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第11話 パッチワーク 後編

ー/ー



 ナイリザと二人で坑道を出た。
 ヴォルグは後ろからついてきたが、坑口の手前で足を止めた。
 振り返ると、ヘッドランプの光の中で、あの巨体が妙に小さく見えた。

 ハイラックスに戻り、ドアを閉めた。

 ナイリザが先に口を開いた。

「馬鹿なやつね」

 そのとおりだと思った。
 だが、別の言葉が口から出た。

「……馬鹿じゃない」

「は?」

「正確に帳簿をつけていた。パッチワークがまずいのもわかっていたから伝票を偽装したんだろう。
 現場の裁量と自分に言い聞かせて、やれることをやったんだろう」

 ナイリザは眼鏡の奥で目を細めた。

「だから馬鹿だって言ってるのよ」

 雨季の曇天が低く垂れ込め、フロントガラスに細かい水滴がつき始めている。
 俺は無言でエンジンをかけた。

 窓の外で、捻れた灌木の列が後方へ流れていく。
 採掘サイトが見えなくなった頃には、水滴は本格的な雨に変わっていた。

 * * *

 事務所に車を戻し、ナイリザと別れて自宅に向かった。

 日本租界の東寄り、レベル1との境目に近い一帯に、駐在員用のアパートがある。
 現地様式の建物を改装したものだが、内装は原型をとどめていない。

 アパートの前に、物乞いの老人がいた。
 フードを目深に被り、顔はよく見えないが、ローブから突き出した腕は黒檀色だった。
 リュートのような楽器を抱え、爪弾きながら、低い声で何かを歌っている。
 途切れがちの幽かな声で、聞かせる気があるのか疑問だ。
 前に置かれたシロップ漬け蜜柑の空き缶にも何も入っていない。
 俺は空き缶に向けて銅貨を一枚投げ入れると、アパートの階段をのぼった。

 二階の自室の前に立ち、鍵を回してドアを開ける。
 開かない。
 疲れているのだろうか。もう一度鍵を回してドアを開けた。

 人一人立てば窮屈な三和土を上がり、
 ステンレスの流し台と二口コンロ、ユニットバスの入口との間を通ってふすまを開けると、
 六畳一間の畳敷きのワンルームだ。

 電灯をつけて室内を見渡す。
 茶色の巾木にくすんだ色の繊維壁。ちゃぶ台に万年床。

 設計者が、なぜわざわざこんな昭和の安アパート風の作りにしたのかはわからない。
 ひょっとすると、レトロ感がアダプテーションを防止するというような研究データがあるのかもしれない。

 違和感があった。

 ビジネスバッグを右手に持ったまま、もう一度ゆっくりと室内を見渡す。
 朝出た時の状況と何かが違った。
 ちゃぶ台に投げ出してあった広告チラシが微妙にそろえて置かれていた。
 布団の位置が窓際よりも手前にずれている。
 枕の向きも逆だ。

 二回、鍵を回してドアを開けたことを思い出す。
 ぞわりと背筋が震え、その場でしゃがみ込んだ。
 頭を抱えて、ゆっくりとため息を吐く。

 荒らされたわけではない。むしろ丁寧に戻してある。
 丁寧に、だが完璧ではなく。
 気づく人間には気づくように。あるいは、気づかない人間には気づかせないように。

 内ポケットに手を入れた。
 メモリカードはそこにあった。今朝、事務所に置かず、身につけて出たのは正解だった。
 直感というより、あの中身を見た後で手元から離す気になれなかっただけだが。

 狭い室内を一巡した。
 金庫は無事。というより、金庫の中には大した物が入っていない。
 ノートPCは事務所に置いてある。
 ここにある私物で価値のあるものは——ない。最初から、ないのだ。

 つまり、探していたのは私物ではない。

 メモリカードをポケットの中で指先に挟んだ。
 あのストリートチルドレンがどこから盗んできたのかは知らない。
 だが、盗まれた側が取り返しに来ている。

 どうやってここまで辿り着いたのか。
 盗賊ギルドの二人組を思い出す。
 俺の顔を食い入るように見つめていた大柄な男と、ヤシマのロゴを目ざとく見つけた細身の男。
 スリの被害者が、縄張りの主である盗賊ギルドに泣きついたのであれば、俺を特定するまでは造作もない。

 こっちも炎上か、と思った。

 パッチワークの削孔機の処分や、ヴォルグの処遇の問題もある。
 だが、もっと根本的なのは、ミスリルの減産をどうするかだ。
 今日、その目途は何一つ立たなかった。
 嫌な推理の答え合わせをしただけだ。

 そこに来て、どうやらこの厄介なメモリの問題も火を噴いたというわけだ。

 とりあえず、今日は事務所で泊まるしかない。
 この昭和レトロとどちらがセキュリティ的にマシかはかなり微妙な問題だが、
 少なくとも家探しを受けたその場所で寝る気にはなれない。

 俺は革靴を履き直し、部屋を出た。



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 ナイリザと二人で坑道を出た。
 ヴォルグは後ろからついてきたが、坑口の手前で足を止めた。
 振り返ると、ヘッドランプの光の中で、あの巨体が妙に小さく見えた。
 ハイラックスに戻り、ドアを閉めた。
 ナイリザが先に口を開いた。
「馬鹿なやつね」
 そのとおりだと思った。
 だが、別の言葉が口から出た。
「……馬鹿じゃない」
「は?」
「正確に帳簿をつけていた。パッチワークがまずいのもわかっていたから伝票を偽装したんだろう。
 現場の裁量と自分に言い聞かせて、やれることをやったんだろう」
 ナイリザは眼鏡の奥で目を細めた。
「だから馬鹿だって言ってるのよ」
 雨季の曇天が低く垂れ込め、フロントガラスに細かい水滴がつき始めている。
 俺は無言でエンジンをかけた。
 窓の外で、捻れた灌木の列が後方へ流れていく。
 採掘サイトが見えなくなった頃には、水滴は本格的な雨に変わっていた。
 * * *
 事務所に車を戻し、ナイリザと別れて自宅に向かった。
 日本租界の東寄り、レベル1との境目に近い一帯に、駐在員用のアパートがある。
 現地様式の建物を改装したものだが、内装は原型をとどめていない。
 アパートの前に、物乞いの老人がいた。
 フードを目深に被り、顔はよく見えないが、ローブから突き出した腕は黒檀色だった。
 リュートのような楽器を抱え、爪弾きながら、低い声で何かを歌っている。
 途切れがちの幽かな声で、聞かせる気があるのか疑問だ。
 前に置かれたシロップ漬け蜜柑の空き缶にも何も入っていない。
 俺は空き缶に向けて銅貨を一枚投げ入れると、アパートの階段をのぼった。
 二階の自室の前に立ち、鍵を回してドアを開ける。
 開かない。
 疲れているのだろうか。もう一度鍵を回してドアを開けた。
 人一人立てば窮屈な三和土を上がり、
 ステンレスの流し台と二口コンロ、ユニットバスの入口との間を通ってふすまを開けると、
 六畳一間の畳敷きのワンルームだ。
 電灯をつけて室内を見渡す。
 茶色の巾木にくすんだ色の繊維壁。ちゃぶ台に万年床。
 設計者が、なぜわざわざこんな昭和の安アパート風の作りにしたのかはわからない。
 ひょっとすると、レトロ感がアダプテーションを防止するというような研究データがあるのかもしれない。
 違和感があった。
 ビジネスバッグを右手に持ったまま、もう一度ゆっくりと室内を見渡す。
 朝出た時の状況と何かが違った。
 ちゃぶ台に投げ出してあった広告チラシが微妙にそろえて置かれていた。
 布団の位置が窓際よりも手前にずれている。
 枕の向きも逆だ。
 二回、鍵を回してドアを開けたことを思い出す。
 ぞわりと背筋が震え、その場でしゃがみ込んだ。
 頭を抱えて、ゆっくりとため息を吐く。
 荒らされたわけではない。むしろ丁寧に戻してある。
 丁寧に、だが完璧ではなく。
 気づく人間には気づくように。あるいは、気づかない人間には気づかせないように。
 内ポケットに手を入れた。
 メモリカードはそこにあった。今朝、事務所に置かず、身につけて出たのは正解だった。
 直感というより、あの中身を見た後で手元から離す気になれなかっただけだが。
 狭い室内を一巡した。
 金庫は無事。というより、金庫の中には大した物が入っていない。
 ノートPCは事務所に置いてある。
 ここにある私物で価値のあるものは——ない。最初から、ないのだ。
 つまり、探していたのは私物ではない。
 メモリカードをポケットの中で指先に挟んだ。
 あのストリートチルドレンがどこから盗んできたのかは知らない。
 だが、盗まれた側が取り返しに来ている。
 どうやってここまで辿り着いたのか。
 盗賊ギルドの二人組を思い出す。
 俺の顔を食い入るように見つめていた大柄な男と、ヤシマのロゴを目ざとく見つけた細身の男。
 スリの被害者が、縄張りの主である盗賊ギルドに泣きついたのであれば、俺を特定するまでは造作もない。
 こっちも炎上か、と思った。
 パッチワークの削孔機の処分や、ヴォルグの処遇の問題もある。
 だが、もっと根本的なのは、ミスリルの減産をどうするかだ。
 今日、その目途は何一つ立たなかった。
 嫌な推理の答え合わせをしただけだ。
 そこに来て、どうやらこの厄介なメモリの問題も火を噴いたというわけだ。
 とりあえず、今日は事務所で泊まるしかない。
 この昭和レトロとどちらがセキュリティ的にマシかはかなり微妙な問題だが、
 少なくとも家探しを受けたその場所で寝る気にはなれない。
 俺は革靴を履き直し、部屋を出た。