表示設定
表示設定
目次 目次




5話 罪悪感

ー/ー



 目的達成のため、アイボーンに映る顔写真を頼りに、教室を片っ端から周っていく。
 諦めたのか、エルシオと俺の距離は20mから2mほどに昇格した。

「どこも授業中だな、そんでもって、このフロアは2年の教室っぽい。やっぱり3年は4階か?」

 授業中の校内はやけに静かで、チョークで黒板をなぞる音が鮮明に聞こえるほどだ。
 大勢の人の気配はするものの、教師の声しかしないこの空間は、私語の少ない善良な生徒が多いのだろう、そんな中だと、勝手に歩き回る俺たちが何か悪いことをしているように思える。

「こんなにもたくさんの人間が、人間に調教されているのですね」

「言い方よろしくないけど、まあ大体そんな感じだな。学校なんてそんなもんだ」

 エルシオはカメラで授業風景を撮影している。そんなエルシオを遠目に見ながら、俺はターゲットを探していく。 顔写真はあるものの、多くの生徒の中から見つけ出すのはなかなかに難しい。
 4階への階段を上がっていく途中、さっきの記憶喪失のことがふと頭に過ぎる。

「なぁ、死んだ人間の記憶がなくなるってのはよくあるのか?」

 少し離れて歩くエルシオは顎に手を触れながら「んー」と数秒悩んだ後、質問に答える。

「勝手に記憶がなくなることはほとんどないと思うのです。ただ、たしか記憶を消す魔法は存在しますね。記憶がないのですか?」

 魔法。フィロは特に何も言っていなかったが、ここに来る際に使用したゲートとやらも、魔法の1種なのだろうか。天使なのだから、魔法が使えたとしても今更驚くこともなかった。
 俺の記憶が魔法によって消されたのだとしたら、フィロがその魔法を使用したのか。いや、なんのために。

「いや、なんでもない。ありがとう」そう答えると、魔法という単語を聞いたことで好奇心が働いてしまう。

「魔法って、お前も使えるのか?」

 よくぞ聞いてくれた。と言わんばかりのドヤ顔を俺に見せつけながら、エルシオは自慢げに答える。

「もちろんなのです! 初級魔法ならちょちょいのちょいなのです!」

 先程までどこか冷たかったエルシオだが、よほど自分の魔法を披露したいのか、やけにテンションが高い。

「初級ってことは、上級は?」

「上級は私にはまだ使えないのです」

「んじゃ、中級は?」

「中級もまだ使えないのです」

「そうなのか、よくわかんないけど、初級だとどんな魔法が使えるんだ?」

「杖を持ち、振ることによって音が出るのです」

「音か。なんだろうな、使い道がピンとこないな」

「馬鹿にしてるのですか?」

 頬を少し膨らましながら、ギロリとした目つきで俺を睨むエルシオに対し、俺は「そういう訳じゃない」と、大きく首を左右に振る。
 そして、誤魔化すように質問を続けた。

「さっき言ってた記憶を消す魔法は使えるのか?」

「上級、いや、それ以上の魔法だと思うのです。使える天使がいるという話も聞いたことがないのです」

「そうか、じゃあフィロも」



『キーンコーンカーンコーン』



「な、なんの音っ」

 不安げに身構えながらチャイムの音を怖がっているエルシオからは可愛らしさが溢れている。

「これはチャイムって言ってな、決まった時間に鳴って、それぞれの授業やら休みを区切ってんだよ」

 「そ、そうなのですか」と、肩の力が抜けて、ホッとするエルシオもまた可愛かったが、そんなことを考えている暇などない。
 授業が終わったということは、このタイミングで生徒が色んな場所に移動してしまうことになる。

「とりあえず、古田千恵ちゃんを探そう」

「そうですね。ちなみに、粉のかけ方は知っているのですか?」

「あ、え、いや」

「はぁ、ですよね」

 ため息をついたエルシオは、俺が背負っている壺を指差しこっちに下ろせと指図する。今まで、背負っていることも忘れていたような軽さの壺を、重量に見合わない「よっこいしょ」という掛け声を発しながら、エルシオの前に置いた。

「エフィルロからどこまでこの仕事のやり方について聞いているのですか?」

「そこのコップに決まった量粉を入れて、人にぶっかけるってとこまでしか聞いてないな」

 「なるほど」と微笑し、呆れながらも慣れた手つきでコップを手にしたエルシオは、ツボの中身をコップに注いでいく。

「まず、決まった分量をこうやって入れるのです。その後、この粉をかけたい人間にドサッとかければ、かからずに落ちてしまった粉も、自然にその人間に集まる仕組みなのです」

「へぇ、便利な粉だなあ。ある程度かかるように適当にかけちまえばいいってことか」

 「はい」とエルシオは頷き、ターゲットの少女に粉を振りかけるため、俺に粉の入ったコップを差し出す。

「これでぴったりなのです」

「やけに仕事慣れしてるなぁ、この仕事いつからやってるんだ?」

 「まだ話してなかったですね」と前置きし、髪に指を通しながらエルシオは口を開く。

「エフィルロのお手伝いに昔から来ているのです。だから、粉の扱いには慣れているのです」

「学校のチャイムには慣れていない様だけどな」

「うるさいのです」

 さっきよりも、2つの意味で距離が縮まってきたところで、俺はずっと聞きたかったことを口にするか迷っていた。


ーーーーーー人間と何かあったのか?


 そんな質問を今してしまったら、エルシオはどんな反応を見せるのだろうか。理由もなく人間を避けることなど、普通はないはずだ。
 それは、俺自身が人間を避けているのに理由があるから分かることである。その理由は、俺にとっては思い出したくはない過去だったはずで、今は思い出すことが出来ないおかげで辛い思いはしないでいるが、エルシオはどうだ。
 その理由を思い出した時、心の傷を抉ることになるのではないか。そんな不安が俺の頭をよぎる度、その言葉は喉の奥で突っ掛かる。

「あ、あのさ……」

「さっきの言いましたが、私は人間が嫌いなのです。それについて、今聞こうとしていたのですよね?」

 図星だ。あまりにも見透かされていて、まるで魔法を使われているみたいだ。

「バレちゃってたか。気になっちゃってさ、あまりにも俺に対して冷たいと言うかなんと言うか。魔法か何かでバレた感じ?」

「違うのです。なんと言うか、顔にそう書いてあったのです。勘なのです」

 「そうか」と一言返事をし、少し無言の時間が過ぎる。目の前に人間がいるのに、2度も人間が嫌いと発言した気まずさだろうか、エルシオは俺と目を合わそうとせず、じっと俺が手に持つコップを見ている。そんな状況の中、自然と笑いが込み上げてきて、思わず吹き出してしまった。

「な、なんで笑うのですか」

「いやー、らしくないって思ってさ。嫌いだから、もっと離れてくださいなのです! とか言っちゃうかと思って」

 わざとらしくエルシオの口調を真似て、俺は抑えられなかった笑いを零しながら答えた。

「私はそんな変な話し方じゃないのです!」

 またムッとした顔で俺を睨むエルシオに向かって、話し方について自覚がないことについてツッコミを入れても良かったのだが、それよりも、俺はエルシオに伝えた方がいいと感じたことを口にする。

「俺も、母さん以外とは仲良くなんてしてなかった。まあ、俺は嫌いって言うより、怖かった、かな」

 父を殺した犯人が憎い。そしてそんな、殺しをするような生き物に対し、恐怖を感じるようになったのだと、今はない記憶から推測している。
 本来仲間であるはずなのに、なぜ人間は人間を殺すのか。あの事件以来、母以外の人間を信じられなくなった。いつどこで、急に包丁で刺されるか分からない。電車を待っている時に、後ろに並んでいる人に押され、線路に落下してしまうなんてこと、普通は考えない。
 それは、人が人を殺すなんて、あまりにも残酷で、尚且つ非人道的だと全員が思っているという絶対的信頼を、同じ人間としてお互いに得ているからである。
 だが、そんな信頼は、父が殺された時にきれいさっぱり無くなった。信用できるはずがない。

 そこで1つ、今の俺にあるはずのない感情が生まれていることに、自分自身で気がついた。首を傾げ、こちらを見つめるエルシオの不安そうな顔を見て、自分の目から涙が溢れていることに気づく。

「ごめんなさい。俺が……俺が」

 胸が熱い、苦しい。頭がガンガンと痛む。隣で俺の名前を叫ぶエルシオの声が聞こえる。心配してくれているのだろう。


ーーーーーーなんで、俺が謝るんだ。


 なぜか口から、謝罪の言葉が溢れ出てくる。これは、俺の記憶から消えている部分に対しての謝罪なのだと、状況的に察する。ただただ、身に覚えのない罪悪感が、俺の胸を駆け巡る。
 父が死んだ瞬間のことは何も思い出せない。その、罪悪感の意味は俺の頭から消えている。父親が亡くなり、苦しみや悲しみ、そして怒りで埋まるはずの俺の心は、何故か罪悪感で満たされていた。
 訳も分からない感情に混乱し、抱えた頭の中が真っ白になったのには、もう1つ理由があった。

 ついさっき、父のことを思い出していた時に感じた違和感、それの答えは罪悪感の出処を記憶の中から探っていた時に見つかった。
 思い出せなくなったのは、父が死んだ瞬間だけ、そう思っていた。だが、実際は違ったのだ。


ーーーーーー父さんが……思い出せない。


 顔が、全く頭に浮かばない。そんなはずはない。花火の色も、部屋の間取りも、母さんの顔も思い出せる。小さい頃、父さんと遊んでいたことを思い出す。しかし、父さんの顔だけが、ぼやけて見えない。葬式の遺影だってそうだ。顔が思い出せない。
 おかしい、そんなはずはない。父さんとの写真が、俺の勉強机に飾ってあったはずだ。


ーーーーーーそうだ、あの写真を思い出せ。


 記憶を辿り、俺の部屋に入る。右手にベッドがあり、左奥に机が置いてある。そこへ向かい、椅子に腰掛ける。
フッと一息付き、ゆっくりと机上の写真へ目を向けた。
 父さんとの写真が目に入る。


ーーーーーーこの写真だ、顔を見させてくれ。


 顔を近づけ、父さんの顔にピントが合いそうになったその瞬間、父さんの口元が動く。


 『俺の事は忘れろ』


 その声は俺の頭に直接響くようで、それが本当に父さんの声だったかどうかはわからない。
ただ、その声を聞いた途端に、辿っていた記憶が真っ白になり、そして、視界がぐにゃぐにゃと歪む。
 意識が、遠くなっていく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「……ん?」

 いつから寝ていたのだろう。そしてここはどこなのだろう。目を開けて見つめた先には、見慣れた自分の部屋の天井があるとばかり思ってしまう。
 だが実際に目線の先に現れたのは、安心した目つきでこちらを見つめるエルシオだった。

「ふぅ、やっと起きましたか、驚きましたよ、急にぶっ倒れたので」

「悪いな……ちょっと頭真っ白になっちまって、てか!? これって膝枕じゃ!!」

「え? あー、はい。この世界の枕を使ったとしても、カチカチですよ、形は変化しないので。なので、仕方なく私が枕になろうと思ったのです」

 これは、人間が嫌いなはずの天使にできることなのだろうか。この天使、あまりにも優しい。

「天国かよ」

「えーっと、寝ぼけてますか? ここは人間界ですよ?」

 ここで頭を上げてしまったら、もうこんなチャンスは無いのではないかと心の中で葛藤しながらも、膝枕から頭を上げ、ぐるりと周りを見渡す。俺は階段の踊り場で寝かされていた。そこから見える窓の外には太陽が見え、今は南中して少し時間が経った頃だろう。
 そして、夢で見た父のことを思い出す。やはりまだ、顔は思い出せない。そしてもちろん、あの記憶もだ。

「罪悪感……これはなんなんだ」

「何をひとりでブツブツ言っているのですか? それより、さっきの話の続きをお願いします。話したくない内容なら、話さなくて構いませんので」

 少し考えた後、俺はどんな話をしていたのか思い出した。

「あぁ、人間が怖いって話か、まあ今は怖い理由も覚えてないし、そんなに怖くないけど……ってこれ、そんなに気になる?」

「い、いえ、気になると言うより……嬉しかったのです」

 俯きながら照れくさそうに、顔を赤くしてそう言ったエルシオは、ポカンとしている俺を見て、決まりが悪そうに続ける。

「人間が嫌いなんて言ったら、あなたは怒ったり、私に敵対意識を持ったりすると思ったのですが、実際はそうではなく、むしろ、自分と同じ境遇だと、そのようなことを言ってくれたのです。どんな事情があったかはわかりませんが、嘘でないと言うことは重々伝わってきました。あなたはわかりやすいので。人間と言うものはもっと醜く、軽蔑すべきだと思っていたのですが」

 首を傾け、短く綺麗な赤髪を揺らしたエルシオは、緩んだ笑顔でこう続けた。

「こんな人間もいるのですね!」

 目の前で照れながら、明るい笑顔でそう言い放ったエルシオはとても美しく可憐で、その首にかかったカメラで写真を撮っておきたいほどだった。

 「嫌いなものを前にそんな笑顔を向けられるのか」なんて一言を、思わず口に出しそうになる。それほど、彼女のその笑顔からは、人間への負の感情は感じられなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「父親が。殺されたんだ人間に」

 まだ仕事の途中ではあるが、俺は父親のことを話すことにした。こんな話を他の誰かにしたことがあっただろうか。いや、あるはずがない。
 人間に恐怖を抱いた俺には、いつしかそんな話をする人が周りに居なくなっていた。

「そうなのですね」

 俺の父親のことなのに、エルシオの表情からは辛さや悲しさが現れている。俺が話した内容をを聞き、自分のことのように悲しんだり、苦しんだりしてくれる。そんな経験は、生きていた時はほとんどできていなかった気がする。

「そんでもって、父さんが殺された時の記憶が無くなって、父さんの顔すら思い出せなくなってた」

「天使なら、人間の記憶の一部を消すことができるかもしれないのです。ですが、先程も伝えた通り、その魔法を使える天使を私は知らないのです。あなたの記憶を消した理由の検討もつかないのです」

「まあそうだよな。そんなことをする必要性が見当たらない」

 もし、フィロが記憶を消したのであれば、全ての辻褄が合う。しかし、問題は。

「そう。動機がないのです。そもそも、死んだ人間の記憶操作及び記憶消去は天界の法律で禁止されているのです。それができたら、他の生物に産まれ変わるときに、記憶を全て消してしまえるので。その法律があるから、その魔法の存在を知っているだけなので、そんな天使はいないと思うのですが……そんなリスクを犯してまで、天使があなたの記憶を消すとは、到底思えないのです。それに、あなたが接触した天使は」

「フィロだけ。そういうことだよな」

 なんとなく、あえて言葉にはしてこなかったが、天使が魔法で俺の記憶を消したのであれば、フィロの可能性が真っ先に疑われる。その魔法を使えるかも、動機すらもわからないが、俺が死んでからの行動から推測すると、フィロの仕業と考えるのが妥当だ。

「そんな法律があることは知らなかったが、それならなおさら、フィロには特にメリットはない」

「フィロ? エフィルロのことですか。まあ、とにかくそうですね。そもそもエフィルロがそんな強力な魔法を使えるという話を聞いたことがないのです。ベテラン天使ではあると思いますが」

 結局、結論に至らないまま時間だけが過ぎていく。そして、先に本来の目的を思い出したのは俺だった。

「やべっ。こんな話してる暇ないだろ俺たち。さっさと仕事終わらせねえと」

「それもそうなのです。さっさと終わらせちゃうのです」


 『キーンコーンカーンコーン』


 ビクッとなり赤面するエルシオの横で、今のチャイムでお昼の休憩に入った生徒たちに目を向ける。お弁当をカバンから出す生徒たちのほかに、食堂に向かうのだろうか、教室から友達と仲良く話しながら出てくる生徒たちの姿が見える。
 その中から1人の少女を見つけることは、それなりに難しいことに思えたが、1クラス30人から40人程だろう。順に潰していけば、いつかは見つけられそうだ。しかし、一向にその少女の姿は見えない。
 教室でお弁当を食べだした生徒たちは、周りの友達と談笑しながら昼休憩を取っている。そこでふと、教室に並べられた机の中で、1つの机に嫌悪感を覚える。

「なるほどな……」

「何かわかったのですか?」

 その机にはいくつかの落書きが見える、それは年頃の女の子が描く可愛げのある絵ではない。もっと醜く、酷いものだった。

「まあ、何があったか知らないが、この粉で状況が良くなるってんなら最高だな」

 背に背負った壺を撫でながら俺はそう呟く。

 「何かわかったなら教えてください」と、悔しそうなエルシオの膨れた顔はやはり可愛らしい。

 中学校時代、俺は友達がおらず孤独ではあったものの、あそこまで酷いことはされていなかった。
 なぜなら、俺は自分から周りを避けていたためできた孤独。しかし、今頃1人でランチの少女は、きっと、周りから嫌われてできてしまった孤独なのであろう。

 その教室から離れ、ターゲットを探すため歩いている間に、何やら騒がしい女子トイレを見つけた。必要のない忍び足でそのトイレに近づく。すると、少しづつ会話の内容が聞き取れてくる。
 中を覗くのは気が引けたものの、今はそんなことで躊躇している場合ではない。個室トイレの前に3人。おそらく中に1人だろうか。3人側の方が一方的に、個室の中に話しかけている。個室の方からは、すすり泣くような小さな声がこの小さな女子トイレに反響して聞こえてくる。

「あんたが悪いんでしょ? 先にこの子をいじめてたのはあんたなんだから」

「そうそう、天罰でしょ? 私があんたにされたことはこんなもんじゃないし」

「じゃあ、いくよー!」

 そう言って、最後に合図を出した女子生徒が、掃除用のホースを個室トイレの上部の隙間に向けている。


 『ピロロローン! ピーピーピー!』


 今にも水が放射されそうと言ったタイミングで、よく分からない機械音声のような音が女子トイレに鳴り響く。

「何この音? 気持ち悪」

「先生来るかも、行こ」

 割と大きめなその音によって、人が来ることを恐れた3人の女子生徒は、俺たちの横を通って教室へと戻って行った。何がともあれ、おそらくターゲットである個室の中の生徒に水がかからなかったことに安堵する俺の横で、どこから持ち出したのか杖のようなものを持つエルシオは、俺の方を見てドヤ顔をかましている。

「これが、魔法の力なのです」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「俺たちが出す音は、こっちの世界の住人には聞こえないんじゃないのかよ」

「さっきのは魔法を使った音なのです。全てがこっちの世界に影響しないのであれば、幸せの粉をかけてもなんの意味もないのです」

「なんか煽られてるようでムカつくな。まあでもそれはそうか」

 あの後、俺は恐る恐る個室から出てきた生徒とアイボーンの写真の生徒が同一人物であることを確認すると、手に持っていた粉をその生徒に振りかけた。粉は空中を少し舞った後、少しも地面に落ちることなく少女の中へ吸い込まれていった。
 一仕事を終えて、渡り廊下でエルシオが校庭で行われているサッカーの試合を見ながら「あいつだけ手を使っていのです。ズルなのです」などとブツブツ言っているのを横目に、俺は古田千恵について考えていた。

 女子トイレでの話を聞くに、彼女は元々、イジメをする側だったのだろう。今彼女が受けているようなことを、彼女は他の誰かにしていた。だが、イジメを受けていた他の誰かは、何らかの影響でイジメから解放され、次は、虐めていた人々の中心になっていた古田千恵がイジメの対象になっていた。



 『その人間にとって幸せでも、ほかの人間にとっての不幸に繋がってしまうってこと、あるでしょ? 』



 いつかのフィロの言葉が頭に浮かぶ。他の人の幸せによって不幸になってしまった人間にこの粉をかける。それが天使の仕事だ。
 これから彼女は粉の影響で虐められなくなるかもしれない。そして、幸せになるのかもしれない。ただもし、彼女が元々虐めていた生徒も、幸せの粉の影響でイジメから開放されたのだとしたら。
 今回も、次の犠牲者が生まれるだけなのかもしれない。

「あー!相手のチームにも1人手を使ってるやつがいるのです! と言うより、あれは戦いなのですよね? あんな小さいボールに攻撃するよりも、早く相手を倒すべきなのです」

「随分物騒な天使だな」

「さっきの人間も、水をかけられそうになったのですから、1回ぶん殴ってやるのがいいのです。目には目を、水には拳をなのです」

「まあ、そういうわけにも行かないんだよ。それで解決、仲直りなら、皆やってるさ。だから、人間関係は難しい」

「そうですか。 所詮人間なんて、そんなもんなんですよ」

 俺の発言の意味を理解したのか、そうでないのかはわからないが、やはりエルシオは人間に対してあまり良い印象はないようだ。冷たい声色から、そういう感情が伝わってくる。

 今日みたいな場面を幾度となく見てきたのだとしたら、そうなるのは無理もない。
 きっとこの先、何度も粉をかける度、その幸せの踏み台になる人間が幾度となく出てくるのだろう。そんな人間にこの粉をかけていくのであるとすれば、天使の仕事というのは、とても辛く大変なものなのかもしれない。

「じゃあ、もう仕事も終えたし帰ろうぜ」

 天界に帰るため、フィロに言われたアイボーンのボタンを押す。しかし、何も異変は生じない。

「ん? なんも起こんないけど」

「あぁ。そんな機能アイボーンにはありませんよ。ゲートは魔法の1種なので天使にしか使えません」

「くっそやろぉぉお!!」

 フィロの適当さに怒りのツッコミをかましつつ、ゲートを開いてそこに入ったエルシオに続き、俺もゲートへ飛び込んだ。



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 6話 たません


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 目的達成のため、アイボーンに映る顔写真を頼りに、教室を片っ端から周っていく。
 諦めたのか、エルシオと俺の距離は20mから2mほどに昇格した。
「どこも授業中だな、そんでもって、このフロアは2年の教室っぽい。やっぱり3年は4階か?」
 授業中の校内はやけに静かで、チョークで黒板をなぞる音が鮮明に聞こえるほどだ。
 大勢の人の気配はするものの、教師の声しかしないこの空間は、私語の少ない善良な生徒が多いのだろう、そんな中だと、勝手に歩き回る俺たちが何か悪いことをしているように思える。
「こんなにもたくさんの人間が、人間に調教されているのですね」
「言い方よろしくないけど、まあ大体そんな感じだな。学校なんてそんなもんだ」
 エルシオはカメラで授業風景を撮影している。そんなエルシオを遠目に見ながら、俺はターゲットを探していく。 顔写真はあるものの、多くの生徒の中から見つけ出すのはなかなかに難しい。
 4階への階段を上がっていく途中、さっきの記憶喪失のことがふと頭に過ぎる。
「なぁ、死んだ人間の記憶がなくなるってのはよくあるのか?」
 少し離れて歩くエルシオは顎に手を触れながら「んー」と数秒悩んだ後、質問に答える。
「勝手に記憶がなくなることはほとんどないと思うのです。ただ、たしか記憶を消す魔法は存在しますね。記憶がないのですか?」
 魔法。フィロは特に何も言っていなかったが、ここに来る際に使用したゲートとやらも、魔法の1種なのだろうか。天使なのだから、魔法が使えたとしても今更驚くこともなかった。
 俺の記憶が魔法によって消されたのだとしたら、フィロがその魔法を使用したのか。いや、なんのために。
「いや、なんでもない。ありがとう」そう答えると、魔法という単語を聞いたことで好奇心が働いてしまう。
「魔法って、お前も使えるのか?」
 よくぞ聞いてくれた。と言わんばかりのドヤ顔を俺に見せつけながら、エルシオは自慢げに答える。
「もちろんなのです! 初級魔法ならちょちょいのちょいなのです!」
 先程までどこか冷たかったエルシオだが、よほど自分の魔法を披露したいのか、やけにテンションが高い。
「初級ってことは、上級は?」
「上級は私にはまだ使えないのです」
「んじゃ、中級は?」
「中級もまだ使えないのです」
「そうなのか、よくわかんないけど、初級だとどんな魔法が使えるんだ?」
「杖を持ち、振ることによって音が出るのです」
「音か。なんだろうな、使い道がピンとこないな」
「馬鹿にしてるのですか?」
 頬を少し膨らましながら、ギロリとした目つきで俺を睨むエルシオに対し、俺は「そういう訳じゃない」と、大きく首を左右に振る。
 そして、誤魔化すように質問を続けた。
「さっき言ってた記憶を消す魔法は使えるのか?」
「上級、いや、それ以上の魔法だと思うのです。使える天使がいるという話も聞いたことがないのです」
「そうか、じゃあフィロも」
『キーンコーンカーンコーン』
「な、なんの音っ」
 不安げに身構えながらチャイムの音を怖がっているエルシオからは可愛らしさが溢れている。
「これはチャイムって言ってな、決まった時間に鳴って、それぞれの授業やら休みを区切ってんだよ」
 「そ、そうなのですか」と、肩の力が抜けて、ホッとするエルシオもまた可愛かったが、そんなことを考えている暇などない。
 授業が終わったということは、このタイミングで生徒が色んな場所に移動してしまうことになる。
「とりあえず、古田千恵ちゃんを探そう」
「そうですね。ちなみに、粉のかけ方は知っているのですか?」
「あ、え、いや」
「はぁ、ですよね」
 ため息をついたエルシオは、俺が背負っている壺を指差しこっちに下ろせと指図する。今まで、背負っていることも忘れていたような軽さの壺を、重量に見合わない「よっこいしょ」という掛け声を発しながら、エルシオの前に置いた。
「エフィルロからどこまでこの仕事のやり方について聞いているのですか?」
「そこのコップに決まった量粉を入れて、人にぶっかけるってとこまでしか聞いてないな」
 「なるほど」と微笑し、呆れながらも慣れた手つきでコップを手にしたエルシオは、ツボの中身をコップに注いでいく。
「まず、決まった分量をこうやって入れるのです。その後、この粉をかけたい人間にドサッとかければ、かからずに落ちてしまった粉も、自然にその人間に集まる仕組みなのです」
「へぇ、便利な粉だなあ。ある程度かかるように適当にかけちまえばいいってことか」
 「はい」とエルシオは頷き、ターゲットの少女に粉を振りかけるため、俺に粉の入ったコップを差し出す。
「これでぴったりなのです」
「やけに仕事慣れしてるなぁ、この仕事いつからやってるんだ?」
 「まだ話してなかったですね」と前置きし、髪に指を通しながらエルシオは口を開く。
「エフィルロのお手伝いに昔から来ているのです。だから、粉の扱いには慣れているのです」
「学校のチャイムには慣れていない様だけどな」
「うるさいのです」
 さっきよりも、2つの意味で距離が縮まってきたところで、俺はずっと聞きたかったことを口にするか迷っていた。
ーーーーーー人間と何かあったのか?
 そんな質問を今してしまったら、エルシオはどんな反応を見せるのだろうか。理由もなく人間を避けることなど、普通はないはずだ。
 それは、俺自身が人間を避けているのに理由があるから分かることである。その理由は、俺にとっては思い出したくはない過去だったはずで、今は思い出すことが出来ないおかげで辛い思いはしないでいるが、エルシオはどうだ。
 その理由を思い出した時、心の傷を抉ることになるのではないか。そんな不安が俺の頭をよぎる度、その言葉は喉の奥で突っ掛かる。
「あ、あのさ……」
「さっきの言いましたが、私は人間が嫌いなのです。それについて、今聞こうとしていたのですよね?」
 図星だ。あまりにも見透かされていて、まるで魔法を使われているみたいだ。
「バレちゃってたか。気になっちゃってさ、あまりにも俺に対して冷たいと言うかなんと言うか。魔法か何かでバレた感じ?」
「違うのです。なんと言うか、顔にそう書いてあったのです。勘なのです」
 「そうか」と一言返事をし、少し無言の時間が過ぎる。目の前に人間がいるのに、2度も人間が嫌いと発言した気まずさだろうか、エルシオは俺と目を合わそうとせず、じっと俺が手に持つコップを見ている。そんな状況の中、自然と笑いが込み上げてきて、思わず吹き出してしまった。
「な、なんで笑うのですか」
「いやー、らしくないって思ってさ。嫌いだから、もっと離れてくださいなのです! とか言っちゃうかと思って」
 わざとらしくエルシオの口調を真似て、俺は抑えられなかった笑いを零しながら答えた。
「私はそんな変な話し方じゃないのです!」
 またムッとした顔で俺を睨むエルシオに向かって、話し方について自覚がないことについてツッコミを入れても良かったのだが、それよりも、俺はエルシオに伝えた方がいいと感じたことを口にする。
「俺も、母さん以外とは仲良くなんてしてなかった。まあ、俺は嫌いって言うより、怖かった、かな」
 父を殺した犯人が憎い。そしてそんな、殺しをするような生き物に対し、恐怖を感じるようになったのだと、今はない記憶から推測している。
 本来仲間であるはずなのに、なぜ人間は人間を殺すのか。あの事件以来、母以外の人間を信じられなくなった。いつどこで、急に包丁で刺されるか分からない。電車を待っている時に、後ろに並んでいる人に押され、線路に落下してしまうなんてこと、普通は考えない。
 それは、人が人を殺すなんて、あまりにも残酷で、尚且つ非人道的だと全員が思っているという絶対的信頼を、同じ人間としてお互いに得ているからである。
 だが、そんな信頼は、父が殺された時にきれいさっぱり無くなった。信用できるはずがない。
 そこで1つ、今の俺にあるはずのない感情が生まれていることに、自分自身で気がついた。首を傾げ、こちらを見つめるエルシオの不安そうな顔を見て、自分の目から涙が溢れていることに気づく。
「ごめんなさい。俺が……俺が」
 胸が熱い、苦しい。頭がガンガンと痛む。隣で俺の名前を叫ぶエルシオの声が聞こえる。心配してくれているのだろう。
ーーーーーーなんで、俺が謝るんだ。
 なぜか口から、謝罪の言葉が溢れ出てくる。これは、俺の記憶から消えている部分に対しての謝罪なのだと、状況的に察する。ただただ、身に覚えのない罪悪感が、俺の胸を駆け巡る。
 父が死んだ瞬間のことは何も思い出せない。その、罪悪感の意味は俺の頭から消えている。父親が亡くなり、苦しみや悲しみ、そして怒りで埋まるはずの俺の心は、何故か罪悪感で満たされていた。
 訳も分からない感情に混乱し、抱えた頭の中が真っ白になったのには、もう1つ理由があった。
 ついさっき、父のことを思い出していた時に感じた違和感、それの答えは罪悪感の出処を記憶の中から探っていた時に見つかった。
 思い出せなくなったのは、父が死んだ瞬間だけ、そう思っていた。だが、実際は違ったのだ。
ーーーーーー父さんが……思い出せない。
 顔が、全く頭に浮かばない。そんなはずはない。花火の色も、部屋の間取りも、母さんの顔も思い出せる。小さい頃、父さんと遊んでいたことを思い出す。しかし、父さんの顔だけが、ぼやけて見えない。葬式の遺影だってそうだ。顔が思い出せない。
 おかしい、そんなはずはない。父さんとの写真が、俺の勉強机に飾ってあったはずだ。
ーーーーーーそうだ、あの写真を思い出せ。
 記憶を辿り、俺の部屋に入る。右手にベッドがあり、左奥に机が置いてある。そこへ向かい、椅子に腰掛ける。
フッと一息付き、ゆっくりと机上の写真へ目を向けた。
 父さんとの写真が目に入る。
ーーーーーーこの写真だ、顔を見させてくれ。
 顔を近づけ、父さんの顔にピントが合いそうになったその瞬間、父さんの口元が動く。
 『俺の事は忘れろ』
 その声は俺の頭に直接響くようで、それが本当に父さんの声だったかどうかはわからない。
ただ、その声を聞いた途端に、辿っていた記憶が真っ白になり、そして、視界がぐにゃぐにゃと歪む。
 意識が、遠くなっていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……ん?」
 いつから寝ていたのだろう。そしてここはどこなのだろう。目を開けて見つめた先には、見慣れた自分の部屋の天井があるとばかり思ってしまう。
 だが実際に目線の先に現れたのは、安心した目つきでこちらを見つめるエルシオだった。
「ふぅ、やっと起きましたか、驚きましたよ、急にぶっ倒れたので」
「悪いな……ちょっと頭真っ白になっちまって、てか!? これって膝枕じゃ!!」
「え? あー、はい。この世界の枕を使ったとしても、カチカチですよ、形は変化しないので。なので、仕方なく私が枕になろうと思ったのです」
 これは、人間が嫌いなはずの天使にできることなのだろうか。この天使、あまりにも優しい。
「天国かよ」
「えーっと、寝ぼけてますか? ここは人間界ですよ?」
 ここで頭を上げてしまったら、もうこんなチャンスは無いのではないかと心の中で葛藤しながらも、膝枕から頭を上げ、ぐるりと周りを見渡す。俺は階段の踊り場で寝かされていた。そこから見える窓の外には太陽が見え、今は南中して少し時間が経った頃だろう。
 そして、夢で見た父のことを思い出す。やはりまだ、顔は思い出せない。そしてもちろん、あの記憶もだ。
「罪悪感……これはなんなんだ」
「何をひとりでブツブツ言っているのですか? それより、さっきの話の続きをお願いします。話したくない内容なら、話さなくて構いませんので」
 少し考えた後、俺はどんな話をしていたのか思い出した。
「あぁ、人間が怖いって話か、まあ今は怖い理由も覚えてないし、そんなに怖くないけど……ってこれ、そんなに気になる?」
「い、いえ、気になると言うより……嬉しかったのです」
 俯きながら照れくさそうに、顔を赤くしてそう言ったエルシオは、ポカンとしている俺を見て、決まりが悪そうに続ける。
「人間が嫌いなんて言ったら、あなたは怒ったり、私に敵対意識を持ったりすると思ったのですが、実際はそうではなく、むしろ、自分と同じ境遇だと、そのようなことを言ってくれたのです。どんな事情があったかはわかりませんが、嘘でないと言うことは重々伝わってきました。あなたはわかりやすいので。人間と言うものはもっと醜く、軽蔑すべきだと思っていたのですが」
 首を傾け、短く綺麗な赤髪を揺らしたエルシオは、緩んだ笑顔でこう続けた。
「こんな人間もいるのですね!」
 目の前で照れながら、明るい笑顔でそう言い放ったエルシオはとても美しく可憐で、その首にかかったカメラで写真を撮っておきたいほどだった。
 「嫌いなものを前にそんな笑顔を向けられるのか」なんて一言を、思わず口に出しそうになる。それほど、彼女のその笑顔からは、人間への負の感情は感じられなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「父親が。殺されたんだ人間に」
 まだ仕事の途中ではあるが、俺は父親のことを話すことにした。こんな話を他の誰かにしたことがあっただろうか。いや、あるはずがない。
 人間に恐怖を抱いた俺には、いつしかそんな話をする人が周りに居なくなっていた。
「そうなのですね」
 俺の父親のことなのに、エルシオの表情からは辛さや悲しさが現れている。俺が話した内容をを聞き、自分のことのように悲しんだり、苦しんだりしてくれる。そんな経験は、生きていた時はほとんどできていなかった気がする。
「そんでもって、父さんが殺された時の記憶が無くなって、父さんの顔すら思い出せなくなってた」
「天使なら、人間の記憶の一部を消すことができるかもしれないのです。ですが、先程も伝えた通り、その魔法を使える天使を私は知らないのです。あなたの記憶を消した理由の検討もつかないのです」
「まあそうだよな。そんなことをする必要性が見当たらない」
 もし、フィロが記憶を消したのであれば、全ての辻褄が合う。しかし、問題は。
「そう。動機がないのです。そもそも、死んだ人間の記憶操作及び記憶消去は天界の法律で禁止されているのです。それができたら、他の生物に産まれ変わるときに、記憶を全て消してしまえるので。その法律があるから、その魔法の存在を知っているだけなので、そんな天使はいないと思うのですが……そんなリスクを犯してまで、天使があなたの記憶を消すとは、到底思えないのです。それに、あなたが接触した天使は」
「フィロだけ。そういうことだよな」
 なんとなく、あえて言葉にはしてこなかったが、天使が魔法で俺の記憶を消したのであれば、フィロの可能性が真っ先に疑われる。その魔法を使えるかも、動機すらもわからないが、俺が死んでからの行動から推測すると、フィロの仕業と考えるのが妥当だ。
「そんな法律があることは知らなかったが、それならなおさら、フィロには特にメリットはない」
「フィロ? エフィルロのことですか。まあ、とにかくそうですね。そもそもエフィルロがそんな強力な魔法を使えるという話を聞いたことがないのです。ベテラン天使ではあると思いますが」
 結局、結論に至らないまま時間だけが過ぎていく。そして、先に本来の目的を思い出したのは俺だった。
「やべっ。こんな話してる暇ないだろ俺たち。さっさと仕事終わらせねえと」
「それもそうなのです。さっさと終わらせちゃうのです」
 『キーンコーンカーンコーン』
 ビクッとなり赤面するエルシオの横で、今のチャイムでお昼の休憩に入った生徒たちに目を向ける。お弁当をカバンから出す生徒たちのほかに、食堂に向かうのだろうか、教室から友達と仲良く話しながら出てくる生徒たちの姿が見える。
 その中から1人の少女を見つけることは、それなりに難しいことに思えたが、1クラス30人から40人程だろう。順に潰していけば、いつかは見つけられそうだ。しかし、一向にその少女の姿は見えない。
 教室でお弁当を食べだした生徒たちは、周りの友達と談笑しながら昼休憩を取っている。そこでふと、教室に並べられた机の中で、1つの机に嫌悪感を覚える。
「なるほどな……」
「何かわかったのですか?」
 その机にはいくつかの落書きが見える、それは年頃の女の子が描く可愛げのある絵ではない。もっと醜く、酷いものだった。
「まあ、何があったか知らないが、この粉で状況が良くなるってんなら最高だな」
 背に背負った壺を撫でながら俺はそう呟く。
 「何かわかったなら教えてください」と、悔しそうなエルシオの膨れた顔はやはり可愛らしい。
 中学校時代、俺は友達がおらず孤独ではあったものの、あそこまで酷いことはされていなかった。
 なぜなら、俺は自分から周りを避けていたためできた孤独。しかし、今頃1人でランチの少女は、きっと、周りから嫌われてできてしまった孤独なのであろう。
 その教室から離れ、ターゲットを探すため歩いている間に、何やら騒がしい女子トイレを見つけた。必要のない忍び足でそのトイレに近づく。すると、少しづつ会話の内容が聞き取れてくる。
 中を覗くのは気が引けたものの、今はそんなことで躊躇している場合ではない。個室トイレの前に3人。おそらく中に1人だろうか。3人側の方が一方的に、個室の中に話しかけている。個室の方からは、すすり泣くような小さな声がこの小さな女子トイレに反響して聞こえてくる。
「あんたが悪いんでしょ? 先にこの子をいじめてたのはあんたなんだから」
「そうそう、天罰でしょ? 私があんたにされたことはこんなもんじゃないし」
「じゃあ、いくよー!」
 そう言って、最後に合図を出した女子生徒が、掃除用のホースを個室トイレの上部の隙間に向けている。
 『ピロロローン! ピーピーピー!』
 今にも水が放射されそうと言ったタイミングで、よく分からない機械音声のような音が女子トイレに鳴り響く。
「何この音? 気持ち悪」
「先生来るかも、行こ」
 割と大きめなその音によって、人が来ることを恐れた3人の女子生徒は、俺たちの横を通って教室へと戻って行った。何がともあれ、おそらくターゲットである個室の中の生徒に水がかからなかったことに安堵する俺の横で、どこから持ち出したのか杖のようなものを持つエルシオは、俺の方を見てドヤ顔をかましている。
「これが、魔法の力なのです」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「俺たちが出す音は、こっちの世界の住人には聞こえないんじゃないのかよ」
「さっきのは魔法を使った音なのです。全てがこっちの世界に影響しないのであれば、幸せの粉をかけてもなんの意味もないのです」
「なんか煽られてるようでムカつくな。まあでもそれはそうか」
 あの後、俺は恐る恐る個室から出てきた生徒とアイボーンの写真の生徒が同一人物であることを確認すると、手に持っていた粉をその生徒に振りかけた。粉は空中を少し舞った後、少しも地面に落ちることなく少女の中へ吸い込まれていった。
 一仕事を終えて、渡り廊下でエルシオが校庭で行われているサッカーの試合を見ながら「あいつだけ手を使っていのです。ズルなのです」などとブツブツ言っているのを横目に、俺は古田千恵について考えていた。
 女子トイレでの話を聞くに、彼女は元々、イジメをする側だったのだろう。今彼女が受けているようなことを、彼女は他の誰かにしていた。だが、イジメを受けていた他の誰かは、何らかの影響でイジメから解放され、次は、虐めていた人々の中心になっていた古田千恵がイジメの対象になっていた。
 『その人間にとって幸せでも、ほかの人間にとっての不幸に繋がってしまうってこと、あるでしょ? 』
 いつかのフィロの言葉が頭に浮かぶ。他の人の幸せによって不幸になってしまった人間にこの粉をかける。それが天使の仕事だ。
 これから彼女は粉の影響で虐められなくなるかもしれない。そして、幸せになるのかもしれない。ただもし、彼女が元々虐めていた生徒も、幸せの粉の影響でイジメから開放されたのだとしたら。
 今回も、次の犠牲者が生まれるだけなのかもしれない。
「あー!相手のチームにも1人手を使ってるやつがいるのです! と言うより、あれは戦いなのですよね? あんな小さいボールに攻撃するよりも、早く相手を倒すべきなのです」
「随分物騒な天使だな」
「さっきの人間も、水をかけられそうになったのですから、1回ぶん殴ってやるのがいいのです。目には目を、水には拳をなのです」
「まあ、そういうわけにも行かないんだよ。それで解決、仲直りなら、皆やってるさ。だから、人間関係は難しい」
「そうですか。 所詮人間なんて、そんなもんなんですよ」
 俺の発言の意味を理解したのか、そうでないのかはわからないが、やはりエルシオは人間に対してあまり良い印象はないようだ。冷たい声色から、そういう感情が伝わってくる。
 今日みたいな場面を幾度となく見てきたのだとしたら、そうなるのは無理もない。
 きっとこの先、何度も粉をかける度、その幸せの踏み台になる人間が幾度となく出てくるのだろう。そんな人間にこの粉をかけていくのであるとすれば、天使の仕事というのは、とても辛く大変なものなのかもしれない。
「じゃあ、もう仕事も終えたし帰ろうぜ」
 天界に帰るため、フィロに言われたアイボーンのボタンを押す。しかし、何も異変は生じない。
「ん? なんも起こんないけど」
「あぁ。そんな機能アイボーンにはありませんよ。ゲートは魔法の1種なので天使にしか使えません」
「くっそやろぉぉお!!」
 フィロの適当さに怒りのツッコミをかましつつ、ゲートを開いてそこに入ったエルシオに続き、俺もゲートへ飛び込んだ。