夏休みの大冒険
ー/ー リュックサックと水筒を肩にかけ、表側に、遠藤海斗って名前が書かれた『助けてカード』を首からぶら下げて、ボクはお気に入りのベイスターズの帽子をかぶって青い靴を履いた。
神奈川のお家を出発する時、ボクはわざとママの顔を見ないようにした。
マンションのエントランスを出たところで、普段なら、絶対に、お部屋の方を振り向いて、ぶんぶんと力一杯ママに手を振るのに……。
今日だってママはベランダから手を振ってくれているはずなのに……。
パパに送ってもらった東京駅は、大人の人がいっぱいで、ざわざわといういろいろな音と、いっぱいの匂いがしている。
本当なら今頃、マンションの友達と市民プールに行って、流れるプールで遊んでいるはずだった。
毎日、朝早く起きてラジオ体操して、それから明後日は仲良しのレンくんとレンくんのママと一緒に『ギャオレンジャー』の映画にだって行く約束をしていたんだ。
それなのに、ボクは今、新幹線の中で、それからザイライセンっていう電車に乗り換えて、岩手県の『トオノ』という聞いたこともない場所へ向かっている。
「海斗、ごめんな。お母さん、ちょっとお腹が苦しくなっちゃったから、入院するんだ」
「赤ちゃんが産まれるのはもうちょっと先の予定だったんだけど、本当にごめんね」
「仙台のおじいちゃんもおばあちゃんも出産予定日頃に有給休暇取ってたから、明日っからはしばらく『遠野』にお泊まりだ。パパのおじいちゃんとおばあちゃんがいるんだ。えっと、海斗のおじいちゃんのお父さんとお母さんだ、分かるか?」
「……うん、ヒーじいちゃんでしょ? 前に写真で見た事ある。ボクが赤ちゃんの時の写真」
「戻ってきたら、海斗はお兄ちゃんになってるんだからな、妹のこといっぱい可愛がってくれよ」
そう言ってパパは笑ったけれども、ボクは妹なんて、赤ちゃんなんて、……欲しくない。
そいつのせいでボクの夏休みが台無しだ。楽しい計画をいっぱい立てていたのに。
それに、……ボクは知っている。
赤ちゃんが来たら、パパもママも、ボクだけのパパやママじゃなくなるんだ。
一人でお着替えもできるし、トイレにだって行ける、ご飯もちゃんと食べられるボクよりも、泣いてばかりの赤ちゃんの方をユーセンするに違いない。
「……赤ちゃんなんて、いなきゃよかったのに」
窓の外、仙台を過ぎたあたりから景色はどんどん緑色に染まっていく。
仙台のおじいちゃんとおばあちゃんのお家は好きだ。
近くにイオンもモールもあってケンタッキーもマクドナルドもある。
ボクがお願いをしたらいつだっておじいちゃんが車でブーンとどこにだって連れて行ってくれるし、おばあちゃんは何でも買ってくれる。
夏休みが終わってから、ママが赤ちゃんを産むためにニューインする時は、おじいちゃんとおばあちゃんが新幹線でボクのお家に来てくれることになっていたんだ。ららぽーとに行く約束だってしていたんだ。……赤ちゃんのせいで台無しだ。
「……赤ちゃんなんて、いなきゃよかったのに」
ママが持たせてくれたツナマヨのおにぎりを食べて、水筒の中の麦茶を飲んだ。
去年までは甘い麦茶だったけれども、小学生になったから甘くない麦茶になった。
最初は、『うへぇ』って思ったけれども、慣れたら甘くない麦茶も悪くない。ボクは水筒の麦茶をぐいっと飲み干した。
……どうしよう。おしっこに行きたくなってきた。
パパが『新幹線には前か後ろにトイレがある』って言ってたけれども、
トイレに行って……席に戻ってこられなくなったらどうしよう。
首からぶら下げた『助けてカード』の中には、ママが書いてくれた三枚のカードが入っている。
緑色には『おトイレに連れて行ってください』と書いてある。
黄色には『乗り換えを教えてください。JR釜石線で遠野まで』これは車掌さんに見せてね、ってママが言っていた。
赤いカードは『具合が悪いです』……これは多分使わない。新幹線は車よりも揺れないから、車酔いの心配はない。
ボクは思い切って、隣の席のおじさんに緑色のカードを見せた。
ちょっとだけ仙台のおじいちゃんに似てる、眼鏡をかけたおじさんだった。
「ん? おトイレ? おお、行こう行こう。おじさんと一緒に行こうな」
トイレから帰ってくる時に、ママが赤ちゃんを産むから、パパのおじいちゃんのお家に一人で行くって話をした。
おじさんは『エライなー』と言ってボクの頭を撫でてくれた後、大きな声で周りの大人の人たちに聞いてくれた。
「どなたか新花巻駅で降りる方いませんか? できたら釜石線で遠野まで行く方〜〜、遠野のおじいちゃんの家に一人で行くらしいんです」
「あ、私、遠野です。おばあちゃんと一緒に行こうね」
緑色の服を着たおばさんが手を振ってくれた。
周りの大人の人に『ガンバッテ』とお菓子やジュースをもらって、ボクのリュックサックはパンパンになった。
おばさんは『コタニさん』という名前で、ボクと同じ年のマゴがいると言って笑った。
ボクはコタニさんと話をしながら、電車に乗って、遠野へ向かった。
朝が早かったから眠くなって、途中でちょっとだけ寝てしまった。
遠野に着く少し前にコタニさんが起こしてくれたから、助かった。
そのまま寝ていたらアメリカまで行ってしまったかもしれない。
ママの『助けてカード』は日本語で書かれているから、アメリカ人には伝わない。
遠野駅に降り立つと、もわっとした草の匂いがした。土の匂いかな? あんまり嗅いだことがない匂いだ。
「よう来たな、海斗。ありゃ小谷さんと一緒に来たんか」
ヒーじいちゃんは、古い軽トラックの横で笑っていた。
写真で見たよりも顔中がしわくちゃで、まるで干した果物みたいだった。
新幹線を降りてから電車でここまで一緒に来たコタニさんは、ヒーじいちゃんのお家のご近所さんだったらしい。
ヒーじいちゃんの家は、トトロが出てきそうな、……横に長い木の家だった。
電気はオレンジ色で、お風呂も木だった。
「もっとハイカラなオカズの方がいいと思うんだけど、ごめんねぇ。明日移動スーパーがくる日だから、海斗が好きなの買おうね」
ヒーばあちゃんが申し訳なさそうにあやまってくれた。
夜ごはんはジャガイモとニンジンと油揚げのおかずと、緑色の……、ほうれん草みたいなオヒタシとキュウリのお漬物だった。
ボクは味のついていない薄い卵焼きにお醤油をかけて、それでご飯を食べた。
本当はハンバーグとかカレーライスが食べたいけれども、言っていいのかどうか分からなかった。
夜ごはんを食べてお風呂に入ったら、まだ夜の七時なのにもっと夜みたいに真っ暗になった。
外からは『グエーグエー』みたいな音がする。
ヒーじいちゃんがカエルの鳴き声だと言ったけれども、カエルって『ゲコゲコ』じゃないの?
そんなことを考えていたらヒーばあちゃんがボクを呼びに来た。パパから電話が来たからだ。
「海斗、元気か? 遠野はどうだ?」
「どうって、……別に」
「そりゃそうか、まだ今日ついたばっかりだもんな」
「うん……ママは……。……ううん、なんでもない」
「そうだ、海斗。パパは昔、そこで近所のおじさんと一緒に河童を探したんだよ。結局会えなかったけど、でも遠野にはきっと何かがいると思うんだよ。海斗、パパの代わりに河童を探してくれないか?」
「……カッパなんて、いるわけないよ。子供だましだもん」
図鑑で見たから知っている。カッパは緑色で、頭にお皿があって、背中に亀みたいなコウラ、指には水かきがある。頭のお皿の水がなくなると力が出なくなって死んじゃう、ソーゾージョーの生き物だって。
ソーゾージョーっていうのは実際にはいないってことだもん。
ボクはパパのオネガイを断って電話を切った。『グエーグエー』というカエルの鳴き声を聞きながらヒーおじいちゃんのお家のお布団でねむった。ちょっとだけ、ちょっぴりだけ涙が出た。……ママに会いたい。
翌朝ボクは『ホーホー、ホッホー』『チュンチュンチュン』という音で目が覚めた。
ヒーじいちゃんが庭で体操をしていたから、ボクも少しだけ真似をした。
ラジオ体操ではなくて、なんかヘンテコな体操だった。
朝ごはんはおにぎりとお味噌汁だった。
ボクが一番好きなのはツナマヨのおにぎりだけれども、ヒーばあちゃんが握ってくれたシャケのおにぎりも美味しかった。
……退屈だ。早起きをしてしまったから余計に退屈だった。
「ちょっと出かけてくる」
昼ごはんを食べた後、ボクはベイスターズの帽子をかぶって、青い靴を履いた。
昨日コタニさんがボクと同じ年のマゴがいるって言っていた。子供に会えたら一緒に遊べるんじゃないかって思ったんだ。
麦わら帽子をかぶって庭で草むしりをしているヒーじいちゃんに声をかける。
「おー、気ぃつけてな、向こうに小学校あっから子供たちもいっぺーいんべ。もし帰りの道が分かんなくなったら、遠藤のじいちゃんチって言ったら、誰でも連れてきてくれっぺから」
ヒーじいちゃんが指差した方向に歩いていると、川の近くにおじいさんがいた。
麦わら帽子をかぶって、白いランニングシャツに、薄茶色の半ズボン、黒いサンダル。
あのサンダルは知っている。パパも履いているケロックスってやつだ。
おじいさんは多分釣りをしているんだと思うけれども、竹竿の先にぶら下がっているのは丸ごと一本の『キュウリ』だった。
それで、川をジィーーーっと見ている。
前にパパと釣りに行った時は、針の先に『ミミズ』をつけたんだ。
ママはそれを見て『うへぇ』ってイヤな顔をしていた。
でもボクがイワナを釣ったらパパもママもいっぱいほめてくれた。
そのお魚をママが焼いてみんなで食べたんだ。美味しくて嬉しかった。
「……おじいさん何してるの?」
思わず声をかけると、おじいさんは「しっ!」と指を口に当てた。
「河童を釣るんだよ。今日は一番いいキュウリが獲れたからな」
カッパ? このおじいさんが昨日の夜パパが言っていた『カッパのおじさん』なのかな?
おじさんっていうか、おじいさんみたいだけど。
「カッパってソーゾージョーの生き物なんでしょ?」
ボクがそう言うとおじいさんはカッパに会った時の話を聞かせてくれた。
子供の頃にこの川で溺れかけた時、緑色の手にぐいっと背中を押されて、それで助かったんだって。
「どうしても一言、お礼が言いたいんだ。ずっと、もう何十年も探してるんだが、なかなか会えなくてな」
やっぱりこのおじいさんが、パパが子供の頃に会ったカッパおじさんだ。
昨日の夜、パパは『パパの代わりにカッパを探して欲しい』って言っていた。
ボクはおじいさんからキュウリを一本もらって、木の枝にくくりつけて、また小学校までの道を歩き始めた。
「おい、お前! 見ない顔だな! どこのやつだ」
突然、背中の方から大きな声がした。
振り返ると、そこには真っ黒に日焼けした、大きい……上級生の男の子が立っていた。
「……カイト」
知らない子の勢いに押されて、ボクは名前しか言えなかった。
「カイトか。オレは健太、小学五年生だ。んでこっちがオレの弟で健二小学一年生だ」
ケンタくんの後ろに隠れるみたいにしているケンジと目があった。ボクと同じ年だ。
ケンジはケンタくんのミニチュア版みたいにそっくりだった。
「ボクも小学一年生。神奈川からヒーじいちゃんのお家に来たんだ。『遠藤のじいちゃん』って知ってる?」
「へー、都会っ子だな。『遠藤のじいちゃん』分かるぞ、あ、俺は武、ケンタと同じ五年生だ」
ドラえもんに出てくるジャイアンみたいな体型の男の子がタケシという名前だったのでちょっとびっくりした。
「僕は一馬、小学三年生。キュウリを持ってるってことは河童探しているんだろ? 都会には河童はいないだろうけど、ここにはいるよ。僕の図鑑にも載ってる」
「俺はキュウリよりもトウモロコシの方が好きだけどな、ほら、葵も挨拶しろ。こいつも一年、小谷葵。紅一点ってやつだ」
コウイッテンってなんだろう。タケシくんがトウモロコシをかじりながら、アオイちゃんという子の背中を押す。
「私の名前はコタニアオイ。カイト昨日おばあちゃんに聞いたわ。一緒に遊んであげてもいーわよ」
きっとこの子が、あのコタニさんのマゴだ。アオイちゃんって電車の中でコタニさんも言ってた。
そのまま五人で川のジョーリューの方へ行って、カッパを探したけれども、カッパは見つからなかった。
夕焼けで空が真っ赤になって、ケンタくんとケンジにヒーじいちゃんの家に送ってもらった。明日も明後日も一緒に遊ぶ約束をした。
その日の夜ごはんは、お湯でグツグツするハンバーグだった。
ヒーばあちゃんは『こんなハイカラなご飯初めて作った』と笑った。
ママのハンバーグが一番美味しいけど、このハンバーグも美味しかった。
ボクはご飯を二回お代わりした。ヒーじいちゃんは「いっぺー食ったら、すーぐお父さんより大きくなるな』とボクの頭を撫でた。
次の日は朝早くからケンタくんが迎えに来てくれて、クワガタを捕った。
ケンタくんが『夕べのうちに仕掛けといたから』と言っていて、見たことがないくらいたくさんのクワガタが捕れた。
ケンジが転んで、ケンタくんは『バカだなぁ』って言いながら、洋服をパンパンって叩いて泥を落とした。
その次の日は水遊びをすると言われて、市民プールに行くのかと思っていたら、川だった。
カリューの方なら危なくないからって、みんなでザブンと飛び込んだ、水がキンキンに冷えていて、心臓が止まるみたいだったけれども、楽しくて楽しくて何回も飛び込んだ。
カズマくんのお母さんが梅干しのおにぎりと豚汁を持ってきてくれて、河原の岩に座ってみんなで一緒に食べた。
神奈川にいる時、パパが梅干しのおにぎりを食べていたけれどもボクは酸っぱくて食べられなかった。
でもみんなが美味しそうに食べているのを見て思い切ってかじってみたら、すごく美味しかった。ボクこれ好きだ。豚汁も美味しかった。
次の日はタケシくんが大きなスイカを持ってきて、川で冷やしたらスイカ割りするぞ、と言った。
丸ごとのスイカはスーパーで見たことはあったけれども、ママは『三人じゃ食べきれないから』って言って、いつもパックに入ったカットされたスイカを買っていたから、ボクにとってスイカは赤くて、中に黒いタネがある果物ってイメージだった。タケシくんが持ってきたスイカは緑色に黒のシマシマ模様でツヤツヤしてる、スーパーで見たスイカよりもずっと大きい。
目隠しをしてぐるぐる回った後、こっちこっちという声の方に歩いて行ってスイカを割るゲーム。これも初めてだ。
小さい順って言われて、ケンジ、ボク、アオイちゃん、カズマくんと順番にやったけれどもスイカは割れなかった。
ケンタくんとタケシくんはお誕生日が一緒だからジャンケンをして、先にケンタくんがチョーセンした。
ボガッと大きな音がして、真っ赤な中身が見えた。
ボクがよく知っている赤くて、中に黒いタネがあるスイカだ。
でも食べてみたらいつものスイカとは違う味がした。
甘くってミツみたいで、汁がじゅるじゅるで、冷たくって、今まで食べたスイカの中で一番美味しかった。
次の日、待ち合わせ場所に行ったら、ケンタくんはいたけれどもケンジはいなかった。
どうしたのかケンタくんに聞いたら、『お熱が出た』って教えてくれた。
ボクも前にお熱が出た時は苦しくってこのまま死んじゃうかもって思ったんだ。
ママの手が冷たくて、おでこやほっぺを撫でてもらいながら寝たら、次の日にはお熱はなくなっていた。
ケンジも早く良くなるといいなぁ。
タケシくんが赤やオレンジ、黄色、緑色、紫色のゼリーをいっぱい持ってきて、一人二個ずつくれた。
ケンタくんは「やりぃ、このゼリーすげー好き。オレの大好物。すげーうまいんだ」と言った。
ボクたちはみんなでそのうまいゼリーを食べた。本当に美味しかった。
ボクは赤と紫、ストロベリーとグレープのを食べた。
青リンゴ味のゼリーを食べた後、ケンタくんが急に『一回、家に帰るわ。また後で来っから』と言った。
どうして、って聞いたら、『健二にゼリー届けてやる、ったくめんどくせーぜ』って言いながらケンタくんはちっともイヤそうじゃなかった。『オレは兄貴だからな、弟が弱ってるときは守ってやらねーと』と言って三個のゼリーを持って走って行ってしまった。
その後、タケシくんが『あ、俺もちょっと家に行ってくる。ここで待ってて。もう少しおやつ持ってくる、確かドーナツがあるんだ』って言って家に帰った。
ボクとアオイちゃんとカズマくんの三人で遊んでいたら、川の石がぬるっとしてアオイちゃんが転んだ。
ボクはすごくびっくりしたけど、『深いところじゃなかったから大丈夫』ってアオイちゃんは平気そうに言った。
でも膝のところの皮がめくれて血がじわっとなっていた。
痛そう、どうしたらいいんだろう。こんな時、ケンタくんやタケシくんがいてくれたら……。
大きいお友達がいない時に、こんなことが起こっちゃってどうしたらいいのか分からなかった。
ボクとカズマくんが、アオイちゃんの周りでオロオロしていたら、『葵っ、どーした? 転んだのか?』って遠くから低い声が聞こえた。
「お兄ちゃんっ!! うわ〜ん、痛いよぉ、お洋服びちゃびちゃなの、お膝から血が出てるの」
さっきまで大丈夫って言っていたアオイちゃんがわんわん泣き出した。
カズマくんが、その大きなお兄さんに「良一くん、葵ちゃんが、転んじゃったんだ」と言った。
アオイちゃんのお兄ちゃんはリョーイチくんっていうのか。
「一馬、ありがとな。大丈夫だから。ほら、葵、おんぶしてやるから」
リョーイチくんがアオイちゃんの前に膝をついて背中を向けて両手を羽根みたいに広げた。
アオイちゃんは赤ちゃんみたいにいっぱい泣きながらリョーイチくんにおんぶされた。
「見かけない子だな、どこの子?」
リョーイチくんがボクを見て言った。
「カイトです。遠藤のおじいちゃんチに泊りに来てて」
「そっかそっか。葵と遊んでくれてありがとな」
リョーイチくんはそう言ってボクの頭を撫でてくれた。パパみたいな大きな手だった。
「良一くんはもう中学生なんだよ」
アオイちゃんをおんぶしたリョーイチくんが帰った後、カズマくんが言った。
「僕もあんなお兄ちゃんが欲しかった。なんでも知ってるし、お相撲も健太くんや武くんよりも強いし、走るのも早い。泳ぐのも上手なんだよ」
アオイちゃんは、転んで血が出ても泣かなかったのに、お兄ちゃんの顔を見たらいっぱい泣いていた。
おんぶされた後もずっと泣いていた。もう血は止まっていたのに。
でもリョーイチくんはちっとも怒らなかった。『よしよし、痛かったな』って言っていた。
ケンタくんは大好物なのに、自分の分のゼリーを一個ケンジに持って帰った。
ケンジのゼリーが二個で、ケンタくんの一個と合わせて三個だ。一タス二は三だから。
ケンタくんの方がケンジよりも大きいのに。『兄貴だから、守ってやらねーと』って言っていた。
兄貴って、お兄ちゃんって……。
昨日、ママが赤ちゃんを産んだからボクはお兄ちゃんになった。
パパが電話で教えてくれた。
予定より少し早く生まれたボクの妹は少しの間だけホイクキに入ってニューインするらしい。
……妹は弱ってるのかな、守ってあげないといけない、の、かな……。
夏休みが終わる数日前。ヒーじいちゃんが大切に育てた「一番生りのキュウリ」を持って、みんなで川へ向かった。
カッパのおじいちゃんは、相変わらず釣竿の先に丸ごとのキュウリをぶら下げている。
「河童じいちゃんの代わりに、オレたちが河童を見つけてやるぞ」
ケンタくんの号令で、ボクたち六人は川辺の茂みに隠れた。
じりじりと太陽が照りつける。セミの声がうるさいぐらいに鳴り響く。
どれくらい経っただろう。
ふっと、風が止まった。
水の中で気持ち良さそうに泳いでいたボクたちのキュウリが、不自然に『ぐいっ』と水中に引き込まれた。
「あ……!」
ボクは息を呑んだ。
水しぶきの向こうに、緑色の、濡れた何かが光ったような気がした。
頭のお皿のようなものを乗せている、つるりとした頭。
「カッパだ!」
誰かが叫んだ瞬間、その影は川の中へと消えていった。
急いで草むらから出て川辺に走っていくと、
かじられたキュウリの代わりに、手のひらに収まるくらいの、透き通った青い石がキラキラと光っていた。
まるでお礼のシルシみたいに。
カッパのおじいさんにギザギザの歯でかじられたみたいな半分のキュウリと、青い石を見せた。
おじいさんはびっくりしたみたいな顔をした後『ワシの宝物だ』って言って、ポケットの中から青い石を出して見せてくれた。
子供の頃、川で溺れかけたのを助けてもらった後、おじいさんのお母さんが川にキュウリをオソナエしたら、そのザルの中に青い石が置いてあったんだって。おじいさんの青い石と今日ボクが拾った青い石は、ケンタくんとケンジみたいにそっくりだった。
ボクはその青い石をおじいさんにあげようとしたんだけど、おじいさんは首を横に振って笑った後に、ボクのポケットにその青い石を入れた。みんなも頷きながら笑っていた。
パパがお迎えに来てくれた日、ボクは青い石を見せながら夢中でカッパの話をした。
この話は、電話じゃなく直接話したかったんだ。パパはボクを膝に抱いたまま、うんうんって聞いてくれた。
「海斗、大きくなったなぁ、なんだか重くなった気がする。それに日に焼けて、ちょっと逞しくなった気がするな」
ボクがパパと一緒にお家に帰る時、みんなが、遠野の駅まで見送りに来てくれた。
「海斗! また来いよ!」
「次は妹も連れてこいよな!」
「今度こそ一緒に河童を捕まえよう」
「私の持ってるお人形で妹ちゃんと遊んであげる」
手を振りながら、ボクはポケットの中の「青い石」を強く握りしめた。──絶対に来るよ。
新幹線に乗り換える時、パパがホームでお弁当を買ってくれた。
そのお弁当のご飯のど真ん中の梅干しを食べたら、パパが目を丸くした。
「海斗、梅干し食べられるのか?」って。
「当たり前じゃん」ボクはそう言った。ボクはもうお兄ちゃんなんだから。
新幹線は、仙台を過ぎ、緑色の景色がビル群に変わっていく。
そのままお家には帰らず、赤ちゃんの入院している病院へ迎えに行った。
今日赤ちゃんはようやく退院するらしい。
真っ白で大きな病院。
少しだけ緊張しながらエレベーターに乗って、六階に着くとパパが「あっちの談話室にママがいるよ」って指を差した。
待ちきれなくて思わず急ぎ足になった。病院だから走っちゃダメだけど、そのダンワシツっていう場所のドアを開けると、
ピンクのバスタオルに包まれた小さな、本当に小さな塊をママが抱っこしていた。
赤ちゃんの顔はくしゃくしゃのシワシワで、遠野のヒーじいちゃんに少し似ていた。
ボクはそっと、赤ちゃんの小さな手に触れた。
柔らかくて、温かい……ボクの妹。
「……兄ちゃんが、守ってあげるからな」
ボクの言葉を聞いて、赤ちゃんがふにゃりと笑った気がした。
「これはお兄ちゃんがカッパからもらった宝物なんだよ」
ボクは遠野の空みたいな青い石をポケットから出して、陽に透かして見せた。
もちろん、赤ちゃんにはまだ分からないだろうけれども。
ママが赤ちゃんをパパに預けて、
少しだけ泣きそうな顔をして、「ありがとう、海斗お兄ちゃん。……一人で、頑張ったね」と言ってボクを抱きしめてくれた。
ママの匂いはいつもの優しい匂いだ。
少し日焼けして強くなったボクをママは『今までと違う』って感じているに違いない。
神奈川の空も遠野の空みたいに青い。
真っ青な空に真っ白な入道雲がどこまでも高く広がっている。
お家に帰ったら遠野でのこと、それから今日のことを絵日記に描こう。
今日はボクが本物のお兄ちゃんになった日だ。
──新しい家族を迎えたボクの夏は、ここからが本番だ。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
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