序章
ー/ー 高級ホテルのバスルームを思わせる静謐な空間の中央に、無機質なヒューマノイド用の調整槽が置かれている。
落ち着いたダウンライトの淡い光が大理石のタイルを優しく照らすその場所にはやや不似合いな代物だが、部屋の主である神格筐体の眠りを妨げるほど無粋ではないようで、満たされた高純度冷却ジェルにはさざ波ひとつたっていない。
だがその平穏もまもなく、終わりを告げるようだ。デジタルのカウントがゼロになると同時に微かな機械音が、部屋の空気をわずかに揺らした。
少女のために用意されていたセラミック製の人工骨格は白く艶めかしい。個々を繋ぐパーツは無く、淡く輝く流体関節によって繋がっていく。
必要以上に人体を模した素体ではなく、可動部位の柔軟性や耐摩耗性を考慮したもののようで、消化器や筋肉などは見当たらない。その代わりに精巧なフレームで構成されたユニットが体の各部にバランスよく配置されていく。
それは工業都市オーストラ・インダストラが誇る、最高傑作の名に恥じない『戦闘のため』の義体。
戦術外骨格S.U.I.T.E.の暴力的な加速に耐え、効率よく巨大怪獣を屠るためだけの器だ。
その洗練された冷たい容器へ、神格筐体が静かに接続される。
瞬間、無機質な肢体を嘘のように生々しい実体が覆い尽くしていく。幾重にも重なり合う光の粒子は、冷たい流体関節を撫でるように滑らかな白い肌へ、そして柔らかな灰銀の髪へと丹念に書き換えていった。
やがて微かな青白いノイズが弾け、美しい一人の少女の『相』が完全な形で実体化する。 小さな気泡がジェルの液面を揺らし、目覚めの時を迎えた彼女は静かに髪と同じ灰銀の瞳を開いた。
「あーれっくすぅ……しゃわぁー……」
静かに調整槽の縁から身を乗り出した少女の動きは、ナマケモノのように鈍い……。
神秘的ですらあった覚醒シークエンスを終えたばかりの彼女だが、どうやらまだ眠りが足りないようだ。防滑加工された大理石の床の上はあまりすべすべしていないのだが、ジト目の少女はのったりと仰向けで大の字になってしまった。
「はしたないですよ、ドヴェルグ」
無機質な機械音声が確かな呆れ声で少女を窘める。だが少女の命令を無視する気は無いようで、少し部屋が明るくなった後に優しいシャワーが少女の体に降り注いだ。
揮発性の高いジェルはすぐにさらさらと乾くようにはできているが、それでも多少はまとわりつくので少女は気持ちよさげに髪や肌から洗い流していく。やがて新しい体を洗い終えた少女は、少し喉を潤してから軽やかに立ち上がった。
「あとはよろしくね」
少女が動き出してから間を置かずシャワーは止まり、旧式でアンティークな見た目のロボットがホイールを回しながら近づいてくる。その手に捧げ持ったふかふかのバスタオルを受け取り、少女はプライベートルームへと向かった。
「ちゃんと拭いてからにしましょうね? それから司令部への出頭は七時間後ですよ」
「うー……」
見た目とは裏腹に彼女の寝室は、上質なファブリックと暖色系の間接照明でまとめられた大人の女性の空間だ。
ほんのりと甘いアロマの香りが漂うベッドの上に、シャツ一枚で無防備に胡坐をかいて座り込む姿は本当にこの大人空間の主か? と疑いたくなるが、まぎれもなく彼女はこの部屋の主である。
膝の上には両手で抱きしめるのに丁度いいサイズの『お兄ちゃん人形』がちょこんと乗せられている。彼女はゆっくりとぬいぐるみを胸に引き寄せたかと思うと、そのままぎゅっと抱きしめた。
「お兄ちゃん、おっはよー♡ 今日もお兄ちゃんはモコモコしているなぁー、ふへへ」
灰銀の髪を乱しながらそのお腹に顔を埋めてわたわたと身悶えする姿は、たとえ誰かが見ていなかったとしてもちょっとその、アレではないだろうか? と心配せずにはいられない。
「ねぇ、お兄ちゃん。 あたしは昨日もすっごく頑張ったんだよ♡ ね? 褒めて、褒めて?」
「フッ さすがは僕のクロエだ。君は僕の理想の女の子だぜ!」 キラッ★
最早だれにも止められない勢いで二人分の演技を続ける少女に、何の迷いもないのが恐ろしい。
「もう、なんか色々我慢できないぜ! 結婚しよう! クロエ!」
「う……うん♡ しゅきぃ! お兄ちゃん大しゅきぃいいい♡」
三十分くらいは何も見なかったことにするだけの分別が、生活支援AIのアレックスには備わっている。
彼はいつも通りの時間に少女の朝のルーティーンが終わった頃合いを見計らって、C字型のマニピュレータを器用に操り寝室のドアをノックした。
「クロエ、そろそろ朝ごはんの時間ですよ。書類にも目を通さないと」
「クロエって呼んじゃダメ! あとちょっとだけお兄ちゃんだけのクロエで居るんだもん!」
アレックスはクロエが見た目こそ少女だが中身は良い大人であることを知っているので『もんはどうなんだろう?』と思ったが、彼は分別のあるAIなので特に何も言い返すことは無かった。
彼女の蓄積されたストレスをAIである自分には、はかり知ることができない。ならばせめて少しぐらいのわがままは聞いてあげるべきだろうとアレックスは考えた。
「わかりました《ドヴェルグ、あと30分だけですよ? 今日の朝食は蜂蜜バターのパンケーキ四段重ねとストロベリースムージーです」
アレックスは彼女の素体であるヒューマノイドに消化器など備わっていないことを知っているが、そんなことには関係なくクロエが食事を楽しんでくれることもよく知っている。
少し不思議ではあるが、それは些細なことである。
「……すぐ行くー!」
クロエは奇矯なところはあるものの、アレックスにとっては敬愛すべき主人であった。なので多少はその扱いも学習して研鑽を積んでいるのである。
だから彼のご主人様が今しがた届いた衝撃のニュース、
『四百年前に失われた伝説の廃都ジパング・メトロエリシアが発見された』
を聞いたとき、凄まじい速度でワークスペースのコンソールへと直行していく姿を想像することは容易い。
少し考えて、アレックスはこの情報を朝食が済んだ後でそれとなく伝えることにする。主人の健康を守るよくできたAIである彼は、クロエが朝の習慣を滞りなく終えることを優先したのだ。
だが同時に少し怒られることになるだろうとも思う。結局のところ彼女の探求心を満たすのはパンケーキではなく、未知の生データだけなのだから。
クロエ・アルジェント ノヴァリア学術連邦統合司令部 直属特務部隊 戦術指揮官 兼 主任データ解析官とはつまり、そういう人物なのだ。
落ち着いたダウンライトの淡い光が大理石のタイルを優しく照らすその場所にはやや不似合いな代物だが、部屋の主である神格筐体の眠りを妨げるほど無粋ではないようで、満たされた高純度冷却ジェルにはさざ波ひとつたっていない。
だがその平穏もまもなく、終わりを告げるようだ。デジタルのカウントがゼロになると同時に微かな機械音が、部屋の空気をわずかに揺らした。
少女のために用意されていたセラミック製の人工骨格は白く艶めかしい。個々を繋ぐパーツは無く、淡く輝く流体関節によって繋がっていく。
必要以上に人体を模した素体ではなく、可動部位の柔軟性や耐摩耗性を考慮したもののようで、消化器や筋肉などは見当たらない。その代わりに精巧なフレームで構成されたユニットが体の各部にバランスよく配置されていく。
それは工業都市オーストラ・インダストラが誇る、最高傑作の名に恥じない『戦闘のため』の義体。
戦術外骨格S.U.I.T.E.の暴力的な加速に耐え、効率よく巨大怪獣を屠るためだけの器だ。
その洗練された冷たい容器へ、神格筐体が静かに接続される。
瞬間、無機質な肢体を嘘のように生々しい実体が覆い尽くしていく。幾重にも重なり合う光の粒子は、冷たい流体関節を撫でるように滑らかな白い肌へ、そして柔らかな灰銀の髪へと丹念に書き換えていった。
やがて微かな青白いノイズが弾け、美しい一人の少女の『相』が完全な形で実体化する。 小さな気泡がジェルの液面を揺らし、目覚めの時を迎えた彼女は静かに髪と同じ灰銀の瞳を開いた。
「あーれっくすぅ……しゃわぁー……」
静かに調整槽の縁から身を乗り出した少女の動きは、ナマケモノのように鈍い……。
神秘的ですらあった覚醒シークエンスを終えたばかりの彼女だが、どうやらまだ眠りが足りないようだ。防滑加工された大理石の床の上はあまりすべすべしていないのだが、ジト目の少女はのったりと仰向けで大の字になってしまった。
「はしたないですよ、ドヴェルグ」
無機質な機械音声が確かな呆れ声で少女を窘める。だが少女の命令を無視する気は無いようで、少し部屋が明るくなった後に優しいシャワーが少女の体に降り注いだ。
揮発性の高いジェルはすぐにさらさらと乾くようにはできているが、それでも多少はまとわりつくので少女は気持ちよさげに髪や肌から洗い流していく。やがて新しい体を洗い終えた少女は、少し喉を潤してから軽やかに立ち上がった。
「あとはよろしくね」
少女が動き出してから間を置かずシャワーは止まり、旧式でアンティークな見た目のロボットがホイールを回しながら近づいてくる。その手に捧げ持ったふかふかのバスタオルを受け取り、少女はプライベートルームへと向かった。
「ちゃんと拭いてからにしましょうね? それから司令部への出頭は七時間後ですよ」
「うー……」
見た目とは裏腹に彼女の寝室は、上質なファブリックと暖色系の間接照明でまとめられた大人の女性の空間だ。
ほんのりと甘いアロマの香りが漂うベッドの上に、シャツ一枚で無防備に胡坐をかいて座り込む姿は本当にこの大人空間の主か? と疑いたくなるが、まぎれもなく彼女はこの部屋の主である。
膝の上には両手で抱きしめるのに丁度いいサイズの『お兄ちゃん人形』がちょこんと乗せられている。彼女はゆっくりとぬいぐるみを胸に引き寄せたかと思うと、そのままぎゅっと抱きしめた。
「お兄ちゃん、おっはよー♡ 今日もお兄ちゃんはモコモコしているなぁー、ふへへ」
灰銀の髪を乱しながらそのお腹に顔を埋めてわたわたと身悶えする姿は、たとえ誰かが見ていなかったとしてもちょっとその、アレではないだろうか? と心配せずにはいられない。
「ねぇ、お兄ちゃん。 あたしは昨日もすっごく頑張ったんだよ♡ ね? 褒めて、褒めて?」
「フッ さすがは僕のクロエだ。君は僕の理想の女の子だぜ!」 キラッ★
最早だれにも止められない勢いで二人分の演技を続ける少女に、何の迷いもないのが恐ろしい。
「もう、なんか色々我慢できないぜ! 結婚しよう! クロエ!」
「う……うん♡ しゅきぃ! お兄ちゃん大しゅきぃいいい♡」
三十分くらいは何も見なかったことにするだけの分別が、生活支援AIのアレックスには備わっている。
彼はいつも通りの時間に少女の朝のルーティーンが終わった頃合いを見計らって、C字型のマニピュレータを器用に操り寝室のドアをノックした。
「クロエ、そろそろ朝ごはんの時間ですよ。書類にも目を通さないと」
「クロエって呼んじゃダメ! あとちょっとだけお兄ちゃんだけのクロエで居るんだもん!」
アレックスはクロエが見た目こそ少女だが中身は良い大人であることを知っているので『もんはどうなんだろう?』と思ったが、彼は分別のあるAIなので特に何も言い返すことは無かった。
彼女の蓄積されたストレスをAIである自分には、はかり知ることができない。ならばせめて少しぐらいのわがままは聞いてあげるべきだろうとアレックスは考えた。
「わかりました《ドヴェルグ、あと30分だけですよ? 今日の朝食は蜂蜜バターのパンケーキ四段重ねとストロベリースムージーです」
アレックスは彼女の素体であるヒューマノイドに消化器など備わっていないことを知っているが、そんなことには関係なくクロエが食事を楽しんでくれることもよく知っている。
少し不思議ではあるが、それは些細なことである。
「……すぐ行くー!」
クロエは奇矯なところはあるものの、アレックスにとっては敬愛すべき主人であった。なので多少はその扱いも学習して研鑽を積んでいるのである。
だから彼のご主人様が今しがた届いた衝撃のニュース、
『四百年前に失われた伝説の廃都ジパング・メトロエリシアが発見された』
を聞いたとき、凄まじい速度でワークスペースのコンソールへと直行していく姿を想像することは容易い。
少し考えて、アレックスはこの情報を朝食が済んだ後でそれとなく伝えることにする。主人の健康を守るよくできたAIである彼は、クロエが朝の習慣を滞りなく終えることを優先したのだ。
だが同時に少し怒られることになるだろうとも思う。結局のところ彼女の探求心を満たすのはパンケーキではなく、未知の生データだけなのだから。
クロエ・アルジェント ノヴァリア学術連邦統合司令部 直属特務部隊 戦術指揮官 兼 主任データ解析官とはつまり、そういう人物なのだ。
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数ある作品の中から、本作を見つけていただきありがとうございます。
物語を彩る緻密なSFガジェットと、虚構で現実を塗り替える理不尽な神話の戦い。少女たちが活躍する、痛快なサイバーパンク・アクションをお楽しみください。
数ある作品の中から、本作を見つけていただきありがとうございます。
物語を彩る緻密なSFガジェットと、虚構で現実を塗り替える理不尽な神話の戦い。少女たちが活躍する、痛快なサイバーパンク・アクションをお楽しみください。
(約30000字ほどの短編で、完結まで執筆済みです)
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