19話 その夕陽は照らした
ー/ー「鳩だああ!!!鳩が来たぞおおおお!!!」
宙を舞う鳩の群れ。大群でありながら、規則正しく整列する彼らは大きな羽を広げたまま、地上に居る天使たちを威嚇している。
「ダメだ……もうすぐここも、鳩に飲まれる……」
「そうね……もう、この世界は彼らの物になってしまったと言うの……」
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「おい、遂に鳩に世界が侵略されたぞ。この先はどうなるんだ」
俺は、手に持った漫画を読み終えると、フィロに続きの展開を尋ねた。
ローダンセをエルシオと見た後、ローズベルクに戻ってから、俺はフィロから借りている漫画を読んで暇を潰していた。
あれから少しずつ読み進めているが、やはり内容がよくわからない。ただ、よくわからないからこそ、なぜか続きが気になってしまう。鳩に侵略される世界、なんとも興味深い。
「残念ね、楓が読み終わったのが最新刊よ。私だって続きが気になって仕方がないの。でもね、もうすぐ次の巻が発売されるわよ!」
「なんだと……」
今すぐ続きが読めないことに、思いの外俺の心がダメージを受けている。懐かしい気分だ。ずっと好きで読んでいたラノベがアニメ化され、良いところで1期が終わり、原作を知っているが故に続きのアニメ化を心待ちにしていたあの時を思い出す。あのラノベはもう2期が始まっただろうか。たしか時期的にそろそろだったはずだ。
初めは、クソみたいな漫画だと思っていた。だが、読み進むにつれて、だんだんと面白くなってきた。内容はよくわからない。それでも、読み進む手が止まらないのだ。
「いつも思っていたのですが、それ面白いのですか? 鳩に侵略される話って……面白くはなさそうなのです」
俺とフィロの会話に、エルシオが冷めた発言をぶち込んできた。
「エルシオ、読んでみればわかるわ。これは、今キテル面白いヤツなのよ」
「そうだぞエルシオ、俺も最初はそうだった。でもな……私と天使と鳩と言う漫画は……」
俺は言葉に詰まる。なぜ、俺は必死にこの漫画について熱弁しようとしているのだろう。いつの間にかこっち側に立ってしまった。おかしい。エルシオの言う通り、面白くはないのだ。本来ならエルシオと一緒に、この漫画を読んでいるフィロを冷笑していたはずだ。
「いや……エルシオの言う通りだ。内容もよくわからないし、面白くは……」
俺は言葉に詰まる。ダメだ。俺には、この漫画を酷評することはできない。
俺は知っている。この漫画は確かに内容はよくわからないが、続きを読みたくなる魅力はある。内容の理解度と面白さは比例しない。内容の説明を求められても答えることができないため、他人におすすめはできないが、自分の中でなんとなく内容を噛み砕き、面白さをも追求できる系の漫画だ。
作者ですら理解できているのか怪しいような、そんな漫画だ。俺は、昔からそんな漫画やアニメは好きだった。
死んでからも、よくわからない漫画を読んで面白がっている奴になりたくない。でも、それでも。
「俺はこの漫画が好きだ」
「奇遇ね、私もよ」
「あなたたちなんなのですか。ちょっと怖いのです。きっと鳩に洗脳されているのです」
エルシオは眉を顰め、冷たい視線を俺たちに向けた。
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「なんか、ど田舎って感じだな。山に囲まれてるぞ」
「そうね、人が少ないからターゲットが見つかりやすくて良いわ」
「なんだか空気が美味しいのです」
漫画を読み終えてからしばらくして、俺たちは幸せの粉を人間にかけるため、人間界に来ていた。
山々にぐるりと囲まれたその土地は、地図の上では確かに存在しているはずなのに、どこか現実から切り離されたような静けさに包まれていた。
お世辞にも都会とは言えない。いや、比べること自体が無意味に思えるほど、この場所はあまりにも素朴だった。視界いっぱいに広がるのは、整然と並んだ田んぼ。そしてその間を縫うように、舗装されていない砂利道が伸びていている。
日中だというのに、人の気配はまるでない。農具の音も、話し声も、生活の痕跡すら遠く、ただ静寂だけがそこにある。
点在する建物は、どれも古びた平屋ばかりだった。色あせた瓦屋根、少し傾いた木の柱、閉じられたままの障子や雨戸。まるで、この場所だけ時間が止まっているようだ。
「ターゲットはあっちね、行きましょ」
アイボーンを確認するフィロに先導され、俺たちは砂利道を進む。
ある程度進むと、先ほどと同じような造りの家が少しずつ増えてきて、何人かの老人ともすれ違った。
「ここね」
そう言って、フィロは立ち止まった。
古びた店が、静かな道沿いにぽつりと佇んでいる。日に焼けた板壁はところどころ色を失いながら、風が吹くたびにかすかに軋む音を立てている。
軒先には「駄菓子」と書かれた色鮮やかなのぼりが揺れていて、その賑やかさだけが、この場所に子どもたちの気配を残していた。戸口の奥には、小さな棚や箱が雑多に並び、色とりどりの菓子がぎゅっと詰め込まれている。
そしてその奥に、小さな椅子に腰掛け、誰も居ない店内を見つめるお婆さんが見えた。
「あの人が、今回のターゲットか?」
「そうよ。さっさと終わらせちゃいましょ」
そう言って、フィロがお婆さんの方へ足を進めようとした時、お婆さんは椅子から立ち上がり、奥の部屋へと入っていった。その背中からは哀愁が漂っており、駄菓子あふれるその暖かい空間には少し相応しくないように見えた。
「なんだか寂しそうなのです」
「粉をかけて、その寂しさが消えてくれれば良いけどな」
俺たちはお菓子が並ぶ棚の間を通り抜け、お婆さんが入っていった部屋にお邪魔する。その部屋には畳が敷かれており、仄かに線香の香りを感じた。
お婆さんは座布団の上で正座している。その視線の先にあるのは、目の前の仏壇に飾られたお爺さんの写真だ。その写真に写る優しい笑顔を見て、お婆さんも頬が緩んでいる。
「もう、店は畳む事にしたよ。子供たちはみんな、こんな田舎からは出て行っちまった。もう、駄菓子屋は必要ないみたいだねぇ」
確かに、ここに来るまで子供の姿は一切見られなかった。この駄菓子屋に来ていた子供たちは、すでに大きくなっており、もうここにはいないのだろう。
「誰かの幸せのせいで、不幸になってしまった人間」そんな人間に、粉をかけるのだとフィロは言っていた。今回の仕事は、おそらくそのパターンだ。
今時、田舎で育ったら都会に出ていく方が、若者の幸せに繋がると俺は思う。だが、残された人たちは、特に、子供たちが来るのを心待ちにしていた駄菓子屋の店主は、幸せに暮らせているのだろうか。
「幸せの粉をかけたら、このお婆さんも幸せになれるんだよな」
「もちろん。お店を畳むと言う気持ちは変わらないだろうけど、それでも、今彼女が願う幸せを、粉は齎してくれるわよ」
お婆さんにとっての幸せ。それはなんなのだろうか。人間には、それぞれが思う幸せがある。お金があれば幸せな人もいれば、家族と過ごすことが幸せの人もいるだろう。
「なあ、このお婆さんに訪れる幸せを、見てから帰っても良いか?」
「良いけど、前みたいに天使に遭遇すると面倒だから……エルシオも残ってくれる?」
「まぁいいですよ。私も少し気になるのです」
「ありがとな」と、俺は2人に感謝を告げる。
気になってしまった。それぞれの人が、どんな幸せを願っているのか。このお婆さんに、どんな幸せが訪れるのか。
フィロはおそらくそれを知っている。それは前にも感じたことだ。だからこそ、見届ける必要は無いのだろう。天使の仕事は幸せの粉を人間にかけることであり、人間の幸せを見届けることではないのだ。
俺は、背負っていた壺からコップを取り出し、アイボーンを確認しながら決まった分量の粉をコップに入れた。そしてそれを、目の前で正座しているお婆さんの背中へ振りかける。
俺はふと思い立ち、手を合わせ目を閉じる。
「あなたに、幸福が訪れますように」
エルシオが粉をかける時に言う台詞を、同じように声に出してみた。アレシアの願いも、エルシオへ向けたこの言葉だったはずだ。
「それ、初めはアレシアが言っていた言葉なのです。不思議だと思いませんか? なぜ幸せの粉をかけているのに、そんなことを言う必要があるのか」
言われてみればそうだ。幸せの粉をかけられた人間は、幸せになることが確定している。それなのに、なぜ幸せを願うような言葉をかけるのか。
俺は頷き、エルシオに答えを求める。
「幸せの粉が齎す幸せだけでなく、自分自身も幸せを願うことで、もっと幸せが訪れるかもしれないから、らしいのです。だから私も、人間にもっと幸せになって欲しいと思う気持ちを込めて、そう言っているのです」
「そりゃ良いな。幸せなんて、あったらあっただけ良いもんな」
「そう言うことなのです」
俺はアレシアの最後の願いを、本当の意味で理解できた気がした。そして、エルシオの変化に喜びを感じた。
以前まで「人間にもっと幸せになって欲しいと思う気持ちを込めて」なんて言葉を俺の前で発したことは無かった。人間を思う気持ちを隠さずに曝け出すエルシオは、間違いなく変わった。
「じゃあ、私は帰るわね!」
そう言って、フィロはゲートを開く。そこへ飛び込む直前、フィロは俺の耳に口を近づけた。
「ありがとね、本当に……ありがとう」
フィロが耳打ちした言葉の意味合いを、俺は理解しているつもりだ。
フィロも俺も望んでいたこと。それはこのエルシオの変化であり、エルシオが幸せになったのと同時に、俺とフィロの願いも叶った。きっと、それに対しての感謝の気持ちなのだろう。
「どういたしまして」
そう俺が言葉を発した頃には、フィロはゲートに飛び込んでいた。
「あー! 見てください! 綺麗なのです!」
興奮しながら窓の外を指差し、エルシオは店先へ駆けて行った。俺は、正座したままのお婆さんに一瞬だけ目を向け、エルシオを追い和室から駄菓子屋の外へ向かう。
山々の隙間から差し込むオレンジ色の光は、俺がかつて住んでいたような住宅街では見られなかった。眩しさに目を細めながら、俺とエルシオは共に夕日を眺める。
「エフィルロも、これを見てから帰れば良かったのです」
星刻機を夕陽に向け、エルシオはそう言った。
「そうだな、まあ、すげー綺麗だったぞって自慢してやろうぜ」
今日の終わりを告げるその光は、どこか懐かしく、そして少し寂しい。
ふと駄菓子屋の方を振り返ると、軒先の看板は夕焼けに染まっていた。オレンジを受け止めるお菓子たちを見て、今はそこにいない、子供たちのはしゃぐ姿が頭に浮かぶ。
その時だった。
砂利道をスーツケースを引きながら歩く姿が、店前の道の先に見えた。それも1人ではない。夕陽に照らされ伸びた影は5つだ。
服装は若く、まるで都会から実家に帰ってきた子供たちのような。いや、きっとそうだ。
「懐かしいなあ」
「そうそうここ! ここでお菓子買ってたな」
「ちゃんとまだあるんだなあ」
「きよばあ、まだ居るかな?」
「居るでしょ〜、あんなにタフなお婆ちゃん中々いないんだから」
男女含めた、20代に見える彼らは、楽しそうに談笑しながら駄菓子屋の前で足を止めた。
店内から足音が聞こえる。今のこの場所に似つかわしくない賑やかさに違和感を覚えたのか、さっきのお婆さんが店先に姿を現す。
「あ、あんたら……何で」
目を丸くしたお婆さんは、彼らを見て動揺が隠せない様子だ。
発言から察するに、以前ここに来ていた子供たちだろうか。
「きよばあだ!!」
「たまたま集まっててさ、この駄菓子屋の話になって、行ってみようぜって!」
「そうかい……いらっしゃい。あんたらが好きなの、いっぱい並べてあるよ」
お婆さんを囲むように集まった彼らを見ながら、まるで孫を迎え入れるように放ったその一言で、一斉に彼らは店内へ入った。
お菓子を手に取り懐かしむ人も居れば、お婆さんと言葉を交わし涙を流す人もいた。
俺たちはそんな姿を黙って見つめていた。未だ夕陽に照らされたその駄菓子屋と、嬉しそうに微笑むお婆さんに、さっきまでの寂しさは感じない。
「これがお婆さんの幸せか。にしても、粉の効果が早すぎないか?」
「これが粉の効果での幸せなのか、はたまた粉が無くても訪れていた幸せなのかはわからないのです。ただひとつ言えるのは、あのお婆さんは、本当に幸せそうなのです」
エルシオの言葉を聞き、俺は頷く。
俺の目に映る景色は、さっき頭の中で映し出された、子供たちがはしゃぐ姿そのものだった。
お婆さんの願いはきっと、最後にもう1度、子供たちにこの店に来てもらうことだったのだろう。お婆さんの潤う瞳をみれば一目瞭然だ。
「じゃあ、行きますか」
「あ、そう言えば、行きたい所があるんだ。と言うより、会いたい人がいる、かな」
エルシオは首を傾げ、なんのことやらさっぱりの様子だ。
それもそう。俺もなんのことやらさっぱりだ。だが、会っておいた方が良いと言われた以上、興味が湧いてしまう。
「星域に、星域のじっちゃんに会いに行きたいんだ」
伝わるかどうかはわからない。それでも、俺はシルエトから聞いた名をそのまま口にした。
宙を舞う鳩の群れ。大群でありながら、規則正しく整列する彼らは大きな羽を広げたまま、地上に居る天使たちを威嚇している。
「ダメだ……もうすぐここも、鳩に飲まれる……」
「そうね……もう、この世界は彼らの物になってしまったと言うの……」
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「おい、遂に鳩に世界が侵略されたぞ。この先はどうなるんだ」
俺は、手に持った漫画を読み終えると、フィロに続きの展開を尋ねた。
ローダンセをエルシオと見た後、ローズベルクに戻ってから、俺はフィロから借りている漫画を読んで暇を潰していた。
あれから少しずつ読み進めているが、やはり内容がよくわからない。ただ、よくわからないからこそ、なぜか続きが気になってしまう。鳩に侵略される世界、なんとも興味深い。
「残念ね、楓が読み終わったのが最新刊よ。私だって続きが気になって仕方がないの。でもね、もうすぐ次の巻が発売されるわよ!」
「なんだと……」
今すぐ続きが読めないことに、思いの外俺の心がダメージを受けている。懐かしい気分だ。ずっと好きで読んでいたラノベがアニメ化され、良いところで1期が終わり、原作を知っているが故に続きのアニメ化を心待ちにしていたあの時を思い出す。あのラノベはもう2期が始まっただろうか。たしか時期的にそろそろだったはずだ。
初めは、クソみたいな漫画だと思っていた。だが、読み進むにつれて、だんだんと面白くなってきた。内容はよくわからない。それでも、読み進む手が止まらないのだ。
「いつも思っていたのですが、それ面白いのですか? 鳩に侵略される話って……面白くはなさそうなのです」
俺とフィロの会話に、エルシオが冷めた発言をぶち込んできた。
「エルシオ、読んでみればわかるわ。これは、今キテル面白いヤツなのよ」
「そうだぞエルシオ、俺も最初はそうだった。でもな……私と天使と鳩と言う漫画は……」
俺は言葉に詰まる。なぜ、俺は必死にこの漫画について熱弁しようとしているのだろう。いつの間にかこっち側に立ってしまった。おかしい。エルシオの言う通り、面白くはないのだ。本来ならエルシオと一緒に、この漫画を読んでいるフィロを冷笑していたはずだ。
「いや……エルシオの言う通りだ。内容もよくわからないし、面白くは……」
俺は言葉に詰まる。ダメだ。俺には、この漫画を酷評することはできない。
俺は知っている。この漫画は確かに内容はよくわからないが、続きを読みたくなる魅力はある。内容の理解度と面白さは比例しない。内容の説明を求められても答えることができないため、他人におすすめはできないが、自分の中でなんとなく内容を噛み砕き、面白さをも追求できる系の漫画だ。
作者ですら理解できているのか怪しいような、そんな漫画だ。俺は、昔からそんな漫画やアニメは好きだった。
死んでからも、よくわからない漫画を読んで面白がっている奴になりたくない。でも、それでも。
「俺はこの漫画が好きだ」
「奇遇ね、私もよ」
「あなたたちなんなのですか。ちょっと怖いのです。きっと鳩に洗脳されているのです」
エルシオは眉を顰め、冷たい視線を俺たちに向けた。
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「なんか、ど田舎って感じだな。山に囲まれてるぞ」
「そうね、人が少ないからターゲットが見つかりやすくて良いわ」
「なんだか空気が美味しいのです」
漫画を読み終えてからしばらくして、俺たちは幸せの粉を人間にかけるため、人間界に来ていた。
山々にぐるりと囲まれたその土地は、地図の上では確かに存在しているはずなのに、どこか現実から切り離されたような静けさに包まれていた。
お世辞にも都会とは言えない。いや、比べること自体が無意味に思えるほど、この場所はあまりにも素朴だった。視界いっぱいに広がるのは、整然と並んだ田んぼ。そしてその間を縫うように、舗装されていない砂利道が伸びていている。
日中だというのに、人の気配はまるでない。農具の音も、話し声も、生活の痕跡すら遠く、ただ静寂だけがそこにある。
点在する建物は、どれも古びた平屋ばかりだった。色あせた瓦屋根、少し傾いた木の柱、閉じられたままの障子や雨戸。まるで、この場所だけ時間が止まっているようだ。
「ターゲットはあっちね、行きましょ」
アイボーンを確認するフィロに先導され、俺たちは砂利道を進む。
ある程度進むと、先ほどと同じような造りの家が少しずつ増えてきて、何人かの老人ともすれ違った。
「ここね」
そう言って、フィロは立ち止まった。
古びた店が、静かな道沿いにぽつりと佇んでいる。日に焼けた板壁はところどころ色を失いながら、風が吹くたびにかすかに軋む音を立てている。
軒先には「駄菓子」と書かれた色鮮やかなのぼりが揺れていて、その賑やかさだけが、この場所に子どもたちの気配を残していた。戸口の奥には、小さな棚や箱が雑多に並び、色とりどりの菓子がぎゅっと詰め込まれている。
そしてその奥に、小さな椅子に腰掛け、誰も居ない店内を見つめるお婆さんが見えた。
「あの人が、今回のターゲットか?」
「そうよ。さっさと終わらせちゃいましょ」
そう言って、フィロがお婆さんの方へ足を進めようとした時、お婆さんは椅子から立ち上がり、奥の部屋へと入っていった。その背中からは哀愁が漂っており、駄菓子あふれるその暖かい空間には少し相応しくないように見えた。
「なんだか寂しそうなのです」
「粉をかけて、その寂しさが消えてくれれば良いけどな」
俺たちはお菓子が並ぶ棚の間を通り抜け、お婆さんが入っていった部屋にお邪魔する。その部屋には畳が敷かれており、仄かに線香の香りを感じた。
お婆さんは座布団の上で正座している。その視線の先にあるのは、目の前の仏壇に飾られたお爺さんの写真だ。その写真に写る優しい笑顔を見て、お婆さんも頬が緩んでいる。
「もう、店は畳む事にしたよ。子供たちはみんな、こんな田舎からは出て行っちまった。もう、駄菓子屋は必要ないみたいだねぇ」
確かに、ここに来るまで子供の姿は一切見られなかった。この駄菓子屋に来ていた子供たちは、すでに大きくなっており、もうここにはいないのだろう。
「誰かの幸せのせいで、不幸になってしまった人間」そんな人間に、粉をかけるのだとフィロは言っていた。今回の仕事は、おそらくそのパターンだ。
今時、田舎で育ったら都会に出ていく方が、若者の幸せに繋がると俺は思う。だが、残された人たちは、特に、子供たちが来るのを心待ちにしていた駄菓子屋の店主は、幸せに暮らせているのだろうか。
「幸せの粉をかけたら、このお婆さんも幸せになれるんだよな」
「もちろん。お店を畳むと言う気持ちは変わらないだろうけど、それでも、今彼女が願う幸せを、粉は齎してくれるわよ」
お婆さんにとっての幸せ。それはなんなのだろうか。人間には、それぞれが思う幸せがある。お金があれば幸せな人もいれば、家族と過ごすことが幸せの人もいるだろう。
「なあ、このお婆さんに訪れる幸せを、見てから帰っても良いか?」
「良いけど、前みたいに天使に遭遇すると面倒だから……エルシオも残ってくれる?」
「まぁいいですよ。私も少し気になるのです」
「ありがとな」と、俺は2人に感謝を告げる。
気になってしまった。それぞれの人が、どんな幸せを願っているのか。このお婆さんに、どんな幸せが訪れるのか。
フィロはおそらくそれを知っている。それは前にも感じたことだ。だからこそ、見届ける必要は無いのだろう。天使の仕事は幸せの粉を人間にかけることであり、人間の幸せを見届けることではないのだ。
俺は、背負っていた壺からコップを取り出し、アイボーンを確認しながら決まった分量の粉をコップに入れた。そしてそれを、目の前で正座しているお婆さんの背中へ振りかける。
俺はふと思い立ち、手を合わせ目を閉じる。
「あなたに、幸福が訪れますように」
エルシオが粉をかける時に言う台詞を、同じように声に出してみた。アレシアの願いも、エルシオへ向けたこの言葉だったはずだ。
「それ、初めはアレシアが言っていた言葉なのです。不思議だと思いませんか? なぜ幸せの粉をかけているのに、そんなことを言う必要があるのか」
言われてみればそうだ。幸せの粉をかけられた人間は、幸せになることが確定している。それなのに、なぜ幸せを願うような言葉をかけるのか。
俺は頷き、エルシオに答えを求める。
「幸せの粉が齎す幸せだけでなく、自分自身も幸せを願うことで、もっと幸せが訪れるかもしれないから、らしいのです。だから私も、人間にもっと幸せになって欲しいと思う気持ちを込めて、そう言っているのです」
「そりゃ良いな。幸せなんて、あったらあっただけ良いもんな」
「そう言うことなのです」
俺はアレシアの最後の願いを、本当の意味で理解できた気がした。そして、エルシオの変化に喜びを感じた。
以前まで「人間にもっと幸せになって欲しいと思う気持ちを込めて」なんて言葉を俺の前で発したことは無かった。人間を思う気持ちを隠さずに曝け出すエルシオは、間違いなく変わった。
「じゃあ、私は帰るわね!」
そう言って、フィロはゲートを開く。そこへ飛び込む直前、フィロは俺の耳に口を近づけた。
「ありがとね、本当に……ありがとう」
フィロが耳打ちした言葉の意味合いを、俺は理解しているつもりだ。
フィロも俺も望んでいたこと。それはこのエルシオの変化であり、エルシオが幸せになったのと同時に、俺とフィロの願いも叶った。きっと、それに対しての感謝の気持ちなのだろう。
「どういたしまして」
そう俺が言葉を発した頃には、フィロはゲートに飛び込んでいた。
「あー! 見てください! 綺麗なのです!」
興奮しながら窓の外を指差し、エルシオは店先へ駆けて行った。俺は、正座したままのお婆さんに一瞬だけ目を向け、エルシオを追い和室から駄菓子屋の外へ向かう。
山々の隙間から差し込むオレンジ色の光は、俺がかつて住んでいたような住宅街では見られなかった。眩しさに目を細めながら、俺とエルシオは共に夕日を眺める。
「エフィルロも、これを見てから帰れば良かったのです」
星刻機を夕陽に向け、エルシオはそう言った。
「そうだな、まあ、すげー綺麗だったぞって自慢してやろうぜ」
今日の終わりを告げるその光は、どこか懐かしく、そして少し寂しい。
ふと駄菓子屋の方を振り返ると、軒先の看板は夕焼けに染まっていた。オレンジを受け止めるお菓子たちを見て、今はそこにいない、子供たちのはしゃぐ姿が頭に浮かぶ。
その時だった。
砂利道をスーツケースを引きながら歩く姿が、店前の道の先に見えた。それも1人ではない。夕陽に照らされ伸びた影は5つだ。
服装は若く、まるで都会から実家に帰ってきた子供たちのような。いや、きっとそうだ。
「懐かしいなあ」
「そうそうここ! ここでお菓子買ってたな」
「ちゃんとまだあるんだなあ」
「きよばあ、まだ居るかな?」
「居るでしょ〜、あんなにタフなお婆ちゃん中々いないんだから」
男女含めた、20代に見える彼らは、楽しそうに談笑しながら駄菓子屋の前で足を止めた。
店内から足音が聞こえる。今のこの場所に似つかわしくない賑やかさに違和感を覚えたのか、さっきのお婆さんが店先に姿を現す。
「あ、あんたら……何で」
目を丸くしたお婆さんは、彼らを見て動揺が隠せない様子だ。
発言から察するに、以前ここに来ていた子供たちだろうか。
「きよばあだ!!」
「たまたま集まっててさ、この駄菓子屋の話になって、行ってみようぜって!」
「そうかい……いらっしゃい。あんたらが好きなの、いっぱい並べてあるよ」
お婆さんを囲むように集まった彼らを見ながら、まるで孫を迎え入れるように放ったその一言で、一斉に彼らは店内へ入った。
お菓子を手に取り懐かしむ人も居れば、お婆さんと言葉を交わし涙を流す人もいた。
俺たちはそんな姿を黙って見つめていた。未だ夕陽に照らされたその駄菓子屋と、嬉しそうに微笑むお婆さんに、さっきまでの寂しさは感じない。
「これがお婆さんの幸せか。にしても、粉の効果が早すぎないか?」
「これが粉の効果での幸せなのか、はたまた粉が無くても訪れていた幸せなのかはわからないのです。ただひとつ言えるのは、あのお婆さんは、本当に幸せそうなのです」
エルシオの言葉を聞き、俺は頷く。
俺の目に映る景色は、さっき頭の中で映し出された、子供たちがはしゃぐ姿そのものだった。
お婆さんの願いはきっと、最後にもう1度、子供たちにこの店に来てもらうことだったのだろう。お婆さんの潤う瞳をみれば一目瞭然だ。
「じゃあ、行きますか」
「あ、そう言えば、行きたい所があるんだ。と言うより、会いたい人がいる、かな」
エルシオは首を傾げ、なんのことやらさっぱりの様子だ。
それもそう。俺もなんのことやらさっぱりだ。だが、会っておいた方が良いと言われた以上、興味が湧いてしまう。
「星域に、星域のじっちゃんに会いに行きたいんだ」
伝わるかどうかはわからない。それでも、俺はシルエトから聞いた名をそのまま口にした。
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