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カミサマ

ー/ー



 もう随分と昔、昭和の始めの頃。
 わたしの育った山間部の農村にはいくつかの決まり事が存在した。
 
 それは例えば田植えの時期であったり、禁猟期の話であったり、村の規律や住人の安全を考えたものが大半。
 ただ中には子供心には不思議な決まりもいくつかあって、その一つが『夏も盛りの八月、夜の月が半月から満月を経てまた半月に戻るまでの間は北の山へ立ち入ってはいけない』といったもの。

 とはいえ、煩わしい大人達の視線が届かない北の山は村の子供達にとって格好の遊び場であり、決まりを破ってこっ酷く怒られる子供は少なくなかった。

 今でもはっきりと覚えている。
 十歳を迎えた年の真夏のことだ。
 当時同世代のガキ大将だった、ヒデオという男の子が北の山へ行こうと言い出した。
 
 けれどその日は禁足期の真っ只中であり、大人達に知られれば叱られるのは間違いない。
 わたしと友人の女の子は嫌がり残ることにしたが、他の子は「大人には言うなよ」と口止めをして北の山へ向かった。

 残った三人でままごとをしたり花を探したり笹舟を流してみたり、そんな遊びをしているうちに陽が暮れ始める。
 街灯なんかまだ碌に無い時代であるから、太陽が山に隠れてしまえば夜の帳が下りるまではあっと言う間。
 私と友人は、山へ向かった彼らが戻ってくるのは待たず家へ帰ることにした。

 帰宅してから祖母の夕飯の支度を手伝い始め、そのうち幼い弟を寝かしつけた母も土間へ姿を見せる。
 それからまたしばらくして、いつもより遅れて畑仕事から帰って来た祖父と父は酷く厳しい表情をしていた。
 そして祖父はこちらを見るなり開口一番に、

「おめ、ヒデオを知らんか?」

 そう尋ねてくる。
 どうもヒデオがまだ家に帰っていないらしい。一緒にいた筈の子供達に聞いても「遊んでいたら突然いなくなった」の一点張り。

 少し迷った後で、ヒデオが他の子供達を連れて北の山に向かったことを明かした。
 祖父と父は大きく溜息を吐くと「先ん飯食っとけ」と言って、提灯を手に踵を返し家を出ていく。
 
 二人が帰って来るまで起きて待とうとしたが、わたしは睡魔に耐え切れず眠ってしまった。

 そして翌日、陽が昇る前のまだ薄暗い早朝に叩き起こされ、寝惚け眼で居間へ顔を出すと、白い法被を羽織った祖父母と父がやけにピリピリとした様子で待っていた。

 白い法被を着せられ家を出る。
 生温い風の吹き抜けるあぜ道に集まっていたのは、自分達と同じように白い法被を羽織った村の人達。

 昨日遊んでいた二人の友人や、ヒデオと一緒に山へいった子供達の姿もあった。

 少しづつ明るくなり始める空の下で神輿を先頭に行列を成す白い法被。
 祖母に手を引かれてその行列に混ざり、何処へ向かうのかも分からぬまま歩いてゆく。

「何で今日はお祭りなの?」

 毎年、秋口に行われる祭りにはまだ時期が早い。

 思わずそう尋ねると、祖母は悲しそうな表情で、

「新しい神様を迎える祭りだ」

 と答えすぐに押し黙った。
 わたしも、それ以上何か聞いてはいけないような気がして押し黙る。

 たくさんの村中の人達が集まっているのに、行列は気味が悪いほどに静まり返っていた。

 やがて北の山の裾に建つ小さな納屋へ神輿が運び込まれ、神社の管理をしている老爺が何やら祈祷を捧げたところで行列は解散となる。
 皆、静まり返ったまま各々の帰路についた。

「家の戸は開けん」

 家へ帰ると祖父がそう言って、家の戸という戸を閉め切る。
 光源は居間の机に立てられた蠟燭と、戸の僅かな隙間から漏れる光だけ。
 
 薄暗く静まり返った居間。で
 朝に起こされたこともあり眠気に襲われ、わたしはウトウトと舟をこいでいた。
 そのうち弟の泣き声に目が覚め、泣き止めばまた睡魔に襲われ、そんなことを繰り返しているうちに、

「おーい、誰かー」

 家の外からそんな声が聞こえてくる。
 
 間違いない、聞き覚えのあるヒデオの声だった。

「今、ヒデオん声が」

「気にするな」

 机の前で胡坐を掻いた祖父は、目を瞑り微動だにしないままそう答える。

 戸の隙間からは明るい光が差し込んでおり、外はまだ昼間だということが分かった。

「…おーい、誰かいねぇんかー」

 村の中を歩き回っているのか、声は遠くなったり近くなったりしながら響き続ける。
 それ以外に聞こえるのは虫と鳥の鳴き声だけ。

 戸を締め切って風が入らず、蒸し暑くこもった居間。
 暑さのせいか、異様な雰囲気のせいか、ジットリと汗が滲む。

 息詰まるような時間が続き、何刻かが経った頃、ビデオの声は少しづつ遠ざかってゆき何処かへ消え去った。

 少しして祖父が家の戸を開き村にも人の気配が戻ったのは、太陽が沈み始め夕方に差し掛かるかといった頃。
 何事もなかったかのように、いつも通りの生活が再開される。
 
 先程声を上げていた筈のヒデオの姿はなく、その行方は結局分からず仕舞いのまま。
 葬儀が行われることもなく、その話に触れる人間は誰もいなかった。

 やがてわたしは十七で山の下の港町へ嫁ぐことなり村を離れ、戦争が起こり、そして高度経済成長期を終えた頃。
 村は人口流出の末に廃村となった。
 
 今では地図にも名前は残っていない。


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 もう随分と昔、昭和の始めの頃。 わたしの育った山間部の農村にはいくつかの決まり事が存在した。
 それは例えば田植えの時期であったり、禁猟期の話であったり、村の規律や住人の安全を考えたものが大半。
 ただ中には子供心には不思議な決まりもいくつかあって、その一つが『夏も盛りの八月、夜の月が半月から満月を経てまた半月に戻るまでの間は北の山へ立ち入ってはいけない』といったもの。
 とはいえ、煩わしい大人達の視線が届かない北の山は村の子供達にとって格好の遊び場であり、決まりを破ってこっ酷く怒られる子供は少なくなかった。
 今でもはっきりと覚えている。
 十歳を迎えた年の真夏のことだ。
 当時同世代のガキ大将だった、ヒデオという男の子が北の山へ行こうと言い出した。
 けれどその日は禁足期の真っ只中であり、大人達に知られれば叱られるのは間違いない。
 わたしと友人の女の子は嫌がり残ることにしたが、他の子は「大人には言うなよ」と口止めをして北の山へ向かった。
 残った三人でままごとをしたり花を探したり笹舟を流してみたり、そんな遊びをしているうちに陽が暮れ始める。
 街灯なんかまだ碌に無い時代であるから、太陽が山に隠れてしまえば夜の帳が下りるまではあっと言う間。
 私と友人は、山へ向かった彼らが戻ってくるのは待たず家へ帰ることにした。
 帰宅してから祖母の夕飯の支度を手伝い始め、そのうち幼い弟を寝かしつけた母も土間へ姿を見せる。
 それからまたしばらくして、いつもより遅れて畑仕事から帰って来た祖父と父は酷く厳しい表情をしていた。
 そして祖父はこちらを見るなり開口一番に、
「おめ、ヒデオを知らんか?」
 そう尋ねてくる。
 どうもヒデオがまだ家に帰っていないらしい。一緒にいた筈の子供達に聞いても「遊んでいたら突然いなくなった」の一点張り。
 少し迷った後で、ヒデオが他の子供達を連れて北の山に向かったことを明かした。
 祖父と父は大きく溜息を吐くと「先ん飯食っとけ」と言って、提灯を手に踵を返し家を出ていく。
 二人が帰って来るまで起きて待とうとしたが、わたしは睡魔に耐え切れず眠ってしまった。
 そして翌日、陽が昇る前のまだ薄暗い早朝に叩き起こされ、寝惚け眼で居間へ顔を出すと、白い法被を羽織った祖父母と父がやけにピリピリとした様子で待っていた。
 白い法被を着せられ家を出る。
 生温い風の吹き抜けるあぜ道に集まっていたのは、自分達と同じように白い法被を羽織った村の人達。
 昨日遊んでいた二人の友人や、ヒデオと一緒に山へいった子供達の姿もあった。
 少しづつ明るくなり始める空の下で神輿を先頭に行列を成す白い法被。
 祖母に手を引かれてその行列に混ざり、何処へ向かうのかも分からぬまま歩いてゆく。
「何で今日はお祭りなの?」
 毎年、秋口に行われる祭りにはまだ時期が早い。
 思わずそう尋ねると、祖母は悲しそうな表情で、
「新しい神様を迎える祭りだ」
 と答えすぐに押し黙った。
 わたしも、それ以上何か聞いてはいけないような気がして押し黙る。
 たくさんの村中の人達が集まっているのに、行列は気味が悪いほどに静まり返っていた。
 やがて北の山の裾に建つ小さな納屋へ神輿が運び込まれ、神社の管理をしている老爺が何やら祈祷を捧げたところで行列は解散となる。
 皆、静まり返ったまま各々の帰路についた。
「家の戸は開けん」
 家へ帰ると祖父がそう言って、家の戸という戸を閉め切る。
 光源は居間の机に立てられた蠟燭と、戸の僅かな隙間から漏れる光だけ。
 薄暗く静まり返った居間。で
 朝に起こされたこともあり眠気に襲われ、わたしはウトウトと舟をこいでいた。
 そのうち弟の泣き声に目が覚め、泣き止めばまた睡魔に襲われ、そんなことを繰り返しているうちに、
「おーい、誰かー」
 家の外からそんな声が聞こえてくる。
 間違いない、聞き覚えのあるヒデオの声だった。
「今、ヒデオん声が」
「気にするな」
 机の前で胡坐を掻いた祖父は、目を瞑り微動だにしないままそう答える。
 戸の隙間からは明るい光が差し込んでおり、外はまだ昼間だということが分かった。
「…おーい、誰かいねぇんかー」
 村の中を歩き回っているのか、声は遠くなったり近くなったりしながら響き続ける。
 それ以外に聞こえるのは虫と鳥の鳴き声だけ。
 戸を締め切って風が入らず、蒸し暑くこもった居間。
 暑さのせいか、異様な雰囲気のせいか、ジットリと汗が滲む。
 息詰まるような時間が続き、何刻かが経った頃、ビデオの声は少しづつ遠ざかってゆき何処かへ消え去った。
 少しして祖父が家の戸を開き村にも人の気配が戻ったのは、太陽が沈み始め夕方に差し掛かるかといった頃。
 何事もなかったかのように、いつも通りの生活が再開される。
 先程声を上げていた筈のヒデオの姿はなく、その行方は結局分からず仕舞いのまま。
 葬儀が行われることもなく、その話に触れる人間は誰もいなかった。
 やがてわたしは十七で山の下の港町へ嫁ぐことなり村を離れ、戦争が起こり、そして高度経済成長期を終えた頃。
 村は人口流出の末に廃村となった。
 今では地図にも名前は残っていない。