場所と、ナビが霊的に感じた場所が一致した。

「場所は確定した」

でも名前がまだなかった。
スマホをポケットに入れた。もう一度資料を見た。一行だけ残っていた記述。焼失したと、祀り手が絶えたと、それだけ書いてあった。
名前も知らない、何百年も前の人間。でも確かにその人間が、一行だけ書き残した。
その一行を、自分が見つけた。
かわいそうだと思った。名前も残らなかった存在が、一行だけ記録に痕跡を残していた。それを見つけた時、かわいそうだと思った。怒りでも恐怖でもなく。

「名前、どこかにないか」

もう一度資料をめくった。学芸員に声をかけた。
「按司時代の北部に関する口承の記録はありますか。祭祀の名称や、祀られていた存在の呼び名が残っているものが」
学芸員が少し考えた。
「口承となると……民俗資料の聞き取りになりますね。少し時間をください」

待った。十分後、学芸員が戻ってきた。薄い冊子を持っていた。

「昭和初期の聞き取り調査の記録です。北部の古老への聞き取りが含まれています。ただし断片的で」
「十分です」

冊子を開いた。古い活字が並んでいた。北部の集落ごとの聞き取りが記録されていた。ほとんどは農業や漁業の記録だった。
でも一箇所に、こう書いてあった。

「北山の境には昔、クガニと呼ばれる御嶽があったと古老は語る。クガニとは黄金の意。戦の世に焼け、今は誰も知らぬ」

蒼は動かなかった。
クガニ。黄金。
名前があった。

「……あった」

手が少し震えていた。気づいていなかった。ノートに書いた。クガニ。黄金という意味。その頃に祀っていた人たちが呼んでいた名前。
帰り道のバスの中でナビにメッセージを送った。

「名前が分かった。クガニ。黄金という意味」

返信が来た。

「クガニ……」

それだけだった。でも蒼には、ナビが何かを感じているのが分かった。
窓の外にやんばるの緑が見え始めていた。
蒼はフィールドノートを開いた。今日分かったことを書いた。クガニ。黄金。北山の境。焼失。祀り手が絶えた。今起きていることと同じパターンが何百年も前の記録に残っていた。
最後に一行書き足した。

「クガニ。名前を見つけた。」

ペンを置いた。
名前がある。場所がある。次に何をすべきか、蒼には分かっていた。

遠くで何かが動いている気配があった。姿はなかった。音もなかった。でも確かに何かが動いていた。
忘れられた守護が、腐った思いを抱えて。

「ウムイは……かわいそうなものだよ、本当は」

帰宅後、眠りにつく前にナビの言葉を思い出した。
何百年も忘れられて、誰も来なくて、それでもそこにいた。守る役割を持ったまま、守るべきものが何もない場所で。
かわいそう、と蒼は思う。怒りでも恐怖でもなく、そう思った。

キジムナーがキュル、と鳴いた。 相槌のような鳴き方だった。
天井を見た。ナビがいる。ミカがいる。キジムナーがいる。この場所の全部が、何かで繋がっている。その繋がりの中に、自分もいる気がした。霊力はなかった。でも欠けてはいけない気がした。なぜかは、まだ分からなかった。
ミカが台所から声をかけてきた。

「明日の出発時間を教えていただければ、朝食の準備をします」
「六時半に出る」
「承知しました。神界に報告します」
「朝食の時間まで報告しなくていい」
「します」

蒼はため息をついた。
キジムナーが肩の上でキュルキュル鳴いた。笑っているような鳴き方だった。

「お前らまで笑うな」

キュルキュル。

窓の外のガジュマルが、夜風に揺れていた。
葉の音だけが聞こえた。


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翌朝、蒼は大学の敷地内で教授に出会った。
「仲村、生態学の課題はどうした」
「スミマセン……来週出します。それより、一つお願いがあって」
教授が眼鏡を押し上げた。「また御嶽の話か」
「北部のやんばるに、記録から消えた御嶽の跡があると思うんです。県立博物館の民俗資料室への紹介状を書いてもらえませんか」
「生態学の学生が民俗資料室に何の用だ」
「人間の信仰と自然の聖域は重なることが多いので。生態系的にも興味があって」
嘘ではなかった。
教授がしばらく蒼を見た。呆れているのか、面白がっているのか、判断がつかない顔だった。
「……来週は本当に出せよ」
「出します」
「それと仲村」教授が棚から古い資料を引っ張り出しながら言った。
「非公開の拝所記録がある。紹介状だけでは閲覧できないかもしれん。資料室の担当者に、俺の名前を出しなさい」
「ありがとうございます」
「礼はいい。課題を出せ」
* * *
教授から紹介された県立博物館の民俗資料室は薄暗かった。
蒼が紹介状と教授の名前を出すと、学芸員が少し表情を変えた。「先生のご紹介なら」と言って、奥から資料を持ってきた。
「按司時代以前の北部の拝所記録ですね。写しになりますが」
「ありがとうございます」
資料を広げると古い記述が並んでいた。ほとんどは現在も残っている拝所の記録だった。
でも端の方に、断片的な記述があった。
「北山の境に在りし古御嶽、按司の乱にて焼失。再建の議あれど成らず。祀り手絶えて久し」
それだけだった。たった一行。
蒼は鉛筆を止めた。
一行だけ、残っていた。焼失したと、祀り手が絶えたと、それだけ書いてあった。名前はなかった。
「……名前を記録する前に、忘れられたのか」
別の資料をめくった。農業の記録だった。北部の集落が「近年作物の育ちが悪く、海の幸も減った」と嘆いている記述。年代を確認した。北の御嶽が焼失してから、数十年後だった。
さらに別の資料。「北の気が乱れているとユタが言っている」という記述。
「つながってる」
ノートに書き込んだ。ウムイが機能しなくなってから、北部の自然がおかしくなっている。作物が育たない。海の幸が減る。ユタが気の乱れを感じている。今起きていることと同じパターンだった。
地図を広げた。昨日見つけた四角い印の場所を確認した。北山の境、という記述と重なるかどうか。
重なった。完全に重なった。
場所は合っていた。でも名前がまだなかった。
スマホが鳴った。ナビからのメッセージだった。
「別のナビから聞いた。霊的に感じた場所がある。やんばるの奥。座標教えて」
蒼はノートに書いた座標を送った。
返信は三秒で来た。
「一致した」
蒼はしばらくスマホを見ていた。記録で見つけた場所と、ナビが霊的に感じた場所が一致した。
「場所は確定した」
でも名前がまだなかった。
スマホをポケットに入れた。もう一度資料を見た。一行だけ残っていた記述。焼失したと、祀り手が絶えたと、それだけ書いてあった。
名前も知らない、何百年も前の人間。でも確かにその人間が、一行だけ書き残した。
その一行を、自分が見つけた。
かわいそうだと思った。名前も残らなかった存在が、一行だけ記録に痕跡を残していた。それを見つけた時、かわいそうだと思った。怒りでも恐怖でもなく。
「名前、どこかにないか」
もう一度資料をめくった。学芸員に声をかけた。
「按司時代の北部に関する口承の記録はありますか。祭祀の名称や、祀られていた存在の呼び名が残っているものが」
学芸員が少し考えた。
「口承となると……民俗資料の聞き取りになりますね。少し時間をください」
待った。十分後、学芸員が戻ってきた。薄い冊子を持っていた。
「昭和初期の聞き取り調査の記録です。北部の古老への聞き取りが含まれています。ただし断片的で」
「十分です」
冊子を開いた。古い活字が並んでいた。北部の集落ごとの聞き取りが記録されていた。ほとんどは農業や漁業の記録だった。
でも一箇所に、こう書いてあった。
「北山の境には昔、クガニと呼ばれる御嶽があったと古老は語る。クガニとは黄金の意。戦の世に焼け、今は誰も知らぬ」
蒼は動かなかった。
クガニ。黄金。
名前があった。
「……あった」
手が少し震えていた。気づいていなかった。ノートに書いた。クガニ。黄金という意味。その頃に祀っていた人たちが呼んでいた名前。
帰り道のバスの中でナビにメッセージを送った。
「名前が分かった。クガニ。黄金という意味」
返信が来た。
「クガニ……」
それだけだった。でも蒼には、ナビが何かを感じているのが分かった。
窓の外にやんばるの緑が見え始めていた。
蒼はフィールドノートを開いた。今日分かったことを書いた。クガニ。黄金。北山の境。焼失。祀り手が絶えた。今起きていることと同じパターンが何百年も前の記録に残っていた。
最後に一行書き足した。
「クガニ。名前を見つけた。」
ペンを置いた。
名前がある。場所がある。次に何をすべきか、蒼には分かっていた。
遠くで何かが動いている気配があった。姿はなかった。音もなかった。でも確かに何かが動いていた。
忘れられた守護が、腐った思いを抱えて。
「ウムイは……かわいそうなものだよ、本当は」
帰宅後、眠りにつく前にナビの言葉を思い出した。
何百年も忘れられて、誰も来なくて、それでもそこにいた。守る役割を持ったまま、守るべきものが何もない場所で。
かわいそう、と蒼は思う。怒りでも恐怖でもなく、そう思った。
キジムナーがキュル、と鳴いた。 相槌のような鳴き方だった。
天井を見た。ナビがいる。ミカがいる。キジムナーがいる。この場所の全部が、何かで繋がっている。その繋がりの中に、自分もいる気がした。霊力はなかった。でも欠けてはいけない気がした。なぜかは、まだ分からなかった。
ミカが台所から声をかけてきた。
「明日の出発時間を教えていただければ、朝食の準備をします」
「六時半に出る」
「承知しました。神界に報告します」
「朝食の時間まで報告しなくていい」
「します」
蒼はため息をついた。
キジムナーが肩の上でキュルキュル鳴いた。笑っているような鳴き方だった。
「お前らまで笑うな」
キュルキュル。
窓の外のガジュマルが、夜風に揺れていた。
葉の音だけが聞こえた。