表示設定
表示設定
目次 目次




世界が失われる時

ー/ー



 中央広場は、ゆるやかな起伏のある芝生の広場。ぽつぽつ植えられたケヤキやシラカシがアクセントを作っている。お花見広場より人が少なく、落ち着いた雰囲気だ。
 遊歩道のそばで、野球のバッティング練習をしている親子がいる。父親が放ったボールを幼い男の子が打ち返すと、ぽこんと間のびした音がして、ピンクのボールが青空に弧を描いた。
 シジュウカラの声がする道を歩きながら、真一は腕時計を確かめた。もう三時半近い。思いのほか、時間が経つのが早かった。ホテル時代の先輩との約束があるから、仲間たちのところへ戻っても長くは話せない。
 前を歩く老夫婦が、右手の切土斜面を見上げている。一面にスミレが咲き渡り、崖の花畑のようだ。反対の広場に目を移すと、四阿のそばでレンギョウやユキヤナギがまぶしい。少し離れたところではコブシも咲いている。通常、コブシは桜の開花を待たずに散ってしまうが、年によっては一緒に咲いていることもある。今年はそういう年らしい。
 春の色に目を奪われているうち、集いの広場に戻ってきた。
 すでに山の影が広場全体をおおい、花見客が半減している。
 仲間たちのシートは奥のほう。ブルーシートを何枚も敷いているので、遠くからでもよく目立つ。
 桜の枝間に、その場所が見えてきた。いくつかに分かれたグループがのんびり談笑している。岡崎たちの姿もある。真一は、遊歩道から広場へ踏み出そうとする。
「違う……」
 あらゆるものが自分の知らない色に染まっていた。仲間たちも、背後の桜並木も、山の斜面も、穏やかに吹く春の風でさえ……。
 目に見える色ではない。雰囲気、感情とも言えるなにか。
 初めて見た景色だった。
 世界は、かつてないよそよそしい顔つきで、目の前に立ち現れていた。
 異質で異様で噛み合わない。
 ひとつの共通点もない。
 自分とは。
「なにしてるんです、そんなところに突っ立って」
 すぐそばで声がした。振り返ると、コンビニのレジ袋を持った益田が、不思議そうな顔で見つめていた。
「あ、いや……」
 口ごもる真一に、益田はさらに怪訝そうな顔をする。が、ふくれ上がった袋を持ち上げ、
「色々買ってきたんで」
 シートを指さした。一緒に食べようということらしい。
 確かに、昼食時からだいぶ経っている。みんな小腹がすいたのだろう。

 二十分くらいでシートをあとにした。到着したときと同様、別れ際の仲間たちの態度もあっさりしたものだった。
 遊歩道の人影はまばら。陽射しの届かなくなった桜並木が、ほんのり花明かりを放っている。
 歩きながら、さっきの出来事を振り返る。
 あの瞬間、目に映ったすべてのものが、うっすら磁気のようなものを帯びている気がした。近づこうとしても、それらはさっと向きを変え、かすりもせずに自分は脇を通り過ぎてしまう。ある程度、接近できても、一定の間合いに入ることはできない。強引に踏み込もうとすれば、見えない反発力によって弾かれてしまう……。
 むろん、荒唐無稽な思い込みにすぎない。現実には、あり得ないことだ。
 だが、理性で否定できても、感情的には納得できなかった。
 目の前の世界と自分は、決して交わることがない。
 そんな直感が頭を強く支配していた。
「シン」
 不意に背後から声がかかった。足を止めて振り返ると、モッズパーカーを着た長身の若者が後ろに近づいていた。
「久寿彦。どうしたんだ、こんなに早く」
「俺もこれから用事があるんだ」
「用事って、店のか」
「いや、私用」
 隣に並んだところで、真一は歩き出す。
「岡崎たちは、店が始まる時間までシートで時間潰すって?」
「そう言ってたな」
 店は夕方から通常営業に戻る。六時までに行けばいいそうだ。
「お前の後輩たちは?」
 松浦の仲間の宇和島たちは、久寿彦の後輩でもある。ただ、今日のメンバーで高校時代つき合いがあったのは、宇和島、稲城、岩見沢の三人だけ。高萩さんと大月さんという女の子ふたりとは、初めて話したらしい。
「あいつらは、夜桜を見て帰るってさ。西の山の展望台に上るらしい」
「ああ、あそこね」
 さっき行った展望台だ。夜桜も有名な蓬莱公園だが、展望台はとっておきの夜桜見物のスポット。池をめぐる桜並木を、一望に収めることができる。すっかり暗くなった六時半以降が見頃らしい。日中、赤みを帯びていた桜並木も、夜には純白に染まる。暗闇に浮かぶ細やかな花びらは、無数の星屑のよう。水面に花影が映り込むことによって、輝きがいや増す。それは、宇宙の高みから銀河を眺め下ろすかのような壮麗な光景だそうだ。
「ふうん、俺も見たかったな、夜桜」
「あれ、見たことない?」
 久寿彦は意外そうな顔でたずねた。
「実は、ね」
 この街に暮らして五年も経つのに、我ながら不思議に思う。蓬莱公園の夜桜は常々見たいと思っているのだが、いつでも見に行けると思うと、かえって見に行かなくなってしまうのかもしれない。東京の人が、必ずしも東京タワーに行きたいとは思わないのと同じ心理だ。
「でも、予定があるならしかたないか。明日にでも来れば?」
「いやいや」
 さすがにそれは面倒くさい。苦笑いしながら手を振った。
「まあ、ひとりで来ても面白くないか」
 久寿彦も同調して笑った。
 久寿彦も公園下のレストランで働いていたときの仲間だ。今日集まったメンバーの中では、唯一の同い年。店ではバイトリーダーという肩書きで通っているが、厨房に入ることもあって、一般のバイトとは扱いが違う。今日はあまり話す機会がなかったが、それは久寿彦が久しぶりに会った後輩たちとの会話を優先したからだ。
 やがて、ひときわ華やかな一角が近づいてきた。第二広場の斜交いに開けた待合広場。人々が集まる小広い空間に、ペンキをぶちまけたみたいに春の色が氾濫している。中央のツツジにこそ花はないが、広場の外周に沿って、レンギョウ、モクレン、ハクモクレン、ツバキなどが妍を競い、鮮やかな色彩が目に痛いほど。
 久寿彦が足を止めて振り返る。
「ウチに寄っていくか? 俺も少し時間があるから」
 まっすぐ帰るつもりなら、久寿彦とはここでお別れだ。久寿彦の家は、公園下のレストランと同じ方角にある。待合広場から東に進んで森の坂道を下ると、公園の第二駐車場に出るが、そこからさらに歩いたところ。
 真一は腕時計に目をやる。ホテル時代の先輩と約束した時間まで十分ゆとりがある。
 だが、帰ることにした。アパートに帰って色々やることがある。
「今日はいいや。また今度」
 久寿彦は黙ってうなずいた。だが、すぐに別れを告げず、後ろ向きに歩きながら、真一と会話を続ける。
 遊歩道から少しそれたところで、ふと足が止まった。桜の花がなくなったその場所で、久寿彦は空を見上げている。
「もう青春時代も終わりかなあ……」
 それは、誰に向けられた言葉でもなかった。あたかも、空に言わされてしまった、という感じだった。
「はあ?」
 脈絡のない言葉に、真一は片眉を吊り上げる。
「……いや、なんとなく」
 バツが悪そうにそっぽを向く久寿彦。だが、真一に問い詰めるつもりはない。どうせ大した意味などないだろう。花見の疲れが、今頃出てきたのかもしれない。
「フッ、じゃあ、またな」
 軽く手を挙げて、歩みの速度を上げた。
 じゃ、とやっぱり決まり悪そうな声が背中に届いた。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 渡り鳥


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 中央広場は、ゆるやかな起伏のある芝生の広場。ぽつぽつ植えられたケヤキやシラカシがアクセントを作っている。お花見広場より人が少なく、落ち着いた雰囲気だ。
 遊歩道のそばで、野球のバッティング練習をしている親子がいる。父親が放ったボールを幼い男の子が打ち返すと、ぽこんと間のびした音がして、ピンクのボールが青空に弧を描いた。
 シジュウカラの声がする道を歩きながら、真一は腕時計を確かめた。もう三時半近い。思いのほか、時間が経つのが早かった。ホテル時代の先輩との約束があるから、仲間たちのところへ戻っても長くは話せない。
 前を歩く老夫婦が、右手の切土斜面を見上げている。一面にスミレが咲き渡り、崖の花畑のようだ。反対の広場に目を移すと、四阿のそばでレンギョウやユキヤナギがまぶしい。少し離れたところではコブシも咲いている。通常、コブシは桜の開花を待たずに散ってしまうが、年によっては一緒に咲いていることもある。今年はそういう年らしい。
 春の色に目を奪われているうち、集いの広場に戻ってきた。
 すでに山の影が広場全体をおおい、花見客が半減している。
 仲間たちのシートは奥のほう。ブルーシートを何枚も敷いているので、遠くからでもよく目立つ。
 桜の枝間に、その場所が見えてきた。いくつかに分かれたグループがのんびり談笑している。岡崎たちの姿もある。真一は、遊歩道から広場へ踏み出そうとする。
「違う……」
 あらゆるものが自分の知らない色に染まっていた。仲間たちも、背後の桜並木も、山の斜面も、穏やかに吹く春の風でさえ……。
 目に見える色ではない。雰囲気、感情とも言えるなにか。
 初めて見た景色だった。
 世界は、かつてないよそよそしい顔つきで、目の前に立ち現れていた。
 異質で異様で噛み合わない。
 ひとつの共通点もない。
 自分とは。
「なにしてるんです、そんなところに突っ立って」
 すぐそばで声がした。振り返ると、コンビニのレジ袋を持った益田が、不思議そうな顔で見つめていた。
「あ、いや……」
 口ごもる真一に、益田はさらに怪訝そうな顔をする。が、ふくれ上がった袋を持ち上げ、
「色々買ってきたんで」
 シートを指さした。一緒に食べようということらしい。
 確かに、昼食時からだいぶ経っている。みんな小腹がすいたのだろう。
 二十分くらいでシートをあとにした。到着したときと同様、別れ際の仲間たちの態度もあっさりしたものだった。
 遊歩道の人影はまばら。陽射しの届かなくなった桜並木が、ほんのり花明かりを放っている。
 歩きながら、さっきの出来事を振り返る。
 あの瞬間、目に映ったすべてのものが、うっすら磁気のようなものを帯びている気がした。近づこうとしても、それらはさっと向きを変え、かすりもせずに自分は脇を通り過ぎてしまう。ある程度、接近できても、一定の間合いに入ることはできない。強引に踏み込もうとすれば、見えない反発力によって弾かれてしまう……。
 むろん、荒唐無稽な思い込みにすぎない。現実には、あり得ないことだ。
 だが、理性で否定できても、感情的には納得できなかった。
 目の前の世界と自分は、決して交わることがない。
 そんな直感が頭を強く支配していた。
「シン」
 不意に背後から声がかかった。足を止めて振り返ると、モッズパーカーを着た長身の若者が後ろに近づいていた。
「久寿彦。どうしたんだ、こんなに早く」
「俺もこれから用事があるんだ」
「用事って、店のか」
「いや、私用」
 隣に並んだところで、真一は歩き出す。
「岡崎たちは、店が始まる時間までシートで時間潰すって?」
「そう言ってたな」
 店は夕方から通常営業に戻る。六時までに行けばいいそうだ。
「お前の後輩たちは?」
 松浦の仲間の宇和島たちは、久寿彦の後輩でもある。ただ、今日のメンバーで高校時代つき合いがあったのは、宇和島、稲城、岩見沢の三人だけ。高萩さんと大月さんという女の子ふたりとは、初めて話したらしい。
「あいつらは、夜桜を見て帰るってさ。西の山の展望台に上るらしい」
「ああ、あそこね」
 さっき行った展望台だ。夜桜も有名な蓬莱公園だが、展望台はとっておきの夜桜見物のスポット。池をめぐる桜並木を、一望に収めることができる。すっかり暗くなった六時半以降が見頃らしい。日中、赤みを帯びていた桜並木も、夜には純白に染まる。暗闇に浮かぶ細やかな花びらは、無数の星屑のよう。水面に花影が映り込むことによって、輝きがいや増す。それは、宇宙の高みから銀河を眺め下ろすかのような壮麗な光景だそうだ。
「ふうん、俺も見たかったな、夜桜」
「あれ、見たことない?」
 久寿彦は意外そうな顔でたずねた。
「実は、ね」
 この街に暮らして五年も経つのに、我ながら不思議に思う。蓬莱公園の夜桜は常々見たいと思っているのだが、いつでも見に行けると思うと、かえって見に行かなくなってしまうのかもしれない。東京の人が、必ずしも東京タワーに行きたいとは思わないのと同じ心理だ。
「でも、予定があるならしかたないか。明日にでも来れば?」
「いやいや」
 さすがにそれは面倒くさい。苦笑いしながら手を振った。
「まあ、ひとりで来ても面白くないか」
 久寿彦も同調して笑った。
 久寿彦も公園下のレストランで働いていたときの仲間だ。今日集まったメンバーの中では、唯一の同い年。店ではバイトリーダーという肩書きで通っているが、厨房に入ることもあって、一般のバイトとは扱いが違う。今日はあまり話す機会がなかったが、それは久寿彦が久しぶりに会った後輩たちとの会話を優先したからだ。
 やがて、ひときわ華やかな一角が近づいてきた。第二広場の斜交いに開けた待合広場。人々が集まる小広い空間に、ペンキをぶちまけたみたいに春の色が氾濫している。中央のツツジにこそ花はないが、広場の外周に沿って、レンギョウ、モクレン、ハクモクレン、ツバキなどが妍を競い、鮮やかな色彩が目に痛いほど。
 久寿彦が足を止めて振り返る。
「ウチに寄っていくか? 俺も少し時間があるから」
 まっすぐ帰るつもりなら、久寿彦とはここでお別れだ。久寿彦の家は、公園下のレストランと同じ方角にある。待合広場から東に進んで森の坂道を下ると、公園の第二駐車場に出るが、そこからさらに歩いたところ。
 真一は腕時計に目をやる。ホテル時代の先輩と約束した時間まで十分ゆとりがある。
 だが、帰ることにした。アパートに帰って色々やることがある。
「今日はいいや。また今度」
 久寿彦は黙ってうなずいた。だが、すぐに別れを告げず、後ろ向きに歩きながら、真一と会話を続ける。
 遊歩道から少しそれたところで、ふと足が止まった。桜の花がなくなったその場所で、久寿彦は空を見上げている。
「もう青春時代も終わりかなあ……」
 それは、誰に向けられた言葉でもなかった。あたかも、空に言わされてしまった、という感じだった。
「はあ?」
 脈絡のない言葉に、真一は片眉を吊り上げる。
「……いや、なんとなく」
 バツが悪そうにそっぽを向く久寿彦。だが、真一に問い詰めるつもりはない。どうせ大した意味などないだろう。花見の疲れが、今頃出てきたのかもしれない。
「フッ、じゃあ、またな」
 軽く手を挙げて、歩みの速度を上げた。
 じゃ、とやっぱり決まり悪そうな声が背中に届いた。